注意点: ここで説明する方法は、中世からルネサンス期にかけて行われていた伝統的な製法であり、現代の化学的な精製法とは異なります。また、純粋な顔料を得るためにはかなりの熟練と忍耐が必要です。
ラピスラズリからウルトラマリンを精製する方法
この方法は、主に中世からルネサンス期にかけて用いられた「バケット法 (Bucket method)」または「生地法 (Dough method)」と呼ばれるものです。
必要な材料と道具:
- 高品質の「ラピスラズリ」の原石: 不純物(特に方解石やパイライト(=黄鉄鉱))が少なく、青色が濃いものほど良い顔料が得られます。
- 松脂(まつやに)
- 蜜蝋(みつろう)
- 亜麻仁油(アマニ油) または他の乾性油
- 炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム) または苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)のごく少量(不純物除去のため)
- きれいな水 (蒸留水が理想)
- 清潔な容器: 陶器、ガラス、または銅製のボウルや鍋
- 乳鉢と乳棒: ラピスラズリを粗く砕くため
- 目の細かい布(リネンなど): 顔料を包むため
- 撹拌棒、へら
精製手順:
ラピスラズリの選定と粗砕き:
- まず、高品質のラピスラズリを選びます。できるだけ白い部分(方解石)や金色の部分(パイライト)が少ないものを選びます。
- 選んだラピスラズリを乳鉢と乳棒で粗く砕きます。粉末にする必要はなく、2~5mm程度の小片にします。
混合生地の作成(重要工程):
- 松脂、蜜蝋、亜麻仁油を温めて溶かし、均一に混ぜ合わせます。この混合物の比率は経験に基づいて調整されますが、一般的な目安としては松脂:蜜蝋:亜麻仁油が2:1:1程度です。
- この温かい混合物に、粗砕きしたラピスラズリを少しずつ加え、しっかりと混ぜ合わせます。温かいうちに混ぜることで、ラピスラズリの粒子が混合物に包み込まれるようにします。
- 完全に混ざり合ったら、この生地を冷まします。冷めると固い、粘りのある塊になります。これがウルトラマリンを「捕らえる」ための基盤となります。
洗浄と顔料の分離(繰り返し工程):
- 清潔な容器にぬるま湯(約40~50℃)を用意します。この水に少量の炭酸ソーダを溶かすと、不純物の分離が促進されますが、入れすぎると顔料も溶け出す可能性があるので注意が必要です。
- 作成したラピスラズリ混合生地をこのぬるま湯に入れ、手で(または丈夫なへらで)ゆっくりと、しかししっかりと捏ねるように撹拌します。
- この作業を続けると、まず不純物(方解石の白い粉、粘土質の不純物など)が水中に懸濁し、次に最も純粋で細かいウルトラマリンの粒子が水中に分離してきます。これらが第一の抽出で得られる最も良質なウルトラマリン(「ウルトラマリン・アッシュ」と呼ばれることもあります)です。水が美しい青色に染まります。
- 水が十分に青くなったと感じたら、その青い懸濁液を別の容器に慎重に注ぎ移します。残った生地は、まだ多くのウルトラマリンを含んでいます。
- 注ぎ移した青い懸濁液を静かに放置し、ウルトラマリンの粒子が底に沈殿するのを待ちます。沈殿には数時間から一晩かかることがあります。
- 沈殿したら、上澄みの水を慎重に捨て、底に残った青い顔料の泥を集めます。これが最初のウルトラマリン顔料です。
繰り返しの抽出と品質の選別:
- 残った生地に再びぬるま湯を加えて、上記3の作業を繰り返します。
- 2回目の抽出では、最初の抽出よりも少し品質が劣る、または色が薄いウルトラマリンが得られます。これを「セカンド・クオリティ・ウルトラマリン」と呼びます。
- さらに3回、4回と抽出を繰り返すことができます。抽出を繰り返すほど、得られる顔料の品質は低下し、色も薄くなりますが、残っていたウルトラマリンを最大限に回収できます。最後の抽出で得られるものは、「ウルトラマリン・アッシュ」として、比較的安価な顔料として利用されました。
- 各抽出で得られた顔料は、品質ごとに分けて保管します。
顔料の乾燥:
- 各抽出で得られたウルトラマリンの泥を、清潔な吸収性のある表面(例えば、石膏板や濾紙を敷いたトレイ)に広げ、埃がつかないようにして自然乾燥させます。
- 完全に乾燥したら、塊になっている場合は軽く砕いて粉末状にします。
最終確認と保管:
- 乾燥したウルトラマリンは、非常に美しい青色の粉末になります。
- 空気中の湿気を避けて密閉容器に保管します。
この方法の科学的原理:
- 選択的濡れ性: ラピスラズリに含まれるウルトラマリン(主成分:ラズライト(=鉱物:青金石(lazurite)))は、油性成分(松脂、蜜蝋、油)によって選択的に「濡(ぬら)らされ」、抱き込まれます。一方、不純物(方解石、パイライト、粘土など)は油性成分によってうまく濡らされず、水に溶けやすい性質を持っています。
- 物理的分離: 混合生地を水中で練ることで、油性成分に抱き込まれたウルトラマリンの粒子が、水と油の界面張力によって水中に徐々に放出されます。不純物は水中に分散したり、生地の中に残りやすいため、純粋なウルトラマリンだけを効率よく水中に懸濁させることができます。
- 比重沈降: ウルトラマリンの粒子は比較的比重が大きいため、水中に懸濁させた後に静置することで、底に沈殿し、水と分離することができます。
このプロセスは非常に労働集約的で、多くの時間と資源を必要としました。そのため、ウルトラマリンは歴史上最も高価な顔料の一つとされてきました。現代では化学合成によって非常に高品質で安価な合成ウルトラマリンが製造されていますが、伝統的な精製法は、その歴史的価値と職人技の象徴として知られています。
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