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2015年3月20日金曜日

(資料)「【パク・ソンソ評論】 韓国最高のディーヴァ、イ・ソンヒを再び聞く」

今年1月、イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が発売された。そのとき、このアルバムについて解説された記事がネットにあって、本ブログに紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論で、リマスター版登場の意義を、彼女の衝撃的なデビューとその才能、国民からの支持について、振り返る意味で記されたものだ。

イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。

特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。

(重複部分である第1集リマスター版の解説部分は上記リンク先を示してあるので、後述部分を次のように載せていただく。感謝)
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「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す

改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。

特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。

(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)

イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」

(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。


イ・ソンヒ2集  イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する

「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。

1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。

「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。

「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。

去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」

作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。

「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。

「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。

「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。

今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。

純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。


イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング

新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。

このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。

「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。

「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。

「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。


名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」

▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた

(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」

しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」

▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた

「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」

歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。

瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。

「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。

パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。

「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ​・​フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。

また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。

トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。

デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。

「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
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(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。