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2015年4月14日火曜日

(資料)岡本綺堂「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」の九尾狐

青空文庫に岡本綺堂の「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」に、「九尾狐」の項があって、その超越する力について次のように記している。日本の九尾狐の妖艶な化身というより、隠し持った妖気の強さを知ることになる。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

「中国怪奇小説集」で、「酉陽雑俎」について次のように説明している。「この作者は唐の段成式であります。彼は臨淄の人で、字を柯古といい、父の文昌が校書郎を勤めていた関係で、若いときから奇編秘籍を多く読破して、博覧のきこえの高い人物でありました。官は太常外卿に至りまして、その著作は『酉陽雑爼』(正編二十巻、続集十巻)をもって知られて居ります」
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 むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。

 劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。

 後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。

 劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
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先日のブログ((資料) 那須野の殺生石)で、古に「犬追物」という、囲いのなかで犬を射る式法の話しを記したが、その由縁は九尾狐を射落としたことにある。犬と狐が登場するのは因果かもしれない。とはいえ、狐の霊力は高く、犬を凌駕することになる。

また、物語りに「疥のある狐」が登場するが、稲荷に笠森盛稲荷がある。同稲荷は、「瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験ある」(Wikipedia)とのこと。近在の稲荷も、江戸期に川崎宿から参りに来たという。

極にあるものは、その対極に変身する底知れぬ霊力を宿しているのかもしれない。