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2013年5月31日金曜日

李明姫 伽耶琴公演

久し振りに地下鉄四谷三丁目駅近くにある韓国文化院に行く。「2013年定期公演シリーズ ~K-Cultureの魅力~」のPart2である、伽耶琴(カヤグム:가야금)奏者の李明姫(イ・ミョンヒ)の公演を見るためだ。

李明姫は、パンソリ「赤壁歌」、「沈清歌」、「春香歌」、「興甫歌」の中から代表的な歌を伽耶琴演奏と共に唱した。ステージ遠くに見た彼女は、ちょっとチョン・ドヨンに似て華奢な感じがしたが、声量豊で館内を圧倒した。併唱された内容が理解できれば、感動も深まっただろう・・・言葉は大事だ。なお、合いの手コス(고수)はイ・チャンソプが太鼓(プク)を打った。

パンソリと伽耶琴演奏の組み合わせを、何と呼ぶのだろうか。

また上記演目の途中に、節回しに次第に引き込まれる印象的なイ・キュジョンの「回心曲」、気品と美しい一瞬の静止を見せながら舞う金美福(キム・ミボク)の「花仙舞」が演じられた。

(本ブログ関連:"伽耶琴"、"パンソリ"、"回心曲")

(追記)
KBS Worldの番組「国楽の世界へ」を聴取しているお陰で楽しむことができた。感謝。

2013年5月30日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

深い孤独に愛を沈めながらもなぜか想いはつのる・・・イ・ソンヒが28歳当時に歌った「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」は、8集(1992年)の最後に収められていて余韻を残す。それは、恋を恋するように、美しい音色も加わって・・・乙女心とでもいうのでしょうか。

ローマの古い言葉にあるように、「愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる」と。いつの世も変わりませんね。だから繰り返しているのでしょう・・・そして新鮮なのでしょう。



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年5月29日水曜日

梅雨入り2013

それらしくもなくて、何だかその気にならないのに、そうだといわれると、そうなのかもしれない。今日から関東地方も梅雨が始まった。

「つゆいり」とキーボードを打てば、「入梅」となる。「入梅」は、本来固定の6月初旬頃の季節用語(雑節)で、しとしとと間断なく静に降り続く表現に、「にゅうばい」の音が合っている気がする。
気象庁の「予報用語 > 季節現象」では、梅雨の期間に入ることに、用語「梅雨入り」を適用し、用語「入梅」は「使用を控えるもの」としている。従ってマスコミも「梅雨入り」を使う。

日本経済新聞の記事「関東甲信も梅雨入り 平年より10日早く」(5/29)は、今年の当地の梅雨入りを次のように報じている。(抜粋)
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・気象庁は29日午前、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より10日昨年より11日早い
・関東甲信地方は湿った気流や前線の影響で、週末にかけて曇りや雨の日が増えるという。平年の梅雨明けは7月21日。
・まだ梅雨入りしていないのは、梅雨がない北海道を除き北陸と東北地方のみとなった。
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「北海道を除き」というのは気象上、北海道に梅雨は合致しないという意のようだ。

ちなみに関東地方の最近5年間の梅雨入り時期を、気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」によれば次の通り。
  年            入り                 明け     
2008年   5月29日ごろ   7月19日ごろ
2009年   6月 3日ごろ    7月14日ごろ
2010年   6月13日ごろ   7月17日ごろ
2011年   5月27日ごろ   7月 9日ごろ
2012年   6月 9日ごろ    7月25日ごろ
平 年      6月 8日ごろ    7月21日ごろ  

(本ブログ関連:"梅雨")

2013年5月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 諧謔

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/22)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第7回として、「諧謔、こっけい」について紹介された。

まず国楽にも笑いをテーマにした諧謔的な音楽があるという次の紹介から始まった。
・韓国伝統文化に情緒としての「恨」があるが、ソンビの音楽には気品があり、庶民の伝統芸能「仮面劇タルチュム」には堕落(両班や僧侶)と浮気と嫉妬(爺さんと婆さん)などの風刺と諧謔があった。国楽にもこうしたテーマが伝承されている。
「蛙打令(メンコンイ・タリョン、맹꽁이 타령)」(1900年代頃)の、「メンコンイ」は動きが鈍く疎い人物として使われる。今から100年ほど昔、ソウルの真ん中を流れる清渓川に住む様々なメンコンイが現れ、人々の生き様を風刺した描写する。

▼「蛙打令」を聴く。五匹のカエルの姿は・・・言葉に納得して楽しむものだろうけど・・・。

次に、パンソリについても滑稽な描写を次のように紹介した。
・パンソリは、悲しみに泣き叫ぶかと思えば、何事もなかったように笑いはじけるジャンルだ。
- 「水宮歌」では、海の竜王が自分の病気を治すウサギを探すよう臣下に命じる。イカ、貝、ニシン、ひらめ、太刀魚などが登場して、竜王は病気を忘れて思わずつぶやく、「わしは竜王ではなく、これではまるでチュソクのための市の日に、商売のために出てきた魚売りではないか」。
- 「沈清歌」では、盲目の父の目を開かせるため娘が海に身を投じる悲劇の中で、主人公沈清が命の代わりに得た金を目当てに、後妻ペンドクと沈清の父との滑稽話が続く。
- 「赤壁歌」の中の赤壁火戦では、大軍を率いて呉国を攻撃した曹操は予想外の火攻めにあい退去する。こうした中にも裏をつく笑いの要素が含まれている。

▼ユン・ジンチョルによる「赤壁歌」の中から「赤壁火戦」を聴く。なぜか淡々として・・・ところで、朝鮮の古い時代の戦を題材にしたパンソリはないものだろうか。

・死は暗く厳粛なものだが、それさえ風刺の対象にした。特にパンソリは庶民から始まった文化のため、このような風刺の傾向が強いと思われる。不条理を笑いを通して表現するところがパンソリの力ではないか。

▼フュージョン国楽グループのプロジェクト・ロック(Rock、락)による「困るな(난감하네)」を聴く。これは・・・今様で。

2013年5月27日月曜日

イ・ソンヒ 50代最強の童顔女性

芸能人にとって若さは重要な武器だ。一般庶民(特に女性)にすればその秘訣を知りたいことだろう。若さ(すなわち童顔)の例から、イ・ソンヒは外れない。
WOW韓国経済TVの記事「バンパイア芸能人、ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒ選定 <最強の童顔理由は?>」(5/27)は、美貌を保ち続ける3人の女性芸能人を紹介している。彼女たちの美しさに摩訶不思議さを感じて、「バンパイア(吸血鬼)芸能人」とまで呼んでいるが・・・。
ちなみに、イ・ソンヒは旧暦1964年11月11日(新暦12月14日)生まれで、「数え年」で50歳であるが、来年には新暦「満年齢」で50歳になる。

(本ブログ関連:"童顔"、"チョン・ドヨン")
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・[韓国経済TV、キム・ジウン インターン記者] 俳優ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒがバンパイア(吸血鬼)芸能人に選ばれた。

・27日放送されたMBC「気持ち良い日(기분 좋은 날)」では、年代別最強の童顔芸能人の姿が電波に乗った。

・30代最強の童顔女性は、イ・ヨウォン、ユ・ジンを抜いて、ハン・ガインが選ばれた。整形外科専門医は「眉毛と目から出る明るいイメージが童顔を感じさせる」と説明した。

・引き続き40代最強jの童顔女性候補では、キム・ジス、チョン・ドヨン、チョン・ヘヨンが上がって、チョン・ヘヨンが選ばれた。整形外科専門医は「小さくて明るい目つき、やや長めなアゴの線、発達していない頬骨など全体的な容貌が理由」と話した。

最後に50代最強の童顔女性では、歌手イ・ソンヒが名を連ねた。明るい皮膚の色、小さい顔、微笑を浮かべた白い歯、濃い眉毛と髪が、イ・ソンヒを童顔にしてくれた
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(Youtubeに登録のbraun braunpsに感謝)

2013年5月26日日曜日

巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!

TV朝鮮は、「巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!」(5/25)の紹介の中で、チョー・·ヨンピルの最近の話題に合わせて、イ・ソンヒについて、「繊細ながらも爆発的な歌唱力のイ・ソンヒも、戻ってくる準備に乗り出しました。来年、デビュー30周年を記念する全国ツアー・コンサートと新しいアルバム準備の真っ最中です。」と報じた。

登録(tvchosun01)された映像には、イ・ソンヒの直接のコメントはなく、彼女のステージを写した一瞬の表情の選択に何処か引っ掛かるものがあるけれど・・・。


2013年5月25日土曜日

(資料)イ・ソンヒが再婚した夫

渡米と同時にイ・ソンヒが不幸なできごとを乗り越えて再婚した夫について、女性東亜の記事「ベールに包まれたイ・ソンヒの夫 直接会ってみると」(5/24)は、インタビューを交えて次のように報じている。(文キム・ミョンヒ記者、写真イ・キウク記者)

(2006年)
・2006年、イ・ソンヒ(現在49歳)の再婚はいろいろ衝撃的だった。当時、イ・ソンヒは、所属事務所のクォン・ジンヨン代表に、交際する人がいるという事実を知らせて、引退を暗示するような発言を残したまま男性と一緒にアメリカに向かった。

・「国民歌手」のイ・ソンヒが、急に国内の生活を整理して引退の示唆までしようと、ファンたちは大きく当惑した。それから四ヶ月後の2006年11月19日、イ・ソンヒは、ファンカフェに文を書いて、自分の再婚の事実を知らせた。当時、イ・ソンヒは「一般人の配偶者が私生活の露出を敬遠するため、秘密裏に結婚し、(当分は、韓国を離れて)アメリカの大学で体系的に音楽の勉強をする計画だ。前から勉強をしたかったものの状況がままならなかったが、夫のおかげで勇気を出すことができた」と打ち明けた。

(2007年)
・その後、イ・ソンヒは、夫のチョン某氏(58)と一緒に米国イリノイ州に滞在し、娘の留学生活を世話して、コミュニティカレッジで英語の授業を受けて新婚生活を満喫した。その間、韓国の知人全ての連絡を切断しているようにした。最側近の人たちでさえ、イ・ソンヒと連絡が取れないと、イ・ソンヒの家族に電話をかけて「米国にいるイ・ソンヒの安否が気になるので、彼女から連絡がくれば、電話一つ必ずして欲しい」という願いをしておくほどだった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

・その間、韓国では、夫のチョン氏の過去の色々な噂が出回った。イ・ソンヒとの結婚が、再婚とか再々婚とかいう、彼の過去と関連した内容だった。また、しばらくの間、イ・ソンヒとチョン氏がアメリカで離婚したという噂が流れたりもしたが、その頃夫婦が一緒に知人の結婚式に賀客で参加したのをきっかけに離婚説は事実無根と明らかになった。

(2008年-2009年)
・イ・ソンヒが2008年に米国から帰国した後、コンサートやアルバム発売を通じた正式カムバック手順を踏まないで、地方のイベントなどにだけ姿を現わしたのに、夫婦に経済的な問題があるではないかという疑惑も起こった。イ・ソンヒは、2009年のMBC「黄金漁場 - 膝打ち導師」に出演しても、「夫のおかげで、娘との関係が良くなった」とだけ話しただけで、その他の私生活については、非常に言葉を慎んで再婚生活に対する知りたくなる事を(返って)煽った。


베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니


180cmの長身の好男子。「インタビューに応じたら妻に怒られる」

베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니

・こうした中、最近イ・ソンヒの夫が、ソウル良才洞(양재동)で日本式居酒屋を運営するという消息が聞こえてきた。彼は、個人的知り合いで訪ねてきた客と酒杯を傾けたりもするが、終始愉快に会話を引っ張りながらも、イ・ソンヒの夫として話題になるのは負担になると伝えられた。

・記者が訪れた時も、彼は知人との集まりを持っていた。180cm程になる背丈の好男子である彼は「私はこの酒場の社長ではなくて、後輩たちを助けたり、人々に会うために時々立ち寄る程度」と述べた。最近、活動がまばらな妻イ・ソンヒの近況については「非常によくやっている。今は休んでいるが近いうちにコンサートをするのか、アルバムを出すのかよくわからない。妻の歌手活動については一切関与していない」と述べた

・正式のインタビューを要請すると、彼は「妻に怒られる」と手で遮りながら笑った。二人が私生の活露出を敬遠する理由には「再婚する時に確認されなかった悪意ある報道があまり多く出たために心の傷を負ったからだ」と述べた。

・チョン氏は、かつて言論(メディア)に、韓国と米国を行き来しながら事業をすると報道されたが、事実、彼はソウルの有名私立大学で建築学を専攻し、米国に留学し、修士号まで取った建築家だ。イ・ソンヒは、自分の娘をアメリカに留学させて、米国留学の経験があるチョン氏から多くの支援を受け、その過程で愛が芽生えたという。

・チョン氏は、現在建築デザイン研究所を運営する一方、ある私立大学で非常勤講師として学生たちを教えている。そのおかげで、大学を卒業した弟子たちが彼に会うためにたびたびこの場所を探したりすることもあると。

・居酒屋が入店しているビルは、チョン氏の所有だ。良才川を見下ろす大通りに位置し、カフェ、バー、病院などが入った6階建ての建物で、かなり安定した賃貸収入を期待することができるという点で、イ・ソンヒ夫婦が経済的に問題があるという噂を一蹴させるに十分だった

・チョン氏の知人たちは一様に彼の人となりを高く評価し、イ・ソンヒ夫婦がいろいろな噂に包まれたことを惜しんだ世間で起きている疑惑とは異なり、イ・ソンヒが良い「因縁(인연')」と会ったのは明らかである。

2013年5月24日金曜日

イ・ソンヒと清渓川復元

韓国のブログ*から知ったことだが、イ・ソンヒはソウル市議会議員時代(1991年~1995年)に、同市を流れる清渓川(청계천)について市民に戻さなければならないと「原状回復を主張します」という、5月23日放送のSBS「一夜のTV演芸」で回顧されたと紹介している。
「美しい江山」の賛歌に通じる、環境について早くから発言していたことになる。

(*)ブログタイトル:「因縁というのでしょう、拒むことができないのです!!」(イ・ソンヒの「因縁(인연)」の歌詞から採ったのでしょう)。感謝。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒのソウル市議会議員")



(追記)
上記について、東亜日報の記事「イ・ソンヒ、(李明博 元)大統領よりも先に清渓川の復元主張」(5/22)でも紹介されている。

2013年5月23日木曜日

秩父鉱山大黒川原

秩父鉱山の大黒の川原に鉱物採集に行く。今日は、ありがたいことに鉱物仲間のёб氏が自宅前に車をつけてくれたおかげで、そのまま大黒の駐車場で現地集合することができた。感謝。

前回同様にXa氏を交えて、大黒の川原で鉱物採集する。自然金欲しさに、ふるいとパンニング皿を用意したが・・・。
まず、橋の下をくぐって、急斜面の上側に坑口をのぞかせる処までと・・・川をちょっと遡行したが、わたしだけ諦めた・・・ああ高さに足腰が追いつかない。お二人の情報によれば、坑口周辺に黄鉄鉱石が転がっていたという。

そこで独り、最初の川原に戻って次の鉱物を採集した。(もらい物を含む)
・菱マンガン鉱、磁鉄鉱、(?)ザクロ石、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱

次に、ネット情報をもとに自然金を求めて川原を下る。砂防ダムまで至るが、残念ながら該当の場所が見つからない・・・そこで途中に合流している川に入り遡行したが、ここでも残念な結果に終わった。
とりあえず次のものを採集。(もらい物を含む)
・黄鉄鉱、硫砒鉄鉱

(本ブログ関連:"秩父鉱山大黒坑")

(追記)
川の岩石歩きに四苦八苦するわが身を考えると、今日、史上最高齢の80歳で最高峰エベレスト(標高8,848m)を登頂された三浦雄一郎氏のパワーに敬服の至り。今後の鉱物採集に参加をあやぶんでいたわたしだが、もう一度気を取り直して、しばらく継続することにする。

2013年5月22日水曜日

amor

ギリシア・ラテン引用語辞典のラテン語の部に「amor(愛)」の項を探すと、ぽいと吐き出された愛の捻じれで面白いものがある。ランダムに列記する。

amor ex oculis oriens in pectus cadit.  愛は眼より出でて胸に入る。

amor quod suspicatur vigilans, somniat.  愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる。

amor tussisque non celantur. 恋と咳とは隠されず。

2013年5月21日火曜日

小満2013

今日は二十四節気の「小満」。街に、森に、畑に溢れた緑は、夏の陽を受けてまばゆく輝く。豊かな実りに向けて準備は整ったようだ。

というか、小満のこと意識になかったなあ・・・確かに、春の寒暖が次第に収斂して、初夏の頭上の日差しに驚くこともあるが、日々生活は、野の緑、森の緑、畑の緑と疎遠だし・・・。

そうそう、明後日には、緑の風を確かめに、秩父鉱山大黒に行こう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 初八日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/15)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第6回として、日本の「花祭り」に当たる、旧暦4月8日に釈迦の誕生を祝う仏教行事の「灌仏会(かんぶつえ)」すなわち「初八日(チョパイル、초파일)」について紹介された。

まず「初八日」の行事について次の紹介から始まった。
・旧暦4月8日(今年5月17日、最近では新暦4月8日)の釈迦生誕日を祝う「灌仏会」(花祭り)は、韓国ではキリスト教のクリスマスに比する行事である。釈迦生誕日の4月8日から「初八日」と呼ばれ、「釈迦誕生日(釋迦誕辰日、석가탄신일)」、「お釈迦様がいらした日(부처님오신날)」と呼ばれ、全国的に行事が行われる。

▼仏教象徴の花からチョン・ジュソンの歌による「蓮の花咲く」を聴く。今様の・・・音色に東洋の香りを重ねて。

韓国(朝鮮)仏教、「八関会」について次のように紹介された。
・紀元前5世紀頃インドに始まった仏教は、西暦372年高句麗に伝来したとされ、以後、統一新羅、高麗では国教に指定された。現在、登録文化財の約65%が仏教関連といわれ、仏教は韓国に深く根付いた伝統文化でもある。
・釈迦誕生日は、「初八日」と呼ばれ、様々な行事が行われてきた。特に新羅時代の風習である「八関会(팔관회)」と、「タプトリ(탑돌이)」は長く続いた。
八関会は、不殺生、不偸盗、不姦淫、不妄語、不飮酒の5戒律に、贅沢しない、高い処に座らない、午後に断食を行うの3戒律を合わせて、一日に8戒律を守る仏教儀式である。
タプトリは、夜通し塔の周りを巡り、自ら、そして家族の健康と安寧を祈願する仏教の修行である。

▼キム・ヨンイム歌による「タプトリ」を聴く。繰り返す旋律が次第に心地よく耳に、心に残るよ。

「タプトリ」について、関連する逸話(三国遺事(13世紀末))と、行事が次のように紹介された。
・新羅のキム・ヒョンが初八日にタプトリを行ったところ、美しい女人が現れ一目で魅了されるが、後にトラの化身であることを知る。しかしひたむきな愛に感動したトラは命をかけて彼を守った。
・初八日は、道に沿って明るい提灯が飾られる。この風習も統一新羅時代に始まったといわれる。ニンニク、スイカ、つるなどの形の提灯が並び楽しむことから、「観灯遊び(관등놀이)」という。中でも蓮の花形の提灯が一番多く見られ、蓮の提灯を点す意から「蓮灯会」とも呼ぶ。毎年、この時期に開く蓮灯会は、韓国を代表する祭りのひとつであり、昨年重要無形文化財に指定された。

▼パク・ヤンドク他の歌による南道雑歌「報念(보렴)」(報施念佛の略)を聴く。土の香りがしてくる・・・祈りが集合して次第にうねりとなるような本当の力を感じる。

2013年5月20日月曜日

小学校の真実

小学校の真実といっても、別に不都合な真実なんていった大げさなものじゃない。テレビ娯楽番組で世代別に小学校時代の給食の思い出語りするのに、ひとつだけ気になったことがある。

一番上の世代が語ったことだが、給食に出た脱脂粉乳のミルクがいやでいやでしょうがなかったという話しに、本当にそうだったろうかと思い返した。元気なだけが取り柄の男の子たちは、ミルクのおかわりに並んだものだよ。まあ、地方の小学校だったからかもしれないが、あんなに否定されると、脱脂粉乳のミルクが可哀相で弁明したくなる。

それに、こんな工夫もしたものだ。大粒の豆のぜんざいが出たときは甘さもあるので、それと脱脂粉乳のミルクを一緒に混ぜたりしたものだ・・・まろやかになって意外と好評だったよ。
そんなわけで当時は、脱脂粉乳のミルクが臭いと完全否定されていたわけはなかった。考えてもみて欲しい・・・給食時間に、みながミルクを窓の外にそっと棄てていたわけじゃなかったでしょ。
脱脂粉乳のミルクが臭いという言葉も、そのとき聞かなかったような気がする・・・後から出てきた言葉じゃないのかな。

アメリカン・ポップから一夜にしてビートルズファンに変わったかのごとく語られるのと同様に、今から見て記憶を整理し直しているのじゃないのかと・・・ちょっと気になる。どうやら記憶は、時間と空間が遠ざかるほど純化されるようだ。

今ではスーパーの商品棚に脱脂粉乳は「スキムミルク」の名で出ているが、あまり日が当たらないようだ。

(付記)
思い出したことがある。小学校の給食棟の脇に、大きな(ガソリン?)ドラム缶サイズの茶色した固い紙筒があって、表に星条旗をアレンジしたデザインとその下に両側から握手する手首の絵が描かれていた。何が入っていたのだろうか・・・小麦粉、それとも脱脂粉乳? ぼくらは、そんな時代に育ったんだよ。

2013年5月19日日曜日

思いつくまま冬虫夏草

テレビ情報番組で、ネパールの農民が山肌に茂る短い草むらの中から冬虫夏草を探し出し、それを仲買人に売って生活費の足しにすることから始まり、最終的に中国で驚くほど高価な食材となるまでをドキュメント風に紹介した。
採集に子供の目力が役立つと、作業を手伝わせる場面があるが、経緯にちょっとした脚色があるのかな。

なぜ虫が草になってしまうのだろうか・・・どちらかといえば、それを知りたかった。菌類が昆虫の体内に侵食(寄生)して宿主を乗っ取ってしまうのだが、そんなことがあるなんて、むかし白戸三平の漫画で知ったときには驚いた。

四方田犬彦は「白土三平の食物誌」の中で、冬虫夏草を題材にしたストーリーを次のように紹介している。
「初期の『甲賀武芸帖』の・・・第二話では、不老長生の妙薬を求める旅に出た少年が、冬虫夏草を発見したものの吹雪に遭難してしまい、みずからが巨大な冬虫夏草の温床と化してしまう。 」

そういえば、落語に「頭山(あたまやま)」があって、サクランボの種を飲み込んだけちん坊が、頭頂に育った桜の木を引き抜いた穴に、最後は身を投じる。人間版の冬虫夏草、いな冬人夏樹とでもいうのか、それにしてもメビウスの輪のように、空間がねじれるという不思議でおかしな展開だ。

ところで、ヘビが自分の尻尾を食べたら最後はどうなるだろう。

2013年5月18日土曜日

シルヴィ・ヴァルタンの「あなたのとりこ」

鉱物仲間といつものように思い出話しになって、イタリア(カンツォーネ)のジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti、1947年12月20日~)と、フランス(フレンチ・ポップ)のシルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan, 1944年8月15日~)のどちら、となれば可愛さは共に比べようもないが、いかにもヨーロッパのパリの香りを運んでくれたシルヴィ・ヴァルタンかな・・・と合点する。

カテゴリーに富んだアメリカン・ポップにどっぷり漬かっていたところに(それしか知らなかったのだが)、突然ヨーロッパから可愛い娘(こ)たちが次々押し寄せてきた。それも、みな明るく元気で極めて健康的、愛くるしさを前面に出した歌手たちだった・・・だから、すぐにラジオに耳を傾けた。

なかでもシルヴィ・ヴァルタンにひき寄せられた・・・流れてくる旋律は、まさにフレンチ・ポップだけれど、それとは別に印象的な彼女の目にとても強い親和を感じた。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

そんなわけで、いかにもフレンチ・ポップの曲「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」(1968年)をYoutube で聴いてみよう。

(Youtubeに登録のintheHailarに感謝)

2013年5月17日金曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

韓国の童謡には、ソウルに出たまま戻らぬ兄を想い探す「兄を思うと(오빠생각)」(作詞チェ・スンエ【当時12歳、1925年11月】、作曲パク・テジュン)があるが、それと対称的にイ・ソンヒの5集(1898年)所収のものに、姉を想う歌「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン)がある。

陽の光の中、風そよぐ中に姉を求める、どこか懐かしい、まるで童謡のように心に残る。Youtubeでイ・ソンヒの美しい歌のままに聴いてみよう。

(本ブログ関連:"童謡")

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2013年5月16日木曜日

(資料)チョー・ヨンピルの音楽著作権 (文化体育観光部の見解)

最近、新アルバム(4/23)がリリースされ、今月5/13までの3週間に15万枚に達したと復活振りが話題になっているチョー・ヨンピルだが、イーデイリースターの記事「チョー・ヨンピル論議の31曲公演・放送著作権料正常分配」(5/2、チョ・ウヨン記者)は、「文化体育観光部(=省)、一部誤解正して」の副題を付して、次のように報じている。

(本ブログ関連:"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①"、"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②")
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・文化体育観光部は、歌手チョー・ヨンピルの歌をめぐる著作権の雑音について一部誤って知らされた事実を正そうと乗り出した。

・文化体育観光部は、最近歌謡界の話題に浮び上がったチョー・ヨンピルの「奪われた著作権」論議と関連して事実関係を明確にしたいと、2日報道資料を配布した。

・先立ってシン・テチョル(=シン・ジュンヒョンの息子)は、自身のフェイスブックに「チョー・ヨンピルが過去所属会社と契約を間違って彼が直接作曲した『窓の外の女』、『赤とんぼ』など31曲の著作権を奪われた」という内容の文を載せたことがある。

・前所属会社のイム某会長がチョー・ヨンピルと契約しながら、「著作権の一部譲渡」契約を(自身に有利なように)そっと組み入れたせいで、チョー・ヨンピルは本人の歌であるのに録音したり公演するとき著作権料を彼に支払わなければならないという主張だった

・これは、各言論媒体(=メディア)で引用されて扱われながら深刻な問題として浮び上がった。ネチズンも批判の声を高めた。あるポータルサイトでは、イム会長の著作権返還を要求する請願運動が進行中でもある。

・だが、文化体育観光部は「複製権および配布権を除いた公演権と伝送権などは、依然としてチョー・ヨンピルにある」と明らかにした。キム・ジヒ著作権産業課事務官は「チョー・ヨンピルが本人の歌を公演するときにも著作権料を支払わなければならないという、一部媒体の記事内容は事実と違う」として「実際のチョー・ヨンピルは、議論になった31曲の公演、放送、伝送などにともなう著作権使用料を正常に分配を受けている」と伝えた。

・ただし、文化体育観光部は「チョー・ヨンピルが作曲した歌中の31曲の複製権および配布権がイム会長に1986年譲渡されたのは事実」としながら、「2000年の著作権譲渡事実確認訴訟の大法院判決でもイム会長側が勝訴した」と確認した。チョー・ヨンピル側は、曲自体の複製・配布権でなくレコードの複製・配布権と聞いて譲渡したと主張したが、これは裁判所で不認定されたという説明だ

・一方、国内の著作財産権の種類は、複製権、公演権、空中送信権(放送権・伝送権・デジタル音声送信権)、展示権、配布権、貸与権、2次的著作物作成権などがある。

・チョー・ヨンピルは、先月の新しいアルバム発売記念ショーケイス(=発表会)現場で該当論議について「当時は著作権という概念がなかった時代であった」としながら「事実、私は今でも(著作権法を)よく分からない。私は音楽だけする人間」と話した。
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(付記)
韓国の「著作権法」の第4節「著作財産権」の第1款「著作財産権の種類」・・・著作者が有する。

第16条(複製権): 著作者(=著作物を創作した者)は、その著作物を複製する権利を有する。
第17条(公演権): 著作者は、その著作物を公演する権利を有する。
第18条(公衆送信権): 著作者は、その著作物を公衆送信する権利を有する。
第19条(展示権): 著作者は、美術著作物等の原作品又はその複製物を展示する権利を有する。
第20条(配布権): 著作者は、著作物の原作品又はその複製物を配布する権利を有する。ただし、著作物の原作品又はその複製物が当該著作財産権者の許諾を得て販売等の方法により取引に供された場合には、この限りでない。〈改正2009・4・22〉
第21条(貸与権): 前条ただし書の規定にかかわらず、著作者は、販売用音盤又は販売用プログラムを営利を目的として貸与する権利を有する。〈改正2009・4・22〉
第22条(二次的著作物の作成権): 著作者は、その著作物を原著作物とする二次的著作物を作成して利用する権利を有する。

2013年5月15日水曜日

(資料)韓国の50代に揃ったベビーブーマーの問題点

今後、老齢期を迎える韓国の50代世代について、文化日報の記事「経済奇跡実現したベビーブーマー(団塊)世代の危機」(5/7、ハン・ギョンヒェ、ソウル大消費者児童学部教授・老年学)は考えられる問題点を次のように報じている。

(本ブログ関連:"(資料)韓国の50代"、"(資料)韓国50代アジュンマ"、"(資料)韓国50代アジョシ")
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・戦争や経済的理由で先延ばしして出産したことで出生率が高まり出生児数が急増する「ベビーブーム」は、韓国だけでなく世界的に観察される現象である。米国は第二次世界大戦が終わった1947年から開始され、韓国は6.25(朝鮮戦争:1950年6月25日~1953年7月27日休戦)直後の1955年から開始され、1963年まで続いた韓国のベビーブーマーは、全人口の14%に達するが、今はみな50代になった

・これらは、韓国社会の主役として経済成長を後押しした世代であり、その過程で達成の経験を味わった世代でもある。これらのベビーブーマーの長兄格である1955年生まれが50代半ばに入った2010年から、これらの退職と老齢期の進入が社会にどのような影響を与えるかについての社会的関心が急増し始めた。

・ソウル大研究チームは、メットライフ財団の支援を受けて2010年に4668人のベビーブーマーを対象に研究を行った。そして昨年、これらの追跡が可能な3275人から現在の生活の質と過去2年間の変化の様相を調査した。研究結果も予想を裏付ける方向だった。一言で言えば、過去2年間の経済・健康・家族関係など様々な側面からベビーブーマーの生活の質は全体的に悪くなったことが分かった。

・老年期に一歩近づいたにもかかわらず、老後のための投資が減り、身体と精神の健康の両方に問題があるハイリスク集団の割合が増えた。経済的条件や健康が悪化している状況で、ベビーブーマーは、「熱心に持ちこたえている」ように見える。実質所得は減少したが、子供の教育費と医療費の支出が増加し、これに対してベビーブーマーは、余暇費を削減し、引退後のために準備した預貯金を解約する方法で対応して持ちこたえていることが分かった。現在の生活の重たさのために、将来に対する準備を放棄する姿だ

特に子供のための支出は、ベビーブーマーの家計と老後の準備に大きな負担として作用している。18歳の成人になると独立する外国とは異なり、韓国のベビーブーマーは子供の高等教育、結婚費用や新居の購入にかなりの費用を支払うことが分かった。青年就業が困難になり、人的資本への投資の必要性が大きくなり、子どもの教育への投資が相当期間続く現実が反映されたのだ。劣悪な労働市場の環境がこれらの問題の源であるが、過度な教育熱や贅沢な婚礼文化などもこのような現象に一助となるという点で、ベビーブーマーの意識変化が要求される。

・経済的な側面に劣らず憂慮すべき結果は、ベビーブーマーの結婚満足度が低く、離婚を真剣に考慮したことがある場合が多いという点である平均25年以上の長い結婚生活を維持しているにも半分に近い割合(47%)が結婚生活に満足できず、3分の1程度が真剣に離婚を考えていることが分かった。中年期は子供がすべて独立して夫婦だけが残される「空の巣期間(empty nest period)」の開始に夫婦関係に大きな変化が起きて適応が要求される時点だ。

引退と身体の老化は、夫婦関係にマイナスの影響を与えやすい。この時、夫婦関係が十分に確立されていなければ、老齢期の生活の質に重大な影響を及ぼすことになる。特に、世帯所得が低い集団では結婚の満足度が低く、離婚を考慮比率が高いことが示された結果は、夫婦間の問題の根底に経済的問題があることを強く示唆している。これらをターゲットとする支援策の用意が必要である。家族の安定性は、適正な生活の質の維持の根幹となる。家族の不安定性の増幅は、社会的コストにつながるという点で、「結婚の質(marital quality)」の問題は、私的・個人的問題ではなく、社会的な問題との認識が必要である。
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(付記)
1964年(陰暦の)11月11日生まれのイ・ソンヒは、韓国では一般的な「数え歳」で50歳であるが、「満年齢」で来年50歳になる。そんな彼女の容貌について、ネットに礼賛が登録されている。「イ・ソンヒの来し方..最高 四次元の壁* の童顔 この顔がリアル50歳? ますます若返りね!」(5/12、ドリームス)に掲載の写真を見てみよう。

(*)四次元の壁: 俗語で「越えられない壁」の意だそうだ。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの童顔の秘訣"、"イ・ソンヒの年齢"、"イ・ソンヒの輝き"、"10歳若く見える"、"イ・ソンヒ インタビュー")

2013年5月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 両親の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/8)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第5回として、母の日と父の日を一緒にした5/8の記念日「両親の日(オボイナル、어버이날)」について紹介された。

まず、親孝行についてカラスの別名の紹介から始まった。
・韓国では(カラスよりも見かけるという)カササギは、幸運を招く吉鳥と好まれ、片やカラスは、鳴き声、真っ黒な姿に良く思う人はいないが、昔の人々はカラスを尊んだ。鳥は親が子に餌を運び、育てるが、カラスは更に成鳥して、老いた親に食べ物を運ぶといい、「反哺(はんぽ)鳥(반포조)」とも呼ばれる。・・・5月8日は、韓国では「両親の日」である。

▼ソン・ムンソンの歌による「お母さん(어머니)」を聴く。今様で・・・らしい民謡の節も入れている。

親孝行を題材にしたパンソリ「沈清歌」を次のように紹介された。
・生後まもなく母と死別した主人公「沈清」は、盲目の父に大切に育てられる。赤貧の中、物乞いして父を養った。16歳のとき、父の目を開かせられる金を受けるため、荒海に人柱となる決意をする。身を投じた彼女は、感動した神により現世に送られ、後に王の后となり、父の目もついに見えるようになる。
・子を思う親の心、親を思う子の心は、誰もが共感できる。「沈清歌」は、演劇に再構成した「唱劇」でも公演され、感動が倍増される。

▼パク・エリの歌と国立唱劇団による「沈清が人柱となるため売られていく題目」を聴く。劇的な響きがして・・・庶民としては素直に聴いてしまう。


・先に逝った子へ親の切ない思いが込められた歌だが、題材は悲しいもののコミカルに描かれる。遅く授かって、この上なく可愛がった娘「ペベンイ」が去ったことに老夫婦は悲しみにくれる。その魂だけでも再び会いたいと全国からムーダン(巫堂、무당)を集めては、霊を呼び寄せる祭祀「クッ(굿)」を行う。
あるとき、村を通りかかった旅人が噂を耳にして悪知恵を働かせる。娘について調べ、偽ムーダンとなって両親を訪ねる。娘の霊が憑依したかのように演じて人々をひやかす。偽物にも関わらず、娘に再び会えたと、両親はこの旅人に全財産を惜しみなく与える。滑稽な展開の中にも、両親の心を感じることができる。

▼イ・ウングァン他による「ペベンイ・クッ」中から、「八道巫堂がクッを行う題目」を聴く。賑やかな調子が伝わる。

2013年5月13日月曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

現在、イ・ソンヒの最新のアルバムは、2009年にリリースした14集「愛よ...(사랑아...)」である。同年以降、2011年の国(韓国)内コンサート・ツアー、2012年のオーディション番組「偉大なる誕生」におけるメンター(審査員であり指導者)を担ったことなどがあるが、今年の大きなイベント予定はまだ発表されていない・・・早く知りたいものだ。

14集所収の「本当に悪い(참 나쁘다)」は、寄せては返す心の波に浮かぶ想いが、次第に沖合いに流されてしまうように、かなわぬもどかしさを歌う。
いろいろな試行がもられた同アルバムの中でこの曲は、いつものイ・ソンヒらしい作品である。



(Youtubeに登録のYuan-Chen Yangに感謝)

2013年5月12日日曜日

子守唄

今日は「母の日」。幼い子どもを育てる母親たちを見ていてつくづくたいしたものだと思う。決論を急ぐ世間にどっぷり身を浸す男たちとは別の世界があって、幼児の発達に付き合っていくには気長でタフでなくては難しい・・・そんな風になれるものを、わが子を身ごもった女性なればこそ持ち合わせることができるのだろう。

平和な世に幸せな家庭なら母親はたくましく優しい。無意識のうちに子どもたちは感じている。やがて子どもたちは気付く、その愛は深く、思い出に果てがないことを。
ところで、アジュンマの言葉に、「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」がある。母親側の絶対の自信の表れである・・・これに勝る言葉はない。

(本ブログ関連:"アジュンマ")

世界のどの子守唄にも共感できる。子守唄は母親が子に与える心のメトロノームだ。落ち着きと安心がある。そして、童謡は子どもの心に形を与える。
イ・ソンヒは数々の童謡を歌っている。その中にちょっと切ないけれど美しい響きのする歌がある。「島の赤んぼう(섬집아기)」だ。母と子の思いが重なって、潮風と波音が聞こえてくるよう。

(本ブログ関連:"童謡")

ところで最近、「ルネッサンス」がブームのようで、雑誌で特集が続き、代表する画家の美術展も開かれている。教科書的にはルネッサンスを、ギリシャ文化を取り入れた復興であるという。確かに、地中海の明るさからそうなのかもしれないが、それが及んだ北方ルネッサンスにはそんな雰囲気はないけれど。
結局、キリスト教の大きな潮流にルネッサンスがあることは確実で、分かりやすさを避けたがるかもしれないけれど、庶民としては聖母子の図像の変化を見るだけで十分楽しいものだ。

(Youtubeに登録の성배 길に感謝)

2013年5月11日土曜日

小学校

先日、イ・ソンヒが通った小学校(初等学校)の創立70周年記念行事があって、彼女が出席したそうだ。小学校は、いろいろな思い出の宝庫だ。けれど本人が気付かないものもある。

むかし仕事で、或る小学校の先生に原稿をいただきに学校まで行ったことがある。受付の指示に従って、担任をされている1年生の教室に向かったとき、なんとも可愛らしい幼児の臭いがしてきた・・・そう、いわゆる小便臭いというやつだ。いずれ、自分たちがそんな臭いをしていたなんて知らぬまま大きくなるのだろうし、そうだった。

近所に小学校があるが、最近は子どもたちの遊ぶ様を覗くこともはばかれる時代になったので、気軽に見て楽しむのが難しい。それでも、下校時にランドセルをゆらゆら揺らして、行ったりきたりしながら連れ歩いている集団を見ると・・・ついつい、むかしを思い出してしまう。

ところで、イ・ソンヒが卒業した上記ソウルの小学校については分かったが、最初に入学した小学校については情報が足りない。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒが通った小学校"、"イ・ソンヒの小学生時代"、"イ・ソンヒと家族")

2013年5月10日金曜日

片道切符

ちょいと遠出に利用するJRの運賃精算はカードSuicaを使う。自動改札機にこのSuicaをかざせばスッと通り抜けられて便利だ。ただ当たり前になってしまって・・・。

昔の切符は、駅窓口で係員に行く先を告げて運賃を支払って厚紙の切符をもらい、改札口の駅員にパンチしてもらった。やがてボタン式の自動販売機にかわり、Suicaカード利用になった。
最近は、携帯やスマートフォンでも決済できるそうだが・・・。

今や現金精算もなければ切符も存在しない、全て電子に頼っている。でも長距離列車となれば、切符もあって、旅らしい雰囲気がまだ残っている。社用でなければ更によい。片道切符で、どきどきするような旅をしてみたい・・・。

片道切符というわけで、ニール・セダカ(Neil Sedaka)の「恋の片道切符(One way ticket (to the blues))」(1959年)でも聞いてみようかな。これって、昔の「悲しき~」シリーズのように、ダメな坊やの失恋ソングっていうわけで、おまけにWikipediaによれば、成立の経緯から日本だけヒットしたそうだ・・・、そんなわけで英語版Wikipediaでは冷遇されている。
子どものころ、この曲はまさにアメリカン・ポップそのものだったのに・・・。

(Youtubeに登録のMilos1430に感謝)

2013年5月9日木曜日

図書館

むかし頭が冴えていた頃は、勉強の始めが何となくボーっとしていても、あら不思議すぐに頭がスキッとしてきてエンジン全開とになり、苦もなくスイスイ勉学が進んだものだ。

それがどうしたことか、歳をとるとエンジンのかかりが鈍くなる。そんなとき、近所の図書館の学習室に寄って、若い人たちと肩を並べて調べ物でもすると良い具合にはかどる。頭がちょいと若返った気がして、ときには図書館の学習室も良いものだ。

ところで、市民サークルの家族連れが集まっているようで、賑やかな声がする。幼い子どもの声も混じって楽しい雰囲気がしていた・・・そんなとき、幼児の泣き声が廊下から伝わってきた。
どうしたものかと、廊下をたどっていくとどうやら小さな男の子が締め出されたらしく、ドアの前で泣いていたのだ。どうしたのと頭をなでながら、ドアを開けると母親がいて(つまりドア越しにわが子に注意を向けていたのでしょう)、「部屋の中にいると泣いて、外がいいというもので・・・」という。

坊やは、部屋の中はイヤ・・・でも廊下はもっとイヤだったのだろう。それで、肩を押しながら部屋の中に入ってもらったというわけ。その後、泣き声は聞こえてこなかった・・・坊やもおじさんの出現にちょいと驚いて、お母さんのそばにいる安心の方を選んだのだろう。
図書館は楽しい場所でもあるね。

2013年5月8日水曜日

イ・ソンヒが通った小学校

アジア・トゥデイの記事「ソウル梨泰院小、開校70周年記念式 開催」(4/30、キム・ソンミ記者)は、4月30日に行なわれた梨泰院小学校(初等学校)の開校70周年記念式典にイ・ソンヒが出席したと次のように報じている。(抜粋)

・【写真】 30日、ソウル梨泰院小開校70周年記念式典開催し、ユ校長歌手イ・ソンヒさんお祝いのケーキ​​を切っている。
・(ソウル龍山区の地下鉄6号線「緑莎坪駅(ノクサピョン)」北東にある)梨泰院初等学校は、1943年(5月1日)に開校し、歌手イ・ソンヒさん*など卒業生2万459人を輩出した。

(*)イ・ソンヒは、梨泰院初等学校34回卒業生である。(leesunhee_com

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの小学生時代"、"イ・ソンヒと家族")

2013年5月7日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 宗廟

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/1)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第4回として、祖先祭祀場である「宗廟(そうびょう、종묘)」について紹介された。

朝鮮王朝の宗廟祭礼を次のような紹介があった。
・518年間続いた朝鮮王朝(1392年~1910年)の歴代の王を讃える宗廟祭礼が、毎年5月の第一日曜日、ソウル鐘路にある宗廟でとり行われる。

▼バイナログ(Vinalog)演奏による「Land of Morning Calm」を聴く。今様で・・・以前聴いたような。

・「Land of morning calm」は、朝鮮を指す言葉として漢字の「朝」と、鮮やかの「鮮」の字を翻訳したものである。
・ソウルにある宗廟の中で最も重要な建物は、歴代の王と王妃の位牌が祀られる霊廟だ。王の位牌を祀るたび霊廟を増築した109mの木造建築物で、ユネスコ世界遺産に登録されている。
・宗廟で祭礼儀式が毎年行なわれ、儀式と儀式の際に音楽と舞が演じられる。音楽は主に、王の学問の徳を讃える「保太平(ポテピョン、보태평)」と、軍事上の功績を讃える「定大業(チョンデオプ、정대업)」の二つがある。それぞれ11曲からなり、各曲には歌と舞がつく。舞は、8人一列で八列作って踊るため「八佾舞(パイルム、팔일무)」と呼ばれる。

▼国立国楽院の演奏による、「保太平」の中から「熙文(ヒムン、희문)」、「基命(キミョン、기명)」、「帰仁(クィイン、귀인)」を聴く。古式ゆかしく・・・雅楽に似た響きがする。

・朝鮮王朝初期、祭礼に中国音楽を演奏していたが、570年ほど前の世宗大王(1397年~1450年)の世に独自の宗廟祭礼楽が作られたという。

▼国立国楽院の演奏による、「定大業」の中から「昭武(ソム、소무)」、「篤慶(ドッキョン、독경)」、「濯征(タクチョン、탁정)」を聴く。太鼓に始まり行進につながる管の音へと・・・でもゆるりと。

2013年5月6日月曜日

なぜ?

受験生向けの記憶力に関するNHK-Eのテレビ番組で、<3文字を暗記する>というコーナーを見ていて、直接関係ないが、数字の3からふと気になったことがある。

2桁以上の3の倍数について、(桁数を気にせず)各位の値を足すと、3の倍数になるということだ。その理由について、ネット上の"QA欄"などに解説が載っているポピュラーな話題だけど。

3×1=3     ・・・    3
3×2=6     ・・・    6
3×3=9     ・・・    9
3×4=12   ・・・    1+2=3
3×5=15   ・・・    1+5=6
3×6=18   ・・・    1+8=9
3×7=21   ・・・    1+2=3
3×8=24   ・・・    2+4=6
3×9=27   ・・・    2+7=9
   ・・・       ・・・     ・・・
3×999=2997 ・・・  2+9+9+7=27

2013年5月5日日曜日

イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」

リンゴは甘くて酸っぱいのがよい。その方が、本当のリンゴの味がする。子どもの頃のリンゴはみんなそうだった。熱を出すと、リンゴをすってガーゼで濾してもらい、ジュースにしたものを飲んだ。それは随分と甘くなっていた。いろいろな記憶につながるからか、余計にそう確信する。

ところで古い時代のリンゴの木の下には、(作家たちが描く)いろいろな・・・初恋もあれば、傲慢な愛もあったけれど、今は違う。イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)には、5月のリンゴの花散るころになれば、木の下に立って笑うことができるかもしれない、そんな主人公の姿が見えてくる。

(本ブログ関連:"四春期"、"「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ"、"イ・ソンヒへの称賛"、"(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ"、"写真家から見たイ・ソンヒ")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年5月4日土曜日

稲穂神社

ゴールデンウィーク後半の今日、小金井公園を起点にしたウォーキングに参加する。例年のイベント(「ウォーキングフェスタ東京」)で、いくつかのコースから選択するのだが、年毎にだんだん歩く距離の短いものになる。暖かい陽射しを受けてゆるり、のんびり、散策を楽しんだ。

5kmのコースの途中、「(山王)稲穂神社」があって、その縁起が次のように紹介されている。
「江戸城の守護神として三百年あまり天下安泰の江戸麹町(東京 赤坂:日枝神社)山王宮より承応3年(1654)下小金井の新田開発のため、御分霊を祭る。/御神祭の大山咋神(おおやまくいのかみ)は開拓の神として古来より新天地への社業繁栄、家運隆昌の御神徳あり。/また山王の紳使(御神猿)は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、 厄除、魔除の信仰を受け、犬と共に分娩の軽き安産の神とし信仰されている。 /境内に疱瘡神社、稲荷神社があり、病気平癒、縁結び、商売繁盛の御神徳。 」(宮司:渡邊陽正)

祭神は大山咋神で、江戸徳川家の氏神であり、比叡山延暦寺、そして中国の天台山の鎮守につながるという。まあ、そんな公的なものとは違って、ちゃんと庶民のための祈り場所もある。
それは本殿脇に設けられた小さな社の「疱瘡神社」と「稲荷神社」だ。疱瘡神社は、悪病の疱瘡に対する恐れから神頼みになったのだろう。興味深いのは、猿や犬とは関係のない稲荷神社だ。稲穂神社の名にある<稲穂>と縁のある<狐>から稲荷神社へ続くのは決して突飛ではないだろう。
江戸期の町に稲荷神社が次々置かれたそうなので、そんな風潮の中、この神社にも稲荷神社が置かれたのかもしれないが。

そんなわけで、ウォーキングに参加した幼子と一緒の家族連れがお参りしているのを見ながら、ゴールへむけてのんびり歩を進めた。

2013年5月3日金曜日

積ん読

音楽のオーディション番組で、歌手志望者が歌詞カードを手元にして歌ったところ、審査員が歌詞を暗記していないのは論外と厳しく叱責していた。コンサートで歌手が自分の持ち歌を多数諳んじて歌っているのに感心するが、プロとして当たり前のことなのだろう。

天才的な作曲家が幼い頃、一度聴いた合奏曲をスコアに記譜してピアノで演奏して見せたという逸話がある。そんな大それたことでなくてもよいが、外国語を一度聴けば記憶に残せる人がいたらうらやましい・・・まだ、そんな才人に会ったことはないけれど。

文字よりも、言霊に信が置かれていた時代には、一度聴けば記憶に残せる人がいたに違いない。今は、伝承が書物に置き換わってしまったので、そのような才人を表で見ることはない。
文字と書物と印刷術のおかげで、誰れでも平等に知識を得られるようになった・・・少なくとも視るレベルまでは。ただし、脳のなかで理解し記憶(定着)するという作業は、残念ながらどんなに技術が進歩しても平等ではない。

今は、誰れでも書籍を手に入れることができる時代だ。それで書籍を購入して身近に置くとなんとなく安心する・・・そんな経験が、資料をコピーしたりしたときにもある。
本は腐らない。次第に<積ん読>状態になってきて手に負えなくなる。
「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬわかりゃせぬ。」(「阿呆船(Das Narrenschiff )」、S.ブラント(Sebastian Brant)、訳:尾崎盛景)

2013年5月2日木曜日

イ・ソンヒの「5月の陽射し」

名実ともに風薫る5月、陽射しは明るく、風は心地よい。ほっとする新緑の時期になった。
5月といえば子どもの頃に、祝日の「子どもの日」に家族と郊外に出ておにぎりを食べたりしたこと、自宅の庭の小さな畑に作られたイチゴを遊びながら食べたこと・・・どれも食物に通じてしまうが忘れられない幸せな思い出だ。

イ・ソンヒの歌に、5月の風と陽射しに去来する想いを歌う、5集所収の「5月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ、イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。彼女が歴史に接点を持ったとされる作品である。

(本ブログ関連:"5集")



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2013年5月1日水曜日

(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②

著作権問題をチョー・ヨンピルを事例に、デジタルデイリーがつづいて記事「【ICT法を正しく知る】 歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②」(4/29、キム·ギョンファン弁護士)を掲載しているので見てみよう。感謝。

チョー・ヨンピルがアーティストとしてまた脚光浴びれば、著作権問題はこじれて難しくなるというジレンマが発生しそう・・・。

(本ブログ関連:"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①")
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1986年12月31日締結された(印税制を主な内容とする)契約は色々な内容が含まれているが、チョー・ヨンピル側と地球レコードの間の争いの核心であり、10年後の1997年にあった訴訟上の争点になったのは、「チョー・ヨンピルが直接作曲した31曲の複製・配布権の譲渡」だ

・おりしも同日である1986年12月31日、1957年に19世紀末日本の明治時代著作権法を書き写して制定されて以来30年間ただ一度も改正されなかった既存の著作権法が、ベルン条約の影響で新しく改正され、翌年である1987年7月1日施行を控えていた
1957年度の法では著作物に対する複製権・配布権の概念が定立がされず、単に著作物を「複製」して発売、または「配布」という行為をすることができる権利としての「発行権」という内容に含まれていた。このように、当時の法に内包はされているが明示にならなかった著作物に対する複製権・配布権が、チョー・ヨンピルと地球レコードの間の契約書に明記されたのだ。
・一方、1987年の法では複製権・配布権の概念を明らかに定義している。すなわち複製に対しては「印刷・写真・複写・録音・録画その他の方法によって類型物で再び制作すること」と、また、配布に対しては「著作物の原作品または、その複製物を一般公衆に代価を受けたり、受けなくて、譲渡または貸与すること」と独自に規定していた。

・この二種類の法を比較してみると、作詞者・作曲家の権利は比較的変わらなかったが、レコード制作者の権利には多少差があって、すなわち1957年の法では2次的著作者としてレコードの複製・配布権が認められた反面、1987年の法では著作隣接権者の権利としてレコードの複製・配布権が認められた。
・「複製・配布権」ということは、この懸案で二種類で使われることができる。歌(音楽著作物)の複製・配布権と、レコードの複製・配布権がそれだ。電子である歌の複製・配布権は、歌の著作権者、すなわち作詞家・作曲家が持つことで、後者であるレコードの複製・配布権はレコードの権利者、すなわちレコード制作者(著作隣接権者)が持つことだ。ただしレコードの複製・配布権は、必ず歌の著作権者の許諾を受けなければならないという点で限界を有している。

・チョー・ヨンピルと地球レコードの間の紛争で、1986年12月31日の契約が締結される以前には、チョー・ヨンピルが作曲した31曲の著作権は、各歌の作詞者とともに作曲家であるチョー・ヨンピルに帰属するということなので、31曲の複製・配布権は作曲家チョー・ヨンピルが各歌の作詞者とともに持っていた。反面レコードの複製・配布権はチョー・ヨンピルの許諾下に地球レコード社が持っていた。
・だが、1986年12月31日契約が締結された以後には、契約が有効ならば、地球レコード社は31曲自らの複製・配布権を譲り受けたので、歌自らの複製・配布権を持つことになる。

・上の1986年12月31日契約に対して、最近チョー・ヨンピルの所属会社YPCプロダクションはこの契約に対して訴訟が始まった理由を説明しながら「契約当時、『複製・配布権』を渡す行為を録音されたレコードの『版権』を渡すと理解したところで、歌の著作権利まで与えることとは考えることができなかった」と解明している。
・チョー・ヨンピル所属会社YPCプロダクションがいう「版権」という単語は、法的用語ではないが広く使われる用語として一意的に定義することは難しい。ときには著作権という意でも使われたり、ときには出版権という意で使われたりもする。

・色々な状況を推察してみると、チョー・ヨンピル側は「契約締結当時『歌』の複製・配布権を与えると理解しないで、『レコード』の複製・配布権を渡すと理解した」というものと解釈されるところ、チョー・ヨンピル側の「版権」の意味は「レコードの複製・配布権」を意味すると判断される。

・チョー・ヨンピル側の主張の通りすれば、歌の複製・配布権はチョー・ヨンピルが持つことで、レコードの複製・配布権を地球レコードが持つものになる。反対に、地球レコード社の主張の通りすれば、レコードだけでなく歌の複製・配布権も全部地球レコード社が持つものである

・ちなみに、歌に対する権利者は、3つの部分すなわち、①作詞者・作曲者、②演奏者・歌手などの実演者、③レコード制作者に分けられて各協会が組織されていて、現在の基準で見れば、600ウォンのダウンロード音源の一曲に対して、
=その中の40%(240ウォン)を、流通業社が持っていき、
=残りの60%(360ウォン)を、歌に対する権利者すなわち、①作詞者・作曲者:10%(60ウォン)、②演奏者・歌手などの実演者:6%(36ウォン)、③レコード制作者:44%(264ウォン)が分けて持っていくことになる。

・チョー・ヨンピルの主張の通りすれば、現在の基準で600ウォン中、チョー・ヨンピル側は96ウォン(①+②)、地球レコード社は264ウォン(③)を持っていき、地球レコード社の主張の通りすれば、600ウォン中のチョー・ヨンピル側は36ウォン(②)、地球レコード社は324ウォン(①+③)を持っていくことになる。

・契約締結以後、地球レコード社はチョー・ヨンピルから譲り受けた31曲の複製・配布権を根拠に、チョー・ヨンピルの許諾を受ける必要なく、ベストアルバム、オムニバスアルバム、ヒット曲コレクションアルバムなど色々なアルバムを出盤(レコーディング)して、チョー・ヨンピルの熱心なファンの多くの反発をかったりした。

・チョー・ヨンピル側と地球レコードの間に譲渡契約が締結された時から10年が過ぎた1997年1月頃、地球レコードのイム社長は、チョー・ヨンピルを相手に31曲の著作権(複製・配布権)を譲り受けたことの確認を求める内容の著作権譲渡の事実確認など請求訴訟を、ソウル地方裁判所の第12民事部に提起するに至る。(被告には韓国音楽著作権協会も含まれているがこの部分は除く)

言論(メディア)では、チョー・ヨンピルが先に訴訟を提起したことになっているが、実際には地球レコードのイム社長側が先に訴訟を提起した。地球レコードのイム社長側は、チョー・ヨンピルが自身に譲渡した31曲に対する著作権料を受けられなかったという理由で、チョー・ヨンピルを相手にこのような訴訟を提起したのだ。

この事件の争点は、チョー・ヨンピルとイム社長の間に締結された譲渡契約が、チョー・ヨンピル又はその代理人マネジャーのユ某氏の窮迫、軽率、無経験によるもので不公正な法律行為(民法第104条)に該当して無効なのかどうかであり、このような主張はチョー・ヨンピル側が出したことだった。

だが、裁判所はチョー・ヨンピル側の主張を受け入れなかった。訴訟は契約書内容がそのまま受け入れられて、地球レコードのイム社長に31曲に対する複製・配布権があるという内容で、チョー・ヨンピルの敗訴で終わった(事件番号:ソウル地方裁判所第12民事部1998.10.16.宣告97가합178判決)。
・特に第1審判決文によれば、チョー・ヨンピルのマネジャーのユ某氏が譲渡契約を締結したし、以後1987年8月頃チョー・ヨンピルの印鑑証明を添付して地球レコードのイム社長と共同で文化観光部長官(当時は文化公報部長官)に、31曲の歌に関する著作財産権のうち、複製、配布権の譲渡の登録を申請して(同月20)、その譲渡登録手続きを経了(경료:終了)されている、このような事実を推察してみると、普段の他の事案でも裁判所がよく受け入れていない民法第104条の不公正な法律行為抗弁を、この事案だけに特に受け入れてもらうのは難しかったものと見られる。

第1審判決に対して、チョー・ヨンピル側は控訴したが、控訴審やはり敗訴することになる(ソウル高等法院1999.11.30.宣告98나61038判決)。控訴審で、チョー・ヨンピル側は民法第104条の不公正な法律行為として無効の主張の他に、民法第103条の善良な風俗その他社会秩序違反として無効の主張、民法第109条の錯誤による意志表示として取り消しの主張までしたが、裁判所は全部受け入れなかった。

・この訴訟は、再びチョー・ヨンピル側の上告で大法院(=最高裁判所)まで上がる。だが、大法院もやはりチョー・ヨンピルの上告を棄却して原審内容の通り確定した(大法院2000.4.21.宣告99다72989判決、著作権譲渡事実確認など)。
・大法院は、「抗訴法院は、この事件譲渡行為は不公正な法律行為または、善良な風俗その他社会秩序に違反して無効や錯誤による意志表示に該当してこれを取り消すという被告チョー・ヨンピルの抗弁を、判示のような理由で全部排斥したところ、これを記録と対照して調べれば、抗訴法院の上のような事実認定と判断は正しい」と判示した。
・一緒に「控訴審の判断にはこの事件契約の目的物が、楽曲自体でなくそれが録音された録音物(または、録音フィルム)として原告にその録音物に対する排他的使用権が移転されただけという被告チョー・ヨンピルの主張を排斥した趣旨が含まれているということが明らかなので、そこに上告理由の主張と同じ著作権契約の解釈に関する法理誤解や審理未尽または、判断遺脱の違法があるということはできない」と判示した。

・整理すれば、この事件の譲渡契約はレコードに対する複製・配布権の譲渡契約でなく、歌に対する複製・配布権の譲渡契約と解釈する他はなくて、この事件の譲渡契約に無効理由や取り消し理由が存在しなくて有効であるということだ

・チョー・ヨンピル側は大法院まで行って敗訴したこの判決は確定してこれ以上争うことはできない状態になったところ、判決の効力中、既判力()のためにチョー・ヨンピル側がたとえ訴訟を提起しても判決内容が変わらない。したがって、法的な解決方案はないと見ても差し支えない状況だ。

・ただし、双方合意としてチョー・ヨンピルが自身の曲を取り戻しに来る方法は残っている。地球レコードのイム某社長は、2006年に死亡したが、イム某社長の相続人が、現時点で、チョー・ヨンピルの31曲に対してチョー・ヨンピルに自発的に戻す方法がそれだ。

・もちろん無条件無料で戻すことが正しいといった意味ではない。契約当時とその後の具体的な金銭関係は、当事者他には誰も分からない部分なので、当事者が直接心を開いて虚心坦壊な対話をすることによって私たちの時代最高の歌王と一時代の最高のレコード制作者が心より和解して大衆音楽産業の発展に共に寄与するように祈るところだ。
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