▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2017年12月31日日曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

昨年の大晦日も、イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」(作詞・作曲 イ・セゴン)について記している。イ・ソンヒは、1984年、MBCの「江辺歌謡祭(강변가요제)」で大賞受賞して、初めて世に知られることになる。

イ・ソンヒの、この「Jへ」にまつわる、作者イ・セゴンとの出会い、「江辺歌謡祭」参加のいきさつと彼女の独特なスタイル(ファッション)、そして歌手デビューにまつわる家族との関わりなど興味深い話題がある。すべては、この「Jへ」から始まる。

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

*J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね

(*以下繰り返し)

寂しく歩くのね

(2014年のコンサートより)

(Youtubeに登録のLove Koreaに感謝)

2017年12月30日土曜日

2018年賀状

今日になって、ようやく来年(2018年)の年賀状を作成、投函した。年賀状ソフトを使う作業にもかかわらず、ずるずる先延ばししたのに理由はない。ただ怠け者でしかなくて、小学生の夏休みの宿題のようなもの・・・ぎりぎりにならないと着手できないといった習性はいまだ変わらない。

(本ブログ関連:”年賀状”)

2018年の年賀状
来年の干支(えと)は「戌年」だが、<いぬ> のイメージをそのまま年賀状にイラストすると、子どもっぽくなってしまう。そこで、「戌」の字の隷書体を12個(=12ヶ月)並べて来年を表してみた。
ちょっと大人っぽくなったかもしれない。けれど、黒色の文字だけで構成すると、(うっかりすると、喪中案内になってしまい)年賀状らしくない。挨拶だけ色付けしたのだがどうだろうか(年賀状の体裁として不穏当かもしれないと気になるところ)。

できあがった年賀状を郵便ポストへ投函したら、急にホッとして、近くの本屋に寄ってみた。地元散歩に楽しい、<ブラタモリ> 風の観察ができる新刊書「凹凸を楽しむ  東京『スリバチ』地形散歩  多摩武蔵野編」(皆川典久著、洋泉社)を入手。「スリバチ」(段丘面の谷地(やち)、窪地)について、日ごろ行きなれたのエリアをもう少し広げたくなる。正月散歩に携帯しよう。

2017年12月29日金曜日

ヘルムのはなし: 椅子を持ち込むには

ポーランドの何処かに、イディッシュ(ユダヤ人)の住む町(村)「ヘルム」があって、上は長老から下々は庶民まで、どこか変なひとびとがいる。もちろん、物語の世界であるが。ヘルムに似た町(村)は、ほかの国々にもあるようで、代表する地名がちゃんと存在するという。では、日本ではどうか・・・思いつくのは、大家さんと熊さん八っさんが住む、落語に出てくる「長屋」だろうか。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

イディッシュ語の教科書に、こんなヘルムの小話が載っていた。
---------------------------------
ある男が椅子を買って持ち帰ったところ、大き過ぎてドアに入らず困っていた。そこへ、同じヘルムに住む友人がやって来て、「あの寝室の窓が大きいので、そこから入れたらどうか」ということになった。
だが、椅子の持主がいうには、「窓が高すぎる、どうすりゃいいかな?」。
友人はいった、「なあに、問題ない。椅子を叩き切って、小さくして窓へ投げ込めばいい」。
---------------------------------

よく考えたつもりだが、自分の知恵を超えていない。そもそも何を解決したかったのか忘れている。そんな勘違いを、日常のどこかでやっているかもしれない。思い当たる節がないわけではない。

というより、この物語!、何で友人が高い窓の奥に寝室があることを知ってるのか、とても気になる。歳をとると余計なことに気が散る。

2017年12月28日木曜日

朝寝朝湯が大好きで

民謡「会津磐梯山」について、Wikipediaと「日本民謡集」(町田嘉章ほか編、岩波文庫)ともに、< 昭和十年ころ、小唄勝太郎がビクターからレコードを出して全国的に広まった > とある。昔はよく耳にしたが、今はテレビの紀行番組くらいでしか聞けない。

エイヤー 会津磐梯山は  宝の コラ 山よ」で始まる中で、囃子の「小原庄助さん  なんで身上(しんしょ)つぶした  朝寝朝酒  朝湯が大好きで  それで身上つぶした もっともだ  もっともだ」に登場する、小原庄助については、Wikipediaだけが採りあげて、しかも不明と記述している。(朝日新聞の「キーワード」には、それらしき人物モデルが存在して、墓まであるという解説があったようだが)

小原庄助は、朝寝朝酒、朝湯のせいで財産をなくすほど・・・財があったのか。昔は、そんなことできる者は限られていただろうけど、今は、その気になれば誰もできる。でも、誰彼やれば、社会生活は成り立たないし・・・。

朝酒はやらないが、朝寝、とりわけ朝湯は好きだ。今朝だって、窓から明かりが差し込んでくる湯船に漬かると、辺り一面湯気に霞んで、まさに温泉気分 実に愉快。若いころは、仕事終わりの風呂は夜遅くだったことを考えると、これくらいどうということもない。そういう歳になったのだから。ただし、湯疲れに用心、昼ごろになって、うつらうつらするやも知れず。

(昭和47年-1972年放送とのこと)

(Youtubeに登録のrakutennomuraに感謝)

2017年12月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 冬に生きる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、冬に生きる人生に関連する曲を紹介した。(「冬至」(12/22)の2日前に放送された内容)

始めに、朝鮮中期の妓生「黄真伊(황진이)」が歌った「冬至月(동짓달)」について次のように紹介された。
・冬至の陰暦11月を、韓国では「冬至月」ともいう。この季節、人を想い望む夜は、孤独で長い。最高の妓生と呼ばれた「黄真伊」は、そんな夜に「冬至月」を歌った。< 春になれば、凍った川が溶けるように、その人も訪ね来るだろう。その夜を、今宵に置き換えたい > という。天下の妓生、黄真伊がそれほど想った人とは、いったい誰だったろう。

▼ 黄真伊の「冬至月동짓달)」の歌を聴く。まるで、詩吟のように余韻を響かせる。

次に、冬に、悪人の兄ノルボの家から追い出された、弟興甫(フンボ、흥보)一家の窮状について次のように紹介された。
・パンソリ「興甫歌」(흥보가)にも、冬の場面がある。兄ノルボに世話になっていた弟興甫を、兄は或る冬の雨降る日に追い出してしまう。温かくなってからという思いもない。兄の横暴振りが分かる。なぜ年の末だったのか、兄ノルボは、弟興甫一家が兄の財を無駄にしたと思い込み、急に怒りをこみ上げたのだろう。余りの仕打ちの辛さに、弟夫婦が抱き合って泣いているのを、僧侶が家の敷地を探してくれた。弟は、その家に移った後、足を怪我したツバメを治したことで、宝物の瓢箪を手にし、大金持になる。

▼ パンソリ「興甫歌」から「家の敷地を探してくれる場面(집터 잡아주는 대목)」を聴く。静かに語り聞かせるよう。

最後に、パンソリ「赤壁歌(적벽가)」で、諸葛孔明(葛亮)が祭壇で祈る場面について次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」には、孔明が、曹操の軍と向かい合っていたときに、思いの向きに風が吹くよう心を込めて祈りを捧げる場面がある。勝つためは、曹操の船に火を付けなければならない、ちょうどそのとき、冬の<北西の風>が吹いた。孔明は、祭壇を築いて祈ったところ、(季節がらむつかしい)<南東の風>が吹いた。祈らなくとも風は吹いたろうという人もいた。しかし、孔明の祈る姿を見て、兵士たちも気を取り直し、心をかためたことだろう。それが、孔明の狙いだったかもしれない。

▼ パンソリ「赤壁歌」から、「南東の風を祈る場面(동남풍 비는 대목)」の歌を聴く・・・火攻めの策を計る。

2017年12月26日火曜日

(資料)韓国ギャラップ「2017年 今年を輝かせた歌手と歌謡」

韓国大手調査会社の韓国ギャラップ(Gallup)による、恒例の「今年を輝かせた歌手と歌謡」調査結果*が、12/19に発表された。(* 2017年7月、9月、11月全国(除く済州)、満13~59才[10代-50代]の4,200人に対して面接調査)

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ発表-歌手”)

イ・ソンヒ以外関心ない我が身に、若手のK-POP歌手(グループ)たちを身近にすることもなく、もっぱら、イ・ソンヒやトロット歌手だけが唯一知る頼りといっていいかもしれない。(すなわち、変わらぬ ー 歌謡史に確実に名を残すであろう歌手として)

今年のイ・ソンヒは、海外を除いて、韓国内ツアーがなかったにもかかわらず、同調査で「爆発的な歌唱力のシンガーソングライター」として10位を確保している。

次表は、同調査で集計された「好きな歌手」10位までの、順位、名前、支持率、代表曲である。

▶ 2017年を輝かせた歌手 - 上位10位(3人まで自由応答)
10位にイ・ソンヒが、そして代表曲として、「風花(바람꽃)」(SBSドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」の Part6 で歌ったOST)、「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(15集アルバムのタイトル曲)、「因縁(인연)」(13集アルバムのタイトル曲)が挙げられている。
ちなみに、3位には「トロットの女王」チャン・ユンジョンが挙げられている。

質問)
今年に入って活動した「大衆歌謡歌手/グループ」の中であなたが最も好きな歌手/グループは誰ですか? 好きな順に3人/グループまでおっしゃってください。(3人まで自由応答)



(参考)
同調査で、50代が選んだ好きな歌手は、イ・ソンヒとチョー・ヨンピルを除いて、いずれも歌謡(トロット)歌手だ。
・1位:チャン・ユンジョン、2位:ナ・フナ、3位:イ・ソンヒ、4位:チョー・ヨンピル、5位:ホン・ジンヨン

(参考)
同調査で、50代が選んだ最も好きな歌は、チンソン(진성)の(初雪降る)「安東駅で(안동역에서)」(2008年)のトロットだ。


(Youtubeに登録のsohh5に感謝)

2017年12月25日月曜日

夜道に猫とすれ違う

猫好きかといえば、猫アレルギーがあって、テレビやYoutubeなどの画面で愛でるくらい。どちらかといえば犬寄りだが、生命を預かるのは難しい。その責任を思うと容易に手を出す自信がない。

先日の朝日新聞デジタルの記事「ペット数、猫が犬を初めて逆転 飼い主の数は犬が多数」(12/22)によれば、日本の犬猫ペット数調査で、猫が犬の数を超えたと次のように報じている。(抜粋)
----------------------------------------------
・ペットフードメーカーの業界団体「一般社団法人ペットフード協会」(東京都)は22日、全国の犬と猫の推計飼育数を発表した。猫が953万匹(前年比2.3%増)に対し、犬は892万匹(同4.7%減)。1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回った
・「全国犬猫飼育実態調査」の結果。20~79歳の5万人にネット上でアンケートを取り、統計化して推計値を出した。
----------------------------------------------

家の中で飼われる以外に、野良にも猫がいる。今晩遅く、韓国語教室の帰り道、狭い裏通りにある生垣の下に沿ってこちらへ進んで来る小動物がいた。ひと気のない、明かりも乏しい冷え切った場所だけに、一瞬たじろいだが、やがて外灯の明かりに、こげ茶色の猫が姿を見せた。目を光らせながら、一瞥もなく横を通り過ぎた。全神経を集中したように歩を進める。寒風に揺れる明かりは、その筋肉の膨みを強調した。

そんな猫に、もしかしたら愛する猫がいるかもしれない。どこかの物置の下で待っている子猫がいるかもしれない。一匹の猫に、何匹もの猫が浮かんでくる。どんなきっかけがあったか分からないが、それでも彼らは生きる力を持っている。ペットでない野良猫として。(飼い主に愛称で呼ばれる識別より、テリトリーと一体化した存在の方を選択している)

2017年12月24日日曜日

ピーター・パン

わたしが「ピーター・パン」を知ったのは、子どものころ見たディズニー版アニメーションだった(いつ頃のことだったか)。原作者J.M.バリー*(1860年~1937年)の児童書を読んだ記憶はないけれど・・・。
*J.M.バリーは、最初、「ピーター・パン」を戯曲として発表(1904年12月27日初演)したようだ。

(本ブログ関連:”ピーター・パン”)

ディズニー版アニメを見たとき、甘えん坊でわがままながらも愛らしい、ときにあまのじゃくな妖精「ティンカーベル」が撒き散らす金色の粉が気になってしょうがなかった。わたしも浴びたい、空を飛んでみたいと空想したものだ。子どもは飛んでいる夢をよく見る。

この「ピーター・パン」は芝居となって、世界のひとびとに親しまれている。主人公ピーターパンは少年だが、不思議なことにいずれも女性が演じているようだ。役柄から、どちらかといえばボーイッシュな女性が抜擢される。

先日、古い写真に残された舞台女優モード・アダムズ(1872年~1953年)について触れたが、1905年に、ブロードウェイで最初に「ピーター・パン 」の主人公を演じたのが彼女だったそうだ。また、ネットで聞いたことだが、ピーター・パン役の彼女は、後の写真で知られるイメージと違って、当時、少々太り気味だったともいう。(Bowery Boysの記事に感謝)

(本ブログ関連:”モード・アダムズ”)

ちなみに、デビュー早々にズボン姿で知られた歌手イ・ソンヒも、1991年に子ども向けミュージカルでピーターパン役を演じている。日本では、健康で溌剌とした歌手榊原郁恵ピーターパン役は、誰にも知られている。上記3人の舞台女優、歌手は、若くしてピーター・パンを演じたが、当然とはいえ、それぞれ対照的な人生を歩むことになる。


(Youtubeに登録のAcaciaに感謝)

2017年12月23日土曜日

天皇誕生日 2017

今日の「天皇誕生日」の祝日は、来年、あと一回を残すのみとなった。天皇陛下が譲位(退位)を表明された結果だ。再来年4月からは、新しい元号となる。

元号の年数は、明治は45年、大正は15年、昭和は64年、そして平成は30年まであることになる。私にとって、記憶の大部分は昭和に刻まれたが、平成は世間とのつながりに使われたし、余禄を楽しむときでもある。

再来年、繁華街をすすんで端にたどりついたと思ったら、その先に賑やかな新しいストリートが続いている、といった経験をすることだろう。

天皇陛下は、今年84歳を迎えられた。元号の年数が年齢と一致するわけではないけれど、平成の短さに驚く。とはいえ、天皇陛下が、皇太子だった昭和34年(1959年)に、美智子様と結婚された < 4月10日 >のことを、その後その日を迎えるたび思い出したものだ。私の記憶の両陛下は、当時のままである。

2017年12月22日金曜日

冬至 2017

年末になると、不思議なことに、家庭の器具にいろいろと不具合が発生する。蛍光灯のランプが急に点滅し始めたのだ。玄関先のランプは電気業者に頼んでLEDに置き換えてもらい、室内のランプは当然ながら自分の手で交換する。

パソコンのプリンターが、年賀状作成の時期を察知したかのように、「インクが足りなくなりました」というメッセージを表示したし、自転車のランプの調子がおかしくなるしで・・・次々と不都合なことばかり。(この程度で済んで幸いともいえるが)

「冬至」の今日は、一年で太陽の日照時間(昼間)が一番短い日。残念なようだが、これから昼が長くなっていくと思えば気も休まる。一方、真の冷え込みは、来年1月まで進む。(東京の平均気温は1月が底で 5.2℃になる)

冬の季節は、日照時間の短さを年内に解決(反転)したのに、最低気温の方は翌年へ持ち越す。それが、冬が、寒くて陰鬱な日が続くという、うんざりさせる原因なのかもしれない。

2017年12月21日木曜日

何もない一日でした

思わずふーっと息をもらして固まるほどの寒さ。本気の冬だ。明日の「冬至」になれば、もう後戻りできない冬寒で、苦手といっても、お天道さまはかまっちゃくれない。日が射す場所を巡っても、ちっとも暖まらない。そんな中、近隣のスタディールームに出かけた。

というわけで、何ごともない一日だった。

ところで、時代を越えて(といっても、今の時代感覚に照らしてかもしれないが)美しいひとがいる。写真が残してくれたひとたちだ。たとえば、陸奥宗光の夫人の横顔もそう。今も変わらない、はっとするような惹きつける力がありながら、女性を前に出すことのない清雅さといってもよい。

アメリカの20世紀初頭の舞台女優にモード・アダムズがいる。ふくよかさよりも、どちらかといえば痩身のイメージで、古い映画スターというより、まさに今様とすらいえそう。そんな、彼女をヒントにした、SFファンタジー小説があって、それを原作にした映画があって、使われた音楽が、次のYoutubeにある曲という。まずは、小説から探してみようか。



そして追想的な彼女への賛辞

(Youtubeに登録のsarorun kamuy、David Remleyに感謝)

(付記)Maude Adamsのフリー情報について
Wikipedia (解説)
Wikimedia (写真)

2017年12月20日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 自然を友に生きる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、自然を友に生きる人生に関連する曲を紹介した。
(未聴のため他言語放送の解説をもとに記す)

始めに、「伯夷と叔斉(백이와 숙제)」兄弟の話で始まる「首陽山歌(수양산가)」について次のように紹介された。
・「歌辞(가사)」は、時調(시조)詩と合わせて歌う「歌曲(가곡)」で、支配階層が楽しんだ。全12曲が伝えられ、「十二歌辞」ともいわれ、長い歌詞を大笒(テグム:擦弦楽器)や奚琴(ヘグム:管楽器)などの伴奏で歌う。
・「首陽山歌」は、過去の王朝への節義を守るため、< 首陽山 > に入ってワラビだけ食べ、飢えて死んだという「伯夷・叔斉」兄弟の話で始まるため「首陽山歌」の名がついた。全体的には多様な故事を引用して、自然を友に生きる願望を込めた歌だ。

次に、パンソリを歌う前に喉を整える「短歌(단가)」のひとつ「竹杖芒鞋(죽장망혜)」について次のように紹介された。
・パンソリの前に、歌い手が喉を整えるため歌った「短歌」の一曲に、< 竹杖芒鞋と単瓢子だけで千里山川に入る > という一節で始まる「竹杖芒鞋」がある。「竹杖」は竹のツエ、「芒鞋」は麻や大麻を材料にした「わらじ」だ。そして「単瓢子」は瓢箪(ひょうたん)をいう。見せかけ(虚飾)をすべて捨て、簡素な格好で山川遊覧に出ることをあらわす。

最後に、識者(ソンビ)たちが隠居の代表に <漁師> をあげたことについて次のように紹介された。
・「竹杖芒鞋」に歌われた山は、(中国の江西省北部)「廬山」で、唐代の詩人「李白」に歌われた。高麗・朝鮮時代の謹厳な識者ソンビは、隠居の代表的な人生に <漁師> をあげた。生活のために漁をする漁師でなく、自然と交わりながら悠悠自適に過ごす人生として、漁をする漁師であり、多くのソンビが「漁父辭」を作って残した。

2017年12月19日火曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

冬になれば、このブログで必ずとりあげる曲に、イ・ソンヒの 5集所収の「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)がある。彼女の美しく澄み切った声は、冬に、凍てついた傷心の女性を見事に歌いきっている、と同時に、この作品作りの背景に、いかにも若者らしい作詞家と作曲家による、ラーメン作りがきっかけになっていたという、そのアンバランス振りがついつい頭に浮かんでしまう。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)

ファンは、この曲想をもとに、晴れ渡った青空と純白の大地といった、美しい冬の雪景色をバックに、この曲をYoutubeに登録するようだ。多分、女性の心情がなせるわざだろう。でも、コンサートで歌うイ・ソンヒの姿を聞きたいのが、おじさんの心情でもあるよ。


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2017年12月18日月曜日

(無駄口)新月に寒風

カレンダーの師走(12月)と、世相の忙しさに乗じて、その気になっている。そんなに大げさなこともしてないから、ちょいと考えれば分かることなのに。ただ、慌ただしい気分を真似したいだけ、味わいたいだけ。

韓国語教室の帰り道、新月のせいか真っ暗闇。満月は来年年初までしばらくおあずけ。
それに、今晩はとても寒かった。
都心の昨日の最高気温は、12月中で一番低かった。今日はどうだったろう。

それに比べて、国際宇宙ステーションの表面温度は ±150℃ という。地上は、まだまだ暖かいことになる。寒風に文句なんていえない・・・わけで。

ちなみに、満月は来年の1月2日。それまで、しばらく待つことにしよう。

2017年12月17日日曜日

金井宇宙飛行士

子どものころ、パイロットになるのが夢だった。宇宙飛行士は夢のまた夢、想像もできないことだった。日本人では、本来の意味の宇宙飛行士(アストロノート)として、毛利衛(もうり まもる)氏以来、多数の「宇宙飛行士」が「国際宇宙ステーション(ISS)」で活躍している。

(本ブログ関連:”宇宙”)

とはいえ、国際宇宙ステーションで一体何をしているのか、きちんと聞いたのは、油井亀美也宇宙飛行士による市民向報告会だけ。将来へつながる凄いことをしているとうかがったが、これまたちんぷんかんぷん。でも、それより感動的だったのは、会場に小さなこどもや小学生たちが親に連れられて多数参加していたことだった。

この子たちの中から、いずれ宇宙飛行士が登場するに違いないと確信した。彼らにとって宇宙飛行士は、空想に終わらない、手に届く実現可能な夢になった。そんな目を輝かせる幼い姿に、おじさんは最大の喜びを感じた。

本日、JAXAは、新たな日本人宇宙飛行士が宇宙へ飛び立ったと、次のように報じている。
------------------------------------------------
ソユーズ宇宙船(53S)打上げ!(2017年12月17日)
金井(宣茂:かない のりしげ)宇宙飛行士ら第54次/第55次長期滞在クルーが搭乗するソユーズMS-07宇宙船(53S)は、日本時間12月17日午後4時21分、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。
------------------------------------------------

金井宇宙飛行士は、Wikipediaによれば、「日本の宇宙飛行士で医師から宇宙飛行士へ転身したのは向井千秋、古川聡につぎ3人目である。また、油井(亀美也)につぎ2人目の自衛隊出身者でもある」とのこと。宇宙飛行士の層がますます厚くなっている。

(追記)
朝日新聞の記事によれば、金井宇宙飛行士の任務は次の通り。
------------------------------------------------
ISSでは医師の専門知識を生かし、無重力の環境が生体に与える影響を実験したり、アルツハイマー病の原因になるたんぱく質の複合体ができる仕組みを調べたりする。将来の宇宙長期滞在に向け、飛行士の被曝(ひばく)線量を測るなど、計32の任務がある。
------------------------------------------------

2017年12月16日土曜日

忘年会 2017

以前通った、韓国語教室の仲間たちと忘年会をした。話題も尽きず盛況のなか、終わって帰宅してみれば、日付が越えていた。ブログのノルマとして(日にちを欠かさぬよう)、タイムスタンプをいじって今日(12/16)の日付に直して記す。

このクラスは不思議なことに、生徒の出入りがあってもみな集い、忘年会を続けている。ひとえに、先生の徳のなせることだ。生徒も、いつも顔をあわせているような親しさがある。

そんな中、気のいいおじさんは、遠慮せずに参加した。久し振りのこと、若い子はしっかりキャリアを積み、年配者は語学力をつけている。みな元気に向学心を忘れない。感心するばかり。

この節目に、みなから英気をいただき、来年も頑張ろうと充電した。ただ心配なのは、わがバッテリーが経年劣化していることだ。

2017年12月15日金曜日

(雑談)柔らかいって本当に美味しいの?

子ども時代のベーコンは、周りが赤く染まった薄切りのクジラ肉だった。白くべったりして繊維状の脂身だが、フライパンで熱すると急に縮んでしまう。親の転勤で東京に来るまではそうだった。だから、豚肉のベーコンにしばらく馴染めなかった。その頃から、しだいにクジラ肉は姿を消していったが。

また、子ども時代のすき焼きで、最初に牛脂で熱した鍋をなじませるが、脂身は赤み肉の一部であり、延長だった。熱で油を出し切ってとろとろになった脂身も、兄弟で取り合いした。それが、今は、脂身を見向きもしなくなって、ほんの少量しか使わない。(使わないこともあるという)

テレビのレストラン紹介番組で、タレントさんが牛ステーキを食して、「柔らか~い」とびっくり顔する。撮影に協力してくれたレストランへの心向けもあるのだろうけれど、< 肉が柔らかいってどういうこと > と思ったりする。わたしにとって、肉は噛み切るものであり、そしゃくするものといった思いがある。どうやら、この「柔らか~い」は、今では「美味し~い」の同意語らしい。

骨董の鑑定のため、骨董商は、わが子に最高品だけ見せると聞いたことがある。食通も、本来そうなのだろう。余談だが、高級レストランのオーナーシェフが、料理人になったいきさつを、昔、テレビで語った。徒弟制度の時代、あるレストランに雇われて、初めてハンバーグを食べたとき、この世にこんなに美味いものがあるのかと驚いたという。それが、誰もが知るシェフである。この場合、子ども時代に徹底して美食に漬かっていたわけではないともいえるが、だからといって、だれもが食通、美食家になれるとも思えないし・・・。

わたしは、ステーキの焼き加減は、しっかり焼いたものが好きだ。

(付記)
学校給食の思い出で、脱脂粉乳の温かいミルクを、同じ世代が唾棄せんばかりに語るのを聞くと情けなくなる。ミルクのおかわりに並んだ記憶はないのかと。

2017年12月14日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-11th

2017年内のイディッシュ語授業は、今日でお終い。とはいえ、今年度の残りは、正月を明けてまだ6回残っている。やることがいっぱいある。気を引き締めて颯爽と出かける。
でも、ショーウィンドウのガラスに映った我が姿は、固くぎこちない。めっぽう寒いのだ。

今年の締めを飾るに十分な授業だった。

練習編(否定): נישט ,קײן を使った否定形
・.איך האָב אַ טיש. ← איך האָב נישט קײן טיש
  (I don't have a table. ← I have a table.)
      טיש ←  קײן טיש (注:不定冠詞)  、 האָב ← האָב נישט
・.איך האָב דאָס בילד. ← איך האָב נישט דאָס בילד
   (I don't have the picture. ← I have the picture.)
      דאָס בילד = דאָס בילד (注:定冠詞) 、 האָב ← האָב נישט

練習編(会話練習、単語練習)

文法編(愛称): ① diminutive(指小辞):小さなものへの愛情を込めた愛称の接尾辞、② iminutive:diminutiveを更に強調した接尾辞
・iminutive  ← diminutive ← Orijinal
   האַנט ← הענטל ← הענטעלע  (hand)

文法編(名詞の複数)

その他の話題
今日初めて知った歌で、ハヌカ(ハヌカー)の時期(今年は、12月12日にあたる)に歌う「Maoz tzur(マーオーズ・ツール)」を教えてもらった。

(正統派の集団が歌う『マーオーズ・ツール(maoz tzur, 「砦の岩よ」』という)

(Youtubeに登録のHebrew Songs With English Subtitlesに感謝)

2017年12月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 青春歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「青春歌(청춘가)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、時の経過を思う、京畿民謡の「青春歌」について次のように紹介された。
・時の速さを、年齢に比例して、10代が時速10キロで感じるなら、20代は20キロ、30代は30キロに感じるだろう。年末にもそうで、いつの間にか12月、今年も残りひと月ほど。この一年、何をしてきたのか、また、これからどう生きるか考える。ソウル近郊の京畿民謡の「青春歌」に、面白い歌詞がある。< 歳月は流れる水のよう、人生は過ぎ去る風のよう > という内容で、< 金を払っても歳月を買うことはできない、歳月を無駄にするな > と。昔の人々の言葉に納得だ。

▼ 「青春歌」の歌を聴く。振り絞るように力んで歌う・・・納得と教訓だろう。

次に、伝統音楽へ若者が馴染めるよう様々な取り組みがあることについて次のように紹介された。
・「青春歌」の年代別反応は違うようで、高齢者は自分の話とうなずくだろうし、中年では、これを好むのは歳をとった証拠と、感嘆したり嘆いたりする。伝統音楽を理解するには、聴く者にも聴く準備が必要であり、若者が馴染めない理由がそこにある。そんな垣根を越えるため、若者グループ(씽씽)に、伝統的な民謡をロックと結合させた多様な試みがされている。

▼ 「青春歌」を < 面白く再解釈した > 「サシレニという遊びの歌(사시랭이소리)」を聴く。今様に(イ・パクサを・・・)

最後に、若い感性で伝統音楽を解釈す国楽ミュージシャンの課題について次のように紹介された。
・伝統音楽は譜面より、師匠と弟子が向かい合い歌う、口承が多く、今日に至るため、人や時代により変化もあるが、変わらねばならない音楽とも言える。以前は、伝統を重視したが、今は、伝統をいかに受容するか考える時代になった。若手の国楽ミュージシャンに与えられた課題で、伝統的リズムや情緒を基に、若い感覚にも合わせた音楽だ。

▼ < 独り者の木こりを歌にした >「どこへ行くべきか(어드로갈꼬)」を聴く。民話風に面白く可笑しく、今様に。

・この歌に登場する男は、< 結婚できぬ身を嘆きながらも、一生懸命働いたところ、春のある日、美しい女性が若葉を摘むのを見る > 、心を奪われた男の気持ちを、面白く表現した歌だ。

2017年12月12日火曜日

イ・ソンヒ「空がくれたもの」

イ・ソンヒの唯一と思われる、日本発売の日本語曲「空がくれたもの」、「見せたいけしき」(1993年)がある。その曲目について、これまでYoutube映像かたがた何度か紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”空がくれたもの”)

Youtubeに、更に音質の良いものを見つけたので、次に埋め込みさせていただく。

これらの曲が、彼女本来の歌唱と比べて、(正調というか清純な)アイドル路線を狙ったような歌い方をしているのに、かつ印象の違いに驚くことだろう。音質の良さからますます納得する。

さらにいえば、当時、彼女はソウル市議会議員(1991年~1994年)として在職しており、後ろからは < 少女漫画から飛び出してきたような歌手たち > が、前にはダンスミュージックが待ちかまえていた。


(Youtubeに登録のTipi Cに感謝)

2017年12月11日月曜日

印象派絵画と写真

印象派絵画と写真撮影が表現を競った時期があったようだ。そのような写真を記録した展示会や冊子を見かけないのは残念だ。(写真の出現は、画家たちに大いに驚異だったに違いない・・・、そこで画家たちは、映像を「個性」という名の個人的な美意識の世界に取り込んだ)

(本ブログ関連:”絵画”)

静止画から動画(シネマトグラフ)に変わったとき、画家は、三次元を二次元に分解したキュービズムで競った。こちらは、両者は映画や抽象画に発展したが。

印象派の絵画で気になることがある。緑陰を青で表現することだ。はたして、人間の視覚で感じ取れたことだろうか。

光を直接捉えるのに、ピンホール利用のカメラ・オブスキュラや、レンズの色収差からヒントを得たのではないだろうか。

(フェルメールの世界を髣髴させる、カメラ・オブスキュラの映像)

(Youtubeに登録のNational Geographicに感謝)

2017年12月10日日曜日

梵音

イ・ソンヒの音楽的な才は、伽耶琴(カヤグム)と唱を楽しみ、こよなく彼女を慈愛した祖父、そして声がよく通り、仏教音楽の梵唄(ボンバイ:범패)指導に長くたずさわった父親の影響を大きく受けたようにみえる。

資料)「梵唄」の解説(「NAVER百科事典」)
---------------------------------------------
・寺院で主に斎を上げるとき歌う歌。
・「梵音」(ぼんおん、ボムウム)、「魚山」(オサン)とも呼ばれている。仏の功徳を賛美する歌で、「梵唄」は、インドの声という意味だ。荘重で厳粛、「和請」(화청)を除いては声に意味が含まれていないことが特徴だ。
---------------------------------------------

梵唄、梵音ともいうこの仏教の詠唱を、俗人に果たしていかに聞こえたか。まれに葬儀のときにしか聞かない、仏僧の読経に、意味も分からずいささか眠く惑わしくなる、かも知れない。

昔、中国の唐の時代に、商人が < 玄陰池(げんいんち) > で経験した不思議なできごとも、眠りに誘われてのことのようだ。(岡本綺堂「中国怪奇小説集  宣室志」の < 玄陰池 >)
---------------------------------------------
商いに出かけた商人が大樹の下で眠っていたとき、一人の僧が現れて、五台山の麓に居をかまえているのでと誘われ付いて行く。大勢の僧が、玄陰池にひたり暑気をしのぎながら、< 梵音 > を始めた。商人は、なかば強引に冷たい水中に引き込まれる。・・・夢が覚めた商人は、元の木の下で、びしょ濡れになって眠っていたのである。(以下略)
---------------------------------------------

ありがたい梵音も、実は蛙の鳴き声だったというわけだが、単調な繰り返しは宗教的な表現にありがちで、歌であれ動作であれ共通して見られるようだ。(シャーマニズムにおいては、繰り返しの回転、跳躍、あるいは前後の揺すりがあって、ある種境地へ到達する手段のようにもみられる)

2017年12月9日土曜日

(TED講演)リサ・ジェノヴァ「アルツハイマー病を予防するためにできること」

物忘れするたび、漠然とした不安がある。やがて具体的なアルツハイマー病へとつながる恐れだ。何車線もある広い道路を進んでいたつもりが、いつのまにか、片側が深くえぐれた峡谷の後戻りできない細道を走っているのではないかと。考えない方がましなことの一つだ。

そんな時、作家・神経科学者のリサ・ジェノヴァが、TEDカンファレンス(NHK「スーパープレゼンテーション」で放送)に登場して、「アルツハイマー病を予防するためにできること」をスピーチした。気休めかもしれないが、少し安心をくれた気がする。(彼女は小説「アリスのままで」の著者だそうだ・・・未読だが)

(本ブログ関連:”TED”)

講演者リサ・ジェノヴァの話題に、次のような言葉があったので記す。

・研究開始時に75才以上だった678人の修道女を、20年以上追跡調査したものがある。
・彼女たちの死後、脳は全て解剖研究に提供された。
・科学者たちは、いくつかの(アルツハイマー病羅患の)脳に驚くべき発見をした。
・アルツハイマー病の兆候があるのに関わらず、こうした修道女たちは、生前何の症状も示していなかった。
・これは、彼女たちがより機能的なシナプスを持っていたといえる。
・長年、正規の教育を受け、識字率が高く、精神的で刺激的な活動に定期的に従事する人は、すべて認知予備力がある。
・アルツハイマー病のような病気があっても、或いはシナプスのいくつかが傷ついても、 バックアップ接続が可能である。
⇒ 迂回するシナプスの可能性
(アルツハイマー病にかかりにくい脳を作るため、クロスワードパズルのような <知っていること> をやるのでなく)
・ 外国語を習ったり、新しい友達を作ったり、本日のようなTEDトークを聞くことです・・・と。

(TED講演に感謝)


2017年12月8日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 林芳蔚、スクテモリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、林芳蔚임방울、1904年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネット未聴のため解説記事のみを記す)

始めに、「林芳蔚」が歌った「スクテモリ」について次のように紹介された。
・1925年、ソウルの景福宮で開かれた毎日新報社の歌い手大会に、小柄の男が舞台に立ち、みすぼらしいみなりに注目されぬも、彼が歌いだすと場内は静まり、歌い終わる頃には、涙する人も見られた。彼こそ伝説の歌い手「林芳蔚」だった。曲は、「春香(춘향)」の獄中歌を表現した「スクテモリ」で、レコードになり、20万枚とも100万枚以上が売れた。当時の状況を考えると、20万枚も決して少なくない。

▼ 「スクテモリ」の歌。⇒ Youtube(登録者に感謝)

次に、林芳蔚と妓生「珊瑚珠(산호주)」との物語について次のように紹介された。
・人々は、林芳蔚のパンソリに惹かれ心を慰めた。彼の葬儀に多くが訪れた中に、ホームレスもいた。歌を聴きたい彼らに、無償で観覧させてくれた恩返しだ。そんな林芳蔚は、妓生の珊瑚珠に夢中になり、歌を忘れ、声が出なくなったとき、何も言わず彼女も元を去った。珊瑚珠は、病になり亡くなる。その彼女を抱きかかえて、林芳蔚は「思い出(추억)」の曲を歌った。

▼ 「思い出」の歌と演奏。<切ない歌詞に、今も涙を流する人がいるという>⇒ Youtube(以上の登録者に感謝)

最後に、林芳蔚と金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)の関係について次のように紹介された。
・英雄にライバルがあるように、林芳蔚に、「金演洙」がいた。林芳蔚は貧しい生まれで、学問とかけ離れ、歌一筋で生きた。喜びも悲しみも、人々と共感した歌い手として知られる。一方、金演洙は、豊かな家に生まれ、漢文も学んだ。パンソリに漢詩文表現が多数あるため、適当に歌う歌い手があった中、金演洙は、その意味を生かして歌った。林芳蔚の人気に対して、金演洙は、事の内容も知らぬとけなしたが、林芳蔚は、事の内容を求めては歌が台無しになると返した。また、林芳蔚には、きれいな音質のレコードがほとんど残っていないのに、金演洙には、本やレコードなど保存されて、二人の人生の違いが垣間見られる。

▼ パンソリ「水宮歌(수궁가)」から「皐皐天邊고고천변)」。⇒ Youtube(登録者に感謝)

2017年12月7日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-10th

イディッシュ語教室の、今年の残り回数は、今日を含めて後2回。あっという間に進んできたが、こうべを倒れるほどの実りは乏しく、ただすっくと天を見上げる能天気。このまま、足手まといにならぬよう付いていこう。

今回も、いろいろ多彩な授業だった。
文法編1:名詞の単数/複数と性に応じた「形容詞の接尾辞」・・・ 今回のところ!
・単数: ① 男性名詞 + ער-形容詞 + אַ/דער、② 女性名詞 + ע-形容詞 + אַ/די、③ 中性名詞  + 接尾辞なし形容詞 + אַ、中性名詞 + ע-形容詞 + דאָס
・複数: 名詞 + ע-形容詞
文法編2: 副詞 ≒ 形容詞(接尾辞なし)
文法編3: 名詞 + נישטקײן + 動詞、נישטは動詞の後ろ、קײןは名詞の前

前回の練習時に、いくつかの単語が話題になり、辞書「Comprehensive English-Yiddish Dictionary」から紹介された。
・SF(Sci-Fi:Sience fiction): די װיסנשאַפֿטלעכע פֿאַנטאַסטיק 
   SFの分類に、科学中心の「ハードコア」と、文学的ストーリー中心の「SFファンタジー」があるが。

その他の話題
・書籍:遠藤周作著「聖書の中の女性たち」の紹介。キリスト誕生の場面に、人間的視点とその洞察があるようだ。
・DVD:  映画「א געשעפט(A Gesheft)」を前回に続き結末まで見る。主人公が宗教的救いを得てラビとして生きる。

(ただ、遠藤周作すなわち「狐狸庵先生」の姿を見たくて)

(Youtubeに登録のLINDMINATORに感謝)

2017年12月6日水曜日

(雑談)テレビについて

(白黒ブラウン管の)テレビが初めて家に来たとき、毎日が映画館だと歓喜した。アメリカのテレビ番組「ハイウェイパトロール」に始まり、子ども向け番組(正義の味方の)「月光仮面」など楽しんだ。漫画雑誌は、まだ購買層の年齢アップにシフトしていなかった。

随分と年を経た現在、そんな興奮は当然ながら残っていない。それどころか、テレビは気のいい友人のように、いつのまにかこちらに入り込んで来ることがある。ある意味うっとおしい、野放図な存在なのだ。

一方、PCでWEBにしばらく集中した後、テレビを久し振りに見ると、最近の傾向だろうか、効果音がやたらうるさいのに気付く。聴き取りが悪くなって、音量を上げざる得ないからかもしれない・・・悩ましいところだ。そこで、思い切ってリモコンの「消音」ボタンを押すと、急に落ち着く。この効用はばかにならない。

電気工事のついでに、高精細の4K有機テレビの紹介を受けたが、今後購入することはないだろう。Youtubeに、新型テレビの基本設定を紹介するものがあって、いろいろな機能を解説してくれる。でも、それが面倒なことに思えるし、必要も感じない・・・「それが、そんなにいいことなの」といった思いしか浮かばないのだ。さように、新しいことに関心がなくなっている。

ただし、イ・ソンヒさんが歌う姿を、4Kテレビで一度見てみたいものだ。(聞くところによると、来年中に8Kテレビまで登場するという)

(付記)
「Windows 7でアップデートに失敗する不具合が発生中」(PC Watch 12/5
- 今のところ、解決の糸口はない模様!
⇒ 次の「ネットセキュリティブログ」を参照して、解決しました(12/9)・・・ 感謝。
    「『Windows 7』の『Windows Update』の確認が終わらない場合の対策方法について

2017年12月5日火曜日

年齢と誕生日について

韓国では、今も年齢を「数え年」でいうようだ。昔の日本もそうだったが、今は満年齢なので数え年を直感しにくい。また、誕生日について、韓国では旧暦でいうようだ。(70年代初頭までは、旧暦の誕生日を祝ったそうだ・・・ 新暦カレンダー上、毎年日にちが違うので変な感じがしただろう)

現在、イ・ソンヒのファンクラブも、誕生日を(日本風に今様に)新暦で祝っているようだ。

彼女の誕生日は、旧暦で1964年11月11日、新暦で12月14日になるのだが、いまだに、<旧暦を新暦に変換した該当日と、旧暦当日の新暦そのままの日 >を混乱して、ブログに記述の誤りがあるかもしれない心配がある。

正直、ネットの「新暦・旧暦変換」ツールで、つど確認しないと不安だ。作成者に感謝。

2017年12月4日月曜日

月明かり

今夜の「満月」は、「スーパームーン」といって、いつもより大きく見えるそうだ。韓国語教室の帰り道、雲間から明るい月明かりが射すのを感じたが、立ち止まって見上げる余裕はなかった。何しろ寒い、急いで帰った。

部屋で温もって気付いた。ちゃんと見ておけばよかったと。少々残念な思いしながら、じゃあ実際に窓を開けて覗くかといえば、寒さに躊躇する。その程度の根性なのだ。

だから、美しい旋律で、月明かりを想像してみたい。月光に包まれたような、浮遊感すら感じさせる、ドビッシーの「月の光」を、フジ子・ヘミングの演奏で聞かせていただくことにしたい。

月明かりに色があるなら、この曲には白光を感じる。漢詩なら青いだろう。さて邦楽ならどんな色になるだろう。


(Youtubeに登録のpinkurouに感謝)

2017年12月3日日曜日

そろそろ「第九」の季節

年末、この時期になると、各地の交響楽団と合唱団によるベートーベンの交響曲「第九番」(合唱付)が演奏される。なぜ12月なのか、日本での盛況ぶりについて、いろいろ話題があるが、大勢でやれる恒例の(文化)行事になっているのだから、楽しめればいいのではないだろうか。(日本は年末行事が好きだし、ヨーロッパはニューイヤー行事が好きなようだ)

学生時代にオケラにいて、「第九」演奏で、ある金管パートを経験したことがある。発表場所も上野駅前にある演奏会場、といえば大層に聞こえるだろうけど・・・本当は・・・そうだったに違いない。

練習の際、分厚いスコア片手に、各パートの特徴部分を蛍光ペンで色付けしたりした。ところで、実際の演奏譜面はどうだったかといえば、ヴァイオリンの場合、冊子といっていいほどの厚さをしていたのに比べて、われらの金管パートは、(A3よりもちょっと大きい)用紙一枚の見開きに全4楽章があり、しかも第2楽章と第4楽章しかないのだ。(ベートーベンの時代、金管楽器は、リズム楽器的な扱いが多かった。歴史的なわれらの金管は、合唱と親和していたので・・・第4楽章が華だったのかな)

(本ブログ関連:”ベートーベン”)

まあ、そんなわけで、勲章は大きいけれど、内実は正直なところ、第3楽章の待ち時間がとても辛かった記憶がある。(ワグナーの時代になると、金管が俄然輝きをます・・・こちらはとても手に負えない)


(Youtubeに登録のRay Nittoloに感謝)

2017年12月2日土曜日

三隣亡

どういうわけか存ぜぬが、今日は「三隣亡(さんりんぼう)」で、ネットによれば、 < この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣をほろぼすといって忌む日 > だそうだ。手元の日めくりカレンダーには「三りんぼう」と書いてある。

ご近所に新築現場があるが、誰も気にしない。(Wikipediaによれば)起源も不明、歴史も古くない、「三隣宝」から「三隣亡」へ、吉日から凶日に転じた俗信という。縁起でもないとはいえ、どうもピンとこない。家作りはそうそうないのだから。

年末になると、「火の用心」の掛け声が聞こえてくる。思いつきだが、今晩からこれを始めると、実感が増す気がする。夜分、寒い中を廻ってくださるボランティアのみなさんに、そんなこと正面から言えるわけはないけれど。

(本ブログ関連:”火の用心”)

この「三りんぼう」の発音、どこかのんびりした響きがして、凶日のイメージが湧かない。ひらがな書きすると、ますます気が緩む。

2017年12月1日金曜日

今日から12月

ついにやって来ました、12月が。年末も残り31日間しかありません。一年(365日)で見れば、11/12が過ぎてしまい、あと1/12しかないのです。いつものように、食ったリンゴで例えるなら、もう味わえるほどもないのです。

書店に、カレンダーどころか、「家計簿」までもどっさり並んでいます。気分は来年です。とはいえ、町に変わった様子は見られませんが、気ばかり焦ります。師走です。

実は、今日のブログ、テレビを見ていてうっかり今日中に書くのを失念してしまいました。タイムスタンプはアリバイ作りですが・・・日付が回った後から、つじつま合わせしています。

リンゴの例え話をしたので、イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年、作詞・作曲イ・ソンヒ、編曲チェ・テワン)を聴いてみましょう。

思い出に別離が刻まれては辛いでしょう。花咲くリンゴの木の下で、そんなこともあったねと笑えればいいのですが、そのときは5月、まだだいぶ先のこと。春になればと想えば、しばらく寒い冬も耐え忍べるかもしれません。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年11月30日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-9th

先週、大学祭のための休講をまたいでの授業、久し振りの感がするのは不思議。何のことはない、日ごろこつこつと積み重ねを怠っていた証かも知れない・・・、かすかに雨粒を感じながら出かけた。

今回は、いろいろ豊富な授業だった。
・文法編:(名詞の<複数>の続き)複数形の作り方、① 接尾辞に、ער, -ס, -וח- を付ける、② 名詞の母音の変更、③ 接尾辞に、ן, -ען- をつける、④ ヘブライ語男性名詞に ים- を付ける。
         例 (Book)    複数     単数
         ----------------------------
         Yiddish      בוך   ביכער
         Hebrew    ספֿר  ספֿרים
                       [sforim] [seyfer]
         ----------------------------
その他の話題
・書籍:「Unchosen」超正統派コミュニティーからの離脱について(社会学者の調査を元にした本)
・DVD:  映画「א געשעפט」、前回、音声が聞こえなかったが、前半一部を鑑賞できた。
・余談: Tevaサンダル

前回の教室で、仲間に紹介された、イディッシュ語作家「アイザック・バシェヴィス・シンガー」の小説「悔悟者」(大崎ふみ子訳、吉夏社、2003年)を読んだので、感想方々持参した。俗(肉欲)なるものから聖なるものへの転換だが、実はそれが二重らせんしていて、作者は物語の背景にシニカルな独特な視点を持って描いているようだ。(主人公が作家に語りかけるといった体裁は、どこかで見たようで、随分と直截的だ)

(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”)

(気分しか記憶にないけれど)大審問官との論争や、状況に屈する転向論のような苦さを、心に準備ないままこの物語から感じ取るには遠いかもしれない。「本来あるべきユダヤ人」をイメージできる知識も情報もないのだから。でも、主人公のヨセフ・シャピロが、悔悟者にいたるふらつきぶりが人間らしくて面白い。どうやら彼は、非ユダヤ的ではなくなったようだ。身の置き場をやっと見つけたといった方が、分かりやすいかもしれない。
(他の教室仲間も、この小説を読まれるとのこと)

ユダヤ人も、そのコミュニティーの中で、あるいはその出入りにおいて、それなりに大変でやっかいな問題を抱えながら生活しているようだ。人に共通なこと、ユダヤ人ならではのことで・・・。

2017年11月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 高麗の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、高麗時代の歌「双花店(쌍화점)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネットの日本語放送未聴のため英語版ほかを参考にした)

始めに、高麗時代の歌「双花店」について次のように紹介された。
・「双花店」は、餃子店を意味する。「双花」は、最近の餃子ではなく、肉と野菜の具が小麦粉生地の中に詰め込まれたもの。発酵したワインで作られた味のないパンのようなもの。この歌に、イスラム教徒の商人が触れられたわけは、昔、高麗の首都(開京)に中央アジアのイスラム教徒商人たちが居住するコミュニティがあった。

▼ 高麗時代の「双花店」(推定の歌)を聴く。女性が行くところ男たちが手首をつかむという、大らかな時代か。

次に、高麗時代の <別れを惜しむ歌>「去りしや(가시리)」について次のように紹介された。
・高麗時代の俗謡は、朝鮮時代になって儒教精神のため排され、残るものが少ない。この「去りしや」も、「双花店」の歌と同様に推定された歌である。これらは、<「楽章歌詞(악장가사)」(高麗時代から朝鮮朝初期までの歌謡・楽章など集めた歌集)にある>。

▼ 高麗時代の歌「去りしや」を聴く。幻想的な雰囲気にして聞かせる、今様に。

最後に、高麗時代の「青山別曲(청산별곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代に歌われた「青山別曲」は、朝鮮前期の成宗代に編纂された「時用鄕樂譜(시용향악보)」に記録された。それぞれの(階層などの)立場からさまざまに歌われた。

▼ <緑の山々で余暇と幸福の生活を送るための歌>「青山別曲」を聴く。今様に。

2017年11月28日火曜日

3人兄弟と魔物

シベリアの少数民族の民話集「シベリア民話集」(斉藤君子編 訳、岩波文庫)に、魔物に取り付かれた3人の兄弟の話がある。民話というか物語に、神話の祖形ともいえる共通な部分がある。3人の兄弟、長男と次男の非業の死と三男の活躍。その場面に <火> が登場すること、そして <生と死> が背中合わせのことなど。

(本ブログ関連:”シベリア”、”シャーマニズム”)

① ケト族の「月と太陽」の話。
3人兄弟の、上の二人はシャーマンで、下の一人は普通の人。ある夕方、家に魔物(ムィラク)が入ってきて、長男、次男に死を告げ、順に棺桶に入れてしまう。三男は戦い挑んで、逆に魔物を棺桶に閉じ込めてしまい、天に逃げのびる。若者は、そこで若い女性と出会って妻にする。七年後、兄たちの死を悼む彼は、地上に戻ることになる。
その機会を待ったように、魔物は、閉じ込められた棺桶から飛び出し、いどみ掛った。三男はやっとのことで魔物を棺桶に再び閉じ込め、天へ登りながら、妻からもらった「櫛」で森を、「火打石」で崖を作って魔物をかわし逃げた。
やっと妻の手を握った瞬間、魔物にもう片方の腕を掴まれてしまう。両方から引っ張られた彼は半身に裂けてしまう。以来、妻は昼の間、人びとを照らしながら夫をあやし、夜にになって妻が眠るとき、夫は半身で大地を照らすことになった。

② エベン族の「三人の息子」の話。
ある朝、祖父と三人の息子が住む家のまわりにヘラジカの足跡があった。長男は祖父の制止も聞かずあとを追った。そしてヘラジカを見つけて仕留めたが、日が沈み夜営することになる。夜の闇の中から老婆が現れて肉を求めた。そして寝袋と銃まで貸し求めた。明け方、老婆は熊や狼を呼び寄せ、長男を襲わせる。その翌日、同じくヘラジカの足跡を追って出かけた次男も老婆の手にかかる。
一番下の息子は、三たびヘラジカの足跡を追うことになるが、用心深く、老婆のたくらみを見破り反撃する。熊と狼の腹から、兄たち骨と肉を引き出す。彼は、老婆をいたぶって、兄たちが蘇るわざを聞き出して、「命の湖」まで連れて行かせる。老婆は焼け焦げる湖など使って欺こうとするが、ついに「命の湖」にたどりついた三男は、そこの水を持ち、老婆の背にまたがって、兄たちの元に戻り、蘇らせることに成功する。
三人は老婆を穴に投げ込み、虫けらになるまで燃やした。這い出そうとする虫けらを集めて三日三晩、灰になるまで燃やし続けた。みなが安心して暮らせるようになったのはそれからのことという。

民話、もっと大きくいえば神話やシャーマンの物語につながるストーリー。小屋の中、焚き火(たきび)のまわりで、ひとびとがじっと耳を澄ます時、語り継がれたものだろう。民族にとって、人間にとって、そこには教訓があるのかもしれない。死を厭わぬこと、その中で知恵を付けること。そして、帰還して繁栄に結び付けること。神話には基本のかたちがあるようだ。

2017年11月27日月曜日

方向音痴

子どものころ、自転車に乗って知らない場所へよく遠出した。闇雲に走るのだ。電信柱の住所表示が今ほどない時代、完全に道に迷うことになる。

そこから始まる。大平原や砂漠を旅するように太陽を眺めながら、現在地を推測しつつ元に戻るのだ。来た道をそのままたどるのではない。いかに、見知らぬ道を通り抜け、帰還するかを内心ヒヤヒヤしながら楽しんだ。

あるとき、中年になって、都心の地下鉄駅から地上に出て脳内コンパスが全く効かないことに気付いた。愕然とした。いったん、方向音痴を自覚してしまうと、以来見当がつかなくなる。常習化するのだ。自信をなくした。あっけないほどに方向音痴に身をやつした。

(本ブログ関連:”方向音痴”)

冒険心をなくし、都内地図も目にしなくなった。今は、方向音痴を認め、通りがかりの人に素直に聞いてしまう。意固地に気張ることも、信念を押し通すこともなく、考えてみれば、街の環境もすっかり変わっているわけで、自分の方向感覚がいつまで通用するものでもないと・・・そう考えたりする。(たまに通る道で、すっかり更地になった空き地を見て、さて以前何があったか思い返しても浮かんでこないことがある。ましてや街の様変わりはなおさらだ)

2017年11月26日日曜日

(資料)朝鮮の地震(明治38~昭和9)

国立国会図書館のデジタル資料に、近代朝鮮半島の地震観測資料がある。「朝鮮気象三十年報」(朝鮮総督府観測所編、昭和11年(1936年))に掲載の、「十三章 地震」(隼田公地 執筆)に、明治38年(1905年)~ 昭和9年(1934年)の30年間の、各行政地域別地震発生回数が表示されている。

行政地域ごとの測候所・簡易観測所で観測した地震回数が記されている。地域別に最大観測回数の観測地とその回数を転記するにとどめる。
・当時、観測の地震震度は、微震~弱震程度
・測候所は十数か所、簡易観測所は150数箇所

行政区域  観測地     回数
----------------------------
平安北道  龍岩浦       6
平安南道  平壌        16
黄海道     馬山          4
京畿道     仁川        31
忠清北道  報恩        12
忠清南道  扶余        12
全羅北道  全州        15
全羅南道  木浦          8
咸鏡北道  清津          1
咸鏡南道  元山          7
江原道     横城          5
慶尚北道  大邸         15
慶尚南道  釜山・昌寧  6
----------------------------

上記は、参考資料であって、観測設備や機器の精度など、現在と比べるべき点があるかもしれないが、大邸は昔ながらの地震観測地であるようだし、他地域にも特異な偏りが見られるようだ。

2017年11月25日土曜日

公園のススキ原

朝、起きるのがつらい季節になった。勢いで起床しても、しばらくストーブで暖まる。着替えも遅れ、外出までに時間がかかる。窓越しに陽射しのぬくもりを感じる昼ごろ、ようやく出かけた。

昨日、「外語祭」の帰りに寄り道した公園に隣接する小公園を散歩する。太陽の高度は低くまぶしい。やがて、遠くの木立の奥に落ちると、一挙に冷えびえすることを知っている。長居はできないけれど、しばらくベンチで温もる。そして、うつらうつら心地よい時を過ごす。

目の前の河原に群生するススキは、逆光の中で穂を真っ白にして揺れていた。冬を知って身支度をしているようだ。そんな様を見ていると、おじさんはなぜか身近に感じる。

堤を(滑るように)よろよろと降りて、秋空に浮かぶススキの姿をカメラにおさめた。

2017年11月24日金曜日

外語祭 2017

平日の金曜日、人出を案じつつ、「外語祭」(11/22~26)に出かけた。ここ数年、学生たちの演じる <語劇> の観劇を楽しんだが、今年は大学祭の雰囲気だけ味わうことにした。(日頃お世話になる者の勤めとしてお邪魔したしだい)

(本ブログ関連:”外語祭”)

キャンパス中央にある円形広場は、思いのほか多くのひとびとであふれていた。平日もあって、(受験生や家族連れというよりは)他大学の若者たちが中心か。もちろん、年配者もそれなりに隙間を埋めていたが。(他方、講義棟の展示は少々寂しい気がした・・・)

広場を囲む回廊に、学生たちが専攻する言語と密接な民族料理店が開かれていた。いわゆる大学祭の屋台だが、ここは外語大らしい品揃えになっている。ビルマ料理の屋台で、菓子「サヌイマキン」(少し弾力のある < ココナッツミルクと小麦粉で作る優しい味のしっとりケーキ >)とミルクティー「ラペイエ 」(ものすごく甘い < 濃厚なミャンマー風ミルクティー >)をいただく。今年も甘い菓子を楽しんだことになる。

帰り道、紅葉に彩られた公園に寄る。人影はまばらで、辺りは静まりかえっていた。まさに黄、紅、茶、緑の色づくし。春の生気あふれる華やかさと比べて、やがて冬を迎える束の間の紅葉に染まった公園には、落ちついたたたずまいがあった。

2017年11月23日木曜日

勤労感謝の日 2017

今日は国民の祝日「勤労感謝の日」、勤労を尊ぶ日だ。昔、子どものころ、食事が済んで茶碗に飯粒が残っていたりすると祖母にたしなめられた。「お百姓さんが一生懸命働いて作ってくださったものを、最後まで大切に食べなさい」と。食事を通して、勤労との結びつきを知り、子どもながらにもそれを感謝する(単に商品ではない)意義を理解できたと思う。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”)

この祝日に、収穫祭でもある、宮中の「新嘗祭(にいなめさい)」がある。国民行事の名から離れてしまったためか、戦後生まれの者には、あまり身近に感じることはなかった。親世代が口にした、昔の行事といった記憶でしかなかった。(もし近くに水田があって、米の収穫を目にし、神社へ奉納する祭事があれば、違ったろうけれど)

歳をとると、伝統のいわれが気になるものだ。新嘗祭に、新米を食べることを知れば、その継承の必要性もわかる。<勤労感謝の日> と <新嘗祭> がようやく結びつき、実感するようになった。

今年も、電車内に、新米ブランドの広告が賑やかに飾られた。次々と新しいブランド米が出てくると、何がいいのか、どうやって食べればいいか気になる。美味い食べ方を知りたいものだ。

(付記)
木曜日に定例の「イディッシュ語」教室は、大学祭の期間中でもあり、休講となった。この余裕を、何に振り向けているというのか・・・。

2017年11月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 步虛子

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「步虛子(보허자)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、中国伝来の「唐楽(당악)」曲、「步虛子」と「洛陽春(낙양춘)」について次のよう紹介された。
・韓国伝統文化も、他文化との交流を通じて発展してきた。伝統音楽も同様、古来の「太平簫(태평소)」は中央アジアの、「奚琴(해금)は遊牧民の楽器だ。「仮面劇(탈춤)」に「獅子舞(사자춤)」があるが、韓国に獅子はなく、他地域の影響が推測される。現在ある宮廷楽には、統一新羅~高麗時代に中国伝来の唐楽曲の、「步虛子」と「洛陽春」がある。一千年以上経たものの、他の宮廷楽と少し違う。「步虛子」は、元々、漢詩歌詞があったが、吹奏楽だけが伝わる。

▼ <空中を歩く> 意の「步虛子」の演奏を聴く。そう思って聞けば浮遊感あふれるよう。

次に、歌詞を(復元という名で)盛り込んだ「步虛子」について次のよう紹介された。
・現「步虛子」は、道教との関連を推測して、国家太平を祈る歌詞が盛り込まれる。<天の美を仰ぎ、天の楽を奏でると、金色の鳳凰、銀色の鵞鳥が並ぶ>と平和な様を表わし、<王の長寿、民の平安、天の楽があまねく広がるよう、この杯を捧げる> という。ゆたりとしたテンポ、平和なリズムだ。

▼ フュージョングループ演奏によるモダンに編曲された「步虛子」を聴く。こちらは近距離で露に聞くよう。

最後に、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」(1007年~1072年)作「洛陽春」について次のように紹介された。
・もう一つの曲、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」作と知られる「洛陽春」は、<夕日の春> の意を持つ、(1960年代に付した)歌詞も幻想的だ。<まだ日は昇らないのに、鶯の鳴き声が響き> で始まる、幻想的な様を表わす。<渡り鳥にむかって、夫の便りはないかと尋ねる> 歌詞。愛する人を待つ想いを表わす歌だ。

▼ コムンゴとフルート二重奏に編曲した「洛陽春」の演奏を聴く。掌に聴くような小品、印象深い。今様に。

2017年11月21日火曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー

イ・ソンヒがカバーする歌の範囲は果てがなく、どのような歌も、あたかも持ち歌のごとく聴かせる。それも、原曲へ敬意を込めてそこなわず。だから、誰もが受け入れ、納得する。次のYoutube映像にあるように、舞台でトロットのメドレーを披露したときの、会場の雰囲気からそれが容易にわかる。

(本ブログ関連:”トロットメドレー”)

しかも、彼女が最初に歌う、「愛しか私はわからない」の原曲歌手のシム・スボンは、かつて、「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」と語ったほど。

イ・ソンヒの歌唱力から、果たして彼女のジャンルは何かと聞かれるたび、どう答えていいのか戸惑うことがある。そこで、イ・ソンヒについてする説明は、「国民歌手」といわれている、ということから始める。

曲目:
・シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集)
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)・・・何度も使用させていただきます。

2017年11月20日月曜日

忘れもの

日付が過ぎたことに気付いた。あわてて時間を巻き戻し、11/20として登録する。言い訳ついでに、忘れものについて記す。

忘れもの。小さなことは、そこらじゅう掃いて捨てるほどある。間近に物を見るため、眼鏡を頭に置いたのを忘れ、後で探すなんて珍しくない。逆に、忘れぬ工夫のため、目につく場所に物を置いたり、壁に吊したりするようになった。ドラマで記憶を失う病に侵されたヒロインが、ポストイットにメモして壁に貼るシーンがあるけれど・・・おじさんだと様にならない。ただ、だらしないたたずまいになるしかない。

「見える化」という、仕事のプロセスの要所要所で、成果を分かりやすく図表化する方法がある。これは、 明確な最終目標があればこそだ。一方、日常の忘れもの防止では、目に付くよう、生活の場に置きっぱなし(あるいは吊るしっぱなし)するでしかなく、めざとさが返って収拾のつかないものになる。

そうした対処方法は、老化の特徴といわれる。以前テレビで見た老人は、ベッドに横になりながら、孫の手のようなもので、四方の壁に吊るしたものを手探りして手元に運んだ。究極のものぐさ姿に感心したが、ちょっと心配だ。

中島みゆきの「忘れな草をもう一度」(1982年)を聞きながら、明日の片づけを考えている。おじさんも、そんなかどうだかの 忘れものの <荒野> にいる。
彼女のアルバム「Singles」(1987年)で初めて聴いた・・・残念ながら、Youtubeで彼女のオリジナルを聴くことはできない。(Youtubeに、素晴らしいカバーものがある)

2017年11月19日日曜日

空を飛ぶのを見てきました

昨日から1泊2日のバスツアーで、「2017 岐阜基地航空祭」に行ってきました。何を見たいかって、それは次の三つです。会場(基地)の広さに押されて、下記①のみの見学を実施して、後はギブアップしましたが、幸い、飛行は空を見上げればどこからでも見られるわけで、バス駐車場広場に戻って観察した次第です。(追記: 中日新聞記事(11/20)「主催者によると前年の二倍を超える十三万人が来場」)

(本ブログ関連:”飛行機”)

① 先進技術実証機「X-2
・今年の全国航空祭で、唯一、岐阜だけに実物展示されたそうだ。雑誌やYoutubeで見た赤と白の軽快な姿が目の前にあった。早めに会場に到着したので、30~40分待ちの行列だったが、その後は1時間半待ちといわれた。(現在の姿は、エンジンサイズに見合ったものとのことで、最終的なスタイルは、雑誌などでいろいろ予想されている)

② 「ブルーインパルス
T4練習機による編隊曲技飛行(同基地4年振りの飛行とのこと)。以前、2014年の入間航空祭で見て以来だ。今回は小雨もあり、編隊をくずさずの飛行に徹したようだ。ただし、編隊を組み直すため、分散して低空の旋回もあり、排気方向が地上(丁度バス駐車場)の観客方向になった瞬間、エンジン音の轟きは凄かった。(爆音で楽しむだ)

③  室屋義秀パイロット
・「2017年度 エアレース世界選手権」チャンピオンの室屋義秀パイロットによる曲技飛行。次のYoutube映像は、高い位置からの撮影のようで、(Lexus標示の)エクストラ300が地面すれすれを飛び、垂直飛行でキリモミしながら降下するのがわかる。小型機の能力いっぱい使いこなす、考えられない才能と、ありえない強靭さで、飛行の安定性を示してくれる。(見ながら、心の中で「もういいよ!」と何度叫んだことか)


(Youtubeに登録のk163k163に感謝)

また、F-14の低空の飛行があり、まさに腹に響く怒涛の爆音を響かせ旋回した。以前映画の音響で、大音響セットなるものを経験したが、ジェットエンジンが発する生の音を超えるのは不可能だろう。

屋外の保存展示に、F-1(三菱重工製)があった。何度見ても、F-4ファントムとヨーロッパ(英仏共同開発のジャギュア攻撃機)のキメラのようで・・・今回、フランス人がしきりになぜていた。
別の屋外展示場に、懐かしいT-33があった。昔、アルミ蒸着のT-33プラモデルを作った・・・今に思えば、もっと丁寧に仕事すべきだったと、それにF-86Fがあったが、やっぱり朝鮮戦争の臭いがする。

2017年11月18日土曜日

トワ・エ・モア「空よ」

子どものころ、夢で、何度空を飛んだことだろう。羽ばたきしながら上昇し、滑空してしばらく身を任せるのだが、決まって失速する。あわてて、はばたきを繰り返す。でも、結局、力尽きて地面に軟着する。幸い激突することはなかったが。

「ワルキューレの騎行」よろしく雲の中を突き抜けたり、宙返り(ループ)したり急旋回することもない。夢の中の飛翔は、飛ぶことの難しさを確認させたわけで、実りない夢だったかもしれないが、そのたび、あっ飛んでる、今度こそはと期待した。

せめて実際に、飛行機の飛ぶ姿を見たい。専門家の雄姿だから安心だ。

フォークの系譜と思う、デュエットの「トワ・エ・モワ」が歌った「空よ」(1970年)は、もっと心象的な空の歌なわけで、願いをかける空であり、すべてを見通す空、未来への空であり、過去を知る空。そんな、空も我がものにしてしまう、若いロマンチックな歌だ。


(Youtubeに登録のfuyatakeya1301に感謝)

2017年11月17日金曜日

韓国慶尚道の地震(続)

一昨日(11/15)の韓国慶尚道の地震について、韓国内で最近続く現象に関心持たれている。地震の原因を、韓国の記事(11/15、朝鮮日報/朝鮮日報日本語版、Chosun Online)は、九州-慶州-浦項の「地震ドミノ現象」といった表現をしている。

そこで、地震の規模や頻度について、国立研究開発法人「防災科学技術研究所」の「Hi-net地震観測システム」による自動処理マップで、日韓の状況を照らし合わせれば一目瞭然。次図は、ここ一ヶ月間(2017.10.18-2017.11.17)の地震状況を示したもので、日本は地震が日常化し、むしろ韓国の慶尚道の地震の唯一さが際立っている。

Hi-net地震観測システム自動処理Map

断層の所在により地震被害の受け方(直下型、津波、山崩ほか)が異なるので、むしろ韓国の国レベルの断層地図を知りたい。(2016年9月14日:中央日報日本語版、2016年9月23日:Chosun Biz

(追記)
・中央日報日本語版:「韓経:<韓国地震>地質基礎研究不足…続く余震に不安()、()」(2017年11月17日、韓国経済新聞社の記事)
・Daum掲載:「地震リスクこんなに大きいのに・・・断層帯上に原発の集中したわけ」(2017年11月16日、SBS記事)
SBSニュース(断層帯上の原発)

2017年11月16日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-8th

家を出て、ふと気になることがある。足元のズボンを確認して安心する話だが。昔、ある作家が、確か妹に女優がいて、彼が長い外套を掛けて外出したとき気付いた。なんと、ズボンを履いたつもりが、ステテコ姿のままだったというのだ。今まで、私にそんな経験はないけれど、ときどきこの話を思い出してあわてる。

いったん知ってしまうと気になるもの。学生時代、指導中の教授が雑談で言った。人間って、視覚に自分の鼻の存在を気にし始めると、止められないと。これも聞いて以来、寄り目して自分の鼻を見ないようにしている。

イデシッシュ語の授業で、名詞の性の見分け方について、理屈があればいいか、それともエイッとばかり覚える方がいいか話題になった。ひとそれぞれ、覚え方まで「性分」がありそうで・・・どちらがいいか、こればかりは偏れないしかたまらない。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

授業は着々と進んでいる。
・文法編: ① 名詞の性(男性、女性、中性)とその見分け方、② 名詞の格(主格、[所有格(属格)]、予格、対格)、 ③ 複合名詞(性は最後尾の名詞に従う)
・練習編: 動詞(現在)の不規則人称変化

ところで、(超正統派による)イディッシュ語で作られた映画「א געשעפט」(A Gesheft:The deal、2005年)を紹介されたが音声が出ず、次回持ち越しになった。

(1時間30分もあるので初めだけでも・・・犯罪の臭いがするが、何だか市民劇風で・・・)
(改)Youtubeが削除のため、代わって次の予告編をエンベッドする)

(Youtubeに登録のRabbi Pollack⇒Yiddisherに感謝)

韓国慶尚道の地震

昨日(11/15)、韓国慶尚道で地震が発生した。同地域は、昨年の7月5日に蔚山沖、9月12日に慶州市でマグニチュード5クラスの地震があり、連続して起きている。慶州市付近の南北および沿海に九つの断層があり、慶尚道海岸線には原子炉が密集している。

(本ブログ関連:”韓国の地震”、”韓国の地質”)

NEWSIS/朝鮮日報日本語版の記事「韓国気象庁『浦項の地震により韓国全域で揺れを検知』」(11/15)は、次のように報じている。(抜粋)

------------------------------------------------
・15日午後2時29分ごろ、慶尚北道浦項市北区マグニチュード5.4の地震が発生した。韓国気象庁は「今回の地震により、韓国全域で揺れを検知した」と発表した。

・イ・ミソン地震火山センター長は15日午後、ソウル市銅雀区の気象庁本館で緊急ブリーフィングを開き、「きょう発生した地震で、慶尚北道では最大震度6*を感じ、江原道・慶尚南道・大邱・釜山・蔚山・忠清北道などでは震度4、全羅北道では震度3を検知した」と発表した。

(*: 韓国の地震の震度=「メルカリ震度階級」)

・イ・センター長は、余震の有無などについて「頻度が減ってはきたが、昨年発生した慶州地震の余震がまだ続いている。今回も数カ月は続くものとみられる」・・・と語った。

・なお、昨年9月12日に慶尚北道慶州で発生したマグニチュード5.8の地震による余震は、現在までに合計640回観測されている。内訳は▲マグニチュード1.5-3.0未満618回 ▲3.0-4.0未満21回 ▲4.0-5.0未満1回。
------------------------------------------------

2017年11月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 男寺党の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「男寺党(ナムサダン)の歌(남사당의 노래)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、旅芸人の「男寺党」と詩人「盧天命노천명)」(1911年〜1957年)について次のように紹介された。
・昔、国中を彷徨いながら色々な芸を演じて生計を営むさまざまな集団があった。彼らが村を訪れると、祭りの雰囲気になった。その中に男だけの集団「男寺党牌(남사당패)」もあった。六つほどの芸を披露し、広い庭で農楽を演奏したり*、皿回しに似た遊びを披露した。綱渡りはヒヤリとすることから、氷の意の「オルム(어름)」と呼んだ。また、木製の胴に紐をつけた「操り人形(꼭두각시)」もあリ、その動く様が、人の首筋をつかむように見えることから、首筋の意の「ドルミ(덜미)」と呼ばれた。
・旅芸人を歌った「男寺党の歌」は、詩人「盧天命」の詩を歌にしたもので、<銀の指輪をはめてあげたい娘がいたが、次の日にはまた去らねばならない>という内容。彼らは、世の中で最も低い身分で、村を彷徨うのが仕事だった。だが、芸を始めると、自然と興が沸いたことだろう。

▼ 「男寺党の歌」を聴く。詩情あふれる旋律、運命と哀切、どこまで届く、今様に。

次に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」に男寺党牌が登場することについて次のように紹介された。
・善人の弟興甫(흥보)と、悪人の兄ノルボが登場するパンソリ「興甫歌」で、兄ノルボがヒョウタンを割ると、中から男寺党牌が出て来てノルボを冷やかす、ユーモアに表現する場面がある。

▼ パンソリ「興甫歌」から、「ノルボの最初のヒョウタンから男寺党牌が出てくる場面(놀보 첫번째 박에서 남사당패 나오는 대목)」を聴く。ヒョウタンから次々出てくるそうだ。

最後に、京畿道安城地域の男寺党牌にいた女性ボス「バウドギ(바우덕이)」について次のように紹介された。
・男寺党牌は男だけの集団だが、朝鮮時代末、ソウル近郊の京畿道安城地域の男寺党牌は、なぜか「バウドギ」という名の女性がボス役をした。彼女がなぜ男寺党牌に入ったのか、生涯につい不明だが、綱渡りに才があり、宮中で綱渡りをすると、感動した王族が高い官職を与えたという。

▼ 「男寺党の空」から「男寺党の歌」を聴く。随分と荘厳に聞こえる。

(*)これら芸を行う場所を指して「パン(판)」、地面に転がって芸をするのを「サルパン(살판)」(生きる場の意)といい、うまくできれば生きる場、できなければ死ぬ場としてそう呼んだ・・・とのこと。

2017年11月14日火曜日

イ・ソンヒの「心のようにあなたのそばに」

心は不思議なもので、自分に在ってないようなもの。「心」と表記したときと比べて、「こころ」にはまた違った在りようがある。「こころ」はじんわりと想いをたくわえてくれる、そして「心」は伝える姿を装う。

ひとが願いごとをシャーマンに依頼するとき、儀式が執り行なわれる。言葉にからまった穢れやくもりを除き、清め、純粋な言霊に磨き上げるからだ。そうでなければ、自然は応えられない。「心」を伝えられない。

イ・ソンヒの5集に収録の「心のようにあなたのそばに(마음처럼 그대곁에)」(1989年、作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン)の「心」は、鳥に託して空を飛ぶ「言霊」のようなもの。若ければ、シャーマンの力を借りる必要もないほど美しい。(若者に辛いおじさんも、これだけはそう思う)

(本ブログ関連:”心のようにあなたのそばに”)


あなた、離れているけど、心は自由なのよ
思ったら、どこでも行ける、心はすでにあなたのそばに
*
あなた、会いたいけれど、私は鎖に縛られ
一歩二歩、近づいていくけど、まだあなたは見えない
心のようにあなたのそばにいたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに

(*以下繰り返し)

(心のようにあなたのそばに)いたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに


(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2017年11月13日月曜日

国際標準地「チバニアン」

鉱物好きなのに何だかんだで活動が止まったまま。深くも広くもない理解。地質(年代)、鉱床、まして組成についてもいい加減なまま、ただ標本をながめるだけの過ごし方・・・でもいいじゃないか。

そんなぐうたら気分に、こんな話題が飛び込んできた。今の地質の時代に近いとされる、77万年前~12万6千年前までの地質年代層序(地層:新生代>第四紀>更新世>中期)を「チバニアン」(「千葉の時代」の意)と呼ぶようになるらしい。その年代を示す「国際標準地」として、千葉県養老川沿いにある(地磁気反転を示す)地層が採用されたという。(最終的に「チバニアン」が採用されるかどうかを、関係者は慎重に見ているようだが・・・)

NHKのネット記事「『チバニアン』 国際学会が『国際標準地』に登録の答申」(11/13)によれば、最新の地質年代の名称が、日本の地名にもとづくものになると次のように報じている。(抜粋)

----------------------------------------------
・千葉県市原市にあるおよそ77万年前の地層を地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録し、その時代を千葉時代=「チバニアン」と名付けることを目指す茨城大学などのグループは、審査を行っている国際学会(「国際地質科学連合」)の作業部会から投票の結果、市原市の地層が、イタリアの候補地を破り次の審査を行う委員会に「国際標準地」として答申することになったという連絡があったことを明らかにしました。

茨城大学国立極地研究所などのグループは千葉県市原市の養老川沿いにあるおよそ77万年前の地層に地球の磁場が逆転した痕跡があるのを見つけ、地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録するよう ことし6月、国際地質科学連合に申請しました

・認められれば、地球の歴史のうちおよそ77万年前からおよそ12万6000年前までの時代がラテン語で千葉時代を意味する「チバニアン」と名付けられることになりますが、候補地は、このほかにイタリアの2か所があり、国際地質科学連合の作業部会が16人の委員で議論してきました。
----------------------------------------------

そういえば、同じく千葉県から2011年に、新鉱物の「千葉石」が公表され(日本地質学界の「県の石」に選定され)たことがあったね。
それに、もっと大きくいえば、新元素の原子番号113に、「ジャポニウム」が採用されて何となく嬉しくなったことがある。科学の世界で、日本に関係する命名は気持ちいいものだ。まるで、子どもみたいなところがあるが・・・。

2017年11月12日日曜日

(雑談)木に巻きつく明かり

夕方になると、駅前の木々がクリスマスのためだろう、青色と白色のライトに飾られて点滅する。その青色が、ペルシャンブルーというかラピスラズリを思わせる濃さだ。当り前に思ってきた青とは違った、欧米人好みする色調という感がする。

少し前まで、夜間の木々を飾った照明は、白色光が中心だった。それが、LEDの青色発明後、欧米好みを真似てか、青色が加わった。アジア人と欧米人の色感に違いがあるってことは通説だけれど。でも、あの奥行きある、底にじんわり輝きを持った群青の明かりは気になる。

夜間、木々に照明ライトを巻きつけると、彼らに昼夜の区別を与えないことになる示唆があった筈、今はだれも口にしない。駅前の木々は、固い路面に雨水を直接下水溝に流され、自動車の排ガスにさらされ、そのうえ自然光の加減まで奪われて・・・、本来、木の健康な証である、光合成作用のすべての要件を人の勝手にされている。なのに、ぼくらは駅の改札を出て、目の前にそびえる木立の緑をながめるやほっとする。

それでも、あの深い青色が気になる。夕闇に溶け込みそうでそうでない、秘かに、そして静かに輝く青色が気になる。高校時代に誰も口にしなかった、なのに卒業後集まった男たち誰もが問わず語りしたあの女性を思い出す。(青色LEDよ、いつまでもきれいに輝いてください)

(付記)
・中島みゆきの「歌姫」の歌詞に、「男はみんな嘘がうまいね・・・、女はみんな嘘が好きだね・・・」とある。
・TBSラジオ「蔦信彦 人生百景『志の人たち』」に出演した、映画シナリオライター高田宏治が知人の言葉として、(昔の生き方だが)「男は悔しがり、女は寂しがる」の旨を紹介した。

2017年11月11日土曜日

知りたいことばかり

イディッシュ語は、ドイツ語の響きがして、Youtubeにドイツ語とイディッシュ語話者が並んで話しているのがあるくらい。もちろん、両言語の会話内容を分かるわけないが、よく似てるなと感じる次第。素人にとって分かりやすく納得できるなら、東京方言と鹿児島弁の違いなのだろうか(いやもっとか)、知りたいところだ。

イディッシュ語は、ドイツ語圏から出立して、東欧への広がりに伴いポーランド語やロシア語の影響を受けたそうだ。ますます容易でないし、ヘブライ語(つまりユダヤ文化)の語彙もあって手も足も出ない。もちろん、それを気にするなんて、いうも恥ずかしいレベルだが。

言語ができあがる過程について興味ある一方で、イディッシュ文化と密接な<音楽>についても、その歴史を知りたいところだ。東欧系のイディッシュ音楽のジャンルに「クレズマー(クレツマー)」音楽があって、その起源に、「バルカン半島北部を含む東欧とドイツ」(Wikipedia)とある。民族音楽は、その民族の遺伝子のようなもので、表現の基底にあるもので、ことばや集団の文化と密接な関係があるだろう。

もちろん、「バルカン半島北部」起源について、何の確認を取ったわけでもないが、ドイツ語圏とかけ離れた、なぜ「バルカン」なのかといった不思議さを感じる。そもそも、バルカン音楽とは何かも知らないのに・・・知りたいことばかり。

2017年11月10日金曜日

枯葉とあそび

先日、隣り駅のロータリーを囲む並木のもと、歩道側の生垣に、枯葉の吹き溜まりができていた。それを見つけた幼児が、母親に見守られながら、枯葉を両手に集め持っては空に解き放す。風に舞い落下する様子がうれしくて、何度も繰り返していた。何気ない一瞬かもしれないが、おじさんには、母子の実に美しい光景に見えてしょうがない。

以前、このブログに、<「枯葉」の聴き比べ > を記して、実際の枯葉の様子を公園で確かめたい旨のべた。今日、ようやく近所の公園に出かけることができた。

ケヤキは、今まさに、茶色の葉をはらはらと落としている最中。イチョウは、路面にびっしりと黄色の絨毯を敷き詰めて、なおかつ木々に黄色の葉をまとっている。不思議なことに、そのときイチョウは小休止のようで、落葉することはなかった。また、ユリノキの木立が並ぶ一画があって、異国の秋を思わせる洒落た風景を見せてくれる。そういえば、去年もこの時期、ここで枯葉を楽しんでいる。

ところで、平日の公園はのんびりして人気が少ないため、保育園や幼稚園の園児、小学生の一団が訪れる。今日も、いくつかの広場に、子供たちの人影と声がした。幼児の声は開放された空間でも、不思議とよく聞こえる。精一杯、草原を走るさまは可愛らしく懐かしい。一方、小学生たちは、付き添いのカメラマンだろうか、クラス写真を撮ってもらっていた。この一瞬も、それぞれの人生につながり、記憶に残ることだろう。子どもたちを見ているだけでなぜか満たされる気分になる。

枯葉のおじさんは、今日じゅうぶん満たされた。

2017年11月9日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-6,7th

今日のイディッシュ語教室は、2時限連続の特別授業(2017秋期カウントを、06、07にする)。偶然というか幸運にも、アメリカから、イディッシュ語を話すことのできる女子留学生が参加してくれた。(留学生は、京都からお土産を持って教室に来られ、おもてなしが逆転してしまう結果に・・・)

留学生は、自身のイディッシュ文化との関わりについて語ってくれた。(その中からひとつ、写真投影もあって)、都心にあると思いきや、緑豊かな郊外に所在する「YBC(Yiddish Book Center)」での蔵書資料作成サポート経験を紹介された。同所は、世界からイディッシュ語書籍の寄贈を受け付けていて、蔵書が充実しているようだ。

目の前で、先生と留学生のイディッシュ語会話を聞いていると、(身の程知らずにも)その気になってくる。もちろん、先生の日本語解説があって了解されたことだが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

当然ながら、今日も授業(解説、Exercise)が進んだ。
① 定冠詞: דאָס , די , דער ⇒ 結論、名詞と定冠詞を一緒に覚えるのが良い!
② 動詞「好き(like / love)」: .איך האָב (נישט) ליב צו עסן [ I(do not)like to eat.]

最後に、日本で誰もが歌えるものの、イディッシュの歌(原曲1938年)であることが余り知られていない、「ドナドナ」の歌詞と楽譜が先生から配布され、みなで一緒に歌った。ちなみに、留学生から、「ドナドナ」のアメリカでの流行は、ジョーン・バエズが歌ってからによるのが大きいとのこと。それにしても、日本で誰もが知って歌えることに驚かれていた。

(本ブログ関連:”ドナドナ(Dona Dona)”、”素敵なあなた(Bei Mir Bistu Shein)”)

参考までに、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作「牛乳屋テヴィエ」(西成彦訳、岩波文庫)の「解説」で、日本での「ドナドナ」の普及について、次のように続けられている。
----------------------------------
(ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」公演の成功という)日本でこれまでほどに大衆的な支持を受けたユダヤ文化の遺産は、「ドナドナ」を除けば、たぶん類例がないといっていいほどである。
----------------------------------
かように、「ドナドナ」は、NHKの「みんなのうた」でも放送されたこともあり、日本の誰もが耳にした、あたり前の歌になっている。

2017年11月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 愛の舞踊

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「愛の舞踊」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、「都彌夫婦説話(도미부부설화)」に登場する「都彌(도미)」と婦人(아랑)について次のように紹介された。
・百済時代に、仲睦まじい都彌と美しい婦人がいた。王は、二人を試し、都彌を宮廷に閉じ込め、婦人を奪おうとしたが、婦人は王の言いなりにならなかった。怒った王は、都彌の目を抜く刑を下し、遠く船に乗せて流した。再び我が物にしようとしたが、婦人は、猶予を求めてひそかに逃れた。川辺にたどり着くも渡る船がなく、泣き崩れる婦人の所へ、どこからか現れた船に乗り逃げ延びた先に、離れていた夫の都彌がいた。二人は高句麗へ逃れ、最後まで伴に暮らした。

▼ カヤグムとフルート演奏で <悲しいが美しい愛の物語>「愛の舞踊(사랑의 춤)」を聴く。動と色彩、今様に。

次に、妓生の「黄真伊(ファンジニ、황진이)」と学者ソンビの「蘇世讓(소세양)」について次のように紹介された
・朝鮮時代、妓生の「黄真伊」は、美貌だけでなく漢詩や音楽の才があり、妓生ながら男たちに振り回されない強い意志の女性で知られる。学者ソンビの「蘇世讓」は、黄真伊に心を奪われぬ自信がある、彼女とひと月過ごして戻らねば自分は人でないと言った。黄真伊と出会い、夢のような時を過ごした後、約束通り黄真伊に別れを告げた。黄真伊は普通の女性でなく、楼閣上で酒を交わして別れの詩を歌った。それを聴いた蘇世讓は、自分は人でない、黄真伊の処に留まると言った。二人の別れを歌った詩を歌にしたものがある。

▼ 詩を元にした「送別蘇陽谷(송별 소 양곡)」の歌を聴く。月明かりの下、霜降る楼閣での別れを叙情的に、今様に。

最後に、妓生の「梅窓(매창)」と「洪吉童(홍길동)」の著者「許筠(허균)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、妓生の「梅窓」は、最下層出身ながら、両斑で「洪吉童」の著者「許筠」と親しくしたが、身分を越えた男女の友情は受け入れがたく誤解される。ある日、梅窓は、自分を去った地方官の石碑の前で、コムンゴを奏でた。人びとの、彼女が許筠を想っているとの噂が、彼のいる首都漢陽まで伝わった。彼は梅窓に手紙を送り、<月明かりの下でコムンゴを奏でたと聞いたが、人気のないところであれば良かったのに、自分が笑いものになってしまった> と、責めた訳でもない。噂のせいで悔しいと言い、<最近も参禅をしているのか> と尋ね、<梅窓がとても懐かしい> と言っている。

▼ 話を元にした「山うずら(산자고새)」をコムンゴ演奏で聴く。山霞するような叙情的に、今様に。

2017年11月7日火曜日

立冬 2017

一旦、ヒーターを入れると止められない。今日のヒーターは暑い、熱いけれど、パソコンデスクのそばから離せない。無ければ寂しいというか物足りなくなる。すでに当り前の存在になっている。

そんなときでも、二十四節気の「立冬」はやってくる。例年、立冬に即クリスマスを思い描いたが、なんだかポカポカ陽気して、今回はそこまで至らない。今年のクリスマスはだいぶ遠い。多分。

(本ブログ関連:”立冬”)

(付記)
ところで、先日の11月4日、釜山広域市海雲台区の国際コンベンションセンター「BEXCO」にあるオーディトリアム(4,002席*規模)で、韓国地銀「釜山銀行」の創立50周年を記念した「秋(愛)幸せ音楽会」が開催され、イ・ソンヒほかキム・ボムスなどの歌手が参加した。
(*)新聞報道では、6,000人招待とされている。コンベンションホールでも、5,340人収容である。

2017年11月6日月曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

今日の午後、例年と比べて思いのほか暖かだった。それでも、夕方、日が暮れると晩秋を感じる。天気予報では、間隔を開けて小雨が降るたび、寒さが増していくという。年末に向けての下り坂は急で、あっという間に冬を迎えそうだ。

公園を通り抜ける韓国語教室への往復路、冷え込みのせいか、秋の夕べに見かけたランニングする姿はない。公園をつつむ暗闇は、その奥に木立をかすかに感じるほど深い。やがて来る冬の厳しさを予告しているようでもある。

イ・ソンヒの12集所収、「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年、作詞イ・タギョン、作曲パク・ヨンス、編曲パク・ヨンス、ユ・ションソク)は、静止した世界で聴くような、荘厳な響きがする。彼女には珍しい、高音をひかえたしっとりした曲だ。

(本ブログ関連:”世界中が眠りに落ちた後から”)


夜通し雪が降ったわ。世界中が眠りに落ちた後から
悲しい 私のこころも知らぬまま、 朝はくるのでしょう。
窓、音もなく開けば、染みる冷たい風
白雪、美しく積もった 木の上には冬の空

あなたの背に近づき、しばらく寄り添ったが
なんの言葉もなしに ドアを出るのね。
もうすべて終わってしまったのね まだ私はここにいるのに
あなたに見せられなかった 痛みはまだそのままなのに

本当にとてもつらいです このように別れるのだから
あなたを なくした朝 私だけ残ってます。

去ってしまったあなたの足跡が雪の上一つずつ刻まれて
眺める目を少しずつ 滲ませてしまいました。

あの冬の終わりに あなたはもう消えて
とうとう 悲しい涙を 流してしまったの。


(Toutubeに登録のCool Kidに感謝)

2017年11月5日日曜日

スプートニク 60周年

今から60年前の1957年10月4日、旧ソ連の「バイコヌール宇宙基地」から発射されたロケット(ICBM R-7)に搭載の人工衛星「スプートニク1号」が、人類初の人工衛星として地球周回を開始した。(ちなみに、人間が地球周回したのは、1961年4月12日、同じくソ連の宇宙飛行士「ユーリイ・ガガーリン」によって達成された)

そんな時代が来たという驚きはあったが、何しろ初めてのこと、どうやって理解すればよいのか思案にくれた。宇宙新時代という実感は果たしてどうだったろうか。むしろ、ICBMでそんなことができるのかといった感想かもしれない。

その後、科学技術の進歩を象徴するものと認知され、ソ連って凄いなあという時代が来る。近所の診療所にも、雑誌「今日のソ連邦」がそれとなく置かれていたほど。だから、アメリカの衝撃は大きく、「スプートニク・ショック」と呼ばれ、教育の<近代化>が叫ばれた。(なにしろ、算数・数学に集合論を少し取り入れたりした)

当然、宇宙的、SF的な雰囲気を持った音楽バンドも出現する。エレキバンドの「The Spotnicks」がそれで、日本では「霧のカレリア」(1966)がヒットした。いわゆるシンセサイザー風の響きがした・・・といっても、僕らにはシンセサイーザーって何?というくらいの時代だったけれど。(「スプートニクス」のバンド名は、マネージャーの提案といったイメージ戦略だったみたいで)

(本ブログ関連:”スプートニク”、”霧のカレリア”)

「霧のカレリア」は、ロシア民謡「トロイカ」も聞こえたりして、日本人好みだったようで、「ベンチャーズ」支持の系譜につながるかもしれない。
(「霧のカレリア」の原曲について、ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に詳細に語られている。感謝。)


(Youtubeに登録のrautalanka1974に感謝)

2017年11月4日土曜日

「枯葉」の聴き比べ

暦は満月、残念ながら、夜道に小雨がぱらつく。まさか濡れると思わなかった。小走りして帰宅する。考えてみればもう晩秋、けれどこの秋の、虫の音の記憶がない。どうしたことか。よい時分の忘れ物をしたようでもったいない。明日は公園にでも出かけてみよう。

枯葉の感蝕はいかばかり、ちょいと気分を出して歩いてみたい。歌は、イブ・モンタンもいいがナット・キング・コールの「枯葉」を選んでしまう。昔なら、LPレコードをプレイヤーに載せ、レコード針をそっと置いて聴くもの・・・つまり、それだけの手間があった。いまやYoutubeで、ちょいちょいと探してクリックするだけ。(実はまことに申し訳ない行為をしているわけで)

(本ブログ関連:”枯葉”)

有名な歌手たちが歌う「枯葉」を聴き比べする、珍しいYoutube画像がある。


(Youtubeに登録の関雅行に感謝)

2017年11月3日金曜日

イ・ソンヒ、除隊のイ・スンギを迎える

2016年2月16日に軍隊に入隊した、イ・ソンヒの愛弟子(いつまでそういってよいのか分からないが)イ・スンギは、先日10月31日に除隊後、イ・ソンヒとのツーショット写真を見せたと、釜山日報の記事、「転役(除隊)のイ・スンギ、所属事務所の先輩イ・ソンヒと楽しい社会人(復帰の)証拠写真」(10/31、デジタルメディア本部記者)は、次のように報じている。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”、”フックエンターテインメント”)

------------------------------------------
・俳優兼歌手のイ・スンギが、国防の義務を果たして社会人になった。
・31日、イ・スンギの所属事務所「フックエンターテインメント」の代表は、自身のインスタグラムに、「来た。帰って来た。イ・スンギが帰って来た」という文とともに、数々の写真を掲載した。
・公開された写真の中には、軍服を着て所属事務所の前でポーズを取っているイ・スンギの姿が入れられた。特に、イ・スンギは、所属事務所先輩であるイ・ソンヒとも親しくポーズを取って見せた。
・イ・スンギは、陸軍第13空輸特戦旅団 75特戦大隊 情報課情報兵として勤務した認定書を公開したこともある。新兵教育優秀、保安監査有功、多読王など多数の叙勲内訳も記録された。また。「特級戦士」、「戦闘特戦兵」徽章を共に公開したりもして注目を集めた。
・一方、イ・スンギの復帰作は、ホン姉妹が執筆した、(12月放映予定)tvNドラマ「花遊記(화유기)」に予定された。
------------------------------------------

(KBS World Radio:「イ・スンギが除隊 復帰作は?」)

(雑記)
手で草抜きする替わりに、ナイロンコード式の草刈機を使ってみて驚いた。あれよあれれよという間に除草できたのだ・・・もちろん、根から抜き取るわけではないので、同じに比較できないが。

2017年11月2日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-5th

イディッシュ語教室の通学に電車を利用している。ちょっとした遠出になっている。歳をとると次第に出不精になるので、この通学はそれを解消してくれて幸いだ。よければ、その効用が語学力にまで通用してくれると更によいが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

さて、今日から少しずつ難しくなってきた。
① 否定形:動詞の後に ”נישט” を置く。
② 英語の ”There is/are ~” の相当句: ”... עס איז/זענען דאָ” の使い方。
③ 疑問詞:モデルとしてイディッシュ語話者や教室内で尋ねたいことを想定した練習。
    次は、わたしの場合のQAだが。
   ?װאָסער מוזיק האָבסטו ליב
        - 어떤 음악을 좋아해요?
   .איך האָב ליב קאָרעיִש מוזיק
        - 저는 한국 음악(Trot)을 좋아해요.

帰りのこと、地元駅前広場が濡れて夕闇に溶けていた。サテライト教室を出たとき果たしてどうだったか、思い出そうとして悩む。雨降り後だったのかどうだか確信がないのだ。

2017年11月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 上院寺の朝

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弦楽器の系譜を通して、「上院寺の朝」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、伝古朝鮮の代、船頭の「霍里子高(곽리자고)」が語ったことを妻の「麗玉(여옥)」が、(アッシリア起源とされる)楽器「箜篌(くご、공후)」で歌った「公無渡河歌(공무도하가)」について次のように紹介された。
・昔、「霍里子高」が川辺で舟を手入れしたとき、白髪の男が入水するのを止めようと、その妻が追ったが、結局男は水に陥る。男の妻は、楽器「箜篌」で悲しみを表し、<川を渡らないで> との内容を歌い終わると、同じ川に身を投じた。霍里子高は家に戻って妻「麗玉」にそれを語った。麗玉は家の箜篌で、その歌を奏して歌い、人々は悲しみ涙して聴いた。古朝鮮の歌「公無渡河歌」にまつわる話だ。箜篌は、古代東アジアで使われ、ハープに似て指で弦を奏でた。
今年の第69回「正倉院展」にて、現有唯一の「箜篌」が展示される:NHK「日曜美術館

▼ 箜篌とセンファンの演奏で「上院寺の朝(상원사의 아침)」を聴く。以前聴く、朝明けの光景を、今様に。

次に、箜篌と楽器「琵琶」の構造や歴史的関係について次のように紹介された。
・箜篌に幾つか種類があり、昔の絵によく登場して親しまれた。今は演奏者があまりなく、楽器だけ伝わる。その範疇に、西洋ギターに似た「琵琶」がある。琵琶の名は奏法に由来し、「琵」は外側に、「琶」は内側に奏でる意を持つ。琵琶に似た韓国琵琶は、しゃもじ様のものと指ぬきをはめて弦を奏でる。竹製撥で音を出すこともあった。1930年代まで、コムンゴ奏者が琵琶を奏でたりしたが、今はあまりいない。他国の琵琶奏法を参考に、独自の奏法を作り出す動きもある。

▼ カヤグム演奏曲である「沈香舞(침향무)」を琵琶の演奏で聴く。以前聴く、緩やかなときの流れを感じる。

最後に、1940年代の新しい楽器「鉄弦琴(철현금)」について次のように紹介された。
・楽器「鉄弦琴」は、1940年代に(ナムサダンペ綱渡り名人の)金永哲(김영철)が、西洋ギターを真似て作った。四角いギターの形状をして、床の上で演奏する。コムンゴのように撥で弦を奏でる。コムンゴやカヤグムが弦を奏でて音を出した後に弦を揺らして音程に変化を与えるのに対し、鉄弦琴は弦をこすりつけるのが特徴。鉄弦琴の歴史は短いが、伝統音楽の特徴を生かし、不思議な音色で親しまれている。

▼ 鉄弦琴演奏による「夕焼け(노을)」を聴く。夕暮の霞たなびく静けさを詩情豊に、今様に。チターを思い起こす。

2017年10月31日火曜日

ハロウィン 2017

隣り町からの帰り道、ハロウィンの夜、辻に小さな妖精が湧いた。ほとんど女の子、ディズニーのお姫様かとまごうばかり、可愛い衣裳のおちびさんたちが、それもお母さんに囲まれて。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

一夜限りの楽しさに、母親が思いを込めて縫ったろう、無理ない仕立てが好ましい。妖精の姿を見るたび、何度微笑んだことだろう。

ところで、男の子の姿をほとんど見かけない。ハロウィン行事が完全に定着しきってないためか、照れくささのためか。近所で菓子を配るようになれば、男の子も化け物に、吸血鬼になるだろう。

今夜も都心で、若者たちが貧欲にハロウィン熱に浮かれている。昔、クリスマスに、父親たちが三角帽子をかぶって街を飲み歩いたことがあった。そんなバカ騒ぎも廃れ、今や家族で楽しむ日本独自の年末行事になっている。渋谷交差点が、ハロウィンの夜、平静に人々が行き交う時代がいずれ来るだろう。

2017年10月30日月曜日

「エアレース世界選手権」、「木枯らし1号」

今日の寒さは本格的。夕方、韓国語教室の往復に備え、完全防寒して出かけた。襟首を閉じ、手袋までしての冬装備。吐く息が白くなるまではなかったが、気分はとっくに冬だ。

そんな寒い日の、時間の順に見聞したこと二題を次に記す。

① エアレース世界選手権
今日の日付に変わった夜中、NHKテレビで「エアレース世界選手権2017」が放送された。パイロット室屋義秀(むろや よしひで、1973年生まれ)が日本人として初めて(アジア人としても初めて)、同選手権の <年間王者の座を射止めた> のだ。放送は、最終ラウンド(10月14,15日)の中継録画であったが、まるでライブのような興奮を覚えた。

以前、落下傘部隊の降下を見たことがある。映像などで持っていた勇壮なイメージとまるっきり違う、飛び降りる若者たちの存在がひしひしと伝わってきたのだ。そのとき、命を感じた、名前を持った生身の若者ひとりひとりの命を。

放送画面にもかかわらず、飛行機好きな素人の勝手な思いが許されないような緊張を感じた。レース会場は、「インディ500」で知られる、スーパーカーブーム以前の、ぼくらが子ども時代に夢見た場所だ。そして、うれしい取り合わせがあった。

画面に、日本人にとって、もう一つの永遠の到達点であったこの「インディ500」の2017年優勝者、日本人として(アジア人としても)初の、レーシングドライバー佐藤琢磨(さとう たくま、1977年生まれ)が駆けつけていたのが映った。室屋パイロットの優勝を祝って、両者が肩を抱き合い歓ぶ姿を見て、素人ながらもすっかり感動してしまった。


(Youtubeに登録のIndianapolis Motor Speedwayに感謝)

(合わせて、「インディ500」の佐藤琢磨の勇姿も見たい、雄叫びを聞きたい)

(Youtubeに登録のBraun vonに感謝)


② 木枯らし1号
今朝のテレビ天気予報の通り、東京に今年最初の「木枯らし」が吹いた。日暮れはあっけなく、夕焼けを楽しむ暇もない。あっというまに暗転し、寒風も厳しくしみる。もう冬なのだ。(明日はハロウィンだけど)

気象庁の用語解説によれば、「木枯らし」の定義は、「晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風」という。(この「強い風」について、「毎秒8メートル以上の風」という話もある)

(本ブログ関連:”木枯らし”)

朝日新聞の記事「都心で木枯らし1号、昨年より10日早く」(10/30)は、次のように報じている。(抜粋)
---------------------------------
気象庁は30日、東京都心で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より10日早いという。都心では午前5時半ごろ、最大瞬間風速16.6メートルを記録。最大風速も午前10時半ごろに8.6メートルを観測した。
---------------------------------

そんなわけで、今日は飛翔と疾風の怒濤の雰囲気を味わうことができた。

2017年10月29日日曜日

歌姫

今日も雨。雨音にすっかり慣れてしまった。間断ないそぼ降りに、揺らぎが欲しくなる。浜辺に寄せる波音なんかいいんじゃないかな。そんなわけで、Youtubeにある長時間、自然環境立体録音から波音を聞く。1/fが癒してくれる。

夏の海がいい、夕焼け海はもっといい。そして、南の海で「歌姫」と巡り会えればどんなに素晴らしいことだろう・・・そんな空想ぐらい勘弁して欲しい。

(本ブログ関連:”歌姫”)

歌姫(diva)といえばイ・ソンヒの代名詞だが、中島みゆきが歌う「歌姫」があって、これを聴くと、ましてこれを歌えば、心浄化してくれるよう。おじさんの懊悩をすっかり洗い流してくれるよう。

(むつかしいことだが、次の映像がいつまでもYoutubeに続きますよう願う)← 翌朝10/30には消されました。

(そこで、カラオケ版を埋め込みさせてもらいます)
(Youtubeに登録のまがいもの商事株式会社に感謝)

2017年10月28日土曜日

(雑談)宅配便

もっぱらネット通販はAmazonを利用している。宅配便で受け取るわけだが、あいにく不在なときがあって、業者の方に二度手間をかけてしまうことがある。この複数回の手間が話題になっている。業者のコストアップにつながるだけでなく、担当者の作業に大きな負担になっているという。

先日、ある小さな文具を求めたところ、当方の不在が続き、三度手間をかけてしまった。メールで連絡があったのに気付かずいたせいだ。担当者に申し訳ない思いがした。(それにしても配送用の外箱の大きさに驚く)

雨降りの今日、配送通知があって外出せず待った。一つは、郵便局によるもので、手紙と一緒に郵便受けに入れてくれていた。待ちに待ったイディッシュ語テキストで、教室で参考にしているもの。もう一つは、宅配便によるもので、草いじりのための小道具だ。

外出もままならぬ思いもあったが、考えてみれば雨のせいで家にこもる言い訳にしていたかもしれない。そんな身勝手さに比べて、しとしと続く長雨の中を配送していただいたことに、ありがとうという思いが湧いてくる。

宅配作業の負担がクローズアップされ、その軽減策に世間で異論がなかったことに、みなひとしく労働に対する日本人のモラルが確認された気がする。

2017年10月27日金曜日

イ・ソンヒ「秋の風」オリジナル

歌に秋の詩情を求めれば、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム)」が筆頭にあげられるだろう。以前、触れたことだが、「秋の風」の「갈바람」(「갈」は「秋(가을)」の略、「바람」は「風」)は、船員(漁師)言葉だ。「秋に吹く風(西風、서풍)」を意味する。

(本ブログ関連:”秋の風”)

この名曲が、彼女のデビュー直後というのに驚きを感じる。どうして、と思うほどに味わい深いのだ。デビュー翌年の1985年に、アルバム1集と2集を発表していて、その2集に、この「秋の風(갈바람)」(作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)が収録されている。

秋風は寂しさだけを残して過ぎ去っていく。そんな切なさを、イ・ソンヒは抜群の表現力で歌うのを聴いてきたが・・・、実はこの曲、発表時に、彼女の「自伝」によれば次のような問題があった。

---------------------------------------------
・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。
・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。
---------------------------------------------

そんなわけで、結果的に <中間部分を再編曲して再録音した> ようだが、以下(同曲Originalという)Youtube映像を見ると、当時の初々しくふっくらした容貌とあいまって、若さゆえ力の入り過ぎ具合が微笑ましく感じる。


「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録の사사구통に感謝)

2017年10月26日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-4th

今日は、外に出て雨上がりに気づくことしきり。玄関を開けたとき、イディッシュ語教室の帰り路など。雨に会わずして、雨跡ばかり見る不思議。天気予報では、一日「晴れ」だったはず。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

今回の授業は主として、① 規則・不規則動詞、疑問詞の文法、② 疑問文の作成と会話練習(≒ロールプレイ)、および ③ 板書。この板書でつくづく感じるのは、(ヘブライ文字筆記体の)シャキッと勢いある文字を他の受講者が書くこと。そのシャープさは定着した証だろう・・・自分の文字のつたなさを思えばこそ。

授業前、「クレズマー音楽」の話題があり、代表的ミュージシャンが大変ユニークな趣味を持っているとか・・・、いろいろな人たちでこの世はできているわけで、知れば知るほどおもしろい。この機会に、クレズマー音楽を聴きたい、知りたい。

ところで、授業で参考にしている<テキスト>が、Amazonからようやく届くことになった。一安心。

2017年10月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風具音

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「風具の音(ね)(プングソリ、풍구소리)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、風を利用した農具「風具(唐箕풍구)」から「風(바람)」の別意について次のように紹介された。
・「風具(唐箕:とうみ)」は、風を起こす農具で、穀物を入れて籾殻(もみがら)を飛ばすのに使った。取っ手を回し、扇風機の羽状のものを回転して風を起こす。穀物を、重い穀と軽い”しいな”や塵など選別した。また、木製の筒に穀物を入れて回し、殻を取るものもある。地域によって形状や大きさが違い、小さいものは、釜戸で火を焚き、鍛冶屋で火力を高めるのに使った。風具は「風」といい、風=浮気の意から、西道民謡「風具音」の曲名は、浮気者の夫を恨む妻の心を表現する。

▼ 「風具音」を聴く。アカペラ合唱で今様に表現。

次に、昔の女性の行動から海辺の歌「ナナニ打令(나나니타령)」について次のように紹介された。
・昔、女性は、男性に比べ行動範囲が狭かった。身分の高い家柄の女性も外出は容易でなかった。一般の民は働かねばならないし、出かけるのは田畑くらいだった。他人を気にせず自分の気持を表せるものに歌がある。民謡に。女性の気持ちを表わすものが多い。長い歳月、口伝される中、詩のように美しく整った表現もある。

▼ 仁川の海辺の女性が <嫁入り暮らしに愚痴をこぼす>歌「ナナニ打令」を聴く。ふつふつ湧き出る響き。

最後に、黄海道生まれの夫婦(妻차영녀、夫김필운)の歌い手について次のように紹介された。
・この「ナナニ打令」を歌った女性とその夫は、共に黄海道甕津郡生まれ。「朝鮮(韓国)戦争」時に避難して仁川に定着した。妻の父は船主、夫は船乗り。そんな縁で知り合って結婚、一生海辺に暮らした。音楽と共に過ごした夫婦は美しい。

▼ <豊漁祈願や船を迎えるときに歌った>黄海道民謡「 ベチキの音(배치기 소리)」を聴く。まさに空気も伝わる。

2017年10月24日火曜日

(雑談)ポジティブ・シンキング

以前、NHKの「スーパープレゼンテーション」という番組で、「ポジティブ・シンキング」について、ショーン・エイカーのスピーチ「幸福と成功の意外な関係」を視聴した。

このスピーチは、いろいろな分野で、ユニークな関わりを持つ人びとが壇上で語る「TED」プログラムタイトルの中の一つ。詳細は、ネットの「TEDの英文日本語訳資料」(あるいは「TED価値ある資料」)で知ることができる。

「幸福と成功の意外な関係」で、わたしが納得したキーワードは、講演の最後に語られた言葉かもしれない。ポジティブ・シンキングに生きるために、次のことを毎日すればよいというのだ。
「感謝を表す3つの新しい出来事を毎日、21日間書き続ける」
そうすれば、世の中をネガティブに捉えるのでなく、ポジティブなものを見つけようとするパターンが身につくという。

そこで、わたしもこのブログに感謝を書くように心がけている。
さて、1つ目は・・・・・・、ムムム。
どうやら、まだ「ポジティブ・シンキング」にいたってないようだ。

2017年10月23日月曜日

霜降 2017

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。<露が冷えて霜が降り始めるころ>とのこと。ほぼ毎年ブログに記しているが、今回、霜降が巡り来たという実感に乏しい。連日の長雨と台風一過のせいか、霜降のイメージが湧いてこないのだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

それでも、今夕、スタディルームの帰り道、本来ならそのまま韓国語教室へ行く身じたくをしていたが、思いのほか冷え込みにあわてて一旦帰宅。完全防寒の冬仕度に着替える。思いっきりの厚着。(そうそう、弓のような赤い月が西の空低く浮かんでいた)

ところで、自転車に乗って空を飛びたいけれど、31日の月は月齢11.3、真ん丸ではない。映画”ET”のようにいかない。

(日本人は宗教的にゆるくて、ハロウィンに悩むことがない - 次のYoutubeはある新聞に載っていたもの)

(Youtubeに登録のMovieclipsに感謝)

2017年10月22日日曜日

雨が降ってる日曜日

室内にいると雨が小休止したと錯覚することがある。なぜか急に静けさを感じるからだ。結局、窓ガラスの向こうで小雨は降り続いているわけで、外出の機会はない。(ちなみに一昨日、選挙前投票している)

こんなとき、ふと口ずさむものがある。昔のCMソングだが、「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」といった何とも優しい響きのする、広告の臭いを感じさせない。

(本ブログ関連:”雨が降ってる日曜日”)

子どもは初めての雨に歓喜するし、やがて水溜りを好んでわざわざ足を踏み入れ、水を跳ねる。感蝕を楽しむのだろう。だから、雨のなかで転んでも、泥だらけになったとしても、どうということはない。

日曜日の雨に、つい昔に戻った気分になる。CM目的を超えた、いい思い出に連なる旋律が聞こえてくる。(それにしても、この雨一体いつまで続くのだろう)


(Youtubeに登録のsunaf kingに感謝)

2017年10月21日土曜日

(雑談)1/f揺らぎ

雨が降ります。だらだらと、ぼそぼそと、だらしない音が続きます。詩情なんてありません。ちょっと止んだと思って外を覗けば、水溜りに波紋が浮かびます。なんだ、と舌打ちするような感じです。

明日には、台風が接近し、暴風雨の警戒が必要とか。だから、今この静けさは台風前のものでしかないようです。行動範囲は狭められ、日頃出かける所へも行けず、一日家にとどまっていました。

Youtubeに、海辺に寄せる波音を長時間聞かせるものがあります。それを背に、室内でいろいろ手がけていると、ある錯覚に陥りました。あわ立つ波、砂浜を走る波、それらが幾重にかさなって、一瞬、潮風のにおいがしたのです。

染まりやすいというか、すぐその気になるというか。鬱陶しい長雨と違って、爽やかな空気を感じたのです。それは乾いた感じもしました。心身が自然に同調するような、1/f揺らぎを感じた次第です。

(YoutubeのBGMに、こんな便利な聞き方ができるものがあるようです)

(Youtubeに登録のAmeyama Channelに感謝)

2017年10月20日金曜日

イソップ「自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」

物事を大きな視点で見ると賢くなった気になる。いわゆる、大局を見るとか、俯瞰するという。といって、小さな積み上げができなかったり、その変遷を記憶できないようでは、信用はつかない。

アウレリウスのように、宇宙の星々と比べてわが人生の何と小さなことよと慨嘆(自省)するのはいいけれど、子どもたちにすべからく規範を教えるのに、もうちょっと具体的な方がいいかもしれない。明治時代の子ども向け道徳書、古代ギリシャのイソップの寓話集「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波:国会図書館デジタル書籍)は、今見てもおもしろい例えがある。

(本風ブログ関連:”国会図書館デジタル書籍”)

この寓話集に所収の、「四二 自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」は、ものごとを判断するのに、自然(星座)の動きから摂理を体得したはずの者が、日常の些細な行動を見誤るといった、按配のわるさ(きまり悪さ)を教える。

つまり、庶民はこんな語りをするものだ、「わかった、わかった。で、あなたは一体どうなんだよ」と。

--------------------------------------------------
諸君! 他人の仕事にかれこれと、おせっかいする様を暇があったら、自分の仕事に注意して精を出す方が、どんなにましだかしれません。自分の現在していることことに注意するのは、つまり立身出世の道捷(ちかみち)ではありませんか。

むかし在る所に、一人の星占者がありました。星占者とは空の星を眺めて、吉凶を占ふもので、人智の進歩しなかった頃には、なかなか流行したものです。
さて此の星占者が、一生懸命星を眺めて歩いている間に、うっかり足を踏みすべらせて、濠(ほり)の中へ落ちてしまひました。すると其処へ一人の旅人が通りかかり、星占者に申しますには、
「オヽ、貴君(あなた)、今の失敗の気が付いたなら、星の進むのを研究する手間で、少しは自分の足下(あしもと)にも、御注意なされたらよいでせう。」
と、諭(さと)しましたとさ。
--------------------------------------------------

2017年10月19日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-3rd

今日、雨にも負けず、イディッシュ語講習に出かける。昨日少し晴れ間が覗いたが、ここ一週間小雨が続いている。さらに、台風21号の影響も加わり、来週半ばまで雨降りのようだ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

講習は、新しいテキストにもとづいて、(私もようやく)フルスロットルに達した。離陸を開始したのだ・・・他の方々は、とっくに上空で旋回しているが。

例文の読解・板書、会話練習(≒ロールプレイ)など矢継ぎ早。”.איך בין שטענדיק מיד”
そして、先生お手製の絵入り単語カード(25枚)セットを、全員に配布いただいた。各自机上に並べて、先生の語る単語のカードをさっと選ぶのだが・・・(おじさん)耳が遠くて苦戦する。結局、これも<הײמאַרבעט>になる。

単語カード作成という先生のお手間に感謝。そして、低空だが私もみなに続き飛翔したいと思う。

(授業前にイスラエルのポップスの話題で・・・イエメン系歌手”オフラ・ハザ”、懐かしい香りする高音)

(Youtubeに登録のOrly Yahalom Photography & Israeli Musicに感謝)