昨深夜の雨は早朝に止み、路地に微かな雨跡を残すのみになった。そういえば、きょうは日曜日、小金井公園の賑わいを見てみようと昼(12時ころ)に出かけた。
公園東側から入り、学生たちがテニスコートの全面でラリー練習しているのを脇に見て過ぎ、「ゆりのき広場」でサッカーなどで遊ぶたくさんの親子連れを眺めて通り抜け、「こども広場」で遊具を使って楽しむ子どもたちの大声を耳にして、「江戸東京たてもの園」にたどり着いた。
「東京都江戸東京博物館」の分館である江戸東京たてもの園で、「江戸東京博物館コレクション ~ 江戸東京のくらしと食べ物 ~」(3/20~6/15)の特別展が開催されている。江戸期の武蔵野新田開発後の食生活が見られるかもと期待して出かけた。実際は、江戸市中の食文化に関する文献の展示といったところが中心で、WWⅡ後の生活(闇市・食器具)まで展示された。
そんなわけで、武蔵野(および葛西)と江戸との関係を示すのは、次図のみである。展示解説冊子に、次のように記している。
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大消費地であった江戸には、その周辺の村落から水路や陸路を経て、その地域でとれた商品作物が送られてきた。
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武蔵野から江戸に陸路で穀類(大麦・小麦・栗など)、および小麦・蕎麦は水車で加工して粉にしたものが運ばれたようだ。(ちなみに、米は葛西方面から送られている)
上記の通り、江戸の食文化に関連する文献・書籍が精緻に造本されていることに驚く。よくぞここまでと思うほど、まるで活版印刷のごとく刷られている。「食文化」について、江戸独自の美味礼讃の書もあったろうと思うが、今回は西洋料理との関係で語られているようだ。
江戸のランキングで見る人気料理(写真左)、豆腐百珍(写真右)
・「日用倹約料理仕方各力番付」:日常の倹約料理の番付として、【精進方】 大関「はちはいどうふ」、【魚類方】 大関「めざしいわし」がある(相撲番付と同様、定期的に変わる)
・百珍物の先駆けとなった「豆腐百珍」(醒狂道人何必醇 著、天明2年(1782年)5月)