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2015年6月30日火曜日

(雑談) ガラケーからガラケーへ

今年も今日で半分終える。あっという間のことだった。そして、この調子で残り後半もいくだろう。

時間に取り残されたように何をせずとも、日めくりカレンダーは薄くなる。

ガラパゴス島のゾウガメ、ロンサ・ムジョージもすでに息絶えた。生あるものには限りがある。

ガラケー(ガラパゴスケータイ)もそうだろうが、その系統樹は大事にしたい。

昨日、通信会社を乗り換えた。でも、ガラケーの火を絶やすことはない。

わたしには、スマホは酸っぱ過ぎるのだ。コン!

2015年6月29日月曜日

イ・ソンヒの歌をYoutubeでカラオケしよう

韓国の代表的カラオケ機器企業、KY(クムヨン・金泳)カラオケ(금영노래방、KY【Kumyoung】)が、Youtubeに各種カラオケ曲を提供している。もちろん、イ・ソンヒの歌も、ほ・ほ・ほ~(サンタクロースのように言おう)というほど沢山!網羅していて、視聴+歌うことができる。

ちょっとアレンジが入っている曲もあるが、それよりカラフルな幾何模様の映像(昔風にいえばサイケデリック)に目がまわりそう、それもご愛嬌。部屋にこもって、一人カラオケすると、あれれ、もっと上手く歌えたはずなのに・・・(イ・ソンヒの、あの情感がこれっぽっちもない)と反省する。

思い出のページをめくれば

ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

2015年6月28日日曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

以前、教室でカラオケが話題になり、イ・ソンヒの「Jへ」を歌うと言った(言ってしまった)。まっ、それも勢いでのことだが。(もちろん、カラオケでの評価を別にして、「冬哀傷」も「五月の陽射し」も歌っている)

歌を楽しむのに、カラオケで歌うのもよいが、聴いてこそ、その美しさにひたれるものがある。イ・ソンヒの「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)は、まさに聴くための曲かもしれない。

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”)

幸いYoutubeで、彼女が若い頃にどう歌っていたかを(観客の女学生の嬌声を含めて)古い映像で知ることができる。そして、人生を重ねることで、それがどう変遷したかも知ることができる。2004年の20周年コンサート、2014年の30周年コンサートと経て、その美しさは深く厚みを増しているのに気付く。観客も自身の人生をもう一度読み返しながら耳を傾けたことだろう。


「愛が散るこの場所」

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のO TWOに感謝)

2015年6月27日土曜日

狐と玉

先日、「狐石」について触れたが、民間伝承的な名称でのようで、信仰と直接的な関わりはないようだ。地名についても、ネット上の情報だけで、所在地以上のことは不明。

では、狐と玉について進んでみたい。とはいえ、ほんの入り口に過ぎないが。

(以前、「那須野の殺生石」で触れた、宮中を騒がせて捕えられた狐の「猶額にありたる白玉」とは別のものとして)

稲荷神社の狐には、宝玉を口にくわえるものがある。「如意宝珠」のようだが、本来、菩薩や観音が持つものを、なぜ狐がくわえるようになったのか。

ところで、「韓国民族文化大百科事典」にある「狐玉説話(여우구슬설화)」では、神異譚として、狐の持つ如意宝珠を奪って、天地を見極めた話しがあるようだが、その如意宝珠の由来は触れていない。

稲荷の狐は、農業に関わるといわれているので、ここで夢想して地中の玉と結びつけるのは無理があるだろう。

いかにも霊験あらたかそうな気がする。あるいは、きらりと光らせて威嚇の効果もあるやもしれぬ。

2015年6月26日金曜日

(雑談) USB扇風機

昔、マイコン時代にMZ-700からFMV-deskpower SEへ、本格的にPCと呼ばれるようになってノート型に変わり、NT331から現在に至る。すべて、順調に故障しての更新だった。

最後の故障機は、熱を発生してダウンした。メーカーに送ってみたものの、マザーボードの交換という。修理の見積もりは、新規PC購入と天秤にかけるようなものだった。臨終を宣告されたも同然。

現在使用中のノートPCは、長年使用なので、いずれボディーが熱くなりブルー画面になるだろうと気掛かり。最近の製品は、耐久性が増しているのか、怪しい兆しがないのが幸い。

それでも、ずっとつけっぱなしの酷使で、先行きが心配。先日、隣り街にある電気屋で、USB扇風機を購入。(台所器具を使って少し空けた底部と)熱排気口に向け、空冷している。健気で、大したものだ。

2015年6月25日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 端午の節句

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、今月20日にあたる陰暦5月5日の「端午단오)の節句」に関わる3曲を紹介した。

始めに、「端午の節句」に、パンソリ「春香歌」(춘향가)で、李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いを次のように紹介された。
・官職の息子、李夢龍は、部屋にこもって勉強していたが退屈になり、使いの者を連れて、広寒楼に出かけた。美しい景色の中、遠くにブランコ그네)に乗る女性が目に入る。当時、家の外に出ない女性もこの「端午の節句」は子供の日で、おしゃれしてブランコに乗っても叱られぬ日だ。その女性こそ、パンソリ「春香歌」の主人公春香である。春香を見て、「白と赤の花が見事に咲いている」と言い、雪のように舞う花びらと杏子の花が落ちる中、ブランコの春香を、月のようで、また、太陽のような美しい女性がいると歌う。・・・この瞬間を境に、春香と李夢龍の恋がはじまる。

▼ パンソリ「春香歌」から「春香がブランコに乗る場面(춘향이 그네타는 대목)」を聴く。詩吟や語りのよう様々に歌う。

次に、「端午の節句」の行事、相撲「シルム씨름)」や水辺で遊ぶ曲「ドンドルナリ(돈돌날이)」を次のように紹介された。
・「端午の節句」の陰暦5月5日(今年は6月20日)は、初夏の美しい季節だ。みずみずしい樹木と、太陽の陽射しが気持ち良い。田植えもある程度終わり一息つく。豊作を願う祭祀を済ませ、ご馳走と酒を楽しむ日で、男の子は韓国式相撲「シルム」を楽しみ、女の子はブランコに乗る。また、北方の咸鏡道地域では、女性が海や川で遊ぶ曲「ドンドルナリ」が伝わる。「回る(돌다)」という、ぐるっと回って元に戻る意で、新しい日が巡るの意もある。正月や盆の秋夕(추석)、端午の節句に女たちが集まり歌う。笛など楽器で演奏し、興がわくと、立ち上がりみな踊りはじめる。

▼ ぐるっと回って元の位置に戻るの意の民謡「ドンドルナリ」を聴く。同じフレーズを繰り返す、どこか巫俗(始原)的な気もする。

洞簫퉁소)の笛と太鼓の演奏と歌で演じられた。家族や弱い者にだけ怒鳴る人を「部屋の中の洞簫」という。洞簫演奏はするものの、人前では自信がなく、部屋に鍵をかけて一人で演奏する人を指す。昔、人気のあった楽器で、最近は、咸鏡道地域によく使われる。どこか懐かしい音色が特徴だ。

最後に、「端午の節句」の行事、「江陵端午祭」と祭祀曲「城隍堂参り祭祀(성황당맞이 굿)」を次のように紹介された。
・「端午の節句」の開かれる江原道江陵地域の「江陵端午祭」は、ユネスコ人類無形遺産に登録さた。端午祭は、江陵地域だけでなく、近くの村の住民も共に楽しむ。この日のため、酒を醸す過程から祭祀を捧げるまで、一ヵ月以上かかる。また、北の地方だけでなく、釜山に至るまで、東海岸の漁村で行われた祭祀曲「城隍堂参り祭祀」は、豊漁を願い、その他に豊作や家族の健康など幅広く祈る、村の人々の祭祀でもあった。

▼ 豊漁と豊作を願う祭祀曲「城隍堂参り祭祀」を聴く。いかにも精霊と通じ合う祭祀の響きがする。

2015年6月24日水曜日

イ・ソンヒとイ・スンギ「その中であなたに出会って」デュエット

先週(6/19)、KBS2で放送された「ユ・ヒヨルのスケッチブック」では、イ・スンギの舞台にイ・ソンヒが登場した。彼の「棘(とげ)」(가시)をデュエットするYoutube映像を、本ブログにも載せさせていただいたが、今度は、イ・ソンヒの「その中であなたに出会って」(그 중에 그대를 만나)のデュエット映像を見つけたので、ここに載せさせていただく。

(本ブログ関連:”その中であなたに出会って”)

イ・ソンヒは、いつもと比べて少し抑え気味に、そして静かに聞かせる。イ・スンギは、背景から色付けするように歌い合わせる。師弟の息遣いが見る者に伝わり、引き込まれていく。新しい味する「その中であなたに出会って」を聞くことができる。

(Youtubeに登録のMusic Space cheolinに感謝)

(付記)
イ・ソンヒは減量したのだろうか。今回の映像を見て感じた次第。

2015年6月23日火曜日

申京淑の謝罪

韓国で文学界を飛び越えた話題が、ようやく結着の段階に入ったようだ。朝鮮ドットコムの記事「申京淑 1週間ぶりに謝罪 『盗作の指摘正しいと思う…読者らに謝罪』」(6/23、7:56)は、当事者の釈明を次ように伝えている。

小説家申京淑については、イ・ソンヒと同世代であり、彼女たちに共通の言葉を探してブログに載せてきた。昔、申京淑は、放送作家であり、歌謡曲の作詞も手がけたこともあるという。その経験から、時代に合わせ過ぎたのかもしれない。15年前(にも指摘された)のこととはいえ。

(本ブログ関連:”申京淑”)

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去る16日、盗作論議(論難)に包まれた小説家申京淑(52)が、1週間ぶりに自身の過ちを認めた。 また、問題になった短編「伝説」を本人の作品目録から除外させると明らかにした。

23日、京郷新聞の報道によれば、申(京淑)氏は、「問題になった三島由紀夫の小説『憂国』の文章と、『伝説』の文章を何度も照し合わせて見た結果、盗作(剽窃)という問題提起をするのが正しいという気がした」として、「いくら記憶をかきまわしてみても、『憂国』を読んだ記憶はないけれど、今は私の記憶を信じることができない」と述べた。

引き続き、申氏は、「出版社と相談して、『伝説』を作品集から外(はず)す」といって、「文学賞審査委員をはじめ、全てのものを降ろして自粛する時間を設ける」と述べた。

15年前の去る2000年に、すでに、チョン・ムンスン文学評論家が、「申京淑作家の『伝説』と三島由紀夫の小説『憂国』が似ている」という問題提起をしたけれども、対応しなかった理由については、「2000年にそのような文が載せられたという話は聞いたが、私が読んだりもしない作品(『憂国』)を持ってきて、そんなことがあるかと思ったので読まなかった」といい、「その時読んだら良かっただろう」と遺憾を表示した。

申氏は、小説家イ・ウンジュン(45)が、16日、盗作疑惑を再び提起した時、出版社<創批>に「『憂国』を読んでみたこともない」と話したことについては、「かなり以前に一度体験したことなので、15年前と同じ考えで、知らないことだと答えた」といって、「私に対する批判の文は、耐える自信がないため、たくさん読まなかったし読めない」と説明した。

一方、申氏は、「伝説」の他にも、「母をお願い」、「汽車は7時に出るよ」、「別れのあいさつ(작별인사)」など、彼女の作品全般にあふれる盗作疑惑と関連しては、「創作は、読書の影響から完全に自由なことなくて、いくつかの考えは時代と国境を越えて全く知らない状態でも共通点を持つ」としながら、「私の文章で書いた文だが、評壇や読者らの指摘に対して深く省察してみる」と述べた。

また、「重い鳥の足跡(무거운 새의 발자국)」、「遠く、限りない道の上に(멀리, 끝없는 길 위에)」など1990年代初期に書いた断片の題名が詩の一節で、無断に盗用したという指摘に関連して、「詩から題名を取ってくることは、当時、文壇でたびたびあったことであり、詩人が私の友人であった事情もある」としながら、「もしそれが誤ったことだったら、ひょっとして残念な心を持ったとすれば、私は間違って生きてきたこと」と釈明した。

彼女は続いて、「この問題を提起した文学者をはじめとして、私の周辺のすべての方々、何より私の小説を読んだ多くの読者に心より謝罪申しあげる」と、「すべてがきちんと見られなかった私のせい」と述べた。

しかし、申氏は、「どう考えてみても。臨機応変式の絶筆宣言はできない。私に文学は命のようなものであり、文を書くことを終えるなら、生きても生きていることでない」として、「原稿を書いて壷に隠しても、文学という地で倒れたのだから、その地に(手を)ついて立ち上がりたい」と明らかにした。
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2015年6月22日月曜日

夏至 2015

今日は、一年で一番日の長い「夏至」。朝から陽射しするけれど、ここ連日、曇りと晴れが入れかわるらしい。まぶしい朝陽が欲しい。

(本ブログ関連:”夏至”)

日めくりカレンダーを見ると、陰暦の記載あり。今月は「水無月」となる。(実際は、旧暦5月7日で「皐月」だが)
陰暦でいう「水無月」って、この時期、水が無いわけではないのに ・・・ 「無」=「な」=格助詞の連体修飾で「~の」にあたる、なんて久し振りの古語辞典参照。つまり、<水の月>。

でも旧暦5月7日なら、「皐月」=「早苗月」のはず ・・・ 季節感でいえば、田植時期のこちらの方が実感する。考えてみれば、古語は<京都>が基準だろうから、そんなものかもしれない。(と思ってネットで調べれば、関西の田植え時期は意外と遅い?)

どうも言葉に無関心過ぎたようだ。

キム・ヒジンの「永遠の私の愛」

キム・ヒジン김희진)の声は、聞くたびにほっとさせてくれる。彼女の2集に収録のデビュー曲でもある「永遠の私の愛(영원한 나의사랑)」(2008年)は、フォークだけでなく、大衆歌謡的な雰囲気があって耳に馴染む。彼女が、人々の心に残っただろう昔の歌を丁寧に歌い続けていることでもあるが。

(本ブログ関連:”キム・ヒジン”)

キム・ヒジンのホームページに、「7080フォーク系」と説明されている。誰にも好かれる澄んだ美しい声と、健康的で、しかも愛らしいお嬢さんといった雰囲気だからだろう。あの眉間に皺を寄せるくせがご愛嬌、飾らないところがいい。そうはいっても女性のこと、ちょっとずつ変身している・・・こんなふうに。

キム・ヒジンのホームページより
1990年に、ともにこの世を去った兄妹デュオ、ヒョンとトク(チャン・ヒョン、チャン・ドク)が再び脚光を浴びようとしている。キム・ヒジンは、パク・スンファと共にオマージュ事業に関わっている、とのこと。
そうそう、イ・ソンヒと、ヒョン・トク兄妹との<ライイバル・シリーズCD>があるので、この機会にまた聞いてみよう。


「永遠の私の愛」
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葉先に 露のように   あなたの澄んだ瞳
いつも 私だけ愛する心に   私、私、幸せです

苦しくって つらいたびに   常に 愛で包んでくれる
あなたの暖かい心に、私は   いつも あなたに感謝してる

あなたは、私の人生   永遠(とわ)に、私の愛
いつも あなたと一緒なのよ   永遠(とわ)に、私の愛
                        ____

野に咲いた きれいな花のように   あなたのうるわしい姿よ
いつも、私だけ信じてくれる心に   私、私、幸せです

寂しくって 悲しいたびに   常に 野花のようなあなたよ
あなたの強い心に、私は   いつも あなたに感謝してる

*
あなたは、私の人生   永遠(とわ)に、私の愛
いつも あなたと一緒なのよ   永遠(とわ)に、私の愛

(*)以下繰り返し
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(Youtubeに登録のrhythm7777777に感謝)

2015年6月21日日曜日

狐石

このブログでは、イ・ソンヒファンとしての奏上!以外に、趣味の鉱物採集について、及びイ・ソンヒが愛弟子イ・スンギ主演のSBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」のテーマ曲である「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌ったということから「」(九尾狐、稲荷など)について、それぞれ触れている。そこで、「狐」と「石」二つを合体したものをネットで調べてみた。結果、次の通りである。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

▼ 狐にちなんだ「石」について
狐石」という名の石がある。黄鉄鉱を「馬鹿の金」と呼ぶように、翡翠の偽もの扱いした民間伝承による名称のようだ。宝と間違えた滑稽さがにじみ出る。ところで、下記に示すように地名にも「狐石」があり、東北地方とりわけ福島県に集中している。妄想を膨らますと、かつて東北が「金」の大産地であったことと何かしら関係があるのだろうか。それとも、「遠野物語」風か。
「狐石」という名の記念碑がある。「オクシズ」のサイトに、静岡市葵区足久保地区にある、<芭蕉>の句碑(句を刻んだ)「狐石」を次のように紹介している。感謝。(でも、狐の巣?の上に句碑を建てたというのは、いささか理解に苦しむ)
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「駿河路や はなたちばな(花橘)も 茶のにほひ」
さて、何故この石を「狐石」と呼ぶかというとここに狐がすんでいたことから・・・という説と茶葉の変化しやすい性質から「狐っ葉」と呼ぶことも関係するとか。本当のところは、なぞです。
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直接的な名ではないが、狐の妖気と結びついた岩がある。伝説<玉藻の前>すなわち九尾狐が変身した毒石「殺生石」(栃木県那須町那須湯本温泉近く)こそ、まさに「狐」と「石」が合体したものとしてあげることができるだろう。(この件、「殺生石」についてはいくつか記載済み)

▼ 「狐石」という名の地名について
「狐石」と名の付く場所を探したところ、「都道府県市区町村 データで遊ぼう」のサイトに地名リストが掲載されており、「狐岩」とともに次に列記する。感謝。
「狐石」の地名は10件あり、 東北の岩手、宮城、福島の3県に、特に福島県に集中しているのが興味深い。
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岩手県(2): 奥州市前沢区狐石/気仙郡住田町世田米狐石
宮城県(1): 石巻市小船越狐石
福島県(7): 須賀川市稲狐石/須賀川市森宿狐石/二本松市上川崎狐石/田村市船引町芦沢狐石/
                 伊達郡川俣町大字小神狐石/福島市飯野町大久保狐石/双葉郡広野町大字上浅見川狐石
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「狐岩」の地名は、「狐石」に比べて少なく全国に散らばる。岩手県遠野市狐岩、京都府南丹市美山町大字島狐岩、福岡県中間市狐岩の3件である。

(付記)
地元駅のエキナカ商店街に不二家がある。店前に立つ可愛いペコちゃん人形が、今回、ゆかたを着て、「白狐の仮面」をかぶっている。ついつられてケーキを求めたとき、狐の面は何かイベントでも指しているのかと尋ねたところ、夏らしさを表しているのですよという回答だった。仮面でペコちゃんはお顔が見えないが、小さくて見上げるような姿がなんとも微笑ましい。

2015年6月20日土曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「ユ・ヒヨルのスケッチブック」ステージ

昨晩放送の、イ・ソンヒとイ・スンギが出演したKBS2の番組、「ユ・ヒヨルのスケッチブック」の映像が、早速Youtubeに登録された。(登録者に感謝)

(本ブログ関連:”ユ・ヒヨルのスケッチブック”、”イ・スンギ”)

イ・スンギが「棘(とげ)」(가시)を歌う舞台に、にこやかに登場するイ・ソンヒ。そして同曲を歌い始める・・・デュエットに入り、やがて美しいハーモニーで終わる。イ・ソンヒが歌うと、別の曲に聞こえてしまうのは贔屓の引き倒しというもの。それにしても、師匠であり、お母さん役の力はすごい。

もうひとつは、イ・ソンヒの真骨頂、「因縁(인연)」(2005年)である。この曲を聞くたび感じる、湧き出るような感動は、同じ東洋的感性からくるからなのだろうか。幸いなことだ。

KBSと契約しているわけでないので、他にどんな曲を歌ったのか、おいおい(できればYoutubeに期待して)調べてみたい。



2015年6月19日金曜日

イ・ソンヒとイ・スンギ、今晩「ユ・ヒヨルのスケッチブック」に出演

聯合ニュース掲載のニュースエンの記事「イ・スンギ ”イ・ソンヒとのデュエットは本当にしたくなかった、ぺしゃんこイカになった気分”」(6/18 ファン・ヒェジン記者)によれば、6/16収録のイ・ソンヒとイ・スンギ出演のKBS 2TV「ユ・ヒヨルのスケッチブック」で、イ・ソンヒとイ・スンギのさまざまなエピソードが語られたようだ。なお同番組は、本日午後11時40分から放送されるという。

(本ブログ関連:”ユ・ヒヨルのスケッチブック”)
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・師弟関係にあるイ・ソンヒとイ・スンギが「スケッチブック」に出演した。

・イ・ソンヒとイ・スンギは、6月16日に行われたKBS 2TV「ユ・ヒヨルのスケッチブック(유희열의 스케치북)」録画に参加した。

・デビュー31年目の「歌謡界の女帝」イ・ソンヒは、イ・スンギを援護射撃するためスケッチブックのステージに上がった。イ・スンギの歌の間、サプライズ登場したイ・ソンヒは、甘美な声とパワフルな声を行き交わせながらスケッチブックの観客たちの心を盗んだし、予期せぬイ・ソンヒの登場に観客たちは雷のような拍手と歓声を送った。

・アルバム広報でもコンサート広報でもない、イ・スンギを援護射撃するために出たイ・ソンヒは、「スンギがスケッチブックに出るというので、私が役立とうかと思って出てきた。そして、スンギに付いて出て、私の顔を映したかった」と話し、観客たちの笑いを誘った。続いて、イ・スンギは、正規6集アルバム「そして・・・(그리고...)」のディレクティング(音楽監督)をイ・ソンヒがしてくれたと、「既にディレクティングまでしてくださったついでに、責任を負って欲しいという気持ちで出演をお願いした」と述べた。

・MCのユ・ヒヨルは、イ・ソンヒとデュエット舞台をしたイ・スンギに、「イ・ソンヒと一緒に歌を歌った人は、イカになるけれど・・・」とはどんなものか尋ねて、イ・スンギは「ただのイカではなくて、高速道路でぺしゃんこに押しつぶして売るイカ*になったようだ」と答えた。続いてイ・ソンヒは、「デュエット舞台について会議をして、私の歌を一緒にやったらどうかとスンギに意見を出した」と語って、イ・スンギは、「本当にやりたくなかった」と話し、録画会場を笑いの海にした。

(*)参考:ブログ「根強いオリーブの木(꿋꿋한올리브나무)」、感謝

・また、スケッチブックを4年ぶりに出演したイ・ソンヒは、スケッチブックがこんなに長寿になると思ったかという質問に、「ユ・ヒヨルさんが無色、無臭なので長寿できると思った」と答え、皆を怪訝にした。続けてイ・ソンヒは、「悪い意味じゃなく、他の番組はMCの色が濃くて、音楽が埋没したりもするが、ユ・ヒヨルさんは音楽をよく紹介できるようサポートが上手い」と、MCのユ・ヒヨルを賞賛した。

・一方、この日の録画で、イ・ソンヒに呼び名を​​先生としたイ・スンギは、「歌手をしているけれど、私の歌を教えてくださった方である。先生と呼ぶ」と話し、イ・ソンヒは、「スンギの母と父と、私は年齢が同じだ。お母さんの気持ちでスンギに接する」と言って、師弟関係の厚い情を感じさせた。これに対して、MCのユ・ヒヨルは、「イ・スンギのお母さんと言ったが、もちろん、恋愛相談もするか」と尋ねて、イ・ソンヒは、「恋愛相談はしない。けれど、スンギはとても男のなかの男のスタイルだ」と述べた。続いて「今、スンギは男らしさが最もホットな時期だ」と言って観客たちを皆驚かせた。

・MCのユ・ヒヨルは、模範生イメージが強いイ・スンギは、実際にどうかとイ・ソンヒに聞いたところ、イ・ソンヒは模範生イメージという言葉にびっくりしながら、「スンギは、私たちの所属事務所(フックエンターテインメント)で最も模範的ではない。パーティーがあればいつも両腕に酒を持って現れる」と述べた。続いて、イ・スンギとイ・ソンヒは所属事務所内であったエピソードと、酒瓶を持って来るようになった理由が、イ・ソジンからであることを明らかにして、当時の状況を説明して観客たちを興味津々にした。

・31周年の歌手イ・ソンヒは、この日の録画を通じて、生涯初めて(テレビで)歌ってみた歌が、小学校ミュージカル(公開放送)のとき、スズメ役をして歌った歌であると明らかにし、当時あったエピソードや歌を歌った。また、歌手として最もやりがいがみなぎる時は、「歌に数多くの人々が集まって一つになり、共感されるとき」と答え、観客たちの心を感動させた。

・イ・ソンヒ、イ・スンギ、オクサンタルビが出演した「ユ・ヒヨルのスケッチブック」は、6月19日午後11時40分放送される。
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(追記)
(Youtubeに登録の백산に感謝)

2015年6月18日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 済州島の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮半島の南に位置する島、<済州島제주도)>の歌に関する3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”済州島”)

始めに、済州島の景観と李漢雨(이한우、1823年~1881年)作「瀛州十景歌영주십경가)」について次のように紹介された。
・済州島といえば、透き通ったきれいな海、島の中心にそびえ立つ漢拏山한라산)。柑橘類の「ハンラボン(漢拏峰、デコポン)」や「天恵香」。独特な方言、ウォーキングコース(제주올레)も思い浮かぶ。特有の景色と文化を誇る一方で、陸地と離れた島として、生活は大変な面も多かったが、反面、固有の文化が守られている。
・昔、瀛州といった済州島の十の景色を歌う「瀛州十景歌」がある。海底噴火でできた「城山日出峰성산 일출봉)」など、済州島の景勝地を歌う。

▼ 水瓶(허벅)を棒で叩きながら歌う「瀛州十景歌」を聴く。民謡に聞こえるが、詩作時期を考えると成立はいつか。

次に、竹編みの「竹籠(クドク、구덕)」と、それを元にした「赤ん坊竹籠(애기 구덕)」について次のように紹介された。
・水瓶は、女性が頭に載せて水汲みに行くが、済州島では「竹籠」に入れ、紐を付けてかついだ。水がこぼれぬよう、こぶし大の小さな口が特徴。竹籠は、水瓶を運ぶ以外、洗濯物や魚や餅を入れたり、祭祀の供え物を入れる竹籠もあった。
・竹籠に、「赤ん坊(エギ、애기)竹籠」という揺り篭がある。面白い仕掛けがあって、籠の中間の高さに、縦横に紐を編み合わせ、その上に麦わらを敷き、赤ん坊を寝かせる。赤ん坊が大小便をしても麦わらに吸い取らせる。また、底が丸いため、手や足で揺らすと赤ん坊がすぐに眠る。風が強いこの島では、置いておけば自然に揺れるという。

▼ 赤ん坊の揺り籠歌「赤ん坊竹籠を揺らす音(애기 구덕 흥그는 소리)」を聴く。(お婆さんの歌声に心穏やかになり、自然と眠たくなりそう、という)・・・なるほど、リフレインは単調でも、安定感があるなあ。

・済州島独特の文化、「赤ん坊竹籠」は、今では子供用品として販売され、竹の代わりに丈夫な鉄のものも出ている。伝統を受け継ぐ姿が素晴らしい。

最後に、海女が船で海に出るとき歌う民謡「離於島サナ(이어도사나)」について次のように紹介された。
・済州島民謡に、海女が船で海に出るとき歌う民謡「離於島サナ」がある。単純で元気の良いリズムが特徴。

▼ 民謡「離於島サナ」を編曲した「離於島の歌(이어도의 노래)」を聴く。陽射しに照らされて陽気に歌う編曲。

・離於島は、済州島から約150キロメートル離れた場所にある水中の暗礁で、幻の島としての象徴的な場所でもある。小説や映画、歌でも広く知られる。

2015年6月17日水曜日

作家申京淑の噂

日本でも取り上げられることの多い韓国の女流作家申京淑(신경숙、1963年1月12日~)の作品について、ある問題が提起された。文学とは永遠に縁のない、この素人にとっても、耳を疑うできごと、衝撃だ。

(本ブログ関連:”申京淑”)

NEWSIS/朝鮮日報日本語版の、以下の記事、「申京淑の『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」(2015/06/17 11:31)には驚かされた。三島由紀夫の作品を・・・よりによって。
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「申京淑『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」 - 韓国人作家が疑惑提起

 韓国を代表する小説家、申京淑(シン・ギョンスク)氏(52)が作家の三島由紀夫(1925-70年)の作品を盗作したとする主張が提起された。

 小説家で詩人でもあるイ・ウンジュン(이응준、1970年~)氏(45)は16日、インターネット新聞のハフィントンポスト韓国で、申氏の短編小説『伝説』(1996年)の一部が三島由紀夫の短編小説『憂国』(韓国で83年に発刊)を盗用していると主張した。イ氏が盗用の疑いを提起した部分は以下の箇所だ。

▼ (三島由紀夫『憂国』韓国語版)
  「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった。夜だけでなく、訓練を終えてほこりだらけの軍服を脱ぐ間さえもどかしく、帰宅するなり妻をその場に押し倒すことが一度や二度ではなかった。麗子もよく応えた。最初の夜を過ごしてから1カ月たつかたたないうちに、すでに麗子は喜びを知る体になり、中尉もそんな麗子の変化を喜んだ」

▼ (申京淑『伝説』)
  「二人とも健康な肉体の持ち主だった。彼らの夜は激しかった。男は外から帰ってきて、ほこりがついた顔を洗いながらも、もどかしく急いで女を押し倒すのが常だった。最初の夜を過ごしてから2カ月余り、女はすでに喜びを知る体になった。女の清逸な美しさの中に官能はかぐわしく、豊かに染み込んだ。その成熟さは歌を歌う女の声にも豊潤に染みわたり、今や女が歌を歌っているのではなく歌が女に吸われてくるようだった。女の変化を一番喜んだのは、もちろん男だった」

 イ(・ウンジュン)氏は「三島由紀夫『憂国』の盗作は、小説家が特定分野の専門知識を小説の中で説明したり、表現したりするために小説以外の文献の内容を地の文や登場人物の対話中で活用するといった、いわゆる『小説化作業』の結果では決してない」と指摘。プロの作家としては到底認められない、明らかな「作品の窃盗行為」だとした。

 続けて、申氏の小説はさまざまな言語に翻訳されて、海外で一定の成果を収めているとしながら、「もし盗作がニューヨークやパリ、英国に伝わったらどうなるか。日本の文筆家や大衆がこの事実を知ったらどうなるか。これは隠そうとしても隠されるものではなく、隠せば隠すほど悪臭を放つ韓国文学の恥だ」と強調した。
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ちなみに、中央日報の記事、「申京淑、三島由紀夫作品 盗作した」(6/17)は、もう一歩踏み込んでいて、彼女のこの行為は(問題提起者によれば)、2000年秋からのことであるとか、韓国文壇の「沈黙のカルテル」、巨大出版社の社長と編集部の操縦、とまで書かれている。

この情報の発端となった、ハフィントンポスト韓国版の、小説家で詩人でもあるイ・ウンジュンの長々とした内容「偶像の闇、文学の堕落 | 申京淑の三島由紀夫盗作」(6/16)は、申京淑の人間・夫婦関係も含めて、もっと厳しい韓国風の表現がある。・・・韓国文人たちの「沈黙の共犯」と。

(資料)上記ハフィントンポスト韓国版掲載
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▼ (三島由紀夫『憂国』韓国語版)
두 사람 다 실로 건강한 젊은 육체의 소유자였던 탓으로 그들의 밤은 격렬했다. 밤뿐만 아니라 훈련을 마치고 흙먼지투성이의 군복을 벗는 동안마저 안타까와하면서 집에 오자마자 아내를 그 자리에 쓰러뜨리는 일이 한두 번이 아니었다. 레이코도 잘 응했다. 첫날밤을 지낸 지 한 달이 넘었을까 말까 할 때 벌써 레이코는 기쁨을 아는 몸이 되었고, 중위도 그런 레이코의 변화를 기뻐하였다.
─  三島由紀夫、 キム・フラン訳, 「우국(憂國)」, 『金閣寺, 憂國, 宴会は終わって(宴のあと)』, 主友 世界文学20, 株式会社主友, P.233. (1983年1月25日 初版印刷, 1983年1月30日 初版発行)

▼ (申京淑『伝説』)
두 사람 다 건강한 육체의 주인들이었다. 그들의 밤은 격렬하였다. 남자는 바깥에서 돌아와 흙먼지 묻은 얼굴을 씻다가도 뭔가를 안타까워하며 서둘러 여자를 쓰러뜨리는 일이 매번이었다. 첫날밤을 가진 뒤 두 달 남짓, 여자는 벌써 기쁨을 아는 몸이 되었다. 여자의 청일한 아름다움 속으로 관능은 향기롭고 풍요롭게 배어들었다. 그 무르익음은 노래를 부르는 여자의 목소리 속으로도 기름지게 스며들어 이젠 여자가 노래를 부르는 게 아니라 노래가 여자에게 빨려오는 듯했다. 여자의 변화를 가장 기뻐한 건 물론 남자였다.
─  申京淑, 「伝説(전설)」, 『昔、家を出るとき(오래전 집을 떠날 때)』, 創作と批評社, P.240-241. (初出1994年⇒1996年9月25日 初版発行, 後に 2005年8月1日 同じ出版社として名(創作と批評社)を圧縮して改名した「創批(창비)」で 『ジャガイモを食べる人々(감자 먹는 사람들)』と小説集題名だけ変えて再出版された)
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2015年6月16日火曜日

ノ・サヨンの「出会い」

イ・ソンヒの世界にだけ遊ぶ身に、若い世代の曲は全く縁遠い。だから、教室で、コヨーテの「出会い」を聞いてきたという話しにも、ノ・サヨン(노사연)の「出会い(만남)」(1989年)しか浮かばない。

(本ブログ関連:”ノ・サヨン”)

愛とは決して偶然でないという確信は強くて切ない。誰もがそんな記憶を持っているからこそ、思い出の曲として歌われつづけているのだろう。韓国で、70~80年代に輝かしい学生時代を過ごした世代も、今や中高年世代として若者たちに押されている。俗に7080世代と呼ばれ、我が歌が懐メロになるのに抗しているようにも見えるけれど。

(本ブログ関連:”(資料)韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」”、”7080世代の好きな曲”)

美しい歌「出会い」を、SMAPの草彅剛が韓国語の語りと照れを入れて歌った珍しい映像がある。ノ・サヨンの歌と並べてみた。そういえば、彼は現在、초난강をすっかり卒業したようだ。


(Youtubeに登録のpops8090、KBKに感謝)

イ・ソンヒの「少女の祈り」

イ・ソンヒのコンサートに必須な曲の一つに、初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)がある。デビュー時のアピールである、高音で元気良く溌剌とした、パワフルな歌い方とは若干違って、いかにも少女らしい雰囲気する曲だ。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

イ・ソンヒの声の特質に、高音部で一瞬反り返ったようなところがあるが、そこに幼い少女のような響きがして、デビューすぐに女子学生たちに受け入れられ要素の一つではなかったかと推測する。この「少女の祈り」は、まさに特徴的である。甘くて、清くて、可愛らしいこの曲に、おじさんの心も洗われそう。

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年6月15日月曜日

ヤドランカ「誰かがサズを弾いていた」

2011年4~5月、NHKの音楽番組「みんなのうた」で放送された、ヤドランカが歌う「誰かがサズを弾いていた」(作詞:友利歩未、作曲:ヤドランカ)に、想像を搔きたてられる。遠く異境をさすらうというに、彼女の声質にどこか安らぐ。

(本ブログ関連:”誰かがサズを弾いていた”)

夜の砂漠、星の明かりはいかばかりと空想に酔う。異国の美酒は、緑眼の胡姫たちを紛れ込ませる。いや、酔いを深めたのは、隊商の駱駝の背で美しく輝く石たちだった。

     絹の道行く キャラバン
     駱駝の背には 宝物
     ルビー、サファイヤ、トルコ石
     時に素敵な 歌までも
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     (同曲の歌詞より)

映像には、懐かしいイラスト作家の宇野亜喜良が命を吹き込んだ、碧眼の美女を登場させ、この歌に幻想の香りをつける。砂漠の夜、空は青色を深くして、輝く星は金色に、まるでラピスラズリを散らしたよう。ああ、やがて夜がしらむ。


誰かがサズを弾いていた 投稿者 CIMBAL_CINTA

2015年6月14日日曜日

砂金と玉

先日、KBS WORLD放送「国楽の世界へ」(6/3)で、「春香伝」にまつわる話しがあり、次のように紹介された。「地方官の息子李夢龍は、妓生の娘春香との待ち合わせの間、本(詩傳、大学、周易・・・)を読んでも落ち着かず、使用人とおしゃべりを始めた。それが(パンソリ)『春香歌』の中で歌われる『千字注解』の場面」である。(参考:「春香伝」(許南麒訳))

(常々思うに、パンソリは漢語が張り巡らされていて、いってみれば、カタカナにあふれたファッション誌のごとく、漢文素養が無いよりは在った方が良いということになりそう。パンソリは、大衆自身の手によるというより、ストーリーを借りて、趣味人が衒学風に味付けした手遊びに見えることがある)

上記にある、「千字文」(小川環樹、木田章義注解)を見ると、砂金と玉に触れているところがある。この書は漢詩で、異なる千文字の漢字から作られていて、江戸の寺小屋の教材にも使われた(子ども向け)漢字学習書だ。
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金生麗水/玉出「・昆」崗     「・昆」=「山」偏+昆
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(砂金は(今の浙江省にある川)麗水より採れ/玉は「・昆」崗 (崑崙山)の峰より採れる)

この「千字文」(小川環樹、木田章義注解)に、北魏の李暹の注があって、次にような話しが載っている。(抜粋)
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・麗水は川の名で、砂金を産出し、他のものより勝るので「金生麗水」という。
・南楚の荊山の崑崗谷から美玉が産出する。楚の卞和(べんわ)は、巧みに玉を見分けることができた。あるとき、谷で玉の原石(玉璞)を見つけ、楚の文王に献上したが、文王は見分けられず怒り、卞和の左足を切らせた。文王が亡くなって武王となり、卞和は再び原石を献上したが、再び疑心にかかり右足を切られた。卞和は、二つの玉が見分けられないことを知り血涙した。
・武王が崩じ、成王となり、卞和は今度も原石を献上した。成王は、これを磨かせると美しい玉となった。値の付けられぬ、まさに城に金を満たせるほど価値のあることから、王は「連城の玉」と名づけた。
・成王は、北方の趙の国王の娘と結婚したく、納得しない趙王に卞和の美玉を与えて認めさせた。両国はこの玉を賞めたたえて、「連城の珍」と名づけた。
・西方の秦国の昭王は、趙王の美玉を知り、十五の城を割いてこれと交換した。
(以下略)
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石好きの欲には底知れぬものがある。特に、権力者の場合、石の持つ永遠性に魅力を感じているのかもしれない。市井においては、他から影響を受けてない堅牢な独自性や自律性に惹かれたのかもしれない。

(本ブログ関連:””)

暑い8月、ひんやりした沢の水にひたって、砂金採りに行く計画をしている。私の場合、もっと即物的で、単なる物欲でしかないけれど。

2015年6月13日土曜日

イ・ソンヒの書「夢よ、愛よ、出会いよ」

写真:gmarketに掲載の写真
1991年(11月1日)、イ・ソンヒが(ケイステップインターナショナルより)出した自伝「夢よ、愛よ、出会いよ(꿈이여 사랑이여 만남이여)」は、どうやら、本ブログの左に置いた、「ブログ本文&資料」の「・資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)」*に該当するようだ。(同書が入手できれば一挙に判明することだが)

(*) 「スポーツ韓国」紙面(1991年3月8日~4月5日)に、12回に渡って掲載された自伝と、書籍として自伝が出版された年が一致する。

(本ブログ関連:”夢よ愛よ出会いよ”)

時期的な根拠以外に、ブログ「PETERLOG」の「イ·ソンヒと高音이선희와 고음)」に紹介された、次の記述からも推測できる。(感謝)
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・1991年に出した自叙伝「夢よ、愛よ、出会いよ」でも明らかにしたように、彼女は、「ダイナミックでパワーあふれる歌手」という・・・。
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上記ブログでは、イ・ソンヒの音楽性の変化について、彼女の初期からの「高音」の発声や「パンパラパンパ」した威勢のよさが影をひそめるタイミングを示し、考察している。

2015年6月12日金曜日

(雑談)アリ+ハチの話し

アリ(蟻)について、身近に観察したことを記したり、思いつくまま雑誌や書籍など孫引きして楽しんでいる。今回も受け売りだが、おもしろい記事があった。

(本ブログ関連:”アリ”、”ハチ”)

<アリの行列>
以前、アリの行列が渋滞しないのは、互いの距離が開いているからという話しを受け売りした。今回は、雑誌「Newton」(2015)の7月号に、科学ニュースの短報、「アリの渋滞回避方法」(ドイツ、へーニッケ博士ら)が載っているので記す。
① アリの行列は、数が増えても混雑せず渋滞しないのは、列を増やしたり速さをコントロール(最大1.5倍)するからだそうだ。
② また、行列がすれ違うとき、巣に帰ろうとするアリは左によけるとのこと。
何だか、②については、左側通行の正当性・根拠を与えられたような気がして・・・。

<ドローン>
ところで、最近賑わしている、あの空を飛び回る「ドローン(drone)」であるが、ハチの発するブーンという音を指すともいわれる。
「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著)によると、アリと同じ、(真社会性社会性昆虫である、ハチも女王蜂と働きバチ(メス)で構成されていて、オスは1回の交尾のため存在して、その後死ぬ。そのため「厄介者」と呼ばれるそうだ。さらに、ミツバチのオスについて、次のような悲しい話まである。
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・新しく生まれた女王が充分な回数の交尾を済ますと、働きバチはまだ巣にいるオスにエサを与えなくなり、激しく攻撃して巣から追い出してしまいます。追い出されたオスたちは、むなしく死んでいくしかありません。
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ネット英語辞書「英辞郎」で、<drone>を見ると。
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1.《昆虫》〔ミツバチの〕雄バチ◆特に女王蜂との生殖専門の
2.怠け者、ぐうたら者、ごくつぶし、横着者
-- 以下略 --
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<イ・ソンヒは、アリよりキリギリス>
ところで、イ・ソンヒは、大学受験の高3の夏に「アリとキリギリス」のどちらを選んだか。
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・遊んでばかりいた子どもも高3になれば、慌てて入試勉強に没頭するのが常なのに、なぜか私だけは万事泰平だった。
・そのとき、私の心は、イソップ寓話に出てくる「アリ(蟻)」よりも「キリギリス」の側に傾いていたようだ。だから、友達が夏の間、アリのよう熱心に教科書と格闘したときに、私はキリギリスのように歌いながら暑い夏を涼しくおくった。
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2015年6月11日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 並唱

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/3)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弾き語りしながら歌う「並唱〔併唱〕(병창)」に関する3曲を紹介した。

始めに、撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)を演奏しながら歌う「伽耶琴並唱」について次のように紹介された。
・楽器を演奏しながら歌う「並唱」に、伽耶琴演奏して歌う伽耶琴並唱がある。並唱は、朝鮮後期に生まれた奏法で、パンソリ中よく知られた部分や短歌、民謡を歌う。パンソリで喉を痛め仕方なく歌うものと軽視されたが、日本統治の頃から、レベルの高い並唱がはじまり、人気のジャンルとなった。朴貴姫が重要無形文化財に指定されるに至り、今では伽耶琴と歌、両方できるジャンルとされる。パンソリと比べ歌のリズムは単純だが、歌と融合した伴奏に魅力がある。

▼ 伽耶琴並唱の「春香歌(춘향가)」から、「千字注解(천자뒷풀이)」を聴く。知ってるか? 知ってますとも・・・長々暗誦する。

・「春香伝(춘향전)」の李夢龍(이몽룡)は、春香との待ち合わせで、時間まで居ても立っても居られない。本を読んでも落ち着かす、仕方なく使いの房子(방자、地方官の役職)とおしゃべりをはじめた。それが「春香歌」の「千字注解」の場面だ。

次に、弦楽器の玄琴(コムンゴ、거문고)を演奏しながら歌う「玄琴並唱」について次のように紹介された。
・玄琴の並唱、玄琴並唱は伽耶琴並唱と比べ、曲の数も演奏する者も多くない。申快童が初めて玄琴並唱を歌い、今では弟子の金泳宰(김영재)だけが後を継いでいる。

▼ 玄琴並唱の、全国の景勝地を遊覧して風流を楽しむ、「八道遊覽歌(팔도유람가)」を聴く。浮き世を離れて・・・のんびりと。

最後に、「ピアノ並唱」というジャンルについて次のように紹介された。
・伽耶琴並唱と玄琴並唱以外に、最近はピアノの並唱もある。はじまりは、チェ・ジュンという体が不自由(自閉症のひとつで、人と目を合わせたり話すのが苦手で、口の筋肉や体が硬くなる症状)な青年である。偶然接したパンソリをきっかけに、もともと指が硬くなるのを防ぐためにピアノを習っていたので、歌とピアノを組み合わせて、音楽を通じて自分だけの世界を乗り越えた。

▼ チェ・ジュンのピアノ並唱、パンソリ「興甫歌(フンボカ、흥보가)」から「花草欌(화초장)」を聴く。花模様、今様に多彩。

・「興甫歌(朴多令)」は、兄ノルボ(놀보)と弟フンボ(흥보)の物語り。

2015年6月10日水曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

もうライラックは散ってしまっただろうか。遠くに見るこの花は、薄紫色に木を包む。近寄ると、花弁が思いのほか肉厚なのに驚く。藤棚の花のように、そよとした風情はないが、どちらかといえば、洋風であり、博物学図鑑に画かれているような重さがある。

だから、イ・ソンヒが、10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때、歌詞)」で、この花にどんなイメージを重ねたのか知りたい。ライラック(Lilac)という語感か、あるいは薄紫色した色感か。いかであれ、彼女がシンガーソングライターとして、初めて世に出した情感深い名曲だ。コンサートにはかかせない。

(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)


(Youtubeに登録の태양 sunに感謝)

(ところで)
韓国のおじさんに、(金管ながら木管扱いの)管楽器サキソフォン演奏が流行ったことがあったそうだ。今でもそうなのか、これまた知りたいところだ。
この「ライラックが散るとき」は、演奏でいうところの<歌う>、あるいは効かせどころが随所にある。韓国のおじさんアマチュア・ソロ奏者たちが、(イ・ソンヒの作品の中でとりわけ)この曲を次々チャレンジしているのを、Youtube検索で知ることができる。サキソフォンを持っているなら、吹かせたくなる気分、分からないわけではない。

2015年6月9日火曜日

イ・チョク「嘘、嘘、嘘」

おじさんとしては、男性歌手に関心はないが、イ・ソンヒとの関わりから、愛弟子イ・スンギの話題がニュースに大きく載ると目を通している。今回も、Googleニュースに「イ・スンギのニューアルバム、予約ランキング1位に!」(Kstyle、6/9)との記事があった。6集フルアルバム「そして…(그리고...)」のことだそうだ。それに、現在、Gyaoで放映中の、「君たちは包囲された(너희들은 포위됐다)」(第1回)も見ている。

そこで、ずっと視野を広げて、他の男性歌手を聴くのに、良いヒントをいただいた。教室で先生が、シンガーソングライターのイ・チョク(이적)の日本コンサートに、先週行かれた話しをされた。みなキョトンとしたので、返って驚かれたようだ。(最初聞いたとき、女性歌手チョクウ(적우)のことかと思った・・・)

(本ブログ関連:”シンガーソングライター”)

まずは、彼がKBSミュージックバンクで1位となったという、ソロアルバム5集「孤独の意味」のタイトル曲「嘘、嘘、嘘(거짓말 거짓말 거짓말)」(2013年)を聴いてみよう。美しい曲調ながら、独特で柔らかく力強い多様な声質が加わって、歌詞に思いをはせ、その世界に深まる。

恋の離別と思って聞くのも良いし、捨てられた子の悲しみと思って聞くこともできる。次第に、心に響き、沁み渡る。(ブログ「gooddaddy」に感謝)


(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2015年6月8日月曜日

梅雨入り 2015

今日、<東海>と<関東甲信>が梅雨入りした。平年通りで、昨年と比べて3日遅い。沖縄奄美のほかは、だいたい6月初旬に収まるようだ。

(本ブログ関連:”今年の梅雨入り”、”梅雨”)

とはいえ、今日は一日晴れていたような? むしろ、今晩遅くから明日昼ごろまで雨降りとのこと。それでも梅雨入りだ。


平成27年の梅雨入り(気象庁、更新日:平成27年6月8日)

地方        平成27年        平年差      昨年差       平年               昨年
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沖縄         5月20日ごろ   11日遅い  15日遅い   5月09日ごろ    5月05日ごろ
奄美         5月19日ごろ   08日遅い  14日遅い   5月11日ごろ    5月05日ごろ
九州南部  6月02日ごろ   02日遅い   同じ          5月31日ごろ    6月02日ごろ
九州北部  6月02日ごろ   03日早い   同じ          6月05日ごろ    6月02日ごろ
四国         6月03日ごろ   02日早い  01日遅い   6月05日ごろ    6月02日ごろ
中国         6月03日ごろ   04日早い  01日遅い   6月07日ごろ    6月02日ごろ
近畿         6月03日ごろ   04日早い   同じ          6月07日ごろ   6月03日ごろ
東海         6月08日ごろ    同じ        04日遅い    6月08日ごろ   6月04日ごろ
関東甲信  6月08日ごろ    同じ         03日遅い   6月08日ごろ    6月05日ごろ
北陸         6月12日ごろ                                                         6月05日ごろ
東北南部  6月12日ごろ                                                         6月05日ごろ
東北北部  6月14日ごろ                                                         6月06日ごろ
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(資料)イ・ソンヒが李鍾賛夫妻とKBS TV「名士の家庭」に出演したこと

イ・ソンヒと政治の関わりは、ネット記事で語られることがある。また、彼女の名声を重ねて(したたかに)思い出語りされることもある。彼女の胸中しかあずかり知れぬことなのに。それでも、或る一瞬、ある一言から、当時の彼女について、わずかに推し量るヒントが得られそうな気もする。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと政治”、”イ・ソンヒと政治(続)”、”「Jへ」と「DJへ」”)
(本ブログ関連:”ソウル市会議員”)

興味深い回顧録がある。東亜日報掲載の「”安企部で働いて欲しい”・・・押しよせる人事請託 - [憧憬 李鍾賛 回顧録]<40> 金大中政府、安全企画部長就任」(5/30)である。要職にあった人物だけに、それとなく書かれた一言に関心が及ぶ。(抜粋)

李鍾賛(이종찬)は、「1998年2月に発足した金大中*政権では、国家安全企画部(安企部)の部長**に任命され、翌99年1月に安企部から改編された国家情報院の初代院長となった(~1999年3月)。」(Wikipediaより)
イ・ソンヒは、複雑な政情の中に揺れる、この人物と似た道すじをたどったように見える。

(*)   金大中大統領の就任期間、1998年2月25日~2003年2月24日
(**) 安全企画部長に就任、1998年3月5日

ちなみに、「自由と真理への無言の献身」という国家情報院の院訓を作成したようだ。一方、以前の安全企画部の部訓は「情報は国力である」だった。

さて、本題、東亜日報掲載の回顧録に、イ・ソンヒに触れた次のようなくだりがある。
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ところで、李鍾賛夫婦は、金大中が大統領に就任した年(1998年)の3月2日、大統領秘書室長夫妻から昼食に招待された。

その二日後(1998年3月4日)、李鍾賛は、KBS TV「名士の家庭(명사들의 가정)」番組に出演した。妻はもちろん、歌手イ・ソンヒも一緒に出演した。
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2015年6月7日日曜日

伊守山鉱山、(真米鉱山)

昨晩、福島県まで鉱物採集の遠出が決まった。

早朝、東の空、たなびく雲の下が真っ赤に染まっていた。不思議なことに、その赤色が、雲の上に漏れていない。駅ホームの穏やかな気温に、返って真冬の厳しさを思い出す。これからは、歳と相談して採集の季節も考えねばならないだろう。

いつもの待ち合わせ駅前から、H氏の車に同乗させていただき、一路北上する。

<真米鉱山>
目指す「真米(まごめ)鉱山」のある福島県南会津町の空気は澄み、陽射しは鋭い。森の木々は葉を艶やかに反射して、包むように広がる。来てよかった。
ここでは、蛍石や硫化鉱物(方鉛鉱、閃亜鉛鉱など)が採れるという。期待が膨らむ。

<鱒沢>沿いに車を走らせるも、10年振りとのこと、目指すズリがなかなか見つからないようだ。車を降りて、数ヶ所確認したが、結局沢の入り口まで戻る。(帰宅して、ネット情報で確認したところ、もう少し上流を探した方がよかったかもしれない)
ということで、真米鉱山とはすれ違いに終わった。

<伊守山鉱山>
採集場所を、急遽変更。栃木県塩谷郡塩谷町「伊守(いもり)山鉱山」へ移す。道路沿い、まさに横付けである。鉱山とは思えぬ小さな丘、あるいは小山だ。斜面を一周しながら登る。けっこう急傾斜である。(本来は金山とのこと)
見上げると、坑道が何箇所か見える。小山の一番上の方にある坑道に入れるようだ。(私は臆病なので遠慮した)

ここでの採集物である「重晶石」(BaSO4)は、薄いガラス板状の小さな四角の結晶で、薄紅色の母岩に斜めに張り付いている。今回の採集はこれだけであるが、満足だった。
ちなみに、重晶石でできた「砂漠のバラ」も有名である。

2015年6月6日土曜日

芒種2015

生活がそうでないから、直感できぬものに農事がある。二十四節気の「芒種」、種撒きの時期というが、近所で農作業を見ることはない。少し遠出して見る畑は、家庭農園だったり、農家でも葉物野菜が主でイネとは関係ないようだ。

(本ブログ関連:”芒種”)

電子辞書「漢字源」によれば、「芒」は、尖ったの意があり、草葉や穀物の尖った先や、刀剣の切っ先、光線の先端(光芒)を示す。また、「暗い」、「隠す」の意もある。「芒種」の場合、ノギ()に隠れる種を指して、いずれ実となるのを示しているのだろう。

さらに、「ぼんやりくらいさま」の用例、「人之生也、固若之(是)芒乎(人の生まるるや、もとより是くのごとく芒きかな)」がある。荘子「斉物論 第二」にあるようで、元をたどると、痴愚論のような滑稽すら感じる。荘子の大意のなかで、問題提起なのだろうけれど。

市井の者が語る言葉ではないようだ。凡人にとって、つまり農奴を所有する大地主が司祭の言葉に涙するように、ある意味カタルシスかもしれない。どこまで通じるか確かでない。正しい言葉に違いないが、受容する側が生半可なのだから。相済まないこと。

ああ、それより今日はひんやりしている。

2015年6月5日金曜日

イ・ソンヒの「雨降る街に立って」

梅雨入り間近に迫った今日、午後から降り始めた雨は、夕方になって一時、雨脚を強めた。随分と粗な雨だ。これでは、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)のように、雨の街に待ち続けるわけにはいかないだろう。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)

ずぶ濡れになっても断ち切れぬ、そんな女性の心情を歌う中島みゆきに比べれば、イ・ソンヒの歌は、どこか抒情的で(世界に触れることがないという意味で)少女的である。濡れねずみの心を、イ・ソンヒに表現して欲しいとは思わないけれど。でも、この歌は本当に美しい。

「雨降る街に立って」

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの

雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年6月4日木曜日

大華鉱山「灰重石」

それでも、石好きの端くれにいる。ところで、イ・ソンヒのコンサートで韓国を訪れたことはあるけれど、鉱山、地質博物館どころか、鉱物標本がありそうなソウル市内の自然史博物館すら行ったことがない。それも・・・なんだなあと反省している。

以前、ある物産フェアに、韓国の宝石・鉱物装飾商のブースがあった。ちょっと覗いて、鉱物採集に興味があるなどと(日本語で)話しているうちに、私が参加している石仲間の会の名前をあげたところ、様子が変わってしまった。そう・・・会の名前に、韓国では馴染めない単語が混じっていたのだ。

ソウルの大型書店で、韓国産のきれいなカラー版の鉱物図鑑を求めたが、洋書(=外国産鉱物)ならあるといわた。(Smithsonian Handbooksの鉱物図鑑を韓国語版にしたものはあったが)

(本ブログ関連:”鉱物図鑑”)

ブックフェアでも、韓国の出版社の人に同様の質問をしてみたが無いらしい。韓国の鉱物マニアは、一体どんな図鑑を持っているのだろうか。(もちろんアマチュア向けの図鑑だが)

あるとき、鉱物フェアで、韓国産鉱物標本の「灰重石」(CaWO4)が販売されていたので、早速購入した。産地は、忠清北道(충청북도)の中原郡(중원군)仰城面(앙성면)(現忠州市충주시)大華鉱山(태화광산)で、「楽しい鉱物図鑑」(掘秀道著)に記載されていて、代表的な産地のようだ。

(本ブログ関連:”灰重石”)

灰重石標本を、手元にあるチープな紫外蛍光ランプで照らしてみたが、蛍光作用しない・・・残念。

ちなみに、大華鉱山以外の韓国の鉱山(蔚山、月岳、山内、日光)と、日本の鉱山(喜和田)で産出された灰重石中のイットリウム(Y)含量を分析して、鉱床の違いを考察した資料がネットにある。(「韓国及び日本の6鉱山産の灰重石中のY含量」)

(付記)
<重石>の名の通り、タングステン仲間の「鉄マンガン重石」((Fe,Mn)WO4)は、何度も訪れた茨城県錫高野で手に入れた。山道に転がっていたが、今はズリでもあまり見つからない。(掘り返す気力のある人は別だが)

2015年6月3日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 花に関する音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、美しい季節、春の花に関する3曲を紹介した。

始めに、イパブの木(이팝 나무)の花と米粒の例えから、亡くなった子供たちの伝説について次のように紹介された。
・5月に咲く花に、イパブの木のがある。日本でヒトツバタゴと呼ばれ、4月から6月に咲く、白い花びらと細長い形が特徴。飯(팝)の米粒に似ることから名付けられた。大きな木を覆うほど大変華やかだ。
・昔、白い米粒を「イバブ」と発音し、「イパブ」に変わった。食べ物が十分でない当時、花が米粒にも見えた。全羅北道鎮安の馬耳山付近、馬嶺小学校があり、樹齢の長いヒトツバタゴの小さな森がある。もとは、栄養不足で亡くなった子供たちの墓場であった。あの世で満腹になれるようにと、ヒトツバタゴを植えたのだ。木や花に色々な逸話が伝わるが、この伝説は悲しい。

▼ 山に咲く花「山有花(산유화)」の曲を聴く。こちらは山の花、海にオギヨディオラがあったことを思い出す。今様だ。

・詩人金素月(김소월)の詩「山有花」は、大変有名な詩で知られるが、特定の花でなく、山に咲く花を指す。
・ヒトツバタゴの花が満開になると、その年は豊作になるという。田仕事の合間、花が目に入っただろう。豊作への念願だった。

次に、桐の木(오동 나무)で、娘のため作る箪笥、またその花の香りについて次のように紹介された。
・この季節、桐の花が咲く。乾燥させると、軽く、虫にも強いので、家具に適している。箪笥や楽器、宝石箱にも使われる。昔、娘が生まれると、桐を植え、嫁入りの年頃になえうと、箪笥を作った。
・また、学者のソンビは、桐に鳳凰が訪れるとして、大事にしていた。桐は葉が出る前に紫の花を咲かせ、香りも見事だ。

▼ 打弦のコムンゴ演奏「音を夢見る木(소리를 꿈꾸는 나무)」を聴く。現代風思念的な間合いが響く。

最後に、花にはそれぞれ象徴があるという、次のように紹介された。
・昔の人々は花にも意味をつけた。花に、それぞれ地位と品格があり、花に関する歌もあるが、歌詞が興味深い。牡丹の花は花の中の王で、ひまわりは太陽を見つめる忠臣。蓮の花は君子で、華やかなアンズの花は小さい者を指す。アンズの花がどうして小さい者を指すか理由は知られない。どう評価されようとも、それぞれ役割がある。

▼ 女唱歌曲(여창가곡)編数大葉(편수대엽)、「牡丹の花は(모란은)」を聴く。ゆたりとして、花の空間が現れるよう。

・編数大葉には、菊や梅の花にいたるまで、その花の特徴を興味深く表現している。

2015年6月2日火曜日

イ・ソンヒの清雅さについて

イ・ソンヒについて語るとき、ネット記事に「清雅(청아)」という表現を目にすることがある。また、彼女の初期の歌で、3集所収の「清らかな恋(청아한 사랑)」(1986年)のようにタイトルにも使われている。昔風スタイルのイントロは、どこかで聞いたような懐かしさもある。いってみれば、見守る恋の歌である。

日本語の「清雅」は、「きよらかでみやびなこと」(広辞苑)。どちらかといえば日常あまり使わない、みやびな雰囲気する雅語だ。

イ・ソンヒについて一言でいえばということになって、「清雅(청아)」と表現したところ、この言葉は韓国でも余り使わないという。電子辞書に用例として、「清雅な笛の音」(Prime)という表現があった。

彼女のデビュー当時のイメージに、健全さがある。くしくも時代の風潮に適合した。結果として、歌謡界の<女性>を前に出す雰囲気にそぐわぬ女子学生たちに、すぐに受け入れられた。

彼女の、健全さは時代におもねたわけではなかったが、放って置かれなかった。一時期、時代の波に右に左に揺れた。今は、国民歌手として存在を自ら認めているようだ。

彼女の清雅さのベースには、健全さ、健康さがある。デビュー当時、ボーイッシュなと表現されたが、今は少女のような童顔と形容される。これは、彼女とともに時代を経た、現在のアジュンマたち(かつての女高生たち)が求める理想の姿かもしれない。

2015年6月1日月曜日

(まとめ)2014年のイ・ソンヒについて

歌うひと、イ・ソンヒの2014年の音楽分野について<まとめ>るなら、こんなのはどうだろうか。

▼ 陰暦の1964年11月11日(陽暦12月14日)、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里に、歌手イ・ソンヒは最初の子として生まれた。両親は、虎や唐辛子畑で草取りする夢を見て、男の子を期待したようだ。

▼ とりわけ、祖父は優しく大切にしてくれただけでなく、音楽への関心を植えつけてくれたようだ。
音楽的才能を開かせたのは、父親が「梵唄」の指導者だった影響があるように思われる。

▼ 小柄な体ながら、爆発的な発声力を持って、1984年にMBC「江辺音楽祭」に「Jへ(J에게)」で登場した、めがね姿にパーマをした少女は、その実力をためて、昨年デビュー30周年を迎えた。

▼ 80年代の歌手といわれながら、様々な試行を経て、音楽性豊かなアーティストであると同時に、今なお、後進の発見や育成に余念がない。

▼ 昨年の2014年、ある意味久し振りのカムバックといわれたが、その実力は、韓国ギャラップの調査で、次の通りわかる。
・「韓国人が最も好きな歌手(2004年~2014年)」で2位 (1位:チョー・ヨンピル)
・「2014年を輝かせた曲」で3位 (1位:IU 「あなたの意味」)
   ⇒ イ・ソンヒ「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・「愛唱曲 2004年~2014年」で7位 (1位:オ・スングン「私の歳がどうだから」)
   ⇒ イ・ソンヒ「因縁(인연)」(2005年)

▼ 2014年リリースした「その中であなたに出会って」は、NABugs!、Soribada、NAVER MUSICなどの音楽配信サイトで、1位を獲得した。

▼ 2014年の30周年コンサート、「歌う人 イ・ソンヒ」は、最初のソウル世宗文化会館に始まり、全13都市、27回公演の全国ツアーを全席完売している。

▼ その結果もあって、彼女の所属する「フックエンターテインメント」事務所の業績も大幅に上昇して、昨年の売上高は、159億3,500万ウォンで、前年比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。

▼ 現在、「歌王」と呼ばれる男性トップ歌手がチョー・ヨンピルであるのに対して、女性のトップ歌手は、国民歌手としてあげられる、イ・ソンヒである。

2009年、2011年、そして2014年のソウル世宗文化会館での彼女のコンサートを見ることができたのは、私の幸運であり自慢である。