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2018年1月14日日曜日

ク・チャンモの「ヒナリ」

ハンギョレ紙の記事「偉大な公演の職人」(1/11、ソ・ジョンミン シネプレー代表・元< ハンギョレ >大衆音楽担当記者)は、次の書き出しで始まる。

「1980年代の中・後半、坊主頭の中学生だった私は、ポップ音楽にのめりこんでいた。 小学生のとき、< 歌謡トップ10 > のような音楽チャート番組を好んで見ていた私は、イ・ソンヒの「Jへ」、ク・チャンモの「ヒナリ」のような歌がかなり好きだった。そうするうちに、いつからか、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルが属したWham!a-haのようなポップに陥ってからは歌謡を離れた。さらに、歌謡を軽視することさえした。歌謡は、なぜかポップよりちょっと落ちる音楽のように感じたのだ。」

若者の音楽潮流が常に海外から流入する側にあるとき、次第に自分たちの歌謡と乖離が始まり、「歌謡は、なぜかポップよりちょっと落ちる音楽のように感じたのだ」という気分になったことはうなづける。同じ側の誰もが一度は経験したことだろう。私もそうだった。

ところで、この記事の主題は、自分たちのなかに歌手イ・ムンセを見つけたことだ。執筆者が、長きに渡り彼のファンであったこと、以前、音楽記者として接した経験も通じての感動と礼賛である。結局、自分たちの音楽に戻ったことになる。

味覚に故郷の味があるように、聴覚にも大衆歌謡の響きがある。この執筆者が、最初に関心を持った大衆歌謡の歌手は、イ・ソンヒやク・チャンモだった。ク・チャンモ(구창모)の曲としてあげられた「ヒナリ(희나리)」(1985年に < 歌謡トップ10 > で5回、1位となる)を聞いてみよう。

(本ブログ関連:”ヒナリ(희나리)”)

悔恨を含ませて、想い出が癒えぬままにいる、そんな心象を「生乾きの薪」のヒナリに例えているのだろうか(愛の永遠性という解説もある)。この感覚、大衆に受けて、以前の調査「70-90年代の最高人気曲」中で、3位にイ・ソンヒの「Jへ」、4位にク・チャンモの「ヒナリ」があげられている。

(本ブログ関連:”70-90年代の最高人気曲”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)