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2016年4月23日土曜日

八王子城

「関東の名城を知る」をテーマにした地元市民講座(講師八巻孝夫氏)に申し込んだところ、倍ほどの応募の中から運よく当選して、今日の「八王子城」見学に参加できた。現地城跡行きのバス停があるJR高尾駅に集合(9:45)して、現地解散(実質JR高尾駅解散、17:00頃)という長丁場となった。

八巻講師から、山麓にある「ガイダンス施設」で詳細に資料を配布され、事前説明を聞く。現地史跡見学でも、丁寧な解説をしていただいた。数々解釈のヒントを聞き、素人ながら関心を深めることができた。

戦国時代末の1590年6月23日、豊臣秀吉は小田原城攻略の途中、配下(前田利家、上杉景勝ら)に圧倒的武力で、関東で強固な山城として有名な、北条氏の八王子城を、「力攻め」(武力にまかせて攻めること)して制圧。<戦上手>といわれた八王子城主の北条氏照は、そのとき小田原城の防御に行って留守だった。結果、農民子女を巻き込んだ悲劇的な伝説が伝わることになる。通常、包囲して陥落(自ら降伏させる)を狙う秀吉の今回策は、小田原城に悲報が知らされる心理的策ともいわれる。この後同年7月5日に、小田原城は開城することになる。

八王子城跡の見学に申し込んだのは、地元市報を見てのことだ。ネット情報で八王子城落城の経緯を知り、素人とながら、史跡を覗く意義を感じた次第。八王子城は、典型的な山城の代表だそうだ。要塞堅固、難攻不落の守りも堅い、かつ山深い城だった。そのため、城跡の見学も、予想以上の山歩きとなる。

JR高尾行きの帰りのバス停で、万歩計を持った方から、(自宅からの歩数も含んで)約16,000歩、約12,000歩という結果を聞いた。今回は歩数だけでなく高低歩きも加算したいところだ。汗も涸れた。(先日4/17の健康ウォーキング[22,807歩]よりヘビーかもしれない)

ところで、講師の方から、戦国時代とは西日本の東日本の植民化というようなものと例えをうかがい、ウムとうなづいた。当時としては、そうだったのかも知れない。また、築城についても、時代や地形により、実戦的なもの、誇示するものなど様々な姿があるとうかがった。また、現在の姿が、そのままの姿かどうか、後世の手が加わっていないか考察が必要とのこと(=文化遺産への認識が時代とともに変化してきたこと)。

素人のまま、そのままだが、次回の古城巡りを楽しみにしている。


(参考)「八王子城」Youtube映像 (登録のhakucyanKKに感謝) ・・・ 写真と比べてスケールがイメージできる。
1.  https://www.youtube.com/watch?v=cKJkSKFHhjo
2.  https://www.youtube.com/watch?v=iNL7_23nNHE   ← 今回未踏コース
3.  https://www.youtube.com/watch?v=Z-SF0cXYXx4
4.  https://www.youtube.com/watch?v=VxvxctHLRcY   ← 今回未訪コース