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2011年1月31日月曜日

The way we were

まるで人生のエピローグのようなフランク・シナトラの「My Way」を、懐古する必要もない若さに溢れたイ・ソンヒが歌う映像がYoutubeにある。
この歌には「memory」という言葉はなく、思い出が自身から離れて見えるようだ。忘れようと忘れまいと思い出が次第に結晶化していることに気付いたとき、ぼくらは終幕に向かう人生の意味を本当に理解できるのかもしれない。

イ・ソンヒは、カーネギーホールで、バーブラ・ストライサンドの「The way we were」を歌う。追憶(memory)は、ここではふつふつとしていて、遠く過ぎ去ったものではない。思い出の数々が身近に感じられるのだ。イ・ソンヒにとって、今回の公演はマイルストーンの一つに過ぎない。

(Youtubeに登録のKimuziek、526apolloに感謝)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのカーネギーホール公演曲目”)

2011年1月30日日曜日

イ・ソンヒの娘(2)

イ・ソンヒが14集アルバムを発表して、コエックス・センターでのコンサートを控えた頃、韓国日報から受けたインタビュー記事(2009年3月19日)に、同アルバム収録曲「あなたの道(너의 길)」(歌詞)について、次のように記されている。
・娘(양원이)のために作った曲「あなたの道」は、子供の教育への彼女ばかりの信念が盛られている。娘に伝えるメッセージだが、自分を励ます話でもある。
・「人生そのものが長距離じゃないですか。核心は『人生は思ったより長く、長いだけ当然やり損なうことがある』ということでしょう。失敗をしたり、自分より優秀な人が多いということを知ったとき、自信が崩れるどんな瞬間が来ても、最も重要なのは、自分を愛しなさいということですよ。」

「そして決して一つだけ忘れないで。あなたがどんな姿だったか私には、あなたはとても愛らしい、いつもそんなひとだったのよ。」と、娘に対する母親の気持ちは変わらない。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

アジアカップ優勝

にわかファンのわたしも今回は、きちんとテレビ観戦した。大柄のオーストラリア選手たちに圧倒されるように見えてハラハラしたが、0:0で延長戦の後半、優勝につながるゴールが決まった瞬間、おもわず手をたたいた。

YOMIURI ONLINEの記事「日本1―0、延長で豪州下し優勝…アジア杯」(1/30)は、次のように伝えている。
「日本は延長後半の109分、左サイドを突破した長友(佑都)のクロスを、(忠成)が左足で直接ボレーシュート、ゴール左へたたき込んだ。」

翌日が休みの子どもたちは、安心して深夜のテレビ放送に釘付けになったことだろう。そして、月曜日の校庭では、喚声とともにサッカーボールが飛ぶに違いない。暖かくなったら公園で、二歳になる孫とおもちゃのボールでサッカーごっこをしよう。

2011年1月29日土曜日

カーネギーホール チケット販売率90%超

nyradiokorea.comの記事「イ・ソンヒ カーネギー公演完売間近」(1/27:現地時間)によれば、イ・ソンヒのカーネギー公演チケットの販売率が、90%を超えたと次のように報じている。
KRBが創立14周年を迎え、野心満々に準備した、イ・ソンヒのカーネギーホールのコンサートが一週間前に迫っています。カーネギーホールの3つの劇場中最大規模のメインホールで開かれる今回のコンサートは、すでにチケットの販売率が90%を超して売り切れが切迫して、現役の歌姫イ・ソンヒのチケットパワーを証明しました。 

カーネギーホールのメインホール(2804席)の、あふれんばかりの聴衆で盛況な様子が、もう浮かんできますね。
ぜひとも、KRBが今回のコンサート映像をDVD化されることを願いたい。


★★★★★ 孫が、産休の母親と一緒に「もっ一回」と、公園で紙飛行機を飛ばしている動画が届いた ★★★★★

2011年1月28日金曜日

こうのとり ISSドッキング

毎日jpの記事「こうのとり:ISS結合へ ロボットアームで慎重作業」(最終更新1月27日23時08分)によれば、JAXA宇宙ステーション補給機「こうのとり」2号機(HTV2)は、次のように国際宇宙ステーション(ISS)に接続したと報じた。
・今月22日、H2Bロケットで鹿児島県種子島から打ち上げられた。
・27日午後6時50分ごろ、ISSの真下約250メートルに到着。
・同8時41分、ISS乗組員が備え付けのロボットアームで捕捉。
・28日午前0時半ごろ、ISSの第2結合部「ハーモニー」にボルトで接続を完了。(予定)
・同4時ごろ、結合作業をすべて終了。(予定)

(追記)
毎日jpの記事「こうのとり:ISSへの結合完了…乗組員が入室」(最終更新1月28日10時35分)より。
・27日午後11時51分、ISS第2結合部に接続。
・28日午前3時43分、結合を完了。
・同午前5時47分、ISS乗組員がこうのとり2号に入室。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

「こうのとり」が無事使命を果たすよう願った。こうのとりが運んできてくれた孫娘のこれからの無事誕生の願いと重ねた。きっと何かの縁があるに違いない。

(付記)
夕方の新大久保に行く。相変わらずの人混みだが、時間帯から若い人が多く見える。それに、街を楽しんでいる二人連れが目に付いた。金曜の夜でもあるし、女性の関心に付いて来ているとしか思えないが、男は大変である。

2011年1月27日木曜日

イ・ソンヒの娘

イ・ソンヒが「魔法の城(마법의 성)」(歌詞)を歌うステージに走り寄ってきた女の子は、彼女の膝の上で一緒に歌います。それは満2、3歳でしょうか、彼女の娘(양원이)の幼い姿です。歌の最後のフレーズの、しかも特徴的な音(発音)に合わせて、「・・・ヘ」、「・・・タミョン」と元気に声を張り上げます。

2004年の20周年記念コンサートの前に受けたインタビューで、イ・ソンヒは娘について次のように語っています。当時、彼女は小学校5年生の12歳の娘と一緒に、ソウルの(竜山区)東部二村洞に住んでいました。
(jo!nsmsnの記事「イ・ソンヒ デビュー20周年コンサート」(2004年8月17日)より)
・「娘は、明るく愛嬌が良い。人に負けてあげる思いやりも深い子だ。」
歌手になる才能があるのか、歌手になるのならばさせるのかと尋ねたところ、「娘が生まれたときに、病院で娘が泣けば私の娘だと思った。あまりにも高音で泣いており、看護師が『イ・ソンヒさんの娘が泣きます』といったほどだ」(笑)
・「やりたいことがあまりにも多い子供だ。いつも学びたいこと、経験したいことを5〜6個選択して、お母さんにブリーフィングをする。自分が一番やりたいことは、長所だけ浮き立たせる賢い娘だ」と自慢した。

その娘さんは現在、高2でシカゴに留学しているそうで、来月のニューヨーク公演を待ち遠しく思っていることでしょう。

(Youtubeに登録のに526apollo感謝)

(本ブログ関連:”魔法の城”、”インタビュー”)

2011年1月26日水曜日

イ・ソンヒ 5月コンサート日程

 世宗文化会館カレンダーを見ると、イ・ソンヒの5月のコンサート日程が、以前知らされていた日程(5月19日(木)~22日(日))から、5月21日(土)~22日(日)に変更されている。
土曜日と日曜日だけの公演となれば、チケットの入手がとても厳しいのではないだろうか。できることなら、彼女のステージを見たいのだが。

(追記)
mkニュース(毎日経済)の記事「イ・ソンヒ 来月米カーネギーホールで公演…韓国歌手では3番目」(1/27)によれば、「イ・ソンヒは、来月2日、米国に出国してカーネギーホール公演(2月3日(木))を終えた後、数日間、ニューヨークに滞在する予定だ。 韓国では、5月21日(土)~22日(日)、ソウルの世宗文化会館を皮切りに、全国巡回公演に出る。」と紹介している。(チョン・アヨン記者)

アジアカップ

アジアカップ日韓の試合は、1:1で延長戦となるも2:2で終わり、PK戦の結果、日本チームが決勝戦に出ることになった。
テレビで試合の始めと、PK戦しか視聴していないにわかファンには、最後に見たキーパーの川島選手の頑張りが印象に残った。

2011年1月25日火曜日

イ・ソンヒ 9集

昨日、神田の韓国書籍専門店の主人から電話があり、イ・ソンヒのCDアルバムをいくつか入手したという知らせがあった。その中の、9集アルバム「一輪菊(한송이 국화)」(歌詞、1994年3月31日)は未だ手元にないので希望して、本日書店に出向き直接いただいた。
9集の曲目は次の通り10曲収録されている。(ファンに愛され聴き継がれてYoutubeに登録されている2曲にリンクした)
・一輪菊(한송이 국화
・私に触れた偶然(내게 스친 우연)
・夜明はまだ遠く(새벽은 아직도 먼데)
・Blues Cafe
・ある雪降る日に(어느 눈 내린 날에)
・気分が良くて(기분이 좋아)
・なつかしい日に(그리운 날에)
・心残り(아쉬움)
・悲しい愛(슬픈사랑)
・雨降る街に立って(비오는 거리에 서서

(Youtubeに登録の526apollo、yokosuka30に感謝)

(本ブログ関連:”一輪菊”、”雨降る街に立って”)

イ・ソンヒ インタビュー

朝鮮日報(chosun.com)の文化人物欄に、1984年にデビューしたイ・ソンヒについて、「途方もない(孟浪)少女が行く、27年間眺めたその舞台」(1/25)のタイトルでインタビュー記事が掲載されている。(イ・テギョン記者)
10日後にカーネギー・ホールでの公演を控えて、マスコミが彼女にどのように取材するのか期待していただけに、彼女の歌に対する次のような思いを朝鮮日報が本格的に記事にしたのは素晴らしいことだ。

・私たちの世代には、カーネギーホールに立つのが夢でした。最近の世代は、カーネギーホールをよく分からないんじゃないです それでも私は、私の夢を一つずつ成し遂げるようです。
数年前から、すべての曲を作曲し、基礎編曲までして、編曲者に渡します。全く分からない時は気楽だったが、編曲を少し知ることになるので更に欲が出て、いまだに音楽に興味がある。
・(意欲的で、インディーズのバンドとのコラボも視野にあるようだ)
・歳をとるとは死んでも言いたくなくて、よく実っ行っいる思います。誤った選択、誤った道に行くこともできたが、ここまで来たから「よくやった、イソンヒ」と褒めてあげたいです。
・(イ・ソンヒは、直接公演のコンテを組んでいる。そういえば、イ・スンギのステージの総合制作をしたこともある。)

なお、彼女の娘さんは、現在高2でシカゴに留学しているとのこと。

ところで、カーネギー・ホールで公演をした歌手にチョー・ヨンピル(1968年デビュー)、イン・スニ(1978年デビュー)の他に、パティ・キムの名前が、以前あげられていたが、同ホールの舞台「Stern / Perelman」に限っていえば外れるのだろうか。

(追記)
KBSニュースの記事「イ・ソンヒ カーネギーホールは、わたしたち世代の夢の舞台」(1/26)に、25日に聯合ニュースとのインタビューの模様を伝えている。
・(公演曲目は)一曲一曲自分で選んだ。
・今回は、27年間親しまれたヒット曲を中心に選曲した。
・できるだけ原曲を損なわない洗練されたサウンドで聞かせるつもりですよ。

ランブリング・ローズ

ナット・キング・コールの独特なハスキーな声は、その軽やかな響きが都会的でなぜか耳に馴染んだ。
カントリーの香りのする「ランブリング・ローズ(Ramblin' Rose)」(1962年)は、ラジオで聞いていたのだろう、曲中繰り返される”Ramblin' Rose”のフレーズが心地よく今も残る。彼も、イ・ソンヒのように聴衆を引き込む魔術師だった。
ビルボードとキャッシュボックスのチャートで2位となり、セールスは百万枚以上だったそうだ。

そういえば、コーラスを従えて歌うスタイルを見かけなくなったなあ。

(Youtubeに登録のPrue126に感謝)

(本ブログ関連:”ナット・キング・コール”)

2011年1月24日月曜日

イ・ソンヒの公式ホームページ改修中

いつからか気付かなかったが、イ・ソンヒの公式ホームページが目下改修中のようだ。
会員にならなければ詳細はわからないものの、DaumやNaverにはしっかりしたファン・サイトがあって、日毎ファンからの情報が登録されて活発なようだ。彼女に対するファン層の厚さに感心する。
ところで、「より良い姿でおうかがいします」と改修を表示している公式ホームページは、今後どのように変化するのだろうか楽しみだ。

(付記)
水道の水漏れのためホームセンターにパーツを探しに行った。売り場で店員さんに必要なものを聞こうと思ったが、見当たらない。そのとき専門家のようなお客がいて、不躾ながら教えてもらった。丁寧な説明のうえ、その後別の売り場で顔を合わせたときに、水道の元栓を締めるようアドバイスしていただいた。

2011年1月23日日曜日

錫高野#14

今朝も厳しく寒い。待ち合わせ場所に行くため利用する武蔵野線の車内は冷えたままだ。今年最初の鉱物採集は、通算14回目の茨城県錫高野になった。
хаякава氏の車で当地に近づくと、路肩にはまだ雪が残っていた。仏国寺側から雪道を登って採集地の錫高野に入る。残雪がある所と、そうでない所がある。日陰でも枯葉が積もった場所に雪がないのは不思議だ。一方、山陰のズリ場は一面雪景色である。山頂から吹き降ろす風が冷たく滲みる。
雪の上に、ウサギや猪と思われる足跡を見つけた。雪原に命を感じた。

採集結果は次の通り。(含む:いただき物)
・黄鉄鉱、銅藍、ブロシャン銅鉱、鉄マンガン重石、水晶、方鉛鉱、自然蒼鉛?、珪孔雀石

(本ブログ関連:”地名:錫高野〔近世〕”、”地名:錫高野〔近代〕”、”仏国寺”、”高取鉱山”)

2011年1月22日土曜日

イ・スンギとのデュエット

イ・ソンヒの「デビュー22周年記念 ライブコンサート」(2006年6月17日~18日:世宗文化会館大劇場)で、彼女と愛弟子イ・スンギがデュエットした、エルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」をYoutubeで視聴できる。貴重な宝箱をお持ちの登録者526apolloに感謝。



2月3日にカーネギーホールで、イ・ソンヒとイ・スンギの美しいデュエットが聴けるだろう。どんな曲が歌われるのか楽しみだ。

サムゲタン

今の季節と反対の料理かも知れないが、サムゲタン(蔘鷄湯、삼계탕)の食べ方について気になることがある。
Wikipediaによれば、味付けについて、「調理時に味付けはほとんど行なわず、食卓で塩・コショウ、キムチなどで味を整えて食べる。」と書かれている。
・鶏肉と詰込まれているもち米を食べるのは分かるが、薬膳料理の食材でもある、ナツメ、栗、朝鮮(高麗)人参などはどうするのだろうか。
SEOUL NAVIでは、「鶏肉の中に詰まっているモチ米や朝鮮(高麗)人参やニンニク、ナツメ、生姜等をスープと混ぜながら食べます。」と説明されている。
・他のインターネットの情報を見ると、朝鮮(高麗)人参を調理の仕方によって、食べることもできるという表現もあるが、一体どうすればよいのだろう。
・結論は簡単、韓国料理店で聞けばよいのだ・・・・そうしよう。

(追記)
サッカーのアジア・カップで、日本は開催国のカタールと戦い、3対2で勝利してベストフォーに進出したそうだ。昨晩の韓国語教室で、試合開始時刻の質問に答えられなかったし、対戦国もわからない。にわかファンにすらなれない。

こうのとり

随分と低い高度(Min.278km、Max.460km)を周回する国際宇宙ステーション(ISS)に、必要な物資を運ぶ、JAXAの宇宙ステーション補給機「こうのとり」2号機(HTV2)が、本日14時37分57秒に種子島宇宙センターから、H2Bロケット(H-IIBロケット2号機(H-IIB・F2))に搭載されて打ち上げられた。その15分13秒後に、「こうのとり」2号機とH2Bロケットは分離に成功した。(JAXAプレスリリース

2011年1月21日金曜日

<クミホ>TBS地上波で3月から放送

イ・ソンヒがテーマ曲を歌った、SBSの<ファンタジック&ロマンティック・ラブコメディ>の「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」が、TBSから次の通り放送されるとのこと。
(「TBSほっと情報」より)
・番組名: 「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」
・開始時: 本年3月より
・時間帯: 毎週月曜~金曜、朝10:05~11:00
・その他: 字幕つき2ヶ国語放送

なお「CS・TBSチャンネル」は、2011年1月8日土曜日から、毎週土曜深夜23:00~24:00に字幕版放送中。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

2011年1月20日木曜日

イ・ソンヒのカーネギーホール公演曲目

アジア経済の記事「イ・ソンヒ、米ニューヨーク カーネギーホールでの公演..国内歌手で3番目」の記事(1/19)に、2月3日の公演曲目と所感を次のように報じている。

<バラード曲>
・「少女の祈り(소녀의 기도)」
・「愛が散るこの席(사랑이 지는 이 자리)」
・「分かりたいです(알고 싶어요)」
・「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」
・「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기며)」
・「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」
・「Jへ(J에게)」

<代表曲>
・「葛藤(갈등)」
・「ケンチャナ(괜찮아)」
・「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」
・「あ!昔よ(아! 옛날이여)」
・「因縁(인연)」
・「美しい江山(아름다운 강산)」
・「愛よ(사랑아)」

その他に、普段彼女が愛唱していたバーブラ・ストライサンドの曲も準備している。
・「The way we were」

公演に臨んで、彼女は次のように所感を述べている。
・「世界的な歌手たちの夢の舞台カーネギーホールで公演をするということ自体があまりにもうれしくて光栄だ」
・「ニューヨークに住んでいる観客たちと歌を介してコミュニケーションして、素敵な思い出を作ったら良いし、今回の公演を通じて、私たちの大衆文化を一層発展させることができるきっかけになって欲しい」

以上である。新曲情報については触れていないが、当日期待したい。

国内CD生産

インターネットでダウンロードした曲をモバイル音楽プレーヤーなどで聴くのは、音楽が消耗品化されているようで、CDで聴く親しみ感とは異質のような気がする。曲作りも、聴き方も、両者の態度や距離感が変わってきているのではないだろうか。
結局馴染めなかったものに、家電業界で「家電から個電へ」という言葉があった。音楽でいえば、電蓄やラジオから流れる音楽をみなで聴き、みなで歌った。そんな時代がしばらく続いたけれど、個電の成功例である携帯音楽機器によって、特にデジタルオーディオプレーヤーによって何かが変わってしまったようだ。

日本レコード協会資料によれば、国内「CD生産実績」は下記の通り下げ止まらぬ傾向のようだ。(資料1:2000年~2009年、資料2:2010年、これら組み合わせ)
訂正:CD枚数を資料1の通りに修正。(レコード・テープを含む音楽ソフト生産実績資料を記述したため)
訂正;CD枚数の単位を「枚」と表記していたものを「1,000枚」に訂正。
2000年  414,052単位:1,000枚)
2001年  368,626
2002年  328,679
2003年  315,267
2004年  302,255
2005年  301,803
2006年  290,252
2007年  260,340
2008年  242,451
2009年  210,059
2010年  209,879
資料1を見ると、CD生産量は過去10年間に半減していて、邦盤・洋盤ともに同様半減している。

(参考)日本レコード協会資料の「デビュー歌手数」の推移を見ると、バブル崩壊時に谷をうったものの、増加傾向にあるようだ。どのジャンルが底上げしているのだろうか。

(本ブログ関連:”CD売り上げ状況”)

(追記)
JAXAのプレスリリース(1/19)によれば、本日予定していた、<種子島宇宙センターから宇宙ステーション補給機「こうのとり」2号機(HTV2)/H-IIBロケット2号機(H-IIB・F2)の打上げを、打上げ時刻において打上げ制約条件を超える氷結層を含む雲の発生が予測され(電子機器に影響す)ることから、打上げを1月22日以降に延期した>とのこと。

2011年1月19日水曜日

孫の妹へ

3月には、孫に妹ができる。女の子だということが最終的にはっきりしたのは、今月11日のことだった。そこで今日、孫と休日の父親と一緒に、生まれる赤ちゃんのために衣裳を探しに国分寺へ行った。
息子二人の経験しかなく、孫も男だったので、女の赤ちゃんにどんな衣裳が良いのか分からないのだ。結局、女性店員さんに助言をもらいながら男二人で探したのだが、今思い返すと衣裳の名前をよく覚えていない。スカートと靴下という言葉以外、他の衣裳は・・・。

買物に合わせてせっかく来てくれた孫に、おもちゃ屋でウルトラマン1号の人形を探した。孫は帰宅するまで、その人形を手放さなかった。そう、孫宅まで、わたしはそのまま付いて行ってしまったのだ。
孫は、随分と身長も伸び、言葉もたくみになっただけでなく、なんとAKBの「あいたかった」(会いたかった)やKARAの「ラララ、ラララ」(ミスター)のフレーズをポーズ?をとりながら真似してくれたのだ・・・まもなく2歳になる孫の成長に感心する。

仕事から帰宅したお嫁さんは、赤ちゃんの衣裳を見て喜んでくれた。それに、赤ちゃんはとても活発に動いているそうだ。衣裳を着ている赤ちゃんを見たいものだ。

2011年1月18日火曜日

ヘイ・ポーラ

ポールとポーラ(Paul & Paula)の「ヘイ・ポーラ(Hey Paula)」(1963年)はとても懐かしいデュエット曲だ。結婚式に歌われても良いほどだが、今の若者が選曲するとは思えないし。
ポールの願いに応えるポーラの甘い歌声が耳の奥に残っている。今耳を傾ければ、デュエットならではの印象的な美しさだけでなく、懐かしさからくる切なさも覚えてしまう。
時代背景を考えると、当時アメリカの若者たちが近い将来に不安を抱えていただろうけれど、この曲自体からは健全でとても明るいものを感じる。

(Youtubeに登録のFiftiesRockVideos1に感謝)

2011年1月17日月曜日

ソーシャル・ネットワーク

今日休暇の取れた、もう一人の息子と映画「ソーシャル・ネットワーク (The Social Network)」を見た。上映時間の2時間はあっというまに過ぎ、久し振りに映画を堪能した。
世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグをモデルにして、彼に関わった人々との人間模様を描いた映画だ。直接作品につながらないが、感想は次の通りである。

・主人公の行動は、度が過ぎるとはいえ、こんな苦いできごとはどの世界にもあることだろう。(若者に起業を礼賛して見せた評論家たちは、果たしてここまで見抜き踏み込んでいただろうか。)
・主人公のように早口に喋るのを真似する若者がこれから出てくるだろう。(昔、計算サービスを依頼した大手電算機会社のPMの語り口調とそっくりに、自社電算室の若手連中が喋りだしたのを思い出す。)
・最後に、主人公は女性弁護士に見透かされるが、自分の欺瞞性に気づいていないのだろうか。(本当の利益者は誰れで、何処にいるのだろう。Facebookの増資は適切だったのだろうか。)

ところで、今日も昼食にナイルカレーの「ムルギーランチ」をとる。何度食べて美味い、癖になる。

2011年1月16日日曜日

鉱物の会例会

四谷で催された鉱物の会に行く。今年最初の例会である。
初めに会長から挨拶があった。後ほど幹事の方から、会長の喜寿のお祝いを四月の例会に合わせて行うという案内があった。ぜひとも参加させていただきたいと思っている。

会員仲間から、次の鉱物をいただいた。
・紅砒ニッケル鉱、満礬柘榴石/三重・山田鉱山、日本式双晶/長野・金鶏鉱山、剥沸石/静岡・広川原(ёсики氏より)
・十字沸石、橄欖石/新潟・佐渡島、磁鉄鉱/茨城・長谷鉱山(сэяма氏より)

また、会員提供の標本バザーでは次のものを入手した。
・灰長石/東京・三宅島、レインボーガーネット/奈良・川追鉱山、緑水晶/秋田・荒川鉱山、紅柱石/茨城・花園

来週あたり鉱物採集に行く予定である。

イ・ソンヒ「真夜中のTV芸能」にビデオ出演

来月3日にカーネギーホールの公演を控えた国民歌手イ・ソンヒは、1/13放送のSBS番組「真夜中のTV芸能」に変わらぬ歌唱力と姿でビデオ出演した。インタビューでは、思い出のエピソードを語り、かつ伸びやかに安定した歌声を聞かせてくれた。
「私はいつもあなたを」を歌うイ・ソンヒに、MCの「(お変わりなく)そのままのようで」という挨拶から始まった。
コンサートの曲目に上るであろう、「Jへ」、「ああ!昔よ」、「狐の嫁入り」、「ヨン(You)」およびOST「走れハニー」が歌われた。また、デビュー以来の数々の映像(CFも含めて)や、弟子のイ・スンギの話題*が語られ、最後に娘(양원이)へ歌手への想いがあったようだが・・・。

(*)イ・スンギの話題について、例えば韓国経済の記事「イ・ソンヒ "弟子イ・スンギためにならば何でも"発言注目」(1/16)に掲載。・・・イ・スンギについて語ったことが、ニュースの中心になっている。他紙(インターネット記事)も含めて一体どうしたことだろう。驚きである。

なお中国最大の動画共有サイトの1つである56.comに、同番組の映像(イ・ソンヒ出演:44分35秒頃~)が登録されている。

(追記)
ブログ「ドラマ生活BLOG」に、日本語付き上記映像(EDailymotionに登録)が紹介されている。感謝。
稿者doramarifeblogに感謝

(本ブログ関連:”真夜中のTV芸能”)

2011年1月15日土曜日

デビュー22周年記念ライブコンサート(2006年)

2006年6月17日~18日に世宗文化会館大劇場で開かれた、イ・ソンヒの「デビュー22周年記念 ライブコンサート”因縁(인연)”」で歌われた曲を次の通り視聴できる。登録者はいつものように、526apolloである。感謝。
・「Rose(장미)」:第13集収録。
  真紅のドレスのイ・ソンヒが序奏部を舞う舞台を見ることができる。(本ブログ関連:”ドレス”)
・「炎のように(불꽃처럼)」:第5集収録。

なお、スポーツ韓国の記事「振り返り見る22年…イ・ソンヒの”因縁”」(2006年の5/25)で、イ・ソンヒは公演に先立って次のように意欲を明らかにしていた。
・今回の公演で、これまでの音楽生活をじっくりと整理するつもりだ。
・今回の公演で、(彼女)自身の普段の自然な姿までファンに見せて、より気楽な姿で迫るつもりだ。
・今回の公演で、22年間自身が掬(むす)んだ大切な因縁(絆)に対する話を解き明かし、弟子のイ・スンギとの因縁も一緒に紹介する予定だ。

ところで、来月のカーネギーホール公演にあたって、マスコミによるイ・ソンヒへのインタビューは試みられているのだろうか。残念ながら情報収集できていない。もしかしたら、1月13日(23:15)放送のSBS番組「真夜中のTV芸能」で語られているだろうか。

2011年1月14日金曜日

歌手イ・ソンヒ

ブログBrian. Jungの記述「歌手イ・ソンヒ」(1/8)は、イ・ソンヒの音楽表現について、専門家ではないがという断り書きを入れて、次の観点をもとに詳細に述べている。(⇒詳細内容:リンク先を参照ください)
彼女の音楽表現について、これほど真正面から触れたブログは少ないのではないだろうか。

-好みからの所感-
1.美しい声
2.むだな技巧なしに豊な感情で清々しく張り上げる声

-テクニカル要素からの所感- 持って生まれたと見る
3.ライブなのかスタジオアルバムなのか識別できないほど正確な音程、音感.
4.超高音域で、むしろより大きくなるパワーで、決してブレない安定感
5.高音域帯で、どんなに歌を長く歌っても疲れないパワーと長い呼吸
6.高音域帯で、声の音色を大きく変えても全く何もないうえに、高音域帯でも音色を自由自在に変える水準
7.途方もない声量-これが重要だ-高音域帯で、マイクを口から約50cm程度の距離をおくが、その程度の距離をおいても大きく響く声

イ・ソンヒが、カーネギーホールの公演を成功裏に収めて帰国した後は、いろいろなかたちでマスコミに賛美され、ステージ、電波、写真そして活字などを通じて何度も紹介されることになるだろう。それを見聞きできることを、楽しみに待ちたい。

★★★★★ 孫が、ミッキーマウスのデザインされた、寒さ対策の厚手の服を着た写真が届いた ★★★★★

2011年1月13日木曜日

Chrome

ブラウザをIEからChromeに変更してみたが、操作性などについて大きな戸惑いはない。画面切替えは格段に速くなった。
気になる点は、本ブログ画面を左右に分ける縦の罫線が見えなくなったことと、編集画面の文字が若干小ぶりに見える。
要望をあげるとすれば、ブックマークが「新しいタブ」画面の右側にのみ表示されるが、常時どのタブ画面でも表示してくれるとありがたいけれど、それはChromeの主旨に合わないのだろうか。

ちなみに、本ブログを参照されたブラウザについて、統計情報を見ると下表通りで、IEの85%に対してChromeは1%である。
Internet Explorer (85%)
Firefox (7%)
Safari (3%)
Chrome (1%)
Java (1%)
Jakarta Commons-HttpClient   (<1%)
Opera  (<1%)
Pathtraq  (<1%)
Jingoo   (<1%)
(via translate.google.com)   (<1%)

2011年1月12日水曜日

イ・ソンヒ 「真夜中のTV芸能」出演

jo!ns掲載のnewsenの記事「デビュー27年目のイ・ソンヒ、イ・スンギの制作者であり、お母さんの人生公開 」(1/11)によれば、イ・ソンヒは、1月13日(23:15)に放送されるSBS*番組「真夜中のTV芸能」に出演すると、次のように報じている。
・(ニューヨークのカーネギーホールでの公演を控えている国民歌手イ・ソンヒを迎えて)甘美な音楽が加味されたトークの現場を公開する。
・1984年に「江辺歌謡祭」で、はにかむ少年の(ような)姿で私たちの前に登場して以来、今年でデビュー27年目だ。
・イ・ソンヒは、数多くの名曲を残した音楽家として、歌手イ・スンギの制作者でありメンター(指導者)として、一児の母として忙しく生きてきた。

当日、カーネギーホールの公演を目前にして、全てに磨きあがった彼女の姿を見たいものだ。そして、彼女の来し方が如何ほど語られるのだろうか。

(本ブログ”ズボン”関連:2009年の8/13、2010年の9/27

2011年1月11日火曜日

Jへ

イ・ソンヒがアーティストとして20周年を迎え、2004年8月26日~28日に世宗文化会館大劇場で催された「"Jへ" 20年 イ・ソンヒ コンサート」の始めに、彼女が「Jへ(J에게)」を歌う映像を楽しみたい。



(Youtubeに登録のkojilee1983に感謝)

(本ブログ”20周年コンサート”関連:2009年の10/13、2010年の1/115/15/169/2910/2012/4


(昨日、孫家族は長瀞〈日本地質学発祥の地〉に行った。孫は石に一歩近づいた・・・。)
★★★★★ 孫が、長瀞の岸辺に立って、川を背に遊んでいる写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、川下りの船の中で、「船!」と言っている動画が届いた ★★★★★

★★★★★ 孫に、妹ができることがはっきりしたと、お嫁さんから知らせがあった ★★★★★

2011年1月10日月曜日

成人式

今日は成人の日だ。1999年まで1月15日と定まっていたが、2000年から1月の第2月曜日に変更された(そうだ)。祝日が固定しないのは、休日確保(制度)のためとはいえ、どうも落ち着かない。ちなみに、昨年は1月11日(月)だった。

ところで、イ・ソンヒの公式ホームページの年譜によれば、彼女が満20歳を迎えた1984年(昭和59年)の活動内訳は次の通りである。ちなみに、彼女は陰暦の1964年11月11日(陽暦1964年12月14日)に誕生しており、デビュー当時、仁川専門大学環境管理科の1年に在籍していた。
・7月29日(日):MBC第5回「江辺歌謡祭」の大賞曲「Jへ」でデビュー。
・11月25日(日):KBS-TV「歌謡トップ10」の連続5週1位にゴールデンカップ受賞。
・12月30日(日):KBS「放送大賞」、「新人賞」受賞。
・12月31日(月):MBC「最高人気歌謡賞」、「新人賞」、「10代歌手賞」受賞。初の3冠王記録。
翌1985年から、レコードアルバム、コンサートなど本格開始する。

(本ブログ”成人式”関連:2009年の5/30
(本ブログ”仁川専門大学”関連:2009年の10/1711/14、2010年の1/212/34/6、)

2011年1月9日日曜日

石の世界(3)

入れ子になっている石

ロシアの入れ子人形「マトリョーシカ」は、中空の入れ子構造になっていて、内側に我が身と相似の小型の人形が次々収まるようになっている。どこまで入れ子が繰り返されるのかと戸惑ったりする。
世界を細分化した先に途方もない世界がまた広がっているという、輪廻に似た無限の循環を空想したりしたことはないだろうか。手塚治虫の漫画「火の鳥」にも、入れ子に循環する宇宙が描かれていたように記憶する。
尾崎放哉は随筆「」に、「私はしばしば、真面目な人々から、山の中に在る石が児を産む、小さい石ツころを産む話を聞きました。」と伝聞している。

石の中に見えるもの

「水晶」に細い草が入っているように見える「草入り水晶」は、実は「緑泥石」などを内包したものだが、どう見ても水晶中に草が在るようにしか思えない。昔の人が草入りと考えたのは自然だ。石と生命体が共存するという、人知の及ばぬものを見た驚きもあっただろう。
そこで、石の中に草以上のものの存在を想像する。例えば、「水入り瑪瑙」という決して珍しくない構造に、そこに魚がいると幻想するのもおかしくはない。
子どもにとっては、魔女が水晶球を通して、彼方の世界を覗き見ているほうが分かりやすいけれど。

(本ブログ関連:”石の世界”、”石の世界(2)”、”結晶世界の夢”)

★★★★★ 孫が、母方の家族と一緒に沼津漁港に行き、夕日の海を凛々しく眺めている写真が届いた ★★★★★

2011年1月8日土曜日

ペ・チョルス

韓国経済の記事「ペ・チョルス“引退する時まで歌やらない…90年代歌手たち残念だ"」(1/6、キム・ミョンシン記者)によれば、KBS音楽番組「コンサート7080」(1/6、汝矣島新館公開ホールで録画)のMCペ・チョルスが、300回特集の記者懇談会席上、”歌手として”事実上引退の可能性を示唆したという。
ペ・チョルスは、ラジオからテレビに移りながら、長く音楽番組のMCを担当されているそうだが、そうであってこその発言と思われる次のようなコメントが報じられている。
・「私たちより先輩は『歌謡舞台』を、1970、80年代の歌手たちは我々のプログラム(「コンサート7080」)に出演する。しかし」、90年代の歌手たちを同番組でカバーできていないことに悔しさを伝えた。
・彼が進行する同番組は、「シム・スボン、ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、キム・スチョル、ク・チャンモ、ユン・ポクヒなど数多くのスターたちが出演し、壮年層には若い時代の郷愁を、若年層には韓国伝統歌謡を知らせて、その意味を付加している」と述べた。
・「出演者たちが本当に楽しく歌を歌って、そのような基盤を用意するのが私の義務ではないかと考えて進行した」としながら、「出演歌手たちを消耗品と考えて、礼をわきまえず接する番組がしばしばあるが、そのように気分悪くすることはやめようと考えた」と吐露している。

★★★★★ 孫が、従兄弟と遊び疲れて、食事中うつらうつらしている動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、食事中船をこいでいる処に、赤ちゃんの従兄弟が現れる動画が届いた  ★★★★★

2011年1月7日金曜日

うさぎ

今年の干支(卯)の「うさぎ」について。

「うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さん 見て跳ねる」から、「月のうさぎ」のイメージが浮かぶ。地上で呑気に跳ねている彼らだが、月に昇った仲間を惜しんでいるのだろうか。いずれにしても、十五夜の秋頃のイメージだ。

うさぎの絵本といえば、代表的なものに「ピーターラビット」(ビアトリクス・ポター)、「ミッフィー」(ブルーナ)等々あるが、子どものころに見た記憶はない。孫には「ミッフィー」の絵本を渡したが、今年生まれる孫の妹には「ピーターラビット」がよいかなと思っている。

アニメーションなら、何といっても「バッグス・バニー」だろう。テレビ(「バッグス・バニー・ショー」1963年1月)で楽しんだ記憶がある。まだまだアメリカのアニメが強く、ようやく「鉄腕アトム」が登場したころである。

(Youtubeに登録のordo122に感謝)

2011年1月6日木曜日

イ・ソンヒの公演案内

nyradiokoreaのインデックスページに、イ・ソンヒの2/3のカーネギーホール公演チケット購入広告が載っている。同ホールのカレンダーの色調を踏襲したのだろうけれど、どうも落ち着かない。彼女の最近のCDアルバムのデザインを考慮したのだろうか。

このnyradiokoreaのホームページには、イ・スンギ自ら公演をプロモーションするYoutube動画が紹介されている。”Lee Sun Hee”でYoutubeを検索して、<検索オプション>の<並び替え順>を<アップロード日>にすると、最新登録動画が見られる。
(Youtubeに登録のAM1660に感謝)

さらに、同ホームページの記事「イソンヒのニューヨーク公演カリフォルニア州バージニア州でも、中国ファンまで熱い関心」(1/4)に、全米各地のイ・ソンヒのファンたちの声をリポートしてしている。カルフォルニアのファンがニューヨーク行航空券を購入したとか、イ・スンギのファンだった中国女性がイ・ソンヒの歌を聞いてはまってしまったなど報じている。

(本ブログ関連:”カネギーホール”)

2011年1月5日水曜日

テネシーワルツ

落ち着いてどこまでもゆったりとした、パティ・ペイジの「テネシーワルツThe Tennessee Waltz)」(1950年:カバー)は懐かしい。初めて聞いた頃は、とうに昔の曲だったに違いないが、それほどとは思わなかった。何となく大人の歌という気はしたけれど。
子ども心に感じたように、過ぎ去った苦い思い出を、懐旧する余裕のある大人の歌である。曲タイトルに、心情そのまま表現はしないで、物語の起きた場面を示すことで印象を強めている。この曲がヒットした当時の人びとは、青春のできごとを、過去に留めるくらいの自負心を持っていたということだ。
(蛇足:以前、TBSラジオの番組で「山路きて/浅き夢見し/桃源郷」という投稿川柳が紹介されていた、見事。)

Youtubeの備考によれば、この「テネシーワルツ」は、彼女がリリースした同年(1950年)に、#1を13週続けたそうだ。
(Youtubeに登録のburltable449に感謝)

ところで、パティ・キムのパティについて、ko.wikipediaによれば、「パティという芸名は、米国歌手パティ・ペイジのような名歌手になりたいという意味でつけた。」そうだ。


(最近、孫の動きが活発で、写真、動画が撮りにくくなってきていたが)
★★★★★ 孫が、「これは!?」 と公園の石を拾いあげては母親に訪ねる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、母親の答を真似て、「石だ!」と声を出して次の石を探す動画が届いた ★★★★★

2011年1月4日火曜日

石の世界(2)

薄田泣菫の掌編「石を愛するもの」(青空文庫掲載)を読んで、石を愛するものの心情を覗いてみよう。

わが身を同化してしまいたいほど石に愛着するものは、冷静な蒐集者や石と無縁のものから見れば、まこと奇人でしかない。ところが、その奇人の心情に一度でも感応してしまうと、もはや以前に戻ることはできない。奇人とそうでないものの境界は何処にあるのだろう。
奇人は、桃源郷のごとき景観を石に見つける。「黒く重り合つた峰のたたずまひ、白い水の流れ、洞穴と小径との交錯、――まるで玉で刻んだ小天地のやうな味ひは、とてもこの世のものとは思はれなかつた。」*と。彼の幻想世界を、あなたが一瞬なり覗いてしまうや、境界は崩れ、彼の世界へ引き込まれてしまい、そのとき彼は得意げに、「どんな人だって、(こんな石を)愛さないわけにはゆきますまい。」*と念をおすに違いない。
(*)薄田泣菫の掌編「石を愛するもの」

尾崎放哉の随筆「」(青空文庫掲載)を読んで、石に命を感じる心境をさぐって見よう。

俳人の彼が終の棲家に定めた(花崗岩を基盤とする)石の島は、穏やかな瀬戸内に浮かぶオリーブの茂る島でもある。孤独者のためか、「私は、平素、路上にころがつて居る小さな、つまらない石ツころに向つて、たまらない一種のなつかし味を感じて居るのであります。」**と、物言わぬ石に対して近しさを述べている。風景の中から石が、ぽっかりと浮かび上がり、確かな存在にまでなった。
そうなると、「すべての石は生きて居ると思ふのです。石は生きて居る。どんな小さな石ツころでも、立派に脈を打って生きて居るのであります。」**と、石との距離が益々縮まり、他の文人が中国の伝奇を通じて石への愛惜を語る奇談とはいささか趣が異なってくる。そのとき俳人は、自ら石の虜になった。
(**)尾崎放哉の随筆「石」

(本ブログ関連:”石の世界”)

2011年1月3日月曜日

イ・ソンヒとトロット

イ・ソンヒの歌唱力については、守備範囲が広く、その実力から「国民歌手」といわれる所以であるが、その彼女が、トロットを歌う動画(「MBC歌謡コンサート イ・ソンヒ スペシャル」)が昨日Youtubeに登録された。今回も登録者は時の旅人の26apolloである。感謝。
イ・ソンヒが聴衆と一体となって実に軽やかに、そしてたくみに歌う、トロットメドレーの曲目は次の通り。
・シム・スボン「愛しか私はわからない(사랑밖엔 난몰라)」
・ナフナ「ムシロ(무시로)」
・チュ・ヒョンミ「片想い(짝사랑)」

(本ブログ関連:”シム・スボン”、”イ・ソンヒの本歌取り”)

なお上記の他に、イ・ソンヒが圧倒的な歌唱力でトロットを歌う代表的な動画がYoutube にある。曲目は次の通り。
・イ・ミジャ「椿娘(동백 아가씨)」
・キム・テヒ「昭陽江の娘(소양강 처녀)」

(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、www0433、naragoyo、yokosuka30に感謝)

2011年1月2日日曜日

孫と新年会

ますますお喋り上手になった孫と一緒に新年会を楽しんだ。玄関でのご挨拶で、孫はきちんと「おめでとうございます」と言った・・・ような気がする。
お嫁さん手作りのおせち料理を美味しくいただき、孫を中心に楽しいひとときを過ごさせてもらった。ケーキを回転してもらいながら、立てられた蝋燭全部の揺れる炎を、孫はちゃんと吹き消した。今日も孫は主人公である。
帰りの身支度を始めるや、孫はすぐにバイバイと手を振ってくれた・・・んん。お別れどきに、父親が抱いた子(=孫)をわたしに手渡そうとするや、あわてて身をよじらせ、「おかあさん」と母親の方に両手を差し出して救いを求めていた。大丈夫だよ、さらって行きやしないから。帰り路、思い出しては独り笑いした。

イ・ソンヒのカーネギーホール単独公演情報

1998年ニューヨークで韓国学生協会が開始したホームページが母体のhey!Koreanの記事「[公演] 新年を迎え、ニューヨークに吹く文化韓流」(2010年、12/31米国時間)は、イ・ソンヒやイ・ウンミなどの当地公演予定を紹介している。イ・ソンヒのカーネギーホール単独公演について、次のように報じている。
・「国民歌手」のイ・ソンヒは、カーネギーホールで単独公演を持つ。2月3日午後8時、(旧暦)正月を迎えて、新年の祝賀公演で繰り広げられる、この公演では、25年間のヒット曲や新曲が一団となった舞台に会うことができ、特別ゲストとしてイ・スンギとイ・ソジン(共にイ・ソンヒと同じフックエンターテインメント所属)が出演して、家族全員が一緒に楽しむことができるコンサートになる予定だ。
パティ・キム、チョー・ヨンピル、イン・スニに続いて、カーネギーホールで公演を広げることになる、イ・ソンヒのコンサート詳細については、http://www.carnegiehall.org/で確認することができる。
* お問い合わせ212-247-7800

そうなんだ。12/31ニューヨーク発の記事文頭は、韓国時間に合わせて、「2011年の新年が明けた。一年の始まりで、ニューヨークで韓国の文化を知らせるの公演やコンサートのニュースをお伝えする。・・・」と書くのですね。そして、今年の旧暦元旦は陽暦の2/3で、イ・ソンヒのカーネギーホール公演当日だったのだ。

この舞台で、「新曲」も交えるという記述があるので、大いに期待しましょう。

(本ブログ関連:”カネギーホール”)

2011年1月1日土曜日

初詣

今朝、孫宅から新年の挨拶の電話があった。 可愛い声で孫が「来て~」と言ってくれたが、父親の都合で明日夕方訪問する。
孫家族に先んじて、昨年初に一緒に初詣をした彼らの地元にある「田無神社」に行った。昼過ぎに訪れて驚いた。神社の外周歩道に参拝者が溢れて列をなしていたのだ。1時間近くだろうか、社殿にたどり着くまで文庫本片手にじっと待った。(写真:左)
孫家族のために破魔矢を、そして孫の健康と無事のお産のためにお守りをいただいた。

帰宅後、我が家の地元にある「関野天神社」にお参りする。こちらは、近在の人々が境内に三々五々集っていた。もう一度、孫家族の安寧、孫の健康、無事のお産などを祈った。今年、孫に妹ができて、お兄ちゃんになる。この幸せがいつまでも続くことを祈らずにいられない。

(本ブログ関連:”田無神社”、”関野天神社(「神のやしろを想う」より、感謝)”)

ところで、今年は「都営交通創業100周年」をむかえるという。(「出没!アド街ック天国スペシャル【今年行きたい注目の街】」から)