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2019年10月31日木曜日

ハロウィンの街めぐり、NTT技術史料館

NTT技術史料館
5年ほど前に訪れたことのある「NTT技術史料館」*へ出かけた。「西南の役」(明治10年:1877年)に使用された東京-熊本間の電信(モールス信号による通信技術)について、素人レベルながら教えてもらいたく願ったからだ。今回、デジタル交換機の初期開発にたずさわった方に館内を廻りながら説明いただき恐縮した。
(*)史料館: http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/

(本ブログ関連:”NTT技術史料館”)

電信機の発明者「モールス」(1791年~1872年)の電信機(模型)で、アルファベット別文字板(谷形に切り込みが入ったもの)があって、それで文章を組み立て、連続した文字板の凸凹を電気信号に変えて送信し、受信側は電圧の変化をもとに電磁石によってペン先を上下させて電信記号を表記するといった仕組みを知った。文字単位に板を設けるという発想が面白い。(電鍵は後で考えられたようだ)

「ペリー」が2度目の来航時(嘉永七年:1854年)に土産として献上された電信機は、「送信側の電信機上の電鍵でモールス符号を打つと、受信側の電信機の紙テープにエンボス(凹凸の傷がつく)されて、信号を送ることができ」る**というものだったそうだ。昔のコンピュータの「紙テープ」を思い出す。
(**)郵政博物館: https://www.postalmuseum.jp/column/collection/post_7.html

なお、当時の電池についてどんなものか知りたかったが、資料が不明なため、(また、遠距離の伝送路途中で増幅といったことがされたのかについても同様)別の機会に譲りたい。

西南の役以前、すでに国内の電信伝送路は相当発展していて、「錦絵」で知るようなやっとこどっこいの江戸情緒が残った風情ではなく、(輸入品に頼ったろうけれど)通信技術は相当充実したものだったようだ。何しろ普段目にする電柱を「電信柱」と今も呼んでいるくらい当り前なのだから。(西南の役当時の伝送路には、鉄線が使われていたという)

(参考)年表***
・1869年:東京~横浜間で電信(公衆電報)業務開始
・1871年:東京~京都間に電信ケーブルが引かれる
・1872年:京都~大阪間が開通
・1873年:神戸~長崎間が開通(東京~長崎の全線が結ばれる)
(***1)「北九州イノベーションギャラリー」: http://kigs.jp/db/history.php?nid=2462&PHPSESSID=8ab6d96e143c47cdec3a2f9f7
(***2)ITUジャーナル(Vol. 46 No. 7、2016.7): https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_07-07-spotMakuake1.pdf


ハロウィン
町をめぐると、小さな男の子とすれ違った。なにやら背に黒い羽が生えている。ハロウィンにふさわしく蝙蝠の翼のようだ。後ろのお母さんを確かめながら、坊やは飛ぶように走り抜けていった。

鉄道模型風にアレンジした遊び場があって、幼児たちを連れた家族が集まる。きょうは、魔法の棒を持ってきれいに着飾ったお姫さまたちが、小さな箱のような遊具の中で語り合っているのが見えた。そこはきっと童話にある夢の国なんだろう・・・ママチャリのお母さんたちに見守られながら。

2019年10月30日水曜日

シロヨメナ

きのう(10/29)は寒かった。今月に入って、東京都心の日ごとの最高気温で一番低かったのではないかと思ったが、実は10/25と同じ 16.3℃ だったのだ。ならば、翌日との気温差はきょうの方が大きいのではと思ってみれば逆だった。
・10/25: 最高気温 16.3℃  ⇒  翌日10/26: 最高気温 24.5℃(気温差 8.2℃)
・10/29: 最高気温 16.3℃  ⇒  翌日10/30: 最高気温 22.7℃(気温差 6.4℃)

陽射しは結構きつくて(きょうの方が暖かいと思うことにして)、久し振りに自然観察園へ出かけた。観察園の脇に沿った小川は、きのうの雨で水かさを増し、流れも今まで見たことのないほど速く感じた。そこへ崖線からの湧水が激しく噴出して小川に注ぎ込んでいた。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

観察園の中心部分は湿地があって板橋が巡っている。普段、乾燥した地面に、湿った柔らかさを想像するだけだったが、今回は辺りがすっかり水没して、その澄んだ水の下に野草が見えるといった幻想的な光景になっていた。(それを写真に上手くおさめられないのが残念)

ところで、今日観察した野草はキク科の花ばかり。どれも姿が似て見れば見るほど混乱してくる。じっと目を近づけて見比べるばかり。写真は「シロヨメナ」で、観察園の入り口に置かれたリーフレット(地図と名前を記す)で見当をつけたのだが、手元の初心者用<野草図鑑>には載ってない。ネットを参照して確認することになる*。中心の管状花が膨らんでいるのが特徴的。とはいえ、白く小さく咲く様は地味である。
(*)自然観察センターで配布の色刷りリーフレット「公園で見られる野菊」がある。

シロヨメナ
他にもキク科の仲間がいて、観察園の随所に目立つのが「ユウガギク」だろう。花は白色から薄青紫色まで、群がったり、ぽつんと咲いている。薄青紫色に小さく咲くのを見ると気が引かれるものだ。また、もう少し紫色を強調した「コンギク」がある。こちらは少々主張が強いよう。一輪でも美しさを見せる、そんな花・・・あくまで感想だが。

野草の花は見るほどに美しい、もっと知りたいと、なぜかこの歳になって気付いた。

2019年10月29日火曜日

The Rain Song

雨は詩情をかき立てるようで、Googleで「The Rain Song」の言葉を検索すると、洋の東西を問わずいろいろな曲が見つかる。雨は歌の情景であったり、追憶の装置であったり・・・。

ただ、このところの雨には、台風がらみでいい思いがしない。今日も一日雨が降りつづき、冷えびえとしてストーブをつければ暖まり過ぎるしで気は冴えない。

気分転換にいい曲はないものか。以前チーズケーキ作りにチャレンジして失敗し、落ち込んでいたときに聴いたことがある、レトロソウルのバンド “The Olympians“ が演奏する「The Rain Song」に出会った。止まぬ雨の街に似合いそう。

(本ブログ関連:”The Olympians”)

Youtubeの解説によれば、どうやら初版は2010年とのこと。そのときの録音装置Tascam 388は、ネットに当時でも骨董品扱いだったよう・・・レトロに徹した音作りだったのだろうか。


(Youtubeに登録のAndrew MusicOdysseyに感謝)

2019年10月28日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-4

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通う。今日で4回目になる。私にとって少々長旅?で、ようやく体が慣れてきた感じがする。帰りの電車で転寝したことはいうまでもない・・・いい按配で心地よい。頭だけでなく、体も解きほぐしてくれる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回は、内容がヘビーさを増す中で、相当に厳しいテーマ <ホロコースト> について、学習院女子大学教授の武井彩佳氏から「ナチスの時代のユダヤ人」の講演があった。サブタイトルは「ホロコーストの展開と現在に残る『爪痕』」だった。
武井氏の専門分野は、<戦後のホロコーストの補償としての財産問題> とのこと。実は、来週も担当され、次回のテーマ(「ナチスの時代のユダヤ人」について」)にもつながる。

講演で個人的に関心のあったところに絞って記す。

言葉としての「ホロコースト
・ギリシャ語を語源として、ユダヤ教の「燔祭(はんさい)」(宗教的捧げ物する)の意
・ナチスによる虐殺についてフランス語の「ショアー」が使われる
・イディッシュ語で「フルブン(khurbn‎、חורבן)」

ユダヤ人の犠牲について
・ナチスの人種的優位性の理解: アーリア人 > スラブ人 > ユダヤ人
・東欧:ドイツ軍侵攻とともに殺戮が開始される(ポーランド、リトアニア、ウクライナなどで)
   西欧:ドイツ支配下(民政移行=対独強力)の国(ユダヤ人が少数)では、比較的に緩やかに進行
・ドイツ国内:ドイツ在住のユダヤ人は金があって脱出可能だった
   - 戦前在住 56万人 ⇒ 30万人が移民(逃避)、死亡14万人
   - 戦後在住 3.7万人 ⇒ 戦後も移民が止まなかった

ホロコーストの構造
・加害者: ドイツ、オーストリアの20万人
・傍観者(対独協力者): ポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、その他(ユダヤ人不在により利益を得た者)
・犠牲者: ユダヤ人の600万人

ホロコーストの実行
・ヒトラーから直接命令の資料はないが、1941年夏ころ口頭指示があったといわれる
行動部隊: 1941年設立、親衛隊(SS)+ 通常(普通)の警察官

強制収容所
ラインハルト計画: ユダヤ人絶滅だけを目的にした絶滅収容所、トレブリンカなど
・強制労働+絶滅: アウシュビッツなど

戦後の東欧の収容所跡地の扱い
・共産党政権下: ユダヤ人を捨象して、収容民を被害者大衆として扱ったが
   自由主義化後: ユダヤ人に注視した再定義が行なわれている
・研究手法: ホロコーストの分析だけでなく、<法>考古学的な発掘調査


(感想)
なにより、ドイツ在住のユダヤ人の行動に注目した。
・ドイツを脱出したユダヤ人はどこへ行ったのだろう? アメリカではなかったのか?
   - 情勢の変化を事前にどのように察知(階層ごと情報収集)したのだろう?
・他方で、多数の犠牲者を占めた東欧のユダヤ人こそ、ユダヤ社会から置き去りにされた人びとだったのではないか?

2019年10月27日日曜日

ハロウィン、ハロウィーン

今月末に催す外来の<奇祭>が近づいた。呼び方に2通りあって、「ハロウィン」、「ハロウィーン」がある。いずれが普及しているかよく分からないが、去年の同じころに本ブログ(2018年10月27日)に次のように記した。
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「ハロウィン」を「ハロウィーン」と呼ぶのが正しいと、若者がテレビで主張していた。テレビは、若者主導のイベントに追従しやすく、今後「ハロウィーン」と呼ぶようになるかもしれない。私にすれば、「ハロウィン」で押し通すつもりだけど。
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(本ブログ関連:”ハロウィン ”)

モードは、特に若い女性にとって、フォーマルから外れる<新規>で<異質>なものほど関心が高い。だから彼女らが奇祭に引かれる余地は十分ある。ハロウィンもひとつの外来の風習であり、定着するのに時間がかかるはず。それをすっ飛ばしたようにいま現在、随所に行き渡っている。

<新規>で<異質>なものを取り込むのは、生物的な場合、(すっかり政治の手垢がついてしまったが)「多様性」につながり、種の安定のもとになる・・・そうやって進化してきたのだから。その意味で、奇祭ハロウィンが広がるのもわかる気がする。ただし商業ベースでせわしく、ファッションに興じる若者たちを見ていると、大事に熟成させたらどうだかと気遣うばかり。若さもライフサイクルの円環の一部でしかないので、気がせくのだろう、分からぬ訳ではない。

欧米のハロウィンは、子どもたちのための、ドキドキしてゾクゾクする行事に落ち着いたよう。若者もそろそろ、ハロウィンを子どもたちへ譲り渡してみてはどうだろうという気がする。

(ティム・バートンの「The Nightmare Before Christmas」から、マリリン・マンソンの「This Is Halloween」に合わせて再編集したもの)

(Youtubeに登録のpoisonpixに感謝)

2019年10月26日土曜日

俳句知らず

俳句知らずが句会について語る言葉などあるはずないけれど、古い新書の「俳句という遊び - 句会の空間」(小林恭二、岩波新書)に、句会の様子がドキュメント風に紹介されている。
第一日の句会の選評に、参加者の誰がどう発言したのか直接触れず、著者の感想なのかどうかもはっきりしない風に語られている。けっこう辛らつで、それもご愛嬌。
(途中に参加者の作品紹介、また第二日の句会選評では参加者間によるコメントがある)

参加者互選で最高点句から得点順に選ばれるのだが、面白いことに「逆選」というものがあって、マイナス点が与えられるという。選に漏れたら当然0点だが、プラス得点とマイナス点で相殺して0点ということもある。
この「逆選」という仕組み、いろいろな場面で使い道があるのではと思う。

実際の句会に参加した経験などないので、テレビ番組で見るかぎり、NHKの俳句番組「NHK俳句」の場合、選者を中心にきわめて予定調和的に互いをたてあう。司会者の存在を含めて、いい意味で俳句を身近に感じさせてくれる。

それに対して、MBSの「プレバト!!」は見て楽しく、聞い役立つ <言葉の配置の妙> を教えてくれる。選者の解説(評や添削)に、俳句知らずは納得するばかり・・・問題は、その指摘を我が身にしみこむ(受容する)力が乏しいことか。

2019年10月25日金曜日

悲しき雨音

雨降る夜にラジオから流れる定番曲といえば、ザ・カスケーズ(The Cascades)の「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1962年11月発売)だった。まさにアメリカンポップス全盛のころ。<悲しき~>シリーズの先駆けだったような気がする。

(本ブログ関連:”悲しき雨音”)

今日一日中雨の、とりわけ止まぬ夜にはうってつけの曲だ。若いころは心にもっと沁みたろうけれど、今は懐かしいかぎり。

それにしても、(温帯というより亜熱帯といわれる)低気圧と台風21号の二段構えによる豪雨が、台風15・19号の被災地に追い討ちをかけている。いささか、うんざりするというか恨めしい。

昼前、そんな土砂降りの中、歯科へ通院した。いつもは使わない大型の傘を開き、衝立のようにして吹きつける雨を遮蔽した。そして、こんな雨の日だったから・・・なのか、歯を1本抜歯してしまったのだ。もう戻ってはこない。

(登録者の訳詞付きに感謝)

(Youtubeに登録のhitou daisukiに感謝)

2019年10月24日木曜日

霜降 2019、霜と晩秋

きょうは二十四節気の「霜降(そうこう)」。<霜の降り始めるころ> に当るが、今月(10月)に入って昨日までの東京都心の最低気温は、昨日の 12.4℃ だった。まだ霜を見るころではないようだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

そこで「霜降」を「歳時記」*に探すとなかなか見当たらない。漢文好みの俳句にそもそも無いのかといえば、ネットを参照すると、「晩秋」の範疇にあてはまるとある。霜降りが秋の後半というのは、なんとなく納得できる気がする。
(*)文庫「俳諧歳時記 秋」(新潮社編)や電子辞書にある「ホトトギス俳句季題便覧」

ところで、気象庁の用語に「晩秋」はない(「小春日和」の解説に「晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天。」とあるが)、 そこでWikipediaで「晩秋」を見ると、「秋の終わり頃。11月から12月初め頃に該当する。二十四節気に基づく節切りでは、寒露から立冬の前日までの期間をいう。旧暦9月の異名。」とある・・・、晩秋は、秋の終わりと冬のはじめが重なるころ・・・そんな風だろう。

ちなみに、気象庁の天気予報などで用いる用語に秋は「9月から11月までの期間」、したがって晩秋は11月下旬ころ・・・その時期なら十分寒いので、都心で霜に出会うかもしれない。

2019年10月23日水曜日

結晶洞窟

地下深くに結晶に覆われた洞窟がある。巨大な結晶で、まるでSFに出てきそうな・・・そういえば、レンタルDVDで見た映画「ザ・コア」(地球の中心部分に核爆弾を仕掛けて、地磁気異常から地球を救うというとんでもない話だが)に、地中に水晶が林立する洞窟が登場した。まさに「地底探検」のよう。

地底に、荒唐無稽ではなく、素晴らしく巨大な結晶が存在する洞窟がある。NHKは洞窟好きで、たびたび国内外の洞窟探検ドキュメンタリーを放送する。その中に、洞窟最奥の壁一面に「硫黄」結晶が張り付いている、メキシコ鉱山「ヴィラ・ルース」の映像が紹介されたとき、硫黄好きな私は大いに喝采したものだ。再放送をVHSビデオに収録したりして・・・。

同じく、メキシコの鉱山「ナイカ」の洞窟(「クリスタル洞窟」という)の結晶についても放送された。透明度のある「石膏」の柱状結晶が複雑に交差しているのだが、それはSF映画もどきで巨大。調査研究の人間の姿が小さく見えてしまうほど。まるで舞台装置のようなスケールなのだ。

(本ブログ関連:”ヴィラ・ルース”、”ナイカ”)

今回、ニューズウィークの記事「ヨーロッパ最大の『結晶世界』、『プルピ晶洞』一般公開される」*(10/23)に、<スペイン南部の「プルピ晶洞」(1960年代に閉山した「ミナリカ」鉱山で、最近1999年に発見された晶洞>が紹介されている。結晶は、メキシコの「ナイカ」鉱山と同じく透明度の高い「石膏」で、尖った結晶構造に見える。
(*)記事: https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13248.php

両者の「石膏」は、透明度のある鉱物「透明石膏(セレナイト)」の結晶で、いわゆる石膏像にあるような真っ白なイメージと違う。ナイカと比べて、プルピ晶洞の透明石膏は規模が小さいようだが、今年の8月5日から一般公開されているという。ナイカの場合、地底深くあって研究者にも調査困難な環境のため、現在は地下水を入れ戻しているという(鉱山閉山のためとも)。その方が、貴重な結晶の保存のためにもいいことだろう。
ちなみに、観光ガイドにヴィラ・ルース洞窟の紹介があるが、硫黄結晶のできている場所は「硫化水素ガス」が充満しているわけで観光は絶対に無理・・・安全で観光可能なエリアが洞窟にはあるのだろう。

Youtube映像
・ナイカ鉱山(BBC): https://www.youtube.com/watch?v=HeiMfLmJtzk
・プルピ晶洞(EFE): https://www.youtube.com/watch?v=dItEmYzZknI


(追記)
ニューズウィークの記事タイトルにある「結晶世界」という言葉がたまらない。もし地上世界が結晶化したらどうなるか・・・、恐怖であり狂気的な光景だが、見てみたい気がしないわけではない。J.Gバラードの「結晶世界」は、作家の評価から文芸的とすることもあるようだが、鉱物好き(つまり結晶好き)にいわせれば、SF+アクション風な映画感覚で楽しんだ。

(本ブログ関連:”結晶世界”)

2019年10月22日火曜日

令和の即位の礼

今日は、第126代天皇陛下の「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が行なわれ、特別な休日(祝日扱い)となった。朝からの小雨の中、式典は厳粛に始まった。テレビは終日報道した。
なお本日予定されていた、天皇、皇后両陛下のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は、先日の台風(15、19号)の災害直後であり、11月10日に延期して行なわれることになった。

即位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば*
(*)宮内庁: https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/60#199
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  さきに,日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。

  上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御(み)心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

  国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。

Having previously succeeded to the Imperial Throne in accordance with the Constitution of Japan and the Special Measures Law on the Imperial House Law. I now perform the Ceremony of Enthronement at the Seiden State Hall and proclaim my enthronement to those at home and abroad.

I deeply reflect anew that for more than 30 years on the Throne, His Majesty the Emperor Emeritus constantly prayed for the happiness of the people and world peace, always sharing in the joys and sorrows of the people, and showing compassion through his own bearing. I pledge hereby that I shall act according to the Constitution and fulfill my responsibility as the symbol of the State and of the unity of the people of Japan, while always wishing for the happiness of the people and the peace of the world, turning my thoughts to the people and standing by them.

I sincerely hope that our country, through our people’s wisdom and unceasing efforts, achieves further development and contributes to the friendship and peace of the international community and the welfare and prosperity of humankind.
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2019年10月21日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-3

先週月曜日(10/14)は、祝日の「体育の日」だったため、毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」は休講となった。今日、久し振りの受講になる。セミナー会場のある「武蔵小杉駅」に電車に揺られながら向かった。

講座開始前に講師を紹介される方がいつもと違って、別の方がマイクを握った。なんと、いつもの方の自宅マンションが、先日の台風19号により被災して、その後始末に追われて休まれたというのだ。あの武蔵小杉駅周辺を冠水してタワーマンションを麻痺させた騒動を思い出した。

本日の講演のテーマは、早稲田大学名誉教授大内宏一氏による、ドイツを中心に見た「近現代の政治的イデオロギー・運動としての反ユダヤ主義」についてだ。開始前に配られた資料から、内容がヘビーなだけにどうお話されるのか気になったが、淡々としたものだった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

反ユダヤ主義」に2つある
・1879年にドイツに出現した(宗教的な観点でない)人種的批判として:「反セム主義」
・ユダヤ教に対する宗教的批判として:「反ユダヤ主義」

「反セム主義」による反ユダヤ主義のイデオロギー性(近代化への危機対応・・・「文化闘争」と反「社会主義」)
・「反セム主義」出現以前
   - 中欧・西欧は「ユダヤ人解放」の傾向にあった
   - 東欧・ロシアは反ユダヤ運動(ポグロム:1881年ロシア皇帝暗殺以降)が起った
・1870年代に政府・自由主義派とカトリック教会の「文化闘争」(カトリックは、背後にユダヤ人の存在を疑う)
・1873年の世界恐慌の結果
   - ユダヤ資本に対する反発が目立つようになる
   - 左翼思想としての社会主義政党の拡大とユダヤ人の関わりへの疑心

ユダヤ人が近代化を代表する(目立つ)存在になる
・金融業・商業、大都市集住、高学歴(大学医学部・法学部への高進学率)、高収入
・ジャーナリズム、大手出版社の経営

ドイツにおけるユダヤ人
・19世紀のドイツのユダヤ人は、ドイツに同化したユダヤ人
・彼らは、東欧から流入したユダヤ人に対して、しばしば「よそ者」扱いをした

ユダヤ人に対する様々な流言、憶測および批判
・手続き的な論証スタイルもあった

第一次大戦後のドイツ
・(口頭で語られたが)戦中・戦後のドイツ人餓死者は驚くべき数いた:70数万人(除兵士)
・(語られていないが)ドイツの戦後賠償額は、Wikipediaによれば「総額は1320億金マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)という1913年のドイツ国民総所得の2.5倍という莫大なもの」だった

現代のドイツでのユダヤ人問題
・元々いたユダヤ人はアメリカなどへ渡り、現在のユダヤ人は東欧から来た人たち
・労働移民のトルコ人・難民のイスラム人問題が主となり、ユダヤ人問題は低まる傾向にある

現代のイスラエルに対して
・ドイツでは、イスラエル批判は「反セム主義」のレッテルが貼られる
・一般にイスラエル批判は左派的傾向が強い

(感想)
・説明はなかったが、第一次大戦後のドイツ賠償に、ユダヤ人がどう関わったか興味深い。
・ドイツのユダヤ人と東欧(ロシア)のユダヤ人との関係が一筋縄ではいかないようだ。結果として、ドイツのユダヤ人はアメリカへ移民したのではないか? そして、東欧(ロシア)のユダヤ人こそ「反セム主義」の直接の対象になってしまったのではないか?
以前受講したときに資料で知らされた、ハインリッヒ・ハイネのドイツのユダヤ人と比較して、ポーランドのユダヤ人に対しての思いが想起される。

2019年10月20日日曜日

「いろは」のくずし字

先日(10/6)、市民向けのお話し会があって「江戸のかな文字」、すなわち「くずし字(変体仮名)」について聴講した。8個のかな文字を選んで紹介されたのだが、全くの初心者のため定着しない。

父の書棚にあった「野の草の手帖」(監修大場秀章、小学館)には、歳時記をかねた野草の解説と図版がある。その挿絵は、江戸後期の本草学者「岩崎灌園(いわさき かんえん)」(天明6年6月26日:1786.7.21~天保13年1月29日:1842.3.10)の「本草図譜」に掲載されたものという。

「野の草の手帖」は残念ながら。本草図譜の図のわきにある説明文について現代語訳がない。せめて私が「いろは」のくずし字が分かれば理解できそうなのに・・・残念。そこで、くずし字超初心者のための本とYoutubeの解説を探した。

Youtubeに、多分(小学校の?)先生向けの説明会の様子が収録されていて、ユニークな意見が語られていた。それは、英語検定などの資格者が多数(英検1級=100万人)いるのに対して、かなくずし字の読解能力者がわずか5,000人しかいないというのだ。これって、どこかでも聞いたような話しで、文字を継承しないことで、以前の文化を途絶えさせることとつながる。文化的危機がまさに警鐘されているのだ。(東京女子大学 高橋修「くずし字読解入門」Part3*)
(*)https://www.youtube.com/watch?v=OSZR0C-vZB0    ←  29:14

話が大袈裟になったが、雑草に関心持ち始めた素人が、少しくらい「くずし字」にも関心を持つのも悪くないだろう。

2019年10月19日土曜日

唱歌「野菊」

一昨日(10/17)、公園を散策していたときにトチノキ(栃の木)の樹下近くにそっと咲く野草があった。うすむらさき色した小さな2輪の野菊「カントウヨメナ」が、風に花びらを微かに揺らしていた。ひっそりと咲く姿は、楚々として味わい深いものだった。

この、うすむらさき色した野菊をうたった唱歌がある。昭和17年(1942年)に国民学校初等科三年生用の音楽教科書に採用された、「野菊(のぎく)」(作詞石森延男、作曲下総皖一(かんいち))である。

「唱歌・童謡ものがたり」*(読売新聞 文化部、岩波現代文庫)によれば、この歌が発表された当時の風潮の中で、石森は <万葉集の「ニギミタマ(和御魂)」の心を持った歌> と説いたといい、また、作曲者下総の思い出の、清楚な野菊野咲く利根川の農村のイメージ <文化から長い事とり残され・・・利根川のほとり・・・> につながるようと語られている。
(*)同書に、石森と戦後GHQとの興味深い関係について僅かながら記されている。

「野菊」

遠い山から吹いて来る
こ寒い風にゆれながら
けだかくきよく におう花
きれいな野菊
うすむらさきよ

秋の日ざしをあびてとぶ
とんぼをかろく休ませて
しずかに咲いた野べの花
やさしい野菊
うすむらさきよ


(Youtubeに登録のyoshihoshi111に感謝)

2019年10月18日金曜日

冷えてきた

今月初、30℃を越える日があったが、今月8,9日の「台風15号」、12,13日の「台風19号」後、冷え込みを感じるようになった。14日になってついにストーブを出して以来、毎日つけっぱなしだ。長袖シャツは必須だし、昨日(18日)からベストを重ねている。

町に出れば、店頭に「ハロウィン」(10/31の行事)のポップが飾られているし、書店には来年のカレンダーまで並び始めた。このまま行けば、「クリスマス」商品もあふれることだろう。そうそう、テレビや新聞で「おせち料理」の予約広告がしきりだし、「年賀はがき」も、11/1に販売するという。

若者は、商業イベントの波を次々かぶって大変だろう。コマーシャル世界で行動をうながされているようなものだから、そこを飛び出しても、また別の消費世界が待っている。その点、おじさん世代は、時代の流れの早さにただうろたえるだけ、なすすべがない。淵に漂い、渦に巻き込まれるだけなのだから。

(日記スタイルのこのブログ、旅行など特別な場合以外、書き落とすことをしなんだ。ところが、本日(10/18)の分を登録したつもりでいてしまい、何と翌日(10/19)になって気付いて大慌て。そんな訳で、今回は。追記登録になる)

2019年10月17日木曜日

雨の日の公園めぐり

すっかり肌寒い季節になった。チョッキ(今様にベスト)を着こんで、雨が降りそうな曇り空の下、公園(自然観察園)を散歩した。今回は、あまり歩き廻らない場所も巡ってみた。帰りがけに小雨になり、ぬれてしまった。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

キンモクセイ
公園の小さな入り口に甘い香気がした。門柱の脇に「キンモクセイ(金木犀)」が立っていて、オレンジ色の小さな花を咲かせ、辺りを香りで包んでいた。とはいえ、その場所柄が按配よくないのだ・・・入り口広場には、公衆トイレの建物が控えているのだから。

(本ブログ関連:”キンモクセイ”)


小川
公園を横断するように「野川」の清流がある。「国分寺崖線」などの湧き水を水源にして、多摩川へ合流する途中の小川。先日の台風15、19号の豪雨を受けて水量が増し、その勢いで川床の葦などをなぎ倒したようだ(写真)。普段は穏やかで、その川面に絵画「オフィーリア」に描かれた静けさを感じていたのだが。


トチノキ
公園はまだ紅葉に染まっていない。そんな中、唯一といっても良いかもしれない、「トチノキ(栃の木)」が葉を茶色に衣がえして(落葉して)いた。葉は5~7枚の複葉で、一葉一葉大きい(他の場所で見たものに、いくぶん細長いものもあったが)。樹下で栃の実を探した見つからない。すっかりさらわれてしまったのだろうか?






カントウヨメナ(素人判断です!)
トチノキの近くに、小さな薄紫色の花が2輪咲いていた。「カントウヨメナ」の花だ。目立たず、ひっそりと咲く姿は楚々として味わい深い。「関東嫁菜」の文字があてられている。道端に咲く野菊の「ヨメナ」の近縁種だ。小説に出てくる野菊は、黄色だったようだが。


サクラジュウガツザクラ
普段、足を運ばない公園奥の端っこに、季節はずれの(園芸品種の)「ジュウガツザクラ(十月桜)」が咲いていた。それも、4、5本のサクラの木立に、まるで間引いたように点在している。春なら、六七部咲きとでもいえるだろうが、これから先、いつごろ満開になるつもりだろう。桜は、季節はずれでも決して場違いでない。桜の花はいつ見ても心をときめかせる。

2019年10月16日水曜日

Googleアカウントの復元

アカウント
突然、Googleのブログ「Blogger」にログインできなくなった。最初のステップである、「ユーザー名」入力後にエンターキーを操作しても何の反応もない。「Gmail」についても同様だった。ブログ(アプリ)をやり直したり、PCを再起動したりしたが全く回復しないのだ。
さいわい、Googel検索画面を参照できたので、iSchoolのサイトにある「Gmail (Google) にログインできない時の対処方法」*を参照して、無事「アカウントの復元」することができた。感謝。
(*)https://ischool.co.jp/2019-02-20/

台風19号
台風19号は、時間の経過とともに、その災害の大きさを知ることになる。被害者数について今後余談をゆるさない。通信手段が遮断されて情報が届かない所があるかもしれない・・・知られていないからこそ事態は深刻とも考えられる。台風15号以来、電送網、通信網の脆弱さを思い知らされた気がする。
現時点で朝日新聞の記事「台風19号、断水なお11万戸超 75人死亡13人不明」**(10月16日11時15分)によれば、次に記すように、被害規模は当初聞いていたときより大きく超えているようだ。(抜粋)
(**)記事: https://www.asahi.com/articles/ASMBJ2JNYMBJUTIL002.html

上記記事内容を表にまとめてみた
県名 死者 行方不明(人)
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福島 27      3
神奈川  14      3
宮城 14      2
栃木   4
群馬   4
長野   *      3
静岡       *      1
茨城   *      1
岩手   *
埼玉      *
--------------------------
(計) 75人

福島県の被害者数の多さにあらためて驚く。現在、テレビニュースのウエィトは、武蔵小杉駅周辺の冠水や千曲川堤防の決壊に集中している。福島民友新聞社の朝の記事「台風19号、福島県内26人死亡 不明3人、15市町村1762人避難」***(10月16日 08時00分)に、亡くなった方の地域が具体的に紹介されている。(抜粋)
(***)記事:https://www.minyu-net.com/news/news/FM20191016-424541.php

地域を具体的に知ることで、数字による理解とは違った重みを感じる。
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福島民友新聞社の同日(15日)午後11時現在の集計では死者は26人に上り、3人の行方が分かっていない。阿武隈川などの川沿いでは水が引いていない地域があり、被害がさらに拡大する恐れがある。断水や停電も続き、市民生活への影響の長期化が避けられない状況だ。

死者が確認された市町村の内訳は本宮市7人、いわき市6人、郡山市5人、二本松市2人、須賀川市2人、白河市2人、南相馬市1人、飯舘村1人。行方不明者がいるのはいわき、郡山、川内の3市村で各1人。
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(追記、10/17)
今朝(10/17)のテレビ報道番組で、10/13の台風19号の豪雨で、福島県石川町内を流れる北須川が氾濫したときの映像(被災者撮影)を放送した。以前の報道についても次に記す。
・NHK福島 NEWS WEB:https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20191013/6050007265.html
・福島民友新聞社: https://www.minyu-net.com/news/news/FM20191014-424063.php
先日(7/24)、鉱物趣味の仲間と一緒に石川町にある「歴史民俗資料館」****を訪れ、同館に展示の鉱物標本を見学した。ペグマタイトで知られる石川町は美しい鉱物結晶を産出することで有名である。同館は、氾濫した北須川沿いに建っていて気になる。
(****)資料館:http://www.town.ishikawa.fukushima.jp/admin/material/

(本ブログ関連:”石川町”)

2019年10月15日火曜日

コスモス畑

曇り空のなか、公園にある「コスモス畑」を見に行った。本来なら、10月12日(土)・13日(日)の両日、「コスモスまつり」が開催されていたはずだったが、<台風19号接近に伴い中止> に至った。もし開催されていたら、コスモスの花摘みが体験ができた・・・中止になったおかげで、今日訪れてもコスモスの花を鑑賞できた。

(本ブログ関連:”コスモス”)

「コスモスまつり」が中止の結果、畑のすみずみまで紅色の濃淡から白色までさまざまに色を染める「コスモス」の花が咲き誇っていた。ゆっくりと畑を一周してみた。蜜を求めて、「ミツバチ」・「クマバチ」、「モンシロチョウ」・「モンキチョウ」といた虫たちが寄ってくる。(蜂についても、蝶についても、いろいろな種類を見たが、同定する力がないのが残念)



コスモス畑は杭とロープで囲まれていて、周辺にアカトンボが飛び回っていた。かれらが杭やロープにとまったとき、子どものころやったように指先をグルグル回転させながら近づくと、トンボは頭をカクカクと動かし始めたら成功・・・のはずだった。2度ほど、そこまでに至ったが、惜しいことに手を伸ばして近づけたところ、トンボは飛んでいってしまった。

(付記)
今週の月曜日が祝日「体育の日」だっため、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」が休講になった。同講座の会場は、JR南武線「武蔵小杉駅」近くにあり、日頃利用していて身近に感じていた。今朝のテレビ報道で、台風19号の豪雨により同駅は水浸しとなり、エレベーター、エスカレーター、自動改札機、券売機などの設備が停止したという。いつもの通い道でこんな浸水事故が起るなんて、予感など全くできなかった(素人には当り前のことだが)。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

2019年10月14日月曜日

体育の日2019

今日は祝日の「体育の日」だが、テレビニュースで関連するイベントを見かけない。例年、スポーツ競技場のグラウンドに老若男女が集い、体力測定したりしたものだが。今回は、台風19号の被災状況を考えて報道を抑制したのだろうか。

(本ブログ関連:”台風19号”)

天気がかんばしくなく、午後に小雨があった。その後、小休止したので外へ出てみれば予想以上に冷えた。東京都心の気温は、午後3時に16.5℃となり、以降下がり続けている。そこで今年初めてガスストーブを据えたところ、あまりに陽気でポカポカして、PCの前でつい転寝してしまった。

体育の日は、1964年の「東京オリンピック」を記念して祝日(1966年以降実施)に制定されたもの。次回の2020年の「東京オリンピック」に合わせて衣がえする。すなわち来年から「スポーツの日」に名称変更する。したがって、10月の第2月曜日の「体育の日」は今年が最後ということになる。(ちなみに、来年の東京オリンピック開催日だけ、特別にスポーツの日とし、以降10月の第2月曜日が「スポーツの日」になる)

今夜は、月齢15.4の「満月」。タヌキの鼓が響くこともない。陽気さもないが、やっぱり祝日である。

2019年10月13日日曜日

台風一過、自然観察園、ラグビー・ワールドカップ

台風一過
昨日の台風19号は、東京地方への「大雨特別警報」発令もあり、その規模の大きさから重大な災害を予想した。運よく当地の被災はなかったものの、東日本各地で河川の堤防が決壊(冠水、浸水)するに及んでいる。自然災害は、過ぎて次第にその大きさを知ることになる。今回もそうだった。

(本ブログ関連:”台風19号”)

日本経済新聞の記事「台風19号、21河川24カ所で堤防決壊 死者25人」*(10/13、19:07更新)によれば、<東日本の河川の約140カ所で氾濫した>という。(抜粋)
(*)記事:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50952990T11C19A0MM8000/
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12日夜に静岡県の伊豆半島に上陸した台風19号は13日未明にかけ、記録的な大雨を伴いながら関東・東北地方を縦断した。長野市の千曲川で堤防が決壊して周辺が大規模浸水するなど、東日本の河川の約140カ所で氾濫した。13日午後6時時点で25人が死亡、15人が行方不明となっている。災害派遣要請を受けた自衛隊などが住民らの救助を進めている。
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昼過ぎに外へ出て見れば、昨夜の台風のせいであらゆるものを吹き散らしたかと思うほど、空は青く澄んでいた。まさに、台風一過のことだが・・・以前、テレビで伊勢湾台風で被災した経験者が  <台風の翌日、空がからりと晴れて余りに青かった>と語られたのを見て、今回の各地の被害者の方々をあらためて思い返した。

自然観察園
台風一過の午後、二つの公園に出かけた。最初の公園には、横断する小川の水が溢れたときにためる、普段草地の <調節池> と呼ばれる広い窪地がある。今日、浅く水没して水面が反射していた。昨晩の豪雨の凄さをあらためて感じた。

次に、隣りの公園にある「自然観察園」を訪ねた。入り口付近で、外部との仕切り(金網)と内部の観察路の間にあるわずかな場所に「レモンエゴマ」(シソ科)が花もなく地味に群生していた。連なる小さな実から一粒取って潰すと酸っぱい香りがする。もともと葉からレモンの香りがするというが・・・そういえば風が吹くと一瞬心地よい香りがした。
少し先に進んで、なんとも古風で粒のような花がいくつも咲く「ミズヒキ」の紅色の花と、「キンミズヒキ」の黄色の花を観察した。両者の名前は似ているが、「ミズヒキ」はタデ科であり、「キンミズヒキ」はバラ科であり全く違う。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

ラグビー
素人はめでたいことに興じて、にわかファンになることをいとわない。「ラグビー・ワールドカップ」で、アイルランド戦の勝利に歓喜したり、ノーベル化学賞の受賞に喜んだり。
そんなわけで、にわかファンのまま、今晩の対スコットランド戦のラグビーの試合をしっかり見てしまった。ルールに不案内でも息詰まるものだ。そして、最後の間際の攻防戦は、わくわくしながら観戦した・・・テレビニュースでは、トライのようなダイナミックな場面がピックアップされるが。
攻撃が成功するたび、いつのまにか「よーし」なんていったりしている自分に気付いて少々気恥ずかしくなるのも「にわかファン」。

2019年10月12日土曜日

(実況)台風19号

今回の台風19号はあまりに巨大で、通過後にはその規模について解説されることだろう。そこで、台風襲来の状況をメモ書きしたものをブログに登録してみることにした。

15時30分に、気象庁は 7都県に対して< 災害発生情報とし、命を守る最善の行動(退避*)を促す「警戒レベル5」相当の >、「大雨特別警報」**を発表した。東京では初めてのこと。
(*)退避勧告: http://www.bousai.go.jp/oukyu/hinankankoku/h30_hinankankoku_guideline/index.html
(**)大雨特別警報: https://www.jma.go.jp/jp/warn/319_table.html

携帯に、市役所から災害対処のため、避難を促す「警戒レベル3」***の<安全・安心メール>が次々と送られてくる。さいわい、わが家は「避難開始」の適用場所でないが、国分寺崖線に沿った傾斜地など一部が対象になっている。まだ、雨音も風音も穏やかながら、早目の避難が大事と思う・・・そんなことは避難対象地に住む生活者にとって、百も承知だろうが、いざ行動に移すには悩ましく気掛かりに違いない。
(***)警戒レベル:https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/alertlevel.html

夕方6時前になって、風音が少し増してきた。この時点で台風はまだ上陸していないが、同時刻のテレビ報道によると今夜9時ごろに東京上空を通過するだろうと伝えた。

[地震]こんなときに、地震が発生した。気象庁発表によると、<夕方6時22分ころ、千葉県南東沖(北緯34.7度、東経140.7度)で、震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は5.7と推定される> とのこと。

今夜7時前に、テレビのニュースは台風19号の中心が伊豆半島に上陸したと伝えた。

夜8時30分ころになると、風が急にうなり声をあげ強まった。いよいよ台風が直撃したようだ。ほぼ同時に、気象庁から災害情報メールが届いて、「東京地方に特別警報(大雨)、警戒レベル5に相当」と伝えた。

今晩8時50分、気象庁は新たに5県に対して「警戒レベル5」の「大雨特別警報」を追加発表した。大雨特別警報の広がりを見せたことになる。

夜更けて10時30分過ぎに、急に雨風音がなくなった。いわゆる台風の目の真ん中にでもいるのだろうか・・・。

実況はここで終了。少しくたびれてきたのだ。何ごともなく終わってくれることを祈る。

2019年10月11日金曜日

(資料)台風19号

朝から晩まで、テレビのニュースショーは、明日・明後日に襲来する「台風19号」の進路、および災害規模と危険性を報じている。先月(9/9)、千葉県を襲った「台風15号」の被害(民家の屋根や送電網などを破壊)を知るほどに身近に感じる。屋根の補修用の青いシートや、給水車に水をもらう行列の光景が浮かんでくる。

そこで、私もさっそく強風で飛ぶものがないように庭を片付けたり、浴槽に水を貯めたりした。スーパーへ行けば、近くに大学があるため(下宿や寮の)学生たちが即席麺や食パンを買いだめしたのか、棚から消えていたのに驚く。またテレビニュースでは、窓ガラスの飛散防止のため大判のマスキングテープに似た「養生テープ」が売り切れ続出という・・・オイルショックのときの「トイレットペーパー」の買い込み騒動を思い出す。今回は事情が全く違うが。

台風19号が、正直どれほどの被害を及ぼすか見当がつかない。千葉県を襲った台風15号の深刻さを、実は時間が経つにつれて後で知ったぐらいだからだ(「阪神・淡路大震災」や「熊本地震 (2016年)」の時もそうだった)。

NHK NEWS WEBの記事「気象庁『1200人以上犠牲の狩野川台風に匹敵 特別警報も』」(10/11、20時04分)は、昭和33年(1958年)の台風第22号「狩野川台風(かのがわたいふう)を例に、気象庁の警戒呼びかけを次のように伝えている。(抜粋)
(*)記事:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012122671000.html
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台風19号について、気象庁は午前11時から記者会見を開き、静岡や関東で1200人以上が犠牲となった狩野川台風に匹敵する記録的な大雨となり、大雨の特別警報を発表する可能性もあるとして、厳重な警戒を呼びかけました。

梶原靖司予報課長は「今回、類似台風として狩野川台風を持ち出したのは、予想される現象や災害の程度が著しいことや、大きさや進路・勢力・北上スピードなどが似ていることから説明に用いようと判断した。一方で、類似台風を持ち出して呼びかけることは非常にリスクがあるとも考えている。災害の起こる場所や広がりについては事例ごとに大きく異なる」と述べ、狩野川台風で被害がなかった場所が安全というわけではないと強調しました
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ところで、狩野川台風の時期、子ども時代の私は地方にいたので、狩野川台風の被害を感覚的に理解できないでいる。Wikipediaによると、狩野川台風は「27日0時頃に神奈川県東部に上陸したが、勢力はさらに衰えて960ミリバールであった」とのこと。これって、千葉県に上陸した台風15号のときと同じ(960ヘクトパスカル)。はたして今回の19号の場合、どれくらいの規模になるのだろうか。

2019年10月10日木曜日

(参考)3つの壁

今年のノーベル化学賞受賞者の吉野彰さんは、少なくとも企業(ビジネス)に所属する民間人である。ノーベル賞受賞者のおおかたがアカデミックな世界に存在しているのと対照的といえる。

もちろんノーベル賞本来の意味で、今回、学術的に評価された訳だから勝手にビジネス側にのみ取り込むわけにはいかないが、市井に向けて語る言葉を多く持ち合わせていらっしゃると思う。吉野さんが人生で経験した、立ちはだかる壁をいかにブレークスルーしたかを聞くのは意味がある。特に若者にとっては。

産経新聞のZAKZAKの記事「ノーベル化学賞・吉野彰氏の “素顔” と成功までの『3つの壁』」* (10/10)に、< ビジネスで成功するために乗り越えなければならない「3つの関門」>を、次のように説いている。(抜粋)
(*)記事:https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191010/dom1910100004-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop
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最初に経験するのが、基礎研究の段階の「悪魔の川」
ここで大半のプロジェクトが対岸まで泳ぎ切れずに脱落する、つまり研究段階で終わってしまう。

開発研究に進むと待ち受けるのが「死の谷」
次々と問題が立ちはだかり、事業化の前にここでも大半が脱落する。吉野さんは「この段階では、なるべく人手をかけないことだ」とアドバイスする。事業化の道筋が見えて初めて、人材と予算をかけるのがよいやり方だという。

最後が「ダーウィンの海」の段階
努力が実って事業化にこぎつけたものの、市場で見向きもされない段階だ。生物進化の過程で起こる自然淘汰(とうた)になぞらえて、生物学者ダーウィンの名がついている。

リチウムイオン電池の場合、出荷が伸び始めるまで5年ほどかかった。

「将来ぜひ、この3つ壁を完璧に乗り越えていただきたい」と、吉野さんは若者にエールを送った。
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いってみれば、将来へ向けての研究テーマの選択、少数精鋭での取り組み(開発)、そして時代との整合性(市場競争)といったところだろう。花開くに、我慢できるかどうかでもある。それらはすべてにいえることだが。

上記はむしろ、経営者の辛抱・肝の座り方についてかもしれない。立ち塞ぐ3つの壁に果敢にチャレンジする研究・開発職者たちを支援できるかどうか試されるようでもある。それだけ、先見性があるのかないのかということにつながる。経営者も大変だ。

2019年10月9日水曜日

「ノーベル賞」化学賞受賞 吉野彰さん

コスモス畑
昼間の暖かい公園へ、「コスモス」の花の咲き具合を確かめに出かけた。テニスコートそばの木陰道を抜けて左へ曲がると広場に出る。平日の今日も、家族連れや若者たちが緑いっぱいの空気を楽しんでいるよう。その広場の脇道に「チカラシバ」の黒い穂が背筋を伸ばして並んでいて、その奥から「エノコログサ」の薄緑の穂が覗き込むように顔を出している。雑草たちはたくましく生きている。

広場の先にあるコスモス畑は、暖かい陽射しとそよ風を受けて、パステルカラーに染まった花々が満開のようだ・・・もっと密集すると思ったがそうでもない。傾斜面に咲くコスモス畑の爽やかで穏やかな気配にいやされる。つい畑道を往復して眺めると、太陽のまぶしさにコスモス畑が輝いて見える。幼子を連れた母子とか老夫婦とすれ違うと、ちょっとした舞台の感がしてくる。

ノーベル賞
ところで、今年のノーベル賞(化学賞)に、日本人を含めて3人の受賞者が決まった。実におめでたいことだ。NHK NEWS WEBの記事「ノーベル化学賞に『リチウムイオン電池』開発の吉野彰さん」(10/9、19時22分)*によれば、< 日本人ノーベル賞受賞は去年の医学・生理学賞に続き27人目(含:アメリカ国籍取得者)で、化学賞は9年前に続いて8人目 > とのこと。下記に抜粋。
(*)記事  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191009/k10012119571000.html
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ことしのノーベル化学賞の受賞者に、スマートフォンやパソコンなどに広く使われている「リチウムイオン電池」を開発した大手化学メーカー「旭化成」の名誉フェローの吉野彰さん(71)ら3人が選ばれました。

ことしのノーベル化学賞の受賞が決まったのは(次)の3人です。▽大手化学メーカー「旭化成」の名誉フェロー、吉野彰さん(71)、▽アメリカ・テキサス大学教授のジョン・グッドイナフさん、▽アメリカ・ニューヨーク州立大学のスタンリー・ウィッティンガムさん

吉野さんは、大阪府吹田市出身で71歳。京都大学の大学院を卒業後、旭化成に入社し、電池の研究開発部門の責任者などを務めたほか、おととしからは名城大学の教授も務めています。
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ノーベル賞は、本来個人の業績を評価するものだが、まるでオリンピックのメダルと同様な特別なよろこびをもたらせてくれる。だから遠慮なく、心の中で、受賞の感動の席に同席させていただくことになる。なにより日本の子どもたちの宝(「子どもにとって自分の将来を決めるきっかけ」吉野氏)なのだから。
そういえば、日本のノーベル化学賞の受賞者で民間人受賞者には、島津製作所の田中耕一さんもいらっしゃる。凄いことだ。

(本ブログ関連:”ノーベル賞”)

2019年10月8日火曜日

寒露 2019、くしゃみ

一ヶ月前の今日(9/8)は、二十四節気の <草葉に「露」がつきはじめるころ>の「白露」だった。その露が、今日、二十四節気の <冷気により凍りそうになるころ>の「寒露」となった。露が凍るほどの寒さを感じるまで至らないが、最近の朝昼の温度差に驚く。今朝方から「くしゃみ」が止まらない・・・単に寝相が悪いだけだったかもしれないが。

ところで、「くしゃみ」の語源についてWikipediaによれば、「くさめ」と呼び次の漢字が使われたそうだが見たことがない。
「嚔」くしゃみ)
「広辞苑」や古語辞典をひいても、Wikipediaの解説に及ばない。そこで、<語源>紹介部分をそのまま引用させていただく。
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日本語の「くしゃみ」という表現の語源は「嚔(くさめ)」という言葉で(中国語ではこの漢字を今でも使う)、古代の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになり、いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、その行為そのものを指すようになった。

くしゃみをするは「鼻ひる」といって、ひるは「放る」または「嚏る」と書いて、体内から鼻水やその他を放出することであった。清少納言が書いた『枕草子』の「憎きもの」第28段には
鼻ひて誦文(ずもん)する。おほかた、人の家の男主ならでは、高く鼻ひたる、いとにくし。>
現代文:「くしゃみして呪文を唱える。大体、一家の男主人でもないのに、声高にくしゃみをするのは、本当に好きでない。」とある。

くさめ」という呪文の語源ははっきりしておらず諸説あるが、
陰陽道の「休息万命(くそくまんみょう)」や「休息万病(くそくまんびょう)」を早口に言ったもの
・くしゃみの擬声語の名詞化
・「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説などがある。

上記のように、中世の日本ではくしゃみをした人、またはその近くにいた人が「くさめ」と言う習慣があった。1330年頃(鎌倉時代)に吉田兼好により書かれた『徒然草』の第47段には、
ある人清水へまゐり(参り)けるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)、嚔」といひもて行きたれば、「尼御前、何事をかくは宣(のたま)ふぞ」と問ひけれども、應(こた)へもせず、猶いひ(なほ言い)止まざりけるを、度々(たびたび)とはれ(問はれ)て、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ(やしなった)君(貴族の子)の、比叡の山に兒(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。/ あり難き志なりけんかし。> という記述がある。
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枕草子の例ではないが、先日、ある会場でくしゃみしたとき、口元にハンカチをあててさえぎることを忘れ、隣りの参加者に不快な気分をさせてしまったようで、思い返してはマナーの悪さにいまだに内心ざわつく。

2019年10月7日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-2

朝方のヒンヤリした涼しさと、昼間の陽射しの暖かさとの落差に驚く。秋は確実に深まった。町を歩けば、来年のカレンダーが店頭に並んでいたり、あるいは町の貴重な本屋が店仕舞いしたり、あっけない変化に気付かされる。

市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」の2回目の今日は、時代の変化を捉える経済史の立場から「資本主義経済興隆と成熟においてユダヤ人の果たした役割」について、学習院大学准教授の竹原有吾氏の解説があった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ユダヤ人の、中世から資本主義興隆(すなわち都市経済から国民経済へと規模を拡大する)までの経済活動を、ドイツ(プロイセン)の歴史(18~19c)を通じて追った。

① 中世都市の中での経済発展として商業ギルドの形成
  ・キリスト教社会へと変化する中で、都市部でユダヤ教徒も金融面で発展する
② 宮廷商人として国王(王朝)に認められる
  ・国際ネットワークを通じて、絹織物などの交易に従事する(重商主義の時代)
③ 啓蒙思想による立場の変化・確立
  ・裕福なユダヤ商人(宮廷商人のユダヤ教徒など)は、(特権を持つ)キリスト教徒とほぼ対等な権利を持った(1812年)
  ・ナポレオン戦争の戦費や賠償金の調達へ関与する
  ・商業ギルドを解散して、ベルリンの商業会議所へ参加する(1820年)
④ 工業化への進展
  ・鉄道建設(背景となる産業勃興を含めて)のため、信用銀行を設立する(19c半ば)

「まとめとして、ユダヤ教徒は経済活動の担い手の宗教を問わない国民経済の形成・発展に向けて努める中で、結果的に会社や銀行の経営者として(すなわち経営者の役員にユダヤ教徒が多くなって)経済的に目立って活躍することになる」

(感想)
歴史の中で「国家」という言葉ひとつにしても、現在の意味での「国家」とは大いに違うわけで、漠然と聞いていると読み違えることになる。
・国王(王朝)が、ユダヤ人の金融を使うメリットはどこにあったのか?
  - 国民(キリスト教徒)の金融を利用しない理由は?
  - 従って、ユダヤ教徒はどのようにして王権へ取入ったのか?
 ・経済史ならば、ユダヤ教徒が持つ金融力を<数字>で示して欲しかった。

2019年10月6日日曜日

お月見のつどい

今朝の9時前、いっとき激しい雨音がしてどうなることかと案じた。しかしすぐに静まった。後で気象庁の時間ごと降水量データを見て驚く・・・なんと近隣街の同時刻の降水量が「0mm」なのだ。わが家を叩いた雨音は、まさに局地性の土砂降りだったようだ。

その後、鈍よりして今にも降り出しそうな空模様の昼過ぎ、市民向けお話し会が主催する「江戸かな文字」についての催しに出かけた。平安時代に生み出された「かな」の書体は300字近くあったという。今回話題にされた江戸期にどれくらいの種類があったかは判定しにくいとのこと・・・書き手によって様々な表現があったからという。そこで、明治33年(1900年)に(小学校令施行規則により)「ひらがな」が制定されることになる。
(今回は、江戸の読みやすい「草」をサンプルにしての解読が中心だったが・・・)

お話し会の後、公園で開かれた「お月見のつどい」(写真)と、園内にあるコスモス畑の様子を見に行く。月齢7.4の上弦の月が浮かぶはずの夕方(あいかわらずの曇り空で見られない)、「お月見のつどい」は写真の通り家族連れであふれ、屋台も並んで、祭り気分は大盛況だった。


祭り会場から「コスモス畑」まで行けば、まだ7分咲きのよう。すでに辺りはすっかり薄暗くなってしまっていて、鑑賞はまたの機会にしたい。

2019年10月5日土曜日

ラグビー戦とにわかファン

今回の「ラグビー・ワールドカップ」で、急に目覚めたわけでもない。世間の熱気に同調しているに過ぎないくらいは自覚している。相変わらずの<にわかファン>は、今晩もテレビ画面で「日本-サモワ」の試合に見入ってしまった。

本当なら、火山に関心があるので、同時刻のNHKの「ブラタモリ」で今晩放送の「浅間山 ~江戸時代の大噴火!衝撃の1日に何があった?~」を見たかったが、ラグビーの試合とかぶさり断念した。あいにく録画装置もないので再放送を期待したい。

(本ブログ関連:”火山”)

というわけで、ラグビーの試合観戦に集中した。<にわかファン>は、ルールにうとく、解説者の説明や画面表示がなければ、試合運びの見当がつかない。それでも見ているうちに、何となく進行具合が分かったような気になる・・・ものだ。少なくとも、トライ、ペナルティーゴール、スクラムくらいは素人でも分かる・・・その範囲で声が出る。特に試合最終時、スクラムで時間が延長する理由が分からぬまま、その攻防に一番盛り上がった。

念のため、読売新聞の記事「4トライで日本がサモアに快勝、8強入りへ前進」(10/05 21:25)*で、きちんと結果を整理させていただく。(抜粋)
(*)記事: https://www.yomiuri.co.jp/rugbyworldcup/20191005-OYT1T50265/
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ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で、グループリーグ(GL)A組の日本代表は5日、愛知・豊田スタジアムでサモア(勝ち点5)と対戦、38―19(前半16ー9)で3連勝を飾った。4トライ以上に与えられるボーナスポイントも獲得し勝ち点を14に伸ばし、アイルランド(勝ち点11)を抜き、A組首位に躍り出た。
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ラグビーは、体をぶつけ合うスポーツで、審判の判定に従いルールを守る。一方で審判への強硬なアピールつつしむといった、スポーツマン精神が清清しい。時代風潮に逆らう表現をすれば、これこそ男のスポーツと思う次第。

2019年10月4日金曜日

キバナコスモス

東西に広がる都営「小金井公園」は、都内最大の国営「昭和記念公園」に次ぐ規模といわれる。日頃、よく訪れるとはいえ、園内を散策するに省略がある。きょうは普段あまり廻ることのない西側入口まで歩を伸ばしたところ、その付近にオレンジ色のコスモスの花が一面に咲いていた。

辺りは同じコスモスなので、人手を使って植えたのだろう。品種について掲示がなかったので、後でGoogle画像検索したところ、どうやら(園芸品種のひとつの)「キバナコスモス」のようだ。<日陰よりも充分な日照> のある場所に向いているという。まことに健康な花といえる。


ところで、「コスモス」が、メキシコ高原地帯原産の花であること、学名に「コスモス属 Cosmos)」が使われていることなど知られている。けれど、原産地メキシコで、地元インディオの人びとがどのように呼んでいたのか知らない。博物学が持つもう一つの側面である。

この時期になると、公園北東にコスモスを大量に植え付けた畑地が出現して、さまざまな色合いに染まったコスモスが風にそよぐ美しいさまを見ることができる。
いつも後になって気付くのだが、そちらもきょう見てくればよかった。まだ間に合うだろうか、それともこれからだろうか。
ちょうど、「建物園」前の広場で、テントを多数建ててイベントの準備をしていた。「お月見のつどい」が、5日(土)と6日(日)両日開催される。それに合わせてコスモス畑の様子も確認してこよう。

2019年10月3日木曜日

自然観察園の「曼珠沙華(ヒガンバナ)」

昨日、「自然観察園」を囲う金網越しに、「曼珠沙華(ヒガンバナ 彼岸花)」の紅い花が群がっているのが見えた。もう一度直接見たく、今日、同園を訪れた。入り口に向かう道筋に沿って流れる小川の川面は、温い陽射しを反射する。随分と暖かく感じる。そして、平日の昼過ぎなのに人出も多い。

(本ブログ関連:”曼珠沙華”、”自然観察園”)

自然観察園に入ると、いつものように野草や木々が迎える。すぐに、低木の枝先に小さな紫色の実を集めた「コムラサキ」や、その変種で白色の実の「シロミノコムラサキ」が目に飛び込む。

観察園の遊歩道を西側へ進むと、木立の陰の下に真っ赤な曼珠沙華の花が一面ぎっしりと密集している咲いているエリアに着く。圧倒されるような曼珠沙華の花の広がりだ。


既視感があって、ここをさらに大規模に広げた、埼玉県日高市にある「巾着田」の光景だ。一方、観察園は小とはいえ曼珠沙華の咲き振りは、巾着田と違わぬほど。鑑賞にはむしろこれで十分かもしれない。気をせいて撮影に熱中するのを自制した。目にしっかり焼き付けておきたいと思ったからだ。

2019年10月2日水曜日

(雑談)曼珠沙華

この時期、公園や垣根に、遠目でもその存在をくっきり示す「曼珠沙華」(彼岸花:ヒガンバナ)に出会ったりすると、或る種の緊張を感じるものだ。真赤に染まった花冠の美しい立ち姿とは別に、どこか妖艶な雰囲気があり、<彼岸花>の名から不吉な連想まで合わせ持つ。

(本ブログ関連:”曼珠沙華”)

先日のブログに、小学校の垣根に誰が植えたか曼珠沙華が咲いているのを昨年見たが、今年はまだないと記した。しかし時期を見誤ったようで、今年も昨年に増してしっかり咲いていた。誰かが気を回して抜いたのではないかと早とちりしたようだ。

歌に曼珠沙華の詞がある。「赤い花なら 曼珠沙華 / 阿蘭陀屋敷に 雨が降る」で始まる、由利あけみの「長崎物語」(作詩:梅木三郎、作曲:佐々木俊一、1939年/昭和14年)を直ぐに思い出す。対して、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年/昭和61年)に、曼珠沙華の詞があると思い込んでいたがそうではなかった。「山が燃える」から連想してしまったからか、石川さゆりの歌にすっかり酔いしれたからだろうか。

曼珠沙華の花が群生する、埼玉県日高市にある「巾着田」は今が最盛期で、見ごろはあと数日とのこと・・・行ってみようか。実は今日、公園の脇を通り抜けたとき、曼珠沙華が木陰で、いままで見たことのない広がりで咲いているのが見えた。むしろこちらに明日出かけようかと思案する。

2019年10月1日火曜日

(資料)「フラップター」

正直、熱心なジブリ・ファンではなくて、長編アニメ「天空の城ラピュタ」は未見のままであるが、そこに登場した虫のように羽を駆動して飛翔する乗り物「フラップター」(羽ばたき飛行機)を、模型にして飛ばしている方(Kazuhiko Kakuta氏)がいる。これまでその様子を公開されたYoutubeに、飛行を実現したことへの賞賛のコメントがあふれている。

電動モーターによる駆動のようだが、どのような制御をしているのか・・・飛行の方向転換にあたって、底部にある舵のようなものでなのか、あるいは羽ごとに速度調整したりしているのかなど・・・(素人ながら)知りたいことがいっぱいある。


(Youtubeに登録のKazuhiko Kakutaに感謝)

部外者(素人)が口にするのははばかれるが、もし可能ならトンボのように空中ホバリングできたら楽しいだろうなと思う。何でも作ってしまう方なので、空中で後進するものとか、さらには今回模型だが、人の搭乗できるものとか・・・・なんて勝手なことを想像してしまう。

ところで、同じジブリの長編「風の谷のナウシカ」に登場した「メーヴェ」を実機化(人の搭乗を可能に)した事例を以前の本ブログに記したことがある。

(本ブログ関連:”メーヴェ”)