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2019年5月12日日曜日

(雑談)ファッションが残ってしまうこと

昔、亡き母が女学生だった戦前のころのこと、東京と地方のファッションの時差が、一ヶ月近くあったという。流行に敏感な女学生ゆえ、その差を縮めたいだろうにと思ったが、推測するに、雑誌など見て先取りしても、周囲がじわじわと変わっていくのに歩調合わせしないと、浮いてしまうことになる。浸透するのに結構手間取ったようだ。

中央との流行の時差にはいろいろあるが、逆に流行後に残ってしまうものもあるようだ。今ではメディアで使われることのなくなった(避けられる)言葉に「地方文化人」があって、ベレー帽*スタイルの独特な雰囲気があった(続いた)。今から考えれば、ある種の心意気といってもいいかもしれない。

(*)ベレー帽: 戦後ヨーロッパ映画に登場するレジスタンの象徴のようなものだった。

ほんの少し前でも、テレビに出てくる男性コメンテーターの間で、ハイネックのような(襟が首を巻いているような)ワイシャツ?が流行ったものだ。まあ、こちらは直ぐに廃れたが。他方、昔から気になることに、新聞記者出身の論者の髪型が、左右を問わず独特なことだ。主張(主義)とファッションが記号化された時代の産物といっていいのかもしれない。これって日本特有の風潮なのだろうか。

おかしなファッションは、ファッションがフォーマル化するといった構図とは別種の結果になる。いい歳をした連中が、鏡の前で一生懸命髪型を整えているなんて・・・。