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2012年4月30日月曜日

バトルシップ

映画は何~ンにも考えずに楽しめるのが良い。そんな中でもSF物は大好きというわけで、休日の今日、息子と一緒に映画「バトルシップ(BATTLESHIP)」を立川に観に行った。同街での映画鑑賞は「劔岳」(2009年)以来である。

ハワイ沖で、アメリカを中心に環太平洋諸国他の海軍が合同演習を行なっているところに、突如宇宙人による襲来に直面する。この人類的な危機を、如何にして戦うかというSFアクションである。ストーリーの展開に追いつくのが大変で、ハラハラさせるが、結末は安心してよい・・・だろう。

宇宙に友好を求めて、安易に電波を発射してしまったことが全ての始まりだった。
すぐさま反応して、襲来した宇宙人部隊は、先遣の少数精鋭の通信部隊なのか。しかし偵察や擬似平和交渉もしないで、いきなり戦い始めるとはコロンブスよりも・・・無茶すぎる。それに、地球に何を求めに来たのだろう。

昔のSF映画「未知との遭遇」や「ET」などは、宇宙人との友好を漠然とイメージしたが、最近のSF映画は襲来物ばかり。高層ビルの屋上で無定見にウェルカムをするより、リアリティが多少なりとも感じられる・・・時代が変わったのかな。

ところで、その昔に、紙上に升目を書いて海戦ゲームBattleship (game))をして遊んだことがある。見えない敵艦船の存在を推定し攻撃するゲームだ。結構面白かった思い出がある。

2012年4月29日日曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒが歌い続ける曲に「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」がある。1988年にリリースしたアルバム4集「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(歌詞)におさめられていて、タイトル曲と同様に彼女の代表曲である。
戻ることのできない昔に、想いを自由に往来させてしまう少女特有のセンチメンタルな歌なんだけど・・・。

大衆音楽評論家のカンホンが、東亜日報の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011/10/10)で、次のように作品上の位置付けしている。(本ブログ:2011/10/10紹介)
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・作詞作曲の名コンビであるヤン・インジャ - キム・ヒガプによって誕生した、(1986年のアルバム3集)「分かりたいです」という無駄のない簡潔な楽譜の行間で、幼い淑女が少女漫画のように抱いていた切ない感情をこのように切実に訴えるボーカルは、その前後(の時代)に見つけるのは難しいだろう。このパターンは、洗練された音楽のドラマツルギー(Dramaturgie、劇的構成法)を持つ「愛が散るこの場所」と「私はいつもあなたを」などの名曲を作曲したソン・シヒョンをともなって、絶頂の花を咲かせる。
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(本ブログ関連:"愛が散るこの場所")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年4月28日土曜日

ミュージアムトーク「小麦と武蔵野のくらし」

江戸東京たてもの園で開催中の「小麦と武蔵野のくらし - 人が集まればうどん -」展(4/21~7/8)に、学芸員によるミュージアムトークを聴きに行く。

展示室の個々の展示品について、親しみやすく解説(ミュージアムトーク)していただいた。民族植物学という分野を専攻されているそうだ。初めて聞いた学問分野だが、農耕民族の日本人にとって馴染みやすそうな気がする。
(インターネットで学術誌(概要)を見ると・・・研究者はやっぱりすごいなと感心するばかり。)

さて先日(4/21)のブログで、展示解説書によって触れたので、今回は追記だけにする。
・多摩川上水からの分流水は、飲料水などに使われたもので農耕用ではない。
 → ご近所にも、南北に続く幅2m程度の極端に狭い路地があって、これがどうやら水路跡のようだ。
・嫁入りで婿の家に入る際に、2本の麦藁をタイマツとして地面に押したて、その間を通り抜けるという民俗行事が清瀬市にあった。余談として、もし嫁が狐なら尻尾を出すだろうという言い伝えがあったそうだ。
 → 狐?ということで、「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」を思い出した。
・麦藁は盆の迎え火にも使われ、人の人生と密接に関わっているとのこと。
・江戸時代からの貯穀という(大量の穀物の貯蔵)制度があって、特にその共同性を評価されていた。
 → 指摘されたように、最近の自然の驚異を目の当たりにすると十分に納得できる。
・昔、米は貴重品で、米>>>(うどん)>>麦・雑穀、の順のようたった。(聞いたイメージで!)

展示解説書を見ながらもう一度展示品を見てみようかな。

そうそう、展示室外の廊下に置かれたディスプレイで、麦打ちの記録映像が上映されていた。貴重な映像だけに、是非とも映像所有部門にてYoutubeなどに登録・公開していただければと願う。

(付記)
小金井公園に向かう道に、ハナミズキの並木道がある。白い花が春の暖かい陽射しをうけて華やいで見えた。途中に法政大学工学部小金井キャンパスがあって、通りから見える施設の2階にスエヒロののぼりが立っている。部外者でも食事できる。

2012年4月27日金曜日

金環日食を楽しもう

来月5/21に起こる金環日食の楽しみ方や仕組みについて、子ども向けに紹介している映像「日食を楽しもう」(制作:国立天文台科学文化形成ユニット、協力:2012年金環日食日本委員会)がYoutubeにあるので見よう。13分はちょっと長いけど、内容は次の通りだよ。
金環日食の観察では目に気をつけよう。おじさんも安全のために、日食めがね(遮光プレート)を準備したよ!

・日食のスケールを実感しよう ・・・ 太陽と月と地球の大きさと距離
・日食の見え方 ・・・ 金環日食、部分日食、東京は朝の東の空
・日食めがねの使い方 ・・・ 陽射しを直接見ない、日食めがねを使おう、(昔、すすガラスを使ったけどダメ!だよ)
・いろいろな楽しみ方 ・・・ ピンホール、木陰・木漏れ日の形
・もっとくわしく知りたい方へ ・・・ 太陽と月と地球の軌道と位置関係、金環日食・皆既日食の違い、ベイリービーズ
・大人の方へ ・・・ 子どもへの安全配慮の確認項目



(Youtubeに登録のashubunitに感謝)

(追記)
天気予報の通りにはならず、夕方もずっと小雨降り続くなか、旧来の韓国語学習グループとの会食に行く。割と行きつけの場所に、こんな店があるとはつゆ知らなかった。

2012年4月26日木曜日

スプライト

雲から地上に放電する雷(かみなり)とは反対に、宇宙に向かって放電する発光を「スプライト」というそうだ。今日の日付に変わった深夜に再放送されたNHKのドキュメント番組「宇宙の渚(The Cosmic Shore)」で初めて知った。

この発光を妖精に例えて「スプライト(Sprite)」と名づけられたという解説を聞いてまず思い出したのは、炭酸飲料水のサイダーと同系統といったところの、緑色イメージのビンに入った(最近は自動販売機の缶入りで飲んだりするが)例の「Sprite」だろう。製造会社のホームページに、命名の由来があって次のように記している。
・ブランド名の語源は、英語のSpirit(元気の意)とSprite(妖精)に由来し、炭酸が威勢よくはじける様子、さわやかな透明感などを表現しています。

ふむふむ、はじける!ね・・・なるほど、上空の「スプライト」の発光も、NHKの超高感度カメラで写された映像で見ると、はじかれたように光が飛び散っていた。
それに、妖精のティンカー・ベルは、光の粉をまき散らしながら空中を駆け巡っていたし。特にディズニーのアニメ「ピーター・パン」に登場するティンカー・ベルは、お茶目で焼もちやきで、それにキュートで・・・。

この「スプライト」は、上空を突き抜けてどこへ行くのだろうかといえば、うっすらと光って地球を覆っている宇宙との電気のバリヤに到達するそうだ。そこに「大気光」が観測されるという。

ISSの窓(キューポラ)からこの科学観測に関わった古川聡宇宙飛行士は、コロンビア号のラモーン宇宙飛行士の遺志を引き継いだ。感動的な話がこの番組に通底する。

そして、この科学現象を観測した科学者たちの、「スプライト」の光を見つける毎に、まるで子どものように歓喜して「Sprite!」と叫ぶ様子が楽しかった。その場に居合わせたような気がした。

(追記)
・Business Insider (Oct. 14. 2021, 07:00 PM TECH INSIDER)
「ISSの宇宙飛行士が珍しい発光現象『スプライト』を撮影」・・・ Red Sprite紹介あり
    https://www.businessinsider.jp/post-244039

2012年4月25日水曜日

今朝地震があった

今朝地震があった。ふと目覚めると、微妙な揺れが続く。来るなと思ったと同時に揺れが大きくなった。体感は震度3くらいを感じて、すぐにテレビで確認したが、地元震度は2程度のようだった。

気象庁の地震情報は次の通り。
・平成24年04月25日05時26分 気象庁発表:25日05時22分頃地震がありました。
・震源地は千葉県東方沖( 北緯35.7度、東経140.9度)で震源の深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます。

不思議なことに、大きな揺れの後も、小さな揺れがしばらく続いたことだ。早朝の朦朧とした意識の中でのことなので、地震の現象を正しく把握していたかどうかは怪しいけれど・・・。

ただ、ここ数日、震源が次第に、福島沖>茨城沖>千葉沖へと南下してきているような気がする。考え過ぎかもしれないが、荒唐無稽とするほど確信はない。素人の見当違いであって欲しい。

2012年4月24日火曜日

イ・ソンヒの「バラ」

イ・ソンヒには、伝統的なバラードやロックを主に、東洋回帰的な「因縁(인연)」の旋律の他に、ラテンにもつながるものがあって、その代表曲に「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)がある。うちに秘めた真紅の情熱がほとばしる曲だ。運命の棘に傷ついたとしても、しかし悔いのない凛とした姿が浮かんでくる。

大衆音楽評論家のカンホンが記した、東亜日報の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011/10/10)に次のような一節がある。
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イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。
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(本ブログ関連:"14集「愛よ...」を聴く"、"イ・ソンヒのドレス"、"デビュー22周年記念ライブコンサート(2006年)")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)


(付記)
中央日報の記事「[作家シン・ギョンスク e-メールインタビュー] 私の代表作、まだ出てない」(4/24)によると、出版10ヶ月ぶりの2009年9月に100万部の国内販売した申京淑(シン·ギョンスク)の小説「母をよろしく」が、(今月)23日に、200万部を突破した・・・とのこと。

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年4月23日月曜日

思い出の場所へ

以前、某ハウスメーカーのCM映像が印象的で、そこに流れる歌を誰が歌っているのだろうかと調べたところ、村上ゆきだった。穏やかでカジュアルな雰囲気がした。また、ラジオ番組で聞いた彼女の語りは心地よかった。ゆったりして優しく、構えを感じさせない落ち着いた声が自然に耳に入ってくるのを感じた。

彼女の雰囲気とどこか共通した歌手に大貫妙子がいて、この二人が作詞と作曲を分担したものがあるという。某鉄道会社の車両のCMソングで、「私を連れて帰ろう」(作詞:大貫妙子、作曲:村上ゆき)という曲だ。
そう、そっと後押しされて、自然と心優しくなっていくような気がしませんか。

(Youtubeに登録のsayaema、YoonSiYoon1987に感謝)

(本ブログ関連:"楽園へのあゆみ"、"大貫妙子")

2012年4月22日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹允錫

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/18)に、牙筝(아쟁:アジェン)という楽器で自らの名前の入った散調산조:サンジョ)を作り出した尹允錫(ユン・ユンソク:윤윤석、1939年~2006年)を紹介した。

まず、牙筝の復習・解説から始まった。
・韓国の弦楽器は、奏法により、指で弦を弾いて音を出す伽耶琴(カヤグム:가야금)やコムンゴ거문고、「玄琴」)などと、弦を弓で擦って音を出す奚琴해금:ヘグム)など2種類あるが、牙筝は後者の擦弦楽器である。

・牙筝はとても大きく、また国楽の楽器の中で最も低い音を出す。

▼尹允錫の演奏による「牙筝シナウイ(아쟁시나위)」を聴く。低音の独特の深い響きにひかれる。やがて高音まで演奏を展開する・・・。独奏楽器として成立したのはいつ頃のことだろうか。
(「シナウイ」について本ブログ関連:"韓国の風景")

次のように尹允錫プロフィールが紹介された。
・1939年 全羅北道益山の礪山に生まれる。
・1960年代 牙筝散調を学び始める。
・1980年代 自らの名を付した牙筝散調を発表。
および楽器牙筝の改良につとめる。
・2005年 没する。

▼尹允錫の演奏による「鉄牙筝散調」を聴く。牙筝の絹糸弦を鉄弦に変えて手で弾くと、確かに別の楽器の音色がする。では・・・打弦では、どんな風に聞こえるのだろうか。

▼尹允錫の演奏による「尹允錫流牙筝散調」を聴く。尹允錫「流」の意味するところを理解できる余裕もないのが残念だ。

2012年4月21日土曜日

(資料)小麦と武蔵野のくらし

小金井公園にある「江戸たてもの園」で、開園20周年記念特別展として「小麦と武蔵野のくらし」展が今日から始まった。水利の乏しい武蔵野台地で、新田開発した人々の糧でもあった小麦が、どのように栽培され、食されたかが紹介される。昭和期以降の展示が中心で、写真や農機具を通して人々の生活がうかがえる。

以前、地元公民館主催の郷土の歴史散歩シリーズに参加して、江戸期以来の人々の暮らし振りを聞いたことがある。昔の人々が、決して豊かとはいえない、(現在と比べれば)むしろ粗食と思える食事をしていたことを知った。

「小麦と武蔵野のくらし」展では、日常の食事について、次のように記している。

・水が乏しかった武蔵野台地の中央部では、乾燥した畑で栽培ができる麦と雑穀、そしてサツマイモが作物の中心であった。天候にあまり左右されずに収穫できるこれらの作物と、陸稲、根菜類が合わせて栽培された。 人々は季節に応じて、耕地を空かすことなく輪作を行った。

・収穫された小麦で作った手打ちうどんは、ご馳走として、家々の年中行事や冠婚葬祭の席にかかせないものでした。皆で一緒にうどんを打ち、食べることで家族や地域のつながりを深めていったのです。
→(実は、うどんを常食していた時代があったと誤解したことがある・・・ハレの食べ物だったのだ。)

・麦飯
石臼で大麦をこまかく砕いたひき割り麦や、押し麦にウルチの陸稲をまぜたメシと味噌汁、漬物、煮物が日常食であった

・北多摩の作物と食べ方
武蔵野台地では、かつて大麦・小麦・雑穀・陸稲・サツマイモを主食とした。大麦をほぼ毎食食べ、陸稲のウルチマイを混ぜて炊飯した。大正時代までは雑穀のウルチアワをメシにして食べることもあった。
陸稲のモチゴメはモチにし、雑穀のモチ性のものと混ぜてついた。家によっては正月にモチを一石くらいつき、切ってから水をはった樽に保存し、初夏頃までチャガシにしたり、麦作で忙しい時の昼飯にした。小麦はうどん、まんじゅうにし、寒い夜などは汁にいれてスイトンにして食べた。自家用の醤油のもろみにもした。

・昭和20年代頃は朝・昼・晩に大麦に陸稲のウルチマイをまぜたメシ、10時と15時にはサツマイモや正月についてモチを水に漬けて保存した水モチなどをチャガシとして食した。
→(昭和20年代とは戦後の食料事情の悪い頃のことか? 農村と都市部では大差があったと聞くが・・・)

(本ブログ関連:"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井の今昔")

2012年4月20日金曜日

穀雨2012

天気予報サービス会社の今日の予報は、「曇り」で「折りたたみ傘があると安心」という。また雨かとうんざりする。しかし、二十四節気の「穀雨」だといわれると、恵みの雨と納得してしまう。

さて、この雨、どんな風景に合っているのだろうか。春雨にけむる畑に農夫が一人いる墨絵のような世界を空想するのは勝手というものだろう。穀雨を観念に閉じ込めては申しわけない。農作業の中での実感を知りたい。

「穀雨の終わりごろ(立夏(5/5)直前)に八十八夜(5/1)がある。」(Wikipedia)とのこと。カレンダーで季節を知るより、日毎の寒暖、天候の様変わる実感に信を置くようになった。ようやく自然の存在である自分に気付いたということでしょうね。

2012年4月19日木曜日

巡検

地質・地理関係の研究者が、野外実地踏査を「巡検」というが、自分たちアマチュアの鉱物採集に使ったことはない。鉱物の会の席上でも、ベテランが口にするのを聞いたことがない。
巡検の言葉に格式張ったところがあるからなのか、民間が使うには独特の匂いがするからなのか。

自分たちが普段使う言葉は、「鉱物採集(に行く)」が主だが、「石採り(に行く)」、「採集(に行く)」といった程度である・・・まあ、そんなところだ。

ところで、韓国のテレビ番組に「別巡検(별슨검)」という時代物がある。内容は、朝鮮時代末の科学捜査の物語である。警務庁に新設された捜査官で、「別」の文字に調査分析の特別の意を込められているのだろう。Gyaoで、その第1作を見た。
Wikipediaの「巡検」には、「1894年から1907年まで使われた李氏朝鮮(大韓帝国)警察官の階級の1つ。のちに巡査に改称した。」という説明がある。

2012年4月18日水曜日

イ・ソンヒの「Because Of You」

イ・ソンヒのアルバム12集CD「MY LIFE」(2001年)は入手困難だが、韓国のTwitter に奇跡のように求めたと喜びを記されたものがあって本当にうらやましい。
このアルバムに収録の「Because Of You」(作詞・作曲ユ・ヨンソク)は、悲しみの深さを歌っているのに、彼女の抑制した歌声とバックコーラスが重なり繰り返されるうちに、旋律の美しさが抜きんでて印象に残る不思議な曲だ。

-- 残念ながら現在、Youtubeに登録の「Because Of You」の映像は削除されている --

2012年4月17日火曜日

雨上がりの夜の公園

夜桜気分も終わったこの時期、雨上がりの夜の公園を利用する人はいない。韓国語教室の帰り、自動車がときたま走る道に併行した公園の小道を、街燈の灯りを頼りに進むと何かが香る。雨に濡れた地面の枯松葉が、辺りに香りを漂わせていたのだ。

ひんやりした空気に、松脂様の独特の香りがして、なぜか緑陰の夏の高原を思い出した。春の暗闇と夏の緑の世界が、この香りで一瞬でつながった。公園の夜道が自然に穏やかになった気がした。ほんの僅かな時間であるが香りを楽しんだ。
そういえば、山深く歩く「森林浴」という言葉があったことを思い出した。

陸橋を渡ればすぐに、公園の端に着く。また人家のつづく街に戻る。

2012年4月16日月曜日

神野美伽の「夜桜善哉」

桜の花びらが散って、界隈の景色は先をいそいでいる。満開の桜花の艶やかな光景などなかったかのようだ。自然の移ろいに、眺める方が追いつかない。時間の過ぎ去りをますます早く感じるようになった。

今年は、夜桜見物をしなかった。体調不良の身には、この花冷えが出歩くことを億劫にさせた。

せめて、春の夜のほんわりしたひと時を感じたくて、神野美伽の「夜桜善哉」(歌詞)を聴いてみよう。夜桜がほどよい舞台装置になって、そうそう与謝野晶子の歌にありましたね。

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき

・・・なんちゃって。

2012年4月15日日曜日

新鉱物の発見

子どもたちが成りたいものに、まぶしいほどのヒーロー、プロ野球選手がいる。もしかしたら夢の中で見た、グラウンド上のあの絶妙なプレーが現実になるかもしれないと、また夢を見る。やがて、子どもたちは夢を見なくなる。

今日、四谷で開かれた鉱物の会に出かけた。なのに体調が思わしくない。長引いた風邪は沈静化したものの今月いっぱい用心と思っていたところ、一昨日から腹をくだしているのだ。会場までの中央線車中、フラフラしているのに気付く。

鉱物の会では、総会および例会の後に、関西の若手研究者による「新鉱物発見の実際」というテーマで、国内で発見した2種の新鉱物を事例に講演があった。
図解や写真を多用して、新鉱物であることについて分かりやすく語られた。さらに、発見した鉱物の化学組成や結晶構造などをいろいろな観点で分析するための装置も紹介された・・・、何だかその気にさせていただいたのがうれしい。
新鉱物発見の夢は、子どもがプロ野球選手になる夢を見るようなものなんだろうな、実現するのは大変なことだ。

今回の集まりに、小学生の子どもを連れた親子が数組参加されていた。この子どもたちの中から、つぎの新鉱物発見者が生まれることを楽しみにしたい。彼らは鉱物の会の宝物だ。

(追記)
新鉱物の発見場所って、日曜ミネラルハンターお決まりの採集場所である「ズリ」でもいいのかなあと気になって、隣席の筑波の研究者にうかがったところ、「ダメ」との回答。講演事例の通り、採集場所は坑内、つまり確定した場所、産状でなければならない。いやあ、ズリでとんでもない夢を見るところだった

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

イ・ソンヒのアルバム10集「First Love」(1996年)所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때 )」(作詞・作曲イ・ソンヒ)は、彼女がシンガーソングライターとして、本格的に自身の作品を発表した最初ものである。
想い出を美しく情熱的に歌う、この曲をYoutubeで聴いてみよう。(登録のKnightmareSMに感謝)

作品発表について、アジア経済紙と彼女のロングインタビュー「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)で、次のように述べている。
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実は、私は最初のアルバムから、いつも曲を書いていたけれど、当時、シンガーソングライターという概念がそれほど良く考えられないし、女性が曲を書くといえば、評価がそんなに豊かでない時期で、「私も曲を書いたが、入れてみたい」というと、いろいろな理由で反対されて。
私の曲をのせてもよくなったのは、「ライラックが散るとき」(10集)の時からです。私が作った曲をやってもよいだろうと思ったし、少しずつ比重を増やしました。そうするうちに「因縁(인연)」を発表して、そのアルバムが予想外にうまくいって。
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(本ブログ関連:"ライラック")

2012年4月14日土曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 コムンゴファクトリー

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、今週水曜日(4/11)に、人物シリーズ23回目として初めてのグループである、「2006年、20代の若いメンバーで結成されたコムンゴファクトリー(거문고 팩토리、Geomungo Factory)」を紹介した。

まず、(伝統的)弦楽器コムンゴ거문고、「玄琴」表記あり)の復習・解説から始まった。
伽耶琴(カヤグム、가야금)とよく似た形をしているが、
- コムンゴは弦の数が伽耶琴の半分の6本
- 胴体の厚みは伽耶琴の二倍ほどで、ずっしりとした形状
- 伽耶琴に比べ、その音色は重く低い(伽耶琴は女性らしく、コムンゴは男性的ともいわれる)
・演奏方法も、弦を指で弾くのではなく、
- 《右手》に持った匙(スルテ、술대)という短い木の棒でで叩いたり、すくったりして音を出す。
- 《左手》では弦を(胴体の上に置く16個の木の板)フレット(fret)である固定の「クェ(괘)」の上で押したり揺さぶったりしていろいろな表現をする。
・コムンゴは、テンポが速く、変化の激しい曲を演奏するのは難しいとされ、現代創作音楽では除外されることが多かった。

▼コムンゴファクトリーによる「コムンゴ&タンゴ」を聴く。むむむ、新しい楽器の登場といった方がよいような・・・これも、総合化・統合化の流れなのでしょうか。
Youtubeの「Geomungo&Tango」も参考にして。

次のようにコムンゴファクトリープロフィールが紹介された。
・2006年 20代の若い女性3人、男性1人でグループを結成。
・数々のバリエーションを持ったコムンゴ楽器を創作。・・・改良楽器を演奏することに対して、韓国でも賛否両論がある。

▼コムンゴファクトリーによる「自由な鳥へ(자유로운 새에게)」を聴く。演奏会の雰囲気を知りたいような、分かるような・・・。
Youtubeの「Fly to the Sky」も参考にして。

▼コムンゴファクトリーによる「ピョルクムジャ(별금자)」を聴く。月夜に星がきらめくような雰囲気で・・・。
Youtubeの「The Starry Night」も参考にして。

(Youtubeに登録のTheGeomungofactory、kindheartedgeomungoに感謝)


彼らの存在は、どれくらいの潮流というかムーブメントとなっているのでしょうか。解説の岸さんが「チャレンジ」という言葉で後押ししているのがわかります。時代を変えるのも創造するのも、結局若い人たちなんですからね。

2012年4月13日金曜日

ベサメ・ムーチョ

中学生の頃、精一杯大人の振りをしたくて冒険するものだ。ある街の駅の裏通りにあった薄暗い喫茶店に仲間と一緒に行って、すっかり緊張したが、翌日教室で自慢げに話したものだ。もちろん、それを聞く周りは、大きくうなづき感心していた。

アメリカのフォークソングを歌っても、歌詞の意味を深く考えなかった。まして、トリオロス・パンチョス(Trío los Panchos)の歌に至っては、旋律の美しさにひかれただけかもしれない。スペイン語の歌詞は、その内容よりも発音のしやすさに関心があった。
特に、トリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ムーチョBésame mucho)」は、仲間と一緒に何度も歌った。

ところで、この「ベサメ・ムーチョ」の作詞者コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)が、16歳の少女で誕生日前に作ったと、Wikipediaで知った。作詞当時、彼女はキスをしたこともなかったという。そう、彼女も歌詞の中で精一杯大人になっていたのだろう。日本でこれを歌っていた、中学生の子どもたちも同様に。

(Youtubeに登録のgu7196に感謝)


(追記)
今日は、福島沖でM5以上の地震が何度も発生している。

2012年4月12日木曜日

ファンについて

思い違いがあるかもしれないが、記憶に浮ぶまま綴ってみる。随分以前、あるテレビ番組で、著名な日本人現役野球選手が、米国の敬愛する元バスケットボール選手を訪れた。TVカメラをはずして二人だけで談話したとき、野球選手は元バスケットボール選手から、ファンについてあるアドバイスを得たという。それは、慎重にして冷徹な、ファンの存在と関わりについての分析であった。

さて、イ・ソンヒはファンについてどう語っているのだろうか。
以前、アジア経済紙が彼女とロングインタビューをしたときの記事から抜き出してみよう。彼女は、冷静な自己分析と同時に、ファンについてそのあるところを次のように承知していた。

再掲
アジア経済「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)より
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(大衆性について)
・私が大衆的な人だと(笑い)、いつも宿題のように残っている部分です。大衆の心はいつも動きます。変わらないのは、容赦なくて、また冷たく評価しますから。

(大衆が願うことと、したいことのバランスについて)
・評価の前にいつも悩んでいる自分がいます。初めにハードロックをしたので、まだその精神が残っていて(笑い)。ところで、アルバムは作曲者がいて、その人の意図を充実しようとしますが、ライブの時は、本当にハードに歌います。その時そのように感じて、私がそのように生きてきた、ありのまま表現します。
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ファンにもお国柄があって一般化できないけれど、それでもファンは、ファンなりに自身を省みる必要があるでしょう。

2012年4月11日水曜日

【詩朗誦】 「私はイ・ソンヒに似ているんですって?」

曇天に、思い返したように小雨がパラつき、追い討ちをかけるように風が吹く。おかげで、桜の花びらを辺りに散らし、濡れたアスファルトの路面に張り付かせる。春雨の無粋な仕業だ。

今朝、病院で風邪の回復のお墨付きをいただき、久し振りに地元公園にある健康運動センターの健康体操コースに出席する。病み上がりを考慮して、まずは体慣らしから。
そのコースへ通う道すがら、珍しい光景に出あった。春風が吹いてくる方向に桜の木が見えないのに、十字路に花吹雪が舞っていたのだ。まるで、お天気雨のような、そこだけ不思議な空間になっていた。

ところで、イ・ソンヒの詩「私はイ・ソンヒに似ているんですって?(내가 이선희를 닮았다구요?)」は、詩集「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」(1990年4月1日)に収められている。この詩集が出版された同年6月には、朗誦版のアルバムがリリースされる。

上記の詩は、25歳のイ・ソンヒの内省を物語っている。歌手として存在の意味と、行く末に対する不安が交錯する。彼女は音楽のために在るのか、ファンのために在るのか、いや自分のために在るのか・・・。
当時の彼女は、歌手として音楽活動において、数々の大賞を得ていたし、絶頂期でもあった。音楽評論家の冷徹な目でみると、実はこの1990年にリリースした、彼女の第6集アルバムがピークであり、変換点でもあったといえる。それを、彼女は予期していたのだろうか。(もちろん数々の試行の結果、現在の彼女が、揺るぎない大きな存在であることはいうまでもない。)

詩の最後は次のように結ばれている。

・・・・・・・・・・・

そうだ、私は、
イ・ソンヒに似たもので 、
イ・ソンヒではないかも知れない。
それなら、
イ・ソンヒは、どこに行ってしまったのだろうか。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩"、"イ・ソンヒの変換点")
(本ブログ関連:"「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ"、"イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩")
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩「マックス・ミュラーの『ドイツ人の愛』を読んで」")
(本ブログ関連:"1986~2009韓国女性歌手の好感度")

(音源)
ブログ「AESTHETICA」で、(ドラマチックな音楽の流れる)この詩を聴くことができる。感謝。

2012年4月10日火曜日

満開の桜を探しに行く

東八道路を三鷹方面に見る
気分を変えて、今日は野川方面に満開の桜を探しに行く。

南北に走る西武多摩川線の新小金井駅と多磨駅の間に、武蔵野公園野川公園が東西に連なり、広い園内を国分寺崖線の斜面からの湧水を得た野川が流れている。その南側を、野川と並行して、写真のように東八道路が西武多摩川線を横切っている。

(本ブログ関連:"野川の桜"、"はけの道(小金井市)")

線路そばの陸橋から東八道路を三鷹方面に眺めると、切り通しのような両側が見事な桜並木になっている。この道路を走る自動車から、やや視覚が上になるが、美しい満開の桜にどれくらい気付くだろうか。

線路に沿って南下する。住宅街に囲まれてアメリカンスクールの横を通り更に進むと、東京外国語大学の広大な府中キャンパスが現れる。
春の陽射しを受けて、のんびり散歩を楽しんだ。帰り道、野川公園の桜が、少しずつ散り始めていた。

2012年4月9日月曜日

春のぬくもりにさそわれて

小金井公園の満開の桜
春のぬくもりにさそわれて、ふたたび小金井公園に行く。
4/6(金)~4/8(日)の3日間つづいた「桜まつり」は終わったものの、今日も公園の桜は満開で、平日とはいえ家族連れも含めて人の波は絶えない。

園内の「江戸東京たてもの園」前の広場を囲む桜の木立は、春の陽をうけて薄紅の白色の花をしっかりと咲かせ、眩しいほどだ。先日(4/6)たずねたときの人出と変わらない。いや、それ以上かもしれない。

かすかに咳きが残っていて多少不安があるものの、これくらい暖かいと、もう一度遠出してみるのもよい。晴れた広い空から降りそそぐ春の陽射しに満足した。今日の都心の気温は、23.5℃で、5月下旬並の気温だったそうだ。

(本ブログ関連:"桜まつり")

2012年4月8日日曜日

本当なら今日は石採りに

本当なら今日は石採りだった。栃木県の石仲間に加わって、日光市小百(こびゃく)にある大井沢鉱山に鉱物採集を予定していたのだ。(同会の今年最初の採集会になる!)

先日、お世話になっているXa氏から、出欠確認の電話があった。2月半ばに寝込んで以来長引いた風邪が不調だったため欠席とお願いした。ここ数日、回復の兆しがあるものの、遠出して山中に採集に行くまで自信がない。残念!。

同鉱山は、方鉛鉱、自然蒼鉛、輝蒼鉛鉱、閃亜鉛鉱、鉄重石、リリアン鉱、硫酸鉛鉱などが採れるという。
成果はいかがだろうか。

体力の完全回復まであと少しなのに・・・。

パティ・キムの引退

パティ・キム(74)が54年の歌手生活から引退すると、2/15に発表(リリース)した。
・・・完全に記事をスルーしていた。遅れての情報入手だが次に綴る。

中央日報の記事「“韓国歌謡界最高の歌姫” パティ・キム、54年の歌手生活に終止符」(2/15)によれば、韓国歌謡史で「初めて」が付く彼女の業績を次のように記している。
・1960年 NHKに出演。
・1962年 韓国初となるリサイタルコンサートを開く。
・1963年 米国進出し、米国地上波NBCの番組に8回に渡り出演。
・1978年 大衆歌謡1号として、世宗文化会館に入城(公演)。
・1989年 ニューヨークのカーネギーホール公演。

また、KBS WORLDによれば、ラストコンサート「GLOBAL TOUR CONCERT」を、6月2日(土)19:00、 オリンピック公園・体操競技場で実施するとのこと。

パティ・キムのCDを初めて聞いたときの驚きは今でも忘れられない。それがきっかけで、韓国歌謡を聞くようになった。彼女の代表曲「離別(이별)」(作詞・作曲:吉屋潤(길옥윤))は、彼女の手を越えて、もはや韓国歌謡の大きな礎となっている。

(本ブログ関連:"パティ・キムの「Jへ」")

(本ブログ関連:"パティ・キム(패티김)は凄い!"、"国民歌手"、"カラオケ"、"テネシーワルツ"、"イ・ソンヒのカーネギーホール公演と全国ツアー"、"イ・ソンヒの「2011コンサート」")

2012年4月7日土曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 李銀珠

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、今週水曜日(4/4)に、人物シリーズ22回目として「京畿民謡(경기민요)の名人、"銀のお盆の上で玉を転がすような声"という代名詞で呼ばれているほどの美声の持ち主の李銀珠(이은주、1922年~)」を紹介した。

(本ブログ関連:"民謡"、"民謡(続)")

▼李銀珠の歌による「離別歌(이별가)」を聴く。ソウルに近いからというわけではないが、どこかスマートで伸びやかさを感じる。・・・・内面的な理解までは。

次のように李銀珠プロフィールが紹介された。
・1922年 京畿道楊州に生まれる。(本名、李潤蘭(이윤란))
・14歳で京畿民謡大家の元慶兌(원경태)門下に入る。李銀珠の芸名を授かる。
・1942年 20歳で京城放送局と専属契約を結ぶ。
・李昌培(이창배)の下で後輩の指導にあたる一方で、積極的な音楽活動をする。
・1975年 京畿民謡の芸能保有者(重要無形文化財第57号)として選定される。

▼李銀珠ほかの歌による「ノドル江辺(노들강변)」(1934年、パク・ブヨン(박부용))を聴く。新民謡なんだね明るいな、すいすいと前向きな、水辺の柳が春風に揺れて・・・。

▼李銀珠ほかの歌による「回心曲(회심곡)」(歌詞)を聴く。太古宗奉元寺の霊山斎(「和請」)のCDでも聞いたが、女性ながら太く芯のある声に驚く。経文ではなく民謡の要素が強いとのこと、人生を宗教的に省みて俯瞰することにつながるのかな・・・。

(歌詞:ブログ「花の世 国楽芸術団」より。感謝。)

(本ブログ関連:"(資料)霊山斎、奉元寺")


(余聞)
以前、地元駅そばにあった韓国家庭料理店の名前が「ンジュ(銀珠)」だった。今は、「明洞」の名になっているが・・・家庭料理店らしいメニューと雰囲気は変わらない。

(本ブログ関連:"昼さまざま"、"明洞")

2012年4月6日金曜日

桜まつり

今年は、2月半ばに風邪で寝込んで以来回復が遅れ、寒さに耐えて咲く梅の花や、華やかに舞う桜の花吹雪も見ずに終わりそうだった。しかし、ここ2、3日の暖かさのおかげか、咳き込みが消え体調も一気によくなった。そこで念のため厚着して、小金井公園に観桜に出かけた。

小金井公園では、今日(4/6)から明後日(4/8)まで「小金井桜まつり」が開催される。園内の「江戸東京たてもの園」前広場では、特設の野外ステージにアマチュアの歌や踊りが演じられ、通り道には食べ物主体の屋台が並び、たくさんの人々であふれていた。

広場を囲む桜木立はほぼ満開に近く桜色に染まり、低く垂れた花のひかりを愛でるように、人々はその下で宴を楽しんでいた。他方、別の場所の桜の木々はまだ芽を膨らませているといった具合である。公園の桜が 一斉に咲き誇るまでの暖かさに至っていないのだろうか。

今日は、小金井市の小学校の入学式と新学期であり、そのせいか平日金曜日の午後ながら、親子連れが多い。とりわけ、春の初々しさを象徴するように、幼い子どもたちのはしゃぐ声や姿が微笑ましい。待望の春である。

(付記)
小金井市はゴミ問題で世間を騒がせたせいか、公園のあちこちにゴミを持ち帰るよう、看板などが設けられて少々うるさい・・・カメラの視野にかならず入ってくるのだから。

2012年4月5日木曜日

Ci Sara

石好き(鉱物マニア)だからといって、それだけに専念するわけでない。同好の士にイタリアンPOPのファンがいる(人物そのものイタリア気風の方で・・・)。お気に入りは、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)だそうだが、カーステレオで聞いた(聞かされた)ものに、タイロン・パワー(Tyrone Power)の娘と結婚した歌手のデュエット曲があった。

さて、その歌手が誰だったのか記憶が曖昧なためインターネットで調べてみたところ、アル・バーノ(Al Bano)であり、 タイロン・パワーの娘とはロミナ・パワー(Romina Power)のようだ。早速、Youtubeに彼らのデユエット曲を探したところ、1984年にサンレモ音楽祭で大賞を受賞した「Ci sarà」(邦題:愛の架け橋)があった。まさに世界を二人のものにした、明るく高らかな讃歌といったところでしょうか。

(参考)アル・バーノについて「POP!ITALIANO」サイトに詳しい紹介がある。感謝。

ちなみに、サンレモ音楽祭大賞と、イ・ソンヒの年代と合わせていえば次のようになる。
・1964年 ジリオラ・チンクエッティが「夢みる想い(non ho l'età)」で受賞。この年、イ・ソンヒが誕生。
・1984年 アル・バーノと タイロン・パワーが「愛の架け橋(Ci sarà)」で受賞。イ・ソンヒが江辺歌謡祭で「Jへ」で大賞してデビューを果たす。

(Youtubeに登録のseradimusicaに感謝)

(本ブログ関連:"ジリオラ・チンクエッティ 「雨」")

2012年4月4日水曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」は、何度聴いても心地よい。2004年に音楽活動20周年を記念して世宗文化会館の大劇場ステージで歌う彼女の透きとおるような高音の美しさとパワーに圧倒される。彼女の姿は清潔で美しい。
それに、映画「家門の栄光」シリーズに巧みに使われているのも楽しい。もしかしたら、この曲が大衆性を持ちあわせて、いつまでも人気あるのに寄与した一因かもしれない。
そうそう、この歌は、恐縮ながらカラオケで数少ないわたしの持ち歌の一つである。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”「家門の栄光」”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年4月3日火曜日

「偉大なる誕生」1と2の似たところ

スポーツ韓国の記事「[TV拡大鏡] "偉大なる誕生"1・2の勝者似た形である理由」(4/3)は、MBC「偉大なる誕生」のステージ1、2の優勝者に共通するところを次のように挙げている。
(アン・チンヨン記者)

・それぞれのステージで、最終決戦に残った二人のメンティーが、特定のメンターのもとにあったこと。
・優勝者が、かたや国境を越えてきたものであり、かたや栄光と挫折を経たもので、背水の陣で共に夢を実現したこと。

勝者への惜しみない賛辞が語られた文面であるが、イ・ソンヒについて触れている部分を次に写させていただきたい。

・「偉誕2」のイ・ソンヒは、「ママ・メンター」と位置づいた。特有の多情多感な語り口で、自身のメンティたちを含む全ての出演陣を暖かくかばい、直接料理をして励ました。(MBC)関係者は、「ク・チャミョンとペ・スジョンにも危機はあった。だが、生放送に突入後、回を繰り返すほどより一層安定した実力を見せて支持を受けた。ここには、イ・ソンヒのメンター指導とともに、イ・ソンヒの指導を支持するファンたちの応援まで加わったと見られる」と付け加えた。

(付記)「春の嵐」
これはどう考えても台風だ。空といわず地上のすべてを巻き上げるように唸り、息を吐くように家を揺する。今年の春風はおとなしくない。そういえば一昨年の春分の日も強風に見舞われて、公園の木が倒れたりしていた。
穏やかな桜日和が待ち遠しい。それに、咳も早く治まって欲しい。

2012年4月2日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 コッピョル

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/28)に、人物シリーズ21回目として「ヘグム奚琴해금)の演奏家のコッピョル((李)花星(이)꽃별・Ccotbyel、1980年~)を紹介した。

まず、へグムの復習から始まった。
・ヘグムは、弓で弦をこすって音を出す擦弦楽器で、大きめの小槌(こずち)を逆さに持つような形で、中国の二胡と似ている。
・絹糸をより合わせた二本の弦の内側に、馬の尾の毛で作った弓を挟み入れて、弦とこすり合わせて音を出す。弦を持つ位置や、引っ張る力の強さによって音程が変わる。

▼コッピョルの演奏による「コリアンビター(Korean Bitter)」を聴く。今風の響きはとても親和力がある・・・ただし、どうしても西洋楽器のように対象化してしまうよ。(cf.DaumのTVポッド版)

次のようにコッピョルプロフィールが紹介された。
・1980年8月23日 ソウルに生まれる。
・国立国楽中学・高校、韓国芸術総合学校、伝統芸術院でヘグムを学ぶ。
・2001年 大学2年生のとき日本巡回公演に参加、その後日本で正式に音楽活動を始める。

▼コッピョルの演奏による「Small flowers Near by the railroad」を聴く。現代曲演奏として、同心円が広がっていくようです。確かに心地よいのですが・・・。

▼コッピョルの演奏による「トラジ(桔梗、도라지)」を聴く。現代風でも、これは良いね。楽器がのびやかに歌っていますよ。

(付記)
演奏家コッピョル(花星)の名は、ロマンチックだ。それも本名(李花星)のようだ。親の愛が感じられる。国楽ということもあって、アーティストの名前に漢字名をさがしたが、花星もよいが「コッピョル」の響きもよい。

(付記)
韓国ジャズ歌手の珠玉、ウンサン(웅산)との協演がYoutube(「Yesterday」)にあります。追憶にひたりながらも、どこか凛とした東洋的な強い女性像が浮かびます。
(Youtubeに登録のjinurockに感謝)

2012年4月1日日曜日

昭陽江の乙女

トロットも含めて、イ・ソンヒの守備範囲の広さについては以前触れた。Youtubeに、キム・テヒ(김태희)が鼻音をきかせて歌った「昭陽江の乙女(소양강 처녀)」(1969年)を、イ・ソンヒが大衆歌謡の心情を損ねることなくステージで巧みに客席と一体となって歌い継いでいるものがある。

東亜日報の記事「[オピニオン]昭陽江の乙女」(3/28)は、このタイトルと同名の「昭陽江の乙女」(作詞:バン・ヤウォル(半夜月、반야월)、作曲:イ・ホ(이호))の歌の成立とその後について記している。
まず春川の衣岩(의암)湖に立つ「昭陽江の乙女像」のいわれから始まり、先日亡くなった作詞家のバン・ヤウォル(1917年8月1日~2012年3月26日)の追悼の意を込めて、「時代」とともにあった巨木として、思い出深く淡々と綴っている。

(Youtubeに登録のmomo86ist、yokosuka30に感謝)

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの水準"、"イ・ソンヒとトロット"、"イ・ソンヒのトロット・メドレー"、"金裕貞")