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2014年8月19日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 カトリック

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第68回として、ローマ・カトリックのフランシスコ法王の訪韓(8/14から4泊5日)に当たり、カトリックにまつわる(音楽の)話を紹介した。

最初に、殉教者、金大建김대건、1821年8月21日~1846年9月16日)神父の紹介から、次のように始まった。
・フランシスコ法王訪韓の目的は、アジア青年大会参加だ。15日、大会開会式が開かれる忠清南道唐津のソルメ(솔뫼)聖地を訪れる。同地は、初めて神父としてミサを捧げ、カトリック迫害て殉教した金大建神父の故郷。17日、閉幕のミサを捧げる海美邑城(해미읍성)、この石城で、興宣大院君政権の朝鮮末期(1866年)、カトリック迫害で一千人余の信者が処刑された。

▼ 「愛の頌歌(사랑의 송가)」をカヤグム演奏。

次に、朝鮮カトリック伝来について、次のように説明された。
・韓国カトリック信者に一番誇らしいのは、西洋の伝道師が来る前からカトリックが伝わっていたことだ。朝鮮時代にカトリックは、文禄・慶長の役(1592年~1598年、韓国でいう壬辰倭乱)、北京を往来する人々を通じて伝わった*。
    (*) K-Wikipediaに、文禄・慶長の役に日本軍についてきた宣教師により伝播した説と並ぶ。
・西洋の神父と交わる中で書籍も伝わり、西洋の学問を学ぶことができた。

▼ 「賛美の祈り(찬미의 기도)」を横笛テグム演奏。

最後に、朝鮮時代のカトリック迫害史について、次のように解説された。
・1784年、北京で朝鮮初の洗礼を受けた李承薰(이승훈、1756年~1801年)は、多くの聖書を持ち帰るなどしてカトリックを伝えた。朝鮮では、主に有識者がカトリックを学問として受け入れた。そのほとんどは既に権力を失ったヤンバン階層で、彼らには力がなかった。また、先祖を重視する儒教の祭祀を否定するカトリックに不満に思う者も多かった。
・カトリック伝来後しばらくして迫害が始まる。朝鮮末期(1866年)、「丙寅教獄(丙寅迫害、병인박해)」で、9人のフランス人宣教師、8,000人の信者が亡くなったが、その後多くの人々がカトリックの教えを学び信仰を守った。

▼ 「アン・ジュングンがカトリックに入門する」の創作パンソリ。

(参考)
2005年度「韓国の宗教人口の分布」(KBS)によれば、国民人口の53.1%が宗教を持っている宗教人口のうち、仏教徒が43.0%、キリスト教徒が55.1%(プロテスタント34.5%、カトリック20.6%)である。
(統計庁人口総調査による)