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2016年4月2日土曜日

ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン、エンバ

イ・ソンヒに対するファンの気質にも関心がある。特に、彼女のファン層の中心である女性ファンの心理といっていいかもしれない。それは、いわゆる「女性的」なものを取り除いたところでの好意、憧れだろうか。一種、宝塚ファンに見られる深層を垣間見る気がする。(あくまでも、男の側からの視点に過ぎないが)

(3月30日、宝塚音楽学校の合格発表の様子をテレビニュースで見た)

イ・ソンヒの大衆音楽界デビューにともない登場したのが、歳下の若い女性が歳上の若い女性に対する憧れを込めた「姉さん(オンニ、언니)」の言葉を持つ、「姉さん部隊(언니부대)」(=若い女子学生のファングループ)だった。初の女学生ファン層である。評論風にいえば、当時の大衆音楽界の女性歌手が、女性を前面に出すことでファンを獲得していた(そうさせられた)ところに、新しいタイプの、女性歌手と女学生ファンが出現したことになる。

若いイ・ソンヒの紹介に使われた言葉に、<小さな体躯>で<独特な力強い、押し出すような、爆発的な高音>とか、<少年のような>という表現がある。彼女の26歳にしても初々しい姿を、モントリオール室内楽団との共演映像を見ると納得できるかもしれない。現在も若々しい<童顔>と形容される。

ところで、ハンギョレ紙の記事、「ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン(Lee-tzsche)、エンバ* (양희은, 이선희, 이상은, 엠버)」(3/25、26修正、イ・スンハン:テレビコラムニスト)は、4人の女性歌手の持つ、(女性的なものと離れた)雰囲気を解説している。それは、トムボーイ(Tomboy)**と呼ばれる、ボーイッシュな要素だ。話題の中心は、ガールグループ f(x)メンバーのエンバについてだが、彼女の歌に込められたものを通じて、世界が固執する境界とそれに抗することについて記している。
(Youtubeに登録のquark2930、대중가요 1988、SMTOWNに感謝)

(*)エンバ(AMBER): Wikipediaによれば、「台湾系アメリカ人であり、韓国のガールズグループ f(x)のメインラッパーである。」とのこと。f(x)のメンバー構成から、中国市場を意識した戦略が見えてくる。
(**)トムボーイ: Wikipediaによれば、「Tomboy(トムボーイ)は英語でお転婆やボーイッシュの意。 元々は騒がしい男性という意味の言葉で、男性に対して使われる言葉であったが、次第に女性に対して使われるようになり、現在では完全に女性に対してのみ使われる言葉となっている。」とのこと。

(追記) もしエンバが韓国人歌手だったとしたら、韓国紙にこのような論調のコラムが書けるか、大きな関心がある。

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[土曜版](TVコラムニスト)イ・スンハンの ”スルタン オブ ザ TV”

(写真) ガールグループ、f(x)(エフエックス)メンバーであるエンバ
顧みると、韓国大衆音楽界に、「トムボーイ」がいなかったこともない。しかし、最近のエンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては、暴力的であることこの上ない。(エスエム・エンターテインメント提供)

・1940年代以前だけとしても、薄紅(以下「ピンク」)色は男子禁制の色ではなかった。フランス作家グザヴィエ・ドゥ・メストレ(Xavier de Maistre)は、自身の著書、「私の部屋旅行する方法(Voyage autour de ma chambre)」(1794年)で、部屋の雰囲気を改善したい男たちに部屋をピンク色に塗りなさいと薦めた。決闘をして逮捕され、42日間の自宅軟禁刑を受けた血気盛んな二十七の青年が、男たちに自信を持って推薦した色がピンク色だったのだ。
・ピンク色にジェンダー区分がつき始めたのは、20世紀初頭だったが、それにもまして最初は男性的な色と見なされた。1918年のアメリカの子供ファッション紙「アーンショウ インファンツ デパートメント(Earnshaw’s Infants’ Department)」に掲載された説明を見てみよう。「きっぱりとしていて、さらに力強い色であるピンク色が男の子に最も適した反面女の子は繊細で可愛らしい色である青色を着た時さらにきれいに見えます。」と。 ピンク色が女性的な色の扱いを受け始めた歴史が、未だ100年にならないという意だ。

・かなり最近まで、男が耳に穴を開けて通すのは奇怪なこと扱いされたが、この風潮も事実そんなに古いものではない。三国時代と高麗を経て朝鮮中期に至るまで、長年、耳輪(以下「イヤリング」)は性別の区分なしに幅広く愛された。韓半島の男たちの間でイヤリング文化が一段と弱まったのは、1572年に宣祖(선조)が「身體髮膚 受之父母(신체발부 수지부모)」に言及して、イヤリング禁止令を下した以後であった。イヤリング禁止令も一挙に効き目は挙がらなかった。
・禁止令を下してから25年後の1597年、「丁酉再乱」(=慶長の役)の時、朝鮮に派兵された明軍の経理(경리)の楊鎬(양호)が「朝鮮の軍隊が戦功を水増しするため、むやみに朝鮮人を殺しては倭賊(日本)に見せかけることがある」と追及すると、すぐに接伴使(접반사、外国使臣を接待した官職)の李德馨(이덕형)は、イヤリングの穴跡の有無で倭賊と朝鮮人を区別することができると答えた。当代、朝鮮の男たちの間では耳に穴を開けるのが王命でも、鎮めるのが難しい圧倒的な流行だったのを推し量ることができる要(かなめ)だ。

・突然、ピンク色やイヤリングの話を取り出したのは、「男らしさ」でも「女らしさ」を規定することの歴史が意外にそれほど長くなくて、それさえも自然な選択の結果でなく、色々な理由で数度人為的に変わってきたことを語るためであった。
・服飾やアクセサリー、色と趣向などの基準として、特定の性別を規定しようとする動きというのは、何とはかないことか。それでも、新しい商品や流行が登場するたびに、世の中はそれが男性的なのか女性的なのかをあえて問い詰めて、その基準に合わせて、あえて自身の男性性/女性性を積極的にアピールしない人たちは、性的指向を疑念されるのもしばしば経験している。「ひょっとして、指向がそうした側(の人)ではないだろうか?」という質問の後には、「ゲイ/レズビアンでもないが、なぜ女/男のようにふるまうのか」という問い、なぜ暗黙的である規範に従わないかという追及が隠れているのだ。語り口や行動様式、服を着る好みなどが、性的指向、性的同一性(アイデンティティ)とセットにして変わらないという事実に対する人々の無知は言うまでもなく。


・トムボーイキャラクターである、f(x)のエンバ
・男装女性という偏見
・ソロ曲「Beautiful」、「Borders」で
・自伝的な話、解き明かして
・「私を押さえ付ける圧迫に抗して」
・世間の批判に堂々としていて


・平凡な身分も名もない人々(張三李四)は、それでも目が向けられない方だ。大衆の前で、いかなる役割モデルになることが強要される芸能人の場合は、世界の視線を避けるのはさらに難しい。
・f(x)(エフ エックス)の「エンバ」は、同時代の韓国ガールグループでは簡単に見つけるのが難しかったトムボーイ(中性的で闊達な女性)キャラクターで、多くの女性ファンを引きつけたが、同時にデビューするやいなや彼女を「男装女性」というキーワードで修飾する人々とも向き合わなければならなかった。
・2009年韓国放送「ギャグコンサート」で、「ワン・ビホ」キャラクターで活動した(コメディアン)ユン・ヒョンビンは、エンバを指して「ガールグループというけれど男がいる。ハ・リスのような子」と話した。放送後、多くの視聴者からエンバとハ・リスの共に礼を欠くという批判を受けたにもかかわらず、そのような冗談がディレクター(PD)の事前検査でふるいにかけることも、編集過程で脱落することもなかったというのは、人々の偏見がどれくらい強いことか端的に見せる。

・顧みると、エンバが韓国の大衆音楽界に、初めて登場したトムボーイのキャラクターであることもなかった。
- ギターとフォーク、ジーンズ(青ズボン)の時代だった1970年代のヤン・ヒウンは、白いシャツにジーンズ(青ズボン)姿でギターを弾き、
- ミュージカルでスカート(チマ)を着たことがマスコミに特筆大書されるほどズボンを固執したイ・ソンヒは、「姉さん部隊」を率いて歩き回ることで有名だった。
- 「タムダディ」で一躍スターダムに上がったイ・サンウンはまた、大きな身長と短い髪、ジーンズ姿で女性ファンを魅了した。
あまりにも長い間、華奢だったり可愛らしいイメージで大衆を相手にするガールグループにだけ慣れて、そうなのか? エンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては暴力的であることこの上なかったもちろん、1980年代は、世界的にトムボーイ熱風が吹いた時期だったとの点も考慮するべきだが、時代が過ぎて流行が変わったといって、他人の好みや身なりなどを指摘して「模範的な」女性像あるいは男性像の中に相手を閉じ込めようとする試みが正当化されるわけではない。

・エンバは、このような世界の偏見に着実に反問してきた。2015年2月発表した、ソロアルバム「Beautiful」に収録されたタイトル曲「SHAKE THAT BRASS」のミュージックビデオもまた、友達とにぎやかに遊んでバスケットボールを楽しむ姿を入れたし、同名の自作曲「Beautiful」では、「鋭いことばが私の気持ちを深く切って」、世の中は、「狭い鳥かごのよう」だが、自身は他のどんなものでない自分自身になることであり、自身が自身たりえて幸せだと歌った。
・同年7月、自身のインスタグラムにあげた文では、メッセージが一層もっと鮮明になった。
「私は、女と男が、ある一つの外観に拘束されないと思います。美しさというのは、すべての形と大きさから出てきます。私たちはすべて違いますね。もし、私たちが皆同じメロディで歌うなら、どういうふうにハーモニーが存在することができるでしょうか? 他の人々と違うという理由だけで他の人をむやみに判断しないでください。私たち皆お互いの差異を尊重して成長できることを願います。」 嫌いな人たちはずっと嫌いだろうが、自分の面前で自身を冒とくすることは全然違うことなので、一つはっきりしておきたい言葉で始めたこの丁寧な文は、このように終了する。
「いつでも、自分自身になってください。自分自身に真正真実に生きることが、自らのためにできる最も大きなことです。」

・去る3月24日、公開されたソロ音源「Borders(境界)」でも、彼女は同じ話をする。1節で、エンバは世界の指差しに苦しむ。「ここに皆が私を眺めて、首を横に振るよ。私に何が問題なのか・・・(中略) 彼らが言う『完璧』に届くことができるならば、何でもするだろう。その後、多分、私が居る場所も見つけることができるだろう」。
All these people here staring and looking at me
Shaking their heads eyes down strong on me
What's wrong with me?
・・・
And I'd do anything to be what they call perfect
Then maybe I could find a place to call my own and belong

・しかし、すぐ次の小節から、彼女は違う可能性を思い浮かべて、違う歌を歌い始める。「だが、もし私が十分に強いならば、目を足元に置いて黙々と歩いていくだろうに。なぜなら、母さんが語ったよ。境界を越える時、窮地に追い込まれても、決して恐れるなと。真っすぐ立って、あなたの道のため戦えと。立ち上がって倒れて、再び立ち上がって。私を押さえ付ける圧迫に抗して」。
But if only I was strong
I'll be walking with my eyes down
eyes down eyes down
I'll keep my eyes down
eyes down eyes down

’Cause mom said I'd be crossing borders
Never be afraid even when you're cornered
Stand up straight fight your way
Fight your way fight your way

Stand up, fall down, up again
Up against the pressure I am in

・そうしては、世界に向かっていう。「見せ掛けしないのだ。はるかに多いことが前にあるから」。
No I won't play pretend
There's so much more ahead

・ソロで曲を発表する機会があるたび、エンバは自伝的な話を引き出して、世界の不当な偏見に抗して負けないことを誓った。

・そのメッセージは、もうエンバ本人だけでなく、他の人々と違うという理由で苦しむこれらみなのものとになった。エムネットに出演した時、エンバはこのように話した。「私の考えで、歌手はメッセージを伝達しなければならないのです。音楽で。 自分がいじめだと思う人たち、心が痛む人たち. 勝ち抜くことができます。そんなメッセージを伝達したいです。『エンバも勝ち抜いたので、あなたも勝ち抜くことができます』、そんな話をしてあげたいです」。数多くの基準として、他人の人生を裁いて、指差しするのが好きな世界で、その偏見は不当なことであり、美しさはあらゆる形態と大きさから来て、これ以上他の人々が望む姿を真似ないというメッセージを、世界に伝えるのが使命と考えた歌手が錐(きり)のように鋭く(境界を)突き抜いた。
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(Youtubeに登録のSMTOWNに感謝)