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2018年12月31日月曜日

雪女

冬の怪談というか伝承に、「雪女」の話がある。次のようなストーリーだ。

吹雪のため小屋に避難した二人の木樵(きこり)が雪女に遇う。雪が静まるのを待つうち、一人は寝入り、もう一人は寝付けずにいた。そのとき、雪女が小屋に入ってきて、寝てしまった男にそっと息を吹きかけ、それを目撃した若い男には、ことを他言せぬよう約束させて消えた。翌朝、雪女に息を吹きかけられた男は死に、若い男は幸運にも生き残った。(今様にいえば、凍死であり、あるいは死の寸前の幻覚だったのかも知れない)

後に、若い木樵は、町へ奉公に行くという美しい女と出会う。それを止めさせて、二人は結ばれ、子どもたちの親となる。男は、妻の美貌を雪女に例えて喋ってしまう。そのとき、妻は「その雪女こそ私だ。他言せぬとの約束を守れなかったお前に対し、本当ならすべきことがあったが、今は子どもたちがいるので」といい姿を消した。死を免れたのだ。

雪女という超越した異類との婚姻譚であり、神話にある見てはならぬ禁忌を犯す話しでもある。後の安倍晴明の母親に当るという狐が、思いを残す「葛の葉」の別れの場面を想起する。これらが折り重なった物語だ。

(本ブログ関連:”異類婚姻譚”、”葛の葉”)

さて、この物語の舞台、東北や日本海側の豪雪地帯をイメージしていたところ、青空文庫に、小泉八雲の「怪談」集に収められた「雪女」があり、「武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた」で始まる。豪雪を背景にするには舞台が随分違う。さらに、田中貢太郎の「雪女」では、「多摩川(たまがわ)縁(べり)になった調布(ちょうふ)の在」とより具体的になっている。二人の作家は同じソースを使ったようだが、舞台が江戸(東京)に近いとは驚きだ。

そんな舞台なら、もしかしたら、私も雪女に遇える可能性がある。

2018年12月30日日曜日

平成の師走

考えてみれば、平成最後の年の暮れになる。「師走」を(本来)旧暦12月にあてているが、今日は旧暦11月24日(まだ「霜月」に過ぎない)。そう思ってみると気が緩む。年の区切りが、歳とともに曖昧になり、最近それがどうしたと言って平気でいる。

子ども時代、年末は家中が慌ただしかった。というより、近所もそうだし町全体そんな空気がした。そして、元旦になるとシンとして動きがなくなった。子どもたちの遊び声だけが響いた。

今は、交通網が発達して、家族連れは容易に実家へ帰省できるし、元旦の町に何でもある。コンビニが充実して、外出できぬ独身者に冷蔵庫代わりになっている。

近所の若い家族は、今日もさっさと出かけたようだ。駐車場から車が、一台また一台と消えていく。

(付記)
今日、年賀状を印刷し、一安心して、そのままポストに投函した。気付けば添え書きを忘れていたようだ。

2018年12月29日土曜日

今年と来年

歳をとると、惰性で生きていることに気付く。うっすら雪が積もった氷上を、風任せに滑っているようなもの。爽快さもあるけれど、氷の厚さを知らずにいるのも心もとない。

だから、来年は、少し跳ね上がったことをしてみたい。行動範囲も広げてみたい。

そして、ブログの趣も、多少変えてみたいと思っている。

(明日、来年の年賀状を作成する)

2018年12月28日金曜日

イ・ソンヒの娘

普通でも娘と父の関わりはむつかしい。それぞれの家庭に歴史がある。イ・ソンヒには、ひとり娘のユン・ヤンウォン(父姓はユン)*がいる。この娘にとって、父との関係は、幼くして父の死との出会いであり、その後、母イ・ソンヒが再婚した義理父との関係など、複雑な境遇にある。実際、韓国で暮らす両親とは別に、アメリカで単独生活しているようだ。
また、イ・ソンヒの場合も、僧侶**の娘として生まれた結果、子ども時代にいじめにあい、苦しい立場を経験している。イ・ソンヒと娘ともどもに、父親との関係でいろいろ想起させられるものがある。

(*) ユン・ヤンウォン: 彼女の父はユン・ヒジュンで、かつてイ・ソンヒのマネジャーであり曲作り(作詞・作曲)をした。ユン・ヒジュンは、イ・ソンヒの最初の結婚相手だったが、6年後に離婚、事業に失敗との説があり、服毒自殺している。

(**) 僧侶: 韓国仏教の主流宗派は僧侶の妻帯(韓国では帯妻)を認めていない。戦後の韓国仏教の党派性の原点ともいえる。イ・ソンヒの父は、明治以後に日本の仏教の影響による妻帯を認めた宗派に属し、仏教音楽の「梵唄」を指導したといわれる。

(本ブログ関連:”スペック”、”イ・ソンヒの娘”、”妻帯僧”)

現在26歳のユン・ヤンウォンは、米コーネル大学卒業***後、同大でジャーナリズムを勉強中という。子の成長を見守る母が語るSBSのテレビ番組「憎たらしいうちの子ども(미운 우리 새끼)」で、イ・ソンヒは、現在26歳の娘について、大学で長く勉強を続けて欲しい、結婚が少し遅れてもよい、いろいろな経験をして欲しいなど述べているとのこと。番組中、娘との関係について様々ないきさつを縷縷語ったようだ。

(***) 米コーネル大学卒業: イ・ソンヒと娘を交えたコーネル大学卒業式でのFB掲載の写真がある。
https://www.facebook.com/leesunheePH/posts/congratulations-to-sun-hees-daughter-who-just-graduated-from-cornell-university/196766714379526/

(参考)韓国ブログ「イ・ソンヒ 娘ユン・ヤンウォン 公開」
イ・ソンヒと娘の関係についてテレビ番組で語った話題をもとに、さらに(多分、過去ニュースを渉猟して)時系列風に紹介しているようだ。
http://gabrialno.tistory.com/271

2018年12月27日木曜日

(資料)韓国Gallup: 2018年、今年 輝いた歌手と歌謡

今年も、韓国Gallupによる、恒例の韓国人気歌手と曲目について「2018年 今年 輝いた歌手と歌謡」の調査結果が以下の通り報告された。次表は、上位10位までが一覧されている。イ・ソンヒは、10位(支持率5.5%)のチョー・ヨンピルに次いで、11位(支持率5%)にランクされた。

毎年、アイドル(グループ)*は新陳代謝して、IUを除いて、ランクの入れ替わりが激しい。大衆歌謡(トロットなど)については、若手(홍진영)が進出したが、ベテラン勢は8位以下を占めた。

(* アイドルグループ: ライフサイクル(新規投入と陳腐化)の短命化が進んでいるようだ)



その他 Mamamoo, イ・ソンヒ(共に 5.0%), EXO(4.2%), BIGBANG, イム・チャンジョン(共に 4.0%), イ・ムンセ(3.5%), チソン(3.4%), キム・ゴンモ(3.2%), ユン・ジョンシン(3.0%), テジナ(2.8%) などが 20位圏に入った。.

■ 調査の概要
- 調査期間:(1次)2018年7月4〜22日、(2次)9月7〜27日、(3次) 11月7〜30日
- サンプリング:2段階成層コロニー地域無作為抽出-標本ポイント内(性/年齢別の割り当て)
- 応答方式:面接調査員のインタビュー
- 調査対象:全国(済州除く)のみ13〜59歳の男女4,200人/アイドルは満13〜29歳の1,501人
- 標本誤差:±1.5%ポイント(95%の信頼水準)/「アイドル」は±2.5%ポイント(95%の信頼水準)
- 回答率:26%(総接触16,192人のうち4,200人の応答完了)
- 依頼先:韓国ギャラップ独自の調査

2018年12月26日水曜日

イ・ソンヒのコンサート<Climax>の追加

久し振りに、イ・ソンヒについて触れてみよう。

本年6月に開始した、イ・ソンヒのコンサート<Climax>は、すでにブログに紹介した会場に加え、来年も全国ツアーが展開され、下記の通り赤字で示した会場が追加されている。ここ数年来、全国ツアーの開催地は増加傾向(10/2009 → 11/2011 → 13/2014 → 15/2016 → 現在15/2018)にある。この分だと、同一コンサート名の<Climax>で、(ツアー期間も拡大して)まるまる一年をあてることになる。更に追加の可能性もあるのではと推測する。

2018年
ソウル : 6/29~7/1  올림픽공원
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米国CA: 8/11  Pechanga Resort & Casino
----------------------
水原: 9/8~9/9  수원 실내체육관
大邸: 9/29  대구 엑스코(EXCO)
仁川: 10/20  인천 남동체육관
大田: 11/3~11/4  대전 무역전시관
高陽: 12/1  일산 킨텍스(KINTEX)
清州: 12/15~16  청주대 석우문화체육관
光州: 12/29  광주여대 유니버시아드 체육관
----------------------
2019年
蔚山: 1/12~13  울산동천체육관
釜山: 2/9  부산 벡스코(BEXCO)
安養: 2/23~24  안양실내체육관
天安 3/9~10  천안 유관순체육관
晋州: 4/6~7  진주실내체육관
原州: 4/27  원주 따뚜공연장

2018年12月25日火曜日

ロイターの「平成を象徴する出来事は」

平成に入ってさまざまな出来事があった。いくつか思い出すが、それがどんな順番だったのか、いつごろのことかなど漠然としている。記憶が曖昧なのか朧なのか。年末に、ニュースメディアの各社は一時代の「まとめ」記事を掲載することだろう。

現在、「ロイター 」はニュース記事の最後に、アンケート調査「ロイター オンライン調査 - 平成を象徴する出来事は」があって、平成元年から平成29年までの出来事を例示している。その中から、(ラジオボタンなので)一つだけ選ぶことになる。途中経過だが、「投票結果を見る」ことも可能だ。

私にすれば、何といっても、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」が平成の大事件といえる。合わせて、福島原子力発電所の事故も忘れられない。

(本ブログ関連:”東日本大震災 ”、”原発”)

また、世界史的に見れば、第2次世界大戦後の世界を支配した東西冷戦構造に終結をもたらした、平成3年(1991年)の「ソ連崩壊」だろう。米ソ冷戦による東西の壁という大きな矛盾は、実は小さくて重層的な矛盾を覆い隠していた。上位の矛盾を取り除くと、その下に更に無数の矛盾があふれ出し、収受が付かなくなる。今まで、ひとびとは、いずれの矛盾にも最適解を持ったためしはない。

来年から始まる新しい世界がどうなるのか、時代を決めるのは誰なのか。歴史は繰り返すとしかいいようがない。パッチを当てただけで、アップグレードとかバージョンアップしたというのだけは避けたいものだが・・・。

2018年12月24日月曜日

クリスマス・イブ 2018

今、寝入っている子どもたちの枕元に、サンタクロースがソリに乗ってやってきて、クリスマスプレゼントを置いていく。明日の朝、目覚めた子どもたちは、プレゼントを発見し歓喜する。

今夜の子どもたちは期待に胸を膨らませ、なかなか眠りにつけなかったけど、やがて静かな寝息を立てることだろう。サンタクロースには、その寝姿が愛おしくてたまらない。そして、明朝に目を丸くして驚く子どもたちのよろこぶ声を想像する。

ところで、深夜、Googleで「クリスマス」を検索したら、画面が一瞬プルプルと震えて静止した。すぐに検索結果が表示されたけれど、日本中のおとなたちが、クリスマスについて一斉に確認したのだろうか・・・多分。

昨日の「天皇誕生日」の祝日が日曜日だったため、今日が振替休日となり、クリスマス・イブに重なった。若いころ、クリスマス・イブの日の夕方、職場がなぜかそわそわしたものだ。独身者は、用事やあてがなくても定時にオフィスを退出した。

今日が休日だったので、助かった若い男女もいることだろう。明日はきっといいことがありますよ。

2018年12月23日日曜日

天皇誕生日(平成30年)

今日は、天皇陛下の85歳の誕生日であり、「平成」*最後の天皇誕生日となる。来年4月末に譲位されるからだ。宮内庁のサイトは、「これまでの天皇誕生日一般参賀の参賀者数(平成以降)」について、下表のように記している。
(*平成:「平成」は、1989年(平成元年)1月8日から現在にいたる間をさす )

参賀者数は、ここ3年の間に急増(平成28年 38,588人、平成29年 52,300人、平成30年 82,850人)している。

    年     参賀者数
平成元年 行われず
平成2年 行われず
平成3年 17,420人
平成4年 13,550人
平成5年 20,140人
平成6年 18,220人
平成7年 13,350人
平成8年 取り止め
平成9年 9,280人
平成10年 14,800人
平成11年 17,567人
平成12年 14,890人
平成13年 16,760人
平成14年 19,079人
平成15年 18,848人
平成16年 17,681人
平成17年 17,558人
平成18年 20,152人
平成19年 15,602人
平成20年 22,655人
平成21年 30,560人
平成22年 26,298人
平成23年 24,789人
平成24年 28,065人
平成25年 28,945人
平成26年 28,933人
平成27年 26,627人
平成28年 38,588人
平成29年 52,300人
平成30年 82,850人

(付記)
ちなみに、平成の巨大な自然災害として、平成7年(1995年1月17日)の「阪神・淡路大震災」、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」があげられる。このとき、天皇、皇后両陛下が、国民の精神的な大きな支柱となったことは忘れられない。

2018年12月22日土曜日

冬至 2018

今日は二十四節気の「冬至」で、後は「小寒」と「大寒」を残すのみ。日照時間が一番短い日とはいえ、一日中しとしと降りで薄暗く、気分もどんよりした。あっという間に日没して、気付けば辺りは真っ暗になっていた。

(本ブログ関連:”冬至 2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年”)

冬至は日照時間が一番短いとはいえ、「日の出」が一番遅く、「日の入り」が一番早いわけじゃない。Weathernewsの今日の記事(12/22)によれば、「この冬、東京で日の出が一番遅いのは年が明けた1月7日(6時50分40秒)、日の入りが一番早いのは12月6日(16時27分53秒)です」とのこと。その理由は、「地軸の傾き」や「公転軌道が真円形でない」ためだそうだが、ややこしい。
  ・一番遅い「日の出」(1/7 06:50:40)
  ・冬至の「日の出」(12/22 06:46:29)
  ・冬至の「日の入り」(12/22 16:32:08)
  ・一番早い「日の入り」(12/6 16:27:53)

最近、日の入りの速さに慣れてきて、暗くなるのに驚かない。午後5時を境に日の入りの速さをとらえていたつもりだったが、遡って見れば、午後5時ちょうどに日の入りしたのは、10月20日のことだった。その頃、日没の速さを深く感じていたわけではなかった・・・。

変化を楽しんでいるうちに、後戻りできないことに気付き憂鬱になる。こんなことを毎年毎年繰り返している。歴史も案外そんなものかもしれない。

2018年12月21日金曜日

2019年賀状デザイン

来年(2019年)の年賀状デザインを考えてみた。

(本ブログ関連:”年賀状”)

年賀状のデザインといっても、「ゆうびん.jp」が提供の「はがきデザインキット」から、「亥年」を表す「イノシシ」の子ども(ウリボウ)を素材にして作成しただけだが。

今回は、モノクロ印刷にする。図柄の「ウリボウ」が可愛らしくて、モノクロでも十分年賀状らしさがあると思う。そして、例年のごとく、印刷は歳の暮れの多分30日ころになるだろう。その時期になるまで気が乗らないのだ。

ところで「ウリボウ」の名は、体に水平にある模様が、植物の「ウリ」(シマウリ、マクワウリ)に似ているからといわれる。ウリ自体丸っこい形をしているので、合わせてイメージしやすい。また「~ボウ」は、「赤ん坊」などに使われる「縮小詞/指小辞」にあたるだろう。新年はできるだけ若々しい方がよいのだから。

2018年12月20日木曜日

Yiddish語 2018秋-12

先々週末、胃腸を痛めて以来、ずっと「うどん」しか食っていない。歳をとると回復が遅れるようだ。テレビで食レポ番組を見ても食欲が湧かない。不思議なことに、うどんの食感が気に入ったみたい・・・今の体調に合っているのかもしれない。

暖かな昼の陽射しを受けて、今年最後のイディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は次のよう解説された。
・ 数詞(基数、順序数)のうち、順序数についての練習
    - [ (性別)名詞] ← [(ער/ע-)順序数] ← [(性別)冠詞]
    - 順序数を使った文章の完成
・強調としての「יאָ」の使い方
・クリスマスソング「Winter Wonderland」(作曲フェリックス・バーナード*、作詞リチャード B.スミス)のイディッシュ語訳の紹介。(*フェリックス・バーナードはユダヤ人である)

(先々週に宿題に出された「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」について調べたものを回答した)

2018年12月19日水曜日

日本における動力機初飛行の日

今日は、日本で原動機付き飛行機による初飛行の日とされている。以下、Wikipediaの記述をもとに記す。この記念日について残念なことだが、ネット(Google)ニュースで話題にすらなっていない。先日(12/14)の「南極の日」でブログに語ったことと同様、明治のことといえ達成者が軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

(本ブログ関連:”飛行機”、”南極の日”)

今から108年前の今日、明治43年(1910年)12月19日に、代々木錬兵場(現「代々木公園」)にて、徳川好敏大尉がフランス製「ファルマンⅢ 複葉機(Farman III)」に、日野熊蔵大尉がドイツ製「グラーデ単葉機( Grade II Libelle)」に順に搭乗して、日本初の動力飛行(エンジン付航空機による飛行)に成功した。

(次の写真はWikipediaに掲載されている)
ファルマンⅢ 複葉機
グラーデ単葉機









実は、公式初飛行の数日前(同年12月14日)に、同じ飛行場で日野大尉が滑走試験中、一瞬浮上したが公式に認められず、19日をもって「公式初飛行」とされた。そのときの飛行順に従って、徳川大尉の名が初飛行操縦者として記憶にある。

(追記)
大戦後、米軍接収の後に返還された「ファルマンⅢ 複葉機」は、いくつかの変遷を重ねて、現在、入間基地内の「航空歴史資料館 修武台記念館」に展示されているという。その様子がYoutubeに「アンリ・ファルマン・・日本で最初に飛んだ飛行機」として登録されている(登録者tetsuaki muraokaに感謝)。

ところで、作曲家坂井貴祐による「アンリ・ファルマンの飛行」(演奏:古河市立三和北中学校吹奏楽部)がYoutubeにある。複葉ファルマン機が軽々と離陸、上昇して、上空で旋回を楽しんでいる飛翔感がある。全身に風を受けた操縦士が、地上を見下ろす爽快感、機体と一体化して独り浮揚できるなんて何と最高なことだろう。


(Youtubeに登録のSAKAI,Takamasaに感謝)

2018年12月18日火曜日

「三十四丁目の奇蹟」

クリスマスにはいろいろな物語がある。ただし、残念ながら日本の家庭を舞台にした名作は知らない。そもそも宗教的な土台が違うのだから。(以前、ブログに触れたことだが)昔の日本のクリスマスは、酔っ払いサラリーマンのグダグダな天国だった。結局、家庭内イベントに落ち着いたが、大方の外来ブームは、そういった形に収斂するのだろう。

(本ブログ関連:”クリスマス”)

サンタクロースはいるの?、キリスト教徒の子どもにとっても大切な疑問のようだ。少女の素朴な疑問に、新聞社の編集者が応えるといった、子どもを中心にした、いかにもアメリカ人好みの話もある。

以前、版権切れしたアメリカ映画がDVDになり大量に廉価販売された。クリスマス時期にDVD版の「三十四丁目の奇蹟」(1947年)を購入したが見当たらない。誰かに勧めてそのままになってしまったみたいだ。これも子どもが物語を回す。

町山智浩の映画塾!」で、この映画を<予習編><復習編>の2回に分けて紹介したYoutube映像がある。物語の時代背景について、特に<復習編>では、アメリカの世相(戦後のベビーブーム、移民と宗教など)や政治状況にまで八面六臂の解説をされた。(この評論家は米国在住とのこと、ときどき日本に来て仕事する遠距離恋愛的な純化精神の持主のようだ)

物語を引っ張る少女スーザン役は、後に映画「ウェストサイド物語」(1961年)で主人公マリア役を演じた「ナタリー・ウッド」だった。彼女が「三十四丁目の奇蹟」に登場していたとは、解説されるまで気付かなかった。(昔、ナタリー・ウッドのファンがいて、いろいろな話[謎の最期など]を聞かされた)

<予習編>で物語の展開を知り、<復習編>で時代解説を聞かせてもらった。

<予習編:2013/11/05公開>


<復習編:2013/11/11公開>

(Youtubeに登録のWOWOWofficialに感謝)

2018年12月17日月曜日

雪の降る町を

冬になると定番の歌がある。ラジオとテレビが同居していた時代、「雪の降る町を」(作詞:内村直也、作曲:中田喜直、1952年)がそれだ。シャンソン歌手「高英男」(1918年~2009年)によってヒットしたことになっているが、記憶にあるのは、男性コーラスグループ「ダークダックス」によるものの印象が強い。歌声喫茶はなやかなりし頃のこと。その雰囲気は、学校の教室に教師が音頭をとってゆき渡った。

そんな時代、下町のイメージで売り出した俳優であり歌手の「倍賞千恵子」が歌うと、包み込むような暖かさを感じた。人と親和する彼女の庶民性は、ある意味、近所のお姉さんスターでもあり、それゆえ歌うにふさわしかった。それに目をつけた映画監督によって、「さくら」という不動の妹役を演じた。

(本ブログ関連:”倍賞千恵子”)

とはいえ、この歌にも時代の雰囲気がある。何かを越える意志を秘めた語りから、ありがちな同調を求める感がした。教室で配られた、小さな歌集(歌詞帳)に収まった一連の歌を思い出さずにいられない。


(Youtubeに登録のわびさびすさびに感謝)

2018年12月16日日曜日

今日は寒かった

ぐずぐずな体調を口実に出不精したら、昼ごろ小雨が降った。あっという間の出来事。屋外で観察するまでないが、「天気雨(キツネの嫁入り)」ほどのこと。

午後に近所の用で家を出て見れば、通りが黒く濡れていた。陽射しは明るいのに、一歩進めば刺すように寒い。防寒してよかったと思うほど。

今月(12月)に入って、東京都心の最高気温は4日の23.4℃(これは多分このままだろう)。最低気温は11日の1.4℃だったが、今日、日の出前までに最低気温が0.4℃だったそうなので今月一番の寒さだろう。降雪地帯に比べるまでもないが。

そんなわけで、顔を出しては直ぐに引っ込める。寒さにゃかなわない。こんなとき野良猫たちは一体どうしてんだろうね。

2018年12月15日土曜日

ママがサンタにキッスした

空想と現実が未分化なまま、物語を紡ぐことができる子ども時代は素晴らしい。(それが中二の思春期には、生半可に現実を理解して拘泥するようになる)

子どもはクリスマスが待ち遠しい。クリスマスに、サンタクロースがプレゼントを運んできてくれるからだ。朝、目覚めたとき、枕元にプレゼントを発見して、空想が現実とつながっていることを確認する。自分の世界にとどまれる大きな安心なのだ。

だから、いかにたずねられても、大人はサンタクロースが存在することを語らねばならない。そして子どもはクリスマスに見たことを、いつまでも夢に残せばよい。いずれ体験した空想の世界を忘れることになるのだから。

愛らしくもありがちな、子どもらしい世界をそっと覗いた、The Jackson 5(メインに子ども時代のマイケル・ジャクソン)が歌う「ママがサンタにキッスした(I saw Mommy kissing Santa Claus)」を聴いてみよう。旋律がとてもやさしい。

(本ブログ関連:”ママがサンタにキッス(を)した”)


(Youtubeに登録のobdianeに感謝)

2018年12月14日金曜日

南極の日

今日(12/14)のラジオが「南極の日」と語った。知っていたわけじゃなかったので、そういうものかと思った。記念日の理由をWikipediaで調べた。< 1911年12月14日に、ノルウェーの探検家「アムンセン」が初めて南極点に到達したことによる > そうだ。子どものころ、アムンセンを一般に「アムンゼン」と呼んでいた気がするけど、北欧(語)なのでアムンセンが正しいのだろう。

ところで、「南極の日」は、もう一つ別の記念日がある。日本気象協会のtenki.jpの記事「1月29日は『南極の日』。南極では風邪にはかからないその理由」(2018年01月28日)に、< 昭和基地開設記念日 > とある。
昭和基地といえば、観測船(砕氷船)の「宗谷」が忘れられない。同船が氷に挟まって動きが取れなくなったとき、ソ連の「オビ」号が救出に向かったこと、基地撤退後も生き残った樺太犬のタロとジロのことも思いで深い。

「南極の日」が二つあることについて、南極を外の目で見るか、内の目で見るかによっての違いだろう。ただ、どちらも冬の寒い時期にあるのでイメージしやすい。

子どものころ、少年雑誌の南極探検の記事で、白瀬中尉と呼ばれた「白瀬矗(しらせ のぶ)」(1861年~1946年)について知った。今はなぜか歴史に埋もれているようだ。彼が(主として明治時代に活動したにもかかわらず)軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

2018年12月13日木曜日

Yiddish語 2018秋-11

かげった体調にようやく明かりが射してきた。この坂、越すに越されぬ難儀坂だ。

気合を入れて体を動かし、勢いづけて、イディッシュ語教室へと向かった。

今日も理解を共有できるよう、読み・書き・読解に工夫を重ねて指導いただいた。
・ダイアログ: ベジタリアンの若者と、善意のおじさん・おばさんとの丁々発止。
・ミュージカル: 舞台映像を一部参照しながら、貴重な台本を紹介いただいた。
・案内: 12月24日(月)午前0時~、NHK BS「プレミアムシアター」でユダヤ文化関連の音楽が紹介される。
     ◇ ドキュメンタリー
        「クリスマス・ソング 知られざる物語」(2017年 カナダ)(1:57:00~2:49:30)
     ◇ 映画音楽の巨匠 ジョン・ウィリアムズ
         名曲コンサート(2:50:30~4:25:00)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

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(付記)
クリスマス・ソングを書いたユダヤ人

ユダヤ教徒と異教徒間のカップル(結婚)や家族を支援するアメリカの全国組織「InterfaithFamily」のサイトに、「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」(Nate Bloom、2006年12月)という記事が掲載されている。

記事タイトルに、キリスト教徒でないユダヤ人が一体なぜクリスマス・ソングを作ったのかと疑問が浮かぶだろう。米国でラジオ放送されたクリスマス曲から、「アメリカ作曲家協会(ASCAP)」が選曲した上位25曲中、12曲にユダヤ人が関連しているというのだ。(当初2006年の記事ながら、その後更新され、2008年現在のデータで紹介されている)

第1位曲は、「Winter Wonderland」(作曲: Felix Bernard, 作詞:Richard B. Smith)である。InterfaithFamilyに掲載の記事によれば、作曲者Felix Bernard(Bernhardt)(1897年〜1944年)の父親はドイツ出身、母親はロシア出身であり、彼らの母語はイディッシュ語だったと記している。記事が更新される中で、一般のコメント(情報)にも目を通し、Felix Bernardがユダヤ人であることを確信したようだ。
ちなみに、「Bernardは、ロサンゼルスの非宗教墓地に埋葬されている」とのこと。

(その他の人気曲についても、ユダヤ関係者を探している。例えば、誰もが知る「White Christmas」の作詞・作曲者である、Irving Berlinにしてもそうだ)

ところで、アメリカの映画産業がなぜ西海岸(ハリウッド)なのかという話題がある。この産業を作り上げたのはユダヤ人だったが、映画技術の特許権をおさえたエジソンに牛耳られ、それがいやさにハリウッドへ逃げたといわれる。確かに電送技術でも、ニコラ・テスラとの交流・直流の争いで、エジソンの独占欲をうかがい知ることができる。

それじゃ、ニューヨークのブロードウェイにショービジネスが今も残っているが、そこで活躍するユダヤ系と、映画産業のユダヤ系との間にどんな違いがあるのだろうか。アメリカで生まれた者と移民の者・・・といった微妙で大きな違いか。部外者にはこころ及ばぬものがあるのかもしれない。

ヨーロッパで音楽に従事したユダヤ人が、米国の東岸にたどり着く。そこには先着のユダヤ人がいる。あらためて新天地を求めて西海岸へ移る。なんだか、そんな流れを想像してしまう。

(参考)
・ブログ「Love world neighbors(the rule of law )」に掲載の「クリスマスソングとユダヤ人」に、< ユダヤ人作曲のクリスマスソング > のリスト(出典不明)がある。

・The Starsの記事「Why many classic Christmas songs were written by Jewish composers」(Rob Kapilow、2017年11月30日)は、ユダヤ人の同化(移民の子がアメリカ社会へ参加する)という歴史的な過程の観点で、作曲家たちを列伝風に紹介している。

2018年12月12日水曜日

(資料)幻のニホンオオカミを追いつづける男

体調にいまひとつ自信なく、寒い外に出る気力もない。家にこもって養生する。そんなとき、いろいろな想いで遊ぶ。いっそ桃源郷へと、仙界 → 山怪 →(眷属)キツネ → オオカミなどへ。そして、オオカミからニホンオオカミへと広がる。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

先日(11/29)のブログに付記した、「ニホンオオカミは消えたか?」(宗像充著)の書を視覚的に補強してくれる映像がYoutubeにあった。1999年のドキュメンタリー「幻のニホンオオカミを追いつづける男」(制作TOPPAN)だ。2012年のNHKドキュメンタリー「見狼記」へと連なるようだ(こちらはYoutubeで詳しく見ることができないのが残念)。

「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、ニホンオオカミの存在を信じて、秩父山地でひたむきにフィールド調査を続けるアマチュア研究家、八木博氏を縦軸に関係者から様々な情報が紹介される。上掲書を思い出してはうなずくばかり。

八木氏の情熱は、見る人に強烈なインパクトを与えるかもしれない。ニホンオオカミ「固有種」への思いは強く、まるで松本清張の人物伝に出てきそうな執念さえ感じるほど。それゆえ、動物分類学の研究者に、徹底した実証振りが高く評価される。・・・遠の昔にあっさりと捨て去った妥協しない信念を、振り返ることにもなる。

八木氏は、1996年に秩父山中で、ニホンオオカミらしき動物の写真撮影に成功している。次の「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、その3年後の1999年に制作されたドキュメンタリーということになる。

(幻のニホンオオカミを追いつづける男)

(Youtubeに登録のYouyakei Gekijoに感謝)

(付記)
ニホンオオカミの外見は、タイリクオオカミと違ってどこかヒョロリ感がする。がっちりしたオオカミのイメージがないのだ。とはいえ、理由があって、緯度の高い寒冷地域と、緯度の低い熱い地域に棲息する「恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息する」という「ベルクマンの法則」があるとのこと。なるほどクマも人間もしかりだ。

2018年12月11日火曜日

(雑談)冬の夜寒さ深まる

気付けば深夜24時直前。今日(12/11)のタイムスタンプを獲るため、まずは登録する。

体調に回復のきざしが見えたものの、こんな日は家にこもって養生するしかない。夜に入り小雨が降り始めたが、雪になるほどではない。夜中に風が吹き強まる。冬の夜は、しんしんと寒さが深まる。これで本当の冬になった。

こんなときだから、一昨日(12/9)のブログ、「シェヌ・デ・ピュイ火山群」に触れた「大室山」の俯瞰映像をYoutubeで見てみよう。柔らかな光と、緑に包まれた美しい山肌が可愛らしい。私が訪れたときは、それと反対の冬、強風にロープウェイの座席がブルンブルンと揺れていた。

(本ブログ関連:”大室山”)


(Youtubeに登録のTokyoStreetView - Japan The Beautifulに感謝)

2018年12月10日月曜日

女子フィギュアスケート GPファイナル 2018

今朝病院へ出かけた。どうやらウィルス性胃腸炎で、経過観察しましょうとのこと。

ところで、朝のテレビニュースは、バンクーバーで開催された女子フィギュアスケート「2018グランプリ・ファイナル」結果の話題でしきりだ。この試合に、16歳で初出場の「紀平梨花選手」が初優勝したのだ。日本で、16歳で初出場・初優勝は、浅田真央選手以来13年振りとのこと。
(2018平昌オリンピックに彼女が出場できなかったのは、オリンピックの年齢制限の微妙な差のせいだったそうだ。だから、今回2位になったアリーナ・ザギトワは、同じ16歳ながら出場できていたし金メダルを獲得している)

正直なところ、にわかファンには、フィギュアスケートで、①「ショートプログラム(SP)」と、②「フリースケーティング(FS)」といった2種がなぜあるのか、どんな違いなのか、今もってよく分からない・・・その程度なのだが。ビックリしたという以外に語れるものがないのが残念。

16歳を中心に若い選手たちが競い合うのを見て、これから先、一体どんな世界が繰り広げられるのだろう、技術が高度化するのだろう・・・分かったつもりで追いかけよう。

それにして、紀平梨花選手の落ち着いた演技に驚いた。日本の女子フィギュアスケートの長い歴史、層の厚さから生み出た余裕なのかも知れない・・・素人ながらそんな気がした。

2018年12月9日日曜日

シェヌ・デ・ピュイ火山群

昨夜、体調を崩して以来、回復が芳しくない。明日、健康診断というにどうなることやら。外出もできず、まさに引きこもり状態。養生を続けるしかない。

夕方のテレビ番組「世界遺産」を見ていたら、今年(2018年)世界遺産になった「ピュイ山脈とリマーニュ断層の地殻変動地域」(世界遺産オンラインガイド)について紹介されていた。以前読んだ、ちくま新書の「ヨーロッパ火山紀行」の著者である小山真人氏が番組監修されていた。

フランスの飲料水に「ボルヴィック」があって、ペットボトルのラベルを良く見ると火山の絵がある。伊東市の奥手にある、一度の噴火で火山生成した<単成火山群>の「大室山」を思い浮かべるかもしれない。

(本ブログ関連:”ボルヴィック”、”東伊豆単成火山群”)

番組紹介された、仏オーヴェルニュ地方のシェヌ・デ・ピュイ火山群は、南北に火山が一列に並んでいる。南北のプレート(アドリアプレートとユーラシアプレート)が衝突してできたもので、こちらも<単性火山群>である。

溶岩流が、小川を通路にして流れ出て作られた高さ10mほどある、細長い地形上に町ができている。崖の底から、小川の水が染み出ていてうまいとのこと。全く成因が違うが、「段丘崖」の「国分寺崖線」の湧水が頭をよぎる。

今の私には水が恋しい。体調が回復したら、ボルヴィックのボトルの水を飲み干そう。

2018年12月8日土曜日

(雑談)風邪でダウンか?

体調が何となく怪しかった。今日の日付に変わった深夜、吐瀉と腹下しを繰り返し、それが止まぬまま朝を迎えた。節々が痛んだが、喉が腫れるでなく、咳も出ず、熱もない。風邪なのか、長引かないのでインフルエンザではないと思うが・・・。

明け方、体が軽く楽になった。まるで服を着替えたようにすっきりしている。

昔、社内の健康診断の結果、いろいろ注意を受けたことがある。それがうるさいので、妙案がないか探した。そうだ、減量すると検査結果がよくなるのを経験上知っていた。そこで、健康診断前に減量に励んだものだ。

今回はそんな意図があったわけでないが、たまたま、来週月曜日に健康診断があるため、このまま体を絞っていけばいい結果になるかもしれない。

2018年12月7日金曜日

大雪 2018

今日は、二十四節気の「大雪(たいせつ)」。東京に雪が積もる気配はない。これまで気温は上がり下がりしてきたが、もしかしたら今日がピークかもしれない。これから先、寒さが増していくようだ。

(本ブログ関連:”大雪”)

冬になれば思い出す。長野オリンピック(第18回冬季オリンピック、1998年2月7日~22日)のフィギアスケートに出場した、「エレーナ・リアシェンコ(Олена Ляшенко)」選手のことを。当時のテレビCM映像が今も目に焼きついていて消えることがない。気品ある瞳に吸い込まれてしまった。以前、彼女のYoutube映像に触れたことがあるが、幸い残っており、今回そのままエンベッドさせていただいた。

(本ブログ関連:”エレーナ・リアシェンコ”、”フィギュアスケート”)


(Youtubeに登録のerio2erioに感謝)

2018年12月6日木曜日

Yiddish語 2018秋-10、CICALA MVTA

帰宅が遅く、今日の日付の時間切れが迫るため、あわてて記す。

イディッシュ語教室は、今秋期コースの10回目の授業を迎えた。若い人はのりしろがあって成長が見込めるが、おじさんはギリギリで学んでいるため、果たして10回に見合う進歩をしたか不安である。人一倍反省するが、努力はとことんしない・・・それで成長するものか、恥ずかしい限り。

開催年度によって、クラスメイトに若干の入れ代わりがあるため、授業が工夫されている。

今日の授業は次のよう解説された。
・動詞の過去形(英語の現在完了形に似た構造)を学ぶ。動詞の過去形には、様々変化がある。
・行事「ハヌカ」を中心に、ユダヤ教・イスラエルの年間行事について紹介される。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

授業が終わると、そのままクラスメイト(ミュージシャン)の出演する音楽ライブ「CICALA MVTA」へ、連れ立って出かけた。一緒に出かけたクラスメイトは、ミュージシャンの音楽ジャンルに詳しくファンだそうだ。
ライブ会場は、大勢の客で埋まった。出演のクラスメイトのミュージシャンは、一人がシンガーであり、もう一人が演奏家である。今まで聴かせていただいたのは、シンガーの方を中心にした歌のライブだった。今回は、演奏家の方を中心にした演奏のものだ。

会場へ行ってこそ、ライブの強力なエネルギーに当たることができる。音楽はなかなかいいものだ。

2018年12月5日水曜日

ウォーキング教室(第2回)

先週参加した「ウォーキング教室」(全2回)の第2回目、最終回の今日は実践編として公園散歩をした。終わりがけに知ったことだが、参加者の大方は私と同世代だそうで、しかも歩きなれているようだった。それに比べて・・・。

最近、航空祭で開放された飛行場を歩き回ってくたびれ果て、以前には、グループで鉱物採集へ出かけたところ列の最後尾になったりした。そんなわけで、歳のせいと観念し始めたところだったが、今日のウォーキング教室の参加者を見れば、どっこいみな元気なのだ。もう一度、やり直してみようと心した。

講師の先生がこんなことをいわれた。いきなりウォーキングが大変なら、しばらくは自宅でストレッチングを毎日15分程度はげみ、それからウォーキングに出かけても大丈夫、とのこと。要は、毎日続ける重要さを説かれた。

最後に、こんな話も付け加えられた。「今日のウォーキングをした結果、帰宅して夕方とか明日になって足腰に痛みが出てくるなら、それはやり過ぎです」とのこと。自分に合った無理のないところから進めなさいというアドバイスだろう。張り切り過ぎはダメなのだ。

講師の先生、公民館の職員の方、イベントのスタッフのみなさんに、お世話になったこと感謝します。(この機会を得て、もう一度頑張ってみようかなと思い直した次第)

2018年12月4日火曜日

(雑談)冬だというに暖かすぎて汗をかく

服装にセンスがないというか、季節に鈍感なのかタイミングが分からない。先日の「百里基地航空祭」(12/2)見学に際してもそうだった。ブログに寒かったと感想を述べたけど、防寒の用意をしなかったのが一番大きな原因。来場客は、みな厚手の冬服を着こなしていたのに、私は思いっきり軽装だった。

今日はしっかりジャンパーに身を固めて外出した。結局、反省した。じわじわと汗をかいてきたのだ。東京の最高気温は、23.4℃(14:50)で、暖かという表現を過ぎている。全国でも、25℃越えの「夏日」が続出したそうだ(練馬も、25℃だったという)。

旧暦の今日は10月27日。10月を「小春」といい、そんな寒い中でも暖かな日和を「小春日和」と呼ぶ。この言葉のイメージから、穏やかな陽射しに心がほっと和む感がするけれど、今日は「春」を越えて「夏」へと飛んでいる。緩やかに変化してこそ心豊かになれるというに、何と無粋なことだろう。

おかげで外出はままならず、途中で引き返す羽目になった。夜になっても、エアコンもストーブも不要。冬の廊下の冷気も吹っ飛んだようだ。

2018年12月3日月曜日

カレンダーの日

日めくりカレンダーには、その日その日の記念日が記されている。例えば、今晩は「秩父夜祭り」(12/2~3)のメインイベントだったり、また、「カレンダーの日」という業界記念日だったりする。

「カレンダー」について、ブログに何度も記してきた。追い立てられる日々に照らしてカレンダーとの関わりを語ったり、あるいは、アメリカンポップスの「カレンダーガール」について触れたりした。

(本ブログ関連:”カレンダーガール”)

普段でも、ブログに口にするカレンダーだけど、「カレンダーの日」という記念日があることを知らなかった。ネットに検索してみたところ次のような情報を得た。

全国団扇扇子カレンダー協議会」という、「団扇(うちわ)・扇子・カレンダーの製造及び販売を行う業者で構成される任意団体」があって、カレンダー業界の団体と連携して、12月3日を「カレンダーの日」として制定したそうだ。この日に制定した理由は、かつて明治政府が官員の給料を1ヶ月削ったとしばしばいわれる、旧暦からの改暦のできごとと縁がある。協議会のホームページに、「明治5年11月9日、時の政府は『来る12月3日を明治6年1月1日とする』と宣言。23日後に」突然改暦を実施したと説明している。

でも。私にとってカレンダーは、カレンダーという外来語であり、「暦(こよみ)」といった古来から続く日常の感覚とは違う。別の感覚するカレンダーは、思い出の「ニール・セダカ(1939年3月13日~)」の歌「カレンダー・ガール」(1960年)につながる。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)


(Youtubeに登録のnucker2001に感謝)

2018年12月2日日曜日

百里基地航空祭(ツアー2日目)

潜伏していた「飛行機好き」の病が歳とともに再発したらしい。最近は、転地療養しかないようだ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

この時期になると、ツアー会社は、各地の航空祭ツアーを組んで案内してくる。去年は岐阜県下で行なわれた「岐阜基地航空祭」に出かけた。今年は、(ツアー2日目に当る今日)、茨城県下で開催の「百里基地航空祭」を見学した。

(本ブログ関連:”岐阜基地航空祭”)

飛行場は、飛行機が飛ぶから滑走路があり、滑走路が長いから敷地も広い。それで、航空祭の実演を見上げる場所は広い。広いので吹きさらしになり、この時期とても寒い。逃げ場がないのだ。

目の前上空を飛翔するファントム機F-4)*が、こちらに尾部を向けた旋回の瞬間、圧倒的な排気音を受けて腹が揺さぶられる。これを繰り返されるのだから、飛行機好きにはたまらない。そして、場内のアナウンスで、操縦者の氏名と出身地が語られる。あらためて、(生身の)人が搭乗するのを知ることになる。

(*)ファントム機: ハシェット社の「エアファイター・コレクション」第1巻で紹介(これだけ購入)

航空祭には、あらゆる人びとが集う。日頃接することのない老若男女、さまざまな職種というか生き方といったらいいのかもしれない、実に多様だ。中には、飛行機好きなのかカメラ好きなのか(すごく高級な望遠カメラを持った)若い女性までいる。

前回の岐阜基地航空祭は、飛行場までたどり着くのにくたびれたが、今回はそれに比べると少しは楽だった。入り口から会場まで割合近かったからだ。とはいえ、会場に着けば、飛行場はやっぱりどでかいことを思い知る・・・結局、後半は歩き疲れて、格納庫に並んだ椅子に座って空を見上げていた。気付けば、回りは中高年ばかり。屋外用の強力な暖房機が設置されていて、そこから抜けられず、集合時間まで居座った。

2018年12月1日土曜日

JAXA筑波宇宙センター(ツアー1日目)

今日から2日間出かける。今日は「JAXA筑波宇宙センター」、明日は「百里基地 航空祭」を見学の予定。電車を乗り継いで行けない距離でないが、バスツアーによるお任せ小旅行であり気楽に巡りたい。

感想は明日(12/2)帰宅後に追記したい。

(以降、12/2に追記)
というわけで、初日(12/1)に訪問した、筑波学園研究都市にある「JAXA筑波宇宙センター」の見学について追記する。といっても、一般公開の展示物をざっと見る限りだが・・・それにしても驚いた。

展示物「こうのとり」
テレビ画面や、PCのYoutube画面の中で納得していた勝手なイメージが破られた思い。展示館に置かれた人工衛星、実験棟、輸送機器などが、今まで想定していたサイズと全くの大違いだった。

「国際宇宙ステーション(ISS)」との物資補給をした、宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)「こうのとり」の展示物に近寄ったとき、初めは気付かなかったほど巨大なサイズだ。頑丈そうな構造物(試験モデル)を見上げて考えた、もしかしたら「こうのとり」ではと・・・。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

そのとき、展示館の見学ツアーに行き合わせて、そばで聞かせていただいた。解説者が「こうのとり」をさしながら、< このサイズのものをフェアリング部に収納する「HⅡBロケット」の大きさが想像できますね > と解説された。なるほど、トン(t)クラスの搭載物を運ぶ「HⅡBロケット」の圧倒的なスケールにも、合わせて実感した気がした。重力を超えて飛び上がることを考えれば、「こうのとり」が頑丈に見えても当然という次第。

外部広場には、HⅡBの前世代であるが、「HⅡ」ロケットの実機も展示されている。また後継の「HⅢ」ロケットの登場も待ち遠しい。

そうそう、小市民らしいお土産も買った。