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2012年3月31日土曜日

エアコンつけてマスクする

確かに今朝の暖かさは群を抜いて、ようやく春本来の気配を感じた。自然と動きが楽になる。
とはいえ、風が恐ろしいほど吹いていて、ご近所の新築工事現場の覆いカバーが激しく音を立てる。昼過ぎになると雨まじりになって予定も立たぬ。

風のせいか肌寒くなりエアコンを入れれば、強風で撒き散らされた花粉が気がかりで、室内でもマスクをしてしまう。長丁場の咳も相変わらず治まりよくない。屋上屋を重ね(架し)ながら、せっかくの土曜日せんかたなく過ごす。


(追記)
昨晩の、MBC「偉大なる誕生2」は、ク・チャミョン(歌:キム・ゴンモの「ミアネヨ」から)が栄誉を手にした。番組の最後になって予期せぬできごと(労組ストライキ、Twitter事件)が続けて発生したものの無事終了したことになる。

デイリアンの記事「幕を下ろした"偉誕2"、イ・ソンヒだけ残して寂しい退場」(3/31、キム・ミョンシン記者)によれば、文脈は違うが「真の優勝者は、イ・ソンヒという意見も」あるとか、「7ヶ月間進行された<偉大なる誕生2>は、そのようにイ・ソンヒだけを残したまま惜しくも終わった。」というわけだ。
ファイナルにもかかわらず視聴率は、<偉大なる誕生1>の20%に対して12.1%(AGBニールセン)と芳しくなかったとも伝えている。

2012年3月30日金曜日

イ・ソンヒ「偉大なる誕生2」に自作曲プレゼント

東亜日報のdongA.comの記事「"偉誕2" キム・テウォンに続きイ・ソンヒも自作曲プレゼントする」(3/30)によれば、MBC「偉大なる誕生2」でメンター(指導者、師匠)として参加のイ・ソンヒが、最終オーディションに残った二人の直接のメンティー(弟子)たちに自作曲を提供すると次のように報じている。
[ニュースエン]

・(昨年の「偉大なる誕生1」における)キム・テウォンに続き、イ・ソンヒも自身のメンティーたちに自作曲をプレゼントする。

・3月30日放送されるMBC 「スターオーディション-偉大なる誕生2」では、共に決勝に上ってきたメンティーのペ・スジョン、ク・チャミョンのために、イ・ソンヒが直接自作曲をプレゼントする。

・イ・ソンヒは、サッカー選手時代を過ごしたク・チャミョンに、「グラウンド上の選手たちに力になることができる歌」を与えたかったといいながら曲に対するヒントを伝えた。ペ・スジョンには、イ・ソンヒが自身のアルバム*に収録しようと準備していた曲を惜しみなく渡してくれた。イ・ソンヒの母のようなメンターの面貌を見せくれわけだ

(*: 昨年末に、イ・ソンヒは新しいアルバムを今年出したいと語っている)

・特に、この自作曲は、イ・ソンヒが直接メンティーたちのために、作曲および編曲に参加したと伝えられている。

・「偉大なる誕生1」でもキム・テウォンは、決勝に進出した自身のペク・チョンガン、イ・テグォンのために、本人が直接作詞・作曲した曲をプレゼントした。2011年5月当時、キム・テウォンはペク・チョンガンに「別れが星になるようで」、イ・テグォンには「白黒写真」という名曲をプレゼントして立派な舞台をリリースした。

・一方、ペ・スジョン、ク・チャミョンのTOP2待望のグランドファイナルは、(本日)3月30日生放送される。 午後9時55分放送。

スターダスト

スターダストを漢字に表せば「星屑」だけど、どこか幻想的です。宇宙の彼方に浮かぶ無数の小さな星々。太陽のエネルギーに煽られて尻尾のようにガスや塵を噴出する彗星。地表の大気に高熱に裂かれながら突入する隕石。それとも、地球にようやく帰還してカプセルを無事分離した後、わが身をきらめく光に化身した「はやぶさ」の姿でしょうか。

スターダストは、自分の存在を光にして見せます。宇宙を漂う物質から生まれた僕たちの、初源の意識が想起させるからでしょうか、その光に再生を感じるのです。スターダストがその役割を終えて、光絶えたとしても、たとえ無に還ったとしても、宇宙の揺らぎに目覚め、やがて再生することを希求するのです。

ナット・キング・コール(Nat King Cole)が歌う「スターダスト(Stardust)」 の旋律は、真空で無音の暗闇の世界にも美しく響くことでしょう。

(Youtubeに登録のcto10121に感謝)

(本ブログ:"レイジー・リバー"、"ナット・キング・コール")

2012年3月29日木曜日

「偉大なる誕生2」を襲った雨風のその後

MBCニュースの記事「イ・ソンヒ側 『イ・スンファン、メンターとファンの皆さん方に』 ...謝罪」(3/28)によれば、「偉大なる誕生2」を襲った雨風はどうやら沈静に向いたようで、新しい展開を次のように報じている。
(ソウル=ニューシス)

・MBC TV「スターオーディション-偉大なる誕生2」にメンターとして出演中の歌手イ・ソンヒ(48)とイ・スンファン(47)の(間に投じられた)葛藤が結末を迎える見通しだ。

・イ・ソンヒの(所属する)マネジメント社「フックエンターテインメント」のクォン・ジンヨン代表は、28日新しく作ったTwitterのアカウントで、「去る23日、(わたし)個人のSNSを通じて熟考が足りぬままの表現でイ・スンファン、メンター各位とファンの皆さん方に心配をおかけして、不快にしました点を深く謝罪申しあげる」と書いた。

・「今回のことで、私の軽率さと愚さに対する反省と自責をずっと抱き続けて行く」として、「このことで、これ以上番組とその関係者の方々に迷惑をかけないことを切に望む」と残した。

・合わせて「去る8ヶ月の間激しかったが、美しい競争を繰り広げてきたメンティーたちと彼らを導いてくれたメンターの方々と、そして制作スタッフにも心より申し訳ない気持ちを伝える」と付け加えた。

・さかのぼって、クォン代表は23日「偉大なる誕生2」の放送が終わった後、自身のTwitterに、「イ・ソンヒ女史のメンティーたちを減らすためのイ・スンファン歌手の8.7という点数破壊だ、本当に!本人はすごく恥をかいて照れるのだろうか? 我慢の限界だ」などの文を残して、「イ・スンファン diss」論議を触発した。言い争いが起きるとすぐにTwitterのアカウントを削除したが、すでにリツイート文が広がり波紋が大きくなった。

・すると、イ・スンファンのマネジメント社ドリームファクトリーは、27日公的にクォン代表の謝罪を要求してきた。「クォン代表のSNSを通したとんでもない公的誹謗で大きな傷を負ったイ・スンファン氏と彼のファンたち、尊重されて信頼を受けなければならないメンターの点数を、否定することによって権威を失墜させた点、全情熱を傾けた制作スタッフ、他のメンーの方々など複合的対象に対して公的な謝罪が必要だ」と声を高めた。

・一方、「偉大なる誕生2」は、30日ク・チャミョン(22)とペ・スジョン(26)が正面対立するファイナル舞台を送りだす。二人は皆イ・ソンヒのメンティーだ。


(付記)
アーティストが連綿と作りあげてきた世界に尊敬の念を持って、ステークホルダーは言葉を慎重に選択するだろう。これから輝き増す才能ある若者たちが安心して羽ばたける基盤(インフラ)を作ってこそ、マネジメントの役割があり、そこにファン以上に重要な存在意義があるのでしょう。

2012年3月28日水曜日

「偉大なる誕生2」に降る雨

アジア経済の記事「イ・スンファン、イ・ソンヒの所属会社代表に公式謝罪要求」(3/27)は、突然の雨風に関係者が心痛めるであろうことが容易に想像できる。
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イ・スンファン(이승환)、MBC「偉大なる誕生2」に一緒に(メンターとして)出演中であるイ・ソンヒの所属会社代表に公式謝罪要求。
イ・スンファンの所属会社ドリーム・ファクトリーは、27日公式ホームページを通じて、「フック エンターテインメントの代表理事クォン・ジンヨン(권진영)氏のSNSを通したとんでもない公の誹謗により、大きな傷を負った所属アーティストのイ・スンファン氏と彼のファンたち、(および)尊重され信頼を受けなければならないメンターの点数を、否定することによって権威を失墜させたと、『偉大なる誕生2』に情熱と誠意すべてもって臨む制作スタッフと他のメンターの方々の複合的対象に対し公的謝罪が必要だと考える立場であり、これにともなうクォン氏の公的謝罪を促す」と明らかにした。
これは、クォン代表が去る23日自身のツイッターに、イ・スンファンがイ・ソンヒのメンティーたちにわざわざ低い点数を与えたという旨の非難文を載せたことに対しての反応で、以後論議が起きるとすぐにクォン代表はツイッターのアカウントを削除した。

ホームページ
産苦に苦しめられる偉大なる誕生
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この記事の最後に記されたコメントは象徴的だ。偉大なる歌手の大義の歌を借りて、雨降って土固まることを願うしかない。
チョー・ヨンピルの「ソウル1987年」に耳を傾けよう。

(Youtubeに登録のnishinagoに感謝)

2012年3月27日火曜日

ヤマビルのこと

朝鮮日報の記事に「吸血ヤマビル、韓国国内で初めて確認」(3/27)と、次のように報じている。

登山客の足に吸い付いたヤマビル。
/写真提供=国立生物資源館
発見場所は、珍島の西南西9.5Kmほど沖合いにある、全羅南道新安郡可居島の犢實山(トゥクシル山、海抜639m)中だそうだ。
(KONEST韓国地図 感謝)

・「トゥクシルヤマヒル」と命名されたこのヤマビルは、円筒形の体を持ち、体長は約3cm。現在までに韓国国内で発見された16種類のヒルは、いずれも水中に住んでいるが、トゥクシルヤマヒルは地上にだけ生息する

・専門家らは、東南アジアや日本の内陸地方に広範囲に分布していたこのヒルが、このところの気候の変化で温度が上昇したのに伴い、韓国国内に流入したものとみている。ソ・ホンリョル研究官は「韓国国内の生息範囲も、温度が相対的に高い地方を中心に徐々に拡大する可能性がある」と語った。

そうだったのか、韓国にヤマビルがいなかったことを初めて知った。

ヤマビルは、その姿や動作が見るからに気味悪く、知らずに血を吸って身を丸く太らせる。この悪びれない態度が気に入らない。彼らのいる山道は、長靴がよいとのこと、ズボンもしっかり絞って防御しても、それでも進入してくる。シャツの襟ボタンをしめて、タオルで首筋をしっかり覆っても入ってくる。やられたら、広い砂利道でパンツ一つになって全身を確認するしかない・・・おじさんだから互いにできることだが。それでも、家に帰って、ふくらはぎに張り付いている奴(ヒル)を見つけたことがある。
ヤマビルは、本当に迷惑な存在だ。

(本ブログ関連:"天上沢鉱山"、"野州鉱山"、"天上沢鉱山 2010年")

「偉大なる誕生2」さまざま

イ・ソンヒがメンター(指導者)として参加するMBC「偉大なる誕生2」について、さまざまな話題がある。

ひとつは、イ・ソンヒが所属するフックエンターテインメントの代表が、同番組でイ・ソンヒが指導しているメンティーたちに、他のメンターが低い評価を与えたと、Twitter上で批評したとか・・・そんなことが。

ふたつめは、同番組を放送するMBCがストライキ中のため、30日予定の決勝戦の放送が危ぶまれている問題だ。こちらの方は、スターニュースの記事「"偉誕(ウィタン)2" 決勝戦危うい(ウィテ)? "通常の放送問題ない"」(3/26)が、次のように報じている。
・26日、MBC芸能局関係者によれば、ストライキに参加しているPDたちの代りに演出に参加した芸能局職務部長たちが異動で辞任したが、「偉大なる誕生2」の演出は継続することにした。職務辞任の意思を明らかにしたある芸能局幹部は「平PDに戻って番組製作するという立場を打ち明けた」と伝えた。
・これに伴い、来る30日には「偉大なる誕生2」の決勝戦が予定通りに行われる。現在、イ・ソンヒの二人の(教えを受けている)メンティーであるク・チャミョンとペ・スジョンが決勝に上がる最後の舞台を控えている。サッカー選手出身のク・チャミョンと英国から来た羨望の娘(엄친딸)であるペ・スジョンは、序盤から優れた舞台を繰り広げて期待を一身に受けた主人公だ。

2012年3月26日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 安香連

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/21)に、人物シリーズ20回目として「1970年代にパンソリ界で多くの人気を集め(確かな実力と美貌を備えた)パンソリ歌手、安香連(안향연、1944年-1981年)」を紹介した。

(ところで、KBS WORLD日本語放送のために常に工夫されている解説者の岸さんは、14日の同局「玄界灘立つ虹」にピンチヒッターとして出演し・・・中枝さんのリードで山野内さんの代役の任を無事果たした。「」の話は美味そうだった!)

まず「美人薄命」の語義について、次のように始まった。
・日本語の「美人薄命」の漢字にあたる「미인박명」が韓国語に在る。人間が得られる福は一定なため、美しさに多くの福が費やされると、他に使われる福が相対的に減ると考えられてきた。
・安香連は、美人薄命に例えて、1970年代に絶大な人気を得てテレビや舞台、レコードなどで華やかに活躍したが、1981年その短い人生を終えた。

▼安香連の歌による、パンソリ「興甫歌(흥보가)」の中から「トスンチプトチャバジュヌン題目(도승이 집터 잡아 주는 대목)」を聴く。解説に無理のない発声・唱法とのこと・・・でも、結構パワフルでヘビィな・・・。
(参考)Youtube登録の「안숙선 - 흥보가 3.mov」(歌詞付き解説、hyoukranに感謝)

次のように安香連プロフィールが紹介された。
・1944年 全羅南道光山に誕生する。
・本「人物シリーズ」第一回で紹介のパンソリ名人(名唱(명창))、金素姫(김소희)の弟子となる。
・1981年 トップスターの注目の中、若くして自ら人生を終える。

▼安香連の歌による、「沈清歌(심청가)」の中から「泛(汎)彼中流(범피중류)」(歌詞:운림's Blogに感謝)を聴く。漢詩を駆使して・・・むごい展開の始まりに・・・朗々と歌う。

▼安香連他による、「珍島アリラン」を聴く。やっぱり、こっちの方がいいな。大地から湧くような自然なリズムが心地よいよ。

2012年3月25日日曜日

忘れられた季節

韓国のテレビドラマで、朝の混んだバスの中に、ある曲が流れた。イ・ヨン(이용)の「忘れられた季節(잊혀진 계절)」(1982年)である。乗客の二人の女子高生が、(運転手の)おじさんはこの曲が好きなんだねと、くすっと笑う場面があった。このバラード、今どきの彼女たちだって一度聴くと耳に残っているのだろう。

イ・ソンヒが1984年に登場したとき同じく、一部の歌手たちに共通した髪型、眼鏡のスタイルがあった。MBC歌手王に輝いたイ・ヨンもそうだった。

(Youtubeに登録のchfhrskfkに感謝)

(本ブログ参照:"スタイル"、"7080世代の好きな曲")

2012年3月24日土曜日

イ・ソンヒの「私は恋に落ちました」を歌うク・チャミョン

インクルート掲載の記事「『偉大なる誕生2』 ク・チャミョン、メンターのイ・ソンヒの曲『私は恋に落ちました』を熱唱」(3/23)は、MBC同番組でTOP3に残った中で唯一男性のク・チャミョンが、メンター(指導者)であるイ・ソンヒの最初(1985年)のアルバム所収曲「私は恋に落ちました(나는 사랑에 빠졌어요)」を歌ったと次のように報じている。
[毎経ドットコム  チェ・ギョンヒ記者]



・「偉誕2(偉大なる誕生2)」の有力優勝候補に選ばれたク・チャミョンが、愛に陥った男に変身して熱情的な舞台を繰り広げた。

・23日放送されたMBC「偉大なる誕生2」の七回目の生放送舞台でTOP3(ク・チャミョン、ペ・スジョン、チョン・ウンジン)は、「私の英雄(My hero)」というテーマで、心の中での英雄と関連した歌に挑戦した。

・この日、メンターのイ・ソンヒの歌「私は恋に落ちました」を選曲したク・チャミョンは、「イ・ソンヒ先生は私の救世主だ。先生が教えた全てのものを込めてこの歌を捧げ(ました)」といって、イ・ソンヒに対する無限の愛を表わした。

・すっきりしたブラック・スーツ姿で舞台に上がったク・チャミョンは、パワフルながらも甘美な声に優れた歌唱力を誇示した。彼は、多少緊張した姿を見せてすぐ自信あふれる姿で熱唱した。

・舞台から降りたク・チャミョンは、「イ・ソンヒ先生は、喉がかれるくらいに教えてくださる。先生の歌をこの日歌うことができて胸が詰まった」という所感を伝えた。

・ク・チャミョンの舞台に、審査委員ユン・イルサンは、「感情表出に努力をたくさんしたのが見えた。だが、最後まで音程が不安で少し減点された」と評して、9.1点を与えた。

・パク・チョンヒョンとイ・スンファンもまた、同じように「今日の舞台は残念なことに音程と呼吸が初めから最後まで不安だった」、「悲壮な感じで、初めから最後まで感動を与えるには不十分ではないかと思う」という惜しい評と共に、8.8点、8.7点をくだした。

・ユン・サンは、「メンターに対して感謝するということが盛られた選曲だった。歌詞伝達で思いがぎこちなかった。だが、眼差し(アイ・コンタクト)だけはメンターと同じ交感をしたようで温みを感じた」という評で、9.0の点数を与えた。

・メンターのイ・ソンヒは、「易しくない歌をしっかり歌ってくれた。今日の舞台は緊張するだろう。その感じを沈着に静めて、没頭して有難かった」と暖かい笑顔を見せた。

・これまでク・チャミョンは、二度のゴールデン・チケットの主人公に選ばれて、有力な優勝候補に注目されてきた。

(Youtubeに登録のangelofpuri、KnightmareSMに感謝)

<コンサート7080>デジタル音源発売

UP(ユニオンプレス)ニュースの記事「イ・ソンヒ、チョー・ヨンピル、ソン・チャンシク... <コンサート7080>デジタル音源で帰ってくる!」(3/22)は、イ・ソンヒの歌を含めて<コンサート7080>のデジタル音源が23日発売されると、次のように報じている。
[ユニオンプレス=キム・ヒス インターン記者]

・思い出と郷愁がいっぱいの元祖青春の感性が音楽に乗って<コンサート7080>デジタル音源で帰ってきた。

・最近、様々な音楽番組で、70、80年代の名曲のリメイクがブームの中で、KBS 1TV<コンサート7080>のデジタル音源が、23日(金)に発売される。

・今回お目見えするデジタル音源は、イ・ソンヒの「Jへ」、チョー・ヨンピルの「キリマンジャロの豹(ひょう)」、ソン・チャンシクの「日(푸르른 날)」、ノ・サヨンの「出会い」など全38曲余りで、70、80年代の名曲を中心に厳選された。

・特に今回の<コンサート7080>に収録された名曲は、KBS 2TV<不朽の名曲50選>を使用して10、20代にも人気を得たので、中・壮年層だけでなく、若い世代の共感も形成することができることに意義がある。

・中・壮年層には思い出と郷愁を、若い世代には濃い青春の感性を伝える<コンサート7080>は、さまざまなオンライン音楽サイトとCDショップで会うことができる。

・一方、KBS 1TV<コンサート7080>は、70、80年代の名曲を中心に始め、現在ではソン・シギョン、ホガクなど、さまざまな世代が好むジャンルの音楽まで広がり、視聴者の安定した愛を受けている。

2012年3月23日金曜日

音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩

国際新聞の記事「音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩<49>"メンター" イ・ソンヒ」(3/20)は、サブタイトルに「30年間ひたむきに座を守った彼女に敬意を」として、MBCのオーディション番組「偉大なる誕生2」に参加しているイ・ソンヒを、音楽評論家カンホン(강헌)が次のように評している。感謝。

・MBCのオーディション番組「偉大なる誕生2」がいよいよトップ3に絞られた。生存者はペ・スジョン(배수정、女性)、ク・チャミョン(구자명、男性)、そしてチョン・ウンジン(전은진、女性)で、女性が二人だ。

・今までのオーディション番組で、女性はただ一人も優勝できなかった。二人の女性候補中、ペ・スジョンが半歩ほど有力に見えるが、初めての女性優勝者を出すためには二人とも、ク・チャミョンという強力なパワーボーカルの壁を越えなければならない。

・三人とも個性的なボーカルの突出した美しさを持っている点が興味深い。今シーズンの「偉大なる誕生」は、ボーカルの真剣勝負のような感じを与える。考えてみれば、大衆音楽の核心こそボーカルではないだろうか。

・人間が作ったすべての楽器は、人間の声を指向する。舞台の中心に人間の声が位置しているのは決して偶然でない。自分の声を持つことができなければ、偉大な音楽家になることができてもスターにはならない。大衆音楽史は魅力的なボーカリストの歴史なのだ。

・もちろん、立派な声の資質だけでは、優れたボーカリストになれない。自身のボーカルを極大化できる曲を作ることができるとか、そんな作曲家をパートナーとすることができる幸運がなければならない。何よりも、骨を削る継続的な訓練が伴わなければならない。そして、素晴らしい資質を土台に多様な表現を駆使できる能力を揃えなければ生命力を保存しにくい。それにもかかわらず、私たちが最も普遍的に容易に魅了されるボーカルは、やはり「熱唱派」と称する激情的なボーカル(歌手)たちだ。

・この熱唱派の頂点には、1980年代韓国大衆音楽史を支配して、まだ相変らず堂々と王座の栄誉を守っているチョー・ヨンピルとイ・ソンヒが位置している。「国民歌手」あるいは「歌王」と遇されるチョー・ヨンピルだからこそとしても、相対的に生命が短い女性音楽家たちの限界を考えると、イ・ソンヒが30年近く自身の座を守っていることに対して、脱帽して敬意を表わしても決して過言ではないと考える。 

・1980年代に、主にTVを中心に活躍したイ・ソンヒの場合、「ミス・ダイナマイト」(?)という愛称を持った米国の女性ロッカーのパット・ベネター(Pat Benatar、1953年~)に決して引けを取らないパワーを誇り、10代の少年だけでなく少女ファンたちの視線を集結させた。彼女は、「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」や「いつもあなたを(나 항상 그대를)」のようなヒットナンバーでも分かるように、パワーの裏に隠れた繊細な感受性を表現している途方もない威力を発揮した。それが、当時のハイ・ティーンには、これ以上望むことがない贈り物だったわけだ。不惑の峠を越えても、イ・ソンヒは2005年の意欲的なアルバム「因縁(인연)」(13集所収)が見せたように、昨日の力に人生の「五欲七情(오욕칠정:人間本来持つ情と欲)」を包摂する円熟味まで加え、第2の全盛期を開く万全の体制を整えた。

・まさにこのイ・ソンヒがメンター(指導者)制を採用している「偉大なる誕生2」で、トップ3中の二人、ペ・スジョンとク・チャミョンのメンターであるという事実は真に興味深い。もし、今週に広がるトップ3のバトルで、チョン・ウジンが脱落するならば(この間の点数を見るならばとても有力な状況だ)、メンターの二人の弟子が優勝を決める珍しい風景を私たちは視聴することになるだろう。 

・偉大なボーカリストたちはいつも、既存の芸術史を形成してきた多くの境界のスケールを革新的に越えてきた。そして私たちは、その中で人生の驚異と癒しを与えられる。

2012年3月22日木曜日

シェルブールの雨傘

今日から旧暦の弥生3月が始まる。昼と朝夜の気温の差が激しくて、穏やかな春を感じるに至っていない。幸い天気は良いようだ。

親類から借りていた「シェルブールの雨傘Les Parapluies de Cherbourg)」(1964年)を観賞する。デジタルリマスター版の綺麗な画質だ。フランス版ミュージカル(音楽:ミシェル・ルグラン)で、流れるような歌い方に耳が自然になじむ。そして、とても女性的な映画である。

ちなみに、この映画が公開された1964年は、イ・ソンヒの誕生した年でもある。

場面を見ながら ト書き風に以下に記してみた。無粋な感想はひかえるが、堅実に生きてきたマドレーヌのギイに対する想いが好きだな。そして、最後のギイの振る舞いはよかった。守るべき家族があるのは幸せなことだ。

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(出発)
1957年11月
母親の傘店を手伝う娘ジュヌヴィエーブ16歳
自動車修理工場で働く青年ギイ20歳
黒服の若い宝石商カサールは、傘店の経営の苦境を知り支援を申し出る
2年間という兵役の召集令状を受けたギイ、戸惑うジュヌヴィエーブ
[ここで二人は、この映画を代表する歌を歌う]
そしてシェルブール駅でのギイとの別れ

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(不在)
1958年1月
ギイの子を妊娠したと母に告げる
宝石商カサールを自宅に招く
カサールは母親に、ジュヌヴィエーブとの結婚の意志を告げる

1958年2月
戦地から愛を確かめるギイの手紙が届く
カサールへ手紙を書くジュヌヴィエーブ・・・

1958年3月
カーニバル
お腹が大きくなるジュヌヴィエーブ、孫を想像する母親
カサールから絵葉書が届いたと伝える母親

1958年4月
カサールから贈られた指輪を渡す母親
ジュヌヴィエーブと港を散策して、子どもを僕らの子にしようと申し出るカサール

そして、カサールとジュヌヴィエーブの結婚式

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(帰還)
1959年3月
雨のシェルルブール駅を降りたギイは、持ち主のかわってしまった傘店を覗く
ギイは、育てのおばから、ジュヌヴィエーブは結婚式の晩に出発したと事情を聞く
寝たきりのおばを看病してくれているマドレーヌとギイは再会する

1959年4月
荒んだギイは、復職した自動車修理工場をケンカしてやめて街をさまよう
その晩に、おばが亡くなったことを、翌日マドレーヌから知らされる
一人残されたギイは、去ろうとするマドレーヌの存在の大きさに気づく
マドレーヌは、ジュヌヴィエーブへの想いを引きずり労働の意欲を失ったギイをたしなめる
ギイは、マドレーヌの出立を引き止める

1959年6月
現実に戻ったギイは、おばの遺産を元手に、念願のガソリンスタンドを手に入れる
そして、ギイは正式にマドレーヌに求婚する
それでも、ギイの心にジュヌヴィエーブの姿がないか不安がるマドレーヌ

1963年12月
ガソリンスタンドにクリスマスの飾り付けをするギイとマドレーヌ
そのそばに、太鼓を打って遊ぶ小さな男の子フランソワ
クリスマスのおもちゃをせがんだフランソワと、マドレーヌは一緒に雪の中を出かける

直後、一台の車がガソリンスタンドに給油に寄る
車には、ジュヌヴィエーブと娘フランソワーズが乗っている
ギイは、給油中、ジュヌヴィエーブをオフィスに招き入れる
母を亡くし、シェルブールに結婚以来初めて戻ったというジュヌヴィエーブ
車中に待つ娘に会うかと問われたギイは、それを断り、早く立ち去るよう促す
別れに、「あなた 幸せ?」と問うジュヌヴィエーブに、ギイは「ああ、幸せだよ」と応える
車が去った後に、戻ってきた母子を迎えるギイ、じゃれて雪の上で戯れるフランソワ
夜のガソリンスタンドの上に雪が静かに降りつづく


(Youtubeに登録のRicardo Leitnerに感謝)

2012年3月21日水曜日

春一番ならず

asahi.comの記事「春一番、関東で12年ぶり吹かず 近畿や東海でもなし」(3月20日23時58分)によれば、東京の今年の春に、春一番の条件を満たす風がなかったと、次のように記している。

・関東地方では、立春から春分までの間に、気象庁が設けた条件を満たす南風が記録されなかったため、2000年以来、12年ぶりに春一番は吹かずじまいとなった。
・気象庁によると、関東地方の春一番は、立春から春分までの期間に
(1)日本海に低気圧があり
(2)そこに向けて、強い南風(目安は風速8.0メートル以上)が吹き
(3)前日より気温が上がる
という条件を満たす必要がある。

この時期、北風のイメージは後ろから背を押すように吹く冷たい冬風だし、南風は顔面を覆うように暖かく吹きつける、さしずめ春一番だろうけれど。今年は、花も風も本格的に春を連れて来るのが遅い。

ところで、イ・ソンヒの「風の中で(바람 속에서)」に吹く風は、いつ頃の風か。アルバム2集「秋の風(갈바람)」(1985年、歌詞)に所収から、秋頃なのだろうけれど・・・それにしても、彼女の初期の作品は、詞とは裏腹にどうしてこうも元気なんだろう。まるで春の頃の風のようだ。

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

(付記)
いまだ咳き込みがおさままらず、今月の健康体操教室(水曜日)は、全てお休みだ。

2012年3月20日火曜日

春分の日2012

今日は、春分の日、祝日である。二十四節気の四番目の春分だ。昼夜の長さが同じといわれるが、Wikipediaによれば、大気の屈折、太陽の視角、視差、そして春分のタイミングなどにより、「平均すれば昼が夜よりも約14分長い」そうだ。でも意識したことはないけれど。

今朝は、寒気が南下したため、昨日と比べてぐっと冷え込んだ。それが、日中は+8℃近くアップするというが、未だ寒い・・・春なのに寒気に振り回されている。
通り道に面して他家の庭先に、枝に花を飾る梅を見るにつけ、小金井公園に観梅したく思いながら、まだ訪れていないのが残念だ。
(本ブログ関連:"春分の日")

それにしても、先月から続く咳がおさまならい。
昨晩、鉱物採集のお誘いをいただいたが、体調が完全でないので、来月には是非とも同行させていただければと思っている。

2012年3月19日月曜日

もっと暖かさを

今朝は、少し風が強いものの、久し振りに陽射しを感じて穏やかな気分になる。冬の雨も寒さも苦手である。早く、本格的な春よ来い。

そういえば、イ・ソンヒの中学生時代につけられたあだ名がサニーだった。元気一杯で、陽が射すようにまわりを明るくさせたのだろう。なにしろサニーと名づけたのが教師なのだから間違いない。それに、女子サッカー選手のように、陽に焼けていたのかもしれないな。

(本ブログ関連;"サニー")

イ・ソンヒが中学生時代のころ、ドイツに集結した多国籍メンバーによるボニーM(Boney M)の「サニーSunny)」(1976年)が流行った。この曲のような軽快な面が、彼女にあったのだろう。昔聞いたイメージでは、もっとシャウトがきいていたような気がしたが、今Youtubeをのぞいてみれば、何とメロディックなこと。

(Youtubeに登録のss228comに感謝)

2012年3月18日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 申快童

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/14)に、人物シリーズ19回目として「幼い頃から風流音楽に親しんだという、(弦楽器コムンゴによる)コムンゴ散調(거문고산조)の大家、申快童(신쾌동:1910年~1977年)」を紹介した。

弦楽器コムンゴ(거문고)について、次のような紹介から始まった。
・(風流を楽しむ)ソンビたちに好まれ、長さ約1m50cm程で、細く短いバチを使い演奏する弦楽器。
・楽器胴体上に「クェ(괘)」といわれる木の板(フレット(fret))が取り付けられているのが特徴。

(参考)
イ・ソンヒが奏する「下絃還入コムンゴ」がYoutubeにある。(若き奏者は、歌手のイ・ソンヒではありません)
(Youtubeに登録のkoartny80に感謝)

申快童の演奏で、コムンゴによる散調の中からチュンジュンモリ(중중모리)」を聴く。弦の一連の、高音の速い奏でから低音に締めくくられる繰り返しに、リズムだけが次第に残る。

ここで、散調(サンジョ:산조)について復習があった。
・庶民の音楽である。
・テンポが、チニャンジョ<チュンモリ<チュンジュンモリ<チャジンモリ、とアップする。
・オンモリ、クッコリ、フィモリなどの、リズムの長短(チャンダン:장단)を加えることがある。

何々流という流派の考え方から、音楽作品について次のような興味深い話が語られた。
・散調は、そのメロディーを誰が作り出したのかによって、何々流という風に作曲家の名前が入る。
・西洋音楽は、作曲家がいて著作権が発生するため、他人がそのメロディーを無断使用できない。
・日本の場合も、伝統音楽は師匠の流派をそのまま受継ぎ、その形を守ることを目標とする。
・(韓国の)国楽の場合は、師匠のメロディーを基本としつつ、自らの新しい音楽観を具現することがその師匠の名を引き立たせることになる、と考えられる。

この辺りから芸術作品に対する、個別化と総合化のとらえ方の相違が見えるような気がする。

申快童の演奏と歌による、コムンゴ並唱(병창:弾き語り)で「八道遊覽歌(팔도 유람가)」を聴く。風流を解して、名所図会、はたまた三十六景・・・を眺めるごとくだろうか。

申快童の演奏による、「農夫歌(농부가*)」を聴く。風景画のように、遠くに農夫の動きを視るような印象がする・・・どうなのだろうか。
(*)Naver百科事典より

申快童プロフィール
・1910年 全羅北道 益山に生まれる。
・白樂俊(백낙준)からコムンゴ散調を学び高弟となる。
・1938年 朝鮮声楽研究会で弟子を教える。
・1977年 没す。

2012年3月17日土曜日

イ・ソンヒ&ペ・スジョン&ク・チャミョン 偉誕2

イ・ソンヒに見い出されることは、歌の才能を秘めた原石であるわけだが、(チョ・ジョンリンのケースもあるが)イ・スンギのように成功をおさめることになる。

イ・ソンヒがメンター(指導者・師匠)として登場するMBCのオーディション番組「偉大なる誕生2」(="偉誕2")で、メンティー(受講者・弟子)たちと一緒に、その成果を誇るように「いつもあなたを(나 항상 그대를)」を歌う場面がYoutubeに登録されている。
(Youtubeに登録のherrcoolguyに感謝)

STOO.COMの記事「"偉誕2"のイ・ソンヒ、弟子たちと"幻想的"な合同公演.."自然に拍手が"」(3/16)に、その様子を報じている。
・16日午後放送されたMBC「スターオーディション-"偉大なる誕生2"」で、「視聴者推薦曲に挑戦しよう」というミッションを消化するTOP 4の姿が電波に乗った。
・(「メンターとのスペシャル公演Ⅱ」で)イ・ソンヒの「いつもあなたを」を選曲した三人(イ・ソンヒ、ペ・スジョン、ク・チャミョン )は、幻想的なハーモニーを披露し、観客たちの拍手を浴びた。

というわけで、とても洒落たステージだった。なにより、ペ・スジョン、ク・チャミョンの洗練された歌唱を見上げる小柄なイ・ソンヒの眼差しは暖かく優しかった。そう、イ・スンギと「Jへ」をデュエットした場面を思い出す。
途中から、彼らをさらに磨き上げるように一緒に歌を楽しむ姿に感動した。彼女は素晴らしい原石を見出した。そして、ペ・スジョン、ク・チャミョンは、素晴らしい幸運に巡り合った。

(付記)
昨日の韓国語教室で、講師がお持ちのスマートフォンは、日本語、韓国語、英語モードに対応させていて、MBC番組もアプリ購入で見られるそうだ。・・・これにも驚いたけど。

2012年3月16日金曜日

(資料)40代の変化-2

朝鮮日報のchosun Onlineのコラム「『40代になったら保守的に』は昔の話?」(3/14)は、韓国40代の従来の保守化傾向から「20-30代と同調化、進歩化」について、季刊学術誌「時代精神」(春号)より、次のように報告している。
[全炳根(チョン・ビョングン)記者]

・40代は20-30代と共に「進歩」の声を上げた。これらの世代は、全て合わせると有権者の5分の3を超える。

・尹平重(ユン・ピョンジュン)韓神大学教授は、「わずか十数年前まで、韓国政治の形を決定付ける主な要因は“地域”だったが、最近は世代問題が急浮上している。
20-30代が進歩、
50-60代が保守に傾いている中、
40代は今年の選挙で“中心世代”として機能するだろう」との見解を示した。

・朴載昌(パク・ジェチャン)淑明女子大教授は、「今の
40代は、既存の秩序に対する抵抗と断絶を通じてアイデンティティーを模索する“怒りの時代”を生きてきた。これに対し
20-30代は、理念的な枠組みや外部の抑圧、秩序に拘束されず、自分だけの道徳的感情を噴出させることをためらわない世代。
50-60代が、産業化の時代に雇用と成長が同時進行するという恩恵を享受して生きてきたとするなら、
20-40代は、情報化・グローバル化時代を迎えて、成長と雇用の伸びが比例しないという社会の苦痛を共有し、連帯するようになった」と分析している。

(注)
昨年10月26日のソウル市長選挙で、結果に大きな影響を与えた40代の投票傾向は従来と異なるものだそうだ。その理由について、現象的に彼らがデジタル世代であることが強調されたが、当然分析は精神史や生活実感等々の多面に渡るわけで・・・。

(本ブログ関連:"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景"、"(資料)40代の変化"、"40代")

2012年3月15日木曜日

春、あなたの香り

イ・ソンヒの曲に、春を場面に、季節の移ろいと相手への想いを重ねて歌うものがあるが、春そのものを歌うものはどうだろうか・・・。
アルバム14集「愛よ...(사랑아...)」(歌詞)所収の最初の曲「あなたの香り(그대 향기)」は、春の陽射しのなかで伸びやかに、春の風に想いをこめた、暖かく淡い夢と期待を感じさせる。彼女の声は、未来を旅する少女のようだ。
そして、Youtubeに選ばれた彼女の清潔で上品な写真はいずれも素晴らしい。感謝。

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2012年3月14日水曜日

花粉症2012

昼間は落ち着いた咳も、夜になると止まらない。それでもここ二、三日、少し楽になってきている。
今日、隣り街にある地域医療支援病院で一週間ぶりの診察を受ける・・・今年の風邪はしつこい。診断結果は、咳は長引くが、順調に回復しているとのこと。次回診察は、4週後の来月11日になった。

次に、その足で確定申告に行く。明日が締め切り日のため、会場には駆けつけた人々(わたしもその一人だが)であふれていた。

更に足を返して、地元公園の健康運動センターに行く。参加している健康体操コースの継続手続きをするためだ。受付に、同コースのトレーナーの方もいらしたので、ここ数回の欠席を言い訳する。今月は無理だろうが、4月から心機一転頑張っていきたい。

ところで昨日あたりから、エアコンの吹き出す空気に違和感を感じる。埃っぽくて乾いたような臭気がすると思うや、やがて鼻水が出る・・・どうやら花粉症が始まったみたいだ。マスクをすると少し治まる。
風邪が治癒していないのに、花粉症だなんていい迷惑だ。外出にマスクは必須だ。

(本ブログ関連:"花粉症")

(付記)
21時05分頃、銚子沖(千葉県東方沖 (北緯35.8度、東経141.1度)で震源の深さは約10km)で地震の規模M6.1の地震発生。最大震度5強は、茨城県南部、千葉県北東部。当地の東京都多摩東部は、震度3とのこと。
実感は、震度3が長く続いた感じがする。なにしろ、SignalNowExpressサービスの速報がPCに表示されて3秒程度で揺れが始まった。直下地震だったら、このサービスを確認する間もなく家屋が大揺れすることだろう。震源が確実に迫ってきている・・・。

2012年3月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鄭旻娥

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/7)に、人物シリーズ18回目として「若者の街、弘大(ホンデ、홍대)で活躍する異色の国楽人(伽耶琴(カヤグム:가야금)奏者でシンガーソングライター)の鄭旻娥(チョン・ミナ、정민아:1979年~)」を紹介した。

ソウル北西に位置する弘大の街について、次のような紹介から始まった。
・芸術系大学の最高峰として有名な弘益大学校홍익대학교)を中心に広がった、アートな雰囲気が漂う街。
鄭旻娥は、若者の街である弘大で、韓国の伝統楽器の伽耶琴演奏に果敢に挑んだ

鄭旻娥による、「ミナタンゴ」の演奏を聴く。軽いタッチで伽耶琴の余韻を響かせる・・・楽しむ音楽だ。

次のように鄭旻娥プロフィールが紹介された。
・1979年 ソウルに生まれる。
・小学校1年生から4年生まで韓国舞踊を学ぶも足を痛め辞める。
・中学2年生のとき、家にあった伽椰琴で、町内教習所に通う。
・国費支援のある国立国楽高等学校を卒業し、漢陽大学の国楽科を経て、淑明女子大大学院に進学するが経済的面で断念。4年間のアルバイト生活のなか、インディーズ音楽への関心を持ち続けた。
・2004年 インディのライブクラブを中心に公演を行う。
・2005年 ミニアルバム「愛花」でデビューする。
・2007年 ジャズとクラシック音楽と流行歌と自作曲が一緒に盛られている正規1集「相思夢」を発表。

(参考)
TistoryのThe Story of ART掲載の「伽椰琴を演奏して歌を歌う鄭旻娥の3集アルバム「オアシス(Oasis)」」に感謝。

鄭旻娥の歌と演奏による「おむすび(주먹밥)」を聴く。・・・おにぎり作れば何かが変わるかもしれないと。ラテンののりで明るいな。

(参考)
eTorrentに掲載の「『国内推薦アルバム』モダン琴奏者の鄭旻娥 - おにぎり[歌謡]」に感謝。

鄭旻娥の演奏による「残像(잔상)」を聴く。ひとつの音楽と楽器が・・・誕生したようだ。

2012年3月12日月曜日

ミス・ハヴィシャム

Mnetのオーディション番組「Superstar K3」に登場した、9ヶ月のプレママであるチョン・ソンジンさんが歌う「ミス・ハヴィシャムのワルツ(하비샴의 왈츠)」は、古風な旋律のする曲だ。どこか、あがた森魚の「赤色エレジー」に通じる、とてもアナログな感触がする。

インターネットで調べてみると、この歌は、パク・チョンヒョン(박정현、Lena Park)の「ミス・ハヴィシャムのワルツ(Miss Havisham's Waltz)」(2005年)だ。
the Acroの「廣場」の自由掲示板によれば、この歌についてディケンズの小説「大いなる遺産」に登場する老婦人ミス・ハヴィシャムに題材を採っているという解説があった。
もちろん、この小説を読んだことはないけれど・・・。

ディケンズ・フェロウシップ日本支部のホームページに、「大いなる遺産」のミス・ハヴィシャムについて、次のように人物紹介している。感謝。
「なかば気の変な老婦人。満足荘(Satis House)で隠遁生活を送り、(略)。若いとき彼女は美人で、親の遺してくれた豊かな財産があった。(紳士の仮面をかぶった悪党)コンペイソンと婚約していたが、結婚式当日の朝、コンペイソンから婚約破棄の手紙を受け取り、以後頭がおかしくなった。その手紙の来た九時二十分前に家中の時計を止め、すべての窓を閉ざし、花嫁衣裳を着たままで暗い部屋に住んでいる。(略)」

ともあれ、チャレンジャーのチョン・ソンジンさんは、無事女の子を出産したことだろう。

(Youtubeに登録のMnet、yosh95wilde、LenaParkMusicに感謝)

2012年3月11日日曜日

国分寺の書店へ

国立劇場で催された、天皇、皇后両陛下ご出席の「東日本大震災1周年追悼式」の模様をテレビで見る。式場の黙祷に合わせて、地元の防災スピーカーからも同様の案内が流れた。

昼過ぎの暖かい陽射しを待って、国分寺駅ビルにある紀伊国屋書店に出かける。インターネットで知った韓国語参考書を探したが見つからなかった。探し物が見当たらないとき、いつもなら書店内をふらふら巡って、たとえ"積ん読"になったとしても面白そうな読み物を手にしたものだが、今回は違った。さっぱり興味がわかないのだ。

東日本大震災の経験は、自分にとって真に必要なものの選択を迫ったようだ。それは、財だけでなく智についても同様だ。無駄に生きることを反省しなくてはならない。生きることを許されたならば、それを充実しなければならない。

2012年3月10日土曜日

(資料)太古宗

イ・ソンヒの父親が韓国(朝鮮)仏教太古宗태고종)に所属していたことを、このブログで何度か触れた。ただし、その確証となる記事はまだ得ていないが。

彼女の美しい声質が天性のものとしても、父親が関わったといわれる太古宗における仏教音楽の梵唄(범패)が、彼女の音楽環境の重要な要素だったと考えたい。彼女の清雅でエネルギッシュな伸びやかな高音と、宗教音楽の独特な長音に共通したものを感じる。
ちなみに太古宗の総本山である奉元寺봉원사)で、梵唄などを含めた霊山斎(영산재)の年間定期公演が、毎年6月第1週に開始される。

しばしば太古宗は、韓国仏教の最大宗派の曹渓宗조계종と比丘(出家僧)について対比される。父親の宗教活動は、彼女の子ども時代に生命観、友人関係、および転居など生活に大きな影響を与えたようだ。
韓国語の教室で聞いたが、イ・ソンヒはしばらくして父親についてようやく話題にしたそうだが、いつ頃のことだろうか。

(参考)「韓国寺院の盂蘭盆斎」(野村伸一
「一方、曹渓宗の僧侶たちは、音楽や歌舞、あるいは仏画の内容などには多くは無関心、冷淡で、そのようなことは仏教の本質とはかかわりのないことという反応がしばしばである。」

(本ブログ関連:"太古宗")
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2012年3月9日金曜日

敬虔なる人

TED Talksに、ストーリーテリングの名手マルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)による「ノルデン爆撃照準器の奇妙な話」が登録されている。

日常敬虔なる人の、その仕事における倫理(行為)と技術(精度)の乖離を語っている。
正義をうたい正当化、いや合理化された、一人の技術者から生まれた贈り物は、物理学者たちが更にその姿を変えて強力にした。

(付録)
彼の「パスタソースと幸せ」も、思い込みを気付かせる興味深いお話だ。

2012年3月8日木曜日

イ・ソンヒの「因縁」

MBCの第280回「ミュージックキャンプ(음악캠프)」(2005年6月11日、汝矣島公園生放送)の野外ステージで、イ・ソンヒが、13集アルバム「四春期(사춘기)」所収の「因縁(인연)」を歌う映像がYoutubeに登録(MBCkpop)されている。

chosun.comの「女性朝鮮(여성조선)」(2008年2月18日)によれば、「2006年7月、所属事務所(フックエンターテインメント)に突然別れを通知し、米国に出国したイ・ソンヒは、同年11月に秘密裏に帰国して結婚し、またアメリカに行った。」

そして、2009年に正式に帰国後、14集アルバム「愛よ...(사랑아...)」をリリースし、ソウルを起点に全国コンサートを行なった。
これも、イ・ソンヒの因縁であり、絆である。

(本ブログ関連:"開かれた音楽会"、"イ・ソンヒの韓服写真"、"両親の日")
(本ブログ関連:"因縁" 絆、縁、인연) ← 表示後、画面右下の”前の投稿”で継続参照します。

2012年3月7日水曜日

春よこい

暖かいとはこんなにありがたいことかと思わせる朝だった。考えてみれば、微妙な温度差の中で、寒いだの暑いだのいっているわけで、ちょっと春の兆しがあれば喜び、冬の寒さがつづけばがっかりする。
朝の廊下、朝の水道水・・・生垣の沈丁花、そして、通り道を遊び場に変える子供たちの声に、確かに春を感じる。

春よこい」(作詞: 相馬 御風、作曲:弘田 龍太郎、1923年(大正12年)作曲)はいいな。幼い子どもには、大人が感覚することでしか理解できない春を、まるで呼びかければ応えてくれる愛すべきもののように歌っている。子どもたちは、きっと春風ともおはなしができるのだろう。うらやましいものだ。

(Youtubeに登録の99970097に感謝)

2012年3月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴緑珠

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/27)に、人物シリーズ17回目として「現在のパンソリ(판소리)界の育ての親とも言える女性パンソリ歌手、朴緑珠(박록주、1905年2月28日~1979年5月26日)」紹介した。

朴緑珠の経歴から、妓生(きしょう、기생、キーセン)についての紹介から始まった。
・見目形の美しい花草(화초)妓生と、音楽や踊りに優れた芸事を披露する藝妓(예기)の2種類があった。朴緑珠は藝妓であった。
・小説家金裕貞の朴緑珠に対する逸話が紹介された。(何だかなあ、宮沢賢治のような、あるいは「伊豆の踊り子」のような・・・)

▼朴緑珠による、短歌(단가:短い歌)の「大觀江山(대관강산)」(風月江山の別名)を聴く。めりはりと鋭さがある。悠々自適に生きたいものである。

次のように朴緑珠プロフィールが紹介された。
・1905年 慶尚北道の善山郡に生まれる。
・朴基洪(박기홍)、金昌煥(김창환)の指導を受ける。
・女性国劇の発展に寄与し、パンソリの建て直しにつくした。
・1979年5月26日 没す。

▼朴緑珠による、パンソリ「興甫歌(흥보가)」から「燕路程記(제비노정기)」を聴く。とても通る洗練された声だ。

▼朴緑珠による、パンソリ「興甫歌(흥보가)」から「ノルボがひょうたんを割る題目(놀보 박타는 대목)」を聴く。(「舌切り雀」の爺さん=興甫フンボ、婆さん=ノルボの役回り)


(追記)
隣り街にある地域医療支援病院で診察を受けた後、久し振りに銀座に行く。リヤドロで「さわやかな少女」像をもとめる。髪を風になびかせながら、両手に花々を抱える幼い少女像である。
ところで、男の子向けTV番組「海賊戦隊ゴーカイジャー」は終了して、その後を「特命戦隊ゴーバスターズ」がつないでいるという。吉祥寺のヨドバシのおもちゃ売り場に探す。この種のものは、銀座のデパートは無縁のようだ。

2012年3月5日月曜日

啓蟄2012

昼過ぎまで冷たい雨降りの今日、二十四節気の三番目、「啓蟄」である。春を待ち続けた虫たちが穴から出てくる時期だ。ああ、暖かい春の陽が待ち遠しい。

でも、出てくるのは咳だけ・・・いつまでも。というわけで、強雨の午前中に通った医院で、地域医療支援病院を紹介されてしまったよ。しつこいねえ、風邪よ、いい加減にしなさい!

ところで、最近生放送のMBC「スターオーディション"偉大なる誕生2"」での、イ・ソンヒの発言について韓国のブログにいろいろ書かれていますが・・・。メンター(指導者、師匠)として、イ・スンギの<実績>があるのだから今更心配ありません。

(追記)
今日は、しみじみと、小田和正(オフコース)の「言葉にできない」(1982年2月1日)をYoutubeで聴こう。
(Youtubeに登録のkyk717に感謝)

2012年3月4日日曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

風邪もどうやら治まった。起きているときはそうでもないが、横になり咳き込むと止まらないのはいかなることか。

イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」を聴いて、元気を取り戻したい。彼女の「"Jへ" 20周年記念コンサート」(世宗文化会館大劇場、2004年8月26日~28日)で歌われたものだ。始まりも「Jへ」で、そしてこれはアンコールに応えてのものだろうか。
感動的な場面である。



(Youtubeに幅広い登録のyokosuka30に感謝)

2012年3月3日土曜日

風邪5

風邪はようやく棲家を変えてくれ、まずは一段落したようだ。それでも、咳こみが多少残る。首筋、肩の筋肉痛も。
外出以前での状態で、家の中をフラフラしている。本当に今回の風邪には参った。

厚着して、エアコンの温風を浴び、炬燵で暖まったまま・・・うたた寝したこと3,4回。こんなところに原因があるのか。
明日から、少しずつ本格始動しよう。

2012年3月2日金曜日

風邪4

どうやら峠は越えたようだが、咳きは相変わらずおさまらない。こんなに風邪が長引くなんて、何年ぶりだ。
とりあえず、今日もこの2行記す。

2012年3月1日木曜日

風邪3

咳き込んで熱が出てフラフラする。完全に轟沈している。
とりあえず、今日はこの2行記した。