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2018年7月31日火曜日

火星大接近

とりあえず、大接近の夜、今晩22時過ぎに火星を見てきました。別に大層なことじゃないし、ちょいと南の空を見上げれば、東寄りに赤く浮かんでいるわけで、どうというこもないのですが。

大きな畑地があって、そこを囲む民家の明かりもほとんどない、格好の場所から眺めたわけで、月が火星を追っているのも見えました。湿気が気になる夜です。そのためか、火星の赤味が期待ほどでない。というのも、一週間くらい前、乾いた夜空に見た火星はもう少し赤味が濃かったような気がします。気のせいでしょうか。

遠い火星をみるに、乱視の目は眼鏡を借りても滲んでしまい悔しい思いをします。

WeatherNewsの記事によれば、今晩の火星と(地球)の距離は5,759万km。次の大接近は2020年10月6日で6,207万Kmの距離、さらにその次は2035年9月11日で5,691万Kmの距離だそうです。

そういえば、久し振りに地球から火星で待つ家族の元へ帰るSFファンタジー小説とか、あるいは、火星に移住した人々と地球の人々が反目する漫画なんてものもありました。

2018年7月30日月曜日

台風の後の寄り道

台風の後、どこかすっきりしない。気象予報士がテレビで語っていたのによれば、従来と違った台風の進路のせいのようだ。いつものように東側へ曲がった場合、その後に台風一過の晴れ空が見られるが、今回は反対の西側へ曲がったため、その後、まるで台風が近づいて来るときのような空模様が残ったというのだ。こまかなことは気象学の理解が必要なようで、結論だけ納得した次第。実際、朝方、晴れ晴れした感じをしなかった。

とはいえ、昼ごろには、空に白い雲の塊りがあちこちに浮かび、その隙間から青空がのぞいた。そうなると、平気で気移りして、すっかり夏気分になる。

そんなわけで気分一新、今日から一週間、ちょっと寄り道したいと思う。

府中のキャンパスで、イディッシュ語と縁の深い言葉を、学生時代に戻って基本から学びなおしてみようと思う。入門コースのため、キャパシティを超えることなく、混乱もなく、少々の放電は我慢して蓄えてみたい。(ショートして焦付くことだけは避けたい)

2018年7月29日日曜日

暑い夏に「暖炉の上で」

2年前の夏、府中にある東京外国語大学の「オープンアカデミー」(社会人向け講座)で、(以前なかったと思うが)「夏期講座」が開催された。その中に「イディッシュ語入門」のコースがあった。

地元の図書館の棚に「エクスプレス イディッシュ語」(上田和夫著、白水社)があって、興味本位に6課ほど試し読みしていた。読むほどに頭がマシュマロ状態だったころ、上記の夏期講座の案内に「イディッシュ語」があるのを見つけた。アイウエオ順の記載だが、先頭近くに並んでいたような・・・。(アムハラ語、イディッシュ語、・・・)

講座では、先生がイスラエルで調査された、イディッシュ語の状況を背景に、イディッシュ語の(ヘブライ)文字や簡単なフレーズを紹介いただいた。何より良かったのは、イディッシュ文化について触れていただいたことだ。イディッシュ文学の流れから、バーナード・バラッドの「天使レヴィーン」を読んで聞かせていただいたり、19世紀末にイディッシュに人気のあった「暖炉の上で」の歌を教えていただいたことなど、初心者に楽しい授業だった。

そのとき聞いた「暖炉の上で」は、炉辺にパチパチといった音がして、ラビがゆったりと静かに、子どもたちにヘブライの文字を精神を伝える様子が浮かんでくるような、どこか懐かしい響きのする曲だ。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2018年7月28日土曜日

鉱山の排水

午前中に出かけるには短過ぎ、午後には台風接近で強風豪雨になるという。結局、出かける機会を失った。台風12号は、北上したものの、普段と違って西側(先日の西日本豪雨災害地域の方面)へと大きく向きを変えた。今後が心配だ。

石に関わりがあれば何でも興味を持ち、山について話をいくつか記してきた。マタギ(猟師)の猟場や登山者たちの利用する山小屋の周辺といった、少々近寄りがたい場所で起った不思議な話しについてだ。ひと気のない隔絶した所に、関心が湧いて想像たくましくなる。

(本ブログ関連:”「山怪」、「黒部の山賊」”)

石つながりの山の話から浮かぶのは鉱山だろうけれど、鉱山は、上記のような深山にあるわけではない。鉱山は産出した鉱石の運搬・物流を前提にするため、怪異の世界というより、むしろ人間臭い世界にある。そんなことから歴史の裏側をのぞく話になる。

図書館で借りた本「マタギ奇談」(工藤隆雄著、山と渓谷社)には、あるときマタギが歴史的な鉱山の斜面に人骨を見つける話がある。時代を戻すと、江戸時代に遡ることになる。金銀銅を産出する貴重な鉱山だったため、掘り進めると水が湧き出ることがある。そこで、湧水を排出するため、囚人やキリシタンを人足として使ったという。立場の弱い人間は、いつも歴史の底に隠される。

(本ブログ関連:”鉱山とキリシタン”、”坑夫”)

ここでは触れないが、ある鉱山の歴史につながる。負の面について、その鉱山特有なことではない。鉱山なら歴史の中で一般に見られたことだからだ。
気になったのは、キリシタンが話題に出たことだ。キリシタン狩りで連れてこられたという話もあるが、一方で彼らに鉱山技術を持っているいる者がいたという話しもある。どこで、誰から学んだのか、少々ミステリアスなことだ。

2018年7月27日金曜日

(石) 月の満ち欠けにしたがう石

先日、ようやく復活したろうか、石への関心がふたたびもたげてきたようだ。気ままに、いろいろと関心をめぐらす。

古書店で見つけた「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇」(ティルベリのゲルウァシウス、池上俊一訳:講談社学術文庫)に、短文の章立てがあり、「月の満ち欠けにしたがう石」について、「ペルシャには、セレナイトという、その光沢が月とともに増減する石がございます」とそれだけ記している。

13世紀初に、フランスを中心に採集した奇譚集だそうだ。歴史学(アナール学派)的な資料価値とは別に、とてもそんな観点すらない私にとって、関心はもっぱら「石」についてだけであるけれど。

月は、日本人には「かぐや姫」の帰ったところ。ギリシャ神話には、月の女神「セレーネー」(ローマ神話の「ルーナ」につながる)がいるそうだ。乳白色な月は、静かに輝き、どこか切ない。

異国な香りを漂わせ、月光といった幻想味を加えて石を語るのだから、つい聞き耳を立てるというもの。セレナイトは、鉱物的には、「石膏(gypsum)」の一種で「透明石膏(セレナイト、selenite)」といい、「透明な結晶集合体」を指す。先日、筑波の「地質標本館」で見た石膏の結晶は大きく透明だった。それがSF映画かと思う巨大結晶が集合した洞窟がメキシコのナイカ鉱山にあって「クリスタル洞窟」という。(「クリスタル(結晶)」は、水晶を指すこともあるけれど)

(本ブログ関連:”結晶洞窟”)

ところで、この作者は石膏が好きなようで、「細かい粒状」の「雪花石膏(Alabaster)」についても別章で記している。「アルカディア[ギリシャ南部]の地には、いったん着火すると二度と消えない雪花石膏がございます」というのだ。あわせて、燭台で光を放つ素材や、ヘブライの香煙についても紹介している。

2018年7月26日木曜日

春期イディッシュ語 2018-15th (終業)

今日、「イディッシュ語教室」の春期間コースが終業した。とはいえ、夏休みコース、秋期間コースが控えているので休むことはできない。

最終日らしく、授業は今までと違ってチャレンジングなものだった。基本テキストの新たな章(過去形)から読み物を2つ選び出し、輪読・読解するというのだ。事前に下読みしていないと手に負えないのに、他の出席者はそれを難なくこなした。凄い!

(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”)

先生のイディッシュ語話者との経験で聞き知ったまざまな情報をまじえて進められた。
① 基本テキスト「Colloquial Yiddish」
  次の2つの読み物について、先生の基本的な解説の後、輪読する。
  ・対話編:(仮題)「!אױ װײ! איך האָב פֿאַרגעסן אָנצינדן דעם אױװן
                 (何てこと、オーブンに火をつけるのを忘れてた)
  ・読み物:「הערשעלע גײט אין קרעטשמע
                (ヘルシェレが居酒屋へ行く)*
② 「イディッシュ語-英語」辞書の紹介
   ・ケンタッキー大学版のネット辞書:
      https://www.cs.uky.edu/~raphael/yiddish/dictionary.cgi


(*)ヘルシェレ(Hershel of Ostropol): Wikipediaに、この人物と上記の読み物と思われる小話「My Father」が紹介されている。実在の人だそうだが、<貧乏を逆手に取った> 小話が面白い。ただし、テキストとWikipediaに相違はあるけど。
実在の人物だそうで、阿呆村「ヘルム」の住民のことでもないようだが、どこからどこまでが実像なのか気になる。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

ところで、できもしない脅かしをして、ことを済まそうとするのは、「玄関をお借りしたい」と狂言切腹しようとする話とどこか似た感じがする。(映画「切腹」:時代劇感想文集に感謝)

2018年7月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 酒

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、酒にまつわる話を紹介した。

始めに、陰陽五行説に基づく「三伏복날)」について次のように紹介された。
・7月~8月にかけて、陰陽五行説に基づく「三伏」(初伏、中伏、末伏)がある。昔、三伏に田の稲が歳を取るといい、初・中・末伏ごと稲に節ができ、三つできて稲穂になると考えた。一年で一番暑い時期、稲が育つ間、農村ではしばらく仕事を休み、涼しい郊外に出かけて体に良いものを食べた。酒を飲み、歌まであれば、それ以上の幸せもない。

▼ 長寿を願う定型詩の平時調(평시조)による「萬壽山(만수산)」を聴く。永遠に続くかのよう朗々と。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」に登場する李夢龍(이몽룡)活躍について次のように紹介された。
・相手の長寿を願い、酒を勧める歌に「勧酒歌(권주가)」がある。妓生の娘の春香と、高官になった李夢龍の愛の物語パンソリ「春香歌」にも勧酒歌が登場する。李夢龍は、不正な官吏を探す任を受け、官吏たちの内情を探るため、物乞いに扮して宴会へ行く。民は食に窮し苦しむのに、彼らは馳走を前に楽しむ。李夢龍は機嫌よくなくて宴会を乱し、妓生に勧酒歌を歌わせた。妓生は、長寿を祈るではなく、彼をあざけり呪い歌ったが、李夢龍は引き下がることはなかった。

▼ パンソリ「春香歌」から、王の勅命を受けた「(暗行)御史出頭(어사출도」を聴く。
     金樽美酒千人血
     玉盤佳肴萬姓膏
     燭淚落時民淚落
     歌聲高處怨聲高

最後に、朝鮮中期の文人「鄭澈(정철、1536~1594)」の「将進酒辞(장진주사)」について次のように紹介された。
・朝鮮中期の文人「鄭澈」は、酒好きでも知られる。酒のため会議に出られず、非難を浴びたこともある。王は、そんな彼に小さな銀杯をひとつ渡し、今後は一日に一度、酒は一杯にしておくという命令だ。すると、彼は、杯を伸ばして、容量を増やして飲んだという。鄭澈の作品に、酒好きな文人だっただけに、勧酒歌の「将進酒辞」*がある。「飲まんかな 飲まんかな 一杯また一杯」で始まる、終末を想像し、みな泣き悲しんで送っても、世を去った私に誰が酒を交わすというのか・・・という内容。
(*「朝鮮の詩ごころ」(講談社学術文庫)に紹介されているとのこと)

▼ 「将進酒辞」にもとづいた「将進酒」を聴く。ゆるりと歌い流れる。

2018年7月24日火曜日

(雑談)暑さの災害

連日の暑さに閉口している。気合を入れて外出しても、あまりの熱射に圧倒されてすぐに逃げ帰ってしまう。

気象庁の「予報用語」に、次のような区分がある。
① 予報用語(気象庁が発表する各種の予報、注意報、警報、気象情報などに用いる用語)
② 解説用語(気象庁が発表する報道発表資料、予報解説資料などに用いる用語)

夏の暑さについて、気温(℃)を基準にした、上記「予報用語」①に分類される用語がある。従来から聞きなれて一般化したもので、感覚的に理解できるものになっている。
・夏日: 日最高気温が25℃以上の日
・真夏日: 日最高気温が30℃以上の日
・猛暑日: 日最高気温が35℃以上の日

(本ブログ関連:”猛暑日”)

最近、上記①に納まりきれない暑さが生じており、マスコミを通じて、「酷暑」という言葉が使われるようになった。気象庁は、この「酷暑」を上記「予報用語」②の中で、プレスリリース向けに、(感覚的な理解のため)「厳しい暑さ」として使っている。

ところで、昨日の気象庁発表資料「7月中旬以降の記録的高温と今後の見通しについて」(7/23)に、「最高気温が35度以上の猛暑日が続く所もある見込み」と述べられていて、今のところ「猛暑日」以上の分類はない。

昨日の毎日新聞記事「猛暑  気象庁『災害と認識』熱中症死の疑い6日で90人超」(7/23)によれば、同日記者会見した気象庁から、「経験したことがないほどの暑さになっている地域がある。命に危険を及ぼすレベルで、災害と認識している」(気候情報課の竹川元章予報官)と発言があったと報じている。

どうやら、5℃単位に分類してきたなかで、最高気温の「猛暑日」(35℃)を超えて40℃以上の状態が続いたため会見したと思われる。最近、気象庁の動きは素早い。

環境省の「熱中症予防サイト」に、「28℃(厳重警戒)」、「31℃以上(危険)」とあって、最上位の分類が「31℃以上」なのだ。気温40℃到来以前(あるいは温帯地帯)の学会資料やISO標準を参考にしているようだ。

以上から、40℃を待つより、ヒトの体温(37℃あるいは38℃)をもとに、新たな分類を設けるべきではないかと・・・しろうとながら考えてしまう。たとえば、<最高気温がヒトの体温以上、熱中症など災害が予想される「酷暑日」>と報じてくれ方が直感的に理解できるのだが。

2018年7月23日月曜日

東京 今年最高の気温

いつもは、暑いのより寒いのが苦手といっていたけれど、今年の夏はどうかしている。冷遇していたエアコンを頼みに生活しているのだから。今日の東京の気温について、気象庁の「日最高気温一覧表(7月23日、21時00分現在)」を見ると、近在の街に「観測史上最高」とか「今年最高」が並ぶ。
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八王子市 39.3℃  12:49   観測史上最高今年最高
府中市    38.8℃  12:45   7月の観測史上最高今年最高
千代田区 39.0℃  13:34   今年最高
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図書館のスタディールームは、暑さに負けぬようガンガンに冷えて、体に変調をきたしそうなため、窓を少し開けて暖気を取り入れたりした。夕方になって、「韓国語教室」へ出かけようと建物の外に出てみると、熱暑はそのままに覆いかぶさってきた。道筋、あっというまに汗だらけになり、やっとのことで教室にたどりつく。

今日、韓国語教室の今年前半(春期間)が終業した。先生が、授業の終わりに、夏休みの予定はどうかと問いかけられたが、こう暑くっちゃ何をしたらいいのやら、どこへ出かけたらよいのやら、皆ぼそぼそと口ごもっていた。

私も、暑さに負けず何とかしようと思案しているが・・・。

2018年7月22日日曜日

産総研の「地質標本館」

(まるで昨日の暑さそのままのような)今朝、電車を乗り継いで、石の師匠と落ち合い、筑波の産業技術総合研究所にある「地質標本館」へ出かけ、常設の「鉱物標本展示」と <プロジェクションマッピング> による「日本列島の立体地質図」を見てきた。

(本ブログ関連:”地質標本館”)

体調を整えて、ゆるりとお出ましして鉱物標本を鑑賞する、まるで王侯貴族の気分で訪問した。なにしろ鉱物趣味は、博物学の時代、貴族の楽しみの一つだったのだから。ちと大げさかもしれないが、リハビリを兼ねて鑑賞から始めることにした。

標本室の鉱物(といっても岩石や化石も展示されている)を、石の師匠と雑談しつつ巡っていたら、関係者(どうやらOBの方のよう)が、面白い話をしてくれた。
・ 鉱物学(標本)に、① 東京を拠点にしたドイツ系の鉱物科学、② 北海道を拠点にしたアメリカ系の鉱山開発の実学、③ 鉱物趣味を発展したものの3つの源流があるそうだ。(②について初めて聞いた)
・ 標本室の日本産鉱物標本は、鉱山業者が寄贈してくれたものが多く、他所の展示物と比べて大きい。(仰る透り!)
・ 日本に自然史博物館がないことを強調された。(仰る透り!)

(本ブログ関連:”自然史博物館”)

次に、昨日のブログに記載した、「プロジェクションマッピング」技術を利用してリニューアルされた「日本列島の立体地質図」を見た。従来と同サイズだが、白色の日本列島立体模型に、天井からプロジェクションマッピングすることで、どんな情報を得られるのか、どれくらいの高精細画像なのか関心があった。わがままな感想だが次の通り・・・。
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・ 子どもたちの食いつきが、正直気になる・・・キャラクター*が地図上を走り回り、紹介から始まるのはどうだろう。
(* キャラクター例:杏桃アンモちゃん・騎士ナイトちゃん)
・ 2分野別に複数の画像情報が用意されて、分野ごと一つずつ選ぶ組合せだが、自由に複数選択できないだろうか。
・ 地質図を時代別、深さ別に順次(重ねる・剥がす)動的表示ができたら面白いだろう。
・ 動的表示の例として、活火山や活断層の災害状況など考えられるが・・・。
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以上、技術的なこと(&コスト)を無視しての、しろうと感想をご容赦。

さて、石の師匠は、最近、富井鉱山で(実に上品な)紫水晶を見つけた人の話などして復帰するかどうか悩ませるのだった。

(本ブログ関連:”富井鉱山”)

2018年7月21日土曜日

(資料)地質標本館の「日本列島の立体地質図」

近々見に行きたいものがある。

筑波にある産業技術総合研究所の、一般向け施設「地質標本館」は、まさに名の通り「プロジェクションマッピング」技術を利用して、「日本列島の立体地質図」をリニューアルした・・・。(以前、立体模型地図が置かれていたが、固定情報を塗布しただけだったので、子どもたちがその場に長く留まることは少なかった気がする)

(本ブログ関連:”地質標本館”)

プロジェクションマッピング(投影)により、多様な地図情報*を見ることができる。それも、南北に長い日本列島模型**に、切れ目のない投影するというのだから視覚的に楽しいものになるだろう。(動画像も加味されていたらと・・・我がままな期待を込めて)

 産業技術総合研究所「おしらせ」より
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* 地質図、地形図、衛星画像の3種類の背景画像と、活火山、河川、交通網など約10種類の個別画像があり、これらを自由に重ねて表示することもできる。
** リニューアルした「日本列島の立体地質図」は、全長約9メートルの日本列島の精密立体模型(縮尺1/34万)
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(参考)Youtube:「第7回 GSJジオ・サロン『みんなの地質図』【産総研公式】
(参考)Web: 「絵で見る地球科学


(Youtubeに登録の産総研広報に感謝)

2018年7月20日金曜日

土用入り 2018

今日は夏の「土用の入り」(土用の丑の日)。Wikipediaによれば、「土用は雑節で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである」とのこと。そして、今日が夏の土用の初日(入り)にあたる・・・まさに猛暑真っ只中であるが、実は今日から18日後に「立秋」(8/7)を迎えるわけで、そろそろ「秋」のことも考え合わせろということなのだろう。

(本ブログ関連:”土用”)

この土用の入りに、遠く源内先生(享保13年:1728年~安永8年:1780年)にいわれて鰻を食うようになった。「丑」の日なので、牛肉でもいいのではと思うのは、文明開化を経験した後の考え・・・そういえば、牛丼屋のメニューに「鰻と牛のセット」がある。

鰻の蒲焼といっても、本物は高価で、学生向けに<鰻の蒲焼のタレ>を混ぜただけの飯があるそうだ。若者に通じる「ジョーク飯」だろう。他方、安価な外国産の養殖鰻があるが、こちらは成長ホルモン剤や抗生物質など気になる。遠慮したいところだ。結局、国産の鰻に行き着くのだが、ちょっとした鰻屋の暖簾をくぐらねばならない。それはそれで足が重くなる。

結局、暑さのせいにして、鰻を食いに出かけることもなく、いつものように終わってしまいそう。

2018年7月19日木曜日

春期イディッシュ語 2018-14th

さすがにここ連日の暑さには参った。テレビのキャスターが、「身の危険を感じる」ほどと語ったときには、思わず同意して吹き出した。確かに、この暑さに悪意まで感じる。というのは、「イディッシュ語教室」へ出かける途中に寄った図書館から出た瞬間、熱風に襲われた・・・そう思うほどだった。

とはいえ、通い道で太陽を直接浴びるのはわずか。電車、地下鉄がほとんどのため、それほどじゃない・・・はずだが、帰宅してみればシャツに汗が滲んでいた。

(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”)

授業は、先生の特徴ある<イラスト>をまじえてストーリー解説など工夫いただいた。

① 先生がイスラエルで入手されたテキスト「ייִדיש  צום נײַעם לערן ־ יאַר」(続き)
  ・(学校で歌い、帰宅しても歌と踊りを楽しむなど)トピック別に順に読みつぐ

② 基本テキスト「Colloquial Yiddish」(続き)
  ・ダイアログ:(仮題)「דער כּלהס ברודער און די געסט(結婚式の兄と来客たち)」の輪読とロールプレイ
  ・登場人物の関係を、先生の<イラスト>*で理解できました! (* ご了解を得ずリンクしましたこと深謝します
  ・ユダヤ教のHasidik(ハシデイック)とChabad(ハバッド)のイメージについて


(受講者からの話題)
・goodの「גוט」を「gid」と発音する場合がある・・・ポーランド語の影響ではと紹介。
   - 入門者は真似しないようにとのこと。

2018年7月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 「筏のアラリ」ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「筏のアラリ」ほかを通して民謡についての話を紹介した。
(昨日(7/17)から、KBS WORLDのホームページがリニューアルしたようです)

始めに、漢陽まで筏を流す筏師の歌「筏(뗏목)のアラリ(아라리)」について次のように紹介された。
・時に「にわか儲けの大金」を手にして、思いのまま使ってみたいことがある。そんな金の入手を、金の意(돈)に(떼)をつけて「テドン(떼돈)を稼ぐ」という。「テドン」に面白い由来がある。漢陽(ソウルの旧称)で、大屋を建てるのに、良質の木材を遠く江原道地方の山奥から運んだ。木を伐採して筏を作り、漢陽まで漢江の流れを利用した。この筏を「筏(뗏목)」といった。大儲けする意の「テドン」は、ここから由来した。筏の上で寝泊まりし、時には命を賭けたが、漢陽に到着すれば大金を入手できた。漢江の川辺には、酒を飲める場所が多くあった。筏師は稼いだ金を、酒や博打などに全て使うこともあった。「筏のアラリ」の歌には、店の主人との対話や、酒を飲みながら人生を嘆く内容など登場して、当時の筏師の生活が分かる。

▼ 筏師の思いを歌った「筏のアラリ」を聴く。アリランのバリエーション幅広く。

次に、慶尚道地方の深山で歌われた、木こりの歌について次のように紹介された。
・深山の木こりは、ほとんど作男だった。木こりの歌には、年頃を過ぎても結婚できずに嘆く内容が多い。だからか、一人で歌うものと言われ、他の人が聴くものではないとされた。

▼ <木製のしょいこ(지게)を背負って歌う(어사용)>「지게어사용」の歌を聴く。聞かせる人もなく・・・。

最後に、民謡の歴史的な意味について次のように紹介された。
・KBSで毎週日曜日に放送する、1980年に放送以来、今年で38年目になる番組「全国のど自慢」がある。海外でも楽しまれている。歌と踊りが好きな民族らしく、民謡に、昔の暮らしが表れている。一人のときも、みな一緒にいるときも、楽しいときも、悲しいときも、山や川、どこにいても、そこにはいつも歌があり、民謡はそれ自体が歴史でもある。

▼ 全羅南道地方の巨文島の漁師の船歌「巨文島の舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。漁労の歌。

2018年7月17日火曜日

(雑談)暑さに負けて・・・

暑さに負けて、家の中で過ごす。先週の「韓国語教室」で、暑さと寒さのどちらが苦手かという先生の問いに、大半は暑さと応えた。今週の教室は、祝日「海の日」(7/16)のため休講となったが、暑さは相変わらず続いている。

寒いのが苦手な私も、さすがに暑さに閉口して、エアコンのお世話になっているが、自然な揺らぎもない人工的な温度管理は、電子レンジで調理した料理が均一な温度をして馴染めないのと同じ。人間は、自然の微妙な変化を感じ取るようにできているので、単調な環境はある意味拷問のようなものだ。

日が翳り始めた夕方、外出する。門横のノラ猫は今日は顔を見せない。暑さに逃げ出したのだろう。

2018年7月16日月曜日

イ・ソンヒの「たぶん」

イ・ソンヒの最も愛らしい恋歌をあげるとしたら、12集(「My Life + Best」)所収の「たぶん(아마...)」(作詞・作曲キム・チョンソ、2001年)でしょう。おじさんには、乙女の心をよう分かりませんが、彼女が歌えばそんなことなのかと納得するのです。なにより歌声が可憐で可愛いじゃありませんか・・・耳を傾けざるえません。

(本ブログ関連:”「たぶん(아마...)」”)

今年6月末のコンサートに行けませんでしたが、過去(2009年以来)4回のコンサートで、この歌が歌われることはありませんでした。さすがに、彼女に、歌うには少し遠くなったのでしょうか。でも、Youtubeでは何度も楽しめます・・・なぜYoutubeかというと、12集アルバムだけ入手できなかったのです。何度もソウルの中古レコード街を探したんですけどねえ。


その人の話し、しましょうか。 悲しい私の愛、聞き入れることができますか。
馬鹿でしょ、言葉ひとつできず、一人で胸を痛めるなんて。 私のそばにいても、
分かってください。 そんな気持ち、彼を見るたび、いいえ、私余計なこといい始めたようです。

*もう、その人には、命のような、そんな大事なものがあるのでしょう。
永遠に、私は堪えられない話をできないんです。 愛するという言葉は、たぶん・・・

なぜか、涙が止まりません。 つまらないでしょう。 私の気持ち分からなくて。
あなたがくれたハンカチに、涙とともに滲み出た言葉、それはあなたなのに。
本当に分からないのですか。 私のこんな気持ちを、いいえ、余計なこといい始めたようです。

*(2行繰り返し)
*(2行繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2018年7月15日日曜日

さすが昼過ぎの公園は

さすが昼過ぎの公園には、人影もまばらだった。日曜日というに、広場をにぎわす子どもたちの遊び声が聞こえてこないのだ。木陰の散歩道もウォーキングを楽しむ遊歩者とすれ違うことがない。どうしたことだろう、公園の中心ががらんと空いているのだ。

東京の今日の最高気温は 34.5℃ で、昨日の 35.4℃ を超えることはなかったが、腕を刺すような陽射しに昨日以上のものを感じた。思わずうなるほどの暑さだった。

公園のクスノキの高い木立は、適当な日陰をつくりほどよい風を通す。木漏れ日も薄い、そんな場所に置かれたベンチに座って、来る途中コンビニで買ったペット入りの緑茶を飲みながら新聞を読む。風に吹かれて紙面がパタパタと揺れ、読むのにひと工夫が必要。クスノキの木立は風通しがよい。ゆったりと時が流れるような気がした。

そういえば。昨日、家を出るときに門横の蔦草(アイビー)の陰から、私のもの音に驚いたのだろう、若い猫がび出した。そして、今日も、帰宅したとき、同じ茶の縞模様の猫が蔦草の中からするりと走り去るのが見えた。蔦の陰はノラ猫にとって、この暑さに居心地よい場所になっているのかもしれない。

2018年7月14日土曜日

(ツアー会場追加)イ・ソンヒのコンサート<Climax>

6/29~7/1、ソウルのオリンピック公園にある「オリンピックホール」で、イ・ソンヒのコンサート<Climax>が開かれた。この後も、米国サンディエゴや、韓国の水原、大邸、仁川、大田の各都市と続き、さらに、高陽、清州、光州(広域市)の3都市が追加された。来年にかけて、コンサート開催都市が順次発表されることだろう。

(本ブログ関連:”Climax”)

ソウル : 6/29~7/1
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米国: 8/11
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水原: 9/8~9/9
大邸: 9/29
仁川: 10/20
大田: 11/3~11/4
高陽: 12/1
清州: 12/15~12/16
光州: 12/29
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(参照: Interparkチケット)

(追記)
真綿にくるまれたような暑い日中、公園の緑陰で読書をひととき楽しんだ。そうなると我がままなもの、明るい陽射し浴びたくなる。例によって南下して、調布飛行場の「プロペラカフェ」で、(アイスコーヒーとチーズケーキを楽しみながら)隣接の格納庫にある飛行機を窓越しに眺めた。いつもと同じだが、次の機種が駐機していた。
・単発:JA72XL   /   Liberty_XL2 (米、クルー1人、乗客1人)
・単発:JA4187   /   Socata TB-9 Tampico (仏、クルー1人、乗客3人)
・ヘリ:JA9664   /   Agusta A109A Mk2 (伊、クルー1-2人、乗客6-7人)

2018年7月13日金曜日

(雑談)ちり

土の「ちり」で神に作られた人は、その鼻に神が息を吹き込んで、生きた者になった・・・そうだ。

土の「ちり」とは一体なんだろう。砂漠の宗教なので、土はどれくらいの粗さだろうか。そして、土の「ちり」とは一体何なのだろう。土人形を作るのに、粒子の細かい粘土質が良いに決まっている。

土の「ちり」は、きっと近くに水辺があったに違いない。泥人形「ゴーレム」も、ラビが川辺の泥で作ったもの。そういえば、神が人を作ったのは、初め草木のない所だったが、やがて地から泉が湧きあがって周りを潤した、そんな湿った場所だった。川は後でできた。(「創世記」2章6、7、10)

「ちり」は、ゴミのちりではなくて、ふるいにかけて得たわけでもない、粘土質の微粒子で、湿地の粘土だったのではないだろうか。

ところで、韓国のバラードに、男女が出会った場所の窓辺に<ちり>があると語ることがある(それも唐突な感じがして)。この場合の<ちり>は、ゴミじゃなくて、はかないものの例えだろうか。

2018年7月12日木曜日

春期イディッシュ語 2018-13th

年々、行動範囲の同心円が狭まっている。それを突破するのに、毎週木曜日の「イディッシュ語教室」は貴重な機会である。通学に使う地下鉄の「1/f」揺れに、大いにリラックスさせてもらっている。

先週(7/5)、振り替え休講だったため、ひと心地ついたはずなのに、怠け癖があってか予習を忘れたりして・・・間抜けな話だ。

(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”)

授業は、先生が先日出席されたイスラエルでの研究会の話題をまじえて工夫いただいた。

① 先生がイスラエルで入手されたテキスト「ייִדיש  צום נײַעם לערן ־ יאַר」の続き
  ・トピック別に順に読みつぐ

② 基本テキストの読み物「די עלטערן פֿונעם בעל ־ שם ־ טובֿ און אליהו הנבֿיא」(Ba'al Shem Tov の両親(となる夫婦)と予言者Elijah)の輪読

③ テルアビブで開かれた研究者の会議の様子を、一般向けに楽しく聞かせていただいた。
   ・研究者の紹介から人柄が知れて、ぐっと身近に感じられた


(受講者からの話題も楽しい)
・上記②の予言者(Elijah)に相当する、中国の仙人「呂洞賓(りょどうひん)」・・・中国古典に造詣の深い受講者から
・ワルシャワの都市地図から歴史的な場所の紹介・・・ポーランドの経験が長い受講者から
・人間が土のちりでできていること(「創世記」2章7)・・・キリスト教の古典に造詣の深い受講者から

2018年7月11日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 「羅針盤」ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「羅針盤」ほかを通して旅についての話を紹介した。

始めに、夏への期待と旅の楽しみについて次のように紹介された。
・長い夏休みは、期待が高まる時期であり、それに向けて色々な計画を立てる楽しみがある。いつ、どこへ、誰と行くか、行って何をするかなど考えると幸せな気分になる。チケット予約の準備も楽しい。車や電車、船や飛行機などと、その手段も多々ある。旅立つイメージに、磁石の針が方向を教えてくれる「羅針盤(나침반)」もある。

▼ 「羅針盤」の演奏を聴く。軽快に回転するように・・・今様に。

次に、短歌「竹杖芒鞋(죽장 망혜)」のソンビの理想と現実について次のように紹介された。
・短歌「竹杖芒鞋」は、身軽な旅支度の意で、ソンビは、竹の杖と、わらじ、水を飲むためのヒョウタンの格好で、騒がしい世を離れて旅に出るとはいえ、清貧を唱え、富や名誉を追わず自然に隠居する暮らしを理想としたものの、それはただの理想。ほとんどの人は、科挙に合格し、高官になって富と名誉を手にするのが望みだった。

▼ <「竹杖芒鞋」を唱えながらも、正直な気持ちを表した>「八道遊覧歌(팔도유람가)」の歌とコムンゴ演奏を聞く。なるほど豪華旅行。

最後に、朝鮮中期の文人「鄭澈정철、号松江)」の「関東別曲(관동별곡)」について次のように紹介された。
・ソンビは、竹の杖とわらじ姿で出かけたり、歌い手と一緒に出かけることもあった。いずれにしろ、戻ると感想を詩や絵などで作品にした。代表的な朝鮮中期の文人に「鄭澈」がいる。彼が地方官のトップ「観察使」として赴任したときに作った「関東別曲」は、江原道地方の景色を漢字とハングルで表した詩歌で、金剛山と沿岸の八名勝地をうたっている。昔、江原道地方の妓生は、この曲をよく歌った。今はそのリズムは伝わっていない。

▼ 新たに作曲された「新しい関東別曲(신관동별곡)」を聴く。重厚に今様に。

2018年7月10日火曜日

(資料)リメイクについて

イ・ソンヒのリメイクアルバム「le dernier amour(最後の愛)」は、正式にはフランス語タイトルのようだが、「最後の愛」といった方が口にしやすい。彼女の、初めてのリメイクアルバムということになる。もちろん、ライブや放送でカバー曲を歌ったことは多数であろうけれど、アルバムにして出すのは初めてというわけだ。

(本ブログ関連:”le dernier amour(最後の愛)”)

週刊東亜の「キム作家の音談樂談」の記事「大衆歌謡のクラシック化境地を開いて見せる」(7/10)は、「リメイク」の模範として、イ・ソンヒとアイユー(IU)が出したリメイクアルバムについて以下のように語っている。(抜粋)
ここでは、「リメイク」について、対象曲は時代の検証を終えたものであり、商業的にはリスクを減らした安全策であるといった評論家らしい苦い前提をしているが、まあ、そんなことより、本来のリメイクの意義について語っている部分(学生のリポートにコピペされるような内容だが)を参照させていただいた。

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・一般的に人が音楽を最も旺盛に聞く時期は、10代から20代半ばだ。その時代に聞いた歌は、生涯を共にする。言いかえれば、「最近の歌は、聞くことがない」と考えがち。イ・ソンヒのファンたちもそうだろう。その時、その時代の音楽にだけ陥没していた既成世代に、イ・ソンヒのリメイクアルバムは、「ああ、最近の歌もイ・ソンヒが歌うといいね」という認識の転換をいだかせる。

・アイユーとイ・ソンヒは、このような作業を通じて自身の世代に、それぞれ他の時代の音楽を伝える。これは、すぐに彼らの音楽に対する認識が、枠にはまっていないことを証明するだけでなく、歳月のかなたに消えたり、既成世代に届かなかった音楽をよみがえらせる大切な作業であるわけだ。言ってみれば、クラシックが楽譜を通じて絶えず息を吹き返して再解釈されるように、大衆音楽もやはり新しい音と新しい声で、違う世代に持続可能性を教えてくれることだろう。
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2018年7月9日月曜日

日野てる子「夏の日の想い出」

西日本(九州、四国、中国、近畿方面)の大雨災害の後に、東京は暑いうだるような夏の陽射しが続く。日なたに出かけて驚くのは、たたみ掛けるような日射、熱波だ。逃げ場なく容赦ない暑さが襲ってくる。「暑さ」というより「熱さ」そのものだ。

この暑さを思い出に変えてしまえばいい。遠くに追いやれば、少しは忘れ、逃れられるというもの。そこで、懐かしい、日野てる子の「夏の日の思い出」(1950年)をYoutubeで聞いてみた。夏の歌と思っていたが、実は。夏を回想する場面が主要かもしれない。そうなると、歌は冬になる。夏の思い出はとっくに遠くなっていた。実際、この曲がリリースされたのは、1950年1月20日だったそうだ。

「夏の思い出」という言葉は、あまりにポピュラーで、いろいろな場面で使われているが、私の記憶にあるのは、日野てる子の「夏の日の想い出」の歌が一番である。実はもう一つ勘違いがある。彼女がハワイアン歌手ということと顔立ちから、沖縄の方と思っていたが、愛媛県松山市出身ということを今回初めて知った。


(Youtubeに登録のおおばじょうしょうに感謝)

2018年7月8日日曜日

(雑談)石が育つこと

先日(7/1)、ニール・セダカの歌う「バラライカを弾き鳴らそう(Tumbalalaika)」の歌詞に、若者が「雨がなくても育つものは何?」と問いかけたのに対して、女性が「雨がなくても石は育つ」と応える部分がある。他の応答もすべて ”n- ”の韻があるからとは別にして、なぜ「石」が語られたのか、石好きには興味深い。

(本ブログ関連:””、”鉱物 、・・・後は省略”)

国歌の「君が代」で、「さざれ石」(小さな石)が集まって「いわお(巌)」(大きな岩)となるという関係は、私たちに当り前であるが、砂漠の国に生まれた人にとっては、不思議に聞こえるかもしれない。わずかな平地に山が迫る日本では、岩や石が珍しくない存在だ。(東京の住民は、関東平野の広がりに慣れてしまって、実感しにくいかもしれない。余談だが、子どものころ、父親の転勤で東京に来たとき、石ころ道がなかった・・・全て舗装されていたことに驚いた・・・随分昔のことだが。)

「鉱物」が集合して「岩石」を構成するのも、ある意味「育つ」関係かもしれない。

ところで、石ころそのものが大きくなるという、伝説や信仰がある。国立国会図書館のデジタルコレクションにある「信仰民俗誌」(本山桂川著、昭和書房、昭和9年)に、「成長する石の群」の項があって、さまざまな民間伝承を例示している。
それらに共通しているのに、ある場所で入手した石を持ち帰る最中、あるいは持ち帰った後、石の重さや大きが増加するのに気付くというものだ。持ち帰るという、場所の移動(時間の経過)が重要なポイントかもしれない。

また、袂(たもと)に入れるという動作が加わることから、これらを「袂石(たもといし)」と呼ぶ範疇がある。(柳田国男の「日本の伝説」)

(本ブログ関連:”石の世界”)

石が育つには、場所を変え、時を経て成り立つ。そう考えれば、若い男女間の成就も何が必要か分かるというもの。そして、「苔のむすまで」といった永遠性がかなえられれば最高だろう。

2018年7月7日土曜日

七夕 2018

西日本各地に「大雨特別警報」が発せられ、記録的な大雨による(考えた以上に)大きな災害にみまわれている。一方、南関東は一時期、小規模な風雨があったものの大過なく済んでいるため、テレビのニュースで知る西日本の大雨被害の規模に驚く。

東京は、幸い天候を回復しており、暑く晴れた日が続きそうだ。今日は二十四節気の「小暑」で、暑さが本格的になるころという。確かに、暑さはもう始まっている。

合わせて、今日は五節句のひとつの「七夕」でもある。星空を見晴らすほどに回復にいたらない。気分だけでも、「牽牛」と「織女」のロマンスを空想しながらひたってみたい。
七夕には、「短冊」に願いごとを記した笹飾りがつきもの。地元公園の管理事務所前に、来園した子どもから大人までが、自由に願いごとを記して吊している。とりわけ、幼い子どもの短冊はつたなくて可愛らしくほほえましい。しばらく見とれるものだ。

(本ブログ関連:”七夕”)

七夕に、子どもたちの素直な気持ちが浮かんでくる、昔懐かしい歌「たなばたさま」(作詞権藤花代*、作曲下総皖一、昭和16年)を聴いてみよう。(* Wikipediaの権藤花代の項に歌詞の解説がある)


(Youtubeに登録のキッズボンボン TVに感謝)

2018年7月6日金曜日

イスラエルからイディッシュ語教室の便り

先日(6/21)の本ブログに記したことだが、「イディッシュ語教室」の若きクラスメイトがイスラエルにイディッシュ語を学びに行っている。情熱を傾け打ち込む若者の姿は本当に素晴らしい。

そんなクラスメイトが、「イディッシュ語教室」のみんなへメールをくて、現地教室の教材の一部を紹介してくれたのだ。目が点になった。会話文を読んで、質問に答えるようだ・・・質問の数の多いこと! 語学力というより理解力を試すようで大変そう。

そんな教材をみっちり連日やったら、一週間に一度の授業でも大変な身には想像もできない、超ヘビーなことだろう・・・と、要らぬ心配をする。でも、二物も三物も掌中におさめる若者にはへっちゃらに違いない。

若さと行動力に感心し、うらやましく思う。(昔の私には及びもつかぬことをやってのけるのだから)
そして、情報ありがとう。

2018年7月5日木曜日

(雑談)昔のヒーローはひとりだった

昔、子ども時代のヒーローは、ひとりで活躍したものだ。それが、今のテレビのヒーローはグループ(戦隊)になっている。最新のCGをふんだんに使ったアメリカ映画までもが、マーベルの主人公が寄せ集まっている。こうなると、独り立ちできない物真似タレントが集団になって登場するのに似て場末感が漂う。

昔のヒーローは、時代設定が現在であれ過去であれ問わず、「月光仮面」も「怪傑黒頭巾」もひとりで悪と戦った。アメリカの「スーパーマン」もそうだった。ヒーローはひとり存在して、つまり孤独を内ちに秘めてこそ価値あると思ったものだ。現在の「ヒーロー」はどうだろう、子どもたちにとってどんな存在なのだろう。

最近、映画を見て、真似しようという子どもはいないだろう。あまりにスケールが大きくて、CGのリアリティが強烈過ぎるからだ。昔は、モノクロ時代の映画は悠長だったようで、父親の世代には、映画「児雷也」を真似て、傘を広げて屋根から忍者のごとく舞い降りようとして骨折したなんて話を聞いたことがある。子どもを夢中にさせるものがあったようだ。戦後も「スーパージャイアンツ」の白いマントにあこがれて、風呂敷をマント代わりに飛んでしまった子がいたという。

最近、子どもの関心は戦隊ものであれアニメであれ、飛びぬけたヒーローはいないようだ。かならずチーム共同であたる。そういえば、アメリカ映画で、チーム(集団)にはリーダー争いがつきものだったが、今はどうだろう。ため口をきくチームはつまらない気がする。

2018年7月4日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」「春香の部屋飾り」ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「春香の部屋飾り(춘향 방치레)」ほかを通してさまざまな遊びについて話を紹介した。

始めに、高麗時代の歌「礼成江(례성강)」から、唐の商人と碧瀾渡の美人人妻の苦難について次のように紹介された。
・高麗の歌に「礼成江」がある。「礼成江」は、北の黄海道を流れる川で、河口にアラビア商人も出入りした「碧瀾渡(벽란도)」があった。そこを訪れた唐の商人「賀頭綱」は、地元の美しい人妻に見とれる。彼は、女性の夫を訪ねて賭け碁をする。ついに二人は妻を賭けるが、結局、賀頭綱が勝利して美人妻を奪う。妻と別れるとき、夫が歌ったのが「礼成江」の一節であり、その後、紆余曲折を経て戻った妻が歌ったのが、その二節である。ただし歌詞は今に伝わらない。
・ところで、身分を越えた春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)との物語パンソリ「春香歌」で、李夢龍が初めて春香の部屋に入ったとき、部屋の四方に飾られた絵の中に「商山四皓図」があるのを見た。中国の秦の時代、始皇帝の暴政を避けて商山に隠居した、髪とひげが白くなった神仙のような四老人を画材にした絵だ。

▼ 李夢龍が見た春香の部屋飾りを描写した「春香の部屋飾り」をカヤグム演奏と歌で聴く。淡々と・・・。

次に、「商山四皓図」とは別に、庶民の世界に「将棋(장기)」を打つ場面があり次のように紹介された。
・喧騒の世を離れ、山中に隠居して囲碁を打つ暮らしを理想として、「商山四皓図」がよく描かれた。一方、大衆の遊びに将棋がある。昔、夏になると東屋で将棋を指したが、今はめったに見られない。将棋見物して思わず口をはさむ者、叱られる者、菓子をもらえると思って集まる子どもたちもいたことだろう。

▼ 京畿道地域の民謡「将棋打令(장기타령)」を聴く。32駒について中国史で語る・・・

最後に、主に上流層の両班や妓生が楽しんだ「骨牌골패)」の遊びについて次のように紹介された。
・昔の遊びに「骨牌」があった。ドミノと似た牌で、1.5×2センチほどの板に、獣骨を付けて、その上には数字を表す穴を刻した32枚の板で遊ぶ。様々な遊び方があり複雑なため説明書もあった。一般の庶民より、主に上流層の両班や妓生が楽しんだという。

▼ 「骨牌打令(골패타령)」の歌を聴く。歌謡風でリズムについついのってしまいそう。

2018年7月3日火曜日

ワールドカップ「日本対ベルギー」戦に一喜一憂

にわかファンも、(今日の日付に変わったばかりの)深夜に熱中した。2点先行に思わずニンマリする。素人はすぐに安心(慢心)して緊張が続かない。やがて瞼が重くなり、意識が一瞬飛ぶのを感じた。大いに反省して、部屋中歩き回って活を入れる。アルコールが入っていたら、睡魔の誘惑に溺れたもしれない。

ワールドカップ「日本対ベルギー」戦は、素晴らしい展開で進み、もしかしたらという勝手な予想(妄想)にはまる。意識の途切れ途切れがあったものの、最後まで観戦した。思わぬ終幕へ向かうのだが。結局、2-3の逆転を許してしまうことになる。

日頃、サッカーと縁遠いとはいえ、テレビ画面を通して試合模様に触れると、現地での観戦を想像したくなる。競技場の熱気とかどよめきとかどうだろう、肌で感じられるのだから。もちろん、街のパブリックビューイングにファン同士集まるのもいい・・・これは、若者の特権だろうと羨ましく思う。

にわかファンは、選手の名前もうろ覚えで、ましてルールにいたってはにわか知識でしかない。次のパスは誰に行くのかなんて、野球のピッチャーの配球のように見当もつかない。それなのに、結果についてつい口にしてしまうことがある。

サッカーの国際試合で見慣れた「痛い痛いアピール」*という奇妙なジェスチャーがある。大いに疑心が湧くものだが、この試合では、日本・ベルギー両国のお国柄といっていいのだろうほぼ見かけなかった。フェアに試合が進んだのだ。見ていて本当に気持よかった。

(* 追記7/10:Youtube ”Practicing 「The Neymar」”)

にわかファンは気が早い。次回のワールドカップの優勝トロフィーを、日本に持ち帰ってくる夢を見る。

(参考)夏講座オープンアカデミーの受講者延長受付

(お知らせ)
東京外国語大学の「夏講座オープンアカデミー」の受講受付が延長されました。次のイディッシュ語関連講座の受付が、7月2日(月)~7月13日(金)まで延長されます。

・「イディッシュ語超入門」(7月31日(火)~8月2日(木))
・「イディッシュ語初中級」(8月28日(火)~8月30日(木))

まだ間に合いますよ!

詳しくは、東京外国語大学オープンアカデミーindexページの「お知らせ」にある「2018年07月02日  夏講座オープンアカデミーの受講者延長受付について」をご覧ください。


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ご指導いただく鴨志田先生のブログ「ユダヤ人と言語 Jews and Languages」に、まさに今現在、イスラエル(エルサレム)滞在記が公開進行中です。夏講座でお話をうかがえるかもしれません。
--- 先生の了解なく、紹介しましたことご容赦願います。
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2018年7月2日月曜日

半夏生 2018

雑節の「半夏生(はんげしょう)」である。2012年以降、これについて4回ほど記したが毎回とまどうばかり。いかにも俳句の季語らしく、関心ある人にはこの時期に似つかわしい言葉だろうけれど、現実に半夏生の姿を見ることはない。

(本ブログ関連:”半夏生”)

Googleニュースで「半夏生」を検索すると「俳句」につながる記事もあるが、どうやら一般受けしないのか、メデイアの最後の手段の食べ物ネタと絡めている。半夏生とサバ(鯖)の丸焼き、タコの天ぷらなどが代表的で、中には半夏生とうどんといった組み合わせもある。

半夏生のこの日について、Wikipediaに「この日までに『畑仕事を終える』、『水稲の田植えを終える』目安で、この日から5日間は休みとする」といった風習があるそうだ。この地は、かつて武蔵野の台地、(麦)畑と栗林の歴史を持つが今は住宅地でしかなく、ところどころに面影を残すのみとなっている。したがって、農事の風習に根ざした伝承もない。目安となる実感がないのだ。

とはいえ、農作業から一休憩する昔の農家を思い浮かべてみるのも悪くない。深夜を無事にのりきれば、もしかしたら明るい朝を迎えられるかもしれないからだ。

2018年7月1日日曜日

ニールセダカの「バラライカを弾き鳴らそう」

昨日で6月が終わり、今年の半分を消化したことになる。一年をリンゴの実に例えるなら、半分喰ってしまい、残り半分しかない。時のあっけなさに驚くばかり。とはいえ、私としてはただ凡庸に過ごすだけ。7月1日の今日もいつ通りである。

それに比べれば若者は違う。チャレンジは常に新しく、明日に、未来につながる。そんな若者たちの情熱を歌った、「ニール・セダカ」のイディッシュ民謡に「バラライカを弾き鳴らそう(Tumbalalaika)」がある。Wikipediaに「Tumbalalaika」の項があり、イディッシュ語と英語の対訳が並んでいる。
(題名に楽器バラライカがあることからロシア系ユダヤ人の歌のようで・・・、ニール・セダカの母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民だったとのこと)

(本ブログ関連:”ニール・セダカ(ניל סדקה)”)

若者は愛に確信を持ちたい一心から、不安を打ち消すように、夜にバラライカを弾き鳴らす。そんな高揚した彼の想いに、彼女は応えてくれる。雨がなくても石は固まる、燃え上がった愛は消えることはない、そして憧れに涙はいらないと。バラライカの音を中心に、若い男女の情熱が回るようだ。

若者の問いかけの最初に「雨がなくても育つものは何?」とあり、それに対する女性の応えは「雨がなくても石は育つ」とある。雨と石? 果たしてその関係は。

(本ブログ関連:”石の世界”)(追記:”石が育つこと”)

(イディッシュ語と英語をまじえて歌う)

(Youtubeぶ登録のgrease52に感謝)