▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2018年10月31日水曜日

ハロウィンの夜に

今日(10/31)の「ハロウィン」の夜に、悪霊(死霊)がやって来るそうだ。日本なら、仏教行事の盆の夜、祖霊を迎え入れるのだが。キリスト教以前に起源を持つ、精神の古層に沈殿したハロウィンを、キリスト教は拭い去ることができないため、子どもたちの祭りに融合したのだろう。宗教の常套であるが。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ふだんの生活にないものが、ときどきやってきた。大人は、旅芸人、吟遊詩人、瞽女などを迎え入れ、子どもはサーカスの一団に興奮する。サーカスやハロウィンは、SFファンタジーの巨匠レイ・ブラッドベリの舞台である。(ところで、最近の映画は、なぜかピエロが恐怖をもたらすようだが)

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

何かがやってくる。そんな予感は、現実世界でも気付く。逃げ足の速い、嗅覚の鋭いひとがいる。誰よりも巧みに逃げる。ファンタジーとは違う世界の話しだが、多分、広く情報収集能力があり、行動に移せる越境のネットワークがあるのだろう。

(本ブログ関連:”逃げる”)

何かがやってくる不安は、アメ粒一つで追い返せるわけではない。だから、逃げることも重要だ。ところで、年寄りは人生で上手に逃げる。どうやってかって、それは生きている誰よりも早くあちらに逃げるのだ。(こんな軽口をたたける歳になった)

2018年10月30日火曜日

何? 温室効果ガス観測技術衛星

ネットにいろいろ情報があるけれど、素人にとって直感的に理解が難しいものがいっぱいある。

昨日(10/29)*、種子島宇宙センターから、午後1時8分にH2Aロケット40号機で打ち上げられた「温室効果ガス観測技術衛星2号『いぶき2号』(GOSAT-2)」って、一体何なのだろう。
(* 産経新聞記事「『いぶき2号』打ち上げ成功 宇宙から地球温暖化を監視」)

(本ブログ関連:”観測衛星”)

空気中の、二酸化炭素排出量を観測するという。温暖化と炭酸ガスの関係がよく語られるが、結局のところ素人には、温暖化をどのように理解(心配)すればいいのか分からない。

そもそも、温暖化は驚異なのかそうでないのか、そして現在が「間氷期」といわれ、これから気温が下がっていこうというのに、温暖化はそれを打ち負かすほど緊急の驚異なのか ・・・ タイムスケールがわからなくて、実感もないのが本音だ。

長期スパンと別に、短期的に「台風」の性質が大型・強力化しているといった驚異からなのだろうか。

2018年10月29日月曜日

(雑談)スポーツ

スポーツ競技に国境が見えることがある。サッカーの試合などで、素人(にわかファン)にも顕著に見える。自国の応援は妙に盛り上がるものだ。サッカーは、むしろそれを前提(あるいはベース)にしているのかも知れない・・・と思うことがある。

(本ブログ関連:”サッカー”)

サッカーについて経験が乏しい。あえて記憶をたどれば、中学時代、休み時間に大勢で魚の群れのようにサッカーボールを追い、運動場を右往左往したことぐらいだ。現在のサッカーがこんなに隆盛を迎えたのは、私が体験したときよりずっと後のことだ。だから、思い入れが少ないのは致し方ない。

今晩、テレビで放送の「体操・世界選手権」(ドーハで開催)を横目で見ている。体操競技について、いうも恥ずかしいが、高校時代に体操部に少し寄らせてもらって、真似ごとをした経験がある。当時、他校へ、見学に近い合同練習に参加したとき、余りのレベルの差に圧倒されたことがある。その程度の実力であった。そんな経験しかないが、テレビで体操競技を見るとき、他のスポーツと違った感覚がある。

(本ブログ関連:”体操競技”)

不思議なことに、体操競技は(もしかしたら、体操競技独特の価値観かもしれないが)、サッカーなどと比べて国境が見えないのだ。いずれの国の選手であれ、演技の美しさ・端正さ・力強さに素直に賛美を惜しまないでいる。私の場合、全く手が届かなかった世界だからかもしれないが、選手一人ひとりを見てしまう。この感覚は、体操競技だけにしかないことだけど。

2018年10月28日日曜日

(再)韓国の山

(韓国で発行の日本語版)韓国語教材に、「韓国」で一番高い山を紹介する部分があってって、地図を示さないと誤解するかもしれないので、以前触れたが改めて再掲する。

(本ブログ関連:”韓国の山”)

語学教材に、火山の「白頭山」(백두산:2,744m)を <韓国で一番高い山として> 紹介しているが、朝鮮半島全体で見た場合の話であり、実際は「中国」と「北朝鮮」の国境に存在する。

朝鮮半島南側の「韓国」全域で見れば、「済州島」の中央にそびえる火山の「漢拏山」(한라산:1,950m)が最高峰になる。

さらに、「韓国」半島部に限定すると、全羅北道、慶尚南道にまたがる花崗岩質の「智異山」(지리산:天王峯1,915m)が一番高い。(「韓国」として見れば、「漢拏山」>「智異山」>「雪岳山」の峰が有名)

「韓国」内に、2,000mを越える山はない(ちなみに日本は、3,000mを越える山が21山ある)。そのため、山歩きがポピュラーで、中高年に人気であり、そのつもりで日本の高山に挑んで遭難するケースがあった。冬山には危険が潜んでいる。
( ⇒ Google検索「韓国人 日本の山で遭難」)
また、山歩きファッションの中高年一団が、欧米旅行に出かけるといったことがあったようだ。

2018年10月27日土曜日

(独り言)ハロウィン

私用で出かけた先にある駅ビル入り口のたまり場に、「ハロウィン」衣装をした小さな子どもたちグループがいて、そのまわりを母親が取り囲み記念撮影していた。いってみれば、(若い気分を保ちたい)母親が見つけた今時なイベントかもしれない。子どもたちは、別段気にする風もなく、楽しければそれでいいとはしゃぎながらエレベーターで上階へと上がっていった。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

例年見慣れた光景だが、外来のしかもキリスト教以前に起源を持つイベントだけに、「行事」といった伝統は感じられず、根っこにつながりが乏しくて、いまだに違和感を禁じえない。若者たちの浮かれ振りを見るにつけ、昔のクリスマスに三角帽子を被って夜の街で酔い騒いでいた親父さんたちの姿とダブってしょうがない。

「ハロウィン」を「ハロウィーン」と呼ぶのが正しいと、若者がテレビで主張していた。テレビは、若者主導のイベントに追従しやすく、今後「ハロウィーン」と呼ぶようになるかもしれない。私にすれば、「ハロウィン」で押し通すつもりだけど。

ハロウィンは、本来、今月末(10/31)のイベントだが、今年は平日水曜日のため、今日・明日の土・日に、早めに街が騒がしくなるかもしれない。

若者たちがいずれ家庭を持つようになれば、いつかクリスマスのように家庭内の、あるいは地域の行事になるかもしれない。時間がかかるが、待つことも悪くない。

さて、訪問先は私より高齢のご夫妻。ハロウィンにちなんだものでなく、健康重視の蜂蜜セットにした。ハロウィンに戸惑うこのごろ。

2018年10月26日金曜日

山怪 [参]

いつも興味しんしんに読んでいる、山に住む人々に伝わる不思議な話を集めた「山怪」シリーズの第3弾がついに発行された(初版 2018.9.25)・・・今日、近くの書店を巡っていて見つけたのだが。

(本ブログ関連:”山怪”)

山岳関連の出版社「山と渓谷社」は、山の奇談について黒色の装丁をした一連の書籍を出版をしている。ユニークなことだが、それが継続しているのは、私のように山の怪異話に興味ある読者の支持があるからだろう。(特に登山に熱心とはいえない者にも受け入れられているようだ)

久し振りの「山怪 [参]」(田中康弘著)に、挨拶と待ちわびたことを伝えたい。山人の特別な話であるが、その意味を考えさせてくれる。山の自然と調和する中で育まれた(人の)共同性を母胎にした伝承だからだ。山と離れた私たちにも響く不思議さがある。時代の波に削られて、やがて消えていくかもしれないが、いずれかの形で残るだろう。

第1話「優しい狐と幻の椿」に、次のような山人の言葉がある。
「山さ入る時はかならず山神様に手を合わせて入るんだ。いつも猟さ行く時、途中さ祠(ほこら)があるんだよ、山神様のな。そこを超えたらもう山言葉しか使ってはいけねぇのさ」
「その祠から上で赤い椿の花さ見たら山下りねばなんねぇんだ。・・・」

「里言葉」と違った「山言葉」とは一体どんなものなのだろう。そして、「赤い椿の花」が、モノクロ写真のなかに唯一赤色に浮かんで見えるようだ。椿には美しさと怖さがある、五瓣の椿のように。

2018年10月25日木曜日

Yiddish語 2018秋-4

今秋期のイディッシュ語教室は、イディッシュ語だけで進める講義スタイルに一新され、正直、前回まで戸惑っていた。今回、不思議なことに少し慣れてきたような気がした。たまたま今回だけがそうだったのか、それとも一歩前進したのか・・・。
(先生がそのためいろいろと工夫されていたことを、このブログを書くとき、はたと気付くのであります)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日も《נאָר אין ייִדיש (only in Yiddish)》、二つのダイアログを元に、クラスメイトが互いに学習「言語名」や出身「国名」をリストから適宜選んでロ-ルプレイ(対話練習)した。
① どんな外国語を学んでいますか?
② 出身はどちらの国ですか?

宿題に、イディッシュ文化に関わる小説家、画家などのリストが与えられ、それらの人物について調べるという課題が課せられたが、けっこう大変そうだ。例えば、誕生した場所(国)と没した場所(国)・・・時代によって領土や国名が、現在のものと必ずしも一致しないこともあって・・・。

新鮮な気分で一歩を進めよう。

2018年10月24日水曜日

イ・ソンヒ「(映画)『完璧な他人』を見てきました」

イ・ソンヒが、23日午後、映画「完璧な他人(완벽한 타인)」のVIP試写会で写真撮影に応じたと、中央日報掲載の日刊スポーツの記事「イ・ソンヒ『完璧な他人を見てきました』」(10/23、パク・セワン記者)は、写真と共に次のように報じている。

なお、同映画には、イ・ソンヒと同じ事務所「フックエンターテインメント」所属の俳優イ・ソジンが出演しているとのこと。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”、”イ・ソジン”)

Link:韓国「日刊スポーツ」より
-------------------------------------------------
歌手イ・ソンヒが、23日午後、ソウル松坡区新川洞のロッテ・シネマワールドタワー店で開かれた映画「完璧な他人」のVIP試写会に参加してフォトタイム*を持っている。

(*フォトタイム:韓国では「フォトウォールの前に立つ」と呼んだりする)

映画「完璧な他人」は、完璧に見えるカップルの集まりで、限られた時間中に携帯電話に来る電話、メール、カカオトークを強制的に公開しなければならないゲームのせいで起こる予期できない話を描く。来る10月31日に公開。
-------------------------------------------------


ところで、「完璧(완벽)」という言葉は、日本語より語感の幅が広いようだ。例えば、「完璧に見えるカップル」なんていったら、道徳的にもしっかりしたように思われるが。「本物に見えるカップル」と置き換えられるかもしれない。映画ではどんなカップルなのだろう。

街の人混みですれ違っても、なかなか気付きにくいイ・ソンヒの普通さらしさがうかがえる、彼女らしいファッションだ。

2018年10月23日火曜日

霜降 2018

夜道の空を見上げれば、うっすらと白い雲が浮かんでいるのが見える。雲間から深い群青色の天空が覗き、雲に隠れた月齢14.0の月のせいか夜空が妙に明るい。昼の雨跡はすっかり乾いて路面に痕跡はないが、民家の塀の下にわずかに湿りが残るくらい。

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」だが、雨曇りのおかげで<霜>も<木枯らし>も気配がない。かえって、夜になって暖まっている・・・15℃+α だが。(それ以上になるかもしれない)

(本ブログ関連:”霜降”)

このまま行けば、明早朝に最低気温になるだろう。

先々週と先週のイディッシュ語教室の板書情報をクラスメイトからいただいたのを読み直している。授業時にしっかり(?)聞いていたつもりだったのに・・・と反省しきり。

2018年10月22日月曜日

(雑談)タコ焼

世のなかにインスタグラムという写真共有(見せ合い)のサービスがあって、自慢の画像を登録するという・・・インスタグラムもfacebookもTwitterも満足に使いこなせない、時代遅れのおじさんはついついひがみ口調になる。

今日のプライベートで、写真にして載せるようなものがあるだろうかと考えた。

韓国語会話教室の帰り道、いつも気になっていたタコ焼き屋があってフラフラと寄ってみた。今晩は寒い、なにしろジャケットの下に、薄手のセーターを着こんで出かけたほどだ。だから熱いタコ焼きでも口にしたいと思った。

若い二人連れの先客があって、買って直ぐに店先で食べ始め、楽しげに熱い熱いを連発しながら去っていった。私の分ができあがるのを待っ間、タコ焼き屋の主人が「マヨネーズをかけますか」と聞いた。マヨネーズ好き(マヨラー)であるが、タコ焼きはソース味だけでよく、マヨネーズはおろか青海苔もいらない。当然、いらないと応えた。

さて、焼きあがったタコ焼きを入れ物に並べながら、主人はいつもの段取りなのだろう、一列分にマヨネーズをかけ始めたのだ。あっと声をあげると、主人も気付いて取りやめた。後は、取りつくろうような雑談をするしかない。
「マヨネーズって、いつごろからタコ焼きにかけるようになったんですかねえ」とたずねた。
主人が、「最近、若い人はマヨネーズをかけるんですよ」と正解にもならぬ応えをした。

冷えた夜道を帰宅して、直ぐに興味しんしん口にした。大味だった。何かが足りない・・・そう、冷えて熱っちっちという楽しみを抜かしていたのだ。次回は、電子レンジで温めて口にすることにしよう。

2018年10月21日日曜日

(雑談)役者さんが分からない

最近、テレビや映画の役者さんたちが誰だか分からない(テレビと映画の境界も分からないのだが)。役者が分からないから、ドラマを見ない。
テレビのニュース番組の後、そのまま放っていると、ドラマやお笑い番組に変わっていることがある。ちらりと見て、登場する若い役者や芸人さんたちの顔が識別できないでいる。

特に、若い男の役者やミュージシャンが、前髪を眉毛の処までたらしているのに閉口する。ただでさえ顔の判断に苦心しているのに、前髪の隙間から世界を覗いているような姿は、おじさんにとって相当きつい。フードを被ったファッションと似て、防衛意識が強いのではないかと案じる。もちろん何度も出演していれば気付くだろうけれど。

昔、新人だった役者が、今では(中高生くらいの)子の親役を演じている。達者だった役者は、既に老人役をこなしている。同世代の役者が気掛かり。なにしろ、子ども時代に見慣れた役者はほぼいなくなっているのだから。

話はそれるが、聊斎志異とか百物語のような古い怪異話に、最近妙に馴染んでいる。短くて奇妙な、それもほとんど伝聞である。以前は、陳腐でだらだらと続く感がしたが、今となっては、ひとつひとつ味わいがあり捨てがたいのだ。作り込んだというより、伝承に近ければ近いほど、人の心に触れたのであろう共感を感じるようになった。

若い人が分からなくなった分、古い話に通じてきたようだ。

2018年10月20日土曜日

ジェットストリーム

昔、音楽はLPレコードジャケットで手にすることができた。その中に音盤ともいうべきレコード盤と一緒に、収録曲の歌詞プリントが収められていた。LPレコードはサイズが大きいので、ジャケットの表面にはアルバムを表象するデザインが描かれ、裏面には音楽評論として、作家、アーティスト、制作などの解説が印刷されていた。極めて充実していた。(その文化は、CD化により薄れ、ネット配信によって雲散してしまったようだ)

昔の音楽には形があった。聞き流すだけの消費物ではなかった。手にとることができる存在だったのだ。だから、当時のラジオやFMから流れる音楽にも、レコード盤と同じ感蝕を感じることができた。

一昨昨日のブログ(10/17)に、飛行機趣味の懐旧として音楽の話題に触れた。ヒンヤリした成層圏を飛翔するような、対流圏の雲を突き抜けるダイナミックな感蝕をイメージしてくれる音楽はいいものだ。

学生時代の深夜に聞いたFM音楽番組「ジェットストリーム」は、レコードに通じる(アナログで連鎖する)感蝕を持っていた。部屋をちょいと薄暗くすれば、夜の上空を飛ぶ客室の気分にさせてくれた。(もちろん、当時旅客機に搭乗したことはなかったのに)

(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)


(Youtubeに登録のkaji274133に感謝)

2018年10月19日金曜日

イ・ソンヒのコンサート〈Climax〉チケットを日本で購入したら

イ・ソンヒのコンサート<Climax>チケットを、ネット上の日本語表記の斡旋業者から購入したらどれくらいかかるだろうか。今まで、そのような日本語表記の業者を知らなかった(探せばあったかもしれないが)。

ネットに日本語表記で斡旋しているもの(ワールドワイドな業者)があったので、韓国内チケットサイト(melon)と、イ・ソンヒの「釜山コンサートのステージ前VIP席」について比較してみたところ次のようだった。

・韓国内のチケットサイト: 154,000ウォン (約 15,400円)
・日本語表記のチケットサイト: 51,000円くらい

いろいろ事情があってそうなのか、中高年に人気な歌手だから気にしないという方もいるかもしれないが、日本語表記では随分と膨らんでいるように見える。

ところで、イ・ソンヒのコンサートチケット代は、現地で10年前と比べると約1.3倍くらいになっているような気がする。こちらは当り前か。


イ・ソンヒのコンサート<Climax>スケジュール
2018年
ソウル : 6/29~7/1  올림픽공원
----------------------
米国CA: 8/11  Pechanga Resort & Casino
----------------------
水原: 9/8~9/9  수원 실내체육관
大邸: 9/29  대구 엑스코(EXCO)
仁川: 10/20  인천 남동체육관
大田: 11/3~11/4  대전 무역전시관
高陽: 12/1  일산 킨텍스(KINTEX)
清州: 12/15~16  청주대 석우문화체육관
光州: 12/29  광주여대 유니버시아드 체육관

2019年
蔚山: 1/12~13  울산동천체육관
釜山: 2/9  부산 벡스코(BEXCO)
----------------------

2018年10月18日木曜日

Yiddish語 2018秋-3

イディッシュ語に初めて関心を持ったのは、文字の面白さだった。ヘブライ文字という、これまで縁もゆかりもない字形に吸い寄せられたわけで。しかも、ヘブライ文字の音を借りてドイツ語に似た表現があって、(学生時代の経験から)遠いようで近いようで・・・で、やってみようかなということになった。

でも、最初からイディッシュ文の読み取り、単語の発音に関心が向かい、ヘブライ文字の一文字一文字の名称をおろそかにして忘れていた。

今日の授業(נאָר אין ייִדיש)は、ユダヤ人と日本人が自己紹介するとき、(一般的に)日本人の名前はどうやらユダヤ人に聞き取りにくいようで、ヘブライ文字(アレフベイス)で説明する会話練習だ。・・・ヘブライ文字の名を知らなきゃ話にならない。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

先生から、さらに有名なイディッシュ語作家・詩人たちのフルネーム(筆記体)を書いたカードが配られ、同様の練習をした。
יצחק לײב פּרץ や、 יצחק בת־שבֿעס זינגער ‎や、 שלום עליכם などあったけれど・・・。

そして、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」の文章から、ディクテーション練習したりした。

今秋期から参加の新受講者は、これら練習をちゃんとこなしている。一体どういう経験を持った方々なんでしょうね。凄い!

2018年10月17日水曜日

エディット・ピアフの「私は決して後悔しない」

特に中高年の男の悩みに、自分の時間の処し方という問題がある。その回答に、子ども時代の趣味に戻ってはというものがある。私の場合、鉱物趣味は従兄にもらった鉱物標本の記憶からだし、飛行機趣味は航空雑誌を愛読した経験からだ。

(本ブログ関連:”鉱物”、”飛行機”)

飛行機について、最近、写真と情報が豊富な旅客機雑誌「AIRLINE」が手放せないのだが、重量感があって読むのに手が疲れるようになった。今は、子ども時代の夢だったパイロットになりたいわけではない(可能な歳でもない)、むしろエアラインに関わるさまざまな人々の姿が見えてくる楽しさに気付いてきたわけ。

さて、飛行機の音楽といえばワグナーの「ワルキューレの騎行」を思い出すが、インテリ層に偏見もあり・・・最近はそうでもないかなと思ってYoutubeで検索したら、未だ怪しい。旅客機の場合、深夜のFM放送「ジェットストリーム」で聞いた、城達也の語りとオープニング曲ミスター・ロンリー」だろう。まるで夜の成層圏を飛行しているような透明感があった。

そんなわけで、以前、飛行機模型にも関心を向けてYoutubeを巡っていたら、(まるで模型機に人が乗っているような)超小型ジェットエンジンをつけた単座短翼機があり、先日(3/27)のブログに記した。その映像に流れた曲が、エディット・ピアフ(Edith Piaf )の「水に流して」(原題:”Non, je ne regrette rien”、私は決して後悔しない)だった。

エディット・ピアフは恋人を飛行機事故で亡くしたそうで、そんな因縁とは関係ないだろうが、この曲には、実に飛行機の飛翔感、躍動感を想わせる。フランス語の歌詞の意味が分からないので、ネットの解説をみれば、出会いと後悔、そしてなにより再出発を願い歌っているようだ。

(エディット・ピアフが歌う「私は決して後悔しない」)
(Youtubeに登録の”Edith Piaf”に感謝)

2018年10月16日火曜日

神代植物公園 秋のバラフェスタ

今にも雨が降りそうな空の下、昼過ぎに、先日(10/8)ブログに記した神代植物公園の「秋のバラフェスタ」へ運動かたがた出かけた。公園には随分昔に行った記憶がある。今回、意外と近距離だったことに驚いた。何で気付かなかったのだろう、もったいないことをしていた。

(本ブログ関連:”バラ”、”百万本のバラ”)

バラフェスタの名の通り、「ばら園」だけでなく園内の他の場所でも、バラに関わる園芸作品が展示されていた。平日のため来園者の大方は中高年者で、ますます秋の静けさを誘うようだった。(ちなみに、5~7月にかけて「春のバラフェスタ」も開催される)

「ばら園」には、花弁が様々な色彩と姿をしたバラが植えられていた。中には、淡い黄色の「Gina Lollobrigida」という品種があった。穏やかなイメージがするが、あの女優にちなんだものだろうか。

バラの花の特有の深紅色を探したが、時期が合わなかったのか、見つけることができなかった。「秋のバラフェスタ」は、今月いっぱい開催されるので、機会をみてまた来ようかと思う。

2018年10月15日月曜日

里の秋

最近、鉱物趣味から遠ざかって、山を巡る機会が減った(ほとんど、なくなったといってもよい)。採集地の鉱山跡は山の中にあって、そこを訪ねるのに麓の山里から奥へ進む。多くの場合、採集場所の近くまで仲間の車に同乗させてもらい、その後わずかな山登りするくらい、そんな場所を選んでいた。

山の紅葉や里に下って来る秋の気配を味わう余裕もない。帰りの道筋にある、農家の軒先に干し柿がずらりと吊るされているのを見たり、路肩にコスモスやヒガンバナ(曼珠沙華)を気付くことはあっても、採集した鉱物談義に花を咲かせた。

童謡「里の秋」(作詞斎藤信夫、作曲海沼實、昭和23年(1945年発表)1948年レコード発売)を聞いてみよう。意外にも、戦後の曲だったのに驚く。帰る父を待ち続ける様子は、時間をコマ撮りするような戦後のあわただしい世相が影を落としているといったものとは違って、山里に人々の営みがあり、静かに過ぎるのをうかがっている。そんな時間が聞こえてくる。

(本ブログ関連”里の秋”)

韓国語教室の帰り、秋冷えが深まるでもない夜道で、風にのった小雨がふと気付くほど頬にあたる。小出し小出しする季節の変化に気付く。

-----------------------------------------------------
レコード会社の版権により、「里の秋」の音楽映像は、Youtubeにて「里の秋」で検索する必要があります・・・
-----------------------------------------------------

2018年10月14日日曜日

鉄道の日

日めくりカレンダーは、日頃気付かない記念日を教えてくれる。今日は、大正11年(1922年)に「鉄道省」により制定された由緒ある「鉄道の日」だ。たまたま外出先で見た光景にあらためて気付かされた。

地元駅の改札前に広がるコンコースに、幼児を連れた大勢の人だかりがあった。見れば、10mほどあるだろうか小さな鉄道模型レールが敷かれ、以前走っていたオレンジ色の電車模型が見えた。人混みは、この模型電車に幼稚・保育園児がまたがって乗る順番待ちのようだ。

父や母の手をしっかり握って緊張顔の幼児を乗せた模型電車は、ほんのわずかな距離だがゆっくり走る。停止して降りるとき、幼児の顔が一瞬でとけて破顔する様が可愛らしく微笑ましい。いい体験をしたことだろう。

会場を取り仕切っていたのは、(鉄道駅員のような制服を着た)高校生たちのようだ。少し離れて眺めていたため、このイベントの詳細(なぜこの街で、この駅で)は分からないが、賑やかで楽しげな空気が辺りにあふれていた。

(少し古いが懐かしいオレンジ色)

(Youtubeに登録のKENに感謝)

2018年10月13日土曜日

釣瓶落とし

昼間出かけるとき、ヒンヤリした気配を感じて薄手のセーターを着ることにした。曇り空の街路は思った通り空気が冷たく、冬間近を感じた。そして帰り道(午後7時ころ)にはすっかり暗くなって、木枯らしも遠くないと思ってしまった。苦手な冷え具合に、どうも前向きになれない。

日本気象協会(tenki.jp)の記事「秋の日は釣瓶落とし 秋らしく朝晩ヒンヤリ」(白石圭子、10/13。18:32)は、深まる秋の日の短さと冷え具合について次のように報じている。(抜粋)
--------------------------------
東京の日の入り 10月下旬には午後4時台に
この先一週間ごとにおよそ10分早くなり、東京都心では10月21日には16時59分で午後4時台になります。あっという間に日が暮れることを実感されるでしょう。夕暮れ時は上空が明るく、地面付近は暗い状態になります。

秋の夜長 広くこの時期らしい気温
向こう一週間の最低気温は、全国的にほぼ平年並みの予想です。この時期らしく、日が暮れると空気はヒンヤリするでしょう。暖かくしてお過ごし下さい。
--------------------------------

「釣瓶落とし」の言葉から、井戸の水汲みを思い出す。子どものころ社宅にあった手押しポンプは、ハンドルを握って上下に動かして、ポンプ作用で水が汲み上げるものだった。その一つ前に、ロープで結わえた水桶(釣瓶)を井戸の水面にズリ下ろすスタイルがあった。釣瓶は、降ろすとき、まるでずり落ちるように下がっていった。釣瓶を引きあげる労力と比べてあっけないほどだった。

それほど、日暮れの速さはあっという間で、夕暮を楽しむ風情もない。日没の様を見届ける余裕もない。まるで飲み屋の閉店間際に、追い立てられる気ぜわしさだけ残る。

2018年10月12日金曜日

電池が切れる

このところ、年末に近づいたからか、置時計や防水ラジオの乾電池が続けて切れる。そういえば不思議と暮れになると蛍光灯ランプを取り替えたりする。一方、電子辞書の電池は長持ちせず頻繁に交換する・・・点けっ放しが多いせいか。

時計やラジオは、電池交換すればいつまでも使えて便利だ。人間に置き換えたら、電池に当るのは一体何だろう。人間は交換可能なものがない・・・これからの時代、どうなるか分からないが。自身の細胞(iPS細胞)を培養しておけば、必要なときに臓器交換(移植)ができるようになるかもしれない。

とはいえ、湧き出るようなエネルギー源を差し替えるといったイメージがない。結局、頭(脳)を替えたら自身でないし、自分であり続けようとしたら、凝り固まった脳みそを使い続けねばならないし・・・。

今から、(朝の洗面所に置いている)防水ラジオの電池交換をする。四六時中聞いているわけではないのに、電池切れになると落ち着かないのだ。

2018年10月11日木曜日

Yiddish語 2018秋-2

或るイディッシュ語教材を勝手ながら一部コピーしたものの、コピー作業を成果と錯覚してか、そのまま放置してしまっていた。これはまずいと自覚して、しっかり製本し、いつでも使えるようにした。仕上げをごろうじろ、準備万端の心意気である。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

おかげで、教室へ通うカバンに教材をあれこれ詰め込んで膨らませてしまう。

今回も、先生はイディッシュ語だけ使って、生徒たちに自己紹介と名前の筆記を指示・質問し、生徒同士の会話練習を指導された。まるで、ייִדの教室のように、先生は休みなく次々と質問し、のんびり考えて答える余裕などなく・・・即応力を鍛えられた。

もちろん、ホワイトボードに基本単語(および対語)や語句が書かれたが、ノートに書き写す暇もない。そして、どっと疲れる・・・楽しい経験をした。

2018年10月10日水曜日

レベル社のプラモデル

プラモデル作りの記憶はずっと昔のこと。タミヤがこんなに隆盛となる以前、社宅の腕白仲間から、親がアメリカ出張帰りに買ってきたというヘリコプターのプラモデルを見せてもらった。細部の細かさに驚いた、とういかアメリカの凄さを経験したといったほうがいいかもしれない。何しろNHKテレビ番組で「ハイウェイパトロール」が放送されていた時代だ。

その頃から飛行機模型に関心があったが、当時といえば、粗く切りだした木製の素材ぐらいしかなく、購入したもののヤスリなどで削りだすには相当根気がいった。結果は無残なもので、飛行機の断面図に合わせて器用に調整するなんてことは子どもに無理だった。

テレビで、三遊亭小金馬がマルサンのプラモデルを紹介した。子どもの小遣いで買えるものといったらマッチ箱シリーズの、今でいえば駄菓子の付録のようなものだが、子どもの目には精巧で手にする喜びを大いに感じたものだ。

(本ブログ関連:”プラモデル”)

小遣いをためては、胸をドキドキさせながら模型屋に向かった。そこは、子どもたちが飛行機や模型の知識をためるところであり、試すところでもあった。右手で飛行機雑誌を読み、左手で模型作りに励むといった具合だ。

そんなとき、アメリカ製のプラモデル(模型部品)が入った箱を見て驚いた。飛行機の姿が何と美しく描かれているのだろう。機体の光沢が何と流麗なことだろう。箱に耳を当てればエンジン音が聞こえてくるようだった。レベル(Revell)社の箱絵の作者が誰だったのか、関心が及ばなかったが、何度も箱絵を見ては買い求めた。捨ててしまった箱の、絵の部分だけでも切り取っておけばと今も悔やむ。

当時、480円だったかと思う。今の価値にすれば、5~6倍になるかもしれない。考えてみれば、(子どもには)相当な値段だったわけだが、欲しい一心で小遣いをためた。

2018年10月9日火曜日

(雑談)怪異話

山の怪異話は、都会の人間が入り込むのも稀な白神山地などの奥で、もっぱら父祖伝来の猟師集団に伝わるものの方がイマジネーションを高める。ブログで何度か紹介した「山怪」もそうだが、具体的に伝承者の所在と氏名が語られる。

(本ブログ関連:”山怪”)

これは、怪異話に定則で、古い中国であれ、江戸の市街であれ、主人公たちの所在(あるいは出身地)や名から始まる。しかも、その人物が知られた必要はない。ただ、固有名が語られることで具体的風味を持つことができる。その後に続く話題に信憑性を増すというものだ。

原話に具体的なものを付け替えすることで、時代や場所を超えた様々なバリエーションを生み出すことにもなるだろう。

歴史家ホイジンガだったか、ある市民が戦場と化した都市の被害状況を克明に記したものを紹介している。随所の死者数が何千何百何十何人と事細かに記録しているのだが、一市民が果たしてそんな実測が可能かよりも、そのような数字の確からしさから、一定の心理的なもの(信頼)を感じるようだ。

その場に居合わせた訳でもない話を聞くとき、私たちは一定の準備(身構え)が必要のようだ。怪異であれ、歴史的事件であれ、確からしさを示唆するようなものがあれば、それで十分なのだろう。どうやら容易にそんな術中にはまってしまうようだ。

2018年10月8日月曜日

イ・ソンヒの「バラ」

秋になると「バラ」の花が気になる。特にバラ園には落ち着いたかがやきと色彩があり、香りが漂って来る気配がする。

今日は「体育の日」の祝日(また、二十四節気の「寒露」でもある)。韓国語会話は休講となったが、この時期の通い道に、バラの花が塀越しに覗く庭園があった。足を止めてよくよく見れば、後で気づいたことだが、実は庭園墓地だったわけだ。ここに墓を予約したという人の話を聞くことがあり、なるほどとうなづいてしまった。

(本ブログ関連:”体育の日”、”寒露”)

バラに関心があるのは、どちらかといえば中高年の女性のような気がする。ガーデニングが流行り出す以前からの本格定番だが、長く栽培するのは難しく、公園などのバラ園を一団で巡り鑑賞するのが多いかもしれない。明後日(10/10)から、「神代植物公園 秋のバラフェスタ」が始まるという。私にしたら、深大寺のイメージに「深大寺そば(蕎麦)」と「深大寺城」跡があるが・・・。

イ・ソンヒの13集所収に「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)がある。韓国では、花の人気のトップがバラという。いずれのアンケート調査からそのようで、なぜそうなのか知りたいところだ。彼らに「むくげの花」に対する主義もあれば、「さくら」に対する主張もあるが不思議な感じがする。

(本ブログ関連:”バラ”、”百万本のバラ”)

以前、ブログで紹介させていただいたことだが、東亜日報(donga.com)の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011年10月10日)に、大衆音楽評論家のカンホンが、イ・ソンヒの「バラ」について次のように記した部分がある。(抜粋)
----------------------------------------------
・イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。
----------------------------------------------


あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

2018年10月7日日曜日

台風の影響か、公園の倒木

昼過ぎに近くの公園へ出かけた。ピリピリと焼き付ける陽射しは真夏のよう。それでいて、日陰に入れば和らぐ。「勿忘草」ならぬ「勿忘日射」か、それとも「暑の深情け」とでもいうべきか、程度がるだろうというもの・・・。

先日(10/1)の台風(24号)の結果については、街のあちこちに余波を見た。今日の公園にも、倒木や枝が落ちたままの立入禁止ゾーンが残されていた。普段ひとびとが行き交う木立下の遊歩道周辺だけは、管理事務所も落下の危険を防ぐため、刈り込みして整理していたが。

「アカマツ」に隣立した「クヌギ」(だけ)が、樹の下側かられて、幹の内側を曝していた。果たして、台風の強風のせいだけなのか、それとも、菌糸類が侵入して幹の内側から侵食したせいなのか、素人目には判別できないが、折れた部分に白く柔らかな塊りがいくつかあったのが気になる。
以前、菌類に犯された樹木は弱く危険なため、早めに切り倒すことにしていると聞いたことがある。

公園中央に、一見異国のような高木の「ユリノキ」が連なる木立がある。ここは、洒落た光景を楽しめる場所だが、今回は違った。周りをロープが張られて、下を通ることも近寄ることも禁止されていた。
ユリノキの足元には、驚くほど枝が落ちて積み重なっていた。頭上高くの折れた枝々には手の施しようがないのかもしれない。このまましばらく放置して、様子を見ているいるようだ。
このような光景が散見されるためか、強烈な台風が通過した後の公園には、日曜日といえども思ったほど人出はなかった。

緑陰に書を親しむなんて呑気に構えて行ったはずだったが、それが、余りの惨状に呆気に取られて驚き、書を忘れて早々に引きあげた次第。

2018年10月6日土曜日

(雑談)スマホの怪

いえ、別に驚かそうっていう訳じゃないんですよ。ただ、夕方、スタディールームの窓辺が暗くなり、そろそろ引き揚げようかなと思い、カバンにいろいろ詰め込んで立ち上がって周りを見回したら、若者が三人じっと机に向かっていたんです。

それも、全員、机の上に何も置かず、ただスマホをいじっているだけで、動こうとしないんです。蝋人形のように固まった姿は異様でね。一瞬、作り物に見えました。音もたてず、身動き一つない彼らは、天井からの明かりを受けても、まるで影がないように見えたのです。

聊斎志異じゃないけれど、暗い夜道で冥土の鬼隷に出会い、デスノートでも見せられやしないかとひやひやでした。スマホはいけません。彼らは、すっかり魂を抜き取られていたのですから。

わたしは、時代に置いてけぼりされても、回りから何といわれようと、スマホが饅頭と同じくらい怖いのです。

2018年10月5日金曜日

ISSへの贈り物、「こうのとり」7号機搭載の生鮮食品

野菜や果物が成長するのに必要なものに、教科書風に、水、太陽光、炭酸ガスがあげられる。実践的には、肥料や温度管理などを含めてこまやかな調整が求められるが、炭酸ガスについては制御対象でない。野菜や果物の組織を作る有機物は、炭酸ガスのおかげなんだけど・・・。普段、当り前過ぎて何とも思わないけれど、畑地などで野菜や果物があんなに大きくなって、実を膨らますのを見て、はたと炭酸ガスのおかげを合点する。

海沿いの広い敷地に巨大な化学コンビナートがあるのに比べて、野菜や果物は小さなエネルギーで、あれほどのものを合成する、そんな有機反応に驚く。自然は互いにうまく融通して、身の丈にあった物質とエネルギーを循環している。人は古来それを知って、自然に生命に感謝してきたと思う。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、国際宇宙ステーション(ISS)に「こうのとり」7号が新鮮な野菜と果物を運んだと、ニュースリリース「『こうのとり』7号機に搭載した生鮮食品について」(平成30年(2018年)10月4日)で次のように発表した。(抜粋)
-------------------------------------------------
・9月23日に打ち上げ、28日に国際宇宙ステーション(ISS)に結合した「こうのとり」7号機によって、以下の生鮮食品をISSに搭乗する宇宙飛行士へ届けましたので、お知らせいたします。
-------------------------------------------------

ISSの乗務員から、「アリガトウ」の言葉とともに日本の自然災害への気遣いもあった。さっそく新鮮な野菜を使って「チーズバーガー・ナイト」を開いたそうだ。そう、野菜や果物は人を幸せにしてくれると、次のYoutube映像を見て思い、納得した。


(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)

2018年10月4日木曜日

新学期(Yiddish語 2018秋-1)

イディッシュ語教室「2018秋期コース」が始まった。教材の入った重いカバンを背負って出かけたところ、地元駅で忘れ物に気付いた。鈍より空の下、少し涼しげな道を汗を拭きふき出直した。電車(地下鉄)を乗り継いで通うのは、運動も兼ねると思っていたが、新学期初日というに、このヘマは恥ずかしい限り。

クラスメイトに若干入れ替えがあった。新しいみなさんは、イディッシュ語への関心をいろいろなきっかけで持っているようで、初めて手にしたテキストを初心者とは思えないほどチャレンジされていた。聞けば驚くようなバックグラウンドをお持ちなのだろう。

今回から、先生の授業スタイルが一新された・・・何と! ほとんどイディッシュ語だけで講義が進められたのだ。たしかに教材は、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」を使っているが、それをベースにイディッシュ語でQ&Aするのだから新鮮な経験ができた。および、語学教材「Colloquial Yiddish」の初期Unitから、「どんな言葉を喋れるか」を楽しくQ&Aされた。このスタイルをしばらく続けるとのこと。

単語の下調べだけしていた予習では済まないようで、これからは瞬発力とセンス?が試されるだろう ・・・つまり実践的になったようで・・・ 秋、冬、緊張が続きそうです。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

2018年10月3日水曜日

台風25号の進路予想(「予報円」)、および「MASCOT」について

昨日のブログに、地元で見かけた「台風24号」の被災状況を触れて、合わせて「台風25号」の進路についてテレビニュースの映像(Youtubeに登録のもの)を埋め込んでみた。残念ながら、埋め込み映像は、テレビ局のものなので(著作権もあり)一日ももたなかったようだ。

そこで、新しい情報を載せることにした。日本気象協会(tenki.jp)の記事「台風25号 列島接近 各地の警戒ポイント」(10/3、16:35、吉田友海)に掲載の、「台風25号」の進路予報図を埋め込み、記事内容を抜粋させていただく。

最初に聞いたときより進路予報が、昨日は南側に、今日は(昨日から)若干北寄りに移動しているようだ。(ある予報官の着想からはじまったという)「予報円」の範囲内のことだから、今後も様子を見なければならないだろう。

(参考)39年前に「予報円」を作った饒村曜(にょうむら よう)氏の貴重な解説。
「台風予報円はなぜ出来たか?(1)(2) 予報官達の苦労『扇形表示』から『予報円表示』へ」(饒村曜、気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師、2015/7/24)

(図版はクリックすると拡大します)
----------------------------
大型で非常に強い台風25号は沖縄の南を北上しています。4日(木)夜から5日(金)にかけて強い勢力で沖縄にかなり接近するでしょう。その後は東シナ海を北上し、6日(土)から7日(日)には日本海から北日本へ進む予想です。

【関東】前線の影響で4日(木)午後から5日(金)は雨が降るでしょう。6日(土)からの3連休は晴れ間がでますが、7日(日)は南風が強まる見込みです。3連休は日中は気温がグングン上がり、最高気温は30度前後まで上がるでしょう。湿気も多く、蒸し暑くなりそうです。
----------------------------



(付記)
「はやぶさ2」から小惑星「リュウグウ」へ、先日(9/22)の探査ロボット「MINERVA(ミネルバ)-Ⅱ」の1Aと1Bに続き、本日(10/3)、独仏製作の小型着陸機「MASCOT」が無事分離・着陸した。
毎日新聞の記事「はやぶさ2  分離のマスコット、リュウグウへの着陸確認」(10/3)は次のように報じている。スケールの大きな観測体制が敷かれつつある。成果について、これから先が楽しみだ。
----------------------------
ドイツ航空宇宙センター(DLR)は3日、DLRがフランス国立宇宙研究センター(CNES)と共同開発した小惑星探査のための小型着陸機「マスコット」が、日本の探査機「はやぶさ2」から計画通りに分離され、目標の小惑星リュウグウへ着陸したことを確認したと発表した。
----------------------------

2018年10月2日火曜日

台風24号、並木道に小枝が散乱していたこと

強風が吹いた後の公園の散歩道に見られることだが、今回の「台風24号」でも同様で、近くの並木道をくぐると小枝と葉が路肩に重なっている。風雨に曝された木立がこすれ合い、枝を小さく切り落し葉を撒き散らしたようだ。

商店街の外れにある、中古店舗の壁がずり落ちていたりした(・・・すでに撤去されているが)。気付かぬ場所で影響がまだまだあるのかもしれない。そんな重い気分を吹き飛ばしてくれたのが、昨日発表された本庶佑京都大特別教授の「ノーベル医学・生理学賞」の受賞だった。

(本ブログ関連:”ノーベル賞”)

ところで、台風はまだ続くようだ。今度は「台風25号」が発生し、次の3連休(10/8月曜の祝日「体育の日」)にかけて影響が出そう。「沖縄地方に接近し、その後、対馬近海から日本海へ進む予想」(10/2)と次のニュース(Youtube)で報じている。

なんだか、3連休を狙ったように台風がやって来る。

(10/2のニュースから・・・長くは見られないでしょうが)
--- 残念ながら、Youtube映像を一日しか見ることができませんでした  ---
(Youtubeに登録のにANNnewsCH感謝)

2018年10月1日月曜日

おめでとうございます「ノーベル医学・生理学賞」の受賞

今年もノーベル賞の季節になった。庶民として、縁遠いとはいえ、日本人が受賞するとなぜかうれしい。今年の最初の発表(本日)である「ノーベル医学・生理学賞」に日本の研究者が受賞されたという。

産経新聞の記事「本庶佑(ほんじょ・たすく)氏にノーベル医学・生理学賞 がん免疫治療薬を開発」(10/1)は、がん免疫治療に通じる研究をされた、京都大特別教授の本庶佑氏の受賞について次のように報じている。(抜粋)
------------------------------------------------
・スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、2018年のノーベル医学・生理学賞を、免疫を抑制するタンパク質を発見し、がん免疫治療薬「オプジーボ」の開発につなげた京都大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)氏(76)ら2氏に授与すると発表した。免疫を抑える働きを阻害することでがんを治療する画期的な免疫療法を確立し、がん治療に新たな道を開いた功績が評価された。
・他の受賞者は米テキサス州立大のジェームズ・アリソン博士。
・日本人のノーベル賞受賞は2年ぶりで計24人。昨年のカズオ・イシグロ氏ら外国籍を含め計27人となった。医学・生理学賞は大隅良典氏に続き計5人。
------------------------------------------------

本庶佑京都大特別教授は、受賞会見の席上、子どもたちへ向けたメッセージを発信されたそうだ。科学の心を継承する環境作りは、大人たちすべての責任だ。

台風24号と新学期

災害は経験して初めてその恐怖を実感するもの。離れた場所や遠い過去のことは、分かったつもりでも、残念ながら頭の中の理解に過ぎない。

「東日本大震災」のときの、激しい揺れと石塀の倒壊といった経験は、生々しく、倒れた塀の下に、もしかしたら近所の子どもがいたらと思った瞬間、手が震えたことを(幸い、石の撤去だけですんだが)忘れることはできない。

今回の「台風24号」もそう。今日の日付に変わった深夜、午前0時前後の一時間ほど、激しく続く豪雨と強風にさらされた。今までにない、恐れを感じた。上空でうなり声をあげながら叩き付ける風雨のすさまじさが耳に残る。

(本ブログ関連:”東日本大震災1、東日本大震災2”、”台風24号”)

台風がこのところ変だ。そんな台風も、通り抜けてしまえば、朝はいつものように明るい。まるで夏のような暑さにくるまれて、空には一点の曇りなく、木々は陽射しを受けてきらきらと輝いて見えた。台風一過の、本当なら清清しい朝だろうけれど、午前0時過ぎの恐れが未だ残っている。

ところで、今週から会話教室の秋期コースが始まる。今日(月曜日)は韓国語教室が、木曜日はイディッシュ語教室がスタートする。8月、9月の夏休みをあけて、久し振りに全員集合。

今晩の韓国語教室に、若い人の参加者が増え、全体の雰囲気を若返らせてくれた。彼らのエネルギーに連れられて私も頑張りたい。そして、先生の工夫を重ねたご指導を今回も受けられることに感謝申しあげたい。