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2016年11月30日水曜日

113番元素「ニホニウム」に正式決定

今年6月に新聞などに発表された、113番元素の正式名称が決定したと、NHK News Webの記事、「113番元素 『ニホニウム』 に正式決定 日本が初の命名」(11/30、17:04)は、次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”新元素”)

これから、化学の教科書の裏表紙には必ずある 「周期表」の113番目の欄に元素記号「Nh」と「ニホニウム」の名称が載るのが待ち遠しい。一般的な化学知識としては、せいぜい第6周期(86番元素)ぐらいまでだろうから、113番元素にいたることは稀である。とはいえ、化学の教科書で周期表を見るたび、元素記号の「Nh」があることに、化学を勉強する学生たちに勇気を与えるに違いない。

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・物質の基になる元素のうち、日本の理化学研究所の(九州大学森田浩介教授ら)グループが発見した「113番元素」について、化学に関する国際機関(IUPAC:国際純正・応用化学連合)は、日本という言葉を取り入れた「ニホニウム」という名前に正式に決定しました。元素に、日本が命名した名前が付けられるのはこれが初めてで、アジアでも初めてのことになります。

・理化学研究所のグループは、名前と元素記号の案をことし3月に国際機関に提出し、国際機関がふさわしいものかどうか審査を行ってきました。

・国際機関は「113番元素」の名前を、日本の提案どおり、日本という言葉を取り入れた「ニホニウム」(nihonium)に正式に決定し、日本時間の30日午後5時に、ホームページ上で発表しました。

・「ニホニウム」という名前と、「Nh」という元素記号は早速、化学に関する国際機関「国際純正・応用化学連合」のホームページにある周期表に書き加えられています。
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(追記) 周期表、周期律表
記憶にあるのは「周期律表」で、「周期表」だと何だか刃こぼれしたようで物足りなさを感じる。もちろん学術的には、周期表が正統で、周期律表は現在使われていない。専門家にとって当たり前のことも、かつて一般に馴染んだ名を捨てきれないものだが、この機会に我が脳内を是正?することにしよう。
(参考)「“周期律表(しゅうきりつひょう)”という言葉について」(岡山理科大学 理学部 化学科 坂根弦太氏)に感謝。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 西道地域の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<平安道と黄海道を合わせた西道(ソド)地域>に関連した3曲を紹介した。

始めに、朝鮮時代の平安道地域差別として、農民反乱 「洪景来(홍경래)の乱」(1811年)について次のように紹介された。
・人は、自然や周辺情勢の影響で、地域特有の文化や行動を育てた。戦いを好むとか芸術を好む地域など類別された。それは地域の結束になったし、誤解や差別・対立の原因にもなった。朝鮮時代に、現在の半島北部にある平安道地域の人々は、王朝から差別を受けた。その理由の正確な記録はないが、暗黙に、その地域の人が朝廷の要職に就くのを嫌った。両斑階層は、その地域との婚姻もなかった。当時、洪景来を中心にした大規模な農民の反乱「洪景来の乱」があった。日頃の不満が積もった結果だった。一般の民は、ただ歌で恨みをなだめた。
・北部、平安道と黄海道の「西道地域」では、若干鼻声を交えて歌う。愛と別れの歌にも、深い悲しみや喜びが感じられる。

▼ 悲しみで満ちた歌の意の「愁心歌(수심가)」を聴く。哀調を帯びた長いトーンで訴えるように歌う。大陸風か。

次に、「風具풍구)」と呼ぶ、風を起す道具<鞴(ふいご)>について次のように紹介された。
・「風具」と呼ぶ、鞴(ふいご)は、扇風機のような形状で風を起こし、鍛冶屋で火を焚くときに使ったり、収穫の後、穀物を選別するときも使った。プングで風を起こし、穀物をゆっくり注ぐと、ほこりは飛ばされて、穀類だけが残る。また、かまどで火を焚くときも使った。
・北部の街、平壌は、中国へ向かう途中に位置し、人や物資も豊かな風光明媚な場所だった。当地で官職に就くのが、最高の安楽とされた。

▼ <平壌地域の豊かな環境が浮かぶ>風具の歌、「風具歌(풍구소리)」を聴く。洗練されて今様に歌う。

最後に、豊漁を願う漁民の船歌「延坪島難逢歌(연평도난봉가)」について次のように紹介された。
・黄海道は、イシモチが有名で、イシモチが集まりだすと、その鳴き声で眠れないほどだったという。船乗りには、どんなに興が沸いたことか。また、船を待つ家族もなんと幸せだったかうかがわれる。
・仁川の延坪島で歌われる西道地域の民謡舟歌に「延坪島難逢歌」がある。曲名は、「難逢」という者の名から付けられたというが、今の歌詞は彼の名と関係ないという。<カニのこうらに乗って釣りをしに行く> などという歌詞が大変面白い。

▼ 延坪島がある西道地域の民謡舟歌の「延坪島難逢歌」を聴く。軽やかな歌声。ちょっと楽天的に洗練して歌う。

2016年11月29日火曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

1985年にリリースしたイ・ソンヒの記念碑的な初アルバムは、最近(2014年10月28日)でも「リマスター版」が出るほど。その第1集所収曲に 「少女の祈り(소녀의 기도)」 がある。心の痛手を歌う、デビューしたばかりのイ・ソンヒの力いっぱいの発声に、まるで恋に恋するような初々しさを感じる。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

少女は気付かないかもしれないが、時間を限られていないという若さの特権が、この曲からほとばしるようだ。残り時間を勘定しないでよい若さは素晴らしい。歳をとれば残り時間のふるまいに、自ずと賢明さを要求されるのだが。


風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は

*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら


(Youtubeに登録のKBS Mediaに感謝)

2016年11月28日月曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

イ・ソンヒの8集所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、なんとも素朴で愛らしい。どこか童謡というか子守歌に似た響きすらする。むかしを懐かしむように想いをつないでいるのだろうか。

(本ブログ関連:”あなたに会いたいときは”)

イ・ソンヒには自伝に当たるものがある。誕生から27歳頃の1991年までのこと。それ以降について、彼女の言葉で語られた年代記に当たるものを知らない。この「あなたに会いたいときは」が収められた8集には、美しい旋律で、童謡らしさを感じるものから、さらに国楽もチャレンジしたものまである。彼女の音楽作りの原点回帰であり、変曲点ともいわれる。だから、8集以降の、1992年からの第2次の自伝を知りたいし著して欲しい。


一日 眠れぬ孤独さよ
流れ去った、時を彷徨って
あなたは見知らぬ 場所で待つでしょう
私も見知らぬ 場所で待つでしょう

私の喜び 包んだ 暖かな心
私の悲しみ 触った 柔らかな手
今は草花散った 夢の中のなのに
今は過ぎた愛の ささやきだけなのに

*こんなに、あなたに会いたい時は
心深く 愛はるかにたずねて
どこかに どこかに 去らねばならないのね

(*以下繰り返し)

どこかに どこかに 去らねばならないのね


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2016年11月27日日曜日

(空想旅行)一度は行って見たいところ

以前、東京の晴海埠頭に東京国際見本市会場があって、国際見本市やコンピュータ関連のエレクトロニクスショーなど開催されていた。若い頃、会場を隈なく歩いたものだが、ある年齢に達して会場内の多数の展示棟の内、わずか2ヶ所を見るだけで疲れるようになった。会場巡りは、体力のバロメーターだったようだ。

このところ膝を痛めて、趣味の鉱物採集に出かけていない。その前提となることがある。大勢にまじって鉱物採集会に参加したとき、坑口・ズリ場のある山中へ登るときも降るときも最後尾になった。幹事さんにフォローしていただき、迷惑にならぬよう済んだが。それ以来、歩調を合わせてくれる、少人数の仲間とだけで出かけるようになった。そこへとどめを刺すごとく膝痛が加わった。

都心へ出かけるにしても、電車に乗るわけで、地図上の距離ほど歩いているわけじゃない。とはいえ、このまま行動範囲を狭めるのももったいない。それで空想旅行として、一度は行ってみたいところがある。

飛行機好きで、エンジン音が好き。とりわけプロペラ機のレシプロエンジン音がいい。今様のプロペラ旅客機は、プロペラ機といっても、エンジンがターボプロップで、ちょっと違う。排気煙を出し、気筒が発するメカニカルなエンジン音を轟かす、レシプロエンジンには勝らない。パタパタパタ、ブルブルブル、ドドドド・・・。(昔、カセットテープ版で、YS-11[ターボプロップ]羽田発伊丹行き、DC-3[レシプロ]ハワイ上空の操縦室の実況録音を聞いていたなあ)

じゃあ、せめてジェット・エンジンの排気風圧を確認するのはどうだろう。ということで、カリブ海、サン・マルタン島(オランダ領側にある)マホ・ビーチの、プリンセス・ジュリアーナ国際空港の浜辺で楽しんでみたい。
ジェット機の離着陸時のブラスト(噴流)で、死ぬかもしれないよという警告看板まであるのに、観光客は転げまわって喜んでいる。ジャンボジェットの747機なら、そりゃあ凄いだろう。一度は試してみたい。こういうお馬鹿さ加減が好きだ。日本じゃ考えられない。


(Youtubeに登録のKai A. Hortmannに感謝)

2016年11月26日土曜日

(資料)韓国人にとって「哲学」とは

韓国ギャラップは、韓国人1,500人に対して実施した、「韓国人にとって哲学とは 2016」の集計結果を次のように報じた(11/24)。(抜粋)

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ”)

【調査結果】
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● 「哲学」といえば思い出すこと(2個まで自由回答 - 自由連想):

・占い / 四柱推命と関連した話 36%
・難しくて退屈だ 23%、
・人生に対する話 22%、
・哲学者 19%、
・哲学関連の理論 / 本 / 名言 10%順

「占い/四柱推命」関連の連想は、男性(30%)より女性(42%)で、そして高年齢であるほど(2026%、50代以上45%)さらに多かった。 一方、哲学が「難しくて退屈だ」という認識は回答者特性別に大きな差ではなかったが、「人生に対する話」、「哲学者」、「哲学関連の理論/本/名言」などは、教育水準が高いほどさらに多く言及した。


● 学問としての哲学(4つのカテゴリーより同意):

・勉強しにくい学問 80%
・人生の意味と価値を探求する学問 77%
・哲学はすべての学問の基礎 64%
・私の人生に必要な学問 48%:

韓国人の77%が「哲学は人生の意味と価値を探求する学問」ということに同意しながらも、「私の人生に必要な学問」と考えている人は48%にとどまった。これは、哲学の学術価値は認めながらも、その実用性については懐疑的に見る人々が少なくないことを見せてくれる。

【調査概要】
- 調査期間: 2016年5月16~31日
- 標本抽出: 2段階層化コロニー無作為抽出 - 標本ポイントの内 性/年齢別割り当て
- 応答方式: 面接調査員インタビュー
- 調査対象: 全国の(済州道を除く)満19歳以上の男女1500人
- 標本誤差: ±2.5%ポイント(95%の信頼水準)
- 回 答 率:  39%(総接触3,822人のうち1,500人の応答完了)
- 依 頼 処:  韓国ギャラップ独自調査
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私たち普通の日本人にとって、「哲学」といえば、明治以来の西欧輸入の学問を思い浮かべるだろう。翻訳文化のおかげで、真新しい(フランス)哲学など今なお続々と陳列、更新される。けれど、そんな読者は学生の内かもしれない。一方、韓国ギャラップの上記調査のように、「哲学」の言葉から思い出されるものに「占い、四柱推命」まで含まれるのは韓国らしさかも知れない。

2016年11月25日金曜日

クラーナハ展

16世紀初頭活躍した、広義の北方ルネッサンスの画家「ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)」(1472年10月4日~1553年10月16日)の展覧会が、上野の国立西洋美術館で開催されている。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”)

昨日の雪降りの寒さとうって変わって、今日は陽射しもあり、この機会に出かけることにした。上野駅を出ると、路肩に雪跡すらない。人出も多く、まるで休日の賑わいだった。

展覧会の名称は、「クラーナハ展 ― 500年後の誘惑」である。この画家の名前を、昔から「ルーカス・クラナッハ」と聞いてきたが、今回、「ルカス・クラーナハ」と呼ばれている。(日本人にとって)ドイツ語らしさが半減するような気がする・・・ドイツ語で登録したYoutube映像を聞くと、「ルーカス・クラナハ」が自然のようだ。以下、親しみのある「クラナッハ」の名で記す。

ルーカス・クラナッハの制作拠点は、ヴィッテンベルク(Wittenberg)で、現在その都市名に「ルターシュタット(Lutherstadt)」を冠している。(クラナッハとルターの関係もあり)それゆえドイツ宗教改革と縁深い。芸術の時代潮流も広義の「北方ルネッサンス」というより、「ドイツ・ルネサンス」と細分化される。そうそう、今は「ルネッサンス」と呼ばず、「ルネサンス」というようだ。

今回、展示を見てクラナッハ作品の印象が変わった。北方ルネッサンスに見るような、繊細で<華奢>な女性像のイメージがあったが、それだけではないということ。クラナッハは宮廷画家として活躍しており、かつイタリアへの遊学(アルプス越え)もあるようで、人物画に多種多様な表現、すなわち豪奢、ふくよかさ、世俗さまである。
宮廷画家としての権威と、工房を持つ親方・プロデューサーの雰囲気も感じた。同時代性を確認する意味から、同じドイツ人の画家「アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)」( 1471年5月21日~1528年4月6日)の作品も配置されたが・・・。

今回、一番驚いたのは、目元が魅力的で惹き付ける「ヴィーナス」(1532年、シュテーデル美術館蔵)の絵のサイズが、37.7×24.5cmだったことだ。もっと大きな絵柄を想像していた。秘かに鑑賞するのか。

展覧会カタログ(ガイドブック)の解説に、「女性の刺激を攻撃的なまでに放つ表現」とある。この一見<華奢>なヴィーナス像に、展覧会のタイトルにある、<誘惑>が込められている。

私としては、この絵に決してふくよかではない、北方のルネッサンス特有の女性像を見てとれる。昔から、ルーカス・クラナッハの絵画として一番先に思い浮かべるものだ。

そうそう、カタログにある、この作品解説の最後に、「このあまりに刺激的な《ヴィーナス》は、もし単独で見つめられるなら、そうした道徳的なメッセージなど、なきものにしてしまうものである」と。

もちろん教科書に載る、ルターの肖像、不釣り合いなカップルなど見られる。また、版画について、その、木版の精緻さも驚く。エッチングに似た「エングレービング」の技法に迫るほどである。木版画の技法も知りたいところだ。なにしろ版画がなければ、作品を広く人々に知られることがなかったのだから。

(展示に、デューラーなど同時代の画家たちの作品を併置するのは了解できても、インスピレーションを受けた現代作家のものは疑問)

2016年11月24日木曜日

今冬の初雪 2016

天気予報では昨深夜からということだったが、初雪は微妙にずれて今朝になって降った。家の前の路地に白雪が薄く積もった。雪が降る間、辺りの騒音はかき消すように吸収されて、静寂そのものだった。まるで防音室にいるような、空(くう)を漂ような定まらぬ感さえした。昼過ぎ、降雪は続いたが、路地の雪が融け始めた。

(本ブログ関連:”初雪”)

今年の秋は、夏と冬の間に定まらず、行ったり来たりして冬にずれ込んだ。子どもは雪遊びしたく屋外に出たことだろうけれど、突如訪れた初雪に、おじさんは戸惑いのまま。何度もいうが、寒いのは苦手だ。

朝日新聞DIGITALの記事、「都心で初雪、11月では54年ぶり 2センチの降雪予想」(11/24、09:30)は、今年の初雪を次のように伝えている。(抜粋)
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・前線を伴った低気圧が東に進み、北日本から関東の上空に真冬並みの寒気が入った影響で24日朝、関東を中心に雪が降った。東京都心や甲府市では11月としては1962年以来、54年ぶりの降雪となった
・関東甲信地方では、24日昼過ぎにかけて広い範囲で雪が降るとみられ・・・
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同じく、朝日新聞DIGITALの追加記事(11/24、12:51)は、都心の初雪の早さについて次のように補足した。(抜粋)
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・都心の東京都千代田区で初雪を観測したのは、午前6時15分ごろ。平年より40日早く昨冬より49日早い。午前11時には、1875年の統計開始以来、11月としては初の積雪を観測。
・午前11時には、1875年の統計開始以来、11月としては初の積雪を観測
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2016年11月23日水曜日

勤労感謝の日 2016

今日は祝日「勤労感謝の日」だというに、みな寒さに家に閉じこもったのか、近所の余りの静けさに驚く。それに、深夜から明日にかけて積雪の予報もある。寒い一日になりそう。

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(付記) 最近気になること (イ・ソンヒが騒ぎに巻き込まれていないか、杞憂に終わらんことを・・・)

■ YTN(ニュース専門テレビ局)掲載のOSEN記事、「パク・クネ大統領 - キム・ヨナ - イ・ソンヒ、『最後の舞台終わらせて』 (私は大韓民国)」(2015年8月15日、OSENパク・チュンヒョン記者)は、2015年8月15日の<国民大合唱「私は大韓民国」コンサート>のフィナーレ場面について、次のように報じている。(抜粋)
なお、このフィナーレ壇上の、イ・スンチョルキム・ヨナ、パク・クネ大統領(&大統領の親友)の3者関係について、現在、韓国の世間で噂が大きく賑わっている。真実は不明だが。
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写真) 左から:イ・スンチョル、パク・クネ大統領、キム・ヨナ、イ・ソンヒ

・(8月)15日午後ソウル、上岩ワールド・カップ競技場で開かれたKBS光復(解放)70年国民大合唱「私は大韓民国」コンサートで、イ・スンチョルとキム・ヨナ、パク・クネ大統領、イ・ソンヒが退場している。
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朝鮮日報(日本語)の記事、「歌手イ・スンチョル事務所 朴大統領親友との関係を否定」(11/04)は、イ・スンチョルの大統領背後との関係否定主張を次のように報じている。(抜粋)
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・韓国の人気歌手イ・スンチョルさんの所属事務所は、3日、国政介入疑惑や財団私物化疑惑に関連して職権乱用などの容疑で逮捕された朴槿恵(パク・クネ)大統領親友の崔順実(チェ・スンシル)容疑者とのつながりが取り沙汰されていることについて、「とんでもなくあきれた主張だ」と崔容疑者との関係を否定した。
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■ 朝鮮日報(日本語)の記事、「『ヌルプム体操で不利益』報道、キム・ヨナ側が立場表明」(11/21)は、キム・ヨナが<「スポーツ英雄」リストから突然彼女の名前が削除された>疑惑について次のように報じている。(抜粋)
なお、日本のテレビは、<国民大合唱「私は大韓民国」コンサート>壇上で、キム・ヨナが大統領からの手つなぎを拒絶した(ように見える)ことの因果関係を推測している。
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・朴槿恵(パク・クネ)大統領の親友で職権乱用や強要などの罪で起訴された崔順実(チェ・スンシル)被告の側近、チャ・ウンテク容疑者が制作を手掛けた「ヌルプム体操」。フィギュアスケート選手のキム・ヨナが、この体操の普及のためのイベント出席を断ったため不利益を被ったという疑惑が持ちあがり、キム・ヨナ側が疑惑について立場を表明した。
・しかし、2014年に開かれたヌルプム体操の普及イベントを断った後、15年に大韓体育会が選定した「スポーツ英雄」リストから突然キム・ヨナの名前が削除されたことが分かっており、なおも騒動は続くものと見られる。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 撥弦(打弦)楽器「玄琴(コムンゴ)」

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<撥弦(打弦)楽器「玄琴(コムンゴ거문고)」>に関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”玄琴(コムンゴ)

始めに、「玄琴」の由来にまつわる高句麗宰相「王山岳(왕산악)」の伝承、楽器の構造について次のように紹介された。
・撥弦(撥弦)楽器「玄琴」の由来は、高句麗時代にさかのぼるという。当時、中国から伝わったこの楽器を、高句麗では楽器だと分かるものの、奏法を知らなかった。宰相王山岳は、その楽器に手を加え、演奏できるようにした。それが、玄琴だ。玄琴は、琴の一種で、6本の弦を左手で押え、右手の「匙(スルテ、술대)」という棒ではじき演奏する。一説に、王山岳が奏する玄琴の音に、黒鶴が飛来して踊ったという。そんな伝承が玄琴にある。東洋で、鶴は平和を意味する縁起の良い動物である。
・ところで、玄琴の起源は、王山岳より以前の高句麗に、似た楽器があったという説もある。文化は、移動(遷移)し適合するようだ。

また、正楽の六拍子で構成される「還入(ドドリ、도드리)」、それに関わる学者ソンビの生き方について次のように紹介された。
・「還入」とは、ひとつのリズムが六拍子で構成される曲。適当なスピードで、余計な伴奏はせず、一拍ずつ演奏する。速く華やかな現代のリズムと比して退屈かもしれないが、長く聞けばその真価が分かる。昔の学者ソンビは、何事も、有りのままの姿に従い、そこから心の平和を見出し、世の中と融合するのが、彼らが追及した暮らしだった。「還入」には、そんな精神が感じられる。

▼ 玄琴の独奏曲でリズム(長短)を意味する「還入」を聴く。3+3拍子のようにゆるりと、たおやかに流れる。

次に、「並唱(병창)」と、玄琴並唱の創作者の「申快童(신쾌동)」(1910年~1977年)について次のように紹介された。
・並唱は、楽器演奏と歌の両方ができねばならぬため容易でない。玄琴並唱の創作者が申快童だ。今でも、彼の弟子一人以外は、玄琴並唱をきちんとできる人がいないという。玄琴は長らく学者ソンビに親しまれたが、朝鮮時代末、喜怒哀楽の感情を玄琴で奏する刺激的な音楽が登場したため、ソンビは世が乱れたと嘆いた。

▼ 玄琴を演奏しながら歌う(並唱)で「玄琴並唱、名人の並唱」を聴く。詞を追うように玄琴が響く。

最後に、玄琴の現代化について次のように紹介された。
・最近、電子玄琴とか、変わった形の棒で奏する玄琴、弦数を変えた玄琴など登場したり、親しみやすい演奏も試みられる。伝統を守ろうとする人々の一方で、伝統の枠から抜け出て新しいものを作り上げようとする人々もいる。文化は、そうした変化と発展をするようだ。

▼ グループ「コムンゴファクトリー」演奏で、「コムンゴ・アンド・タンゴ」を聴く。コムンゴとタンゴ(洒落?)ばりに今様である。

2016年11月22日火曜日

小雪2016 そして地震

二十四節気「小雪」の早朝、寝ぼけながら小さな横揺れに気付いた。小きざみの振動が止まらないのだ。つけっ放しにしていたテレビから「緊急地震速報」報知音が聞こえた。いつもの地震と様子が違う気がした。脳裏を「東日本大震災」(2011.3.11)の記憶が走った。次に何が来るか不安になる。幸い、長々感じた振動は強さを増すことなく終わった。

(本ブログ関連:”小雪”、”地震”)

明晩、東京に初雪が予想され、時候はまさに「小雪」である。二十四節気は旧暦に即しているが、カレンダーとピッタリの二十四節気に合点がいく。こうでなくっちゃ。

なんて思っていたら、早朝のテレビが一斉に、太平洋側の東北・関東各県に対して津波警報・注意報を流した。ただごとでない。気をもんだけれど、幸い大事に至らずに終わった(ようだ)。

気象庁は「地震情報」を次のように報じた。最大震度<5弱>で、マグニチュード<7.3>という。まだ余震が続いているようだ。当地の震度は<3>だったが、横になっていたせいか体感で<2+>位いだったし、余震は感じない。

気象庁発表
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22日05時59分頃地震がありました。
震源地は、福島県沖(北緯37.3度、東経141.6度、いわきの東北東60km付近)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は7.3と推定されます。
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気象庁によれば、今回の地震は、東日本大震災地震の余震に当たるようだ。

2016年11月21日月曜日

君の名は

君の名は」は、子どもの頃におぼろに知ったラジオドラマだ。Wikipediaによれば<昭和27年(1952)4月10日~昭和29年(1954)4月8日、毎週木曜8時~9時までの30分放送>とのこと。番組が始まると、主な聴取者である主婦たちがラジオに耳をむけるため、夜の銭湯がガラガラになったという。子どもは当然ながら、大人向けドラマに関心はないし、銭湯の女湯がどうだったかを知るはずもない(子どもにとって銭湯は湯船を潜る遊び場だった)。

戦後、一大ブームを巻き起こしたメロドラマだったようだが、母親たちがどれほど熱中していたか知るよしもない。大人と子どもは別世界にいたのだから。それでも、子どもながらに覚えていることがある。ドラマ主題曲の始まりの詞「君の名はとたずねし人あり」、主人公の名前である「真知子」と「春樹」、ストールの巻き方である「真知子巻き」、そして主人公が再会を約束した「数寄屋橋」だろう。そのくらいでしかないけれど(子どもの遊びのネタになるようなものは何もない)。

戦争を直接体験した者が聴いたラジオ番組だった。彼ら世代より後の1.5世代から、戦争体験を別の視点で語るようになる。当事者は経験を語り、そんな中でも物語を作りあげた。一方、その1.5世代後から、(理念に基づく)現在視点で問いかけを始めた。1.5世代以降の者にとっては、このドラマは過去に埋没すべきものだったに違いなく、今、顧みられることはない。歴史は常に現在でしかない。(番組ナレーションの「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」もよく知られる)

(きれいな昭和のことばで演じられる)

(Youtubeに登録の山本嗣信に感謝)

戦争の後に、ロンドンの橋で再会を約束した米映画「哀愁(Waterloo Bridge)」がある。こちらは、「君の名は」のオリジナルに当たるだそうだが、なんだか主人公の思い出作りの気がしてならない。空襲を体験したイギリス人だったら、こうは作らないのではないかと思ったりする。


(Youtubeに登録のDarkLadyUK”に感謝)

2016年11月20日日曜日

語劇「怪しい彼女」

地元大学の「第94回 外語祭」に出かけた。去年と同様、学生たちの演劇を見るためと、円形広場のプロムナードに並んだ各国の飲食模擬店を楽しむためだ。日曜日もあって家族連れや、受験志望の高校生たちであふれ大盛況だった。

語専攻別に、学生たちによる演劇を「語劇」と呼んでいるようだ。語劇は「外語祭」期間中、連日プログラムされていて、その中から、今日最初に演じられる韓国語(専攻の正式名は朝鮮語)語劇、「怪しい彼女(수상한 그녀)」を観劇した。韓国映画の「怪しい彼女(수상한 그녀)」(2014年)を舞台化したもので、配役が一部変更されているものの大筋原作に従っている。

(本ブログ関連:”怪しい彼女”)

芝居の最後に、身を挺して孫を救おうとする祖母(おばあちゃん)に対して、大学教授になった祖母の息子が<自由になって欲しい>と、身を削って育ててくれた母親に感謝の言葉を述べ説得するところがある。客席で、隣の席の夫婦から鼻を啜る音がした。やはり、この物語は<全ての母親に捧げる>ものと実感する。芝居の暗転が気になったが、学生らしさを感じられる楽しい時間をもらった。

模擬店で、アラビアの「バスブーサ」(柑橘系の爽やかな風味を感じるしっとりした菓子)、トルコの「バクラヴァ」(シロップがたっぶり沁み込んだ更にしっとりした菓子)を食べた。実は、語劇「怪しい彼女」を見終わってすぐに、ホール隣接の売店で「ダブルブルーベリケーキ」も食ったばかりというのに・・・。甘い大学祭巡りだった。

(追記)
「外語祭」の帰路、小川の流れる公園に寄って散策する。イチョウの樹下に黄色に染まった葉の絨毯ができ、モミジは文字通り紅葉していた。公園の売店で、甘~い「甘酒」(ノンアルコール)を求める・・・どこまで甘いもの漬けになるやら。

次に、公園そばの美術館でイギリス絵画展「風景への視線」を鑑賞する。展示趣旨に「ピクチュアレスク」とある。ロマン主義的な感性といった評価にぴったりで、風景までもどこか芝居じみた(ドラマチックな)雰囲気がする作品が並ぶ。
どうやら死語になった「泰西名画」の言葉を思い出す。子どものころ見た海外の風景画は、(印刷技術も鈍く)くすんだ色した木立が重々しく覆いかぶさるような絵ばかりだった。でも、表立って好きだといえない隠れファンがいることは間違いない。

2016年11月19日土曜日

イ・ソンヒの「歳月は流れても」

去年の今頃、聴いていたのはイ・ソンヒの4集収録の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」(作詞・作曲ユン・テヨン、1988年)だった。どちらかといえばトロットの香りするものの、イ・ソンヒは巧みに彼女らしい世界に昇華させた。女性ならではの相転移といったところか。

(本ブログ関連:”歳月は流れても”)

まるでアルバム写真を見るように歌う。男が歌えばみじめったらしいことだが、女性となれば歌詞と裏腹にさらりとする。女性の距離感というか、時間・空間認識を感じる。まさに「逞しさ」だ。それは言い過ぎとしたら、心の陰で見つめるもう一人の自分がいるといった冷静さだろう。喧騒の翌年、相反するものに敏感な女高生ファン心理にピッタリだったのかもしれない。


歳月は流れても  私たちの心は
忘れられたその街に  残っています

歳月は流れても  私たちの愛は
散ったその時間に  残っているわよ
*
その昔の記憶を  たどってみましょう
忘れられたその街を  歩いてみましょう

その昔は夢のように  散ってしまった
その時間はどこにあるのか  探してみましょう

歳月は流れても  思い出は残っている
忘れようとすればするほど  思い出します

(*以下繰り返し)

忘れようとすればするほど  思い出します


(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)

2016年11月18日金曜日

(雑談)自動車運転免許証

最近、高齢者の自動車運転による死傷事故がしばしばテレビで報道される。80歳以上の老人が起したした結果が主だが。高齢化社会になれば、高齢者の母数が増えるわけで、このような事故が増大するのは必至。

報道される高齢者の車運転事故は、都市部で発生している。車が無ければ生活に支障をきたす農村部の話ではない。市街の狭い道を走って事故を起こせば、歩道の通行人をすぐに巻き込むことになる。

私は将来を考えて、昨年自動車運転免許証を返納した。理由は二つある。一つ目は、鉱物採集に行くとき、仲間の車に同乗させてもらっている。助手席で、運転の様子を見ながら、自分が運転したらどうなるかと脳内シミュレーションするが、<車線変更>や<右折>のときタイミングに戸惑うことがあった。二つ目は、こちらが決定的だが、Youtubeの自動車事故画面を見ると事故の余りのあっけなさ、不可避さに恐ろしさがつのる。

(本ブログ関連:”(雑談) 自動車運転免許証”)

昔、自動車免許取得のために、今なら考えられない講習があった。凄惨な自動車事故現場(白黒)映像を投影したのだ。Youtubeでも見られない、ある意味ショック療法?を目論んだのだろう。時代が変わって今はそんなことはないようだが・・・。
自動車運転免許証を適切に、早めに返納する自覚を忘れないためにも、納得のいく方法がないだろうか。

ところで、イ・ソンヒの愛用車は、「ポルシェ 911ターボS」だそうだ。まだ50歳少しの彼女には無縁のことだろう。

2016年11月17日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 海

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<海>に関連した3曲を紹介した。

始めに、平安道民謡「ペタラギ(배따라기)」と、朝鮮後期の朴趾源(박지원、1737年~1805年)について次のように紹介された。
・朝鮮半島北部の平安道民謡に、「ペタラギ(排打羅其、배따라기)」があって、海辺で船が出る悲しい別れを歌ったものだ。漢字で「船離」、または「離船」とも言った。使臣として中国に向かった実学者、朴趾源も、「ベタラギ」について記録を残している。「ベタラギ」は、妓生が船に乗り、実際に旅立つように演じながら歌うものだ。朴趾源は、これほど悲しい歌はないと言った。海辺の人々にとって、船出は日常の生活のこと、どうであれ行かなねばならない。しばしの別れが、永遠の別れになるかもしれなかった。

▼ 西道地域(黄海道、平安道地方)の雑歌で海の別れの歌「ベタラギ」を聴く。なぜか読経の雰囲気がする。

次に、海浜の女性の労働と慰労、仁川地域の歌「ナナニ打令(나나니타령)」について次のように紹介された。
・男が船出する間、女性は干潟に行き、カニや貝、海藻などを採り、ざるに入れて持ち帰えった。陸の女性が機織りをする様に、海辺の女性は干潟に出た。女性が集まると、夫や家族の話で盛りあがり、ご馳走と酒を飲食して楽しんだりした。誰かが歌い出すと、みな声を合わせる。水汲みの壺にふたをして、それを楽器にして叩きリズムをとった。そんなとき歌ったのが、ソウル近郊の仁川地域の浜辺の歌、「ナナニ打令」だ。仁川は島が多い地域で、ソウルを横切る漢江下流にも近いため、人口密度が高い。それだけ歌も多く伝わっている。

▼ 浜の女性を歌った<風刺的な歌詞と比喩の内容が楽しい歌>「ナナニ打令」を聴く。海洋性の庶民は明るいのだろう。

最後に、江華島の漢江を行来する船「シソンベ(시선배)」と、それにまつわる歌について次のように紹介された。
・仁川に江華島がある。韓国で四番目に大きな島だ。同島に、「シソンベ」という独特な形の船がある。海釣りの船ではなく、漢江を行来する運搬船だ。先が広く、底部は平らなため、浅い川底でもよく進み、渡し場に止まるのも便利だった。シソンベは、江華島からソウル(漢陽)まで、魚や焚き物を、戻りには色々な生活用品を積んだ。江華島は人口が少なく、シソンベに乗る人も限られていた。いつもの仲間で、歌を歌いながら働いた。この歌は、先に音頭を取り、残りの人がそれについて歌う。労働しながら歌うため、歌詞とリズムが整い、洗練する歌と評される。

▼ 運搬船の歌、「シソンベの歌(시선뱃노래)」を聴く。漢江の流れが速いのか、勢いよくて元気だ。今様の風味もする。

2016年11月16日水曜日

長谷川時雨 「春宵戲語」

イ・ソンヒが歌った、テレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST以来、狐にからめた話題を渉猟している。

(本ブログ関連:””、”僕のガールフレンドは九尾狐”)

長谷川 時雨(はせがわ しぐれ、1879年[明治12年]10月1日~1941年[昭和16年]8月22日)の掌編に「春宵戲語」があって、狐の伝説が縷縷綴られている。信田(しのだ)の森の<葛の葉狐の傳説>、陽光がさしていながら薄い雨が降る<狐の嫁入り>、「霊異記」の<つ寝=きつね>とその後日談、中国の金時代の<樹を伐る狐>などの伝説について、幼時の思い出を含めて随想している。

特に興味深いのは、「霊異記」の<つ寝>の後日談で、心に沁みる悲しい別れをした夫婦に残された子(岐都禰=きつね)の末裔が、なんと間逆の存在になっていて、成敗される部分を抜書きする。安易な同情心は、いずれかなわぬこと。そして自問のない正義の軽さと危うさを考えてみたくなる。歴史は正義の奪い合いかもしれない。

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■ 信田の森の<葛の葉狐伝説

■ 陽光がさしていながら薄い雨が降る<狐の嫁入り

■ 「霊異記」の<つ寝
(この伝説に後日談があり、狐に戻って去った妻との間にできた子の末裔が悪さをして懲らしめられる話しだ)

・・・そこで、この野干(≒狐)の生んだ子を岐都禰(きつね)といふ名にし、姓を狐の直(あたひ)とした。其の子が大變な力持で、走ることの疾さは鳥の飛ぶごとしとある。そして三野國(=美濃国)の狐の直らが根本はこれなりとあるが、これは諸書にも引かれてゐるであらうから かなり知られてゐるかもしれない。ただ面白いのは、この後日談があることだ

 それはこの、力者(ちからもち)の狐直(きつねのあたひ)の四世の孫にあたる、大力女の、力くらべの話で、しかも、この狐の子孫の方が、一方の、まじりなし人間種(だね)の力持ち女に負けた話なのである。わたしが子供のころ、イツチヤイツチヤ、イツチヤナ、とか唱へながら角力をした、女力者の見世ものがあつたが、どうして一三八〇年位も前の、この二女力士のすさまじさに競べやうもない。なにしろ、負けた方のが百人力といふのだから話は大きい。上野動物園のお花さんいどころではない。

 聖武天皇の御代に、三野の國 片縣(かたあがた)の郡、少川の市(まち)に住んでゐた、百人力女が、前の犬に追はれた岐都禰の末裔だが、おのが力をたのんで、往還の商人の物品を盜む。そのことをきいて憤慨したのが、尾張の國愛知郡、片輪の里の一女流力者 ・・・・ ちよつとここではさんでおくのは、前の狐女末裔は大女、この正義の女史は小女です。この小女力者、大女力者を試すのに、蛤(はまぐり)五十斛を捕つて、船に載せてゆき、少川の市に泊つた。よし來たとばかりに奪とりにいつたのが大女、昔から女でも總身に智惠がまはらなかつたと見えて、小女女史が豫備に熊の葛練りの鞭を二十段も隱し持つのを知らなかつた。

 狐氏の大女は蛤を盜つて賣らしてしまつてから、何處から來たといつた。蛤主不答。四度目にはじめて答へたが、來しかたを不知(しらず)とやつたので、狐氏の大女が、不禮者とばかり蛤小女を打つた。一つぶたせて二の手を待つて、待つてゐましたとばかりその手を捉へ、熊葛鞭(くまくずむち)でピシリとやつた。鞭に肉が附いてきたといふその勢ひで、もひとつ、もひとつ、もひとつ、十段の鞭、打つに隨つてみな肉着くといふのだから、狐氏の大女も音をあげて服也(ふくすなり)、犯也(おかせしなり)、惶也(をそるるなり)、とあやまつてしまつた。蛤小女その時昂然として、自今 此市(このまち)に強て住まば、終に打殺さん也と威(おど)したところ、狐氏大女も殺されては堪らぬと逃げたので、彼市(まち)の人總て皆悦んだといふ。

■ 中国の金の時代の<樹を伐る狐
※  岡本綺堂
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2016年11月15日火曜日

大久保の変遷

東京のコリアタウンの代表である(新)大久保一帯が変化しつつある。その中でも大きな出来事は、新宿職安通りに面した「コリアプラザ」の閉店だろう。一時期、CD・書籍以外に工芸品も合わせて販売していた。それが韓流ブームにのって、工芸品だけ別店にしたが、ブームの退潮に従い工芸品店を閉じたし、今年7月31日には、CD・書籍販売の牙城であった「コリアプラザ」本体も撤退した。

(本ブログ関連:”コリアプラザ”)

朝日新聞デジタルの記事、「『韓流の聖地』大久保、脱韓流の動き? 進む多国籍化」(11/15、清水大輔記者)は、変遷を続ける大久保のコリアタウンを次のように報じている。(抜粋、箇条書きに並べる)
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・韓国料理店や韓流スターのグッズ店が立ち並ぶ東京・大久保(新宿区)。「韓流の聖地」とも呼ばれるが、街の韓国人に最近、「脱韓流」の動きがあるという。

・新宿韓国商人連合会によると、12年春に500超だった韓国系の店舗は今年8月現在で320と4年で4割減だ。・・・代わりに増えてきたのが他のアジア料理店。・・・
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今は、テレビドラマの「冬のソナタ」を知らない世代に交代している。何もかも欲しいというファンではなくなっているのではないだろうか。関心も多様化して選択肢も増え、その中の一つに落ち着いたのかもしれない。そもそも、私はイ・ソンヒさん以外何も知らない。

2016年11月14日月曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの代表曲である、3集収録の「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)は、月夜に愛を確かめたくて問いかける歌だ。月に惑わされたのか、それとも自問なのか、切望するイメージはあらたに伝説となって、漢詩の世界へと擬似化されたりもした。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

満月の今晩、「スーパームーン」を期待して、青い月明かりの庭を想像したが、残念なことに小雨となってしまった。でも、お月様は雨雲の上でいつものように煌々と輝いていることだろう。

ところで、教室でこんなことがあった。懐かしいテレビドラマ、「冬のソナタ」を知っている人が貴重になってしまった。世代は変わったようだ。(韓国では、ワン・オブ・ゼムでしかなかったそうだが)


月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください


(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)

2016年11月13日日曜日

ユリノキが黄に染まる

近くの公園の木々は、桜の木が葉を落としているが総じて紅葉の気配に乏しい。そんな中、公園中央の広場を二分する南北通路の片側に、高木モクレン科のユリノキが木立を作っている。そんなユリノキが、葉を黄色に染めた。

ユリノキの木立
ユリノキの集団は、日本離れした景色をつくる。まるでヨーロッパの公園にありそうな・・・もちろん行ったことはないのだが。Wikipediaによれば、ユリノキは北アメリカ原産だそうだ。想像と違った植生のようで、ひいきの引き倒しだったかもしれない。

春過ぎに、ユリノキは大きな筒状の白い花弁の花を作る。頭上高く咲くため目に付きにくいが、やがて落下する。それは風情のあるものでない。いってみれば、ドサッと落ちて地上に転がる。公園の樹木観察会で目にした光景だ。

(本ブログ関連:”ユリノキ”)

とはいえ、この時期になると葉を染めるユリノキの姿を見ることができる。しばらく異国へワープした気分を味わえる。素晴らしい、お気に入りの場所だ。



(付記)
公園からの帰り、諸事を済ませて外に出れば、昨日ブログに記した月が東の空に明るく浮かんでいる。そうだ、「スーパームーン」ではないか。
読売オンラインの記事、「14日に『スーパームーン』 … 68年ぶりの近さ」(11/11)によれば、「今月14日夜、月が今年1番大きく見える満月「スーパームーン」になる地球と月の距離は、満月としては68年ぶりとなる距離まで近づく。/今年最小に見えた4月22日の満月と比べ、見た目の直径は1.14倍になり、3割ほど明るく見えるという。」そうだ。
明日14日の夕方の6時頃まで<晴れ>のようだ。その後雲行きが怪しくなるため、日没(東京16:35)時にお月さまを眺めてみたいと思っている。

2016年11月12日土曜日

遠廻りして帰ろう

昨日の氷雨とうって変わって、今朝から空は晴れ渡り、気温は久し振りに緩んで心地よい。夕方になると、月齢12.4の月が青い明りを残した東の空に浮かんでいる。心が浮き浮きしてくるのはどうしてだろう。月の力は不思議だ。

帰宅道、頭によぎったのは、菅原都々子の「月がとっても青いから」(1955年、作詞:清水みのる、作曲:陸奥明)の歌だった。古い歌だが、といっても戦前のものではない。子ども心にしみついたのだろうか、「月がとっても青いから/遠廻りして帰ろう」のフレーズが自然と出て口ずさむ。今見る月は、このまま帰るのが惜しいような、遠廻りしても眺めたい月だった。(歌の方は、決して別れがたい二人の口実なのだろうけれど)


(Youtubeに登録のtachibana213に感謝)

2016年11月11日金曜日

(雑談) 週刊誌は中吊り広告で

以前、勤め帰りの電車で手持ち無沙汰にならぬよう、駅売店で週刊誌を買い求めた。週刊文春、新潮、朝日、ときに現代やニューズウィークだ。それらは、血や肉になるわけもないが、通勤時間を過ごすのに役立だった。世間の噂話しの情報源でもあった。

最近、電車内で週刊誌や新聞を読むより、スマホを見ている人が多い。駅売りの週刊誌や新聞の売り上げはどれくらい減っているのだろうか。相当落ち込んでいるという話しを聞いたことがある。コンビニも同じではないだろうか。

ところで、コンビニの中には、雑誌コーナーの週刊誌類に、立ち読み防止用のシールを貼るようになった。本の小口に、ビニールシールを2箇所ほど貼って開けられぬようにしているのだ。大型書店や駅の売店では見かけぬ光景だが。コンビニで書籍売り上げの貢献が低くなった結果だろうか。

このところ公立図書館は、雑誌類を充実させている。週刊誌についても、文春、新潮、朝日、ニューズウィークが書棚に並ぶようになった。いつも、誰かが読んでいるらしく、棚にそのまま置かれているのを見たことがない。そんな環境の図書館であっても、週刊誌を進んで読もうという気がしない。センセーショナルな話題があるとしても同じこと、わざわざ手を出すまでもないといった気分だ。

週刊誌は、電車の中吊り広告を見れば充分。世間のゴシップ騒ぎに感度が鈍っているかもしれないが。週刊文春新潮の中吊り広告は、ネットで見られるので、それで80%判ったような気になる。

2016年11月10日木曜日

子鹿物語

小学校に畳敷きの大広間があって、女子の家庭科の裁縫室に使われていた。テレビもない時代のこと、視聴覚教育として映画鑑賞にも利用された。落ち着きない子どもたちが、畳に座ればおとなしく見るだろうということだったのかもしれない。

文部省推薦のいわゆる教育映画が中心だったが、ディズニー・アニメも組み合わせて映写してくれた。当時、アニメなんて言葉はなかったが、子どもたちを大いに楽しませてくれた。ミッキーマウスたちを見たくてわくわくした。

16ミリフィルムの映写機だったと思う。部屋が暗くなると騒いでいた子ともたちは一斉にスクリーンに集中した。カラカラ音をたてながら投影する映写機の音は、全く気にならなかった。数クラスの生徒が共有する貴重な時間だった。

いつだったか低学年の頃、「子鹿物語(The Yearling)」(1946年制作)を見た。カラーだったこと、子鹿がいたこと、主人公が泣きながら鹿を撃ったこと、今となってはそれくらいで、ストーリーはおぼろだ。ただ、いつも見せられた説教的な白黒の教育映画と違い、別種の物語りがあった。そんな経験でしかなかったけれど、その後アメリカ映画との距離をぐっと近づけることになる。


(Youtubeに登録のMovieclips Trailer Vaultに感謝)

2016年11月9日水曜日

木枯らし1号

今日、都心で「木枯らし1号」が吹いた。NHKのNEWS WEB記事「東京で『木枯らし1号』 気象庁」(11/9)によれば、「東京の都心では9日午前5時37分に15.5メートルの最大瞬間風速を観測し、気象庁は、『木枯らし1号が吹いた』と発表しました。東京で木枯らし1号が吹いたのは去年と比べて16日遅くなっています。」とのこと。

(本ブログ関連:”木枯らし”)


(追記) 米大統領選挙
米大統領選挙の結果、ヒラリー・クリントン氏を破り、ドナルド・トランプ氏が当選した。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 菊

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<菊>に関連した3曲を紹介した。

始めに、「四君子(사군자)」のひとつの「菊」について朝鮮後期の文人李鼎輔(이정보、1693年~1766年)が作った「菊[花]よ(국화야)」の曲について次のように紹介された。
・学識と徳を備えた人を「君子」と言う。君子は、学者(ソンビ)にとって理想の姿だが、世に君子と呼ばれる人はいても、清い香りする人は多くない。そのため、梅、蘭、菊、竹を指して、「四君子」と言う。四君子の、①梅は、雪が溶ける前の春、最も先に花を咲かせる。②蘭は、深い山の中でほのかな香りを漂わせる。③竹は、四季を通して青く、まっすぐ伸びる。最後の、④菊は、霜が降りるまで咲くため、見習うべき対象とされる。
・昔の詩歌に、四君子をテーマにしたものが多い。「平時調(평시조)」という定型詩で、霜にもめげずに耐える菊の様子を歌った「菊よ」という曲がある。朝鮮後期の文人李鼎輔が作ったといわれる。彼は、普段は厳しく強直で、言うべきことは言う性格のため、何度も官職から罷免された。正しいことには、自分の意志を曲げなかった。混乱した世に染まらず、自分の意志を貫く、菊のようなソンビだった。

▼ 平時調で「菊よ」の曲を聴く。孤高に晩秋に咲く菊の花を、穏やかに歌いあげる。

次に、現代の作曲家黄秉冀(황병기、1936年5月31日~)が、徐廷柱(서정주、雅号「未堂」、1915年~2000年)の詩を基に作曲した「菊の傍らで(국화 옆에서)」について次のように紹介された。
・黄秉冀の曲「菊の傍らで」は、詩人徐廷柱が1947年に発表した詩「菊の傍らで」を基にした曲だ。<一輪の菊を咲かせるため、ホトトギスは春から鳴いていた/雷が黒雲の中で泣いていたのも、菊を咲かせるためだった/・・・>といい、菊を<姉のような花>と表現している。

▼ 徐廷柱詩、黄秉冀作曲、「菊の傍で」を歌と弦楽器のコムンゴとカヤグム演奏で聴く。現代感覚する、独白のよう歌う。

最後に、南部地域の南道の(長い民謡調の唱)雑歌興打令흥타령)」について次のように紹介された。
・昔のソンビは、秋に菊が咲くと、親しい人々を招いて夜に風流を楽しんだ。四方を塞いだ部屋に明かりを灯し、その前に菊鉢を置いた。すると、壁に花模様の影ができ、水墨画のように影が映ったはず。明かりの位置により影も動いた。南部地域の道雑歌「興打令」は<窓の外に菊を植えて、菊の下に酒を醸しておく>という歌で、<酒が発酵し、菊が咲くと、友が来て、月も明るい。コムンゴなど、夜通しで楽しもう>という内容で、恋しい気持を主題にしている。美しい季節の秋、一輪の菊など見つめながら友が恋しくなる頃でもある。

▼ 南道雑歌「興打令」を聴く。大衆歌謡を思い出させる、情感たっぷりに聞かせてくれる。

2016年11月8日火曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

一日中寒かった。それが理由ではないが、上野の国立西洋美術館で開催中の絵画展へ出かけるのをあきらめた。北方ルネッサンスのピーター・ブリューゲルと同時代のルーカス・クラナッハの作品展だ。躍動的な広がりが特徴なブリューゲルと比べて、どちらかといえば静的な絵柄が印象的だ。特にクラナッハらしい描き方の、「ヴィーナス」*(1532年、シュテーデル美術館蔵)の釣り目がちな視線がいい。北方ルネッサンスの女性像は、イタリア・ルネッサンスのふくよかさと比べて、独特な繊細さがある。
(*) 「ヴィーナス」:リンク先のYoutubeで語られているドイツ語は分かりませんが。音声ガイドか?

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”)

ちなみに、「芸術新潮」今月(11月)号はクラナッハ特集をしている(同誌では「クラーナハ」と呼ぶ)。後日、美術展にうかがい実見したら、あらためて感想を記したい。

そんなわけで、寒さをいいわけにするのではないが、冬らしい曲を聴きたい。イ・ソンヒの5集所収の「冬哀傷(겨울애상)」(1989年)は、冬の夜に月明かりする庭のように冷え冷えした心象を歌う。ちょっと漢詩的な雰囲気もする。創作のきっかけはユニーク。

(本ブログ関連:”冬哀傷”、”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”)


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿


次のYoutube映像は、慶尚南道昌寧郡の洛東江が流れる近くにある「牛浦沼(うぽぬま、우포늪)」だそうだが、墨絵のような光景が美しい。(資料:”Koreana”(日本語版)AUTUMN 2009 VOL.16  NO.2)


(Youtubeに登録のLinon Medien、ksj25374110に感謝)

2016年11月7日月曜日

立冬 2016

今日は冬のスタート、二十四節気の「立冬」だ。立冬の「立」の文字に、厳しい冬への出で立ちを予感させるが、そうは言っても直前の秋が夏と仕切りがつかぬままだったし、こちらの気持ちも定まらぬ。でも、気温は次第に低まるという。

(本ブログ関連:”立冬”)

昼間は、日向と日影に温度差があるものの、風が吹けばそれどころでない。夜ともなれば冬かと思うばかり。教室へ向かう途中、余りの寒さに手袋を買ってしまった。そんな寒さのせいではないが、授業はグダグダ、萎えて帰り道は一層凍える。

そこで楽しく行こうじゃないか。去年の立冬に、Dean Martinの「Winter Wonderland」(1934年、作詞Richard B. Smith、作曲Felix Bernard)を聴いたので、今年は我が青春のシンボル、Elvis Presleyのロック調でどうだろうか。一足早く、不思議の銀世界で子どもに戻ってみよう。


(Youtubeに登録のAnton van Dijkenに感謝)

2016年11月6日日曜日

イ・ソンヒ 「The Great Concert」今年に続き来年初も開催

イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」は、今年の9月2日にソウル世宗文化会館での公演をかわきりに、大邸から昌原へ全国ツアーを実施することになっていて、12月で完了と思っていた。ところが、インターパークのコンサート案内を見ると、次の通り来年初1月に水原、2月に議政府での開催が予定されている。

(本風ブログ関連:”The Great Concert”)

下記(参考)の通り、全国ツアーの規模も従前と同じになった。この情報、だいぶ前から周知のことで、気付くのが遅かっただけかもしれない。


2016 コンサ-ト ”The Great Concert”9/2-4
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・ソウル09.02-04:「世宗文化会館」 ★9.4レポート
・大邱 09.24-25:「EXCO5階コンベンションホール」
・全州 10.07-08:「韓国音(ソリ)文化の殿堂」野外音楽堂
・光州 10.22:「光州女子大学」ユニバーシアード体育館
・大田 11.05-06:「大田貿易展示館」
・釜山 11.19-20:
・仁川 12.03:
・高陽 12.17:
・昌原 12.31:
・水原 ’17.01.21-22:
・議政府 ’17.02.04-05:
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(参考)
イ・ソンヒの最近2009年、2011年、2014年の世宗文化会館および全国ツアー開催都市は次の通り。

2014 コンサート”歌うイ・ソンヒ”4/18-20
・ソウル 04.18-20:「世宗文化会館」 ★4.19レポート
・大邱 05.10-11:「大邱エクスコ・コンベンションホール」
・蔚山 05.24-25:「蔚山東川体育館」
・光州 06.07-08:「金大中コンベンションセンター」
・城南 06.14-15:「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山 06.28-29:「KBSホール」
・富川 07.12-13:「富川室内体育館」
・全州 08.30-31:「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂」
・安養 09.13-14:「安養室内体育館」
・大田 10.04-05:「忠南大正心華国際文化会館正心華ホール」
・昌原 10.17-18:「昌原城山アートホール大劇場」
・高揚 11.01-02:「高揚アラムヌリ アラム劇場」
・水原 11.15-16:「水原室内体育館」(予)

2011 コンサート"5月の陽ざし"5/21-22
(海外)
・ニューヨーク 02.03(木):「カーネギーホール(Stern/Perelman)」
(国内)
・ソウル 05.21(土)-22(日):「世宗文化会館」 ★5.21レポート
・水原 07.02(土)-03(日):文化の殿堂 幸せ劇場
・高陽 07.09(土)-10(日):高陽アラムヌリ アラム劇場
・大田 07.16(土)-17(日):忠南大 チョンシムファホール
・釜山 09.03(土)-04(日):KBS釜山ホール
・全州 09.17(土)-18(日):全北大 三星文化会館
・仁川 10.08(土):サムサン・ワールド体育館
・光州 11.05(土)-06(日):光州文化芸術会館 大劇場
・大邱 11.12(土)-13(日):大邱EXCO本館 5階
・晋州 11.19(土)-20(日):慶南文化芸術会館

2009 コンサート"招待" 4/1-4/5
・ソウル(서울) 04.01-05:「COEXオーディトリウム」 ★4.2レポート
・仁川 05.16(土):「仁川サムサンワールド体育館」
・全州 06.27(土):「韓国音文化の殿堂モアクダン」
・清州 07.05(日):「清州芸術の殿堂大公演会場」
・水原 07.11(土):「京畿道文化の殿堂大ホール」
・城南 08.15(土):「城南アートセンターオペラハウス」
・高揚 09.05(土):「高揚アラムヌリ アラム劇場」
・大邱 09.12(土):「大邱市民会館大劇場」
・釜山 10.24(土):「KBS釜山ホール」
・大田 11.01(日):「忠南大 チョンシムファホール」

2016年11月5日土曜日

イ・ソンヒの「あなたが私を愛されるなら」

イ・ソンヒの7集所収の「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(1991年、作詞キム・ミソン、作曲キム・ジンリョン)は、バラード中のバラードといってよく、ファンにとても愛される曲だ。そして美しい。

それが証拠に、最近の彼女のコンサートで、前回の「歌うイ・ソンヒ」(2014/4/19、世宗文化会館)だけでなく、今年9月のコンサート「The Great Concert」(9/4、世宗文化会館)でも歌われた。ファンは待ち望んでいる。

(本ブログ関連:”あなたが私を愛されるなら”)

この曲ほど、多くのファンが思い入れたっぷりに、様々な画像を駆使してYoutubeに登録しているのものはない。ファンにとって、感傷に酔い、恋情に溺れるための旋律かもしれない。果たして通好みかどうか知らないが、「愛」が全能であるファンには充分過ぎる曲だ。


あなた本当に 私を愛してるなら
今のようにだけ 私を愛してください
あなた本当に 私を望まれるなら
心の中だけで 私を愛してください

*あなたの目に映った私が、余りに痛々しく見えて
その痛みを和らげようと、私に来るのなら
目の前に私が見えなくて振り返ると
しだいに遠のく心、私に来るのなら

あなた本当に 私を愛してるなら
あなた本当に 私を望まれるなら

(*以下繰り返し)

あなた本当に 私を愛してるなら
あなた本当に 私を望まれるなら


(Youtubeに登録のJung Sook Kimに感謝)

2016年11月4日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 人の本分を悟らせる曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<人の本分を悟らせる曲>に関連した3曲を紹介した。

始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、朝鮮後期、「暗行御史(암행어사)」として働く李夢龍(이몽룡)を次のように紹介された。
・パンソリ「春香歌」は、妓生の娘春香と李夢龍の愛を歌う。李夢龍は、国王直属の「暗行御史」という官吏となり、密かに地方の民情や、行政の不備を探った。暗行御史となった彼は、一番先に春香を訪ねた。南原(全羅北道の南東)の地方官は、仕事せず、むやみに宴会を開き、民を苦しめていたし、罪のない春香をいじめた。李夢龍は、貧しい姿で地方官の宴会に行き、上流の両斑をからかったが、追い出されそうになって詩を歌う。<高級な器と美味い酒は民の血と涙>という内容だ。

▼ 「春香歌」から「官吏が現れる場面(어사출도 대목)」を聴く。怨嗟吐き出すような力強さみなぎる。
            金樽美酒千人血
            玉盤佳肴万姓膏
            燭漏落時民漏落
            歌声高処怨声高

次に、ソンビの申光洙신광수、1712年~1775年)の詩唱(시창)、「關山戎馬(관산융마)」について次のように紹介された。
パンソリは、詞を漢詩文にして権威づけて歌う。朝鮮時代の学識者ソンビらは、自ら心を詩で表現した。彼らには、詩作が日常だった。役人任用試験の「科挙」でも、与えられたテーマに合わせて詩作したものだ。中には、人々に広く伝わり、今では歌として歌われているものもある。代表的な歌に、漢詩にリズムをつけた詩唱の「關山戎馬」の曲がある。ソンビの申光洙が科挙試験で作った詩で、秋のわびしい情緒のリズムが今でも親しまれている。楼閣に上って、關山の戦いが終わらないことを嘆く意の題名で、国中が騒がしく、民が安らかでない様子を表した歌だ。
・ところで、申光洙は、後日平壌で妓生の牧丹(모란)と舟遊びを楽しんだ。牧丹がこの歌を歌うと、空の雲も止まってしまったという。川の上で聞いた曲が、なんと美しかったことか。

▼ <秋の川はわびしく、魚も寒さを感じるだろうに、人は西風に当たって楼閣にいる>で始まる詩唱「關山戎馬」を聴く。余韻深く。
            秋江寂寞魚竜冷
            人在西風仲宣楼
            梅花万国聴暮笛
            桃竹残年随白鴎

最後に、科挙試験で作詩されたものを基にした「竹枝詞(죽지사)」について次のように紹介された。
・ソンビが科挙試験で作詩したのを基にした歌「竹枝詞」がある。竹枝詞は、まっすぐ育つ竹に例えて、人の堅固な意志を歌った。<天と地は老いることがなく、月はいつまでも浮いているのに/ひっそりとした川と山はやっと百年が経った/・・・>という。人間がどれだけ小さい存在かを、そして宇宙時間で見れば限りなく短い人間の人生を語っており、どう生きるべきか、考えさせる歌詞だ。

▼ 歌「竹枝詞」を聴く。宇宙の無限と比べて「自省」する・・・そんな気にさせる、アウレリウスもさぞや。
            乾坤不老月長在
            寂寞江山今百年・・・

2016年11月3日木曜日

文化の日 2016

祝日「文化の日」だからといって、庶民としては文化とよほどに無縁だった。祝日に相応しく? 近所を散歩したが、昼過ぎの日向と日影の寒暖差は激しく、そのうえ北風は寒い。厚着してよかったという感想しかない。

(本ブログ関連:”文化の日”)

図書館に寄ったところ、入り口に、読者の利用に恵まれなかった、つまり誰にも読まれない本が「再利用図書」として処分されていた。ご自由のお持ち帰りくださいというわけだ。ときたま見る光景だが、興味ありそうな本と出会ったことはない。

今回どうしたことか、まるで手付かずのような綺麗なままの 「鉱物 ウォーキングガイド 全国版」が置かれていたのだ。もしかしたら、図書館に購入申請した利用者が読んだだけで終わったのかもしれない。このまま放置はできないと、連れて帰った。でもこの本はすでに購入済みなのだ。で、どうするかって? 鉱物仲間で希望する方を探して差しあげようと思っている。

(本ブログ関連:”鉱物 ウォーキングガイド”)

ところで、最近、膝が芳しくなくて、鉱物採集をしばらく止んでいる。この活動については、「再利用」なんて考えが当てはまらないので悩みどころだ。

2016年11月2日水曜日

妻帯僧(帯妻僧)

韓国の仏教新聞の書評記事、「仏教の生活方式・文化を訪れる歴史旅行」(10/31、アン・ジクス記者)は、同紙記者チャン・ヨンソプ(ペンネーム、チャン・ウンヨン)が著した、「仏教に関する些細だが、決定的な問い49」(ダムエンブックス)を紹介している。

同書は、仏教について一般的な49の質問、「尋ねるには曖昧な、些細だが気になる問い」に回答するという。僧侶がなぜ菜食(精進料理)なのか、仏教から見た「神」とは、「高僧」とはどういう僧侶なのかなど、いってみれば素朴な疑問に解説回答している。

そのなかで、イ・ソンヒの父親に関連して、僧侶の妻帯(韓国では”帯妻”)の解説があり、次のような説明(⇒引用)がある。余りにさらりと書き流しているが、韓国の仏教界の独特な内情について、戦後史も含めて特有な性格の理解が必要と思われるのだが・・・。

(本ブログ関連:”妻帯僧”、”韓国仏教”)

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「歌手イ・ソンヒ氏が、ある放送で、父が帯妻僧(대처승)であったという事実を告白した。父のために幼い頃いじめを受けたというイ・ソンヒ氏のやるせない話しのように、帯妻僧は現代史のシミとして残っている。一時は、帯妻僧が韓国仏教の主流だった時代があった。僧侶の帯妻は日本から渡ってきた風習だ。12世紀以前まで、日本の仏教は修行者に結婚生活を許諾しなかった。明治維新以前の日本では女性と同衾した僧侶を刑事処罰できたが、1872年3月、(キリスト教)プロテスタント牧師を意識して、政権は僧侶にも帯妻を許諾した。」
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韓国仏教には、妻帯を認める「太古宗」(韓国仏教界最大宗派で妻帯を認めない「曹渓宗」に次ぐ第2位の宗派)などがある。イ・ソンヒの父親は、仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者であったという。所属宗派は、イ・ソンヒの言葉によれば「一乗宗」、ネット情報では「太古宗」というものもある。

(参考)
・浄土真宗、親鸞の夢(1201年)
・明治5年(1872年)4月25日、太政官布告第133号 「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」

2016年11月1日火曜日

今年も残り2ヶ月しかない

昨晩、余りの冷え込みに、冬支度して出かけた。その途中、線路脇の暗くて狭い小道に、ハロウィン衣装に身を包んだ子どもたちと、その付き添いの親で溢れていた。あれは一体何だったのだろうか。

朝方の小雨は、昼までにすっかり止み、突き抜けるような青空になった。まるで台風一過。日射も風も清々しい。そんな日向の暖かさに気が緩んだけれど、夜ともなれば、晩秋を思い知る。今年の秋は、夏の混乱に掻き回され、風情を楽しむ間もなく冬に突入したようだ。

今日から11月。1年の10/12が過ぎて、残るは1/6、2ヵ月しかない。ハロウィンも終われば、クリスマス、正月と慌ただしい。書店には、来年のカレンダーが吊るされ、年賀状図案ソフト本が平積みされている。次々と行事や風習は、忘れさせまいと待っている。

ところで、先日、冬服を求めて店内を廻っていたら姿見があってのけぞってしまった。私が顔を横に向けると、そいつも横を向いた。息子が子どものころ好きだった漫画、「浦安鉄筋家族」に出てきそうなおじさんが立っていたのだ。

昭和の臭い満載のドタバタ漫画、いい歳したおじさんまでも(陰で)笑い転げた。それにしても、登場人物のデフォルメに少々悪意すら感じたものだ。


(Youtubeに登録のCatherineに感謝)