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2017年6月16日金曜日

電信の応用

科学が発展するのに、ひとりの天才が突然現れて世界を一変させる・・・なんてことを、子どものころ偉人伝を読んですっかり刷り込んでしまった。けれど、ガリレオを先導したジョルダーノ・ブルーノの存在が如何に大きかったかを、浪人中に岩波新書を読むまで知らなかった。

天才の種は、すでに深く耕された肥沃な土壌があってこそ開花し実を結ぶ。物語で理解すると、豊穣な大地に気付かず果実を求めてしまう。物語はわかりやすく理解しやすいが、誰かの手で書かれたものでしかない。事実をひとつひとつ丁寧に積み上げて実証する研究者は大切な存在と思う。

ところで、アメリカのモールスが電信機を発明したのが1837年。それ以前に電気信号をワイヤーに通す様々な発明があり熾烈な競争があった。驚くことに、この電信が「南北戦争」(1861年~1865年)で大いに利用されたことだ。情報戦(暗号化)であり、南北相互に「信号司令部」が存在し多数の人材を養成した。
Wikipediaによれば、信号司令部に参加した総人員は次の通り。
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(北軍の)信号司令部が戦時任務終了後、1865年8月に解隊されるまでに、146名の士官が任命されるか任官を提案された。実際は297名の信号士官が任命されたが、非常に短期間の者もいた。戦争中に携わった兵士の総数は約2,500名になった
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(モールスが「奴隷制度」支持だったとは実に皮肉なことだ)

日本でも1877年の「西南の役」に電信は使われている。東京から熊本へのワイヤーが、街道の松並木を電信柱にして張り付けられた、そんな錦絵がある。現地の政府軍には、Wikipediaによれば、電信掛74名(電信掛長:大島貞恭少佐)が編制されている。(1874年の「佐賀の乱」で、電信が既に使われていた)

電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。

(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)