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2017年12月31日日曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

昨年の大晦日も、イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」(作詞・作曲 イ・セゴン)について記している。イ・ソンヒは、1984年、MBCの「江辺歌謡祭(강변가요제)」で大賞受賞して、初めて世に知られることになる。

イ・ソンヒの、この「Jへ」にまつわる、作者イ・セゴンとの出会い、「江辺歌謡祭」参加のいきさつと彼女の独特なスタイル(ファッション)、そして歌手デビューにまつわる家族との関わりなど興味深い話題がある。すべては、この「Jへ」から始まる。

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

*J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね

(*以下繰り返し)

寂しく歩くのね

(2014年のコンサートより)

(Youtubeに登録のLove Koreaに感謝)

2017年12月30日土曜日

2018年賀状

今日になって、ようやく来年(2018年)の年賀状を作成、投函した。年賀状ソフトを使う作業にもかかわらず、ずるずる先延ばししたのに理由はない。ただ怠け者でしかなくて、小学生の夏休みの宿題のようなもの・・・ぎりぎりにならないと着手できないといった習性はいまだ変わらない。

(本ブログ関連:”年賀状”)

2018年の年賀状
来年の干支(えと)は「戌年」だが、<いぬ> のイメージをそのまま年賀状にイラストすると、子どもっぽくなってしまう。そこで、「戌」の字の隷書体を12個(=12ヶ月)並べて来年を表してみた。
ちょっと大人っぽくなったかもしれない。けれど、黒色の文字だけで構成すると、(うっかりすると、喪中案内になってしまい)年賀状らしくない。挨拶だけ色付けしたのだがどうだろうか(年賀状の体裁として不穏当かもしれないと気になるところ)。

できあがった年賀状を郵便ポストへ投函したら、急にホッとして、近くの本屋に寄ってみた。地元散歩に楽しい、<ブラタモリ> 風の観察ができる新刊書「凹凸を楽しむ  東京『スリバチ』地形散歩  多摩武蔵野編」(皆川典久著、洋泉社)を入手。「スリバチ」(段丘面の谷地(やち)、窪地)について、日ごろ行きなれたのエリアをもう少し広げたくなる。正月散歩に携帯しよう。

2017年12月29日金曜日

ヘルムのはなし: 椅子を持ち込むには

ポーランドの何処かに、イディッシュ(ユダヤ人)の住む町(村)「ヘルム」があって、上は長老から下々は庶民まで、どこか変なひとびとがいる。もちろん、物語の世界であるが。ヘルムに似た町(村)は、ほかの国々にもあるようで、代表する地名がちゃんと存在するという。では、日本ではどうか・・・思いつくのは、大家さんと熊さん八っさんが住む、落語に出てくる「長屋」だろうか。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

イディッシュ語の教科書に、こんなヘルムの小話が載っていた。
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ある男が椅子を買って持ち帰ったところ、大き過ぎてドアに入らず困っていた。そこへ、同じヘルムに住む友人がやって来て、「あの寝室の窓が大きいので、そこから入れたらどうか」ということになった。
だが、椅子の持主がいうには、「窓が高すぎる、どうすりゃいいかな?」。
友人はいった、「なあに、問題ない。椅子を叩き切って、小さくして窓へ投げ込めばいい」。
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よく考えたつもりだが、自分の知恵を超えていない。そもそも何を解決したかったのか忘れている。そんな勘違いを、日常のどこかでやっているかもしれない。思い当たる節がないわけではない。

というより、この物語!、何で友人が高い窓の奥に寝室があることを知ってるのか、とても気になる。歳をとると余計なことに気が散る。

2017年12月28日木曜日

朝寝朝湯が大好きで

民謡「会津磐梯山」について、Wikipediaと「日本民謡集」(町田嘉章ほか編、岩波文庫)ともに、< 昭和十年ころ、小唄勝太郎がビクターからレコードを出して全国的に広まった > とある。昔はよく耳にしたが、今はテレビの紀行番組くらいでしか聞けない。

エイヤー 会津磐梯山は  宝の コラ 山よ」で始まる中で、囃子の「小原庄助さん  なんで身上(しんしょ)つぶした  朝寝朝酒  朝湯が大好きで  それで身上つぶした もっともだ  もっともだ」に登場する、小原庄助については、Wikipediaだけが採りあげて、しかも不明と記述している。(朝日新聞の「キーワード」には、それらしき人物モデルが存在して、墓まであるという解説があったようだが)

小原庄助は、朝寝朝酒、朝湯のせいで財産をなくすほど・・・財があったのか。昔は、そんなことできる者は限られていただろうけど、今は、その気になれば誰もできる。でも、誰彼やれば、社会生活は成り立たないし・・・。

朝酒はやらないが、朝寝、とりわけ朝湯は好きだ。今朝だって、窓から明かりが差し込んでくる湯船に漬かると、辺り一面湯気に霞んで、まさに温泉気分 実に愉快。若いころは、仕事終わりの風呂は夜遅くだったことを考えると、これくらいどうということもない。そういう歳になったのだから。ただし、湯疲れに用心、昼ごろになって、うつらうつらするやも知れず。

(昭和47年-1972年放送とのこと)

(Youtubeに登録のrakutennomuraに感謝)

2017年12月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 冬に生きる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、冬に生きる人生に関連する曲を紹介した。(「冬至」(12/22)の2日前に放送された内容)

始めに、朝鮮中期の妓生「黄真伊(황진이)」が歌った「冬至月(동짓달)」について次のように紹介された。
・冬至の陰暦11月を、韓国では「冬至月」ともいう。この季節、人を想い望む夜は、孤独で長い。最高の妓生と呼ばれた「黄真伊」は、そんな夜に「冬至月」を歌った。< 春になれば、凍った川が溶けるように、その人も訪ね来るだろう。その夜を、今宵に置き換えたい > という。天下の妓生、黄真伊がそれほど想った人とは、いったい誰だったろう。

▼ 黄真伊の「冬至月동짓달)」の歌を聴く。まるで、詩吟のように余韻を響かせる。

次に、冬に、悪人の兄ノルボの家から追い出された、弟興甫(フンボ、흥보)一家の窮状について次のように紹介された。
・パンソリ「興甫歌」(흥보가)にも、冬の場面がある。兄ノルボに世話になっていた弟興甫を、兄は或る冬の雨降る日に追い出してしまう。温かくなってからという思いもない。兄の横暴振りが分かる。なぜ年の末だったのか、兄ノルボは、弟興甫一家が兄の財を無駄にしたと思い込み、急に怒りをこみ上げたのだろう。余りの仕打ちの辛さに、弟夫婦が抱き合って泣いているのを、僧侶が家の敷地を探してくれた。弟は、その家に移った後、足を怪我したツバメを治したことで、宝物の瓢箪を手にし、大金持になる。

▼ パンソリ「興甫歌」から「家の敷地を探してくれる場面(집터 잡아주는 대목)」を聴く。静かに語り聞かせるよう。

最後に、パンソリ「赤壁歌(적벽가)」で、諸葛孔明(葛亮)が祭壇で祈る場面について次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」には、孔明が、曹操の軍と向かい合っていたときに、思いの向きに風が吹くよう心を込めて祈りを捧げる場面がある。勝つためは、曹操の船に火を付けなければならない、ちょうどそのとき、冬の<北西の風>が吹いた。孔明は、祭壇を築いて祈ったところ、(季節がらむつかしい)<南東の風>が吹いた。祈らなくとも風は吹いたろうという人もいた。しかし、孔明の祈る姿を見て、兵士たちも気を取り直し、心をかためたことだろう。それが、孔明の狙いだったかもしれない。

▼ パンソリ「赤壁歌」から、「南東の風を祈る場面(동남풍 비는 대목)」の歌を聴く・・・火攻めの策を計る。

2017年12月26日火曜日

(資料)韓国ギャラップ「2017年 今年を輝かせた歌手と歌謡」

韓国大手調査会社の韓国ギャラップ(Gallup)による、恒例の「今年を輝かせた歌手と歌謡」調査結果*が、12/19に発表された。(* 2017年7月、9月、11月全国(除く済州)、満13~59才[10代-50代]の4,200人に対して面接調査)

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ発表-歌手”)

イ・ソンヒ以外関心ない我が身に、若手のK-POP歌手(グループ)たちを身近にすることもなく、もっぱら、イ・ソンヒやトロット歌手だけが唯一知る頼りといっていいかもしれない。(すなわち、変わらぬ ー 歌謡史に確実に名を残すであろう歌手として)

今年のイ・ソンヒは、海外を除いて、韓国内ツアーがなかったにもかかわらず、同調査で「爆発的な歌唱力のシンガーソングライター」として10位を確保している。

次表は、同調査で集計された「好きな歌手」10位までの、順位、名前、支持率、代表曲である。

▶ 2017年を輝かせた歌手 - 上位10位(3人まで自由応答)
10位にイ・ソンヒが、そして代表曲として、「風花(바람꽃)」(SBSドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」の Part6 で歌ったOST)、「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(15集アルバムのタイトル曲)、「因縁(인연)」(13集アルバムのタイトル曲)が挙げられている。
ちなみに、3位には「トロットの女王」チャン・ユンジョンが挙げられている。

質問)
今年に入って活動した「大衆歌謡歌手/グループ」の中であなたが最も好きな歌手/グループは誰ですか? 好きな順に3人/グループまでおっしゃってください。(3人まで自由応答)



(参考)
同調査で、50代が選んだ好きな歌手は、イ・ソンヒとチョー・ヨンピルを除いて、いずれも歌謡(トロット)歌手だ。
・1位:チャン・ユンジョン、2位:ナ・フナ、3位:イ・ソンヒ、4位:チョー・ヨンピル、5位:ホン・ジンヨン

(参考)
同調査で、50代が選んだ最も好きな歌は、チンソン(진성)の(初雪降る)「安東駅で(안동역에서)」(2008年)のトロットだ。


(Youtubeに登録のsohh5に感謝)

2017年12月25日月曜日

夜道に猫とすれ違う

猫好きかといえば、猫アレルギーがあって、テレビやYoutubeなどの画面で愛でるくらい。どちらかといえば犬寄りだが、生命を預かるのは難しい。その責任を思うと容易に手を出す自信がない。

先日の朝日新聞デジタルの記事「ペット数、猫が犬を初めて逆転 飼い主の数は犬が多数」(12/22)によれば、日本の犬猫ペット数調査で、猫が犬の数を超えたと次のように報じている。(抜粋)
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・ペットフードメーカーの業界団体「一般社団法人ペットフード協会」(東京都)は22日、全国の犬と猫の推計飼育数を発表した。猫が953万匹(前年比2.3%増)に対し、犬は892万匹(同4.7%減)。1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回った
・「全国犬猫飼育実態調査」の結果。20~79歳の5万人にネット上でアンケートを取り、統計化して推計値を出した。
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家の中で飼われる以外に、野良にも猫がいる。今晩遅く、韓国語教室の帰り道、狭い裏通りにある生垣の下に沿ってこちらへ進んで来る小動物がいた。ひと気のない、明かりも乏しい冷え切った場所だけに、一瞬たじろいだが、やがて外灯の明かりに、こげ茶色の猫が姿を見せた。目を光らせながら、一瞥もなく横を通り過ぎた。全神経を集中したように歩を進める。寒風に揺れる明かりは、その筋肉の膨みを強調した。

そんな猫に、もしかしたら愛する猫がいるかもしれない。どこかの物置の下で待っている子猫がいるかもしれない。一匹の猫に、何匹もの猫が浮かんでくる。どんなきっかけがあったか分からないが、それでも彼らは生きる力を持っている。ペットでない野良猫として。(飼い主に愛称で呼ばれる識別より、テリトリーと一体化した存在の方を選択している)

2017年12月24日日曜日

ピーター・パン

わたしが「ピーター・パン」を知ったのは、子どものころ見たディズニー版アニメーションだった(いつ頃のことだったか)。原作者J.M.バリー*(1860年~1937年)の児童書を読んだ記憶はないけれど・・・。
*J.M.バリーは、最初、「ピーター・パン」を戯曲として発表(1904年12月27日初演)したようだ。

(本ブログ関連:”ピーター・パン”)

ディズニー版アニメを見たとき、甘えん坊でわがままながらも愛らしい、ときにあまのじゃくな妖精「ティンカーベル」が撒き散らす金色の粉が気になってしょうがなかった。わたしも浴びたい、空を飛んでみたいと空想したものだ。子どもは飛んでいる夢をよく見る。

この「ピーター・パン」は芝居となって、世界のひとびとに親しまれている。主人公ピーターパンは少年だが、不思議なことにいずれも女性が演じているようだ。役柄から、どちらかといえばボーイッシュな女性が抜擢される。

先日、古い写真に残された舞台女優モード・アダムズ(1872年~1953年)について触れたが、1905年に、ブロードウェイで最初に「ピーター・パン 」の主人公を演じたのが彼女だったそうだ。また、ネットで聞いたことだが、ピーター・パン役の彼女は、後の写真で知られるイメージと違って、当時、少々太り気味だったともいう。(Bowery Boysの記事に感謝)

(本ブログ関連:”モード・アダムズ”)

ちなみに、デビュー早々にズボン姿で知られた歌手イ・ソンヒも、1991年に子ども向けミュージカルでピーターパン役を演じている。日本では、健康で溌剌とした歌手榊原郁恵ピーターパン役は、誰にも知られている。上記3人の舞台女優、歌手は、若くしてピーター・パンを演じたが、当然とはいえ、それぞれ対照的な人生を歩むことになる。


(Youtubeに登録のAcaciaに感謝)

2017年12月23日土曜日

天皇誕生日 2017

今日の「天皇誕生日」の祝日は、来年、あと一回を残すのみとなった。天皇陛下が譲位(退位)を表明された結果だ。再来年4月からは、新しい元号となる。

元号の年数は、明治は45年、大正は15年、昭和は64年、そして平成は30年まであることになる。私にとって、記憶の大部分は昭和に刻まれたが、平成は世間とのつながりに使われたし、余禄を楽しむときでもある。

再来年、繁華街をすすんで端にたどりついたと思ったら、その先に賑やかな新しいストリートが続いている、といった経験をすることだろう。

天皇陛下は、今年84歳を迎えられた。元号の年数が年齢と一致するわけではないけれど、平成の短さに驚く。とはいえ、天皇陛下が、皇太子だった昭和34年(1959年)に、美智子様と結婚された < 4月10日 >のことを、その後その日を迎えるたび思い出したものだ。私の記憶の両陛下は、当時のままである。

2017年12月22日金曜日

冬至 2017

年末になると、不思議なことに、家庭の器具にいろいろと不具合が発生する。蛍光灯のランプが急に点滅し始めたのだ。玄関先のランプは電気業者に頼んでLEDに置き換えてもらい、室内のランプは当然ながら自分の手で交換する。

パソコンのプリンターが、年賀状作成の時期を察知したかのように、「インクが足りなくなりました」というメッセージを表示したし、自転車のランプの調子がおかしくなるしで・・・次々と不都合なことばかり。(この程度で済んで幸いともいえるが)

「冬至」の今日は、一年で太陽の日照時間(昼間)が一番短い日。残念なようだが、これから昼が長くなっていくと思えば気も休まる。一方、真の冷え込みは、来年1月まで進む。(東京の平均気温は1月が底で 5.2℃になる)

冬の季節は、日照時間の短さを年内に解決(反転)したのに、最低気温の方は翌年へ持ち越す。それが、冬が、寒くて陰鬱な日が続くという、うんざりさせる原因なのかもしれない。

2017年12月21日木曜日

何もない一日でした

思わずふーっと息をもらして固まるほどの寒さ。本気の冬だ。明日の「冬至」になれば、もう後戻りできない冬寒で、苦手といっても、お天道さまはかまっちゃくれない。日が射す場所を巡っても、ちっとも暖まらない。そんな中、近隣のスタディールームに出かけた。

というわけで、何ごともない一日だった。

ところで、時代を越えて(といっても、今の時代感覚に照らしてかもしれないが)美しいひとがいる。写真が残してくれたひとたちだ。たとえば、陸奥宗光の夫人の横顔もそう。今も変わらない、はっとするような惹きつける力がありながら、女性を前に出すことのない清雅さといってもよい。

アメリカの20世紀初頭の舞台女優にモード・アダムズがいる。ふくよかさよりも、どちらかといえば痩身のイメージで、古い映画スターというより、まさに今様とすらいえそう。そんな、彼女をヒントにした、SFファンタジー小説があって、それを原作にした映画があって、使われた音楽が、次のYoutubeにある曲という。まずは、小説から探してみようか。



そして追想的な彼女への賛辞

(Youtubeに登録のsarorun kamuy、David Remleyに感謝)

(付記)Maude Adamsのフリー情報について
Wikipedia (解説)
Wikimedia (写真)

2017年12月20日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 自然を友に生きる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、自然を友に生きる人生に関連する曲を紹介した。
(未聴のため他言語放送の解説をもとに記す)

始めに、「伯夷と叔斉(백이와 숙제)」兄弟の話で始まる「首陽山歌(수양산가)」について次のように紹介された。
・「歌辞(가사)」は、時調(시조)詩と合わせて歌う「歌曲(가곡)」で、支配階層が楽しんだ。全12曲が伝えられ、「十二歌辞」ともいわれ、長い歌詞を大笒(テグム:擦弦楽器)や奚琴(ヘグム:管楽器)などの伴奏で歌う。
・「首陽山歌」は、過去の王朝への節義を守るため、< 首陽山 > に入ってワラビだけ食べ、飢えて死んだという「伯夷・叔斉」兄弟の話で始まるため「首陽山歌」の名がついた。全体的には多様な故事を引用して、自然を友に生きる願望を込めた歌だ。

次に、パンソリを歌う前に喉を整える「短歌(단가)」のひとつ「竹杖芒鞋(죽장망혜)」について次のように紹介された。
・パンソリの前に、歌い手が喉を整えるため歌った「短歌」の一曲に、< 竹杖芒鞋と単瓢子だけで千里山川に入る > という一節で始まる「竹杖芒鞋」がある。「竹杖」は竹のツエ、「芒鞋」は麻や大麻を材料にした「わらじ」だ。そして「単瓢子」は瓢箪(ひょうたん)をいう。見せかけ(虚飾)をすべて捨て、簡素な格好で山川遊覧に出ることをあらわす。

最後に、識者(ソンビ)たちが隠居の代表に <漁師> をあげたことについて次のように紹介された。
・「竹杖芒鞋」に歌われた山は、(中国の江西省北部)「廬山」で、唐代の詩人「李白」に歌われた。高麗・朝鮮時代の謹厳な識者ソンビは、隠居の代表的な人生に <漁師> をあげた。生活のために漁をする漁師でなく、自然と交わりながら悠悠自適に過ごす人生として、漁をする漁師であり、多くのソンビが「漁父辭」を作って残した。

2017年12月19日火曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

冬になれば、このブログで必ずとりあげる曲に、イ・ソンヒの 5集所収の「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)がある。彼女の美しく澄み切った声は、冬に、凍てついた傷心の女性を見事に歌いきっている、と同時に、この作品作りの背景に、いかにも若者らしい作詞家と作曲家による、ラーメン作りがきっかけになっていたという、そのアンバランス振りがついつい頭に浮かんでしまう。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)

ファンは、この曲想をもとに、晴れ渡った青空と純白の大地といった、美しい冬の雪景色をバックに、この曲をYoutubeに登録するようだ。多分、女性の心情がなせるわざだろう。でも、コンサートで歌うイ・ソンヒの姿を聞きたいのが、おじさんの心情でもあるよ。


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2017年12月18日月曜日

(無駄口)新月に寒風

カレンダーの師走(12月)と、世相の忙しさに乗じて、その気になっている。そんなに大げさなこともしてないから、ちょいと考えれば分かることなのに。ただ、慌ただしい気分を真似したいだけ、味わいたいだけ。

韓国語教室の帰り道、新月のせいか真っ暗闇。満月は来年年初までしばらくおあずけ。
それに、今晩はとても寒かった。
都心の昨日の最高気温は、12月中で一番低かった。今日はどうだったろう。

それに比べて、国際宇宙ステーションの表面温度は ±150℃ という。地上は、まだまだ暖かいことになる。寒風に文句なんていえない・・・わけで。

ちなみに、満月は来年の1月2日。それまで、しばらく待つことにしよう。

2017年12月17日日曜日

金井宇宙飛行士

子どものころ、パイロットになるのが夢だった。宇宙飛行士は夢のまた夢、想像もできないことだった。日本人では、本来の意味の宇宙飛行士(アストロノート)として、毛利衛(もうり まもる)氏以来、多数の「宇宙飛行士」が「国際宇宙ステーション(ISS)」で活躍している。

(本ブログ関連:”宇宙”)

とはいえ、国際宇宙ステーションで一体何をしているのか、きちんと聞いたのは、油井亀美也宇宙飛行士による市民向報告会だけ。将来へつながる凄いことをしているとうかがったが、これまたちんぷんかんぷん。でも、それより感動的だったのは、会場に小さなこどもや小学生たちが親に連れられて多数参加していたことだった。

この子たちの中から、いずれ宇宙飛行士が登場するに違いないと確信した。彼らにとって宇宙飛行士は、空想に終わらない、手に届く実現可能な夢になった。そんな目を輝かせる幼い姿に、おじさんは最大の喜びを感じた。

本日、JAXAは、新たな日本人宇宙飛行士が宇宙へ飛び立ったと、次のように報じている。
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ソユーズ宇宙船(53S)打上げ!(2017年12月17日)
金井(宣茂:かない のりしげ)宇宙飛行士ら第54次/第55次長期滞在クルーが搭乗するソユーズMS-07宇宙船(53S)は、日本時間12月17日午後4時21分、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。
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金井宇宙飛行士は、Wikipediaによれば、「日本の宇宙飛行士で医師から宇宙飛行士へ転身したのは向井千秋、古川聡につぎ3人目である。また、油井(亀美也)につぎ2人目の自衛隊出身者でもある」とのこと。宇宙飛行士の層がますます厚くなっている。

(追記)
朝日新聞の記事によれば、金井宇宙飛行士の任務は次の通り。
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ISSでは医師の専門知識を生かし、無重力の環境が生体に与える影響を実験したり、アルツハイマー病の原因になるたんぱく質の複合体ができる仕組みを調べたりする。将来の宇宙長期滞在に向け、飛行士の被曝(ひばく)線量を測るなど、計32の任務がある。
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2017年12月16日土曜日

忘年会 2017

以前通った、韓国語教室の仲間たちと忘年会をした。話題も尽きず盛況のなか、終わって帰宅してみれば、日付が越えていた。ブログのノルマとして(日にちを欠かさぬよう)、タイムスタンプをいじって今日(12/16)の日付に直して記す。

このクラスは不思議なことに、生徒の出入りがあってもみな集い、忘年会を続けている。ひとえに、先生の徳のなせることだ。生徒も、いつも顔をあわせているような親しさがある。

そんな中、気のいいおじさんは、遠慮せずに参加した。久し振りのこと、若い子はしっかりキャリアを積み、年配者は語学力をつけている。みな元気に向学心を忘れない。感心するばかり。

この節目に、みなから英気をいただき、来年も頑張ろうと充電した。ただ心配なのは、わがバッテリーが経年劣化していることだ。

2017年12月15日金曜日

(雑談)柔らかいって本当に美味しいの?

子ども時代のベーコンは、周りが赤く染まった薄切りのクジラ肉だった。白くべったりして繊維状の脂身だが、フライパンで熱すると急に縮んでしまう。親の転勤で東京に来るまではそうだった。だから、豚肉のベーコンにしばらく馴染めなかった。その頃から、しだいにクジラ肉は姿を消していったが。

また、子ども時代のすき焼きで、最初に牛脂で熱した鍋をなじませるが、脂身は赤み肉の一部であり、延長だった。熱で油を出し切ってとろとろになった脂身も、兄弟で取り合いした。それが、今は、脂身を見向きもしなくなって、ほんの少量しか使わない。(使わないこともあるという)

テレビのレストラン紹介番組で、タレントさんが牛ステーキを食して、「柔らか~い」とびっくり顔する。撮影に協力してくれたレストランへの心向けもあるのだろうけれど、< 肉が柔らかいってどういうこと > と思ったりする。わたしにとって、肉は噛み切るものであり、そしゃくするものといった思いがある。どうやら、この「柔らか~い」は、今では「美味し~い」の同意語らしい。

骨董の鑑定のため、骨董商は、わが子に最高品だけ見せると聞いたことがある。食通も、本来そうなのだろう。余談だが、高級レストランのオーナーシェフが、料理人になったいきさつを、昔、テレビで語った。徒弟制度の時代、あるレストランに雇われて、初めてハンバーグを食べたとき、この世にこんなに美味いものがあるのかと驚いたという。それが、誰もが知るシェフである。この場合、子ども時代に徹底して美食に漬かっていたわけではないともいえるが、だからといって、だれもが食通、美食家になれるとも思えないし・・・。

わたしは、ステーキの焼き加減は、しっかり焼いたものが好きだ。

(付記)
学校給食の思い出で、脱脂粉乳の温かいミルクを、同じ世代が唾棄せんばかりに語るのを聞くと情けなくなる。ミルクのおかわりに並んだ記憶はないのかと。

2017年12月14日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-11th

2017年内のイディッシュ語授業は、今日でお終い。とはいえ、今年度の残りは、正月を明けてまだ6回残っている。やることがいっぱいある。気を引き締めて颯爽と出かける。
でも、ショーウィンドウのガラスに映った我が姿は、固くぎこちない。めっぽう寒いのだ。

今年の締めを飾るに十分な授業だった。

練習編(否定): נישט ,קײן を使った否定形
・.איך האָב אַ טיש. ← איך האָב נישט קײן טיש
  (I don't have a table. ← I have a table.)
      טיש ←  קײן טיש (注:不定冠詞)  、 האָב ← האָב נישט
・.איך האָב דאָס בילד. ← איך האָב נישט דאָס בילד
   (I don't have the picture. ← I have the picture.)
      דאָס בילד = דאָס בילד (注:定冠詞) 、 האָב ← האָב נישט

練習編(会話練習、単語練習)

文法編(愛称): ① diminutive(指小辞):小さなものへの愛情を込めた愛称の接尾辞、② iminutive:diminutiveを更に強調した接尾辞
・iminutive  ← diminutive ← Orijinal
   האַנט ← הענטל ← הענטעלע  (hand)

文法編(名詞の複数)

その他の話題
今日初めて知った歌で、ハヌカ(ハヌカー)の時期(今年は、12月12日にあたる)に歌う「Maoz tzur(マーオーズ・ツール)」を教えてもらった。

(正統派の集団が歌う『マーオーズ・ツール(maoz tzur, 「砦の岩よ」』という)

(Youtubeに登録のHebrew Songs With English Subtitlesに感謝)

2017年12月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 青春歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「青春歌(청춘가)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、時の経過を思う、京畿民謡の「青春歌」について次のように紹介された。
・時の速さを、年齢に比例して、10代が時速10キロで感じるなら、20代は20キロ、30代は30キロに感じるだろう。年末にもそうで、いつの間にか12月、今年も残りひと月ほど。この一年、何をしてきたのか、また、これからどう生きるか考える。ソウル近郊の京畿民謡の「青春歌」に、面白い歌詞がある。< 歳月は流れる水のよう、人生は過ぎ去る風のよう > という内容で、< 金を払っても歳月を買うことはできない、歳月を無駄にするな > と。昔の人々の言葉に納得だ。

▼ 「青春歌」の歌を聴く。振り絞るように力んで歌う・・・納得と教訓だろう。

次に、伝統音楽へ若者が馴染めるよう様々な取り組みがあることについて次のように紹介された。
・「青春歌」の年代別反応は違うようで、高齢者は自分の話とうなずくだろうし、中年では、これを好むのは歳をとった証拠と、感嘆したり嘆いたりする。伝統音楽を理解するには、聴く者にも聴く準備が必要であり、若者が馴染めない理由がそこにある。そんな垣根を越えるため、若者グループ(씽씽)に、伝統的な民謡をロックと結合させた多様な試みがされている。

▼ 「青春歌」を < 面白く再解釈した > 「サシレニという遊びの歌(사시랭이소리)」を聴く。今様に(イ・パクサを・・・)

最後に、若い感性で伝統音楽を解釈す国楽ミュージシャンの課題について次のように紹介された。
・伝統音楽は譜面より、師匠と弟子が向かい合い歌う、口承が多く、今日に至るため、人や時代により変化もあるが、変わらねばならない音楽とも言える。以前は、伝統を重視したが、今は、伝統をいかに受容するか考える時代になった。若手の国楽ミュージシャンに与えられた課題で、伝統的リズムや情緒を基に、若い感覚にも合わせた音楽だ。

▼ < 独り者の木こりを歌にした >「どこへ行くべきか(어드로갈꼬)」を聴く。民話風に面白く可笑しく、今様に。

・この歌に登場する男は、< 結婚できぬ身を嘆きながらも、一生懸命働いたところ、春のある日、美しい女性が若葉を摘むのを見る > 、心を奪われた男の気持ちを、面白く表現した歌だ。

2017年12月12日火曜日

イ・ソンヒ「空がくれたもの」

イ・ソンヒの唯一と思われる、日本発売の日本語曲「空がくれたもの」、「見せたいけしき」(1993年)がある。その曲目について、これまでYoutube映像かたがた何度か紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”空がくれたもの”)

Youtubeに、更に音質の良いものを見つけたので、次に埋め込みさせていただく。

これらの曲が、彼女本来の歌唱と比べて、(正調というか清純な)アイドル路線を狙ったような歌い方をしているのに、かつ印象の違いに驚くことだろう。音質の良さからますます納得する。

さらにいえば、当時、彼女はソウル市議会議員(1991年~1994年)として在職しており、後ろからは < 少女漫画から飛び出してきたような歌手たち > が、前にはダンスミュージックが待ちかまえていた。


(Youtubeに登録のTipi Cに感謝)

2017年12月11日月曜日

印象派絵画と写真

印象派絵画と写真撮影が表現を競った時期があったようだ。そのような写真を記録した展示会や冊子を見かけないのは残念だ。(写真の出現は、画家たちに大いに驚異だったに違いない・・・、そこで画家たちは、映像を「個性」という名の個人的な美意識の世界に取り込んだ)

(本ブログ関連:”絵画”)

静止画から動画(シネマトグラフ)に変わったとき、画家は、三次元を二次元に分解したキュービズムで競った。こちらは、両者は映画や抽象画に発展したが。

印象派の絵画で気になることがある。緑陰を青で表現することだ。はたして、人間の視覚で感じ取れたことだろうか。

光を直接捉えるのに、ピンホール利用のカメラ・オブスキュラや、レンズの色収差からヒントを得たのではないだろうか。

(フェルメールの世界を髣髴させる、カメラ・オブスキュラの映像)

(Youtubeに登録のNational Geographicに感謝)

2017年12月10日日曜日

梵音

イ・ソンヒの音楽的な才は、伽耶琴(カヤグム)と唱を楽しみ、こよなく彼女を慈愛した祖父、そして声がよく通り、仏教音楽の梵唄(ボンバイ:범패)指導に長くたずさわった父親の影響を大きく受けたようにみえる。

資料)「梵唄」の解説(「NAVER百科事典」)
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・寺院で主に斎を上げるとき歌う歌。
・「梵音」(ぼんおん、ボムウム)、「魚山」(オサン)とも呼ばれている。仏の功徳を賛美する歌で、「梵唄」は、インドの声という意味だ。荘重で厳粛、「和請」(화청)を除いては声に意味が含まれていないことが特徴だ。
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梵唄、梵音ともいうこの仏教の詠唱を、俗人に果たしていかに聞こえたか。まれに葬儀のときにしか聞かない、仏僧の読経に、意味も分からずいささか眠く惑わしくなる、かも知れない。

昔、中国の唐の時代に、商人が < 玄陰池(げんいんち) > で経験した不思議なできごとも、眠りに誘われてのことのようだ。(岡本綺堂「中国怪奇小説集  宣室志」の < 玄陰池 >)
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商いに出かけた商人が大樹の下で眠っていたとき、一人の僧が現れて、五台山の麓に居をかまえているのでと誘われ付いて行く。大勢の僧が、玄陰池にひたり暑気をしのぎながら、< 梵音 > を始めた。商人は、なかば強引に冷たい水中に引き込まれる。・・・夢が覚めた商人は、元の木の下で、びしょ濡れになって眠っていたのである。(以下略)
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ありがたい梵音も、実は蛙の鳴き声だったというわけだが、単調な繰り返しは宗教的な表現にありがちで、歌であれ動作であれ共通して見られるようだ。(シャーマニズムにおいては、繰り返しの回転、跳躍、あるいは前後の揺すりがあって、ある種境地へ到達する手段のようにもみられる)

2017年12月9日土曜日

(TED講演)リサ・ジェノヴァ「アルツハイマー病を予防するためにできること」

物忘れするたび、漠然とした不安がある。やがて具体的なアルツハイマー病へとつながる恐れだ。何車線もある広い道路を進んでいたつもりが、いつのまにか、片側が深くえぐれた峡谷の後戻りできない細道を走っているのではないかと。考えない方がましなことの一つだ。

そんな時、作家・神経科学者のリサ・ジェノヴァが、TEDカンファレンス(NHK「スーパープレゼンテーション」で放送)に登場して、「アルツハイマー病を予防するためにできること」をスピーチした。気休めかもしれないが、少し安心をくれた気がする。(彼女は小説「アリスのままで」の著者だそうだ・・・未読だが)

(本ブログ関連:”TED”)

講演者リサ・ジェノヴァの話題に、次のような言葉があったので記す。

・研究開始時に75才以上だった678人の修道女を、20年以上追跡調査したものがある。
・彼女たちの死後、脳は全て解剖研究に提供された。
・科学者たちは、いくつかの(アルツハイマー病羅患の)脳に驚くべき発見をした。
・アルツハイマー病の兆候があるのに関わらず、こうした修道女たちは、生前何の症状も示していなかった。
・これは、彼女たちがより機能的なシナプスを持っていたといえる。
・長年、正規の教育を受け、識字率が高く、精神的で刺激的な活動に定期的に従事する人は、すべて認知予備力がある。
・アルツハイマー病のような病気があっても、或いはシナプスのいくつかが傷ついても、 バックアップ接続が可能である。
⇒ 迂回するシナプスの可能性
(アルツハイマー病にかかりにくい脳を作るため、クロスワードパズルのような <知っていること> をやるのでなく)
・ 外国語を習ったり、新しい友達を作ったり、本日のようなTEDトークを聞くことです・・・と。

(TED講演に感謝)


2017年12月8日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 林芳蔚、スクテモリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、林芳蔚임방울、1904年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネット未聴のため解説記事のみを記す)

始めに、「林芳蔚」が歌った「スクテモリ」について次のように紹介された。
・1925年、ソウルの景福宮で開かれた毎日新報社の歌い手大会に、小柄の男が舞台に立ち、みすぼらしいみなりに注目されぬも、彼が歌いだすと場内は静まり、歌い終わる頃には、涙する人も見られた。彼こそ伝説の歌い手「林芳蔚」だった。曲は、「春香(춘향)」の獄中歌を表現した「スクテモリ」で、レコードになり、20万枚とも100万枚以上が売れた。当時の状況を考えると、20万枚も決して少なくない。

▼ 「スクテモリ」の歌。⇒ Youtube(登録者に感謝)

次に、林芳蔚と妓生「珊瑚珠(산호주)」との物語について次のように紹介された。
・人々は、林芳蔚のパンソリに惹かれ心を慰めた。彼の葬儀に多くが訪れた中に、ホームレスもいた。歌を聴きたい彼らに、無償で観覧させてくれた恩返しだ。そんな林芳蔚は、妓生の珊瑚珠に夢中になり、歌を忘れ、声が出なくなったとき、何も言わず彼女も元を去った。珊瑚珠は、病になり亡くなる。その彼女を抱きかかえて、林芳蔚は「思い出(추억)」の曲を歌った。

▼ 「思い出」の歌と演奏。<切ない歌詞に、今も涙を流する人がいるという>⇒ Youtube(以上の登録者に感謝)

最後に、林芳蔚と金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)の関係について次のように紹介された。
・英雄にライバルがあるように、林芳蔚に、「金演洙」がいた。林芳蔚は貧しい生まれで、学問とかけ離れ、歌一筋で生きた。喜びも悲しみも、人々と共感した歌い手として知られる。一方、金演洙は、豊かな家に生まれ、漢文も学んだ。パンソリに漢詩文表現が多数あるため、適当に歌う歌い手があった中、金演洙は、その意味を生かして歌った。林芳蔚の人気に対して、金演洙は、事の内容も知らぬとけなしたが、林芳蔚は、事の内容を求めては歌が台無しになると返した。また、林芳蔚には、きれいな音質のレコードがほとんど残っていないのに、金演洙には、本やレコードなど保存されて、二人の人生の違いが垣間見られる。

▼ パンソリ「水宮歌(수궁가)」から「皐皐天邊고고천변)」。⇒ Youtube(登録者に感謝)

2017年12月7日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-10th

イディッシュ語教室の、今年の残り回数は、今日を含めて後2回。あっという間に進んできたが、こうべを倒れるほどの実りは乏しく、ただすっくと天を見上げる能天気。このまま、足手まといにならぬよう付いていこう。

今回も、いろいろ多彩な授業だった。
文法編1:名詞の単数/複数と性に応じた「形容詞の接尾辞」・・・ 今回のところ!
・単数: ① 男性名詞 + ער-形容詞 + אַ/דער、② 女性名詞 + ע-形容詞 + אַ/די、③ 中性名詞  + 接尾辞なし形容詞 + אַ、中性名詞 + ע-形容詞 + דאָס
・複数: 名詞 + ע-形容詞
文法編2: 副詞 ≒ 形容詞(接尾辞なし)
文法編3: 名詞 + נישטקײן + 動詞、נישטは動詞の後ろ、קײןは名詞の前

前回の練習時に、いくつかの単語が話題になり、辞書「Comprehensive English-Yiddish Dictionary」から紹介された。
・SF(Sci-Fi:Sience fiction): די װיסנשאַפֿטלעכע פֿאַנטאַסטיק 
   SFの分類に、科学中心の「ハードコア」と、文学的ストーリー中心の「SFファンタジー」があるが。

その他の話題
・書籍:遠藤周作著「聖書の中の女性たち」の紹介。キリスト誕生の場面に、人間的視点とその洞察があるようだ。
・DVD:  映画「א געשעפט(A Gesheft)」を前回に続き結末まで見る。主人公が宗教的救いを得てラビとして生きる。

(ただ、遠藤周作すなわち「狐狸庵先生」の姿を見たくて)

(Youtubeに登録のLINDMINATORに感謝)

2017年12月6日水曜日

(雑談)テレビについて

(白黒ブラウン管の)テレビが初めて家に来たとき、毎日が映画館だと歓喜した。アメリカのテレビ番組「ハイウェイパトロール」に始まり、子ども向け番組(正義の味方の)「月光仮面」など楽しんだ。漫画雑誌は、まだ購買層の年齢アップにシフトしていなかった。

随分と年を経た現在、そんな興奮は当然ながら残っていない。それどころか、テレビは気のいい友人のように、いつのまにかこちらに入り込んで来ることがある。ある意味うっとおしい、野放図な存在なのだ。

一方、PCでWEBにしばらく集中した後、テレビを久し振りに見ると、最近の傾向だろうか、効果音がやたらうるさいのに気付く。聴き取りが悪くなって、音量を上げざる得ないからかもしれない・・・悩ましいところだ。そこで、思い切ってリモコンの「消音」ボタンを押すと、急に落ち着く。この効用はばかにならない。

電気工事のついでに、高精細の4K有機テレビの紹介を受けたが、今後購入することはないだろう。Youtubeに、新型テレビの基本設定を紹介するものがあって、いろいろな機能を解説してくれる。でも、それが面倒なことに思えるし、必要も感じない・・・「それが、そんなにいいことなの」といった思いしか浮かばないのだ。さように、新しいことに関心がなくなっている。

ただし、イ・ソンヒさんが歌う姿を、4Kテレビで一度見てみたいものだ。(聞くところによると、来年中に8Kテレビまで登場するという)

(付記)
「Windows 7でアップデートに失敗する不具合が発生中」(PC Watch 12/5
- 今のところ、解決の糸口はない模様!
⇒ 次の「ネットセキュリティブログ」を参照して、解決しました(12/9)・・・ 感謝。
    「『Windows 7』の『Windows Update』の確認が終わらない場合の対策方法について

2017年12月5日火曜日

年齢と誕生日について

韓国では、今も年齢を「数え年」でいうようだ。昔の日本もそうだったが、今は満年齢なので数え年を直感しにくい。また、誕生日について、韓国では旧暦でいうようだ。(70年代初頭までは、旧暦の誕生日を祝ったそうだ・・・ 新暦カレンダー上、毎年日にちが違うので変な感じがしただろう)

現在、イ・ソンヒのファンクラブも、誕生日を(日本風に今様に)新暦で祝っているようだ。

彼女の誕生日は、旧暦で1964年11月11日、新暦で12月14日になるのだが、いまだに、<旧暦を新暦に変換した該当日と、旧暦当日の新暦そのままの日 >を混乱して、ブログに記述の誤りがあるかもしれない心配がある。

正直、ネットの「新暦・旧暦変換」ツールで、つど確認しないと不安だ。作成者に感謝。

2017年12月4日月曜日

月明かり

今夜の「満月」は、「スーパームーン」といって、いつもより大きく見えるそうだ。韓国語教室の帰り道、雲間から明るい月明かりが射すのを感じたが、立ち止まって見上げる余裕はなかった。何しろ寒い、急いで帰った。

部屋で温もって気付いた。ちゃんと見ておけばよかったと。少々残念な思いしながら、じゃあ実際に窓を開けて覗くかといえば、寒さに躊躇する。その程度の根性なのだ。

だから、美しい旋律で、月明かりを想像してみたい。月光に包まれたような、浮遊感すら感じさせる、ドビッシーの「月の光」を、フジ子・ヘミングの演奏で聞かせていただくことにしたい。

月明かりに色があるなら、この曲には白光を感じる。漢詩なら青いだろう。さて邦楽ならどんな色になるだろう。


(Youtubeに登録のpinkurouに感謝)

2017年12月3日日曜日

そろそろ「第九」の季節

年末、この時期になると、各地の交響楽団と合唱団によるベートーベンの交響曲「第九番」(合唱付)が演奏される。なぜ12月なのか、日本での盛況ぶりについて、いろいろ話題があるが、大勢でやれる恒例の(文化)行事になっているのだから、楽しめればいいのではないだろうか。(日本は年末行事が好きだし、ヨーロッパはニューイヤー行事が好きなようだ)

学生時代にオケラにいて、「第九」演奏で、ある金管パートを経験したことがある。発表場所も上野駅前にある演奏会場、といえば大層に聞こえるだろうけど・・・本当は・・・そうだったに違いない。

練習の際、分厚いスコア片手に、各パートの特徴部分を蛍光ペンで色付けしたりした。ところで、実際の演奏譜面はどうだったかといえば、ヴァイオリンの場合、冊子といっていいほどの厚さをしていたのに比べて、われらの金管パートは、(A3よりもちょっと大きい)用紙一枚の見開きに全4楽章があり、しかも第2楽章と第4楽章しかないのだ。(ベートーベンの時代、金管楽器は、リズム楽器的な扱いが多かった。歴史的なわれらの金管は、合唱と親和していたので・・・第4楽章が華だったのかな)

(本ブログ関連:”ベートーベン”)

まあ、そんなわけで、勲章は大きいけれど、内実は正直なところ、第3楽章の待ち時間がとても辛かった記憶がある。(ワグナーの時代になると、金管が俄然輝きをます・・・こちらはとても手に負えない)


(Youtubeに登録のRay Nittoloに感謝)

2017年12月2日土曜日

三隣亡

どういうわけか存ぜぬが、今日は「三隣亡(さんりんぼう)」で、ネットによれば、 < この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣をほろぼすといって忌む日 > だそうだ。手元の日めくりカレンダーには「三りんぼう」と書いてある。

ご近所に新築現場があるが、誰も気にしない。(Wikipediaによれば)起源も不明、歴史も古くない、「三隣宝」から「三隣亡」へ、吉日から凶日に転じた俗信という。縁起でもないとはいえ、どうもピンとこない。家作りはそうそうないのだから。

年末になると、「火の用心」の掛け声が聞こえてくる。思いつきだが、今晩からこれを始めると、実感が増す気がする。夜分、寒い中を廻ってくださるボランティアのみなさんに、そんなこと正面から言えるわけはないけれど。

(本ブログ関連:”火の用心”)

この「三りんぼう」の発音、どこかのんびりした響きがして、凶日のイメージが湧かない。ひらがな書きすると、ますます気が緩む。

2017年12月1日金曜日

今日から12月

ついにやって来ました、12月が。年末も残り31日間しかありません。一年(365日)で見れば、11/12が過ぎてしまい、あと1/12しかないのです。いつものように、食ったリンゴで例えるなら、もう味わえるほどもないのです。

書店に、カレンダーどころか、「家計簿」までもどっさり並んでいます。気分は来年です。とはいえ、町に変わった様子は見られませんが、気ばかり焦ります。師走です。

実は、今日のブログ、テレビを見ていてうっかり今日中に書くのを失念してしまいました。タイムスタンプはアリバイ作りですが・・・日付が回った後から、つじつま合わせしています。

リンゴの例え話をしたので、イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年、作詞・作曲イ・ソンヒ、編曲チェ・テワン)を聴いてみましょう。

思い出に別離が刻まれては辛いでしょう。花咲くリンゴの木の下で、そんなこともあったねと笑えればいいのですが、そのときは5月、まだだいぶ先のこと。春になればと想えば、しばらく寒い冬も耐え忍べるかもしれません。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)