▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2015年3月18日水曜日

彼岸2015

今日から彼岸の入り。春分の日(3/21)の前後に3日を置いて、一週間を「彼岸」とする。春と秋の2回あるが、地元に檀家となる寺もなく、街全体同じ空気があるわけではない。

いまとなっては、彼岸の行事は田舎のような共同性というか、同じリズムの生活空間の中でしか実感できないのかもしれない。

ところで、彼岸は仏教の言葉としてだけでなく、以前は強い転換場所の意にも使われていたが・・・今、流行らないのかもしれない。パラダイムシフトも一頃ほど使われていないし。

気温10℃を寒暖の境界に考えていたが、このところの暖かさに、境界を20℃に上げたい気がする。彼岸の境地とはほど遠い、楽な方に流れてしまう。欲にきりがない。

・・・結論が、すべて「~ない」になっている。煩悩のまま。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 林悌と妓生

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第96回として、朝鮮時代中期の文人、林悌(임제、1549年~1587年)と、妓生(기생)の寒雨(한우)にまつわる話を紹介した。

始めに、文人林悌と妓生(黄眞伊、寒雨)との関わりについて次のように紹介された。
・文人、林悌が官職に就き地方へ向かうとき、当時最高の妓生といわれた黄眞伊(황진이、1506年?~1567年?)の墓を通りがかり、立ち止まって墓前に酒を注いだ。彼は黄眞伊の墓前で詩作した。<美しい顔は消え去って骨だけが残り、墓の前で酒を注いでも何の意味があるだろう>という内容だ。最高のロマンチストと言われた訳だが、人目を重視する上層の両班(양반)社会で大変なことになる。これが朝廷に伝わり、任地に到着せずして彼は免職となる。
・他にも有名な逸話がある。林悌は、妓生の寒雨と出会い、自ら詩を作る。<北の空が晴れているから出かけたものの、山には雪が降り、野原には雨が降る。濡れてしまったけれど、このまま眠るしかないだろう>というものだ。

▼ 林悌の詩から「北の空が晴れているから(북천이 맑다커늘)」の歌を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。

次に、林悌の詩に対する妓生寒雨の返詩について次のように説明された。
・林悌の詩の、空が晴れているのに、雪や雨が降って困るの意は、詩作のとき出会った寒雨(ハヌ、한우)の名に由来する。雨に濡れたまま眠るというのは、寒雨に自分を受け取ってくれるか尋ねることであり、これに対し寒雨も詩を作り、<枕と絹布団があるから、寒いところで寝ないで暖かくして寝てください>と答えた。ここでいう枕は鴨に似た、鴛鴦(オシドリ)を刺繍したもので、睦まじい夫婦を意味し、夫婦が一緒に使う枕だ。絹布団も若い夫婦が使う派手な模様のもので、寒雨も心を伝え、二人は天気に例えて互いの気持ちを確認した。彼らの詩は文字で伝わっている。

▼ 寒雨が答える歌「どうして凍えて寝るのですか(어이 얼어자리)」を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。

最後に、パンソリ「春香歌」と林悌の早逝について次のように紹介された。
・愛の歌と言えば、(説話「春香伝(춘향전)」を伝える)パンソリ「春香歌」が定番。虎の例えで始まる。<老虎が餌を見つけたものの、歯が抜けて食べられぬ>という内容だ。愛する人を目前にして、居ても立っても居られず落ち着かぬ様子を例えたもので、わくわくしながらもためらう心を表わす。

▼ パンソリ「春香歌」から「恋歌(사랑가)」を聴く。粘り気があって・・・歌の場面が気になるけれど。

・林悌は、高官になってからも党争(당쟁、붕당)を嘆き、官職を捨て山に遊んだ。39歳で早逝するが、短い人生の中、明快で率直な作品を多く残した。

(本ブログ関連:”黄眞伊(황진이)”、”春香歌”)