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2019年4月30日火曜日

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば

今までなれ親しんだ「平成」の元号は、明日から「令和」にかわる。それにともない、今上天皇陛下が退位されることになり、「退位礼正殿の儀」で次のようなおことばがあった。

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば(宮内庁、平成31年4月30日)*
(*)宮内庁: http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/46
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   今日(こんにち)をもち,天皇としての務めを終えることになりました。

   ただ今,国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に,深く謝意を表します。

   即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。

   明日(あす)から始まる新しい令和の時代が,平和で実り多くあることを,皇后と共に心から願い,ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


(英文: Addresses by His Majesty the Emperor)

Today, I am concluding my duties as the Emperor.

I would like to offer my deep gratitude to the words just spoken by Prime Minister Shinzo Abe on behalf of the people of Japan.

Since ascending the throne 30 years ago, I have performed my duties as the Emperor with a deep sense of trust in and respect for the people, and I consider myself most fortunate to have been able to do so. I sincerely thank the people who accepted and supported me in my role as the symbol of the State.

I sincerely wish, together with the Empress, that the Reiwa era, which begins tomorrow, will be a stable and fruitful one, and I pray, with all my heart, for peace and happiness for all the people in Japan and around the world.
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2019年4月29日月曜日

平成最後の野草観察

今年の4月は寒暖を行きつ戻りつして、月末ようやく春らしい穏やかさを迎えたと思ったら、昨日、一昨日冷え込んだ。そして今日、また穏やかさが戻ったようだ。そんな暖かさに誘われて、公園に併設の「自然観察園」を巡った。(全順路を周ってしまうのは惜しくて、後の楽しみのため未踏のエリアを残している)

(本ブログ関連:”自然観察園”)

先日(4/20)に続き、実質2回目の野草観察だ。観察園の入り口に、4月に咲く野草のリストを印刷した「花だより」が置かれている。表には花弁の色彩別に花の名のリストを、裏には観察順路近くに咲く花の名を示している。これを手にして園内を歩けば、いろいろ観察を楽しむことができる。

なお、公園施設の「自然観察センター」に、季節ごと代表的な野草について、カラー写真と解説を交えた一枚ものの印刷物が配布されている。主要な花だけのためヒットするのはむつかしい。今回は、さらにポケット図鑑の「日本の山野草」(岩瀬徹監修、成美堂出版)を持参した。

上記の資料をもとに、観察入門編として、次のような手順で観察した。
① 観察順路を巡りながら、この花の名は何だろうから始まる。
② 観察順路図に、花の名が示されているかどうかを確認する。→ 名があれば ④へ
③ 合わせて、花弁の色に着目して「花だより」の花のリストを見る。→ リスト全て ④へ
④ 少々手間どるが、図鑑「日本の山野草」と照合して、野草名を推定する。

チョウジソウ
今日は前回と違う順路で巡った。まず目に入ったのは、淡紫色の「セリバヒエンソウ」が園内の随所に見られたことに驚く。新しい外来の花であることが少々気になる。(実は、図鑑にない名前で、観察センターで配布のプリントに載っていた)

写真は、青紫色の「チョウジソウ」で、花弁や葉が鋭角的ながら、小型のためか全体として溶け合うような穏やかさがある。今日一番のお気に入りだ。

チョウジソウとは対照的にきっぱりとした可愛らしさのあるのが、同じ青系ながら濃い目の「ホタルカズラ」だろう。自分を見て欲しげな子どもっぽさを感じた。その他に、わずかだが紅紫色の「ムラサキケマン」が顔を覗かせていた。これらと反対色の黄色が鮮やかな「クサノウ」、「ウマノアシガタ」が目に付いた。

自然観察園には、これから暖かくなって、何度も足を運びたいと思っている。

(追記)
今日は祝日「昭和の日」である。昭和に生まれた者にとって、一つ前の世代というべき「大正」は遠いと思っていた。「平成」の子にしても、昭和は遠いのだろう。さらに「令和」の子にいたっては、私が「明治」を見たように昭和を見ることになるのだろう。

2019年4月28日日曜日

平成最後の空気「空気の缶詰」

ネットニュースを見ていたら、可笑しくて嬉しくなる話が載っていた。何でも、岐阜県関市の平成(へなり)地区にある「元号橋」上で、まさに手作りの「平成の空気」の缶詰を製造し、4/22以降、地元「道の駅 平成」で販売したそうだ。価格は、ほぼ缶詰の原材料費とのこと。もともと「平成(へなり)」の名を持つ場所だっただけに、元号が「令和」に変わる前に、「平成」のイメージを残すことに意味があったようだ。意外と楽しい広報戦略だ。

ところで、空気の話題といえば、かつて「ハレー彗星」が地球に接近したとき、その尾のために地球の空気がなくなり、人類が絶滅するかもしれないという騒ぎがあったそうだ。人はなぜか終末論が好きで、そんな騒動が何度も繰り返される(キリスト教的世界観の臭いがしないわけではないが)。

子どものころ読んだ児童書の挿絵に、生き残る手段を少しでも確保しようと、空気を詰め込んだ自転車チューブを何本も肩にかついでいる子が描かれていた。貧富の差を見せ付けるような滑稽譚、あるいは、ものごとを真剣に考えているようで何処か底が抜けている阿呆話だ。小さな田舎を舞台にして可能なことだが。

(本ブログ関連:”阿呆”)

幸い、今回の「平成の空気」の缶詰は平和であった時代の象徴だ。「令和の空気」も美味しく吸えることを願っている。

2019年4月27日土曜日

平成最後の寒気

「平成」から「令和」まで残り数日。このところ、ものごとの表現に「平成最後の」が枕詞のようにつく。めでたい時期なので、少しは春らしい穏やかさでいて欲しいのに、気温は昨日から下がり、今晩驚くほどの冷え込み。まるで冬のようだ。

気象協会の「tenki.jp」の記事「平成最後の寒気が南下中 令和最初の寒気が連休中に」*(日本気象協会本社 白石圭子、4/27)によれば、これからも寒気が南下するという。
(*) 記事: https://tenki.jp/forecaster/k_shiraishi/2019/04/27/4434.html
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4月を振り返ると、季節外れの雪や先取りの暑さと、季節は一進一退しました。27日(土)は、日本付近に強い寒気が南下しています。令和に入ると早々に、次の寒気が南下する予想です。
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ところで、「平成最後の」といった見出しを持つニュース記事をネットで探ると、気象ばかりか、ゲーム、フィギュアスケート、(連休の)遠出、(すし・焼肉・ラーメン)食事、株価、競馬などと、いってみれば日常風景でしかない。何かに付け「最後」といいながらも、このような平凡で平和な時に元号が変わるのは何と幸いなことだろう。

今晩、カメラ好きの商店主からうかがったことだが、長野に行けば遅咲きのサクラが満開で、白馬まで足を運べば5月にも楽しむことができるという。撮ってきたばかりの写真が店内に飾られていたのはいうまでもない。サクラのことになると、誰もが自然に話題に加わり言葉を交わす。サクラは一つの文化でもある。

2019年4月26日金曜日

ハナミズキ

サクラの花を失って、ぽっかりと空いた心に、「ハナミズキ」の花がもぐりこんでくる。そのさまは、底意の知れぬ妖しげな感じではなくて妙に明るいのだ。多分、ふりそそぐ春の明かりが一段と透明さを増しているからだろう。でも、白い花、薄紅の花を咲かすハナミズキに、詩情をなぜか感じることがないのは不思議。多分、その咲きっぷりが余りに健康的だからだ。

(本ブログ関連:”ハナミズキ”)

ハナミズキは、北アメリカ原産だそうで、昔に日本からワシントンD.C.へ「ソメイヨシノ」の桜を贈った(1912年)返礼として、1915年に日本に苗木が贈られたという。とはいえ、街路樹としてこんなに多く見るようになったのは、そんなに遠くない。本格的に普及しだしたのはいつ頃のことだろう。ネットで調べてみたがようとしなかったが・・・。

サイト「学芸の森」(真山茂樹教授:京学芸大学教育学部生物学教室)*によれば、個人的な経験として1970年代ころにお住まいの町に、街路樹として植えられたという。
(*)学芸の森のハナミズキ:
       https://www.u-gakugei.ac.jp/~planttgu/dokodemo/pc/061.htm

流行歌J-POPにも「ハナミズキ」(2004年)の歌がある。この2004年に至って、ハナミズキが街路樹として日本全体に認知されたといえるだろう。


(追記)
東京都建設局の「街路樹のデータ  街路樹の主な樹種と本数(東京都)」は、「東京都内の街路樹本数944,166本【平成27年4月1日現在】」**に、<都内全体の街路樹本数>の順位を次のように記している。
(**)街路樹本数:http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/park/ryokuka/hyoushi/hyoushi5/index.html
  1位 ハナミズキ    62,629本
  2位 イチョウ       61,832本
  3位 サクラ類       44,704本
また、同調査の「東京の街路樹本数の推移」グラフを見ると、1970年を境に本数が増加しているのがわかる。(さらに、2005年以降急激に伸びており・・・この時期から、ハナミズキを積極的に植えたのだろうか)
【平成27年4月1日】

2019年4月25日木曜日

バスクと鉄

以前、バスク語教室の第3回目で「バスク文化」が紹介された。その回、先生がスペイン・バスク州ビスカヤ県の「ビルバオ」地域の街歩きガイドBOOKを配られた。おしゃれなカラー写真と図版で解説・構成された上質紙の冊子だ。

(本ブログ関連:”バスク語”)

ビルバオ地域は、かつて県内で産出された鉄鉱石をもとに、製鉄業でスペインの重要な地位を占めたという。Wikipediaによれば、「高品質の鉄がヨーロッパ中に輸出された。19世紀後半まで製鉄業は発展し続け、資源はビルバオに富をもたらした」という。上記の旅行ガイドは、かつての工業都市を脱して、文化都市への様変わりを宣言しているようだ。

ところで、国立国会図書館デジタルコレクションに、「民族形成と鉄の文明」*(宍戸儀一著、道統社、昭和17年)がデジタル保存・公開されている。その記述に、「ダクチリと原バスク人」の項があり、原バスク人と鉄の関係について触れている。素人の覗き見でしかなく、この書全体でどのような位置づけされているのかもよく知らないが、次のような記述が気になった。・・・これが、現在のバスク人とどうつながるか、つながらないかの知識はないけれど、バスク人と鉄の関係がうかがえたような気がした。
(*) 民族形成と鉄の文明: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060237

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ヒューウィット(Hewitt)**によれば、ダクチル(dactyl***)族はフリギア(Phrygia)に於いてフィン系の原バスク人と合一したといふ。
・・・ヒューウィット説に従えば、彼等は、地中海の西端に辿り着いてエブロ河(Ebro)を母川とするイベリア・バスク人になった。この説の当否は問題であるが、コウカサス南麓のエベル(Eber)の国やフリギア辺境のイブレーズ町(Ibreez)とイベリア・バスク人との間になんらかの所縁だけはあったのであらう。
原バスク人は、ヒューウィットによって採鉱冶金者なる原フィン人と同一視される。しかるに、フィン語では金属はもともとバスキ(vaski)と呼ばれた。
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(**) James Francis Hewitt: ”The Ruling Races Of Prehistoric Times”
           https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.283692/page/n385
(***)ダクチル:ギリシャ神話に登場、metalworkingを人に授ける

地図:「民族形成と鉄の文明」所載
フリギア:現トルコ中央部














ヒューウィットの説にほぼ負った記述であるため、妄想世界に引き込まれて行きそうな危惧がある。果たして、この説がどうなのか自信ないし、現在の研究者たちにどう判断、評価されているかも知らない。ローマと対峙したというバスク人の祖先が、ギリシャ系とフィン系が合一したというのは夢がある。
(ちなみに、フィンランド語で「vaski」は「真鍮」。ただし「鉄」は「rauta」)

(本ブログ関連:”山師”)

2019年4月24日水曜日

道迷い遭難

朝から小雨がぱらつき、昼には小休止状態になった。ようやく「穀雨」になった気分。TVのニュースは、都心の駅前や交差点で雨傘をさす通行人の姿を報じた。出かけるタイミングがむつかしい。

(本ブログ関連:"穀雨”)

そうこうしている内に外に出るのを忘れ、ヤマケイ文庫の「ドキュメント 道迷い遭難」(羽根田治著)のページをめくった。スポーツとしての(日本アルプスから丹沢領域)登山で、登山者が体験した遭難のドキュメンタリーだ。(ヤマケイ=山渓)
読もうと思ったのは、登山への興味というより、遭難者の心理や意識について知りたかったからだ。もしかしたら、不思議な体験が語られてないか好奇心もあった。

元来、山についてそこに棲息するキツネやオオカミ(山神)の伝説だけでなく、猟師たちが経験した「山怪」という奇談、すなわち人智を超える不思議な体験に興味がある。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の範疇でいえば、山に入って神隠しにあったり、キツネにだまされて行方不明になる話がある。大方、子どもより老人の方が多いようだが。結果として、① 意外にも村の近くや、② 想定外の山奥で偶然発見されたりする。特に大人の場合、本人はいつもの道を歩いていたと断言し、キツネにだまされたに違いないといったりする。周りの者は、彼らをボケてたのじゃないか、キツネにだまされたというのは言い訳に過ぎないと冷ややかだそうだ。山の生活圏とその近辺でも起りうるミニ遭難だ。

ところで、上記のスポーツ登山の場合、遭難者は勝手な思い込みでずるずると深みにはまり込み、みずから窮地へ突き進んでいく。最悪の場合、凍傷で指をことごとく切断することになる。生還したのが救いだが、その事例の場合、読みながら正直吐き気がするほど絶望的だった。
ルートマップに従わずショートカットしたり、標識を都合のよい方に解釈したりすることで始まる。結局は、何度も繰り返される鉄則、「おかしいなと思ったら引き返せ」とか、「道に迷ったら沢を下るな、尾根に上がれ」を無視してしまうことにある。もちろん遭難とは万事休すの状態をさすのだが。

最近、高齢者による自動車運転事故が繰り返されているが、この本の「あとがき(追記)」にも、高齢登山者による遭難の多さについて統計的紹介がされている。年寄りは、お互いによしみとしていうのだが、人に迷惑にならぬよう身の程をわきまえるべきだろう。

2019年4月23日火曜日

2019春期バスク語-4

「バスク語教室」のカリキュラムは特別で、これまで第1、2回は文法・会話編(吉田先生)、第3回は文化編(萩尾先生)だった。月1回の割合で文化編を組み込むことで、難解といわれるこの「孤立語」を少しでも取り組みやすいよう工夫いただきありがたい。4回目の今日、再び文法・会話編に戻った。

(本ブログ関連:”バスク語”)

今回も丁寧な解説とプリント教材を使った説明と、全員が順に口答する練習があった。
① 形容詞、指示代名詞を使った名詞句の表現
② 否定形の表現(ez=否定辞)
③ oso(とても~)の表現
および、アクセント(2音節と3音節以上)の付け方についての説明があった。(今回の内容は、「ニューエクスプレス  バスク語」(吉田浩美著 白水社)の「レッスン2」に相当する)

4月末から5月初旬にかけて長期の連休のため、授業が2回分休みとなる。それ補う意味から、しっかり宿題をいただいた。時間もあるので、合わせて「ニューエクスプレス  バスク語」を熟読したい。

(先生推奨の町Hondarribiaを見てみよう・・・ Hondarribia herri txiki eta polita da. )

(Youtubeに登録のBasque Country Spiritに感謝)

2019年4月22日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-3

今日で3回目にあたる、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に通う道筋にだいぶ慣れてきた。狭い行動範囲で生活してきただけに、電車の乗り換え、慣れない街歩きも小冒険。おかげで足腰のいい運動にもなっているのは幸い。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回のテーマは、立教大学准教授 長谷川修一氏の前回(4/15)の講演の続編で、「旧約聖書の世界(2) - ヘブライ人の世界像、歴史観、メシアニズム - 」について考古学的な成果を背景に、ヘブライ人の歴史を教えていただいた。

何より興味深かったのは、ヘブライ人の<民族起源譚>の再考、確認である。
・ヘブライ人は、西アジアの民族の生活環境、生活実態から見て、かつヘブライ人の自然観(自然との支配関係)から見ても、ヘブライ人がいう出自の<遊牧民>ではなく<農耕の民>だったのではないか。
・聖書に<ヘブライ人>があっても、<ユダヤ人>の記載はない。
・<出エジプト>の<史実性>について、果たして<奴隷>としてエジプトで扱われていたのか、一大民族的な脱出があったのか、考古学的証拠が皆無である。
・<ノアの洪水物語>には、ヘブライ聖書に見られる<直線的な時間観>に対して、<世界のリセット>という<円環的な時間観>の意味合いに近い。そのような歴史観は、古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」に通じる。

まだまだトピックに富んだ話題があった。最後に、イスラエル北部の「テル・レヘシュ遺跡」の考古学的な発掘調査*について語られた。
(*)Rekhesh project 日本語サイト: http://rekhesh.com/jp/about-the-site

ところで、先週末にユダヤの祭事で重要な、<出エジプト>をベースにした「過越」があったばかり。はたして、上記の理解が果たしてユダヤ社会で受容されるのか気になるところだ。同じころにキリスト教の<復活祭>もあって、<過越>との関係(相似)も気になる。

2019年4月21日日曜日

(雑談)信天翁

阿呆と呼ばれてもどこか愛嬌があり、日常を達者に過ごしている。そのくせ抜け目なく、ある意味しっかり者である。ときに道化て笑わせることもあるが、トリックスターのように人を驚かす力を秘めている。そんな生き方も悪くないと思う。

(本ブログ関連:”阿呆”)

けれど、それも機転の効く知恵があるときのはなし。羽を広げて、見下げるように悠々と青空を滑空する「信天翁(アホウドリ)」も、船乗りに捕まれば甲板をよたよた歩き回るだけ。その差があまりに情けない。

そんな「信天翁」を、< 詩人(うたびと)も、哀れ似たり、罵詈満つる俗世の地に下り立てば、巨人の翼、人の世の航路の邪魔よ > とあっさり断じたボードレールは、「悪の華」(堀口大學訳)に所収の「信天翁」で、詩人の言葉巧みさを「巨人の翼」と呼んだものだ。

昔、テレビの討論番組で、ある論者が「わたしは、俯瞰してものを見るのが好きだ」といっていた。それを聞いて、どうか地上に降りてみなと話してくれないだろうかと思ったりした。

2019年4月20日土曜日

穀雨 2019

今日は二十四節気の「穀雨」。田畑を雨で潤すころという。考えてみれば、平成最後の穀雨でもある。これまでブログに、この日に雨降りとなれば忘れず記してきたのかも知れない。けれど今回は、清清しいほどの晴天。

(本ブログ関連:”穀雨”)

そんなわけで、公園を流れる小川沿いのベンチで日向ぼっこする。陽ざしがまぶしく顔をじりじり焼く夏のようだった。しばらくすると風が吹き始め、思った以上にひんやりしてきた。そのころの都心の最高気温は、「南南東」の風だったにもかかわらず、 19.1℃(14:06)でしかなかった。どうりで冷えてきたわけだ。

木立におおわれた「自然観察園」は、風に曝されることなく穏やかな気配だった。一昨日(4/18)の「レンゲソウ」観察に続き、初心者は今日も園内を巡った。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

ヤマブキソウ
入口に置かれた、「4月 自然観察園の花だより」のパンフレット(表面に観察できる花の名前一覧/裏面にその所在をルートマップしたもの)を片手に、4月の野草・雑草の花を探した。

初心者にとって、分かりやすい花は「ヤマブキソウ」だろう。色合いが、細い枝の低木「ヤマブキ」に似ているが、花弁の数は4枚で、ヤマブキの5枚と異なる。
もちろん(当り前すぎるかもしれないが)、私なりに昔から知っている「カラスノエンドウ」、「サクラソウ」もあれば、ちょっと目をひいたものに地味ながら中々優雅な「オドリコソウ」もあった。

サンショウ」の木に、よく見れば微かに花が咲いていて、鼻を近づけても香りがない・・・葉を一枚千切ってつぶすとよい香りがした。これから何度も訪れたいと思っている。

2019年4月19日金曜日

脱穀「棒打ち唄(麦打ち唄)」

歯科治療を済ませて外に出れば、あまりの天気の良さに誘われて公園散歩に足が向く。途中、「ソメイヨシノ(染井吉野)」が咲き誇った歩道を、今は代わりに「ヤエザクラ(八重桜)」が満開。今年、ソメイヨシノは咲き始めてすぐに寒さが続いたせいか長持ちした。おかげで、小学校の卒業式にも入学式にも間に合ったのは幸いだ。

公園の明るい原っぱで、大勢の幼稚園児か保育園児か、親と一緒に手をつないでアーチをつくり、そこを次々に親子が輪くぐり抜ける、まるで入れ子のような遊びをしていた。
(駐車場に、彼らを乗せて来たのだろう大型バスが数台並んでいた)

「ハナモモ」や「ベニバナ」の木が、白色、桃色、紅色に花を咲かせ、まるで春を手に取ることができるよう目の前で繚乱していた。

園内の施設「たてもの園」で、郷土の歴史と民俗について展示があったので覗いて見ることにした。気を引いたものは、小麦の脱穀農機具の陳列だ。もちろん、現在、この地域で麦作を見ることはない。それでも伝統として、「棒打ち唄(麦打ち唄)」の民謡が保存されていて、次に記す詞で歌う労働作業の映像が紹介されていた。(「むしろ(筵)」の上に置かれた)麦穂を打って実を取り出す脱穀作業のとき使う、「くるり棒(唐棹)」を降りおろしながら歌う様子がわかる。歌には次の特徴がある。
・野外での脱穀(棒打ち)のためか空模様が気にかかる
・民謡の定番といえる、年頃の娘を語る。

(本ブログ関連:”麦打唄 ”)

「棒打ち唄」(立川市砂川地区伝承民謡保存会)
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ホイホイホイ
大岳山の黒雲が
ホイホイホイ
あの雲がかかれば雨かあられか
ホイホイホイホイホイ

砂川の宿は長い宿
ホイホイホイ
長いとて物干し竿にゃなるまい
ホイホイホイホイホイ

お前さんはいくつなんの年
ホイホイホイ
十と六ささぎの年でまり頃
ホイホイホイホイホイ

十七つれて瓜山へ
ホイホイホイ
瓜の葉を寝ござに瓜を枕に
ホイホイホイホイホイ

十時のお茶にゃ何が良い
ホイホイホイ
芋で良しさつまで良し焼き餅ならなお良し
ホイホイホイホイホイ

あの山影で鳴く鳥は
ホイホイホイ
声も良し音も良し山の響きで
ホイホイホイホイホイ
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(参考1) Youtubeに多摩地域(清瀬、谷保)の「棒打ち唄」が登録されている。

(参考2) 岩波文庫の「日本の民謡集」に所収の「武蔵野麦打唄」
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[甲]〽十七八の 麦打は(ホイ ホイ ホイ)
[乙]〽くるり棒が 折れるか芒(のげ)が 折れるか(ホイ ホイ ホイ)
お天道さまの申し子は 百日の 日照りに笠もかぶらず
目出度やこれの麦打ちは 日和よく 風出て芒を立てたや
牡丹餅はやる世の中に 俺(おら)がでは 碾割花(かきわりばな)の焼餅
大嶽山の黒雲 あの雲が かかれば雨か嵐か
十七八はねむいもの 朝おきて 米とぎ桶を枕に
皆若い衆 江戸々々と 江戸だとて 枯れ木に花は咲くまい
お江戸に三日居て見たい 上様の 御用の水を汲みたい
今日の麦はこれ限り 明日は又 どなたの麦を打つやら
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2019年4月18日木曜日

れんげそう

昨日の午前、公園内に併設の「自然観察園」を廻った。植物を踏み荒らすことがないよう、尾形光琳硯箱の意匠にあるような「板橋」を園内に巡らせている。そんな一角に「レンゲソウ(蓮華草)」が群生していた。Wikipediaでは、「ゲンゲ(紫雲英、翹揺)」を代表名に記しているが、この呼び名に馴染みがない。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

子どものころ、春になると、家族そろって遠くの山裾にある原に歩いて出かけたときの家族写真(今ではセピア色に変色している)が残っている。乾いた畑地にたくさんの「れんげそう」が咲いていた。みなで摘み、花輪(かんむり)を作った。といっても母の手によるものだが。春の大切な思い出の光景だ。

子どものころ見たレンゲソウは、先日に自然観察園で見たものと比べて、丈がもっと短かった気がする。それに、子どものころの陽射しは、思い返すとみな眩しい。色が飛んだように明るく輝いているのだ。思い出を美しくしあげたいからだろうか、それとも視覚記憶まで薄れていくためだろうか。

(本ブログ関連:”白いシーツ”)

ビリー・バンバンの、フォーク演奏スタイルだが、随分叙情的な歌「れんげ草」(1972年)がある。今となって思いで深い、懐かしい曲になった。


(Youtubeに登録のビリー・バンバン - トピックに感謝)

2019年4月17日水曜日

イディッシュ語クラブ-1

今日から「イディッシュ語クラブ」が始まった。実は、昨年まで続いた「イディッシュ語教室」が、今年は休講となり、志が危うくなりかけたところ、クラスメイトから今回の集いを紹介いただき参加した次第。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

15カ国語を習得されたネイティブの先生のもとに、イディッシュ語大好き人間が集まり、会話練習を中心に、(ミュージシャンも参加されているので)イデッシュの歌を楽しんだり貴重な時間を過ごした。ひとえに、先生の情熱のお陰と感謝している。

イディッシュ語は「母の言葉」すなわち「mame-loshen(マメ・ロシェン)」で母から伝わること、イデッシュ語らしい言葉など教えていただいた。特に、次のような面白い表現を紹介いただいた。
・?נו: それじゃ?、何いってんの?
אוי וויי: 困ったな、何てこった

ちなみに、参加者たちに愛称?(例えば、יצחק(イツホク)とか משה(モイシェ)とか)が付けられ、わたしには「מרדכי (mordkhe:モルドゥヘ)」が与えられた。これから、月一、ニ回の割合で開催されるので、次回から先生の了解を得て詳細を記したいと思っている。

2019年4月16日火曜日

2019春期バスク語-3

「バスク語教室」の3回目の今日、東京外国語大学教授の萩尾生(はぎお しょう)氏による、「(バスク文化1)バスクの土地・ひと・ことば」についての紹介があった。今後、月一度くらいの頻度で、バスク文化の紹介をいただく予定。「バスク語教室」は、このように総合的な内容で、初心者を引っ張ってくれる。

(本ブログ関連:”バスク語”)

萩尾先生は、先週(4/9)のブログに記した、「1545年にバスク語で初めて印刷された」ベルナト・エチェパレの「バスク初文集」(萩尾生、吉田浩美訳)の訳者である。

バスクの地理、文化の紹介から:
・バスク人による自称は「Euskara-du-n-ak」(バスク語を持つところの者たち)
   - スペイン語「los Vascos」、仏語「les Basques」、英語「the Basques」
・スペインと仏にまたがる7領域のそれぞれで、バスク語への関心に温度差がある。
・バスク地域を分水嶺で分けた海側に比して、内陸側のバスク語への関心は低いようだ。
・海外で活躍したバスク系と思われる人物が多数いる。
   - 何とスペイン領だったフィリッピンの財閥をバスク系で占めたとのこと。

統一バスク語が成立する(民族意識を持つ)過程を叙情的に語る「Bagare」*(作詞Bitoriano Gandiago、作曲不詳)を、バスクのシンガーソングライター Gontzal Mendibil が歌う映像をみなで見た。

(*) Bagareba(肯定辞)+ gara(一人称複数のコピュラ ⇒ we are

なお、歌詞は「begiraleak」サイトで参照できる(感謝)。
http://begiraleak.pagesperso-orange.fr/chantskantuak/Bagare.html


(Youtubeに登録のGontzal Mendibilに感謝)

2019年4月15日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-2

先週から、市民カルチャーセンター(生涯学習)の「かわさき市民アカデミー」で開催の「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」講座に通っている。イディッシュ語の関心の延長ということで、ユダヤ文化や歴史について整理できればと願っての次第。それと、電車を乗り継いで通うのは、体に結構いい運動になっている。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

第2回目の今日は、立教大学准教授長谷川修一氏から「旧約聖書の世界(1)-『旧約聖書』とはどのような書物か - 」について説明された。
1) いわゆる「旧約聖書」には、① ヘブライ語聖書、② プロテスタントの聖書、③ ローマ・カトリックの聖書がある。これらの3つの聖書について、構成する正典(記、書、編など)の整合性(過不足・順序の入れ替えなど)を、歴史背景と合わせて紹介された。
2)「死海文書」(1/3がヘブライ語記述)は、現在最古のフルセット写本聖書といわれるレニングラード版(1008年)をさらに1000年遡るといわれ、かつ現在の聖書との食い違いもほとんどない(筆写が正確に行なわれた証でもある)とされた。
3) ヘブライ語聖書に書かれた聖書内の出来事を、(暦制度の高い)アッシリアの資料をもとに考証したところ、王国出現以降については受容できるようだ。

以上、内容が多岐にわたるため、受講する側にとって少々オーバーヒート気味。例えれば、日本に不案内の欧米人に対して、「古事記」をもとに文献の解題される感じで、若ければ再度いろいろな書籍を読み直すだろうけど・・・(こんな言い訳に根性がないのが残念)。

ところで以前、「イディッシュ語」の夏休み教室で同席させていただいた、ユダヤ宗教史の研究者がいらしたので、講演が始まるまで、素人にも分かる話を聞かせいただいた。

2019年4月14日日曜日

Stratolaunch

世界最大の輸送機といえば、ソ連時代のアントノフAn-225 がいわれた(2機中1機完成して稼働中)。両翼にそれぞれ3基のジェットエンジンをさげて離陸する様は、巨大な生物を想像させる。最大離陸重量600tで、積載は(燃料など含めて)300t 近く可能である。なにしろ、(今は藻屑となった宇宙往還機「ブラン」を背に乗せるというのだから)サイズも旅客機のエアバスA380を圧倒していた。飛行機ファンの妄想は膨らむばかり。

ただし、超大型機の宿命で量産が難しい。エアバスA380(2021年で生産終了予定、総受中数251機はすごいと思うけど)を除き、特殊用途に限られているからかも知れない。

(本ブログ関連:”飛行機”)

そんな中、米国で、超巨大機の仲間といえる、ボーイング(ジャンボシリーズの進化型)747-400を2基並列につないだ機体に、同機エンジンを両翼それぞれに3基さげた「ストラトローンチ」が、4/13に初飛行した。(民間)人工衛星搭載のロケットを空中発射できるように設計されているそうだ。翼幅が117mあり、A380のおよそ1.5倍とのこと*。民間事業というのだから米国は凄い。

(*)機体比較
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Stratolaunch_comparison.svg

ところで、A380は、日本ではANAウミガメ塗装した成田-ホノルル線専用機として見ることができる。ハワイに行くことは全くないので、せめて羽田空港で間近に眺められたらよいのだが。まして、ストラトローンチにいたってはYoutubeで覗くしかない。


(Youtubeに登録のStratolaunchに感謝)

2019年4月13日土曜日

わけあって 絶滅しました

映画館から出て、今見たばかりの映画を思い返すとき、主人公はその後一体どうなったのだろうか何て考えてしまうことがある。上映時間の制限だからというわけではないだろうけど。映画は主人公の時代の一瞬を切り取ったもので、ストーリーに終わりはないはずだが。(スターウォーズは回数を増やすため、スペースオペラの常道で過去を遡ったり来たりする)

どんな役柄もストーリー展開に必要だし、感情移入するとついその気になって一体化する。映画館を出て、肩をきって街を歩くのも少しも怖くない、そんな気に酔いしれるのは数分だが。(昔は、みんな高倉健になったものだ)

スクリーン上では、敵がバタバタとやられる。それを見て痛快に思う。暗い劇場内の、いってみれば集団幻視のようなものと承知している。もし、次々倒れる敵役の一人ひとりに固有名詞を付け、彼の家族や生い立ちといった属性を付けたら、それはそれで悲しい場面になるだろう。痛いだろうな、空しいだろうな、こんなあっけないことで終わってしまうのかと。(テレビの時代劇では悪代官の手下たちが、WWⅡドラマの「コンバット」ではドイツ兵たちが、正義の名のもとにもんどりうって倒れる)

(本ブログ関連:”コンバット”)

知らなけりゃそれでいいことだけど、自然界でも、生物たちが次々命を落とす。その代わりに命をつなぎ進化してきた。現在に続く生き物については、時代ごとの特徴(形態)を知るが、その進化の途中(あるいは分岐)の過程をよく知らない。

現在に届かず絶滅したものについては、さらに興味が及ぶものだ。少し前に大ヒットした、「わけあって 絶滅しました」(今泉忠明監修、ダイヤモンド社)には、楽しい絵解き説明がある。
生命(形態)が大爆発したカンブリア紀の「オパビニア」は、形態がてんこ盛りし過ぎて環境変化に追いつかなくなったとか、同じカンブリア紀の「アノマロカリス」は歯が柔らかく、餌にしていた三葉虫が殻を硬くしたため食べられなくなったとか、絶滅の原因を一言で語ってくれる。

絶滅は、案外にシンプルな理由で、なぜそこに気付かなかったのかといってもしょうがない。手遅れという、自然の掟なのかもしれない。先走りし過ぎたものは滅ぶことになる。何ごともほどほどがよろしいようで。

(本ブログ関連:”化石”)

2019年4月12日金曜日

(雑談)歯科治療

子どものころ、歯科治療が恐怖だった。今から考えれば、歯を削る機械の性能も低く、痛みも厳しいわけ。父の勤める会社に病院があって、歯科部門が設けられていた。治療室の中から、よその子どもが怖がって泣き叫ぶ声がする。待合室で聞いていると、急いで逃げ出したくなった。

何より恐ろしいのは、S先生の怒鳴り声だった。昔はそんな医者がいたのだ。泣く子に根性なしといわんばかりに叱りつける。付き添いの母親はおろおろし、懸命になだめていてもお構いなし。後で、母からS先生が軍医出身と知らされた。

当然、わたしも治療の椅子に座る。我慢する。物凄く我慢する。S先生の前では痛いなどいえない。もっと我慢する。どれくらい時間がたっただろうか、今日の治療が終わり、椅子から降りて解放されるとき、よく頑張ったといわれてほっとしたものだ。

今日、歯科の定期検査で見つかった小さな不具合を補修した。もちろん苦行でない、穏やかなものだった。先生も患者も互いに歳をとり、世間話も交えてのんびり治療してもらっている。

2019年4月11日木曜日

史上初、ブラックホール(直径1000億Km)撮影に成功

国立天文台は、世界的共同研究(地球上の電波望遠鏡を結合させた国際協力プロジェクト)による史上初、ブラックホールの撮影に成功 ― 地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る」(4/10)調査結果を発表した。
日本の研究者がその存在を特定してきた、今回の「ブラックホール」の写真が撮れたことに、素人は大喜びするのであります。こんな超ど級で貴重な発表を聞くことができるなんて、何と幸運な時代に巡り合わせたのだろう

(発表内容) http://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html

・春の南の空に見える「おとめ座」の方向にある「楕円銀河M87」に潜む「ブラックホール」は、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍にも及ぶ
・ブラックホールの重力によって光が曲げられたり捕まえられたりすることで、内側のある一定範囲では光がやってこない「ブラックホールシャドウ」が生まれる
・ブラックホールシャドウを囲む明るいリングの直径は、実長 4光日=1000億Km
・今後課題に、ブラックホールより発生のジェットを長波長観測網(東アジアVLBI)で観測

イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。
(写真)国立天文台「イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。」(Credit: EHT Collaboration)

(今回の成果の物理学的意義について、わかりやすく紹介してくれる)
(Youtubeに登録の国立天文台に感謝)

2019年4月10日水曜日

八王子で雪が降ったそうだ

旧暦3月3日にあたる先日(ぽかぽか陽気の4月7日)と、雪中で起った「桜田門外の変」の安政7年3月3日(旧暦)とを比べて先日のブログに記した。「桜田門外の変」のあった安政7年3月3日は、実は新暦では1860年3月24日でまだ3月中のこと、雪の可能性はあったかもしれない。一方、4月に入っての東京の降雪を思い返すと、過去10年近くの間に、2度(2010年4月17日、2015年4月8日)くらいで、今年は雪の可能性がないだろうと思っていたところ・・・。

(参考)「goo東京の過去の天気」:  https://weather.goo.ne.jp/past/662

今日は寒い。「平成(1989年1月8~)に入ってから、東京都心の4月の午後1時の気温」が、2番目に低かったそうだ。ウェザーマップの記事「東京都心は4月として平成史上に残るような日中の寒さ」*(4/10、杉江勇次 気象解説者/気象予報士 15:33)は次のように報じている。(抜粋)
(*)記事: https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190410-00121637/
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・きょう午後1時現在の積雪は、・・・八王子など東京の多摩地方でも広い範囲でみぞれや雪となっているようです。
平成に入ってから東京都心の4月の午後1時の気温を調べてみると、もっとも低かったのが4年前2015年4月8日の3.4℃で、2番目が2008年4月22日の5.1℃でした。ですからきょうの5.0℃は平成に入って4月の午後1時の気温としては、2番目に低いということになります。
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平穏な日に起った、日常を多少せわしくしたとしても、季節はずれの気象は意外と忘れやすい。それはそれで幸いかもしれないが。今日の雪は、花を残した桜の木にうっすらと重なり絵画的だったし、美しい印象を残したかもしれない。

2019年4月9日火曜日

2019春期バスク語-2

桜の花が散らずにいるおかげで、昨日今日の寒さを目こぼししているが、明日は雪が降るかもしれないという。寒さが全くおとろえない。そんなわけで、完全な防寒スタイルで都心の「バスク語教室」に行く。(思ったほど寒くはなかったが)

(本ブログ関連:”バスク語”)

今日の授業は、テキスト「ニューエクスプレス  バスク語」(吉田浩美著 白水社)の「レッスン1」の内容を説明された。(ここでは、テキストの表記を優先した)
・「~は・・・である」
   人称/指示代名詞(単数/複数)+ 名詞(単数/複数:格語尾)+ コピュラ
                 ‖                                             ‖                       ‖
     絶対格単数/複数(~は)    絶対格不定数形/単数形/複数形  (・・・である)

(Gu euskaldunak gara. = We are Basque-people.)

(Youtubeに登録のHaur Hezkuntza IÑIGO ARITZA IKASTOLAに感謝)

・「~は何か?」
   [疑問詞 + コピュラ] + 指示代名詞(単数/複数)?


ところで、1545年にバスク語で初めて印刷された「バスク初文集」(ベルナト・エチェパレ)に、「バスク語よ おもてに出よ」で始まるバスク語賛歌の詩「コントラパス」*がある。これを、現代の歌手 Xabier Lete(1944年4月5日~2010年12月4日)が歌うYoutube映像があると、吉田先生から紹介いただいたので、早速視聴した。

(*)コントラパス: Wikipediaのエチェパレの解説に、日本語訳が紹介されている。

ちなみに、バスク語(Euskara)の昔の印刷表記は「Heu∫cara」。(∫=s)


(Youtubeに登録のGabi de la Mazaに感謝)

2019年4月8日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-1

イディッシュ語の教室が、今年は休講になった。素人学習ゆえ、休止は即=揮発に通じる(忘れてしまう)。そこでユダヤの歴史や文化の理解とからめて、イディッシュ語への意欲を維持できればと願っている。

元々は、ユダヤ人の日常で育まれた庶民らしさに興味がある。作家の描く庶民像はあっても、庶民が口にする素朴な言葉を知る機会が少ないような気がする。あえていえば、少々刺激の強い「ユダヤジョーク」くらいで、そこから大衆らしさを感じたり、その諧謔さの源泉を想像するくらい。風習、因習を詰め込んだ濃縮な共同体について、それもロシア革命以前の古いシュテットルに遡って知れたらどんなに楽しいだろう。

今回、市民カルチャーセンター(生涯学習)の「かわさき市民アカデミー」で、「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」の連続講演が開かれるという。講演では、ユダヤとイスラム世界との関係まで含めて歴史をたどることができるようだ。しっかりしたものを知りたく参加した。

(本ブログ関連:”ユダヤ”)

講演会の第1回目は「序論 -『ユダヤ人』とは誰のことか - 」で、ユダヤ宗教史学者の市川裕氏(今年3月に東京大学宗教学研究室の教授を退官されたばかり)が語られた。ちょうど今年の1月22日に出された、岩波新書の「ユダヤ人とユダヤ教」が参考になる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

・ユダヤ人の規準   ユダヤ人は母親から生まれた者
・ユダヤ人らしさ   ユダヤ教は幼子にとって母の手
・ラビ(律法の解釈者)により律法(国境を超えてユダヤ人に共通する)が定まる
・ユダヤ人の移動の経路
   イスラエル → 地中海(スペイン)→ アルプス越え(西欧)→ 東欧 → 西欧/ロシア/アメリカ/イスラエル
           ‖                  ‖                                                     ‖
   ミズラヒーム    スファラディーム                                アシュケナジーム
 
ユダヤ人にとって、母と子の関係は密接で、言語もそうだ(⇒ マメ・ロシェン)。
(人間の先祖をアフリカまで遡れるのは、母親の卵子中のミトコンドリア遺伝子のおかげだ。父親はどこの馬の骨かも分からぬ。ユダヤ教の系統であるキリスト教でも、キリストの父親は役割が低い気がする。)


講演会場へ行く途中、小さな水路「二ヵ領用水」があって、その岸に桜が咲いていた。街の賑わいを横切る用水路で地味なため、その先がどうなっているのか・・・気になる。

今日は寒の戻りになってしまったが、春の遠出ができたのは幸い。しかし、知らないところの街歩きは、気持だけでなく足腰も疲れる。おかげで帰りの電車で、1/f の揺らぎにすっかり寝込んでしまった。

これから暖かさが増してくれば、元気に動き回ることだろう。

2019年4月7日日曜日

桜田門外の変

どうやら「寒の戻り」も落ち着き、陽射しが春の気分になった。冬のことをすっかり忘れてしまったようだ。何しろ都心の今日の最高気温は、21.6℃(15:44)で、ぽかぽか陽気だった。

街のあちこちの桜は満開で、白から桜色へとさまざまに眩しく華やいでいた。桜並木の下をくぐると、微かに桜の香り(いってみれば「桜餅」の香り)が漂ったりする。明日、小学校の入学式に登校する新入生の元気な子どもたちを輝かせてくれることだろう。いいタイミングで咲き続けてくれた。

ところで、今日は旧暦の3月3日、節句のめでたい時期だが、今を遡る180年ほど昔、江戸末期の(旧暦)安政7年3月3日に、江戸城桜田門外の雪中で、彦根藩の行列の駕籠(かご)にいた大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で有名だ。(当時の旧暦3月3日を新暦に換算すると、1860年3月24日にあたるとのことだが)

(本ブログ関連:”桜田門外の変”)

さすがに4月に入って、東京で雪が降るのは珍しいと思ったが、何と最近でいえば、2015年4月8日、2010年4月17日に都心で雪が降っている。忘れるのも早い、我ながら驚かされる。今年は、4月の降雪は多分ないだろうと思う。

2019年4月6日土曜日

(雑談)大地

ユダヤ人(アシュケナージ)にとって「母語」が「イディッシュ語」である意味を知り、一昨日(4/4)のブログで、母なるものの例えに「母なる大地」があることも記した。「大地」は生命を育む場所であり、命を継続する場所である。

(本ブログ関連:”母なる大地”)

大地を保つために、国家や宗族などさまざまな集団のスタイルがあるだろうけれど、一度保有してしまうと、そこで暮らす仲間や身内(国民・親族)の中に、脱落する者が発生することもあるだろうし、彼らを守りきらねばならない。大変なことだ。そのための知恵として、神話や宗教、掟、あるいは道徳を総動員することになる。

流浪の民の場合、その道筋で、脱落者をどのように救済したのだろうか。また、行き着いた(たどり着いた)究極の土地で発生するであろう、新たな脱落者を守らねばならない。流浪で共有した価値観と、新天地での価値観とを、どのように整合するのだろうか。
(行き着いた究極の大地で発生する脱落者も永遠に土着する・・・どのように折り合いをつけるのだろうか)

日本人は島国に住み、そのなかで行動するため、大地とは海で囲まれた固有の場所、列島でしかない。比較して、大陸や国々を渡り歩いた人びとにとっての大地と、意味合いがだいぶ違うだろうと思う。

お喋り過ぎのようで、ここで気分を変えて美しい音楽を聴いてみましょう。

(映画「Once Upon a Time in America」から「Deborahのテーマ」)

(Youtubeに登録のSelfDistribuzioneに感謝)

2019年4月5日金曜日

「はやぶさ2」、「リュウグウ」にクレーター作る

JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」にクレーターを作ったと、プレスリリースした「小惑星探査機『はやぶさ2』衝突装置の作動の確認について」(4/5)の記事で、次のように発表した。

(本ブログ関連:”はやぶさ2”)

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・国立研究開発法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」は、小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載した衝突装置SCI:Small Carry-on Impactor)」を小惑星「Ryugu(リュウグウ)」へ向けて分離し、作動させる運用を実施しました。

・「はやぶさ2」より分離したカメラDCAM3)が、SCIの作動時間に撮影した写真に、リュウグウ表面からの噴出物の様子が捉えられていたことから、SCIが計画通り作動したと判断しています。
・「はやぶさ2」の状態は正常です。リュウグウにクレーターができたかどうかの確認結果は、改めてお知らせします。

□「はやぶさ2」から分離されたDCAM3が捉えた画像。
(画像) http://www.jaxa.jp/press/2019/04/images/20190405b_01.jpg
SCIが作動してリュウグウに衝突し、リュウグウ表面からの噴出物の様子が確認できる。
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「はやぶさ2」は、今年3月4日に「リュウグウ」への1回目のタッチダウンを成功し、サンプル採取のためのプロジェクタイル(弾丸)発射をしている。今回(「小惑星表面だけでなく小惑星内部の砂礫の採取のため」Wikipedia)、更に規模の大きなクレーターを作るため、「はやぶさ2」搭載の「衝突装置(SCI)」*を分離して、「リュウグウ」へ降下させ、途中で金属団を発射したという。

(*)SCIのスケジュール
        http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20190403_SCI_Schedule/

「平成」の内にクレーターを作成し、「令和」になってクレーターにタッチダウンしたいという意向があるそうだ。「はやぶさ2」は、時代をまたぐ偉業をやってくれることになる。当初予定の通りなら、2回目となるタッチダウンは、5月中のようだ。


(付記)
小川に沿いの公園に、満開の桜が連なる。ここ数日、冬のような寒さだったおかげで、桜の花が咲き続いている。夕方4時半頃、西日を受けた桜の花がいっそう艶やかに輝いた。(試しに、桜の下から、花越しに西日を覗いたところ、強い光に花弁が溶けてしまい、ただ眩しいだけだった)

2019年4月4日木曜日

母語、イディッシュ語の場合

人は「大地」という言葉を聞くと感情が高まるようだ。洋の東西を問わず、一大叙事詩の舞台となり、長編小説が描かれた。その根底に、「大地」のイメージとして「母なる大地」があるわけで、苦難の中で土地に住み、世代をつなぐ。

言葉についても「母なる言葉」がある。「母語」を指すが、この母語という響きには、母語で語れる自然さと、柔和さを感じる。例えば、日本では、母語はまさしく日本語である。あえていえば大和ことばだろうか。それに対比して、漢語を父語とはいわない。「父たる言葉」が見当たらないのだ。

昨日(4/3)、本を購入し直しに出かけた際、個性的な古本屋があった。若い主人の選択だろうか、書棚が独特に配列されていた。そんな中、たまたま見つけた「エッセイの小径」シリーズの「屋根の上のバイリンガル」(沼野充義著 白水uブックス、1998年2刷)に、著者が米ボストンで(大人向け)イディッシュ語教室へ通ったときの話が紹介されている。

教室の受講は、著者を除いて女性ばかりだったという。なぜなのかと、男性講師にたずねたところ、(ユダヤ人の)「男は普通言葉になんか興味を持たない」という答えだったそうだ。
言葉への関心として、ユダヤ教の経典の言葉であるヘブライ語を学べるのは男だけで、ゆえにヘブライ語を「父の言葉」とか「聖なる言葉」というそうだ。一方、女性が子どもたちに語りかける言葉はイディッシュ語で、「母の言葉(mame-loshen)」と呼ばれた。「マメ・ロシェン」の「ロシェン」は、ヘブライ語で「舌、言葉」にあたる。

「イディッシュ語教室」で使用したテキスト「Colloquial Yiddish」に、このmame-loshenがしきりに出てきたが、一般的な「母語」として了解しただけで、「父の言葉」との対比にまで気付かなかった。(とはいえ、ユダヤ人たるには「母親がユダヤ人」であることが必要だ)

2019年4月3日水曜日

本が消えた

一昨日、昨日、そして今日、まるで冬に戻ったような寒さだった。それでもテレビの天気予報では、明日から昼間に気温が上がり春らしい陽気になるという。

先日、読みかけの本を1冊携えて外出した。喫茶店でしばらくページをめくってから、ある店に入り買物した。レジで、購入品を紙袋に入れてくれたので、その隙間に本も一緒に納めた・・・と記憶している。

帰宅して、紙袋から店で買った品物を取り出したとき、読みかけの本がちらりと見えた。しばらくして、その本を読もうと探したところ見つからない。紙袋の中が空っぽなのだ。もしかしてと、机のまわり何度も探したが見当たらない。存在のかけらすらないのだ。

すぐに買物した店に問い合わせをしたが、そのような落し物はないという返事だった・・・途方に暮れてしまう。本がなくなったということだけではない、むしろ見たと思ったものが見つからないことに狼狽し焦ってしまうのだ。確かさっき、紙袋の中に本の表紙をちらりと見たはずなのに。

結局、今日、近隣の大型書店に電話注文して、あらためて購入した。買い直した本は、今わたしの机の上に間違いなくある。ただし、このまま安心していいものか・・・少し不安である。もしかしたら、突然、消えた本がどこからか現れるかもしれないからだ。

その本とは、「バスク語のしくみ」(吉田浩美著、白水社)だ。昨日から始まった「バスク語講座」のテキストの副読本にあたる。(この本の帯に「新書みたいにスラスラ読める!」とあるが、それほどお手軽じゃない)

2019年4月2日火曜日

2019春期バスク語-1

今日から「(2019年度春期間)バスク語講座」が始まった。このオープン教室で、バスク語講座は多分初めての開催ではないだろうか。今回、「初級コース」(言語と社会・文化)からスタートする機会に恵まれた。夕方クラスであるが、随分と大勢の方が詰め掛けたのに驚いた。

(本ブログ関連:”バスク語”)

「ニューエクスプレス  バスク語」(白水社)の著者である吉田浩美先生から直接指導を受けられるのも幸運だ。最初に、出席者全員が受講動機を語った。それぞれが、料理、旅行、サッカーチーム、言語への関心など参加理由を説明した。なるほどと納得してしまう。先生からも、バスクの菓子や音楽について紹介があった。実に多彩、これからが楽しみだ。

授業の始めに、バスク地方(スペインとフランスにまたがる)の地理について次の紹介があった。
・行政領域、人口分布
・バスク語域(方言の分布)
バスク語の共通語つくり、教育制度の充実などで「話者数」が反転増加しているとのこと。

授業は、「ニューエクスプレス  バスク語」をテキストに、バスク語の「発音」指導から開始した。(いろいろな方言があるため、テキスト付属のCDに沿ってすすめるとのこと)

そのほか次の説明があった。
・バスク語の呼称に「Euskara」と「Basque」の2つがあるが、「Euskara」はバスク語による自称であり、「Basque」は英語などによる他称とのこと。つまり、バスク人は自分たちの言語を「Euskara」と呼ぶ。
・「Euskara」の語源について、推測だが、ラテン語の「Vascones」(バスク人の祖先ヴァスコン人を指す)ではないかとのこと。(V=U、sc=sk)

2019年4月1日月曜日

これからの元号は「令和」

5月から始まる新しい元号が「令和(れいわ)」に決まった。安倍首相は、談話で「万葉集」より引用したこの「令和」に、「ひとびとが美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」と語った。

さらに万葉集については、「1200年余り前に編纂された、日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と、長い伝統を象徴する国書である」と伝えた。

TV発表の最初、菅官房長官から新しい元号の「令和」が発表されたとき、「令」の文字に思わず息を飲んだ。万葉集に記された「初春の月」の「令」には、「よい」とか「すばらしい」の意があることを知って落ち着いた次第。

万葉集所収の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序」(梅花謌卅二首并序)にある、「天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。」に続けて語られる、初春を表す内容。
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時に、初春(しよしゆん)の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。
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(Youtubeに登録の読売新聞オンライン動画に感謝)

(付記)
今回、元号が「令和」に決定したことから、その出典ともなった「万葉集」に関心が深まるだろう。
それにしてもWikipediaの「令和」の素早さに恐れ入る。夜10時に検索したところ、数々の情報が記載されていた。