イデッシュ語のテキスト「Colloquial Yiddish」に、高い位置にある <窓> を通じて、屋外から家の中に椅子を入れようとする小話「二人のヘルムのユダヤ人と椅子」がある。窓といえば、英語で「window」だが、テキスト(=イデシッシュ後)では「פֿענצטער(fentster)」と表現される。この二つの言葉、はたしてどのような起源を持つのだろうか。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
そこで、英語の「窓(window)」の語源について、ネットに探したところ、windowは「風(wind)」と関連があるらしいこと。面白いことにもう一つ、ラテン語の「穴(fenestra)」が借用されていたという。ドイツ語学者植田康成氏は、ブログ「窓研究所」に次のように説明されている。(抜粋)
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・英語のwindowという語について考える。この語は古代北欧語 vindaugaに由来し、本来の意味は「風の目」である。
・かつて、「窓」を表す語として、windowの他に、住まいに穿たれた「穴」を意味するfenestreという語が併存していた時代があった。1066年のノルマン人侵攻後、大量のフランス語が英語圏に流入した結果、ラテン語 fenestraを由来とするフランス語が1600年頃まで借用されていたのである。つまり語源にもとづく「まど」の類型 (本コラムVol.0を参照) から言えば、それぞれ異なるタイプの二つの語が共存していた。いつしかfenestreの方は消失し、現在ではwindowのみが残った。
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イディッシュ語の単語について、どのような言語が由来しているか、Wikipediaの「イディッシュ語」に次のように概要している。(抜粋)
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イディッシュ語はドイツ語の一方言とされ、崩れた高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の単語を交えた言語である。高地ドイツ語は標準ドイツ語の母体であるため、イディッシュの単語も
・八割以上が標準ドイツ語と共通しており、
・残りはヘブライ語やアラム語、ロマンス諸語、そしてスラブ諸語からの借用語である。
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英語の「窓」は、①「風の目」の意を持つ「vindauga」が「window」となり、②「穴」を意を持つ「fenestre」は無くなったようだ。
イディッシュ語の「窓」は、(素人解釈であるが ラテン語 fenestra 由来?の)「穴」の意に通じる「פֿענצטער(fentster)」になったようだ。すなわち、ドイツ語の「窓」である(ラテン語 fenestra 由来か?)「Fenster」と共通であるようだ。
ちなみに、ヘブライ語では「窓」を「חלון(halon)」というようだ。
窓を、「風の目」と「穴」と見るかで、住居のイメージまで変わってくる気がする。
じゃあ、ヘブライ語の「窓」の「חלון(halon)」は、どんな意味(語源)を持つのだろう?
2018年5月9日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 貧困
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、昔の民がいかに貧困の苦境を切り抜けようとしたかの話を紹介した。
始めに、パンソリ「興甫歌」で興甫(フンボ、흥보)の苦境と、「還穀(환곡)」制度について次のように紹介された。
・パンソリ「興甫歌」は、善人の弟興甫と、意地悪な兄ノルボの話だ。二人は両班の家柄で、食べ物に困ることはなかったが、兄は興甫家族を追い出す。労働経験のない興甫は、家族をどう養ったら良いか分からず途方に暮れた。手元にある高価な服を売って、生活をしのいだが、それもなくなると、子どもたちに与える食べ物もなくなる。妻の泣く姿を見た興甫の心はいばかりか。朝鮮時代、農民へ春に穀物を貸し付け、秋に回収する制度があった。家族のため、ボロ着で役所へ向かう興甫を想像すると心が痛む。
▼ 「興甫歌」から、興甫が「穀物をもらいに行く場面(환자 얻으러 가는 대목)」を聴く。苦渋が滲む・・・。
次に、「興甫歌」で、貧困の興甫が鞭打ち刑の身代わりを引き受けることについて次のように紹介された。
・興甫は、両班のプライドがある反面、役人に嫌われてはならない、穀物を入手できないと大変と卑屈になる。当時、処罰に鞭打ち刑があって、病気になったり、命を失うことがあった。権力者や金持は、金を払って、代わりの者に刑罰を受けさせることができた。困窮した興甫は、刑罰を受ける約束をした。ともかく、家族を養えると、安堵したかしれない。昔、子どもの食事の音を一番幸せな音と思った。すやすや眠る子を見ると、何でもしたくなる誰もが同じ親心だったろう。
▼ 「美しい世界のための祈り(아름다운 세상을 위한 비나리)」の歌を聴く。美しく穏やかに、今様に。
最後に、「高麗葬(고려장)」(姥捨て山に相当)の風習と、老母と息子の逸話について次のように紹介された。
・「高麗葬」は、高麗時代に、貧しさのため口減らしに、老いた親を山に捨てた風習だ。「高麗葬」について、本当にそんなことがあったか確かでない。いくつかの逸話の中に、或る貧しい息子が、老母を捨てるため山へ向かった。それに気づいた母は、息子が道に迷うのを心配して、木の枝を折って帰り道が分かるようにした。息子はそんな母を、結局捨てることができなかった。「高麗葬」とは別に、母の愛だけは逸話でない・・・とのこと。
▼ 「高麗葬」の逸話を歌にした「花見(꽃구경)」を聴く。花が咲く中を・・・チャン・サイクの味わい深い歌。
始めに、パンソリ「興甫歌」で興甫(フンボ、흥보)の苦境と、「還穀(환곡)」制度について次のように紹介された。
・パンソリ「興甫歌」は、善人の弟興甫と、意地悪な兄ノルボの話だ。二人は両班の家柄で、食べ物に困ることはなかったが、兄は興甫家族を追い出す。労働経験のない興甫は、家族をどう養ったら良いか分からず途方に暮れた。手元にある高価な服を売って、生活をしのいだが、それもなくなると、子どもたちに与える食べ物もなくなる。妻の泣く姿を見た興甫の心はいばかりか。朝鮮時代、農民へ春に穀物を貸し付け、秋に回収する制度があった。家族のため、ボロ着で役所へ向かう興甫を想像すると心が痛む。
▼ 「興甫歌」から、興甫が「穀物をもらいに行く場面(환자 얻으러 가는 대목)」を聴く。苦渋が滲む・・・。
次に、「興甫歌」で、貧困の興甫が鞭打ち刑の身代わりを引き受けることについて次のように紹介された。
・興甫は、両班のプライドがある反面、役人に嫌われてはならない、穀物を入手できないと大変と卑屈になる。当時、処罰に鞭打ち刑があって、病気になったり、命を失うことがあった。権力者や金持は、金を払って、代わりの者に刑罰を受けさせることができた。困窮した興甫は、刑罰を受ける約束をした。ともかく、家族を養えると、安堵したかしれない。昔、子どもの食事の音を一番幸せな音と思った。すやすや眠る子を見ると、何でもしたくなる誰もが同じ親心だったろう。
▼ 「美しい世界のための祈り(아름다운 세상을 위한 비나리)」の歌を聴く。美しく穏やかに、今様に。
最後に、「高麗葬(고려장)」(姥捨て山に相当)の風習と、老母と息子の逸話について次のように紹介された。
・「高麗葬」は、高麗時代に、貧しさのため口減らしに、老いた親を山に捨てた風習だ。「高麗葬」について、本当にそんなことがあったか確かでない。いくつかの逸話の中に、或る貧しい息子が、老母を捨てるため山へ向かった。それに気づいた母は、息子が道に迷うのを心配して、木の枝を折って帰り道が分かるようにした。息子はそんな母を、結局捨てることができなかった。「高麗葬」とは別に、母の愛だけは逸話でない・・・とのこと。
▼ 「高麗葬」の逸話を歌にした「花見(꽃구경)」を聴く。花が咲く中を・・・チャン・サイクの味わい深い歌。
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