冬になると定番の歌がある。ラジオとテレビが同居していた時代、「雪の降る町を」(作詞:内村直也、作曲:中田喜直、1952年)がそれだ。シャンソン歌手「高英男」(1918年~2009年)によってヒットしたことになっているが、記憶にあるのは、男性コーラスグループ「ダークダックス」によるものの印象が強い。歌声喫茶はなやかなりし頃のこと。その雰囲気は、学校の教室に教師が音頭をとってゆき渡った。
そんな時代、下町のイメージで売り出した俳優であり歌手の「倍賞千恵子」が歌うと、包み込むような暖かさを感じた。人と親和する彼女の庶民性は、ある意味、近所のお姉さんスターでもあり、それゆえ歌うにふさわしかった。それに目をつけた映画監督によって、「さくら」という不動の妹役を演じた。
(本ブログ関連:”倍賞千恵子”)
とはいえ、この歌にも時代の雰囲気がある。何かを越える意志を秘めた語りから、ありがちな同調を求める感がした。教室で配られた、小さな歌集(歌詞帳)に収まった一連の歌を思い出さずにいられない。
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2018年12月17日月曜日
2016年10月28日金曜日
倍賞千恵子が歌う唱歌「旅愁」
まだ紅葉の気配はない。後10日もすれば「立冬」だというに、今年の秋は夏が入り乱れ、それらしい気配に乏しかった。とはいえ、夜分に冷気がしみ入り、エアコンの暖気が必要だ。赤い炎のストーブが意外に早く登場するかもしれない。
秋の歌に唱歌「旅愁」がある。Wikipediaによれば、原曲ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)のものに、明治40年(1907年)、犬童球渓(1879年~1943年)が訳詞を付したものだそうだ。
この歌は、「北帰行」ほど異国に孤独でなく、さりとて夢破れて旅するに、ふるさとの父母を懐かしむほどで、時代を断ち切っての放浪だったでもなかろうから、唱歌として歌われたのかもしれない。(歌詞の成立に深入りするのは、返って想像を萎ませる野暮かもしれない)
そんな歌を、破天荒に旅する兄を愛しむ妹「さくら」役が似合った倍賞千恵子が歌うと、旅先にほんのり明かりが灯るよう。生真面目な下町娘のイメージに、心が休まるというもの。さくらが、上野駅の地下通路にある小さなラーメン屋で、旅に出ようとする兄寅次郎に、皺になった五百札をのばしながらそっと渡す場面を忘れられない。
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秋の歌に唱歌「旅愁」がある。Wikipediaによれば、原曲ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)のものに、明治40年(1907年)、犬童球渓(1879年~1943年)が訳詞を付したものだそうだ。
この歌は、「北帰行」ほど異国に孤独でなく、さりとて夢破れて旅するに、ふるさとの父母を懐かしむほどで、時代を断ち切っての放浪だったでもなかろうから、唱歌として歌われたのかもしれない。(歌詞の成立に深入りするのは、返って想像を萎ませる野暮かもしれない)
そんな歌を、破天荒に旅する兄を愛しむ妹「さくら」役が似合った倍賞千恵子が歌うと、旅先にほんのり明かりが灯るよう。生真面目な下町娘のイメージに、心が休まるというもの。さくらが、上野駅の地下通路にある小さなラーメン屋で、旅に出ようとする兄寅次郎に、皺になった五百札をのばしながらそっと渡す場面を忘れられない。
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2018年8月11日土曜日
山の日 2018
今日は祝日「山の日」。本格的な山とはしばらく縁遠い。鉱物採集で山に入るのは、登山といえない。以前、ブログに記したように、鉱石(資源となる鉱物)の運搬上、鉱山(跡)が深山にあるケースは多くない。また、ズリ(跡)で鉱物採集するとき、地面に向かってハンマーを打ち下ろし、石を砕き続けるわけで、山景に親しむ余裕はない。
(本ブログ関連:”山の日”)
集団で鉱物採集地の山を登りくだりしたとき、いずれも後塵を拝したことがあった。それも、若者に同道してもらってのこと。以来、横付けという、車道から近い鉱山跡で採集するようになった・・・安直なことで。
山といえば、懐かしい想いのする「あざみの歌」(作詞横井弘、作曲八洲秀章)がある。戦後間もなく発表され、その後、倍賞千恵子も歌った憂いに満ちたこの曲を、あまり聴かれることはないようだ。私にとっては、彼女のイメージと重なって思い出深い、なにしろ寅さんの妹さくら役でもあるからだ。
「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)によれば、作詞者横井弘(1926年10月12日~2015年6月19)は、まだ18歳の1945年5月に召集を受け、同年8月に終戦を迎える。あっという間の4ヶ月だったようだ。母子で暮らした四谷の家は焼け、人づてに長野県下諏訪の町に至ったという。復員した彼が八ヶ岳の八島ヶ原湿原で作ったのが「あざみの歌」だったとか。また、作曲者八洲秀章は、すでに旋律を作曲していて、それに合った詩を探していたという。
(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)
結果、Wikipediaによれば、「あざみの歌」は、作曲者八洲秀章の歌唱で、1949年(昭和24年)8月8日から1週間、NHKのラジオ歌謡で放送された。1951年には、歌手伊藤久男の歌でレコード化されている。
上記「唱歌・童謡ものがたり」に、作詞者横井弘とのインタビューが載っており、「でも、やはりこの歌が一番思い出深いなあ。自分の一生を決定づけた歌ですからね。華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたんです。別に特定の人物はいませんが、この思いは今も全く同じです」とのこと。
(Youtubeに登録のtengokuemakiに感謝)
(本ブログ関連:”山の日”)
集団で鉱物採集地の山を登りくだりしたとき、いずれも後塵を拝したことがあった。それも、若者に同道してもらってのこと。以来、横付けという、車道から近い鉱山跡で採集するようになった・・・安直なことで。
山といえば、懐かしい想いのする「あざみの歌」(作詞横井弘、作曲八洲秀章)がある。戦後間もなく発表され、その後、倍賞千恵子も歌った憂いに満ちたこの曲を、あまり聴かれることはないようだ。私にとっては、彼女のイメージと重なって思い出深い、なにしろ寅さんの妹さくら役でもあるからだ。
「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)によれば、作詞者横井弘(1926年10月12日~2015年6月19)は、まだ18歳の1945年5月に召集を受け、同年8月に終戦を迎える。あっという間の4ヶ月だったようだ。母子で暮らした四谷の家は焼け、人づてに長野県下諏訪の町に至ったという。復員した彼が八ヶ岳の八島ヶ原湿原で作ったのが「あざみの歌」だったとか。また、作曲者八洲秀章は、すでに旋律を作曲していて、それに合った詩を探していたという。
(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)
結果、Wikipediaによれば、「あざみの歌」は、作曲者八洲秀章の歌唱で、1949年(昭和24年)8月8日から1週間、NHKのラジオ歌謡で放送された。1951年には、歌手伊藤久男の歌でレコード化されている。
上記「唱歌・童謡ものがたり」に、作詞者横井弘とのインタビューが載っており、「でも、やはりこの歌が一番思い出深いなあ。自分の一生を決定づけた歌ですからね。華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたんです。別に特定の人物はいませんが、この思いは今も全く同じです」とのこと。
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2012年5月25日金曜日
「ライラックが散るとき」余聞 (続)
イ・ソンヒが、シンガーソングライターとして本格的にアルバム作りに参加した作品に、「ライラックが散るとき」(アルバム10集、1996年)があることを本ブログに以前紹介した。
春-夏の花のライラックを、ショーウィンドウの中の飾り花(園芸用か)として見ることはあるが、公園などで咲いているのを目にしたことは残念ながらない。もしかすると、何処か気付かない場所で、小さな薄紫の花びらを密集させて見せているのかもしれない。
イ・ソンヒが歌うライラックの花は、どのような姿をしているのだろう。Ko-wikipediaの写真は、花弁の塊りのようではなく、解説に「約6mまで育って、枝は多く分かれて広く伸び、花が枝にびっしりとなる」とある。
ライラックは、「リラ」とも呼ばれ、倍賞千恵子の歌「リラの花散る町」(昭和40年、1965年)にも使われている。色滲む夕暮の町に、想いをリラの花に象徴して描いている。ライラックというより、リラの方が心に響きやすいのかもしれない。
(Youtubeに登録のcae2elに感謝)
(本ブログ関連:"「ライラックが散るとき」余聞")
春-夏の花のライラックを、ショーウィンドウの中の飾り花(園芸用か)として見ることはあるが、公園などで咲いているのを目にしたことは残念ながらない。もしかすると、何処か気付かない場所で、小さな薄紫の花びらを密集させて見せているのかもしれない。
イ・ソンヒが歌うライラックの花は、どのような姿をしているのだろう。Ko-wikipediaの写真は、花弁の塊りのようではなく、解説に「約6mまで育って、枝は多く分かれて広く伸び、花が枝にびっしりとなる」とある。
ライラックは、「リラ」とも呼ばれ、倍賞千恵子の歌「リラの花散る町」(昭和40年、1965年)にも使われている。色滲む夕暮の町に、想いをリラの花に象徴して描いている。ライラックというより、リラの方が心に響きやすいのかもしれない。
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(本ブログ関連:"「ライラックが散るとき」余聞")
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