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2013年8月31日土曜日

カレンダー

一般に、年末になると翌年のカレンダー、手帳そして日記を、企業宣伝用に貰ったり、ギフトや自分用に購入することがある。さらに最近では、4月の新年度を起点にスタートできるようにした手帳や日記なども店頭で見ることができる。

ところで先日、文具店に、来年度用の綺麗な表紙の手帳が並んでいた。今頃どうして、というのが率直な感想だ。そんなに早く、来年の予定が埋まっているのだろうか、そんなに忙しいのだろうか・・・不思議だ。それより、この夏のスケジュールはどうだったのかな?

ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)は、青春真っ盛りだ。9月には、歌の主人公の少年も16歳なのか、恋人がスウィート・シクスティーンになる。もしかしたら、カレンダーに載るモデルに仮託しているのかもしれない。暑い夏はもうじき終わりだ。そして想いを次々カレンダーに書き込もう。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

Youtube画像削除済
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2013年8月30日金曜日

イ・ソンヒに似ている

あいにく、韓国の若手女優ハン・ヒョジュについてはよく知らぬのですが、ネットのニュース記事に、彼女がシンガポールの映画祭に出かけるため、仁川空港で見かけた姿が、イ・ソンヒのようという話がありまして、他にもブログ「SUMMER IS UPON US」に、そのときのスナップ写真が多数並んでいます・・・。感謝。

ブログの写真を見れば、まさにそっくり。「80年代のイ・ソンヒじゃない?」とか、「髪(ヘヤー)スタイルひとつで90年代っぽく」とか・・・お洒落について分かりませんが、よく似ています。つまり、イ・ソンヒの持つ清潔感を、この若い女優さんも受け入れたく、表現したく気に入っているのかも知れません。

そう思いませんか。

2013年8月29日木曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー みたび

イ・ソンヒの幅広いレパートリーと歌唱力については、何度も何度も触れて来たが、百聞は一見に如かず、Youtubeで彼女のトロット・メドレーの映像に接すれば・・・それで、十分だろう。

彼女がここで歌う3曲については、次の(本ブログ関連)リンクで紹介しているが、・・・<いつでも>うろ覚えのため、ナフナ(羅勲児)の歌に”アムロ”という曲はなかったかなあと思い浮かべたけれど・・・それじゃ、安室奈美恵のアムロでしょ・・・てな具合で・・・頓珍漢にも程がある、ああ、記憶の悪さに針の筵(ムシロ)だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのトロット・メドレー”)



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2013年8月28日水曜日

夏に戻る

昼過ぎに出かけた体操教室は、先々週の盆休みと、先週の別件で欠席のため、2回分を空けての出席となった。久し振りという感じで始まったが、随所で運動にミスがあった。いつも完全ではないし、まっ、そんなものだろうけれど、最後までやり通せたのだから善しとしよう。

昼間の陽射しはヒリヒリするほど、まるで夏に戻ったよう。おまけに空気も透き通って、街並みの景色がすっきり見えて気持ちよい。このまま晴天が続けば・・・と思っても、週末の土日は台風15号の影響でくずれるそうだ。

夏の気分を持続するには、榊原郁恵ちゃんの「夏のお嬢さん」を聞きましょうか・・・な。今も、彼女がTVに登場すると、「郁恵ちゃん」と呼んでしまうよ。

秋もいいけど、やっぱり夏がいい。

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2013年8月27日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 桐の木

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/21)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第20回として、「桐(오동)の木」について紹介された。

まず桐の木にまつわる、鳳凰の伝承について次のような紹介から始まった。
・韓国の花の王は牡丹、百獣の王は虎であり、鳥の王は鳳凰と言われる。鳳凰は、一度姿を現すと天下が平安、泰平の象徴となる想像上の動物だ。松の実のみ口にし、桐の木だけに止まる。そこで、身分の高いソンビは居間(사랑방)の周辺に、桐や青桐を植え、鳳凰が来るのを待った。
ところで、桐の木のせいで意外なことも起こった。桐の木にまつわる時調(시조)を紹介する。

「窓に影が見え隠れするので、恋しいあの方がいらしたのだと急いで外に出てみると、あの方はおらず、月が明るく光っている。桐の木の濡れた葉に鳳凰が来て、長い首を曲げて、羽をつくろっている影だった。夜だったからよかったものを、昼であったら誰かが見かけて恥をかくところだった」

(参考)「コ・ヒョサン ブログ(Blog)」に上記曲の紹介がある。感謝。

▼男唱歌曲、言楽(언락)時調 「碧紗窓が(벽사창이)」を聴く。ゆったりとして、(上記歌詞から)恋よりも鳳凰の幻想が主ではと思うのだが・・・女性の心情と違って、男の論理かな。

▼楽器コムンゴによる(歌曲)「掃葉山房(소엽산방)」の演奏を聴く。雨音が人の心を乱すというには、こちらも、ゆたりとして・・・どこか新しさを感じて気になれば、作曲者は黄秉冀(ファン・ビョンギ、황병기)(1936年5月31日~)で・・・現代の作曲である。

高級部材として楽器や家具に使われる桐の木の素晴らしさを次のように解説された。
・高級材として、軽くゆがみが少ないという特性が重宝される桐は、楽器や家具に広く使われた。昔、娘が生まれると、庭に桐の木を植え、その成長が早いため、娘が嫁ぐときに桐で箪笥を作って持たせたという。
桐は、楽器コムンゴやカヤグム製作の重要な部材のひとつだ。桐は寿命が長く千年を経ても、常にメロディーを奏でるという。楽器であれ、家具であれ、丁寧に加工し、丹精をこめて作り上げれば、使い手も、こうした一生物の家具や楽器に愛着を持って接することができる。そのとき、桐の木のすばらしさを実感できるのではないだろうか。

▼楽器カヤグムによる「知恵の香り(슬향)」の演奏を聴く。・・・若手演奏家による、旋律、リズムともに今様である。

2013年8月26日月曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

このごろの陽の落ち方に、秋の気配を感じるようになった。以前は、翳った後にも残る熱暑のために、一日の終わりを遅く感じたものだ。この熱気がさめて、気付けばしんみりした秋の夜になっている・・・季節感は先回りできない。予感できないものだ。

西山に陽は沈み、後に熱い想いだけが残る・・・民謡の言葉をかりて歌う、4集所収の「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」(1988年)は、この時期に合うかもしれない。

イ・ソンヒが支持されつづけるのは、そのベースに大衆歌謡があることだ。Youtubeで、トロットや民謡を次々に歌いこなす彼女の姿を見ることができる。
初期らしく、張り上げるようにして歌う、彼女の声は若々しい。

(本ブログ関連:”夜が来れば”)

<Youtube削除済み>

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年8月25日日曜日

百日紅(サルスベリ)

百日も咲くことから百日紅(ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)といわれる、サルスベリの花がこの時期目に付く。丈を高く育てる植木園のものはもちろんだが、民家の小ぶりの百日紅までが通り道に枝先を伸ばし、花咲きを誇っている。多く桃色だが一部白色もある。小さな花弁が密集して、みずから覆うように飾る。

独特な幹の形状と、花の色合は、まさに中国の古い絵画を思い出させる。考えてみるに、桃色の透明感が、桜花とは違うようだ。百日紅は小花が集まり、花弁を光が透過しにくいため、表面の色合いを眺めることになる。それは、絹布に描いた絵のように、反射を頼りに色彩を楽しむことになる。

原産が中国南部とのこと・・・この花に馴染むとき、自然と中国風の色彩を感じているのだろう。

(本ブログ関連:”百日紅”)


(付記)
図書館の帰り道、裏通りで若い父親と小学校の低学年らしい坊やが、サッカーごっこをしていた。わたしがその脇を通り抜けるため、しばらく小休止する間、父親はしゃがんで自宅の塀の下に生えた雑草を抜き始めた。
そのとき、サッカーボールを手にした坊やが、父親に言った。「もう、遊ばないよ」と。ちゃんと相手してくれないなら、遊んであげないよということのようだ。坊やは、いつのまにか、父親を相手に遊んであげているのだと思っている。
わたしは心の中で、その父親に代わってつぶやいた、「このおじさんが行ったら、ちゃんと相手するから・・・」と。

2013年8月24日土曜日

セスジツユムシ

今までの猛暑はどこへやら、今日の朝夕、すっかり秋の気配になった。そして夜、なんと虫の声がするではないか。もしかすると、今年初めて庭先に聞く虫の音かもしれない。
どうやら一匹の虫が擦音を響かせて、「チーチーチーチー ~」に始まり、「チチッチーチーチッチーチーチッチ~ チーチーチー」と鳴き続ける。この組み合わせを何度も繰り返すのだ。

コオロギでない、はて何の虫かと調べれば、どうやら鳴き声のパターンから「セスジツユムシ(Ducetia japonica)」(写真)のようだ。もちろん、夜の庭に出て固体を確認したわけではない・・・が。

庭のドクダミ草のかげで鳴いているのだろうか。朝夕の気温が落ち着き、虫の音も加わって、これで秋らしい秋になった。

あれほど(30分ほど)鳴いていたセスジツユムシが静かになった。鳴き場所を変えたようだ。・・・おやおや10分ほどして、また鳴きはじめた。そうだ、セスジツユムシはいる。命を鳴かせている。

2013年8月23日金曜日

処暑 2013

夏を惜しむ・・・そんな、時季がやってきた。うるさかった陽射しが懐かしいほどに、朝夕に秋の気配を深める。寒さが苦手なわたしは、これからの気候の変化にとまどう。

今日は、二十四節気の立春から数えて十四番目の「処暑」。立秋と白露の間にあり、次の白露を過ぎれば秋分になる。季節は循環するといっても、今は気温の下り坂だ。

子どもの頃、夏休みの終わりといえば、遊び疲れて、ひんやりした畳の感触が心地よくて寝てしまい、やがて差し込んできた燈色の夕陽に照らされて辺りをうかがうと、庭先で鳴くツクツクボウシの声、台所で夕食の用意をしている母親が、食材をコトコト切っている音が聞こえてきた。子どもながらに、夏の終わりは私的なものだった。

夏の終わりといえば、歌や小説の題材に合うようだ。いささか手垢の付いた表現だが、毎年どこからか聞こえてくる。ちょっとセンチメンタル、酷寒が迫るほど瀬戸際でないのが都合いいのだろう。

2013年8月22日木曜日

イ・ソンヒの「いつも愛してる」

今日は昼から夜の入り口まで長時間、久し振りの仲間たちと、たっぷり(勉強)具合について話しを咲かせた。いろんなヒントをもらったといった方が正しい。そして、あっという間に時間が過ぎた。

ミーティングも終わった帰り道、昼間の暑さがまだ残っていた。玄関のドアを開けると、逃げ場を失った熱気が出口を求めて殺到した。

こんなときには、爽やかに心響くものが欲しい。イ・ソンヒの8集所収の「いつも愛してる(언제나 사랑해)」を聴いて、くつろごう。光の風がキラキラ揺れて愛を運ぶ・・・若い想いがうらやましい。

(本ブログ関連:”いつも愛してる”)



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年8月21日水曜日

そういえば、今年は海に縁がないらしい。たまたま日本海に面した道の駅で、温泉につかったり、あわびを食ったりしたことはあるが、鉱物採集に行く道すがらのできごとであり、遠く広がる水平線を眺めたり、あるいは水浴びするといった目的で寄ったわけではない。

秋の気配が感じられると、この夏に大事なことをし忘れたように思うのは・・・勝手なこと。もし、真夏に海に行くことがあったら、(くそ)暑いのになぜ出かけるんだと口にしたに決まっている。忘れ物は、後になって気付くもの。

波寄せる海辺、明るい愛の歌といえば、シャルル・トレネ(Charles Trenet)の甘い声がする「ラ・メール(La mer)」(1943年)やパット・ブーン(Pat Boone)が優等生的な律儀な声でカバー(1957年)した「砂に書いたラブレター(Love Letters in the Sand)」を思い出す。

(Youtubeに登録のDonhaUrraca、catman916に感謝)

シャルル・トレネの「ラ・メール」を、フィリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌ったものが、映画「裏切りのサーカス(Tinker Tailor Soldier Spy)」のラストに流れたのが印象的だった。内部の「もぐら(モール)」をあぶり出すという重苦しくしんどいストーリーだが、その解決の結果、次のステップへ進むというのだろうか、妙に力強く明るい。果たして、選曲の意図は何だったのだろうか。

(本ブログ関連:”恵方巻きって何?”)


(追記)
北の丸公園にある科学技術館で開催中の企画展に行ってきた。親類が関わっている「キッチンの科学」催事が目当てだったのだが、昼過ぎの休憩ためか関係者不在で、展示物を見学するに終わったのは残念。
実は、最初からいろいろなことがあった。出発駅のホームで電車を待っていると、隣り駅で人身事故があったため到着が遅れるというのだ。やがて現れた電車の運転席を見ると、何とガラス窓が割れてへこんでいるではないか。当然、車両変更のため乗客は全員降ろされ、われわれと一緒に次の電車を待つことになった。それにしても生々しい光景だ。
しかも、帰りの電車が地元駅に到着する直前、土砂降りになってしまい、しばらく構内で雨宿りしたりした。今日はノイズの多い一日だった。

2013年8月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 アリラン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/15)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第19回として、朝鮮半島に伝わる民謡「アリラン아리랑)」について紹介された。

まず、或るアメリカ人によるアリランと次のような出会いの紹介から始まった。
・1937年、米国女性記者ニム・ウェールズ(Nim Wales:エドガー・スノーの最初の妻、本名Helen Foster Snow)は、中国の延安で朝鮮人青年キム・サン(本名張志楽、中国共産党により反革命罪とスパイ罪で翌年粛清される)と出会う。後年、彼とのインタビュー記録「アリランの歌(Song of Ariran)」を出版。その中に次の一節がある。「私の人生は失敗の連続だった。わが国の歴史もまた失敗の連続だった。私はただひとつ、私自身に対してのみ勝利しただけだった。しかし、前進し続ける自信を得るに当たっては、このわずかな勝利だけでも十分だった。」 アリランは、他国で命を落とした朝鮮青年たちの生き様が込められた歌でもある。
8月15日の「光復節(광복절)」にちなんで、逆境にも負けず、再び立ち上がる韓国の象徴的な民謡「アリラン」を紹介する。

▼「江原道アリラン(강원도 아리랑)」を聴く。まるで清く澄んだ水の中で聞くよう・・・今様である。
⇒ Youtube:「나윤선」(登録者の종숙 유に感謝)

流転のなかにも、「アリラン」が歌われた話を次のように紹介された。
・アリランは、いつ、どこで始まったのか、その意味は何か今も謎であるが、韓国人はアリランを歌い、ひとつに団結してきた。旧ソ連のスターリン時代に中央アジアへ強制移住された「高麗人」も、植民地支配に命をかけて海外で活動した人たちもアリランを歌った。
先日、慶尚北道聞慶においてアリラン展「道の上の歌、峠の声:アリラン」が開かれ、1916年にドイツで録音されたアリランの音源が公開された。キム・グレゴリー、アン・ステファン、ユ・ニコライ(?)たち青年が残したと伝えられる。彼らは、第一次世界大戦時、ロシア軍に徴兵され、ドイツ軍の捕虜となった。音声学者のヴィルヘルム・デーゲン(Wilhelm Albert Doegen、当時215民族の音声などを収集)により、この歌が収録された。捕虜となり、祖国を遠く離れ、見知らぬ人々の前でアリランを歌わねばならなかった彼らの心情は、いかばかりだったろう。

▼「尚州アリラン(상주 아리랑)」を聴く。金素姫(김소희)名唱(명창)の本格的な歌だ。

現代のアリランについて次のような解説があった。
・昨年、ユネスコの人類の無形遺産にアリランが登録され、「多様な社会的背景の中で、継続して歌われ、ひとつの共同体のアイデンティティの証であり、社会的団結力を高めるものだ」と理由説明された。
外国人にもアリランは、韓国の代表的音楽である。小説「大地(The Good Earth)」の作家パール・バック(Pearl Sydenstricker Buck)も1963年、韓国を舞台とした小説「生きる葦(The Living Reed)」の表紙にアリランの文字で飾ったという。
また、今年は朝鮮戦争休戦60周年を迎える。1953年の休戦協定調印式の席(李承晩は欠席)で、韓国と北朝鮮が同時にアリランの演奏を行った記録がある。(・・・どのようなタイミングだったのか?)

▼「新アリラン(신아리랑)」を聴く。子どもの声は和む、いいなあ・・・普通の小学校の普通の子どもの歌なんですよね。それを見守る家族のやさしい眼差しすら感じてくるよ。この子たちが未来へ歌い継ぐ。

2013年8月19日月曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

「知りたい」と「分かりたい」という言葉の(求め方の)違いは・・・

対象を物質にすると、
・「自動車を知りたい」は、自動車の外観、スペック(諸元)、性能などを知りたい・・・ことになるが、
・「自動車を分かりたい」となると、スペックなど以上のもの(製作者の設計思想、自分との親和性などまで)を求めることになる。

対象を「あなた」にすると、
・「あなたを知りたい」は、相手の生い立ちなども含めて属性(人となり)を知りたい・・・ことになるが、
・「あなたをわかりたい」となると、属性以上の心的な共有(つまり自分をどう思っているのかまで)を求めることになる。

「知りたい」と言われたら応えられることも、「分かりたい」と言われると重くなってしまう。そんなにしてまで、実は自分の想いを相手に伝えたいという「分かりたいです」は、重なりと密度の大きい、とても切なく愛しい言葉だ。

心に浮かぶ相手に問いを重ねる、イ・ソンヒの3集所収の「分かりたいです(알고 싶어요)」(1986年)をYoutubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2013年8月18日日曜日

肩コリと膏薬

首筋や肩のコリがきついので、薬局で膏薬を買った。膏薬は、商品名をいえばわかりやすいかもしれないが・・・いってみればサロンパスを小さくしたようなもので、3cm四方のサイズの貼り薬だ。

首筋や肩を指で押してはコリのキツイところを探し出し、そこに膏薬を貼り付けるのだが、不思議なことがある。まず、一番キツイところから、次にキツイところへと順に貼っていくうちに、あれれ・・・ここもこっていたのかと、今まで意識しなかったところにも貼る。というか、強いコリに隠れていた弱いコリが、次々と姿を現すようだ。

コリとは、そんなものかもしれない。普段感じるコリとは、局所的に象徴的に集中したもので、他のコリを緩慢にしてしまい、コリ全体の鬱陶しさを逃す仕組みになっているのではないか。コリや痛みを上手く調整するシステマチックな機構が、組織や器官を持つ生命体の平衡力にあるのかもしれない。

一晩貼り続けて翌朝には、嘘のように首筋や肩のコリが癒されている。ただし、楽になったからといって、膏薬を貼つけたまま外出すると、首筋の膏薬が目立ってしまうのではと思う・・・いや、他人はそんなこと気にもとめないだろう、ましてオジサンならどうでもいいことだろうけれど。

2013年8月17日土曜日

(資料)日本の主要な韓流ファン層

聯合ニュースの記事「韓国創作ミュージカル 日本で苦戦=大作は大ヒット」(8/13)は、「ミュージカル韓流」ムードで進出しようとしている日本市場の分析の中で、日本の主要な「韓流ファン」層の属性を「40~50代の主婦が観客の大部分を占める」と、次のように伝えている。(抜粋)

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・韓国のミュージカル界が「ミュージカル韓流」ムードに乗って相次いで日本に進出していることについて、一部では日本市場を冷静に分析し現実を直視すべきだという声が出ている。

・日本での「ミュージカル韓流」はジャンルや作品自体が持つ力というよりは、「K-POP韓流」から派生した錯覚だというのだ。また、20~30代をメーンターゲットにする韓国の創作ミュージカルの場合、40~50代の主婦が観客の大部分を占める日本市場でどのように活路を見いだすか考えるべきだという指摘もある。 

・実際に、アミューズ代表取締役会長の大里洋吉氏は先ごろ、ソウルで行われた講演会で、日本で韓国作品が善戦しているとは言えないとしながら、「想像以上に((20~30代)若者層の)マーケットがない」と苦しい状況を説明した。
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ところで現在、主要な韓流ファン層である40~50代主婦に、いずれ本来見合ったものも必要では・・・と思うが、(特定の年齢層に集中する)彼女たちのファンになった心情や動機が果たして何だったのか、依然としてつかめない。

先日、葛飾区のコンサートホールで開かれた、イ・ウンミのステージに集まった女性客の年齢層ともほぼ一致しているようだ。

(本ブログ関連:”イ・ウンミ コンサート”)

2013年8月16日金曜日

エルガー「愛の挨拶」

その昔、レーザーディスクが普及し始めた頃、会社に設置されたパイオニア製の装置で、暇なときに・・・正直、時間もわきまえず・・・視聴したものだ。

(本ブログ関連:”愛の挨拶”)

特に、NHKの「名曲アルバム」ソフト所収の、東京フィルハーモニー交響楽団演奏による、エドワード・エルガー (Sir Edward William Elgar、1857年~1934年)の「愛の挨拶(Salut d'amour)」(1889年)を楽しんだ。このアルバムは、一曲が数分演奏されるわけなので、息抜きに持って来いの音楽だった。

Youtubeには、(エルガーと教え子との関係から)ピアノ独奏、あるいはピアノとヴァイオリン演奏が多く登録されているが、やっぱりオーケストラによるものがいい。

レーザーディスクでは、きれいな花の咲いている景色が記憶にある。いかにもビクトリア朝(1837年~1901年)の自信と優雅に満ちた時代の香りのする愛の挨拶だ。そんな音楽に、どっぷり漬かって、おう揚に楽しむのも悪くないだろう。

(参考)
「イギリス音楽の楽しみ(その2)」(中野重夫、神田雑学大学定例講座No.437、平成20年12月19日)、感謝。

2013年8月15日木曜日

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

イ・ソンヒが、2004年のデビュー20周年のコンサートステージ(世宗文化会館)でカバーした、シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年)の映像について、このブログに記したのが、ちょうど去年の今頃のことだ。

シム・スボンが「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」と評価したカバーだけに、Youtubeで見ることのできる貴重な映像でもある。

韓国の歌手のカバーは、原曲を尊重しアレンジを極力避けるように見受けられるが、この場合、シム・スボンが賞賛したように原曲の持つ情念を的確に表した、いわば本歌取りのようなしっとりとした優美さがある。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」”)

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2013年8月14日水曜日

玄関ドアを開けると、足元を一筋の蟻(アリ)の隊列が続いて、裏木戸の奥に進んでいるのが見える。彼らに気付いて以来、ときたま観察するが、その隊列が変わることはない。

蟻がどこへ向かっているのか、そして何をしているのかまで関心を深めることはないが、毎日ご苦労さま・・・といった感じでそのつど眺める。歳をとると、お互い同じ命を持っているんだなと、感じるようになった。

蟻について知らないし、蟻の方だって人間のことなんか知らないだろう。ときたまドア越しに出入りする人間の足裏に用心しているが、それ以外は無縁で、蟻は彼らなりの仕事に専念し励んでいるのだろう。

考えてみれば、玄関ドア下の隊列は一方向に進んでいるように見える・・・往路なのか、復路なのか、それとも行きは隊列を組み、帰りは三々五々バラバラに戻っているのだろうか。いつ始めて、いつ終わるのだろうか・・・休止はどんな風にしているのだろうか・・・多分、夜間は休んでいると思うが、どうだろう。

先日、玄関先のタイルの上に、仰向けに転がっていた小さなトカゲが、翌日は体が小さくなり、二日後には消えていた。多分、蟻たちが迂回して、運んで行ったのではないだろうか。命が、命を分け与えて循環していると思う。

2013年8月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 立秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/7)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第18回として、「立秋입추)」について紹介された。

(本ブログ関連:”2012立秋”、”2013立秋”)

まず暦としての立秋について次のように説明された。
・8月7日は暦上、二十四節気の立秋にあたる。その名の通り、秋の運気が立ち上がる意を持つ。今の時期、秋の気配すら見えぬが、やがて暑さも下り、稲穂が出て短い時間だが花も咲く。草取り(김매기)など、農作業がある程度終わると、穀物の生育を見守る時間が必要になる。
この時期、通り過ぎる風が多く、大切に育てた農作物が、強風に倒れる様を見つめるしかない農民の心情は計り知れない。そのため昔、五日間以上雨が続くと、官庁が祈晴祭(기청제)を行い、雨がやむよう儀式を行った。

▼「野原で(들판에서)」を聴く。田園を描いた叙情的な風景曲とでも・・・今様の演奏曲である。

立秋にちなむ詩について次のような紹介があった。
・立秋は、陽暦の8月初めにあたり、陰暦の7月になる。朝鮮時代(19世紀前半)、農村の季節ごとの風景を詠んだ農書「農家月令歌(농가월령가)」(丁学游:정학유、1816年)があって、立秋の頃を歌った内容がある。

ハングルで書かれた「農家月令歌」は、7月について、次のように記している。
(参考)http://www.seelotus.com/gojeon/gojeon/ga-sa/nong-ga-07.htm  感謝。

「7月の真夏になると、二十四節気上、立秋となる。
残暑が残るといっても、季節は騙せないもののようだ。
雨も細く降り、風も変わってくる。
七夕に織姫と彦星が流した涙が雨となり、その涙の混ざった雨が過ぎていき、
桐の葉が落ちるようになる頃、
眉毛のような形の三日月が西の空にかかった。
悲しいかな、農夫たちよ。われわれはほとんどが仕事である。
安心してはいけない。まだ遠い道のりだ。
きれいに草取りをし、稲の選定、鎌を研いで、あぜを刈り、ご先祖様のお墓の草取り、堆肥となる草を刈り取り、まとめて積み上げ、田んぼと畑には案山子を、畑の脇の道もきれいにし、覆った土も取り除いて整理する。
よく肥えた柔らかい畑に肥料をやってさらに成熟させ、キムチを漬けるキムジャンのための大根や白菜は他人より先に植え、棘のある木で作った囲いで踏まれないようにしておく。
キリギリスの鳴く声、君のための声。あの声を聞いて心を落ち着けよう。」

▼「秋が来れば(가을이 오면)」を聴く。自然に親しみ躍動するよう・・・清しい旋律、今様である。



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

最後に黄真伊(황진이)の「想思夢(상사몽)」の詩が朗読された。
・・・岸さんの言葉、「秋は、心の底にひそめておいた昔のひとがふと思い出される季節でもあります」

相思相見只憑夢   あなたに会えるのは夢の中だけ 
儂訪歡時歡訪儂   おなじ道をたどり、ふたたび会うことができた
願使遙遙他夜夢   願えばいつも夢の中で
一時同作路中逢   いつもあの道で会える

▼黄真伊の詩をテーマとした演奏曲「想思夢」を聴く。昔のひとにとって、夜の闇と明かりの対比はいかばかりだったでしょうか。

(本ブログ関連:”黄真伊”)

2013年8月12日月曜日

ペルセウス座流星群

今晩から明日未明にかけて、ペルセウス座流星群を観察できるかもしれない。

8月中旬午前0時頃 東京の星空 (東京国立天文台)
日本経済新聞の記事「ペルセウス座流星群、12日夜から見ごろに」(8/10)によれば、「今年は月明かりの影響を受けず、全国的に晴天予想と好条件が重なる。・・・肉眼で十分楽しめるといい、真夏の星空を見上げる絶好の機会となりそうだ。」とのこと。

国立天文台の特設サイトに掲示された、今晩24:00の東京の星空図を見れば、北東の空からペルセウス座流星群が降ってくるイメージがわく。
ただし、「最も条件がよい場合には、1時間に50個以上・・・都市部では、見える流星の数はずっと減り、1時間に数個程度になってしまうこともあります。」とのこと。

さて、今晩は食事に出かけるので、その帰り道に小金井公園にでも寄って、幸運にも流星のひとつかふたつ眺めることができれば楽しい(幸運)だろう。

一昨年も深夜の小金井公園に観察しに行ったんだけど・・・あいにく曇り空で観察できなかった。しかも、いろいろな流星群を眺めようとしたけれど、残念ながら当地では目視はむつかしいようだ・・・今日も見ようとする先にいうことじゃないけれど。

(本ブログ関連:”ペルセウス座流星群”、”流星群”)

(追記)
夕方、食事に行こうと待ち合わせた地元駅口で、ゴロゴロ、バリバリ、ドドーンと雷鳴が響き渡り、上空に稲妻が次々と走った。やがて降りだした小雨は、土砂降りに変わり、雨しぶきが駅構内に吹き込んで来た。雨宿りの客は、居場所をじりじりとずらし後退した。やがて空は暗くなる・・・どうしようか。
風雨小休止、さっそく駅前の韓国料理屋に駆け込んで夕食会を始めた。
帰り道、空を見れば、どんよりと曇っている。
今回もやっぱり、ペルセウス座流星群の観察は難しそうだ。⇒ その後も、曇りっぱなし+雨!

SOLiVEスター「流星特設サイト」で鑑賞。ジョニー・デッブの美星天文台(岡山県井原市美星町)の流星はデカイ!

(追記)
四国の四万十市は観測史上最高の41℃を観測したそうだ。この暑さ、どこまで上昇する気なのだろう。時事ドットコムの記事「高知で41度、史上最高=6年ぶり更新、3日連続40度超-熱中症に注意・気象庁」(8/12)は、次のように報じている。(抜粋)
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・日本列島は12日も太平洋高気圧に覆われて関東以西で気温が大幅に上昇し、高知県四万十市では午後1時42分に41.0度を観測して、全国の史上最高を更新した。最高気温が40度を超えたのは3日連続。
・これまでの最高は、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で観測した40.9度だった。
今回、41.0度を観測した四万十市西土佐用井の「江川崎」では、10日に40.7度、11日に40.4度を観測した同じ地点で3日連続で40度を超えたのは初めて。山間部(注:盆地上)で晴れが続いた上、海からの涼しい風が入らなかったのが上昇の主因という。
30度以上の真夏日となった所は706地点と今夏最多で、全国927地点の76%を占めた。35度以上の猛暑日は243地点に上った。
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2013年8月11日日曜日

雷鳴

今日の暑さには、さすがに閉口した。2階の閉切った部屋に上がると、室内に溜まった空気が熱容量を持った物質で、びっしりと充填していることを実感した。用事が済めば、もはや長居の必要はない。
そんなわけで、1階の自分部屋は、苦手なエアコンを29℃にゆるく設定して、それに扇風機の微風を加えて涼み、やり過ごした。

午後3時前後、激しいカミナリが続き、辺りの空気をバリバリと響かせて落雷した。まじかに雷鳴が轟くあいだ、3度も停電したのだ。今年になって、2回目の瞬断だ・・・久しく忘れていた停電の光景を思い出した。

子どもの頃、夜間に台風に襲われて停電で部屋が真っ暗になり、準備していたローソクに火が灯ると、母親を中心にローソクの揺れる灯りにみなの顔が浮かびあがって、いつもと違う楽しさがあった。なぜかはしゃいだ記憶がある。そのときばかりは、暗闇が決して怖いものではなかった。

今日のカミナリの後、土砂降り雨がしばらく続いた。恵みの雨といった想いをわかせない。むしろ、熱せられた地面から上昇した空気が上空で持ちこたえられなくなり、雨になって降ってきた・・・いや、落ちてきたとしか思えないのだ。それも降り終われば、街に爽やかな空気が流れ、何事もなかったようにひとびとで溢れていた。

2013年8月10日土曜日

バナナのミルクラテ

バナナ味の食べ物や飲料水に遭遇するのは、まことに偶然で、探して見つかるものでない・・・虚心坦懐、心穏やかにしてこそ幸運に巡り合う・・・まっ、それほどでもないが。

(本ブログ関連:”バナナ”)

一昨日の晩、駅前のコンビニ店で見つけたのが、500mlの紙パッケージに入った乳飲料「バナナのミルクラテ」(果汁5%、製造足柄乳業、販売高梨乳業)だ。容器は平凡な直方体のパッケージだが、表面に印刷された写真や商品ロゴなどのデザインが、素人ながらいい感じがする。

で、冷蔵庫に冷やし置いて、後日ゆっくり味合おうと楽しみにしていたが、昨晩の余りの暑さのため飲むことにした・・・というか、やっぱり気になって飲んでしまった。

バナナ味は、オーソドックスな甘味付けで、飲んだ後に喉の奥にしっかり甘みが残り、バナナの果汁5%に応じてイガイガ感も残る。

最近、気になっているのが、果実のバナナをミルクと一緒にミキサーにかけて飲んだ後、喉の奥がイガイガすることだ。ネット情報などでは「アレルギー症状」では、という回答もある。(対策については、該当の飲食を控えなさいとのこと)

それはそうとして、止められませんな。バナナ味の巡礼は・・・まだまだ続く。

2013年8月9日金曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

イ・ソンヒの名曲「五月の陽射し(오월의 햇살)」(5集、1989年)は、作詞イ・ソンヒ(李仙姫)とユン・ハンギ(尹恒基、윤항기)、作曲ユン・ハンギとされている。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

「80年5月の歌と本」(THIS IS GAME、2013年5月31日、イム・サンフン記者)に、この「五月の陽射し」についてイ・ソンヒが語ったインタビューの一部を次のように紹介している部分がある。
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「五月の陽射し」はその中でも最も大きい愛(支持)を受けた歌です。イ・ソンヒは当時、ある新聞とのインタビューでこのような話をしました。「その中で、私の歌を含めて大衆歌謡の歌詞が現実から離れすぎていたと思います。これからは、庶民の人生(いきざま)、意識ある若者の情緒を込めた歌を歌いたいです。」
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ユン・ハンギには、Ko-Wikipediaによれば、妹にあのユン・ボクヒ(尹福姫、윤복희)がいる。1967年にミニスカートで登場した彼女は衝撃的だったという。

(本ブログ関連:”ユン・ボクヒ”)

2013年8月8日木曜日

(資料)Mnet アーティスト・レビュー「イ・ソンヒ」

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒについて次のような紹介をしている。内容からこの記事の作成時期は、2011年に彼女のニューヨークのカーネギーホール公演(2月3日)直前のようだ。
(来年2014年は、イ・ソンヒのデビュー30周年にあたるのでいろいろと追記されるだろう)

(本ブログ関連:”資料:이선희 Reviewal (仕掛かり中)

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イ・ソンヒは、1984年歌謡界にデビュー、以後立て続けに急成長して人気を享受し、90年代初めまで最も人気ある女性歌手であった。
80年代後半まで、彼女は全盛期には、どんな男性歌手よりも女学生ファンを多く引き連れたし、特に可愛いらしいイメージとボーイッシュなイメージを同時に持つ、彼女の容貌と服装は女性たちの熱狂的な支持を勝ち取った。彼女はまた、小柄に似合わない最高の歌唱力を持つという評価を得る。

1984年
イ・ソンヒは1984年の「江辺歌謡祭」で、イム・ソンギュンと共に「4幕5場」チームで出場、「Jへ」で大賞を受ける。この歌は、歌謡祭以後にも全国的なヒットを記録、イ・ソンヒというスターを誕生させる。男性歌手の人気が事実上歌謡界を牛耳っている頃に、ズボン姿でショートカットのイ・ソンヒは新鮮な風を巻き起こした。 

1985年-1986年
彼女は、1985年「4幕5場」チームが事実上瓦解して単独でデビューする。デビューアルバムは、「Jへ」、「ああ!昔よ」、「葛藤」が収録、大成功を記録する。イ・ソンヒの人気はまさに爆発的だった。 各種歌謡祭とランキング歌番組をさらったし、その人気は2集につながった。
1985年2集には、「秋の風」、「ケンチャナ」などが収録、ヒットし彼女は最高の女歌手の地位を占める。
1986年には、3集が持続的な愛(支持)を受けた。「ヨン」、「分かりたいです」が引き続きヒットし、再び主な賞と順位を占めた。 

1988年、1989年、1990年
イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
その上、シン・ジュンヒョンの原曲である「美しい山河」は、原曲とはまた違ったすがすがしく軽快な味をプレゼント、国民歌謡と認められていまだに彼女の各種行事でこの曲を熱唱するのを見ることができる。

1990年代-2001年
イ・ソンヒの人気は、90年代に入ってくると、その程度がかなり弱くなる。8集から10集まで、ほとんど2年に一度の割合でアルバム発表しながら、活発なライブ活動も続けるが、ただ一曲のヒット曲がないのは残念な部分である。
イ・ソンヒ個人的には、結婚と離婚が続きながら、難しい時期を送った。だが、着実にライブとミュージカルなどの領域で活動してきた彼女は、2001年には自身の歌手生活を振り返って新しい作業を兼ねた12集「My Life + Best」を発表し、このアルバムにはパク・チニョン、キム・ジョンソのような後輩ミュージシャンが参加した。

2011年
2011年2月3日に世界的な歌手だけが立つことのできるというニューヨークのカーネギーホールの中でも最も大きいメイン公演会場である「アイザック・スターン オーディトリウム」で韓国の大衆歌手では3番目に単独公演を持った。2800席余に達する座席が皆売り切れという大記録を立てて、韓国人で最多観客動員でニューヨークの韓人史のある一線を引くことになった。
国内では2011年5月21日と22日、ソウル世宗文化会館での公演を始め全国巡回公演に出る。
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2013年8月7日水曜日

立秋 2013

土砂降りもあったけど、暑い日が続く。あまりの暑さのためか、夏休みのはずなのに、日中近所の子供たちの遊び声を聞くことができない・・・家族旅行に出かけたのか、あるいはお稽古ごとなのか。

猛暑と暦の秋が混在する。今日は二十四節気の大きな節目の夏至と冬至の中間点である「立秋」だ。いよいよ、秋が始まった。暦は一歩先行する。

(本ブログ関連:”立秋”)

ウェザーニュースの天気予報によれば、「今日は太陽ギラギラ。厳しい暑さの立秋となります。9月前半まで暑さが続くので、夏バテしないようご注意ください。」と、そして今後一週間については、「晴れて厳しい暑さが続きます。熱中症対策は万全に。特に土曜日は猛暑になるところもあります。」とのこと、暑さはしばらく居座り続けるようだ。

それでは体操教室で一汗かいてきましょうか。

2013年8月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 草取り

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/31)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第17回として、「草取り(김매기)」について紹介された。

まず夏の草取りについて次の紹介から始まった。
・雑草という名の植物はない。育つ環境で花と呼ばれたり、雑草と見られる。夏、農業で最も大切なのは、雑草を除去すること(김매기)だ。炎天に、時に降る天の恵み、こうした夏は穀物にとって、この上ない良い季節と言えるが、雑草にとっても成長に適した気候だ。
農民は、鋭い草で腕をひっかけぬよう長袖を着て、暑い一日肌を隠し、腰をかがめて働く。こうした苦しい草取りの作業を3回ほど繰り返して、ようやく秋の収穫を迎えることができる。辛い作業も、共に声を合わせると、疲れが和らぎ力も沸いてくる。

▼京畿道高陽地方の「山打令(산타령)」を聴く。どこかカラッとして、賑やかで、明るい。(次の解説も参考に)

次に高陽地方の「山打令」に、中国にある山の名が歌われることを次のように解説された。
・京畿道、高陽地方の「山打令」の歌詞に、同地方に実在する山である、コク、チョンバル、コボンの名が登場するが、これらにまぎれて中国河南省洛陽市に在る北邙(북망)山の名が出る。
昔、洛陽は高貴の人が多く住み、死後に葬られる所が北邙山だったことから、北邙山は死後行くところの意を表すようになった。草取り歌に。北邙山がなぜ組入れられたか定かでないが、楽しみながら、また労働の苦しさを和らげるために歌った。

▼忠清道地方の「キンバンア(긴 방아)打令」、「バンア(방아)打令」を聴く。呼応しながらシンプルな旋律の繰り返しは労働の歌らしい・・・若い声(合唱)がいいな。

草取りの効用と済州島の草取り歌について次のように説明された。
・歌いながらする草取りは、雑草を取り除く他に、草が根から抜かれた場所の土がほぐれ、空気の通りを良くし、また水分を十分保つ役割もする。草取りに使う手持ち鍬(호미)の言葉を使って、「手持ち鍬の先に百の稲が生る」とあるほど、草取り作業は重要とされた。
済州島では雑草(검질)を抜きながら歌う「サデソリ(사데소리)」がある。済州島は水田よりも、畑仕事が多く、主に女性が畑で歌った。

▼済州島地方の「雑草取り(검질사데)」を聴く。力強く、たくましさがみなぎっている・・・畑地で次々と女性たちが歌い廻したのだろう。

・・・そうですね、岸さんの言うように、労働の歌を聴くとき、どこかで感謝の気持ちを持つということ、本当にそう思いました。

2013年8月5日月曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

昼の日向、街がまるで台風一過のように透明感のある澄んだ空気になっていることに驚く。思わず昨日の天気がどうだったか振り返ったりした。焦点深度の深いというように、遠く通り道の並木の葉の細部にいたるまで、くっきりと浮かんで見えた。

陽射しも強く、本格的な夏だというのに、二十四節気ではこれから立秋を迎えようとしている。季節の変わり目に気づかなくとも、やがて吹く風の気配で知ることになるのだろう。

イ・ソンヒの2集所収の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、どうやら迎える風ではない。心を奪い、愛しさだけを残して去る秋の風のようだ。乙女心と秋の風というわけには、いかない・・・のだろう。

(本ブログ関連:”秋の風”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2013年8月4日日曜日

イ・ウンミ コンサート

イ・ウンミ이은미、1966年生まれ)のコンサートが、東京の葛飾区青砥にある「かつしかシンフォニーヒルズ」の「モーツァルトホール」(1318席)で開かれた。一昨日の大阪でのコンサートに続くものだ。

今回、幸運にも石仲間の配慮で、コンサートチケットを紹介いただき、久し振りに都内を横断して、かつ久し振りにコンサートに出かけることができた。感謝。

京成本線の青砥駅を出て道案内の掲示板に従って歩んだつもりが、どうやら道を間違えたようだ。道中で青年に尋ねたところ、私の方向音痴に見かねたのだろう、何とコンサートホール近くまで同行してもらったのだ。感謝。

観客の中心は、圧倒的に50歳前後とそれ以上の世代の女性(アジュンマ)たちが多数占めていて、若い女の娘やおじさんたちの姿は少数だった。特に男性は女性に付いてきた・・・といった具合の連中ばかり。
(左の写真は、コンサート終了後の混み合うロビー)

コンサートが盛り上がると、会場は一斉にstandup、jumpといった賑わい振りだが、おじさんたちは、座席に沈潜するしかない。

さて、「素足の歌姫」イ・ウンミについては、彼女の代表曲「恋人がいます(애인 있어요)」(2006年)と、ミニアルバム「音の上を歩く(소리 위를 걷다)」を購入した以外、Youtubeで彼女のステージの様子を見るだけで余り存じていない。そんなわけで、彼女の生の声が聴けるこのチャンスを幸運にと出かけた。

彼女の「恋人がいます」は、2008年1月~2009年8月まで、(韓国の)カラオケで一番歌われた。また、韓国のネットで、彼女のステージマナーを賞賛する言葉を目にする。今日、まさにそれを実感した。
そして、パワーに圧倒された。

(本ブログ関連:”カラオケで最もよく歌われた曲:2009”)

コンサートの曲順は思い出しながら次の通りである。(不明、誤記については容赦)

・「世界で一番大きいピグミー(세상에서 가장 큰 피그미)」から始まった。
・「ある恋しさ(어떤 그리움)」(1994年)
・「別れるところです(헤어지는 중입니다)」(2009年)
・Misiaのカバー
・「私をだました(날 속였다)」
・「いいひと」
・キム・ボムスのカバー(「ハル(하루)」)
・「恋人がいます(애인 있어요)」
・「」
・「Nocturn」
・小田和正のカバー(「言葉にできない」)
・(ロックンロール曲)
・ナミ(나미)の「悲しい縁(슬픈 인연)」(原曲:橋幸夫「」)カバー  ・・・(本ブログ関連:”絆そして縁”)
・「君は美しい」
・「恋人がいます」(日本語バージョン)
・「」

(曲目は記憶を覚まして追加予定)


最後に、イ・ソンヒとイ・ウンミのそれぞれのファンが、いかにファンであるかを述べ合っている掲示板がある。

(参考:”イソンヒについてフリートーク(別)”)

2013年8月3日土曜日

夏の歌

夏だというのに、湿気で一日鬱陶しい。すっきりした気分になれないものだろうか。

以前、本ブログに朝鮮日報の記事「韓国のテレビ局、失われた夏」(2011/8/3)で、夏にヒットした曲が紹介されていることを記した。

(本ブログ関連:”夏の歌”)
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・夏は本来、KーPOP界やテレビ局にとっては見過ごせない重要なシーズンだった。『夏』(飛び石、1978年)、『旅に出よう』(チョー・ヨンピル、85年)、『夏の中で』(デュース、94年)、『浜辺の女』(クール、97年)などは、その年の夏に大ヒットし、今でも愛されている国民的ポップス・ナンバーだ。
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そのなかで、チョー・ヨンピルの「旅に出よう(여행을 떠나요)」(1985年)は、2011年にイ・ソンヒの世宗文化会館でのコンサートで、イ・スンギが若さ溢れる熱気でカバーしたのを思い出す。

さあ夏だ、山彦が聞こえる渓谷に流れる冷たい水を、そよぐ涼しい風を楽しもう。バックパックを背負って都会を抜け出そう。
・・・おじさんには、高尾山がせいぜいだけど。

(Youtubeに登録のsoya iに感謝)

2013年8月2日金曜日

(雑談)電子書籍端末

電子辞書は便利だ。紙製本の辞書と比べて、薄くて軽く携帯によい。スバリ知りたい言葉を検索する辞書本来の目的に合致している。

いわれることだが、辞書をパラパラとめくると、面白い言葉に出会う楽しみがある・・・元々語彙力が豊富で、表現力のある方に効用があることで、せいぜい言葉の意味を探し、身に付けることで精一杯のものには、少々重荷な効用だ。

目的を絞った電子辞書は重宝する。ところで、同じ文字情報を提供するものに電子書籍端末がある。読書ツールで、視認性がよければ問題ないが、次のような課題があるのではないだろうか。
① 日ごろ読書している人ならば有効だろうが、元々月一冊も読まない人にはどうだろう。
② 書斎や書棚が好きな人には、本に囲まれる楽しさを味わえなくなる。

ということで、こんな使い方もあるのではと考えてみた。
① じっくり活字を追って読み込むよりも、漫画や写真などを楽しむ人には良いかもしれない。
② 読書を消費的に楽しむ、つまり流行を追う人に合っているかもしれない。

で、こんな電子書籍端末を想像する。週刊誌や文庫本などのサイズでできた、折り曲げ可能な一枚の透明な端末があって、街中で新刊本が自動的にダウンロードされる。試し読み可能で、欲しければ求めればよい・・・そんな時代がやがて来るだろう。
週刊誌やマンガなどは、この端末に合っているのではないだろうか。

一方、書籍を熟読、あるいは積ん読が好きな人、書籍に囲まれたい人は、紙の書籍を書店で購入すればよい。電子書籍と印刷書籍は棲み分けされることになるだろう。(個人経営の書店にとって厳しさは変わらないだろうけれど)

2013年8月1日木曜日

登山

高齢者の人口比が増大しているのは、日本だけではない。韓国の高齢化率は現在加速化して、2050年以降は日本を超えるといわれる。高齢者は寿命が延びて、その分元気だ。時間があれば、行動範囲も広がる。その結果、国内にとどまらず、外国まで足を伸ばすことになる。アウトドア志向なら、その傾向は一層強まるのかもしれない。

ソウルの街をバスの車窓から覗くと、アウトドア用品の洒落たショップが随所に見られた。テレビの情報では、「東大門登山用品通り」があるそうだ。まずは形から入るという、スポーツファッションに関心が強いのかもしれない。御茶ノ水界隈のスポーツ用品店の賑わいと比べてどうだろう。

ソウルの背後に迫る山並みを見ると、行ってみようかなという軽い気分になりそうだ。その北漢山の峰々は標高799m~836mというから、高尾山の599mと近いようだ。

ところで、イ・ソンヒの若さと体力管理の秘訣は登山という。申京淑の短編にソウルの民家に接した山歩きがあったし、冬に岩肌を見せる北漢山に孤高を感じるという詩人の朗読を聞いたことがある。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの童顔の秘訣”、”詩と音楽の集い”)

花崗岩の多い韓国では樹木種が限定されているのだろうか。ハイキングコースではあったが、延世大学から奉元寺につづく山は松の木ばかりだった。韓国人の韓国語先生から聞いた話では、圧倒的に松が多いという。

花崗岩地質は山の高さにも影響するのだろうか。韓国の山は2,000mを越えるものはないが、日本は3,000mを越える山が(百名山中に)21山ある。

(本ブログ関連:”韓国の山”、”韓国の地質”、”(資料)韓国の鉱物資源”)

ちなみに、山登りは苦手である。ただし、鉱物採集のためなら多少はいとわない・・・鉱山跡で採集することは、鉱山の物流を考えれば元々高山ではないけれど。