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2015年12月31日木曜日

蛍の光2015 (イ・ソンヒ「惜別の情」)

(丁寧に)さようなら、(洋画にも使われそうに)サヨナラ、(関西風に)さいなら、いずれにしても、(ちあきなおみの「紅とんぼ」風に)いろいろお世話になりました。

一年というリンゴの実も食い尽くし、残るは種だけです。これが来年の実になるといいのですが。酸っぱいもあれば、甘いも・・・なかったな、そんな一年でした。あっというまに過ぎ去った、鞍馬天狗かはたまた月光仮面、疾風のように去っていくのです。

「いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。」(唱歌「蛍の光」)、いよいよ今年とお別れです。明日になれば、来年がおはようといって入ってきます、猿ですけど。今年を送る大掃除も、来年を迎える正月飾りもしてないので、今日は軽く過ごすことにしましょう。

(本ブログ関連:”蛍の光”)

ところで、韓国では国歌が正式に決まるわずかの間、「蛍の光」の旋律が使われたそうです。「蛍の光」を、イ・ソンヒは「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に所収の「惜別の情(석별의 정)」として次のように歌っています。


久しく付き合いし 親しき我が友よ
別れとはどうしたことか 行かねばならぬか
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう

さらば立派であれよ 祝杯を挙げた手に
惜別の情忘れ難く 涙だけ流すよ
いずくへ行こうとも忘れようか_厚い我らが情
再び会うその日のため 祝杯を挙げよう

いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう

(Youtubeに登録の이예재に感謝)

2015年12月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 聖夜

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「聖夜(クリスマス)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、クリスマスと冬至の意味について次のように説明された。
・昨日(12/22)、一年で昼が最も短い「冬至」だった。昔、太陽に依存した暮らしの人々に冬至は大きな意味があった。やがて昼が長くなり、明るく温かくなる。草木、動物、人々も豊かな春を目指す。東洋西洋とも、冬至は重要な日だ。キリスト生誕日のクリスマスが冬至頃なのも、決して偶然でないだろう。救世主がこの世に生まれ、人々が光の中に生きる意が含まれる。

クリスマス・キャロルを韓国伝統楽器と演奏する「雪が降る日の日記(눈 내린 날의 일기)」を聴く。今様の楽しいメドレー。

次に、クリスマス行事と伝統的遊び「カンガンスルレ강강술래)」について次のように紹介された。
・クリスマスは宗教や民族を越えて、多くの人々が楽しむ日だ。昔は12月になると、クリスマスツリーを飾り、クリスマスキャロルが聞こえて、寒い冬も温かく感じられた。最近、クリスマスキャロルが、著作権の問題で商店街で流せなくなり、人々の音楽の好みも変わった。クリスマスキャロルは、西欧中世の祝祭に由来する。輪になって踊る風習があり、みなで歌うには、歌詞やリズムが単純で、繰り返し歌ったのがキャロルに根付いたようだ。韓国に、女性が手をつなぎ丸く輪を作り、回りながら歌い踊る、伝統的な「カンガンスルレ」の遊びがあって、ダンスに似ている。

▼ 「カンガンスルレ」の歌を聴く。小正月にもあるという月夜の遊び、南の風がするよう。

最後に、朴東鎭(박동진、1916年~2003年)の創作パンソリ「イエス伝(예수전)」成立のいきさつを次のように紹介された。
・伝統音楽には、仏教に関連したものは多いが、キリスト教のものは余りなく、稀に貴重なものもある。朴東鎭のパンソリ「イエス伝」もそのひとつで、曲成立を回想している。1972年、草洞教会の趙香祿(조향록)牧師と東亜放送の作家朱泰益(주태익)の訪問があり、放送台本を元に、イエスの話のパンソリ化を頼まれた。一旦断ったものの手がける。ラジオが人気あった時代で、台本はイエス誕生から復活までの内容を含んだ。台本と聖書で、キリスト教の知識を身に付け、4時間に渡る公演をした。朴東鎭は後にクリスチャンとなる。

▼ 新パンソリ「イエス伝」中から、「イエスが馬小屋で誕生(예수 마구간에서 탄생)」の曲を聴く。語りはパンソリだ。

イ・ソンヒの「愛してます 母さん」

イ・ソンヒのキャロルアルバム「私たちの物語(우리들의 이야기)」(1991年)に所収の「愛してます 母さん(사랑해요 엄마)」(作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン、編曲ピョン・ソンリョン/ユ・チヨン)は、情感あふれる美しい曲だ。普通、親子をほほえましく描くことが多いのに比べて、想いを確かめるように歌い上げる。心に母の姿が浮ぶ、まさに賛歌である。


愛してます 母さん、母さんのその微笑を

愛してます 母さん、母さんのそのすべてを

* 隠れたその笑顔の裏に 麗しい皺(しわ)の刻まれたその顔

私にくださった その愛で世界を愛します

愛してます 愛してます

母さんの顔だけ思い浮かべれば 私の心は平和です

(* 以下繰り返し)


音楽サイトIZMの記事「家族として記憶されるわたしたちの歌謡」に再掲されている、「イ・ソンヒ - 『愛してます 母さん』(1991年)」(2011/05 キム・ジンソン)は、この歌について次のように紹介している。
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子どもに向けた<母さん>の愛は、「アンリミテッド」、それこそ無制限だ。厳密に父情とは別の次元の母情. 本来一体から分離して生まれ出た子どもは、<母さん>に(とって)別の分身と等しい。新しい生命を懐妊し、世界の光を見られるようにする<母さん>の存在はそれだけ偉大だ。イ・ソンヒの「愛してます 母さん」は、その偉大な愛に対してただ<母さん>のすべてを愛しているという歌唱曲といえるだろう。

シンセサイザーを主な楽器として、ピアノ、アコースティック・ギター、フルート、ドラム、歌声などを結合した伴奏は典型的な歌謡の感じそのままだ。イ・ソンヒの歌唱は、ゴスペルのように厳粛で敬けんな感じの伝達力で迫ってくる。初めは滑らかに、次第に強い訴える力で<母さん>に対する愛を歌う。「愛してます」という言葉それ以上の何が必要だろうか。常に近くにいながらも、容易に呼んであげられない言葉、「愛してます、母さん」をこの歌で直接伝えてみるのも遅くないだろう。

「隠れた微笑の後にうるわしい皺の刻まれたその顔、私にくださったその愛で世界を愛します。愛してます、愛してます、母さんの顔だけ思い浮かべれば私の心は平和です」、クライマックスという後半部に達すれば、心が涙声になる感動を受けることになるだろう。サウンド的な面で、昔ながらの感性が豊かだけれど清純ながらも生一本のイ・ソンヒのボーカル・パワーをアピールする力は実にすごい。チェ・ブラムとチョン・ヨジンのデュエットで有名な「パパの言葉(아빠의 말씀)」(Anthony Quinn  & Charlieの「Life itself will let you know」の翻案曲)と並んで、他の一方で親子の情を交わす代表的な賛歌(さんか)である。
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(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2015年12月29日火曜日

イ・ソンヒ、1980~90年代の象徴

ケーブルテレビtvNの番組「名簿公開」で、80年代・90年代に輝いた歌手としてイ・ソンヒが選出されたと、10asiaの記事「『名簿公開』イ・ソンヒ、姉さん部隊*率い青春スター・・・『国民のディーヴァ(歌姫)』」(12/28、チュ・ヒョンジョン インターン記者)は次のように報じている。

(* 「姉さん部隊」 イ・ソンヒのデビュー当時(20歳頃)の女子中高生を中心にしたファングループ)

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・歌手イ・ソンヒが、1980~90年代の象徴になったスターとして選ばれた。

・今日(28日)放送された、tvN(番組)「名簿公開2015」(94話)で、「応答せよ8090」*をテーマに、その時期最も眩しかった青春スターの名簿(リスト)を公開した。

    (* 「応答せよ~」の「~」に、”年代”や”世代”を当てはめるのが最近のはやり)

・この日、イ・ソンヒは7位に名前を上げた。過去、膨大なファン層を誇ったイ・ソンヒは、「Jへ」でデビューするやいなや、5週連続、音楽番組1位を記録し、大人気を享受した。

    (本ブログ関連:”Jへ”)

・「Jへ」でトップ歌手の仲間入りした彼女は、持続して人生の黄金期を続けており、1985年の「ああ、昔よ」を皮切りに、「私はいつもあなたを」、「私の街」などで、各放送局1位をさらって大衆の愛を受けた。

・2004年、レコード制作者に変身した彼女は、高校生だったイ・スンギへ歌手活動を提案、彼をスターに育て、制作者としての能力も実証した。

    (本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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(Youtubeに登録のtvNに感謝)

2015年12月28日月曜日

火の用心2015

今年最初の「火の用心」の呼びかけが拍子木を響かせながら家の前を遠ざかった。やっぱり冬だなと、しみじみ納得する。記憶では12月26日(2014年と2012年26日)、28日(2013年)に、この夜回りを聞いている。もしかしたら全て26日に開始されていたのかもしれない。これから以降数日、何度か聞けるかもしれない。

(本ブログ関連:”火の用心の拍子木 2012年2013年2014年”)

以前は、子どもの声をまじえながら「火の用心」の掛け声がしたこともあった。残念ながら今晩の「火の用心」の声は届かなかったが、拍子木の「カチ、カチ」という響きはちゃんと届いた。この行事、一体どこのどなたがされているのか。例年の地道なボランティア活動に、本当に感謝。


(付記)師走の街
自動録音機能付きラジオがメモリー不足メッセージを表示し始めたので、マイクロSDカードを購入しに、近くの商業町に出かけた。買物ついでに設定も頼むという、すっかり他人頼みになってしまった。
街は賑わっていた。行列で有名なメンチカツ店も、いつもの倍くらい客が並んでいた。駅ビルの酒店で、ホットワイン用の甘~いブドウ酒を買う。そのままではアルコール分が強いので、飲み頃の50~55℃に温める。そこにデコポン茶用のジャムを加えてさらに甘~くする。柑橘系の香りも加わって美味い。

2015年12月27日日曜日

澤穂希選手の引退

女子サッカーの澤 穂希(ほまれ)選手(INAC神戸レオネッサ)が、今日の「皇后杯全日本女子選手権」(於:等々力陸上競技場)の決勝戦(対アルビレックス新潟レディース)で、自身のヘディングシュートにより、1-0の勝利に導き、本試合を最後に引退した。結婚を機にしたものである。

試合後、インタビューで次のように語ったと日刊スポーツの記事「澤穂希が現役最後の試合で決勝ゴール 涙見せず」(12/27)は報じた。(抜粋)
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試合後、ピッチで胴上げされた澤は「みなさんの力で勝てた。素直にうれしい。(先制のCKは)川澄選手のボールが良かった。今日は得点を狙っていた。とにかく現役最後の試合で点を取れたのはうれしく思う」と、涙を見せずに話した。
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「涙を見せず」というのが彼女らしくてうれしい。

先の2011年7月17日、「FIFA女子ワールドカップ」で日本女子サッカーチームが優勝した。「大会最優秀選手」、「得点王」(5点)の栄誉を獲得したのが澤選手だ。彼女の存在は、日本の女子サッカーだけでなく、男子サッカーへも刺激を与えたろう。そして、わたしを含めて多くをにわかファンにしてくれた。
その年の3月11日に、「東日本大震災」に襲われ沈滞した空気にあった国民を一変したことはいうまでもない。感謝。

澤選手は永遠に記憶に残り、マイルストーンの役割を果たすだろう。

(追記)
サッカーの試合で、特に男子選手を見て感じることがある。選手同士の試合中の衝突時、(世界共通して)痛い痛いアピールが過ぎるように思えてならないことがある。女子選手にそのような振る舞いをほとんど見かけないからだ。
ところで、最近のラグビー人気の急上昇が何となく分かる気がする。観客のスポーツへの観戦態度が変わってきているようだ。女子に澤選手があったように、ラグビーに五郎丸 歩選手が登場した。

2015年12月26日土曜日

イ・ソンヒの誕生日(陽暦)

イ・ソンヒは、今日満51歳の誕生日を迎える。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として、1964年11月11日(陰暦誕生日)に誕生した。イ・ソンヒの本籍地は、公式ホームページによれば、「忠清南道(충청남도) 保寧郡(보령군:現在は市) 珠山面(주산면) 篁栗里(황율리)」(GoogleMap)と記されている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの生誕”、”イ・ソンヒの誕生日”、”数え年と満年齢”)

同本籍地を地図上に探ると、すでに記したことだが、<鉄道「長項線」と国道21号線が接する珠山の街を北上する市道の途中にある篁栗里を左折した先に彼女の故郷がある。篁栗里は、保寧市の黄海に面した大川にある海水浴場観光特区の南東の山間にあり、また北東には南北に延びる「保寧湖」がある。なお長項線にあった「珠山駅」は、2006年6月に廃駅されたとのこと。>

なお、彼女の誕生から27歳までの自伝的な語りがある。⇒ 本ブログ資料編


(付記)
「1964年の韓国」について、新聞、Wikipediaの歴史年表、Youtube映像など。

2015年12月25日金曜日

イ・ソンヒの「過ぎ去りしひととせを思い返しみると」

イ・ソンヒのアルバム「私たちの物語」に所収の「過ぎ去りしひととせを思い返しみると(지나간 한 해를 다시 생각해보면)」(1991年、作詞・作曲ソン・シヒョン송시현)を聞きながら、この一年を振り返ると、果たしてどんな年だったのだろうか。

若者には大いに内省してさらに逞しくなって欲しいけれど、おじさんにとってこの期におよんでは人生を二度楽しむことをモットーにしている。先行きを案じるよりも、楽しむこと、それを思い返すことを期待するばかりだ。

来年もいい年でありますように。

1.
街を 思いきり あてなく歩き 帰り
寂しい 心に 蝋燭の火を 灯すよ

過ぎ去りし ひととせは なぜかあまりに寒かった
悲しみの 意味だけ 教えてくれたね

ときには 喜びもあったけど とても つらかった

過ぎ去りし ひととせは 私を 覚らせてくれた
あまりにも 尊い 人生の意味を

2.
来たる 新年には 果たしてどんなことが
大切な 自分の人生を 照らしてくれるのだろうか

過ぎ去りし ひととせを 思い返しみると
来たる 新年は さらに大切で

ときには 悲しみもあるだろうけど 私を 愛さなくちゃ

明るくなる 朝は 私を歓び迎えてくれるよ
自ら 立ち上がって 来たる 朝

(Youtubeに登録のUnInvited Guestに感謝)

2015年12月24日木曜日

イ・ソンヒの「ラスト・クリスマス」

イ・ソンヒがアルバム「冬のものがたり」(1988年)にカバー収録した、ワム(Wham!)のクリスマスヒット曲「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」(1984年)は、イ・ソンヒがデビューした同じ年にリリースされている。

(本ブログ関連:”ラスト・クリスマス”、”クリスマス”)

軽快なイ・ソンヒのカバー(副題:Happy Christmas)は、原曲の持つ恋の結果を自問する複雑な心理とは裏腹で、むしろ願いを込めたとても前向きなのだ。いかにも彼女らしく若々しい、副題の通り幸せを予感する歌に仕上がっている。

今日は、誰にとってもクリスマスイブ。


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

インディアン・ラブ・コール

昔は筆でしたためた恋文(手紙)、まさか電信はなかったろうから飛ばして、次に来たのが電話だろう。その電話機は、近所に一台に始まり、家庭に一台となり、今は一人に一台の携帯となって、進化を遂げてスマホとなった。わたしはそれに追いつく気もなく、ガラケーを使っているが。

あの重いアナログ据置電話機を使った思い出深い映画場面がある。「パリ、テキサス(Paris,Texas)」(1984年)だ。隣り合わせながら知らず、受話器を通して語りかけるその先に埋まらぬ空白があった。電話がまだ、言葉をひとつひとつ選び費やすことができる時代のものだった。だから映画に共感できた。(イ・ソンヒがデビューしたころの映画だ)

受話器には、恋文の行間にもひとしい息遣いがあった。想いめぐらせ重ねるに充分だった。それなのに、「Indian Love Call」(Slim Whitman、1954年)ときたら、恋の電話に何と呑気なのだろう。もっと昔の時代なのに。火星人をなぎ倒すファルセットが癇に障ったのだろうか、監督ティム・バートンの映画「マーズアタック(Mars attacks!)」(1996年)に採用されたのだ。

もし、「マーズアタック2」が作られたら、どんな歌が威力を発揮するのだろうか。楽しみである。


(Youtubeに登録のLeonard Nosferatuに感謝)

2015年12月23日水曜日

祝日にくつろぐこと

今日は「天皇誕生日」の祝日である。町内は実に穏やかで、まるで正月のような静けさだ。自然に和らいでくる。緊張することの少ない気ままな身だが、更にのんびりとして緩み、くつろぐ気がする。

なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。

月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。

子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 水龍吟

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、李白「笛奏龍吟水」に由来する「水龍吟(수룡음)」ほか関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”水龍吟”)

始めに、朝鮮後期の林熙之(임희지、1765年~未詳)と「笙簧(センファン:생황)」の関係について次のように紹介された。
・朝鮮後期、中国語通訳官だった林熙之は、竹と蘭をよく描いた。(日本の笙に似た管楽器)「笙簧」の演奏に優れ、弟子も多かった。酒が好きで、食事代わりにもした。貧しいなか、刀や鏡、硯の蒐集を好み、住まいよりも高いものもあった。芸術に没頭して、芸術そのものになった人とも言える。もう一つ面白い癖があった。明るい月夜、髪を両側に結いあげて、裸足で歩き回った。ガチョウの羽で作った服をまとい、笙簧を吹きながら市場を歩き回った。その姿を見て、お化けと思い逃げる者もいた。実は、このいでたちは神仙の姿を表したものだ。

▼ 宮中や宴会で奏された、笙簧と竹笛短簫(タンソ:단소)による「水龍吟(수룡음)」を聴く。雄大に龍と鳳凰が交差する。

次に、林熙之の神仙的風態について次のように解説された。
・林熙之は、自ら「水月道人(수월도인)」と呼び、竹や蘭を描いたのを見ると、複雑な世から逃れ、清く生きようとしたのが感じられる。体格もがっちりとして、夜中、変わった服装で歩き回ると、人々がびっくりしたのも分かる。彼が作った、ガチョウの羽の服は、神仙が鶴に乗って飛ぶ姿を表現したのだろう。
・神仙の絵に、「大笒(テグム:대금」に似た横笛や笙簧のような管楽器を奏するものが多い。神仙はいつ何処にも自由に移動した。運ぶのに便利な楽器を持ち、美しい景色と風流を楽しんだ。また、神仙の姿を歌った詩に、鶴に乗って笛を吹くで始まるものがあり、ヒョウタン形をした瓶をぶらさげて不老草をかつぎ、髪を結いあげている子供に話しかける内容だ。

▼ 詩にリズムのついた時調唱(시조창)「辞説頭学(사설지름)時調、鶴に乗って(학 타고)」を聴く。瑤池宴に行くのか?

最後に、小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)の女仙、あるいは姮娥について次のように紹介された。
・「瑤池宴」は、中国最高の女仙「西王母」が開く宴で、神仙の集まる場として知られる。李朝期の古典小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)に、8人の女仙が登場する。些細な罪を犯し、しばらく人間世界を生きる、それだけ美しく善良なものだ。今いる場所以外の他の世界で暮らしたい思いを、この詩は表現しているようだ。仙女の中で一番といえば、「姮娥(こうが)」が挙げられる。彼女は、西王母の不死の薬を盗み、月に逃げてしまう。唐の詩人李白は、月を眺めながら彼女を詩「把酒問月」に謳う。白兎は薬をついて、仙女の姮娥は寂しいという内容だ。仙女の姮娥は、さぞ寂しい思いをしたろう。

▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏「鏡花水月(거울 속의 꽃, 물 속의 달)」を聴く。飄々と響く、今様である。

・最後に、キム・ボエさんの言葉、「どんなことでも、長所があれば短所もあるものです。どんなに寂しくても、人間とはまた違う形で我慢をしなければならないのが、神仙の暮らしでもあったようです。」

2015年12月22日火曜日

冬至2015

今日は、昼の時間が一年で一番短い「冬至」だ。二十四節気の22番目で、残り2つとなる。昼時間の長短を実感するのは、夕方の陽が沈む時間帯だが、冬至の今日が一番早いわけではない。実は10日前がそうで、むしろ現在、次第に日没時間は遅くなっている。なんと日の出時間の方がまだ!遅くなっているわけだ。

(本ブログ関連:”冬至2014”、”冬至2013”、”冬至2012”、”冬至2011”、”冬至2010”、”冬至2009”)

テレビの気象解説で、今年の冬は、「エルニーニョ」と「温暖化」が過去最大化したそうだ。その結果、日本海側では降雪が減り、太平洋側では大雪またはゲリラ豪雨にみまわれるかもしれないという。寒さが苦手な私にとっては、ここ連日の暖かさにホッとしているが、事態はそんなに呑気なものではないらしい。

今日の「最高気温」(気象庁によると)は、近隣の街で14.8℃で平年と比べて+3.3℃(11月下旬並み)。都心では、15.9℃で平年と比べて+4.8℃(11月中旬並み)となった。とはいえ、15℃前後というのは、真夏なら冷たいプールの水温よりも低いわけだ。

今夜の帰り道、上着を首まで締めた。寒いのだ。何度もいうが(誰に?)、私は寒いのが苦手だ。

2015年12月21日月曜日

東京クリスマスマーケット 2015

薄曇りの昼過ぎ、日比谷公園で催されている「東京クリスマスマーケット 2015」(12/11~25)に出かけた。祭りのスタイルは、「ドイツをはじめヨーロッパ各地にある、中世から続く(クリスマスにちなんだ)伝統的なお祭り」という。ドイツのクリスマスマーケットを主体にしたもので、こじんまりした規模だが、結構な人出だった。

テレビの旅番組で見かける、クリスマスツリーの飾り(オーナメント)や木工の手造り玩具などを売る屋台が並ぶ夜祭りをイメージしたが、大部分をドイツ料理の売店が占めた。夜間の開催もあり、防寒をしっかりした飲食専用施設が充実している。他方、クリスマス飾りなどを売る数少ない店に客の列がつづいた。(そんなわけで、オーナメントの買物は断念した)

もっぱら飲食を中心にした。まず、クリスマスの定番菓子である「シュトーレン」のスライスをつまむ。次に、これまた定番の赤ワインを温めてスパイスを効かせた「グリューワイン」を飲む・・・結構な量があって、次第にアルコールがまわってくる。もっと砂糖が欲しい。

(本ブログ関連:”ドイツ菓子”)

酔い覚ましに、会場のモニュメントである、様々な木製人形で構成された6層の「クリスマスピラミッド」(14m)を眺める。公式ガイドブックによれば、クリスマスツリーの原型とも書いてあるが。さらに、同ガイドブックの中で、(ドイツのエルツ地方にあるザイフェンの木工玩具の)クリスマスピラミッドについてこんな記載がある。
「鉱山で働く人々が、地下から荷物をくみ上げるために使用した装置を模している。キリスト生誕シーンや鉱山労働者、伝統的なモチーフなどが人形で組み込まれ、中央の上部に取り付けられたプロペラが、ろうそくの上昇気流でゆっくりと回る。」

確かに、会場のクリスマスピラミッドにも、天辺に複数の羽根が重なるように水平に放射して、ゆっくりと回転している。なにより関心を持ったのは、このクリスマスピラミッドが、鉱山施設に由来していることだった。

2015年12月20日日曜日

「応答せよ 1988」のイ・ソンヒ コンサート

ケーブルテレビtvNで放映中のドラマ「応答せよ 1988(응답하라 1988)」は未見だが、若い二人がイ・ソンヒのコンサートを見に行く場面がある。このシリーズは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のような、庶民の青春懐古ドラマだろうか。

ブログや新聞記事に、イ・ソンヒのコンサート観覧に訪れるまでの場面として、そのチケットやコンサート会場前の写真が掲載されている。(「CLARA♪LA・LA・LA~♪」、「韓国経済」紙に感謝)

▼ まずチケットについて、チケット拡大写真から、「ライブコンサート '89」、「'89 1月28日 午後7:00」、「オリンピック体操競技場」が分かる。チケットのイ・ソンヒ写真は、彼女が1985年リリースした第1集アルバムのレコード・ジャケット写真に似ている。

▼ また会場について、ロケ写真から、蚕室近くのオリンピック公園で最大規模の「オリンピック体操競技場 Olympic Gymnastic Hall」の入り口が見える。ちなみに、1988年、ソウル・オリンピックが開催された。

イ・ソンヒが1989年に実際に公演したものを、彼女の公式ホームページで参照すると次の通りである。
・1989年04月16日 : 「イ・ソンヒ & チャン・ククヨン(レスリー・チャン) ジョイント・コンサート」(蚕室体操競技場
・1989年12月03日 : 「学生家長助け合い イ・ソンヒ コンサート」(88体育館)

イ・ソンヒとレスリー・チャンとの関係について話題はあるが、これは別にして、蚕室にある「オリンピック体操競技場」での公演は、1989年4月16日だけということになる。

以上から、① ドラマで使われたチケットの日付やイ・ソンヒの写真、② ドラマの公演会場となる舞台写真から、チケットは、実際に使用された物の複製というより、ドラマの小道具として新たに作られたのではないだろうか?

(余談)
ところで、売れっ子になったイ・ソンヒは、2002年に、自身の(歌手はもっぱら公演を主体にしていたので)専用劇場を入手する。後に、愛弟子となるイ・スンギをそこで見出すことになる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと小劇場とフックエンターテインメント”、”イ・ソンヒとイ・スンギの関係”)

2015年12月19日土曜日

イ・ソンヒは何色?

ファンは、極端な場合、ファン対象を自分と同一化することもあれば、神話化してあがめることもある。いずれのファンにもありそうなことだが。そんなファンが集まるといっそう象徴化が進む。例えば、ファングループの名前に始まり、応援カラー(色彩)にまで及ぶ。イ・ソンヒの場合、子どものころからニンジンが大好物だったこともあり、あるファンクラブではそれに目をつけて、ニンジンを共通の記号としたようだ。(現在もそうなのか知らない)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」”)

ニューシスの記事「歌手中の歌手 イ・ソンヒ 『ありがとうございます』、ショーケースの現場」(2014年3月25日)によれば、イ・ソンヒが舞台に登場したとき、彼女のあるファンクラブの大部分が、「橙(だいだい)色の服を合わせ着て、"ニンジン"を形象化した<橙(だいだい)色>の夜光棒(ペンライト)を持って舞い上がった」という。

(本ブログ関連:”ショーケース”)

ファンには個々にファン対象があるから、自然なかたち棲み分けされる、はず。ところが、あるイ・ソンヒのファングループが選んだ上記の<橙色>について、ネットでちょっとした話題になったようだ。この<橙色>が、別の歌手グループの応援カラー(ペンライトなど)とバッティングするからだ。

まあ、そんな話しがあったという。

わたしにしたら、ニンジン色の<橙色>もいいし、イ・ソンヒが中学時代につけられたあだ名の「サニー」から<空色>もいいのではと思っている。彼女の日本語の歌「見せたいけしき」から何となくそんな気がする。

(本ブログ関連:”見せたいけしき”)、

2015年12月18日金曜日

(雑談) 人についてひとこと

以前、あるテレビ番組で、人類学者、霊長類学者である山極寿一京都大学総長が、<人と動物を分けるもの>として、次のように語られていた覚えがある。人類は、家族を持ち、一緒に「食べ物を別け合い、向かいあって食べる」という。ひとが人となるというのは、自身の生物的進化と合わせて、食べ物を別け合う家族の階層を持ったからのようだ。

個人がいて、男女(雌雄)の関係があって、家族がいて、共同体ができる。これら階層を、ひとりの人間の中で同時に合わせ持つのが人なのだろう。いずれかの階層が巨大化して膨らめば、他の階層を圧倒し、押しつぶすことになる。ひとりの人間の中で、すべての階層をいい按配に保つのが知恵というものだろう。(ひとりの人間は、これら階層をいやでも持たざる得ないのだから)

もう一つ大事なことがある。例えば、最近つくづく実感することだが、古書店の書棚で、古人の言葉と対面できること。あるいは、普段、気にもとめずにいた、町内の伝統の祭りに出かけてみれば気付くこと。郷土に受け継がれた時間と命の存在だ。だから、時間がこれから先にもずっとつづくことを知ってしまう。(ひとりの存在は、時間の変化の中でいやでも他の人と関わりを持たざる得ないのだから)

存在の階層それ自体であれ、水平であれ、垂直であれ語るために、人は言葉を持っている。果たしてそれが幸せなことだったのか分からない。階層に関係なく同じ言葉を使ってしまうのだから。共感を求めようとして、自身の存在を忘れ、言葉に溺れ、配慮をなくすことのないように、老境に入ればこそ自覚したいものだ。

2015年12月17日木曜日

(資料)2015年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ 7位

韓国ギャラップ(Korea Gallup)は恒例の、この一年を省みて最も輝かせたエンターテイナーを各分野別にランク発表している。本日(12/17)、歌手分野について、「2015年の今年を輝かせた歌手と歌謡(曲)- 最近9年間の推移を含む」を同社サイトに掲載した。

(本ブログ関連:”2014年”、”2013年”、”2012年”、”2011年”、”2010年”、”2009年”)

イ・ソンヒは、昨年(2014年)の歌手別で5位(曲別では3位、「その中であなたに出会って」)につづいて、今年(2015年)は10位圏の7位を獲得した。代表曲として、「幸せの国へ」、「その中であなたに出会って」が挙げられた。

今年の7月、9月、11月の3回に渡って、済州を除いた、満13~59歳の男女4,200人を対象に、「今年一年、活動した歌手の中で最も好きな歌手」を三人まで自由回答する、面接調査員インタビューを実施した結果が次の通りである。(%:支持率)
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1位:BIGBANG(15.5%)、
2位:IU(15.4%)、
3位:少女時代(11.9%)、
4位:チャン・ユンジョン(8.9%)、
5位:SISTAR(6.9%)、
6位:イム・チャンジョン(6.6%)、
7位:イ・ソンヒ(5.7%)、EXO(5.7%)、
9位:AOA(5.0%)、
10位:イ・スンチョル(4.9%)
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なお、世代別に見たイ・ソンヒの支持率は、40代:5位(9.7%)、50代:4位(9.5%)である。イ・ソンヒは、今月21日(陰暦11月11日)で満51歳になる。デビュー当時(満19歳)からのファン層(中高女学生を中心)と時代を共にしてきたが、今回、総合でも7位という支持層の厚さを示したことになる。

この調査で、イ・ソンヒの(今年の)代表曲に選ばれた「幸せの国へ」は、本年の国家記念行事で合唱団と共に歌われたものだ。イ・ソンヒは、以前の曲「美しい江山」を換骨奪胎して彼女の代表曲にしたように、この曲も今後大きな変身を遂げるかもしれない。それは、未発表のまま風前の灯であった「Jへ」に命を与え、デビュー曲として大成功をおさめたように、再生の力を予感させる。

2015年12月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 關山戎馬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代中期の文人、申光洙신광수、1712年~1775年)の詩「關山戎馬(관산융마)」を元にした3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”關山戎馬”)

始めに、申光洙の詩「關山戎馬」とその背景について次のように紹介された。
・漢詩にリズムをつけた「詩唱(시창)」に、晩秋の趣を歌う「關山戎馬」がある。朝鮮時代の文人申光洙の詩を歌ったものだ。「秋江寂寞魚龍冷(秋の川はわびしく、魚は冷たい)」に始まり、西風を受けて楼閣に立つ人、梅の花、笛の音色などが登場する。中国の詩人杜甫に「登岳陽樓」の詩がある。楼閣「岳陽楼」に登り、広く美しい洞庭湖を眺めながら、戦の絶えぬ故郷を憂い歌った。申光洙は、この詩をモチーブに、岳陽楼に登り、關山の戦を心配する「登岳陽樓嘆關山戎馬」を詩作した。

登岳陽楼 (杜甫)
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昔聞洞庭
今上岳陽楼
呉楚東南坼
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬関山北
憑軒涕泗流

▼ <清い音色が晩秋を思わせる>竹笛短簫(단소)の伴奏で、詩唱「關山戎馬」の歌を聴く。語尾を延ばす詩吟のよう。

次に、關山戎馬にまつわる、申光洙と平壌の妓生牧丹(모란)との逸話について次のように紹介された。
・關山戎馬は、申光洙が35歳の頃、科挙の一次試験で2位に入った作品で、すぐに歌として歌われ、広く知られた。当時の学者ソンビは、生前に作品が親しまれた人として、中国の白居易と朝鮮の申光洙を挙げた。申光洙の詩は、特に平壌の妓生によく歌われたのを聞いて感想を残している。平壌に留まったとき、妓生の牧丹と共に東屋に訪ねたり舟遊びを楽しんだ。牧丹が彼の詩「關山戎馬」を歌うと、その声に空の雲も止まってしまったという。この歌はしばらく歌われなかったが、最近、新民謡で歌われる。

▼ 新民謡「關山戎馬」を聴く。新民謡といっても、それほどくだけたわけでない。むしろスッキリしているくらい。

最後に、新民謡について次のように説明された。
・新民謡に、昔の民謡のメロディーそのままではなく、柔らかく美しいメロディーに、伝統的な楽器全てを含めて、声楽法も変えた朝鮮北部のものがある。この關山戎馬も同じで、詩唱のリズムに似ても、孤独感や哀切感はなく少し明るい。

▼ <關山戎馬を恋の物語に解釈した、秋の江を意味する>「秋江추강이)」の歌を聴く。イ・サンウンを思い出した。

・「秋江」は、愛する人と別れた後の心境を歌っている。戦時に、關山戎馬を聞いた人々が涙を流したという。これを、「秋江」は、恋のストーリーに解釈して歌っている。

2015年12月15日火曜日

インスタグラムって何?

スマホを持っていない。先日、<ガラ携S>から<ガラ携A>へ換えたばかりで、スマホにチャレンジしようという気すらなかった。だから、スマホ・アプリの話しが出ると皆目見当つかないのだ。

今晩もそうだった。教室で、「インスタグラム」について話題になり、その関心や知識について聞かれたが、幸いにも私の席まで質問が回ってこなかった。インスタグラムは、写真共有のスマホアプリだそうだが、スマホがないためかインスタグラムに興味がない。もちろん、PCでも利用できるそうだが。

PC環境で、Twitterを登録したことがあるが、その後使ったり見たこともない。食わず嫌いといっているうちに、置いてけぼりされたようだ。歳をとると、新しいことが億劫になる。必要性を感じない。新規な仕組みやシステムの前で、それを話題にすることもないのだから。

スマホもない、LINEも知らない。歳をとると、ひとの絡むことが煩わしくなる。SNSの世界は、人間関係を求めたい若者によいかもしれない。おじさんは、コミュニケーションそのものが面倒になっているのかもしれない。

インスタグラムって、何がべんりなのだろうか、相変わらず分からない。今度、教えてもらおう。

2015年12月14日月曜日

ママがサンタにキスをした

街を歩いているとき、若い親が小さな子どもを連れて歩く姿をほほえましく思う。うれしそうに、子どもがスキップするのはいつまでだろうか。親の先を歩いては振り返って走り戻ってくるのはいつまでだろうか。わが子のときどうだったか、きちんと覚えていない。今になってとても残念だ。

子どもはいつも視線を感じている。そして、その奥に慈愛を探している。自分が存在する理由を、自信を見つけるために必要なことだ。成長すれば世界がもっと見えてくる。クリスマスの晩に「ママがサンタにキスをした」のを見て、サンタがだれだか薄々分かってくるのはいいことだ。クリスマスを家族の中で楽しむ意味を理解できるのだから。最初は、パパとサンタが別々に見えるかもしれないけれど、いつかきっと知るだろう。子どもはその秘密をやさしく内緒にする。

13歳の少年ジミー・ボイド(Jimmy Boyd)が最初に歌った、「ママがサンタにキスをしたI Saw Mommy Kissing Santa Claus)」(1952年、作詞・作曲トミー・コーナー(英国))は、その年末大ヒットしたそうだ。Youtube映像に、当時の少年の姿がある。なんだか、Jack&Bettyの世界に登場するような少年で、古きよきアメリカを思い起こさせる。あるいは、もっと以前(1920、30年代)のフィルム作品だが、テレビで放送された「ちびっこギャング(Our Gang)」にまで遡ってしまいそうな雰囲気がする。

もしかしたら、この年頃の子どもにうってつけの歌かもしれない。

(Youtubeに登録のlovedesignに感謝)

2015年12月13日日曜日

お、驚くじゃないですか

スポーツ朝鮮の写真記事、「【フォト】 イ・ソンヒ、『体つきそのままに露にした密着ドレス~』」(12/10)という見出しが目に飛び込んできた。えぇっ!と見直して写真をみると、そこには肩肌を見せながら両手を頭上にマイクを掲げた女性の姿があった。顔を眺めれば、歌手のイ・ソンヒではないのはすぐにわかるのだが・・・お、驚くじゃないですか。

写真のイ・ソンヒは、声優の方だそうで、「KBSラジオ演技大賞(声優演技大賞)」授賞式のものという。同紙の別写真タイトルに、「セクシーな熱唱」というのもある。

歌手イ・ソンヒの昔のYoutube映像には、赤いドレスや、白いドレスで歌うものがある。それと思い比べれば、スポーツ朝鮮の写真と違うのは私でも分かる。写真の女性は、だいぶ色っぽいのだ。でも、歌手イ・ソンヒがこれまで受け入れられ、支持が続いて来たのは、むしろ普通の女性っぽさにあったのかもしれない。

ところで、イ・ソンヒの名(=発音)は漢字にすると色々あり、男性では野球関係者がいたりする。女性では、軍人、テレビ作家、ファッション、国楽など様々な分野で活躍する同姓同名の方がいる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒという名前”、”李仙姫の名前から”)

2015年12月12日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

中島みゆきの作品に「元気ですか」がある。モノローグで通す曲だ。後追いする惨めさをこれほど感じさせるものがあるだろうか。言葉は、かさねるほどその重みに耐えられないことに気付かせる。

イ・ソンヒにも、やはり独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、5集に収録されている。こちらは、もしかしたら若気の強がりかもしれないが、言葉のジレンマから結局は逃れそうもない。

この「水仙」を収めた4集・5集アルバムリマスター版(「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」)を解説する記事(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次のような紹介がある。社会性を強めたといわれる5集のなかでは、独特な位置づけとなってる。
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ナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」・・・、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。
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試聴: 「水仙」  ← このリンク先で聞くことができる)


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふ

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(は~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ



(追記) 「忘年会」

久し振りに、昔の仲間との忘年会に参加した。私なりに1年間の成果があってこその忘年会だが、果たして振り返ってどれほどだったのか自問する。とは前置きで、毎度ながら美味しい食事と楽しい会話でたっぷり時間を過ごすことができた。皆さんに、刺激とエネルギーを注入された思いする。
今回も、幹事さんに感謝。プルコギ、美味かったです。

2015年12月11日金曜日

なんと最高気温、24.6℃

昨晩、PCデスクのそばに置いたガスストーブの火がシュルルと消えてしまった。慌てて再点火するが反応がない。台所のガスコンロを見ると、弱火の位置のまま火がなかったのだ・・・そのためだろう、屋外のガスメーター器が自動停止して、ガスを遮断したようだ。(危険を回避してくれた装置の賢さに感心する)

それも深夜のこと、回復させるために外へ出るのも面倒なので、うっちゃってしまう。今朝になれば土砂降り。傘をさしながら、ガスメーター器をリセットした。寒いときの赤い炎、あらためてありがたい。

午前に雨音が止むと、気温が上がった。何と、今日の最高気温(近隣街観測)は、24.6℃(昨日より13.0℃も高い)、9月下旬並みという。どうりで、いつもの防寒着を軽めのものにチェンジして外出したが、衣服のなかにこもった温もりがまとわり締め付けるようだった。体温の調節ができない。

帰宅すれば、夜風が吹き、通り雨する。一体、今日の天気は何だったのだろう。再びストーブをつけながら嘆息している。


(追記) 油井亀美也宇宙飛行士、無事帰還

昨夜、航空自衛隊のパイロット出身の油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション(ISS)から無事帰還したと、読売新聞の記事、「油井亀美也さん、無事帰還…『重力感じますよ』」(12/12)は次のように伝えている。(抜粋)
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【ジェスカズガン近郊(カザフスタン)=冬木晶】 国際宇宙ステーション(ISS)に今年7月から(141日16時間)滞在していた油井亀美也宇宙飛行士(45)が、日本時間の11日午後10時12分頃(現地時間午後7時12分頃)、ロシアの宇宙船ソユーズで地球に帰還した。
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油井宇宙飛行士により、8/24に「宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機『こうのとり5』は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームで」把持・結合された。

(本ブログ関連:”油井亀美也”)

2015年12月10日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ホワイトペーパー記事、「【ウォークマン ◀ プレイ】 イ・ソンヒなしに 8090を論ずるな! 『思い出のページをめくれば』」(12/7、パク・ジンヒ記者)は、イ・ソンヒの6集に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)が、懐古ドラマ(「応答せよ1988」)の舞台や他歌手(リナ・パークなど)にカバーされたことを通して、時代を戻りながら次のように触れている。(抜粋)

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

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16枚の正規アルバムと18枚の非正規アルバム。各種編集アルバム参加のみ69回。デビュー30年目の歌手イ・ソンヒの数字だ。1980~1990年代の大衆文化でイ・ソンヒを抜きにして指標はないほどだ。

「思い出のページをめくれば」は、1990年8月に発売したイ・ソンヒ6集タイトル曲である。イ・ソンヒのヒット曲「懐かしい国(그리운 나라)」も同アルバムの収録曲である。当代最高の作曲家ソン・シヒョンが作詞・作曲にすべて参加した。イ・ソンヒはこの曲でロック唱法を完全に除いた。歌唱力が要求される(この)曲だが、後輩たちの(歌いこなそうとする)挑戦も絶え間なく続いた。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Youtubeに登録のJTBC Entertainmentに感謝)

2015年12月9日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 百済歴史遺産

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、古代三国時代のひとつ、<百済時代>の遺跡地区が世界遺産に登録されたことに関連した3曲を紹介した。

始めに、百済(紀元前18年(神話)~660年、백제)の概要について次のように紹介された。
・百済の領土は、漢江流域から中部の忠清道と南部の全羅道を含み、日本とも緊密な関係を持った。滅亡後は統一新羅時代となる過程で、その歴史の多くがベールに包まれたが、僅かな遺跡と遺物、記録や物語りが継承され、美しい文化を有していたことが分かる。百済滅亡後、国を失った遺民の悲しみはいかばかりか。国楽に、彼らの悲しみの歌ある。

▼ 忠清南道にあった夫餘の田植え歌「山有花歌(산유화가)」を聴く。呼応して歌い合う農事の民謡は気持ちが良い。

次に、遺民と(高麗時代に記載の)新羅の「卿歌(郷歌향가)」にある「薯童謡(서동요)」について次のように紹介された。
・新羅と中国の唐との連合軍に敗れた百済は、多くの遺民ができ、王族や一般民が唐に連れられたりした。人々は川の入り口、南堂山に登り見送ったその日が8月17日だ。人々は8月16日にこの山に登り、去った人々のため祭祀を捧げ、唐からの知らせはないかと集まった。以来、この日は遠くに住む親戚が集まる日に変わる。また「卿歌」にある、百済に関する歌「薯童謡」は、百済の武王が王位につく前の若いころ、新羅の善花姫との結婚のため作った歌という。リズムは消え、歌詞だけが伝わる。

▼ 脚色した歌「綿のような善花姫(햇솜 같은 선화공주)」を聴く。お月様、お星様、キラキラ響くよ、今様の可愛い童謡。

最後に、「三国遺事」(1270年代後半~1280年代に記述)の薯童(後の武王)と善花姫の話について次のように紹介された。
・「三国遺事」に、百済の薯童は貧しい田舎の出身で、善花姫が美しいと噂を聞き、あてもなく新羅に向かう。そして、善花姫が夜中に薯童と会いに出かけるという歌を子どもたちに歌わせた。歌は一気に慶州に広まり、姫は王宮から追い出され、薯童と姫は結婚(姫は後に王妃になる)するという話しだ。
全羅北道の益山の「彌勒寺」に、韓国で一番で古く大規模な国宝の彌勒寺址石塔がある。武王と善花姫が建てた寺との伝説もあるが、最近の発掘調査では、百済の貴族の娘とも言われる。そうならば、善花姫は誰だったのだろうか、いつかその真実が明らかになる日も来るだろう。

▼ 月の歌「月よ(달하)」を聴く。昔を思い浮かべるような響きする、今様である。


(追記)  「アリラン・ファンタジー」

今晩、新宿の初台にある「オペラシティー・コンサートホール」で、日韓国交正常化50周年記念(主催韓国(外交部)大使館、後援日本外務省)の「アリラン・ファンタジー」公演の鑑賞に出かけた。韓国「国立国楽管弦楽団(국립국악관현악단)」がメインの演奏を行ない、他に日本の琴(木村玲子演奏が凄い)、テグム大笒대금)、ピアノなどとのコンチェルトがあった。

国楽に興味を持って以来、気になっていたのが韓国国立国楽管弦楽団だ。一体どのような演奏を中心にしているのだろうか。宮廷音楽のような正楽風の演奏なのか、あるいは伝統楽器を洋楽のオーケストラ・パートに配置する洋楽風の演奏なのかということだった。結果は、後者すなわち、伝統楽器を使って国楽の伝統曲・新曲を洋楽風に演奏するようだ。
今の時代、韓国国楽へ関心を向ける使命のためにも、聴きやすく馴染みやすい最適な演奏スタイルかもしれない。その意味で、洋楽主体の生活をしている都会人には、ゆっくり耳を傾ける良い機会になった。

今までに聴いたことのない楽しい曲があった。京畿地域の巫俗音楽をテーマにした「シンネリム(神憑りの儀式、신내림)」だ。実に軽快で引き込まれる。次のYoutube曲で同様な経験ができる。五線譜で演奏しているのが分かる。(なお演奏は「江原道立芸術団」とのこと)


(Youtubeに登録の권용석に感謝)

2015年12月8日火曜日

年賀状デザイン

街はすっかりクリスマスの装い。マスコミはその先をいそいで、来年の年賀状モードに入っている。追いつくのに大変。

あるテレビ番組(局名などもすっかり忘れた)で年賀状について話題にしていた。申年(さるどし)にちなんで、次のような話が紹介された。
十二支は時刻や方角を指し、後から覚えやすいように動物(猿)をあてはめた。
② (諸説あるが番組では)申年は、<神(しん)>の文字のつくり<(しん)>につながる。
③ 申は雷に通じ、象徴として(ラーメンのドンブリの模様に見る)「雷紋」がある。
そのほか、大正、昭和初期のものだろうか、ノスタルジックな年賀状デザインも紹介していた。

そんなわけで、そろそろ年賀状を準備せねばならない。

ネットで<猿>を検索したところ、江戸時代の画家、伊藤若沖(いとう じゃくちゅう、 1716年3月1日~1800年10月27日)の猿図が見つかった。実際は、親と子が手とつないでいる様を描いた縦長のものだが、左図のように、親の部分だけトリミングしたものを、チャッカリ使わせていただくことにしようかと思う。

以前、(練馬区立美術館だったような気がするが?)伊藤若沖の作品展を見に行ったことがある。奇想な感じするばかりだった。

ロック(バンド)にバラードがあるように、こんな心休めさせる作品もある。

2015年12月7日月曜日

大雪2015

二十四節気の「大雪(たいせつ)」、先日の「小雪(しょうせつ)」からの今日で、雪が本格的に降るころとなる。とはいえ新暦なので、おまけに暖冬だしで実感がわかない。近頃経験の雪景色は、鉱物採集に行ったとき見た遠景しかない。陰暦12月7日は、新暦でいえば年明けの1月16日となり大分先のこと。その時期なら納得できそうだ。

(本ブログ関連:”大雪”)

「小雪(しょうせつ)」を「こゆき」と呼んでしまうと記したことがあるけれど、「大雪(たいせつ)」は何としよう。やっぱり、「おおゆき」だろうか、浮かんでくるイメージに可憐さはない。「大」は「小」がたくさん重なるわけではないようだ。

ところで、Youtubeにイ・ソンヒのカバーによる「雪が降る(눈이 내리네)」があって、最新の登録(2015/12/03公開)のようだ。音質がとても素晴らしい。

(Youtubeに登録の이예재に感謝)

2015年12月6日日曜日

新大久保、新宿の街巡り

曇り空の昼過ぎ、久し振りに都内を巡る。行き先は電車内で何となく決めた、山手線上の街、新大久保と新宿だ。どんよりした景観に気が重くて、さらにの遠出は躊躇する、ほどほどの距離である。

新大久保の駅前は相変わらずの混雑振り。メディアがいうほどもないと思いながら、<大久保通り>を進む。次第に客足の鈍さが気になり始めた。日曜日にしては、最盛期の半分、いや三分の一といったところだろうか。想像以上に変化が進んでいるようだ。冬の厳しさを感じた。

コリア・プラザのCD、書籍売り場を廻る。CD棚に、イ・ソンヒの2集リマスタリング・アルバム、最新の15集アルバム、30周年記念コンサート・ライブのCDが並んでいた。売り切りを急いでいるように見えて気になった。これ以上、新大久保にとどまることもなくて新宿に移動する。

紀伊国屋書店で、中島みゆきの歌詞集である、「中島みゆき全歌集 1975-1986」、「中島みゆき全歌集 2001-2014」(ともに朝日新聞出版)を求める。彼女の歌詞集は、以前購入の「中島みゆき最新歌詞集 1987-2003」と「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」*(ともに朝日新聞出版)が手元にある。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)

ちなみに、今回手にした「中島みゆき全歌集 1975-1986」は、以前購入の「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」の新装版である。両巻末に詩人の谷川俊太郎の同じあとがき「大好きな『私』」があって、歌われる歌詞を文字で読むことについて、「歌の魅力がときにことば以上に、そのメロディやリズムや歌い手の声によっていることは誰もが知っている」ことを承知して、歌詞と詩を対比するかたちで次のような記述している。(下線は今回付記した)
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歌はことばの隠している意味と感情を増幅する。あるいは誇張すると言っていいかもしれない。だがそうすることで、歌は私たちがふだんとらえ損なっていることばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる。メロディとリズムに支えられたひとりの生身の歌い手の声がそれを可能にするのだ。だから活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎないと言えるかもしれない。しかしまた音楽と声の助けなしにことばを読むことで、私たちは歌の肉体だけでなく、骨格とでもいうべきものを知ることができる。特にそのことばが、歌い手自身によって書かれている場合には、ひとりの歌い手の心の中にわけいることさえできるのだ。ことば音楽はひとつののうちで、決して分解できぬものとして存在しているのだが、書物は音楽にあふれたスタジオやコンサートホールとはまた違った静けさのうちでしか聞くこのできない隠された声、それをと呼んでもいいのではないだろうか。
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2015年12月5日土曜日

イ・ソンヒのアルバム12集 「この歌をかりて」

イ・ソンヒのアルバム12集は、ソウルの中古レコード店でCDを見つけることができなかった。日本国内で一度購入のチャンスがあったのを見逃してしまい後悔している。韓国のネットでは探し出せるが、購入手続きが面倒そうなので、いつか好機を待つ他になしとしている。

ところで、放送PDから(本格)制作者への道を進むキム・ソンフンという方のTwitter(‏@omstv101)に、この12集について次のような紹介がある(感謝)。日本ではなかなか見つからなかった理由があるようだ。
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歌手イ・ソンヒの12集アルバムは、2001年に発売されるやいなや配給会社の問題で販売が中止された。12集アルバムの中で、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」の曲は、イ・ソンヒの歌手人生最高の音楽として挙げられる。しかし、中古CDどころか、音源サイトでも聞くことがない。そうした・・・
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上記のTwitterの中で語られている通り、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」は本当に美しい曲で、ドラマチックな響きがして、すぐ感応してしまう。

(本ブログ関連:”この歌をかりて”)

参考)  投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”で、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介されている。感謝。


分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを

幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと

この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

私は祈って、またこの世に来るなら
その時は このようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2015年12月4日金曜日

(資料)「歌謡番組が危ない?」

韓国歌謡界といえば、オーディション、メディアの変化、ランキングシステムといった状況のもと、グループ・アイドル歌手の生産と消費、それに対極する歌手の居場所といったものが話題にあがる。それに伴い将来の「歌謡番組が危ない?」といった歌謡番組存立そのものの話しまで出ている。

KBS WORLD RADIO(日本語放送)の番組「アジュンマの井戸端会議」の第376話「歌謡番組が危ない?」(11/19)は、随分ショッキングなタイトルだが、歌謡番組の出演システムや番組の存在について次のように伝えている。(抜粋表示)

(本ブログ関連:”アイドル”)

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・地上波やケーブルテレビ各局の歌謡番組の放送は、楽曲のランキングを発表し、それで出演者が決まる。ランキングの意味が全くなくいずれの番組も廃止するべきという声が上がっている。アイドル中心に反感が強いこと、それに番組の影響力が弱くなっていることが原因。

・ほとんど毎日放送される歌謡番組では、1位になる歌手が毎週のように変わるのが最近の趨勢。ランキング番組の主な視聴者は、ビジュアル重視で、アイドル歌手追っかけの忠誠度の高い10代だ。番組のランキングは、CD売り上げ、聴取回数、ミュージックビデオ再生回数などが評価対象となる。また視聴者の事前投票もかなりを占め、忠誠度の高いファンを持つアイドルに有利なシステムである。出演時間は3分前後だが、数回のリハーサルに半日は放送局で過ごさねばならない。

最近まで音源チャートの上位ランクインしていた歌手たちは、最新曲で歌謡番組にほとんど出演しない。新曲で活動再開をアピールし、カムバック披露するのが、アイドルたちを除いて意味合いもなくなっている。

歌謡番組のランキングは何の意味もないと切り捨てる歌謡関係者もいる。特定事務所の所属歌手により多くの時間を割き、忠誠度の高いファンを多く持つアイドルグループがカムバックと同時に1位になるような、構造的な問題を抱えている。

・マルチメディアの時代の到来で、放送局の歌謡番組に出演しなくとも、自身の楽曲を宣伝することができる機会が増えたのも、歌謡番組が軽視されるようになった理由の一つだろう。これからは新人も含めて歌謡番組には出演しない歌手がますます増えるのではないかと、業界ではみている。
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2015年12月3日木曜日

イ・ソンヒ「一人になった愛」

イ・ソンヒの登場に驚いた作家たちには力が入っただろう。初集アルバムの作品は今も素晴らしい名曲揃いだ。それらを、力いっぱいに響かせたデビュー時と違い、時間を経るごとに更に豊かな作品になっていく。

イ・ソンヒの1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年、作詞キム・キルソプ、作曲ソン・ジュホ)を、1990年10月に訪れたモントリオール室内楽団と協演している、次の映像を見て、いっそう洗練されていることが分かる。(それでも若々しい)この機会にソウルの世宗文化会館に立つことができた。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)

協演当時、音楽界での自身の立場について複雑な思いがあったようだ。彼女の自伝というべき思い出語りに、次のような記憶がある。
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昨年の秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国のクラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。
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風が雨を巻きあげて  さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ  さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって  孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが  切なくて

散らばる葉を集め  火をつけて
去った愛を探して  さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば  それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年12月2日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 別れの歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<別れの歌>に関連した3曲を紹介した。

始めに、昔は特定の木を植えて道程(距離)を示したこと、東屋(あずまや)を置いたことについて次のように紹介された。
・昔の道は、目的地までの距離を示すのに木を植えて表した。10里の地点にハリゲヤキ、5里の地点にハンノキを植えた。5里を「オリ(오리)」と発音し、ハンノキを「オリナム(오리나무.=五里木)」と言うのは、これにちなんだと言われる。ちなみに、日本の1≒4Kmは、朝鮮の10≒4Kmとなり、単位は同じ「里」だが距離に違いがある。また、ハンノキは高く、遠くから見える。村々に東屋を5里ごとに建てたことから、5里(오리)の発音を付して「五里亭(오리정)」とも呼ぶ。人を迎え、別れる場所でもあった。例えば、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)が別れたところが五里亭だ。

▼ 「春香歌」から、「五里亭の別れ(오리정 이별대목)」の場面を聴く。どことなく物静かだが、千遍思案を重ねてのこと。

次に、「春香歌」で春香と李夢龍の五里亭での別れと、その心情について次のように紹介された。
・李夢龍は地方官の息子で、地方官の家族が都に去る日、妓生の娘春香が五里亭まで追った。当時にすれば無茶と思えるが、それだけ切ない別れだったのだろう。京畿地域の歌い手が、この場面を歌で構成した、十二の雑歌の中に「出引歌」がある。日常の惣菜の青唐辛子、作りたてのキムチを、また昔も今も高級なタコ、アワビなどの食材を用意して五里亭に向かうところから始まる。別れを前に馳走を味わう余裕はないものの、心を込めて準備したのだろう。

▼ 京畿地域の雑歌から「出引歌(출인가)」を聴く。いつまでも明るく生きることを願う、恋すればの歌だろうか。

最後に、別れの後に恋人たちが安否を気遣い託した「青い鳥(청조)」の伝説について次のように紹介された。
・別れは悲しい。旅立たねばならぬ者がいて、その後に、いつまでも待つ者がいる。手紙のやり取りもままならぬ当時、人々は飛び交う鳥を見て心を慰めた。昔、朝からカササギがさえずると喜ばしいことがあると信じられた。中国では青い鳥がその役割をした。青い鳥に、恋人の安否を問う歌がある。女性歌曲(가곡)で、伝統的音階の「ウジョ(우조)」に、「チュンゴ(중거)」という歌曲がある。

▼ 鳥に歌いかける歌「青い鳥よ(청조야)」を聴く。柔らかい詩吟のよう。安否と安堵が重なる。

・最後に、キム・ボエさんの言葉「別れがあるからこそ、また再会の喜びもあるのだと思います。」

2015年12月1日火曜日

師走2015

今日から12月、旧暦名であるが「師走」となった。やっと冬らしい寒さが来た。外出に、思わず厚手のジャンパーと手袋を用意したくらいだ。夜の帰り道、冬着してよかったとつくづく思った。それほど頬をさすように冷えた。

(本ブログ関連:”師走”)

今年も残り1ヶ月しかなくて、部屋の「月別カレンダー」は一枚だけになってゆらゆら揺れている。「日めくりカレンダー」も薄くなり落ち着かないようだ。町中、クリスマスムード作りして、駅前や公園の木立をLED照明で飾っている。(こんな寒い夜中に、子どもたちが見に来るのだろうか)

1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に12等分すると、既に11/12食ってしまったことになる。1/12は一片というより、一枚といったほうがよいかもしれない。まるで一年がスライスされ、ポテトチップのようになっている。

師走の名と違い、生活はあわただしくない。歳のせいだろうか。カウチポテト族のように、この31日間を無為に過ごすことになりそうだ。それでも時間は過ぎていく、過ぎて行ってくれる。