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2015年12月23日水曜日

祝日にくつろぐこと

今日は「天皇誕生日」の祝日である。町内は実に穏やかで、まるで正月のような静けさだ。自然に和らいでくる。緊張することの少ない気ままな身だが、更にのんびりとして緩み、くつろぐ気がする。

なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。

月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。

子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 水龍吟

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、李白「笛奏龍吟水」に由来する「水龍吟(수룡음)」ほか関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”水龍吟”)

始めに、朝鮮後期の林熙之(임희지、1765年~未詳)と「笙簧(センファン:생황)」の関係について次のように紹介された。
・朝鮮後期、中国語通訳官だった林熙之は、竹と蘭をよく描いた。(日本の笙に似た管楽器)「笙簧」の演奏に優れ、弟子も多かった。酒が好きで、食事代わりにもした。貧しいなか、刀や鏡、硯の蒐集を好み、住まいよりも高いものもあった。芸術に没頭して、芸術そのものになった人とも言える。もう一つ面白い癖があった。明るい月夜、髪を両側に結いあげて、裸足で歩き回った。ガチョウの羽で作った服をまとい、笙簧を吹きながら市場を歩き回った。その姿を見て、お化けと思い逃げる者もいた。実は、このいでたちは神仙の姿を表したものだ。

▼ 宮中や宴会で奏された、笙簧と竹笛短簫(タンソ:단소)による「水龍吟(수룡음)」を聴く。雄大に龍と鳳凰が交差する。

次に、林熙之の神仙的風態について次のように解説された。
・林熙之は、自ら「水月道人(수월도인)」と呼び、竹や蘭を描いたのを見ると、複雑な世から逃れ、清く生きようとしたのが感じられる。体格もがっちりとして、夜中、変わった服装で歩き回ると、人々がびっくりしたのも分かる。彼が作った、ガチョウの羽の服は、神仙が鶴に乗って飛ぶ姿を表現したのだろう。
・神仙の絵に、「大笒(テグム:대금」に似た横笛や笙簧のような管楽器を奏するものが多い。神仙はいつ何処にも自由に移動した。運ぶのに便利な楽器を持ち、美しい景色と風流を楽しんだ。また、神仙の姿を歌った詩に、鶴に乗って笛を吹くで始まるものがあり、ヒョウタン形をした瓶をぶらさげて不老草をかつぎ、髪を結いあげている子供に話しかける内容だ。

▼ 詩にリズムのついた時調唱(시조창)「辞説頭学(사설지름)時調、鶴に乗って(학 타고)」を聴く。瑤池宴に行くのか?

最後に、小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)の女仙、あるいは姮娥について次のように紹介された。
・「瑤池宴」は、中国最高の女仙「西王母」が開く宴で、神仙の集まる場として知られる。李朝期の古典小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)に、8人の女仙が登場する。些細な罪を犯し、しばらく人間世界を生きる、それだけ美しく善良なものだ。今いる場所以外の他の世界で暮らしたい思いを、この詩は表現しているようだ。仙女の中で一番といえば、「姮娥(こうが)」が挙げられる。彼女は、西王母の不死の薬を盗み、月に逃げてしまう。唐の詩人李白は、月を眺めながら彼女を詩「把酒問月」に謳う。白兎は薬をついて、仙女の姮娥は寂しいという内容だ。仙女の姮娥は、さぞ寂しい思いをしたろう。

▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏「鏡花水月(거울 속의 꽃, 물 속의 달)」を聴く。飄々と響く、今様である。

・最後に、キム・ボエさんの言葉、「どんなことでも、長所があれば短所もあるものです。どんなに寂しくても、人間とはまた違う形で我慢をしなければならないのが、神仙の暮らしでもあったようです。」