▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2019年3月31日日曜日

平成最後の花見

心ときめく桜の季節になった。日本人は花見が好きなのだ。大勢の客に混じって眺めるもよし、あるいは、ひっそりと人気のない隠れた並木道を巡るもいい。薄曇りの今日、そのどちらも経験した。

(本ブログ関連:””)

少々ひんやりした昼過ぎ、江戸時代から桜の名所として知られる地元公園の「桜まつり」(3/30~31)に出かけた。
公園はひとびとであふれかえっていた。日本語以外のことばがあちこちから聞こえてくるのも、この時期ならではだろう。

桜は、枝にまだ芽をいくつか残しているものの、ほぼ咲き揃い、見ごたえのある花見が体験できたといっていいかもしれない。
とりわけ桜の木立に囲まれ、桜花におおわれた広場では、家族連れや仕事仲間といったグループが、桜の下で食事など宴を楽しんでいた。毎年見られる、実は幸運な光景なのだ。
写真は、ちょいと浮世絵風の構図にして撮ってみた。あるいはモネの「草上の昼食」風でもある。

とはいえ、余りの人の多さにはじき出されてしまい、公園から少しの離れた場所にある、郷土資料を陳列する文化財センターを訪れた。ここでは、江戸時代に「ヤマザクラ」が植えられて以来名所になった歴史を紹介している。江戸時代の文献、着色絵葉書写真、あるいはきわめてローカルな地割り地図資料など見ることができる。

帰り道、人通りのほとんどない、それでいて知る人ぞ知るといった桜並木道があって寄ってみた。こちらも桜の花が空をしっかり覆っていた。ここの圧巻は、この後訪れるだろう桜吹雪の時期だ。だれに気兼ねなく花びらを浴びることができるのだから。もう少ししてのお楽しみだ。

今日一日、桜を楽しんだ。

2019年3月30日土曜日

(資料)バスク料理 ②

海と山の両方から豊な食材を得るバスク人は、舌の肥えた民族である。バスク料理の人気の由縁は、独特な起源を守り続けた伝統と、海洋性の開放さにあるのかもしれない。日本人にとっても、魚介*料理に和食へ通じる親和性(現地で食ったことがないのに推測だが)があるのかもしれない。

(*)「魚介」:https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/071.html

バスク語学習を機会にバスク料理を味わいたい、そしてバスク語学習を口実にサンセバスチャンに出かけてみたいものだ。
昨日(3/29)記した「(資料)バスク料理 ①」の後半を、Youtubeを視聴して次ぎにつづる。ますますバスク料理が近づいた気がする。

(本ブログ関連:”バスク”)

3.Nueva cosina(新しい料理)の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=IMECdojqZKk
ルイス・イリサール料理学校(1992年)を訪問
・バスク料理はバスクの伝統(おばあちゃんの味)を守ることに通じる
・100以上ある美食クラブ:男だけの会員制クラブ(フランコ時代もバスク語を守る)
  - イカの煮込み料理、塩鱈の料理

4.伝統の味
https://www.youtube.com/watch?v=9jEOvpHalAA
・バスク豚(放牧で牧草・木の実を食す)を飼育する旧家を訪問(→ 「旅するスペイン語②」)
・春の季節野菜を使ったバスクの家庭料理を一般家庭に訪問

5.バスクの食材で和食作り
https://www.youtube.com/watch?v=VGSRSPtCc6U
・米、アーティチョーク(野菜)、メルルーサ(魚)
・美食クラブで調理
   - 鰻の稚魚の天麩羅/焼きそら豆、アーティチョークの煮物、メルルーサの味噌焼き鍋
   - 生ハムを乗せたご飯、最後に日本酒で乾杯

2019年3月29日金曜日

(資料)バスク料理 ①

後4日ほどすると「バスク語教室」が始まる。前もって使用するというテキストの10課まで目を通した(読んだという自信がない)けれど、頭が混乱するばかり。バスク地方を囲むロマンス語(さらに広げてインド=ヨーロッパ語族)諸国の言葉と通じないほど独特である。その孤立具合は、日本語に似た面もあるというけれど・・・。

バスク語に近づくに、最善の策は食べ物からというわけで、ネットをいろいろ巡っている。NHKの紀行番組「旅のチカラ」で、日本料理研究家「土井善晴」と巡る「世界一の美食の街 スペイン・バスク地方」(2013/5/29放送)の抜粋版がYoutubeに登録されている。(登録者GX fuyumomoに感謝)

(本ブログ関連:”バスク”)

1.サンセバスチャンの漁港
https://www.youtube.com/watch?v=F5RZf5YmKOg
・魚市場で獲ったばかりの魚を、町の市場で朝取り野菜や肉類を見る。
・シエスタの頃、一軒のバルで「ピンチョス」を食す。時間(歴史)をかけた料理。

2.Nueva cosina(新しい料理:新バスク料理)の潮流
https://www.youtube.com/watch?v=O4BqTfRl59g
・(試行を続ける)三ツ星レストラン(AKELAŔE = Akelarre)訪問
・(潮風を受けた)独特な野菜農家を訪問

以下は別の機会に記す。
3.
4.
5.

2019年3月28日木曜日

コオロギと一緒に飛んでみたい・・・気がする

夏に大層に鳴く蝉は一週間で、コオロギ(cricket)とて蟻に馬鹿にされて冬には朽ち果てる。フランスで、その声は ”cri cri” と聞こえるそうだ。とはいえ、か細くとも存在を大いに示すその意気や良しといえる。

一昨日(3/26)のブログで、航空局から機体番号が付与された八谷和彦氏の自作機「メーヴェ」について触れたが、以前(2018/3/27)に、フランスのMichel Colomban氏制作のミニ飛行機「cri cri」について記した。そのときの「MC-15 Cri-Cri Jet」機体のエンジンは、PBS Velka Bites TJ20A ターボジェットエンジンだったので、今回、それ以前の、レシプロエンジンを搭載したものを探した。何と手動で始動している(片方はそうでもないようだが)!

エンジン音は、コオロギの鳴き声ほど控え目ではない。小さな機体だからこそ寄れば、それなりの音をたてているのが分かる。なにしろ、人を大空に運ぶのだ。昔のラジコン機の記憶(といっても大人たちのそばで眺めていただけだが)がよみがえってくる。

(本ブログ関連:”ラジコン”)


(Youtubeに登録のtahitien93に感謝)

2019年3月27日水曜日

紅枝垂(べにしだれ)

かかりつけの医院で、地元の桜並木(ソメイヨシノ)について話題になり、診察後、開花具合を確かめようと、ちょいとミニ花見に出かけた。あいにくの寒の戻りがあったせいか、まだ一部だけ咲いていて、通りを連なるほどではない。せっかくなので、公園まで足をのばした。

広場のあちこちで、親子連れや、幼稚園・保育園の子どもたちが陽に暖まりながら遊んでいた。今日の風は強く、ときたま辺りを薄茶色に染めるほど巻き上がる。そのため、見守る大人(特に、先生や保育士の方々)は気配りで大変だろうと思った。
公園の散歩道に迷子がいて、親切なひとびとが集まり面倒を見ていた。うっかりすると、子どもは、思った以上にどんどん歩き回る。心配性のわたしには、子どもを迷子にする親の気が知れない。といっても、親は親で真剣に探し回っているのだろうけれど。

さて、公園の広場を囲む桜は、五部咲きといった程度で、不思議なことに木立の下側の枝ほど花を開いている。こんな現象に気付いたのは初めてで、そんな具合だからか、木の下にいれば適度に花見気分が味わえるわけで、あちこちに主婦仲間と思われる花見客(グループ)が話しに花を咲かせていた。

そんなわけで、観桜にまで至らないが、公園を巡ると「紅枝垂(べにしだれ)」が花を垂れ枝に花を飾りながら、風に揺れるさまを見ることができた。

「紅枝垂」のそばに、解説の札が立っていて次のように記されている。(公園の「桜守の会」による)
------------------------------------------
エドヒガンの栽培品種で、「糸桜」とも呼ばれ、しだれ型の中で花色が濃いもの。
普通のエドヒガンの枝は上に伸びますが ”枝垂桜”の枝は下に垂れ下がり珍重され、平安期の古くから社寺を中心に全国各地で栽培され、福島県三春町の「三春の滝桜」や岐阜県本巣郡の「根尾谷の淡墨桜」などは国の天然記念物に指定されている。
従来花弁は五枚であるが、雄しべが旗弁化して、個体によって変異が多い。
------------------------------------------

2019年3月26日火曜日

「メーヴェ」に乗ってみたい・・・気がする

宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」に登場する飛行機(装置)「メーヴェ」を、実機化した方がいる。Youtubeで、八谷和彦氏とその仲間たちの「オープンスカイプロジェクト」によるテスト飛行を見ることができる。。

航空局から、「超軽量動力機やジャイロプレーンの要件を満たさない自作航空機」に該当する登録機体記号として最新「M-02J」機に「JX0122」が付与されている。本気なのだ。素晴らしい!

(本ブログ関連:”飛行機”)

アニメ「風の谷のナウシカ」のメーヴェ機では、取っ手をつかんで中腰の主人公ナウシカが、体重移動や足先のペダルなどでバランスを取りながら操縦しているが、上記プロジェクト*のM-02J機では、八谷氏が腹這になり、体重移動と補助翼などで操縦しているという。

(*)https://www.ac-olympos.com/projects/m-02.html

M-02Jは、アートとして扱われているようだが、飛行機ファンにとっては青空を「飛翔する」夢にもっともっと近づけたい気がする。白い機体が旋回するさまはまことに美しい。同時に、ナウシカの(ちょっと憂いを含んだような)顔が眩しく浮かんでくる。

(次の映像は、Open Sky Projectに埋め込みされていたものです)

(Youtubeに登録のkazuhiko hachiyaに感謝)

2019年3月25日月曜日

東京クレズマーナイト

昨年通った「イディッシュ語教室」(今年は残念ながら休講となった)のクラスメイトに、クレズマー音楽の演奏家(かつ歌手)のお二人がいて、活発な公演活動を続けられている。当然、音楽の対象であるイディッシュ語に対する心がまえや熱意が抜きんでいて、いつも敬服している。

本日、上記のお二人が参加するコンサート「東京クレズマーナイト」*が、六本木の「C*LAPS」で催された。曲目について解説を交えて、イディッシュ・ソングやクレズマー音楽の演奏を聞く楽しい時間を過ごした。

(*)http://c-laps.jp/events/190325_klezmer_night/

演奏は、先日(3/16)の「イディッシュ文学の夕べ」(東京・特別編)に参加された方々を含めて多数のミュージシャンで編成された。クレズマー音楽特有の明るさと(郷愁を呼ぶような)感傷的な旋律、楽しいリズムに引き込まれて、会場から自然と手拍子がとられたりした。広々した空間で聞くのはいいものだ。

ところで、昨日、「イディッシュ文化と笑い」という講演会があり、そこに出演されたという、Shane Baker氏が特別ゲストで舞台に立った。こてこての女形スタイルで、イディッシュ語+英語による(独り)コメディーを演じられた。(聞き取れたかって? ・・・いうまでもなく)

また、チェリストの新倉瞳氏**が参加する、スイスに拠点を置く「ハイベバラガン」のメンバーが今日来日したばかりのところを、こちらも特別ゲストとして演奏に加わった。楽器の音色が厚くなりますます会場が盛り上がったのはいうまでもない。

(**) https://style.nikkei.com/article/DGXMZO22141090R11C17A0000000/

そうそう、クレズマー音楽にダンスがつきもの。わたしも、つられて踊りの輪に加わってしまったのだ・・・とうとう。

(追記)
都心を久し振りに歩いた。以前は通勤路に使ったこともあったのに、今回、腰の回りがくたびれ果てた。運動不足を痛感する。

2019年3月24日日曜日

痴愚神礼讃

ひとは名誉や名声を競い合うけど、阿呆を競い合うことはない。阿呆は互いに、お前こそ阿呆だというけれど、俺こそ阿呆だとはいわない。周りから見れば同じ阿呆なのだが・・・、阿呆がそういうのだから間違いない。

マトリョーシカ人形のように阿呆はきりがない。だったら、阿呆と互いに承知すれば通じ合うのに、そうならないのが惜しい。

昨日のブログに「阿呆船」から探したが、今日はエラスムスの1511年に刊行した「痴愚神礼讃(Encomium Moriae)」(二宮敬訳)から抜き出してみよう。女神がいうには・・・。

(本ブログ関連:”痴愚神礼讃”、”阿呆船”)

--------------------------------------
28  さて今度は、さまざまな技芸のお話をしましょう。このうえもなく優れているように思われる多くの知識を、いったいどうして人間は考え出したり、あとへ伝えたりしたのでしょうかしら? 名誉欲からでないとしたらばね。実際、阿呆の骨頂たる人間どもは、徹夜を重ね汗水流したあげくの果てに、名声という世のなかでもまさにいちばん空しいものを手に入れたつもりになっていたわけなのですよ。皆さんだってやはり、この痴愚の女神のおかげで、人生のあらゆる貴重な利便の余慶にあずかっていらっしゃるのですし、さらに、これはなによりも楽しいことですが、皆さんは他人の阿呆さを利用していらっしゃるのです。
--------------------------------------

2019年3月23日土曜日

明け暮れ阿呆

何かよいものはないか、何処かにあるに違いないと探し回り、とどのつまりはたまらない。それもそのはず、安い麻袋に放り込んだが、袋の底が破れていて、何もかも漏れ落とし、軽いのは力が付いたからと勘違いして、後ろを確かめることもしない。

そんな「明け暮れ阿呆」について語る詩がある。S.ブラントが1494年に著した風刺詩集の「阿呆船(Das Narrenschiff )」(尾崎盛景訳)に次のように語られている。(エラスムスの「痴愚神礼讃」(1511年)とともに気休めに活用する)

(本ブログ関連:”阿呆船”)

いろいろよいこと聞きながら
少しも知恵が増しもせず、
何でもかんでも聞きたがり、
ちっともそれでよくならず、
見るもの何でも欲しがって、
いつになってもかっこ鳥。
新しいものならとびついて、
そのすぐ後で熱がさめ、
またほかのものに手をのばす、
阿呆の持病じゃなかろうか。
・・・

この阿呆船には、いずれも阿呆がちりばめられ、もしもそこから漏れているなら名乗り出よとのこと。いやはや、どれもこれもわが身に立ち返ることしきり。阿呆さ加減を思い知ることになる。

2019年3月22日金曜日

コブシとレンギョウ

気分転換に、久し振りに川辺を散歩する。昨日と比べて、風が南風から北風に変わり、薄曇りのせいもあってか随分とひんやりする。それでも、近隣の最高気温は21.7℃もある。北風による体感温度は厳しい。

すれ違う人もまばらで寂しいかぎり。そんなとき、素足で小川に入って水遊びする子どもたちがいた。母親から早く上がるよう説得されても聞き入れない。春の水温む感蝕を楽しんでいるのだろうか。元気をもらった気がする。

そんなとき、散歩道に「コブシ(辛夷)」が白い花を咲かせているのが見えた。一見、ハクモクレンを小さくしたような雰囲気で、丈もさほど変わらない。花弁が小振りなためか少し地味に見える。いいかえれば、野生っぽい。花の下を通り過ぎるとき、うっすらと香りがする。爽やかで実に品よい。

(本ブログ関連:”コブシ”)

コブシの手前に、黄色の「レンギョウ(連翹)」の花が咲いていた。春には、黄色の花が目立つ。半つる状の枝が絡まるようにしているので、花弁がぎっしり密集して見える。最近、道路と歩道の境に植えられているのを目にする。中国伝来とのこと、韓国でも人気があるようだ。

(本ブログ関連:”レンギョウ”)

2019年3月21日木曜日

春分の日 2019

今日は二十四節気の「春分」、そんな節目より現実的な国民の祝日「春分の日」といった方に分がありそう。

(本ブログ関連:”春分の日”)

都心の最高気温は何と22.3℃(12:47)、「東京都心で20度を超えるのは今年初めて」で「5月並みの陽気」(日直主任 日本気象協会)*とのこと。
(*)気象協会: https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2019/03/20/4022.html

また、東京の桜の「開花宣言」がされた。気象庁から少し離れた「靖国神社」にある標本木に、5輪以上の桜が開花したことをもって宣言されたわけで、例年より5日早く、昨年より4日遅い。

(本ブログ関連:”開花宣言”)

そんなポカポカ陽気と南風に誘われて、地元の公園に桜の具合を見に行った。祝日でもあって家族連れで賑わっていた。何ぶん風が強く、落ち葉や、土ぼこりが舞いあっていた。それでも子どもたちは風の中を走り回っていた。

残念ながら、公園の桜にまだ開花の気配はなくて、写真の通り、空を見回せば桜の枝に蕾ばかり。あらためて寒々しさを感じるが、「桜まつり」が今月末の土日(3/30,31)に予定されている。一週間ほど後のお楽しみになる。

2019年3月20日水曜日

どんな方だったのだろう Alan R. King

先日(3/5)のブログに、バスク語学習に使うのに便利な辞書はないものかと記した。ネット辞書と違って、手元に紙(プリント)にして置けるといいわけで、その素材となるものを海外のネットで探してみた。

英語版のバスク語テキストにいろいろあって、その巻末に「語彙集」があるはず。もし、テキストが公開されていれば参考になると検索したところ見つかった。
以前、イディッシュ語の授業でテキストとして使用された「Colloquial 」シリーズの中に、「Colloquial Basque: The Complete Course for Beginners」があった。著者は、Alan R. Kingという方だ。
このテキストの「pdf版」は、意外とあっさり見つかる。ただし、著作権を十分配慮のうえ使用する必要があるだろう。(Amazonで購入すると物凄く高価になる)

Alan R. Kingは、「バスク語のしくみ」(吉田浩美著)の巻末にも紹介されている方で、Wikipediaを見ると、今年2月19日に64歳で亡くなっている。バスク語の他に、アメリカの古い言葉のナワット語の研究者だったとのこと。
彼の「代表作」の蘭に、「King, Alan R. (1982). A Basque Course: A Complete Initiation to the Study of the Basque Language. (未刊タイプ原稿)」が紹介されている。Wikipediaのに当る部分は、同テキストのpdfファイルにリンクする。こちらも、著作権を十分配慮のうえ使用する必要がある。

バスク語は霧に包まれて先がよく見えません。

2019年3月19日火曜日

読書室

久し振りの読書室、出かけてみれば休館日。そこで、少し遠回りして隣り町にある読書室を訪ねてみた。昼過ぎの平日だが、満室に近い状態。

バスク語のテキストを読み進めるが、なかなか定着しない。基本解説を読んで納得するものの、練習問題には手も足も出ない。正直、解答を見ながら解き進めるといった具合で、応用できるレベルでない。

助動詞が人称ごと格を持ち、主語がなくても類推できそうだが、du助動詞、da助動詞を識別して、名詞にどんな格が使われているのか直ぐに思いつかねばならない。完了分詞、不完了分詞、未来分詞・・・。単語は、韓国語なら漢字語から日本語へ、イディッシュ語ならドイツ語から英語へ置き換えて類推されるが、今回はそうはいかない。

4月からのバスク語教室に申込みはしたものの、先行きが危ぶまれる。とはいえ、聞かねば(受講しなければ)何も始まらない。

2019年3月18日月曜日

庭のさんしゅう~の木

先日(3/15)、公園の梅林のはずれに、黄色の小さな花を集めて咲く「サンシュユ(山茱萸)」の木を見た。子どものこのから、あかるい黄色の色彩が好きだった。考えてみれば、バナナにも、卵焼きにも通じる。軽快な黄色が青空に飾られていた。

公園の木には、名前を示す札が付くことがある。特に一つ立ち、美しい花を誇るとき、人々が集まるならなおさらのこと。ところが、その木には名札がなかった。幹のくねり具合、木肌のつややかな感じからサルスベリかと思ったが、花弁の色合いや形、なによりその時期から違うことは容易に分かったが・・・。はて、何の木だろうかと思案にくれていたら、通りがかりの人から「サンシュユ(山茱萸)」の木と教えてもらった。以前、ブログに記したことがあるのに、すっかり忘れていたのだ。

(本ブログ関連:”サンシュユ(山茱萸)”)

ところで、「サンシュユ」と聞いて、「庭のさんしゅう~の木」で始まる民謡を思い出した。ネットで調べれば、宮崎県椎葉村地方の「稗搗節(ひえつきぶし)」*だった。実は、ネットに「さんしゅう~の木」を、「サンシュユ(山茱萸)」という声もあるが、岩波文庫の「日本民謡集」(町田嘉章・ 浅野建二編)を見れば、正解は「山椒(さんしょう)」の木だった。落人伝説にもつながる歌で、どこか哀調もある。

(*)「稗搗節(ひえつきぶし)」: 宮崎県観光のおすすめ穴場スポットナビ!
 http://miyazakiken.xyz/%E6%A4%8E%E8%91%89%E6%9D%91/post-815.html

Youtubeに、「稗搗節」(唄:神楽坂はん子、三味線:豊吉・豊葭)のSP版が登録されているので聞いてみよう。ちなみに、歌い手の「神楽坂はん子」(1931年~1995年)は名前から根っからの芸者育ちに聞こえるが、けっこうモダン芸者とでもいえる活動をしたようだ。SP音盤とはいえ、決して古いものではない。


(Youtubeに登録のkotyavideoに感謝)

(参考)上記のSPレコードについて
「コロムビアレコード戦後邦楽SP盤総目録 78MUSIC」の紹介記事より
  http://78music.web.fc2.com/columbia2.html
-------------------------------------
曲名                 稗搗節
歌手・実演家     神楽坂はん子
演奏                コロムビアオーケストラ、三味線 豊吉・豊藤
作詞
作曲                 平川英夫
編曲
番号                 A1774
mat                 214196
新譜年月           1953.11
区分                 流行歌
-------------------------------------

2019年3月17日日曜日

ハクモクレン

ご近所の塀越しに、今年もハクモクレンの木が白い花を咲かせた。ちょうど丁字路の突き当たりにあって、ご主人も大事にしているようで、春になるとさまざま小さな鉢に花を入れて塀に飾る。通りすがりの道行く人は、ハクモクレンを見上げて歩を休ませる。

ハクモクレンの元気のいい白くて厚い花弁は、陽射しを受けて艶やかである。寒さの残る風をうけて、花弁をしっかり固めて揺れるさまは若々しい。今一番を盛りと咲いている。

今日、長年入会していた会の長が、今年一月に亡くなられたため、お別れ会が開かれたが、急用のため参加できなかった。ご冥福を祈るとともに、引き際をいろいろと考える今日このごろである。

2019年3月16日土曜日

イディッシュ文学の夕べ(東京・特別編)

今夕、小田急「成城学園前駅」から数分の距離にある「アトリエ第Q劇場」で開かれた、「イディッシュ文学の夕べ」に出かけた。なお、この朗読会については、Twitter「#イディッシュ語」で知った。

(*)イディッシュ文学の夕べ:  http://toyscampus.jp/?p=2299

この公演は、もともと関西を中心にイディッシュ文学の連続朗読会であるが、東京・特別編として公開された。宗教学 / ヨーロッパ史・アメリカ史の研究者である赤尾光春氏**(大阪経済法科大学客員研究員)を中心に、イディッシュ語文学作品の日本語訳書籍を朗読と解説された。(役者もしてますとのこと)

(**)赤尾光春氏: https://researchmap.jp/akaom/

本日の内容(上記「イディッシュ文学の夕べ」より、一部追記)
---------------------------------------------
第一部:シュテットル(shtetl: שטעטל)から世界へ(16:00~18:00)
[朗読]イシダトウショウ・土江優理・赤尾光春
・アイザック・バシェヴィス・シンガー「炉辺の物語」(西成彦訳『不浄の血』〔河出書房新社〕所収)、
・イツホク・レイブシュ・ペレツ「天までは届かずとも」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
・ショレム・アレイヘム「ヴァフラクラケス」(『牛乳屋テヴィエ』〔西成彦編訳、岩波文庫〕より)
[演奏]大熊ワタル(クラリネット他)・こぐれみわぞう(チンドン太鼓、歌)・松本みさこ(アコーディオン)

第二部:彷徨える隠遁者――デル・ニステルの作品と生涯(19:00~)
[朗読]宮本荊・土江優理
・デル・ニステル「塀のそばで(レヴュー)」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
[解説]赤尾光春(イディッシュ文学の歴史、デル・ニステルの解説)
---------------------------------------------

朗読会なるものは、初めての経験。今まで敷居の高さを感じて、近寄りがたい気がしていたが、正解でないかもしれないが読む演劇と解釈してはどうだろう。朗読された上記作品を読了していたが、今回読み聞かされて物語の視界が広がった。新鮮な経験だった。

イディッシュ文学の歴史について、第一世代の「ショレム・アレイヘム」、「イツホク・レイブシュ・ペレツ」、「メンデレ・スフォリム」があげられる。その後について、「アイザック・バシェヴィス・シンガー」が知られるが、彼は第三世代にあたる。中間の第二世代について、現在、日本語訳の書籍が出ていない。その意味で、(上記第二部で紹介された)」デル・ニステル(Der Nister)」が、第二世代作家といえる・・・そうだ。

ところで、デル・ニステルの作品「塀のそばで(レヴュー)」が今回朗読されたが、以前読んだときと同様頭がグルグルした。実は、この物語について、ロシア革命時代のユダヤ人の存在などを把握していないと理解できないと、赤尾氏から明快な解説があった。
・デル・ニステル: 埋葬地Abez村(ソ連最大の強制収容所があったヴォルクタ近隣)
・物語の舞台(サーカス): ロシア革命を暗示する、物語りに似た構図のサーカスの絵がある(=シャガール?)。
・ロシア革命期の「ユダヤ人共産党員」による、ヘブライ文化の徹底的な毀損(政治は容易に文化を侵食する)。
・登場人物のモデル:女曲芸師リリス=女性の悪霊、ほか

(追記)
ところで、芸術が政治性を帯びると、(敵対するもの同士が)背中合わせの関係になることがある。文学について不案内だが、例えば絵画、彫刻、映像の場合、対立するはずの「社会主義リアリズム」と「純正芸術」に極めて相同性を感じることがある。多分、大長編の「文学」作品といわれるものについても、危なっかしいものありそうな気がする。そんな例を身近に・近隣に見てきたはずだろう。

2019年3月15日金曜日

サンシュユ(山茱萸)

健診の帰り道、暖かい昼の陽射しする公園を通り抜けた。梅林北側に、青空に咲く「サンシュユ(山茱萸)」の爽やかな黄色の花が見えた。ぐんと伸びた枝を、小さな花が集まり飾っている姿は凛として清清しく、その対比は見事だった。

(本ブログ関連:”サンシュユ(山茱萸)”)


2019年3月14日木曜日

ヘルム

イディッシュの小話に、お馬鹿(阿呆、あんぽんたん)な人々が登場する街(町、村)がある。賢人(町の指導者、宗教的な指導者)といわれる人も、粗忽な者もみなどこかおかしい。大真面目に頓珍漢なのだ。

(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))

そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)

ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)

以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。

「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。

2019年3月13日水曜日

バスクの食べ物

今日の最高気温は 19.1℃(11:30)。先月(2月)20日の 19.5℃ 以来、今年に入って久し振りの暖かさだ。ただし外では風があり、スギ花粉が舞っている感じがして、外出がためらわれる。鼻水や目のかゆみという花粉症があるわけではないが、湯あたりのような「モワッ」としたのぼせた感がする。

若いころ花粉症に悩んだ。痒さに負けて目を掻き続ければ、必ず結膜炎になった。鼻の穴に小さく丸めたティッシュを詰め込んで鼻水対策もした。そんな経験も、歳をとると感度が鈍くなったせいかさほどでない。とはいえ、この季節はやっかいである。

ところで話し変わって、ポーランド菓子「ポンチキ」のイベントがあったとき、料理写真の著作もある写真家から、バスクに興味があるのなら「サンセバスチャン」の街料理がよいといわれた。ちなみに、Google Mapで都内のバスクレストランを検索すると、港区から中央区にかけてずらりと並ぶ。ユダヤレストランと比べて断然多い。どちらも興味がそそる。

(本ブログ関連:”バスク料理、””バスク”)

平、タイラの両氏が出演する、NHKの語学番組「旅するスペイン語」で、アンチョビ、焼カレイの魚料理、豚の生ハムを食べる回をYoutubeで見たが、そのほか代表的な伝統料理にどんなものがあるのだろうか。バスク地方は、海と山の両方を持つ食材豊かな土地柄といえる。期待がふくらむ。

味覚に言葉はいらない、美味ければみな微笑む。食事はひとを和ませる。百ぺんの会話より一度食事を共にすれば、自然に同じ土俵に立てる。対面して食事することこそ、人間の最大の特徴だから・・・今度、仲間と行ってみようかな。

2019年3月12日火曜日

お水取り

若い頃、仕事を早めに切り上げて、何度か奈良の東大寺二月堂で行なわれる「お水取り」の行事に出かけたことがある。記憶のままとどめておくには惜しい、今年こそと思いながら機会をかなえずにいる。

(本ブログ関連:”お水取り”)

夜がふけて、斜面に建つ二月堂の舞台から、長い竹の棒の先に火を灯した松明(たいまつ)の火の粉を撒き散らす。「童子」と呼ばれる世話役(僧侶の付き人)が担う。二月堂の下に集ったひとびとは、直接浴びることはないが、少しでも火の粉が降りかかることを求める。本来。仏教の法会(ほうえ)の「修二会(しゅにえ)」(天平勝宝4年(752年)以来連綿と続く)のひとつであるが、庶民にとっては、新たに春を知る行事ともいわれる。

実は、急いで駆けつけたものの、行事が終わっていたことが2回もあった。人々の帰り道にばったり出くわしたわけで、帰りの流れに合流して寒い奈良公園の夜道を抜けると、甘酒の屋台が立っていたりする。生姜風味のきいた甘酒は、チャンスを逃して残念な思いをしている者を温めてくれた。

一番最近といっても随分昔のこと、子どもと一緒に見たことだろう。少し小雨がぱらついていた。今夜の奈良の天気はどうだったろうか。(気象協会によれば、夕方6時は曇り空で、気温は12℃とのこと)

2019年3月11日月曜日

東日本大震災から8年

過去の天災を文字や映像で理解しても、恐怖感はなかなか伝わらない。日本人なら誰もが知っている、寺田寅彦の言葉「天災は忘れた頃にやってくる」は、震災の恐ろしさを再確認させる。経験の乏しい天災は、実感を湧かせるよう繰り返し「伝承」となるまで伝えていくしかない。

8年前の「東日本大震災」(2011年3月11日)で我が家は大きく揺れて、それなりの被害を経験した。今日、テレビで放送された大震災の回想番組を見ながら、いろいろな思いがよみがえった。呼び戻されることをためらい恐れてはいけないだろう。

(本ブログ関連:東日本大震災 2011年3月11日12日13日

ところで、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)を、その日の朝方のニュースで知ったとき、初め規模の大きさを知らず、後の詳報で次第に分かった。関東の当地は、かすかな揺れも感じなかったせいか、(残念ながら大いに反省すべきことだが)実感に乏しかったのだ。(その後の「東日本大震災」では、メディア技術の発達により、多くのできごとを瞬時に知ることができた)

人工に対する防災は人工しかないが、最後は、経験した震災を「物語」のようにして子どもたちに地道に伝え、周辺に広げて共有するのが最も良い方法かもしれない。

2019年3月10日日曜日

森山加代子

子どものころ、「演歌」以外に耳にした大衆曲は、「アメリカンポップ」だった。それも、日本人歌手が日本語でカバーしたものだ。その頃の記憶は曖昧で、歌謡史を諳んじているわけではないけれど、アメリカンポップ流行の初期に、原曲(英語)のまま歌う風潮はなかった。

カバー曲のタイトルは「悲しき~」シリーズのような、原曲と違って日本風だった。原曲名を知ったのは後のこと。歌詞の意味を理解したのは、関心があった場合だけだった。

歌謡界が、外国曲をカバーしなくなったのは、まだラジオ全盛の頃(演歌の存在が圧倒的な時代)。ビルボードやキャッシュボックスのヒットチャートを聞いて、翌日の教室で知ったかぶりしたものだ。そんな状況からか、分岐するように、日本のポップ歌手たちもオリジナル曲を歌うようになった。もしかしたら、カバーとオリジナル曲発生までに、10年間ぐらいの時間差があったかも知れない。

先日亡くなった「森山加代子」(1940年3月23日~2019年3月6日)は、そのさきがけだった。白黒ブラウン管の中で歌っていた記憶がつよい。芸能界特有の華やかさというより、どちらかといえば、ご近所のお姉さんのような存在で、明るいイメージがした。そして、少し控え目な気がした。

彼女は、テレビ時代の初期の大手芸能プロダクションに属した三人娘(中尾ミエ(1946年~)、伊東ゆかり(1947年~)、園まり(1944年~))より年齢が上だったし、かつ所属も別のプロダクションだったせいもあってか、時代にうまく乗れなかったような気がする。彼女が亡くなったことについて、ここ数日のテレビの芸能報道で、特別にコマをさくことがなかったのではないだろうか。

ところで、全日本歌謡情報センターの歌謡情報記事*「歌手の森山加代子が死去、享年78」(3/8)は、彼女の死去を次のように報じている。
(*)歌謡情報記事: https://www.kayou-center.jp/17721
-----------------------------------------------------------
「月影のナポリ」「じんじろげ」「白い蝶ちょうのサンバ」などのヒット曲で知られる歌手の森山加代子が2019年3月6日に死去した。

1960年「月影のナポリ」でデビュー。同年、新人としては異例のスピードで『NHK紅白歌合戦』に初出場(「月影のキューバ」を歌唱)を果たす。1961年にリリースした「じんじろげ」は、その年の流行語にもなった。

「♪あなたに抱かれて わたしは蝶になる」という、早口言葉のような歌い出しが印象的な「白い蝶のサンバ」(1970年)が、オリコンチャートの1位を記録。この曲で『NHK紅白歌合戦』に、8年ぶりとなる4度目の出場を果たす。

2018年9月15日、千葉県の柏市民文化会館で行われた『オールディーズ ヒット パレード 青春チャリティーコンサート』が最後のステージとなった。
-----------------------------------------------------------

(20年ほど前にテレビ出演したときの映像という)

(Youtubeに登録のAyakoFuji2に感謝)

2019年3月9日土曜日

「マハルリカ」

国名が変わることがある。以前、インドの南横、ベンガル湾にある「セイロン」は「スリランカ」に、また、黒海とカスピ海に挟まれた南コーカサスにある「グルジア」は「ジョージア」に国名を変更した。とはいえ、現地での変更に基づくのか、日本側の呼称の変更なのか確認が必要。

(本ブログ関連:”セイロン”)

今回、「フィリピン共和国」のドゥテルテ大統領みずから、国名を「マハルリカ(Maharlika)共和国」に変更したい意向を表明した。国名には由来がある。そもそも「フィリピン」とは、あるいは「マハルリカ」とはどんな意味を持つのだろうか、次のニュース記事で知ることになった。タガログ語、マレー語、サンスクリット語について、なんにも知らないが言葉の重要さをあらためて感じる。
・「フィリピン」は、かつての支配者の名に由来する。
・「マハルリカ」は、現地語の言葉で「忠義」の意味を持つ。
   - タガログ語(英語辞書による)で、「生まれ、知性、性格、行動において高貴ないし偉大であること」を意味する。
   - マレー語の「自由」の派生語である。
   - サンスクリット語に由来の「気高く誕生した」など。

ちなみに、タガログ語の「Maharlika」を、ネットの「Online タガログ語 日本語 辞書」で参照すると、「高潔」と表示される。
http://www.etranslator.ro/ja/firipingo-nihongo-online-jisho.php


<共同通信>抜粋
Livedoorニュースに掲載の記事「フィリピン国名、マハルリカに? 大統領、植民地由来に嫌悪」(3/9)
http://news.livedoor.com/article/detail/16134470/
--------------------------------------------------------
・「フィリピン」という国名は、16世紀に宗主国だったスペインのフェリペ皇太子(後の国王フェリペ2世)にちなんでいる。
・「マハルリカ」の意味は、マレー語の「自由」の派生語やサンスクリット語の「気高く誕生した」など、複数の説がある。
--------------------------------------------------------

<sputnikニュース(日本語版)抜粋
① 「ドゥテルテ大統領、国名の変更を望む=マスコミ」(2/13)
https://jp.sputniknews.com/politics/201902135918431/
--------------------------------------------------------
マハルリカ』はマレー語の言葉だからだ・・・
マハルリカ」は現代のフィリピン語で「王族を意味しており・・・
--------------------------------------------------------
② 「マハルリカへのフィリピン改名は難しい=オピニオン」(2/25)
https://jp.sputniknews.com/opinion/201902255964467/
--------------------------------------------------------
現代のタガログ・英辞書によるとこの単語は生まれ知性性格行動において高貴ないし偉大であることを意味する。だが研究者らは、「マカルリカ」の語源と実際の意味は解明されていないとしている。
--------------------------------------------------------

2019年3月8日金曜日

ビデオ漫画「お馬鹿村」

お馬鹿な生き方をしてみたいけど、実際は難しい。地は阿呆なのに、そのまま振る舞える場所もないし、時は遠に失した。何処かにないか、イデッシュの民話に出て来る「ヘルム」のような町もいい。日本じゃ、それに例える場所を知らない・・・、舞台は見せてくれるが、吉本新喜劇の「なんばグランド花月劇場」、むかしの浅草なら「デン助劇場」。ここは芸達者なつわものの仮の世界。

(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))

世界の誰れもが求めている、そんな場所はないものか。「お馬鹿村」に言葉は要らない、見りゃ分かる。次は、ロシア - ウクライナの スケッチコメディのテレビシリーズ(Calambur)だそうだがよく知りません。花の香りはよいけれど堆肥は臭い・・・飛んできた魚が生臭いという熊なんて。一方、釣った魚がどこかへ飛んでったようで・・・酒臭い同士はどうってことないのに・・・。続編をお楽しみということで・・・。


(Youtubeに登録のFool's Villageに感謝)

2019年3月7日木曜日

(資料)旧暦二月(きさらぎ)

今日から旧暦二月が始まる。カレンダー(気象庁)の春は、新暦の3月~5月。一方、旧暦の春は、旧暦の1月~3月。今を春の始まりと見るか、中ごろと見るか、微妙な差はあるが。一日中、雨がぼそぼそと降ったり止んだり、ときに春雷、春を楽しむほどでもない。

とはいえ、旧暦二月になったのだから、旧暦に従って楽しんでみよう。「江戸端唄集」(倉田喜弘編、岩波文庫)に収録の「とっちりとん」には、この旧暦「二月(きさらぎ、如月)」を唄ったものがある。「端唄」を楽しむほど「通」でも「粋」でもないし、そもそも聞く機会も乏しい。ただ、文庫本をめくると、二月の「稲荷祭り」から始まり、「きつね」に対する「たぬき」の存在を笑わせるくだりもあって転載させていただく。

(本ブログ関連:”端唄”。”稲荷”、”キツネ”)

---------------------------------------
これはきさらぎ  稲荷のまつり*  初午(はつうま)**  二の午  三の午  みゝにたへぬは  たいこのね  さてもこんよく うちはやす  子供は絵馬をたづさへて  ちんちよや╱╲の  たへまなく  こわめし あぶらげ  やまをなす  それで稲荷は  よかろふが  たぬきはなんと  しやうぞいの
---------------------------------------
*稲荷のまつり: 稲の神「稲荷神」(稲=農作業)を祭る。「きつね」はその使い。
  「伏見稲荷大社」の「初午大祭」: 稲荷大神が稲荷山に鎮座した日に行なう(新暦2月2日に実施)
    http://inari.jp/rite/?month=2%E6%9C%88#308 
**初午: 旧暦二月の最初の「午の日」(旧暦2月4日⇒新暦3月10日)

「稲荷」の起源を調べれば、神道or神道+仏教(神仏習合)の由来があり、隆盛を探れば江戸商人が話題になり、分布を見れば意外にも関東・東北に多いのだ。農業だけでなく、商業まで手広くこなす、独立性の強い、個人の庭先にも鎮守する神でもある。

2019年3月6日水曜日

「はやぶさ2」タッチダウンの映像

3/4、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、「はやぶさ2」が2/22に小惑星「リュウグウ」にタッチダウンしたときの映像をYoutubeに公開した。

(本ブログ関連:”はやぶさ”)

2/22 の本ブログで、「タッチダウン直後の画像」について、「ぼんやりシミのような部分は、推測するに、まず『サンプル採取のためのプロジェクタイル(弾丸)』を発射した結果、付近に舞い落ちた粉塵だろうか。」と記した。次のYoutube映像から、弾丸発射によると見られる岩石の小片が驚くほど多く飛び散っているのが分かる。ただし、小片が結果として「シミ」につながったかどうか・・・この映像だけでは分からない。

「シミ」について、専門家はどう解釈しているのだろうか。一説に、弾丸を打ち込まれたリュウグウの、地表下から(微細なものが)舞い上がったのではないかという推測もあるそうだ。

Youtube映像公開について、JAXAの紹介(3/5)
http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/14160.html#anchor_no1
-----------------------------------------------
ここから着地の初公開映像をご覧下さい!(SNS等で共有いただいて構いません)

国民の皆様からのご寄付を使わせていただき、小惑星探査機「はやぶさ2」に追加でカメラを搭載しています。
2月22日7:29に「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に着地し、サンプルを採取した、「人類の手が新たな星に届いた」瞬間の連続画像が見られます。
-----------------------------------------------


(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)

啓蟄 2019、プリツカー賞

二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」、春の温もりに誘われて地中の虫たちが這い出るころをいう。そんなに実感があるわけではないが、虫と考えず人間に置き換えれば、ぼつぼつそんな気もしないわけではない。

(本ブログ関連:”啓蟄”)

昼までに、春雨が一降り二降りして、通りの路面がまだらに湿っている。昨日ほどの暖かさはないが、十分過ごしやすい。これから、気温が緩やかに上下して、雨も前後しながら本格的な春になるとテレビの気象解説者が語っていた。

ところで、素人にはその偉大さをよく咀嚼できないが、建築家の世界にノーベル賞に相当するといわれる「プリツカー賞」がある。今年の授賞者に、磯崎新氏が決まったとのこと。建築について全くの不案内なのに、日本の建築家が世界的に評価されたと聞けばうれしくなる。
下記の歴代受賞者を見ると、アメリカ発の賞だが、国籍に偏りが見られない。さすがアメリカと思いながらも、素人目には、つい日の丸が目に入ってしまう。

同氏のWikipediaの解説に、建築作品も写真で紹介されている。作品の所在を見ると、以前は九州や西日本に、最近は中国にも展開されているようだ。空に向かった四角い大砲のような建物もあれば、とぐろを巻いた曲面の建物もある。素人は表面的にしか見られないので、すごいとか、面白いという言葉が精一杯であるが。(専門家は、当然、素人と違った視点で作品を見て評価されているようだ)


歴代受賞者:Wikipedia-jpより(英語版は写真入り)
受賞者名国籍
1979年フィリップ・ジョンソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1980年ルイス・バラガンメキシコの旗 メキシコ
1981年ジェームス・スターリングイギリスの旗 イギリス
1982年ケヴィン・ローチアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1983年イオ・ミン・ペイアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1984年リチャード・マイヤーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1985年ハンス・ホライン オーストリア
1986年ゴットフリート・ベーム西ドイツの旗 西ドイツ
1987年丹下健三日本の旗 日本
1988年ゴードン・バンシャフトアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オスカー・ニーマイヤーブラジルの旗 ブラジル
1989年フランク・ゲーリーカナダの旗 カナダ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1990年アルド・ロッシイタリアの旗 イタリア
1991年ロバート・ヴェンチューリアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1992年アルヴァロ・シザポルトガルの旗 ポルトガル
1993年槇文彦日本の旗 日本
1994年クリスチャン・ド・ポルザンパルクフランスの旗 フランス
1995年安藤忠雄日本の旗 日本
1996年ホセ・ラファエル・モネオスペインの旗 スペイン
1997年スヴェレ・フェーン ノルウェー
1998年レンゾ・ピアノイタリアの旗 イタリア
1999年ノーマン・フォスターイギリスの旗 イギリス
2000年レム・コールハースオランダの旗 オランダ
2001年ヘルツォーク & ド・ムーロンスイスの旗 スイス
2002年グレン・マーカットオーストラリアの旗 オーストラリア
2003年ヨーン・ウツソン デンマーク
2004年ザハ・ハディッドイギリスの旗 イギリス
2005年トム・メインアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
2006年パウロ・メンデス・ダ・ロシャブラジルの旗 ブラジル
2007年リチャード・ロジャースイギリスの旗 イギリス
2008年ジャン・ヌーヴェルフランスの旗 フランス
2009年ピーター・ズントースイスの旗 スイス
2010年妹島和世
西沢立衛 (SANAA)
日本の旗 日本
2011年エドゥアルド・ソウト・デ・モウラポルトガルの旗 ポルトガル
2012年王澍中華人民共和国の旗 中国
2013年伊東豊雄日本の旗 日本
2014年坂茂日本の旗 日本
2015年フライ・オットードイツの旗 ドイツ
2016年アレハンドロ・アラベナ チリ
2017年RCRアルキテクタススペインの旗 スペイン
2018年バルクリシュナ・ドーシインドの旗 インド
2019年磯崎新日本の旗 日本

2019年3月5日火曜日

バスク語の辞書?

例えば「バスク語」のような少数言語を独習する場合、超初心者のわたしにとって、どんな辞書を使用すればよいのだろう。果たして、どこまで(わたしの場合はいつまで)独習を続けられるか自信ない場合、どうなのか尚更考えてしまう。

(本ブログ関連:”バスク語”)

そこで簡便な「語彙集」作りをしてみた。

① 独習用に購入した、日本人著者のテキスト巻末にある「単語リスト」を利用する。
- 超初心者でも知る、著名な著者のテキストがあるのが幸いだ。

② 専門家やネット(例えばAmazonのカスタマーレビューなど)で評価の高い「バスク語辞書」を探す。
- 上記①の著者の別の書籍によれば、正式な「バスク語-日本語辞書は刊行されていません」とのこと。
- ところで、バスク語辞書と銘打ったものがあるが、Amazonのカスタマーレビューがない。調べてみれば、その著者が著した他の言語辞書が、専門家からサンドバックにされたりしている。
- 海外の信頼できる英語版辞書については、よき指導者からの推奨を聞きたい。

③ 海外のネットには、信頼できるテキスト(あるいはUnpublished typescript)が公開されている場合がある。その巻末にある「Vocabulary」を < 著作権に十分注意の上 > 利用する。
- 著作権に十分注意の上、著者・出版社が公開のpdfファイルを参照し、その巻末にある「Vocabulary」を利用する。

2019年3月4日月曜日

「フルーツ牛乳」が消えるそうだ

スーパーの棚に、バナナ風味の新商品の菓子や飲料があると必ず購入する。このごろスーパーに出向く機会が減ったためか、ブログに続けている「バナナ巡礼」の記述が停滞している。

(本ブログ関連:"バナナ")

わたしたち世代が子ども時代に、野球のグローブのように広がった黄色した「バナナ」の房は、豪華で貴重な食べ物だった。高級品だったのだ。それが自由化された現在でも、どんなに安価な扱いを受けても、大切な味に変わりない。バナナは子ども時代に羨望の味だった。一方、高級品の時代、なぜか道端で「バナナの叩き売り」があったのも懐かしい。

(参考)国立公文書館アジア歴史資料センターの「バナナが高級品だったってホント?」
  https://www.jacar.go.jp/english/glossary_en/tochikiko-henten/qa/qa12.html

そんな貴重なバナナにかわって、バナナ色に着色した人工甘味(バナナ味)の棒アイスやガラス瓶入りのミルクがあった。中学校からの帰り道、途中の駄菓子屋に寄ってよく立ち食いしたものだ。雑然とした駄菓子屋の店内、子どもたちがたむろした軒下、車もほとんど通らない裏通り・・・。

最近、バナナ味の棒アイスは見かけなくなったが、紙パック入りのバナナ風味のミルクラテなどはときたま見かける。巡り合った幸運にうれしくなって、味を確かめるためつい買い求める。帰宅して口にするときの期待感がたまらない。

ところで、バナナ味とうたわないが、瓶入りの「フルーツ牛乳」があった。少しネットリ感がして、いろいろな果物をミックスしたようなイメージに仕上がっていた。小学校の給食に、ときたま配られたような記憶がある(?)。今も銭湯で売られているそうだが、外風呂に通うことがなく、風呂上りに飲んだ経験がない・・・貴重なことなのに残念。

そんな瓶入りのフルーツ牛乳が販売中止になると、J-CASTニュースの記事「銭湯の定番『フルーツ牛乳』終売へ 『平成も終わるけど、昭和も消えていく』」**(3/4)が伝えている。4月で販売終了という。タイトルの通り、わたしにとって、昭和が平成より以前の時代に遠く霞んでいくのが寂しい。昭和って消えるしかないのか?

(**)J-CASTニュース: https://www.j-cast.com/2019/03/04351771.html

(追記)
今回は明治が販売する清涼飲料水「明治フルーツ」とのことで、他社の「フルーツ牛乳」はまだ残ることだろう。

(本ブログ関連」”フルーツ牛乳”)

2019年3月3日日曜日

松任谷由実「春よ、来い」

春の訪れを知らせる「沈丁花」の香りが今年はない。地元小学校の生垣から突然消えてしまったのだ。それは、「ヒバ」の並びに少し間をおいて腰ほどの高さの沈丁花が三、四本植えられていた。冬を耐えてようやく咲くとき、夜にその香りを一層増したのに、残念なことだ。

(本ブログ関連:”沈丁花”)

カレンダーの春は始まったばかり。松任谷由実の「春よ、来い」を聞いて、はやく春の光を浴びたい。そして温い陽の中で、うつらうつらまどろみたい。


(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)

2019年3月2日土曜日

狐の狡猾さ

このブログは、キツネについていろいろな伝承を採集している。「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇」(ティルベリのゲルウァシウス(Gervasius Tilberiensis)、池上俊一訳、講談社学術文庫)に所収の「第68章 狐の狡猾さ」を転載させていただく。結論から言えば、だます者は、甘い汁を吸おうと近づき寄る者たちを、最後には丸めてポンと捨てるということか。

(本ブログ関連:”キツネ”)

翻訳者解説によれば、原本は、1209年~1214年にかけて書かれたもので、聖職者ゲルウァシウスが赴任地や旅先での見聞、知人から聞いた話、古典の奇話などをまとめたものという。皇帝のための気晴らし本というべきか。素人の関心からいえば、こんな話、あんな話とつづく。石の話もあって楽しい。

(下記に改行を加えました)
-----------------------------------------------------------------------
狐の本性的狡猾(ずるがしこ)さについての話を耳にするとき、わたしどもは何より、この世ではもっと慎重に振る舞うべきことを学びます。

たとえばです、狐が蚤の激しい刺傷で痛がっているとき、かれは川辺にいって後ろ歩きをしながら尻尾の先を水に沈めます。すると蚤は水を感じて、キツネのからだのより乾燥した地帯に避難します。こうして徐々に尻からからだを湿してゆくあいだに、蚤たちは彼の鼻面の先まで這い登ってゆくことを余儀なくされます。

不幸な一隊が一旦唇まで到達するや、かれは口全体をペロッと舌なめずりします。そこで蚤は、あらかじめ狐が用意して口一杯に含んでいた麻屑か何か別の柔らかなものの中に突進してゆきます。狡賢い動物(狐)は、かれら(蚤)がほうほうの態で避難場所に逃げ込んだと感ずると、麻屑を吐き出し、水から上がってこの不衛生な災難から解放されるのです。
-----------------------------------------------------------------------

2019年3月1日金曜日

ポンチキ祭り

イディッシュ語教室にポーランドと縁のあるクラスメイトが多数いた。ワルシャワの音楽祭に参加したクレツマー音楽家たち(二人)、またワルシャワ滞在の長かったピアニスト、さらにポーランド語が堪能な不思議な若者(院生)の方々だ。授業でも、先生からポーランドに関連する書物の紹介があったりして身近に感じた。

(本ブログ関連:”ポーランド”)

昔、ポーランドが勢力を拡大したころ、ユダヤ人が多数が居住したこともあり、イディッシュ語とポーランド文化(語彙や地名など)との関わりは深かったようだ。授業で、食べ物の話題があれば、ポーランド菓子が語られたりした。

以前、外語大の「外語祭」を訪れたとき、学生たちが(多分専攻の言語に合わせて)国別のテントを並べて、その国独特な軽食や菓子を販売していた。ポーランドの模擬店では、「ラズベリージャム入りのドーナッツ『ポンチキPączek)』」(日本では当り前の菓子になっている)が売られていた。さっそく求めて食した。

(本ブログ関連:”外語祭”、”ポンチキ”)

ところで、今日、このポンチキを主題に「ポンチキまつり」が、京王線「柴崎駅」近くにある「ポンチキヤ」*(ポーランド大好きな店のよう)で開かれた。興味しんしん、この機会に出かけてみることにした。

(*)ポンチキヤ: http://poland.saleshop.jp/

若者客が(立錐の予知もないほど)集って、居場所を探すほど。同世代と思われるおじさんと相席したところ、聞けば同じ年齢。食べ物を中心に撮影する写真家とのことで世界を巡られたようだ。ポーランドの食べ物でだけでなく、いろいろな国の料理も聞かせてもらった。まさにアーチストの見本のような生き方の人だった。
店の中心にロシア人男性がいて、モスクワの都市生活者の基本的な家庭料理をたずねれば、スープの「ソーリャンカ」がまさにソウルフードとのこと。(ポーランド料理でいえば「ジュレック」に当りそう・・・らしい)
そこへ、中国からの留学生が参加して、アジア(ツングース語から東南アジアの諸言語)だけでなくヨーロッパ(当然ポーランド語やロシア語も含めて)の言語について、縦横無尽さまざま教えてもらった。学問的関心は、中国古代の音韻学という・・・もうお手上げ。

幸運に、ユニークな名の「ポンチキまつり」で、素晴らしい人々と出会うことができた。

(さてこれから、土産に買ったスモークド・オイル サーディンを食べてみようか)