http://www.leesunhee.com/
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自身のホームページなのに、随分と客観的、分析的である。
イ・ソンヒの生誕(2010年5月22日土曜日)
イ・ソンヒの誕生について、「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」のブログに「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)として、興味深い貴重な情報が記載されている。
書き出しにある彼女の誕生などについて、次にいろいろなことを知った。
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。 父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(⇒母の名前、イ・ソンヒの名前の由来を知った)
・彼女の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日だ。 父に頼まれた祖母が届けを忘れて、出生申告が3年も遅れた。
(⇒生年月日の相違を話題にしているブログがあった)
・当時や今もいつも寺と家を行き来している父は、彼女が生まれた直後にまた入山した。
(⇒家と寺が分離されていることがわかる)
・三歳なった日の1966年、両親は彼女を連れて忠南保寧からソウルに移住した。初めての定着地は城北区三仙洞だった。当時父は大韓仏教一乗宗(대한불교 일승종)の宗会議員と同時に、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。
(⇒父親の所属宗派を太古宗としてきたが、一乗宗なのか?)
(⇒ソウルへの移動時期が判明、転校が友人関係をむつかしくして内向的になったようだ)
(参考)韓国仏教宗派別寺院のリスト(万仏会)
書き出しにある彼女の誕生などについて、次にいろいろなことを知った。
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。 父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(⇒母の名前、イ・ソンヒの名前の由来を知った)
・彼女の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日だ。 父に頼まれた祖母が届けを忘れて、出生申告が3年も遅れた。
(⇒生年月日の相違を話題にしているブログがあった)
・当時や今もいつも寺と家を行き来している父は、彼女が生まれた直後にまた入山した。
(⇒家と寺が分離されていることがわかる)
・三歳なった日の1966年、両親は彼女を連れて忠南保寧からソウルに移住した。初めての定着地は城北区三仙洞だった。当時父は大韓仏教一乗宗(대한불교 일승종)の宗会議員と同時に、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。
(⇒父親の所属宗派を太古宗としてきたが、一乗宗なのか?)
(⇒ソウルへの移動時期が判明、転校が友人関係をむつかしくして内向的になったようだ)
(参考)韓国仏教宗派別寺院のリスト(万仏会)
<イ・ソンヒの小学時代>------------------------------
同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。
(本ブログ関連:”サニー”)
さて、本題のニンジンについては、以下の通り。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
---------------------------------------------------------
・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。
・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)
「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
---------------------------------
国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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<イ・ソンヒの高校時代>------------------------------
イ・ソンヒの小学生時代(2010年2月2日火曜日)
イ・ソンヒの子ども時代の音楽環境を知りたいが、それを進めるヒントがなかなか見つからない。
昨年4月のいくつかのニュース記事に、イ・ソンヒが出演したMBC「黄金漁場」トーク番組で、小学校6年まで寺に住んでいたと語ったことが報じられている。
一部ブログでは、父親が(仏教)太古宗で梵唄の指導をしていたと紹介している。太古宗の場合、妻子の住まいは寺院の外にあるといわれているので、「寺に住んだ」というのは具体的にどのような空間のことだろうか。例えば、居宅が寺院敷地の近辺にあったのか、それとも寺院につながっていたのか。
また、イ・ソンヒの公式ホームページ(HOME > Biograph >프로필)では、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)を卒業ということで、ソウルの初等学校が考えられる。梨泰院近くにあって、通学範囲のいずれの寺が、彼女の居住した寺ということになるのだろうか。また、本籍地の保寧からソウルへ転校したのだろうか。もしそうなら、その時期はいつか。あるいは、本籍地での居住経験はないのか。
どちらにしろ、父親が梵唄を指導していたと仮定して、それを身近に感じていたというのが一番わかりやすいのだが。
昨年4月のいくつかのニュース記事に、イ・ソンヒが出演したMBC「黄金漁場」トーク番組で、小学校6年まで寺に住んでいたと語ったことが報じられている。
一部ブログでは、父親が(仏教)太古宗で梵唄の指導をしていたと紹介している。太古宗の場合、妻子の住まいは寺院の外にあるといわれているので、「寺に住んだ」というのは具体的にどのような空間のことだろうか。例えば、居宅が寺院敷地の近辺にあったのか、それとも寺院につながっていたのか。
また、イ・ソンヒの公式ホームページ(HOME > Biograph >프로필)では、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)を卒業ということで、ソウルの初等学校が考えられる。梨泰院近くにあって、通学範囲のいずれの寺が、彼女の居住した寺ということになるのだろうか。また、本籍地の保寧からソウルへ転校したのだろうか。もしそうなら、その時期はいつか。あるいは、本籍地での居住経験はないのか。
どちらにしろ、父親が梵唄を指導していたと仮定して、それを身近に感じていたというのが一番わかりやすいのだが。
イ・ソンヒと家族(2010年4月29日木曜日)
イ・ソンヒが、昨年4月1日にMBC「黄金漁場(황금어장)-膝打ち道士(무릎팍 도사)」に出演して述べた話題が、ブログ「一方的TV覗き(마구잡이 TV 엿보기)」(2009年4月2日)の「膝打ち、更け行く夜心を打つ『イ・ソンヒ』の...-歌の贈り物」にまとめられている。
ブログの最後には、25年間歌だけに専念できるようにしてくれたありがたい家族について興味深い話が語られている。
・父親が僧侶のため、小学校6年生まで山奥の寺に住んだ※。
・(イ・ソンヒの大学卒業時だろうか、謹厳実直そうな父親と優しい微笑みの母親と思われる二人の間に彼女が並んだ写真が掲載されている。彼女は、どちらかといえば父親似かな。なお、弟さんもいるようだ。)
・これまで心配なくやってこれたのは、”黙って”見守ってくれた家族があって可能だった。
・「私の歌の最も力強い支持者は家族だ」と家族に対する感謝の気持ちを表した。
(※)イ・ソンヒは、梨泰院初等学校を卒業している。(本ブログ関連:2/2)
ブログの最後には、25年間歌だけに専念できるようにしてくれたありがたい家族について興味深い話が語られている。
・父親が僧侶のため、小学校6年生まで山奥の寺に住んだ※。
・(イ・ソンヒの大学卒業時だろうか、謹厳実直そうな父親と優しい微笑みの母親と思われる二人の間に彼女が並んだ写真が掲載されている。彼女は、どちらかといえば父親似かな。なお、弟さんもいるようだ。)
・これまで心配なくやってこれたのは、”黙って”見守ってくれた家族があって可能だった。
・「私の歌の最も力強い支持者は家族だ」と家族に対する感謝の気持ちを表した。
(※)イ・ソンヒは、梨泰院初等学校を卒業している。(本ブログ関連:2/2)
<イ・ソンヒの中学時代>------------------------------
イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手(2010年4月6日火曜日)
NAVERキャストの「むかし新聞」にある「歌謡祭が生んだ彼女たち」('09/6/3)に、80年代と90年代初頭に新人歌手登竜門であった「大学歌謡祭」、「江辺歌謡祭」出身の女性歌手たちについて、当時の新聞記事を紹介している。
イ・ソンヒについて次の2紙の記事が紹介されており、当時の記事にリンクすることができる。
・「京郷新聞(경향신문)」1984年7月31日
「『'84 MBC江辺歌謡祭』の応募作は、大賞の栄誉を授かった『Jへ』をはじめ、若者たちの切ない愛と友情を描いた曲がほとんどで、エレキギターを使った激しい曲より、やわらかくて情感ある曲が主流をなした。 (中略)
大賞の栄誉を授かった混成デュエット『4幕5場』のメンバー、イ・ソンヒさん(18、仁川専門大環境管理科1年)とイム・ソンギュン君(22、機械科2年)は、思いがけない喜びにむしろとまどう表情...」
・「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。(中略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると... 」
あらら、イ・ソンヒとニンジンの関係は、そうだったのですか・・・初めて知りました。
(本ブログ関連:2009年の8/10、2010年の2/3、3/24)
イ・ソンヒについて次の2紙の記事が紹介されており、当時の記事にリンクすることができる。
・「京郷新聞(경향신문)」1984年7月31日
「『'84 MBC江辺歌謡祭』の応募作は、大賞の栄誉を授かった『Jへ』をはじめ、若者たちの切ない愛と友情を描いた曲がほとんどで、エレキギターを使った激しい曲より、やわらかくて情感ある曲が主流をなした。 (中略)
大賞の栄誉を授かった混成デュエット『4幕5場』のメンバー、イ・ソンヒさん(18、仁川専門大環境管理科1年)とイム・ソンギュン君(22、機械科2年)は、思いがけない喜びにむしろとまどう表情...」
・「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。(中略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると... 」
あらら、イ・ソンヒとニンジンの関係は、そうだったのですか・・・初めて知りました。
(本ブログ関連:2009年の8/10、2010年の2/3、3/24)
イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」 (2015年5月1日金曜日)
イ・ソンヒのファンクラブに「ニンジン」の名の付くものがあるが、もともとは彼女自身の食習慣に由来する。それについては、以前ブログに資料を記した。あらためて、以下整理する。同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。
(本ブログ関連:”サニー”)
さて、本題のニンジンについては、以下の通り。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。
・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)
「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
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国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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<イ・ソンヒの高校時代>------------------------------
イ・ソンヒの高校時代(2010年1月7日木曜日)
Daumミュージックに、イ・ソンヒとのイム・ジンモ(임진모)のインタビューが掲載されている。イ・ソンヒが、ソウル大学路にライブ劇場を運営していた当時(2003年3月)のことである。
興味深い話題が縷々語られているが、その中で、彼女の高校時代の思い出を次のように記している。
・高校(サンミョン(상명)女子高等学校)の時分は、カフェに通ってメタル(메탈)を主に歌った。シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」が、そのとき歌った曲だった・・・とのこと。それらは今、イ・ソンヒに歌いつがれている。
(YouTubeに登録のhsfine0768に感謝!!)
(追記)
・ちなみにイ・ソンヒの公式ホームページによれば、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)、信光女子中等学校(신광 여자중학교)を卒業。
・なお本ブログ(8/4)に記した、イ・ソンヒが高校時代に通った音楽室は、ソウル特別市龍山区(ヨンサング)南営洞(ナムヨンドン)にあった。
興味深い話題が縷々語られているが、その中で、彼女の高校時代の思い出を次のように記している。
・高校(サンミョン(상명)女子高等学校)の時分は、カフェに通ってメタル(메탈)を主に歌った。シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」が、そのとき歌った曲だった・・・とのこと。それらは今、イ・ソンヒに歌いつがれている。
(YouTubeに登録のhsfine0768に感謝!!)
(追記)
・ちなみにイ・ソンヒの公式ホームページによれば、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)、信光女子中等学校(신광 여자중학교)を卒業。
・なお本ブログ(8/4)に記した、イ・ソンヒが高校時代に通った音楽室は、ソウル特別市龍山区(ヨンサング)南営洞(ナムヨンドン)にあった。
チャン・ウクチョ音楽室(2010年5月26日水曜日)
イ・ソンヒが祥明女子高(상명여고)の3年生のとき、ソウル特別市龍山区南営洞(남영동)にある「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」で歌の勉強をしていたが、そこで当時無名の作曲家イ・セゴン(李生建(이세건))と出会い、名曲「Jへ」を譲り受けることになる。
(本ブログ関連:1/7)
「チャン・ウクチョ音楽室」のチャン・ウクチョこそが、ブログ「老木樹のチャン・ウクチョが生命樹になって」で、イ・ソンヒの思い出を語る「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)のチャン・ウクチョと想定する。この思い出の記述の中で、「チャン・ウクチョ音楽室」時代については、青字で表示されている。
当時イ・ソンヒは、特にプロを目指していたわけではなかったが、才能を認められたのだろう、「一種、奨学生に似た待遇を受けることとなる破格な経験」をしている。
チャン・ウクチョ(Chang,Wook-Cho)について、現在牧師をされているが、歌手でもあり作曲家でもある次のような人物と想定する。
Maniadbによれば、1980年代前後に「チャン・ウクチョとコインドル(Jang, Wook-Jo & A Dolmen)」として活動したようだ。また、最近は賛美歌のアルバムを出しているようだ。この二つの時代に発表した歌の題名を用いて、ブログ名「老木樹(고목나무)のチャン・ウクチョが生命樹(생명나무)になって」を作られたのだろう。
(本ブログ関連:全て2009年の4/13、6/7、6/8、8/4、8/10、8/25、10/2、10/17、11/14 、11/29、 11/30 、2010年の2/3、3/24、4/6、5/22、5/25 【付録】2009年の10/5)
<イ・ソンヒの1980年代>------------------------------
<イ・ソンヒの1990年代>------------------------------
<イ・ソンヒの2000年代>------------------------------
<イ・ソンヒの2010年代>------------------------------
(本ブログ関連:1/7)
「チャン・ウクチョ音楽室」のチャン・ウクチョこそが、ブログ「老木樹のチャン・ウクチョが生命樹になって」で、イ・ソンヒの思い出を語る「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)のチャン・ウクチョと想定する。この思い出の記述の中で、「チャン・ウクチョ音楽室」時代については、青字で表示されている。
当時イ・ソンヒは、特にプロを目指していたわけではなかったが、才能を認められたのだろう、「一種、奨学生に似た待遇を受けることとなる破格な経験」をしている。
チャン・ウクチョ(Chang,Wook-Cho)について、現在牧師をされているが、歌手でもあり作曲家でもある次のような人物と想定する。
Maniadbによれば、1980年代前後に「チャン・ウクチョとコインドル(Jang, Wook-Jo & A Dolmen)」として活動したようだ。また、最近は賛美歌のアルバムを出しているようだ。この二つの時代に発表した歌の題名を用いて、ブログ名「老木樹(고목나무)のチャン・ウクチョが生命樹(생명나무)になって」を作られたのだろう。
(本ブログ関連:全て2009年の4/13、6/7、6/8、8/4、8/10、8/25、10/2、10/17、11/14 、11/29、 11/30 、2010年の2/3、3/24、4/6、5/22、5/25 【付録】2009年の10/5)
<イ・ソンヒの1980年代>------------------------------
<イ・ソンヒの1990年代>------------------------------
<イ・ソンヒの2000年代>------------------------------
<イ・ソンヒの2010年代>------------------------------