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2018年4月27日金曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

1984年、20歳になるのを控えてデビューしたイ・ソンヒは、すぐさま歌謡界で初めて女学生だけのファン組織を持った。親しみを込めてお姉さん(언니)と呼ぶ「姉さん部隊(언니부대)」が登場した。女性を前に出すのを躊躇する、そんな世代に特有な心理に合致したのかもしれない。当時のイ・ソンヒは、ズボンスタイルでボーイッシュなイメージがある一方で、発声は強力なパワーを持ち、しかも高音は清く澄んでいた。

第1集アルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)は、女学生ファンの想いと、イ・ソンヒの特質にぴったり合ったものといえるかもしれない。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

ところで、このブログに触れたことだが、「少女の祈り」のタイトルは、日本で知られたピアノ曲「乙女の祈り」とハングル表示(소녀의 기도)が同じである。昔、ピアノを習っている(腕に覚えのある)子女が、学校の音楽室でそれとなくピアノに向かって弾いてみせる曲だった。(「乙女の祈り」 ”소녀의 기도” でYoutubeを検索すると、日本に似て韓国でも人気が高い)

(本ブログ関連:”乙女の祈り”)

「乙女の祈り」の作者について、昨日貸してもらった「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)に、次のような紹介(執筆:宮山幸久)がある。(抜粋)
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・ポーランド人は『乙女の祈り』なる曲が日本でショパン以上に愛好されているのに驚く。自分たちでさえよく知らない曲なのだから。
・『乙女の祈り』は、一般にバダジェフスカとかバダルジェフスカと表記されるが、正しくはテクラ・ボンダジェフスカと発音する二二歳のポーランド女性の手により、一八五六年に生み出された。三年後にフランスの「音楽時報」誌に掲載されて大ヒットとなり、世界中に広まることになった。この曲について、専門家は「素人臭い」とか「内容がない」などといつも否定的で、・・・(彼女は)一八三四年ワルシャワに生まれ、六一年に二七歳の若さで夭折した・・・
・『乙女の祈り』はごく基本的な音しか使われていないにもかかわらず、強いポーランドの香りに満ちている。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら

(2004年、20周年記念コンサートから)

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)