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2011年7月8日金曜日

(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景 (続き)

デイリーポットの記事「国民歌手イ・ソンヒ、候補登録中に歯齢まで調査」(6/21)は、元政治家の張慶宇(장경우、民自党)による、イ・ソンヒを1991年6月20日にソウル市会議員選挙に27才で麻浦地区から出馬(民自党)意向を確認するまでの前回インタビュー記事の(6/14本ブログ紹介)の続編である。
続編では、イ・ソンヒへの正式な選挙出馬要請、選挙候補登録と選挙経過について次のように記している。

 (党としてどのように要請したか)
・直接的に話すことはなかったけれど、組織と広報はもちろん「資金」支援までを全部包括する問いかけは明らかだった。さすがに、(彼女の)周辺で「しっかりしている」、「賢い」という声を聞くほどで、かえってそのような声が出てくるので、私の立場ではより安心した。
・(出馬した場合)「今後1ヶ月の間は、一切の放送活動と演芸活動はすることはできないでしょう。それについては、確実に約束をしてくれなければなりません。選挙が余りにも大変だということを、あらましご存知のようでしたよ。・・・ところでさらに大きな問題は、こういうあらゆることをイ・ソンヒさんがどれくらいはやく消化するかにかかっています。」
・(彼女の回答は)「ひとまず、お父様と相談してみてご連絡さしあげます。」とのことだった。

(イ・ソンヒの父親との面会)
・翌日すぐにお会いしたイ・ソンヒさんのお父上の立場は次のようだった。
・「娘をそのように考えてくれると有難いが、心配になる」という立場であったし、私は「心配なく、大丈夫」という言葉で安心させた。

(党本部への連絡)
・それから党指導部に報告をして、イ・ソンヒさん公認の有無を相談した。党指導部も非常に良い反応だった。がんばれば個人の当選を越えて、全体選挙戦略にも良い影響を及ぼす可能性があるという言葉まで出てきた。そして一瀉千里で進行した。

(問題の発生-戸籍年齢の確認)
・ところで実際に候補登録をしようとしてみたら、一つ問題が発生した。戸籍*に年齢が間違って記載されて、(彼女の)故郷の忠南(忠清南道)の大川(テチョン)まで訪ねて行って証人を探し、当時の医師を探す一方、歯齢(歯の年齢)まで調査してあたふたと裁判を受けてやっと候補登録を終えた。
・それでひとまず私の役割は終わった。
(*)戸籍:下記(本ブログ関連:”戸籍”)にて、実年齢との差異を紹介。

(選挙経過)
・しかし実際に出馬をさせながら・・・心配が山積だった。一部否定的な見解は主としてとても幼いということであった。
・ところで数日後、(麻浦)地区党から電話がきた。
「張議員殿!大成功です!大成功。」
「何だ?何のことだ? じゅんじゅんに少し話してみてよ。」
「ちょっと前、党員たちの前で(イ・ソンヒの)自己紹介の時間を持ちました。ところが、講堂中が大騷ぎになりました。おばさんたちが涙を流して、とにかく今大騷ぎが起こりました。やはり張議員殿の選択は、これは完成品ですよ!」
「そうか?、おお、これは本当にうまくいったね!そうだそうだ、とにかくよく支援して!」

(遊説)
・私は忙しい渦中、翌日時間をあけてイ・ソンヒさんの遊説場を探した。なにをかいわんや。私はびっくりしてしまった。私が聞いてみても本当に涙が出てくるほど上手ではないか!
・子どもの頃難しかった時代の話や、芸能活動をしながら体験した難しい話や、政治をしてみようと出てくるまでの決心過程であり、決して政治的な話ではないながらも、話したいことは一つも欠かさずやっていた。本当に賢くてすごいお嬢さんであった。

(広報物)
・政治家たちの感覚とは途方もない差があった。大衆を相手にする芸能人のプログラムを作ったチームがあって、私たちの政治家とは根本的に違う次元の広報物だった。

(圧勝)
・結局、イ・ソンヒ候補が上手だといううわさが大統領府まで入って、後ほどにはキム・オクスク(ノ・テウ大統領夫人)氏が支援訪問をするに至った。結果的に、イ・ソンヒさんは圧勝したし、市会議員で議員活動もまた、とてもしっかりとお上手にするという噂を聞くようになった。
・とにかく最初の地方自治選挙は、イ・ソンヒさんの善戦を契機に民自党に背を向けた若年層の関心を引いたし、そのような側面で、イ・ソンヒさんが党に寄与した功労もまた大きいといえるだろう。

以上、イ・ソンヒ関係部分

(本ブログ関連:”市会議員”、”戸籍”)


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