新宿に出て、大形書店内を巡り、カレーを食って帰る。駅への途中、大型電気店があったので、地下に降りてプリンターを探す。先日来、わが家のプリンターの調子が悪く、あれこれブログに書いた。
緊急事態にプリンターを使用するようなことはないが、ふだん直ぐに使えないのも困る。そろそろ、あきらめ時かと思っていたからだ。電気店の店員さんに商品説明を聞いたりしたが、新製品のランニング・コスト(インク代)を考えると、購入を少し待つことにした。
そんなわけで、帰宅後、ふと気になって調子の悪いプリンターをリトライしてみた。1回目は不調。電源を切って、再度トライしたところ、今度は順調に動いている。
もしかしたら、わたしの意が通じたのかもしれない。取り替えられると案じて、もう一働きしようと頑張っているのだろうか。
2016年7月8日金曜日
イ・ソンヒと「大学歌謡祭、江辺歌謡祭」
「タジン日報(딴지일보)」掲載の【サンハのコラム】の投稿記事 「伝説、『大学歌謡祭』略史3編: イ・ヨンとイ・ソンヒ、若者たちの歌謡祭」(7/4)は、1980~90年代の世相と連動して、大衆歌謡における若者たちの中心部にいた「大学歌謡祭(MBC 대학가요제)」の位置づけと、その盛衰を語っている。さらに、「大学歌謡祭」とは別に、若者たち同世代に支持された「江辺歌謡祭(MBC 강변가요제)」もあり、そこにデュエット(男女)で登場したイ・ソンヒについて記されている部分だけ抜粋し、次に掲載させてだく。感謝。
- 「大学歌謡祭」放送期間: 1977年~2012年
- 「江辺歌謡祭」放送期間: 1979年~2001年
投稿記事は、イ・ソンヒのファンが、男子高校生にまで及んでいたことを伝えている。しかも、相当なオバカ振りに笑ってしまう。
(本ブログ関連:”大学歌謡祭と江辺歌謡祭”)
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(略)
・1984年の「江辺歌謡祭」で、韓国の歌謡史に残る大型女性歌手イ・ソンヒは、「4幕5場」というちょっと曖昧な名前のデュエットで彗星のように現れた。「J」のイニシャルを持つ人々は、彼らの歌<Jへ>を聞いて、あたかもその歌が自身のための歌であるように喜んでいた。
・デュエットの(相手)男性が軍隊に行ってしまった後、イ・ソンヒはソロに転向し、大型ヒット曲を出しながら、一躍スターダムに上がる。その人気がどれくらい優れていたのか、私が通った学校で起った惨事で充分に立証することができる。イ・ソンヒが公演のため釜山を訪問した時、真っ黒な高校生が「姉(누나:弟から見た姉さん)」を見に行くのだと、2階教室から数十人ずつ花壇に飛び降りてそのうちの一人の脚が折れたのだ。
(略)
<大学歌謡祭>は、90年代以後次第に衰退期に入り込む。
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「前は、『江辺(大学)歌謡祭』が新人の登竜門でした。しかし、今の新人は放送局主催のコンテストじゃなくてもいくらでもデビューすることができるようになりました。インディーもあり、すぐにアルバムを出す機会も多いのです。」
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<わが大衆音楽の巨星たち(우리 대중음악의 큰 별들)、イ・ソンヒ編> - 著:イム・ジンモ、発行:ミンメディア
・(この)イ・ソンヒの言葉が最も大きな理由になるだろう。大学の門戸も入らなかったソテジが、大衆の偶像として登板したのが90年代初頭ではなかったか。主観的に一つ付け足すなら、大学歌謡祭の隆盛期は韓国の大学生がその現代史で最も躍動的で重要な役割を遂行した70年代末と80年代を貫いている。90年代以後の社会的変化により、大学生集団がその影響力と独自性を急激に喪失しながら、大学歌謡祭自体の活力もまた、比例してだんだん少なくなったのではなかったかも。
・大学歌謡祭も江辺歌謡祭もすでに後が絶えた。大学歌謡祭で優勝した人が、その後、ニュースや放送で紹介された記憶の流れも数年間、すっかり干上がった。だが、今後さらに年月が経って、大学歌謡祭自体が歴史の中に埋められても、私は大学歌謡祭、そして江辺歌謡祭とともにした歌を口ずさむことで、その歌を伝えた若い、いや、若かった歌の名前をときめく心に数えるだろう。
・一度、指折り数えてみよう。サンドペブルス(Sand Pebbles)、ペ・チョルス、ノ・サヨン、シム・スボン、ホン・ソボム、チョン・オチャ、チョ・ハムン、イ・ソンヒ、ウ・スンシル、ノ・サヨン、チョ・チョンヒ(スズメとカカシ)、ユヨル、シン・ヘチョル、イ・サンウン、イ・サンウ、パク・ミギョン、チュ・ヒョンミ、キム・キョンホ、キム・ドンリュル、そして<オモナ>のチャン・ユンジョンまで。あらまし挙げても両手が足りない。(略)
(略)
- 「大学歌謡祭」放送期間: 1977年~2012年
- 「江辺歌謡祭」放送期間: 1979年~2001年
投稿記事は、イ・ソンヒのファンが、男子高校生にまで及んでいたことを伝えている。しかも、相当なオバカ振りに笑ってしまう。
(本ブログ関連:”大学歌謡祭と江辺歌謡祭”)
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(略)
・1984年の「江辺歌謡祭」で、韓国の歌謡史に残る大型女性歌手イ・ソンヒは、「4幕5場」というちょっと曖昧な名前のデュエットで彗星のように現れた。「J」のイニシャルを持つ人々は、彼らの歌<Jへ>を聞いて、あたかもその歌が自身のための歌であるように喜んでいた。
・デュエットの(相手)男性が軍隊に行ってしまった後、イ・ソンヒはソロに転向し、大型ヒット曲を出しながら、一躍スターダムに上がる。その人気がどれくらい優れていたのか、私が通った学校で起った惨事で充分に立証することができる。イ・ソンヒが公演のため釜山を訪問した時、真っ黒な高校生が「姉(누나:弟から見た姉さん)」を見に行くのだと、2階教室から数十人ずつ花壇に飛び降りてそのうちの一人の脚が折れたのだ。
(略)
<大学歌謡祭>は、90年代以後次第に衰退期に入り込む。
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「前は、『江辺(大学)歌謡祭』が新人の登竜門でした。しかし、今の新人は放送局主催のコンテストじゃなくてもいくらでもデビューすることができるようになりました。インディーもあり、すぐにアルバムを出す機会も多いのです。」
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<わが大衆音楽の巨星たち(우리 대중음악의 큰 별들)、イ・ソンヒ編> - 著:イム・ジンモ、発行:ミンメディア
・(この)イ・ソンヒの言葉が最も大きな理由になるだろう。大学の門戸も入らなかったソテジが、大衆の偶像として登板したのが90年代初頭ではなかったか。主観的に一つ付け足すなら、大学歌謡祭の隆盛期は韓国の大学生がその現代史で最も躍動的で重要な役割を遂行した70年代末と80年代を貫いている。90年代以後の社会的変化により、大学生集団がその影響力と独自性を急激に喪失しながら、大学歌謡祭自体の活力もまた、比例してだんだん少なくなったのではなかったかも。
・大学歌謡祭も江辺歌謡祭もすでに後が絶えた。大学歌謡祭で優勝した人が、その後、ニュースや放送で紹介された記憶の流れも数年間、すっかり干上がった。だが、今後さらに年月が経って、大学歌謡祭自体が歴史の中に埋められても、私は大学歌謡祭、そして江辺歌謡祭とともにした歌を口ずさむことで、その歌を伝えた若い、いや、若かった歌の名前をときめく心に数えるだろう。
・一度、指折り数えてみよう。サンドペブルス(Sand Pebbles)、ペ・チョルス、ノ・サヨン、シム・スボン、ホン・ソボム、チョン・オチャ、チョ・ハムン、イ・ソンヒ、ウ・スンシル、ノ・サヨン、チョ・チョンヒ(スズメとカカシ)、ユヨル、シン・ヘチョル、イ・サンウン、イ・サンウ、パク・ミギョン、チュ・ヒョンミ、キム・キョンホ、キム・ドンリュル、そして<オモナ>のチャン・ユンジョンまで。あらまし挙げても両手が足りない。(略)
(略)
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