今日から韓国語教室の後期授業が始まった。新たな受講者も加わり、受講者ひとりひとり自己紹介して、韓国語学習の受講動機や期間(経験)、そして得意不得意分野について述べた。当然ながらわたしは、イ・ソンヒのファンであることも付け加えた。
さて、韓国語の講師はお若いにもかかわらず、イ・ソンヒを子どものころからご存知だったようだ。けれど、受講者のみなさんは誰一人知らなかったのだ・・・それがとても残念。
講師の言葉を借りれば、イ・ソンヒについて、どこか少年のようなところがあった、若いときから変わらぬ容貌、古風で懐かしい顔立ち、家庭教師のような真面目な雰囲気と表現された。
講師から、イ・ソンヒのイメージにつながるという、(作詞・作曲家でありバラード)歌手キム・ドンリュル(김동률、1974年)が紹介されたので、インターネットで調べてみた。(参照: Ko-Wikipedia、他より)
・イ・ソンヒより10年後の1974年に誕生している。
・延世大学校在学中、ソ・ドンウクと一緒に作った2人組のデュエット・グループ「展覧会」で、1993年MBC「大学歌謡祭(대학가요제)」に参加して、「夢の中で(꿈 속에서)」で大賞と特別賞を受賞して本格的な活動を開始した。
・Youtubeに登録の曲から、未来しか存在しない若者の軽快な「出発(출발)」(アルバム:5集 Monologue、2008年)を選んでみた。
(Youtubeに登録のMBCfestival、HopeOfLetterに感謝)う
2012年10月2日火曜日
彼岸花
せっかくの10月、景色は黄昏ているわけではないけれど、街の文具店にもう来年の手帳が並べられているのを見ると、年の残りを追いやられ、まるでショートカットされているような気がする。
この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。
(本ブログ関連:”彼岸”)
球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。
むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。
そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。
(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)
この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。
(本ブログ関連:”彼岸”)
球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。
むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。
そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。
(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)
登録:
投稿 (Atom)