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2016年8月31日水曜日

二百十日 2016

今日は、二百十日、台風到来の時期である。今回の台風10号は、久し振りに台風の話題、騒ぎをもたらした。八丈島の東に発生した台風10号は、不思議なことに南下後にUターンする進路をとった。台風観測史上初めて、東北地方へ初上陸もした。おまけに、北海道にも影響して、秋口収穫の農産物に多大な被害を与えたようだ。

(本ブログ関連:”二百十日”、”台風10号”)

当初、台風10号は関東地方へ上陸の可能性があった。マスコミ報道もせわしかった。このことに、狼少年に例えるふしもあるが、自然は怖いし、用心に越したことはない。子どもの頃、台風が来るたび、雨戸を釘付けした親父の姿を思い出す。昔、台風は恐ろしかった。今でも、「伊勢湾台風」の衝撃を忘れられない。

ところで、この台風のせいでないが、鉱物採集のメンバーの都合もあって、明日予定していた<砂金採り>が中止になった。なんだか台風がうらめしい。

今となっては、イソップ童話のキツネのように、手の届かぬブドウを見て負け惜しみいうように、どうせ砂金採りに行っても、いいものは取れなかったろうとなぐさめている。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 親孝行

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「親孝行」に関連した3曲を紹介した。

始めに、中国の親孝行の話(「二十四孝」)と、それをもとにした曲があることについて次のように紹介された。
・中国の王祥は、親孝行に定評ある人で、真冬に新鮮な魚を欲した継母のため、川の氷を溶かし、魚を釣ろうとした。その真心が通じたのか、鯉2匹が穴の中から飛び跳ねてきたという。また、孟宗は、同じく真冬に、タケノコが食べたい母のため探した。魚と違いタケノコは春のもの。畑で、しばらく泣いていたところ、タケノコが出てきたという。このように親孝行を物語を歌った曲がある。

▼ (19世紀後半に広く歌われた)短歌(단가)の親孝行歌「孝道歌(효도가)」を聴く。語って悟らせるよう聞こえてくる。

・この短歌「孝道歌」に登場する孝行者は、「二倫行実図(이륜행실도)」に登場する主人公で、礼節を強調し、倫理を語る本だ。大げさな表現もあるが、歴史に親孝行者が少なくなかったろう。

次に、「大笒(テグム、대금)散調(산조)」の創始者、朴鍾基(박종기、1879-1941)について次のように紹介された。
・朝鮮時代末期に活動した横笛の大笒奏者に、朴鍾基がいる。全羅南道珍島で代々巫堂の家系で、大笒散調の形式を初めて作った。病床の親の世話をするも、貧しくて食べ物がない。肉でも食べられればと、自分の太ももの肉を切り取っては粥を作った。だが、奇跡は起こらず、子どもの頃に両親は亡くなる。彼が大笒の名人になったのも、3年間、母の墓で練習をしたからという逸話がある。大げさかも知れぬが、親孝行は誰にも劣らなかったのだろう。

▼ 朴鍾基の子孫の朴桓永の演奏、大笒散調「クッコリ(국거리)」のリズムを聴く。鳥のさえずりのように軽快。

最後に、パンソリの親孝行ものから、「沈清歌(심청가)」について次のように紹介された。
・パンソリで、親孝行な人物といえば、やはり沈清を欠かせない。パンソリ「沈清歌」は、親孝行をテーマにしたもので、目の不自由な父が治る物語だ。死んだと思った娘に会い、父は自分の目が見えないのに嘆く。その瞬間、目が見えるようになる。その日、目の不自由な者の宴会が開かれていたが、その場にいた人はもちろん、先に帰った者、向かっている者、全ての目が開かれた。一人の真心が、大きな影響を及ぼす物語だ。

▼ 「沈清歌」から、「全ての目が不自由な者の目が開かれる場面(만좌맹인 눈 뜨는 대목)」を聴く。割と淡々と・・・。

・この物語には、沈清の父を除けものにして逃げた者がいる。みなの目が開いたとき、彼は片方の目だけ見えるようになった。風刺とユーモアに満ちている。