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2019年3月16日土曜日

イディッシュ文学の夕べ(東京・特別編)

今夕、小田急「成城学園前駅」から数分の距離にある「アトリエ第Q劇場」で開かれた、「イディッシュ文学の夕べ」に出かけた。なお、この朗読会については、Twitter「#イディッシュ語」で知った。

(*)イディッシュ文学の夕べ:  http://toyscampus.jp/?p=2299

この公演は、もともと関西を中心にイディッシュ文学の連続朗読会であるが、東京・特別編として公開された。宗教学 / ヨーロッパ史・アメリカ史の研究者である赤尾光春氏**(大阪経済法科大学客員研究員)を中心に、イディッシュ語文学作品の日本語訳書籍を朗読と解説された。(役者もしてますとのこと)

(**)赤尾光春氏: https://researchmap.jp/akaom/

本日の内容(上記「イディッシュ文学の夕べ」より、一部追記)
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第一部:シュテットル(shtetl: שטעטל)から世界へ(16:00~18:00)
[朗読]イシダトウショウ・土江優理・赤尾光春
・アイザック・バシェヴィス・シンガー「炉辺の物語」(西成彦訳『不浄の血』〔河出書房新社〕所収)、
・イツホク・レイブシュ・ペレツ「天までは届かずとも」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
・ショレム・アレイヘム「ヴァフラクラケス」(『牛乳屋テヴィエ』〔西成彦編訳、岩波文庫〕より)
[演奏]大熊ワタル(クラリネット他)・こぐれみわぞう(チンドン太鼓、歌)・松本みさこ(アコーディオン)

第二部:彷徨える隠遁者――デル・ニステルの作品と生涯(19:00~)
[朗読]宮本荊・土江優理
・デル・ニステル「塀のそばで(レヴュー)」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
[解説]赤尾光春(イディッシュ文学の歴史、デル・ニステルの解説)
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朗読会なるものは、初めての経験。今まで敷居の高さを感じて、近寄りがたい気がしていたが、正解でないかもしれないが読む演劇と解釈してはどうだろう。朗読された上記作品を読了していたが、今回読み聞かされて物語の視界が広がった。新鮮な経験だった。

イディッシュ文学の歴史について、第一世代の「ショレム・アレイヘム」、「イツホク・レイブシュ・ペレツ」、「メンデレ・スフォリム」があげられる。その後について、「アイザック・バシェヴィス・シンガー」が知られるが、彼は第三世代にあたる。中間の第二世代について、現在、日本語訳の書籍が出ていない。その意味で、(上記第二部で紹介された)」デル・ニステル(Der Nister)」が、第二世代作家といえる・・・そうだ。

ところで、デル・ニステルの作品「塀のそばで(レヴュー)」が今回朗読されたが、以前読んだときと同様頭がグルグルした。実は、この物語について、ロシア革命時代のユダヤ人の存在などを把握していないと理解できないと、赤尾氏から明快な解説があった。
・デル・ニステル: 埋葬地Abez村(ソ連最大の強制収容所があったヴォルクタ近隣)
・物語の舞台(サーカス): ロシア革命を暗示する、物語りに似た構図のサーカスの絵がある(=シャガール?)。
・ロシア革命期の「ユダヤ人共産党員」による、ヘブライ文化の徹底的な毀損(政治は容易に文化を侵食する)。
・登場人物のモデル:女曲芸師リリス=女性の悪霊、ほか

(追記)
ところで、芸術が政治性を帯びると、(敵対するもの同士が)背中合わせの関係になることがある。文学について不案内だが、例えば絵画、彫刻、映像の場合、対立するはずの「社会主義リアリズム」と「純正芸術」に極めて相同性を感じることがある。多分、大長編の「文学」作品といわれるものについても、危なっかしいものありそうな気がする。そんな例を身近に・近隣に見てきたはずだろう。