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2018年4月14日土曜日

(資料)ポーランドの歴史をYoutubeで学ぶ

ポーランドといえば、科学分野の「コペルニクス」や「キュリー婦人」、音楽分野の「ショパン」が浮かぶ。それに、私ら世代には「連帯」の「ワレサ」が衝撃的だった。しかし、漠然としたものでしかなくて、正直、中欧の農業国のイメージが強かった。

最近、イディッシュ語教室に通うようになって、ポーランドについて(拙いながら)興味が増したようだ。授業で、ポーランド語のイディッシュ語への影響が説明されたし、ポーランドを舞台にした寓話の紹介があった。イディッシュ語に土俗性があるなら、それが何処なのか気になるばかり
それに、クラスメイトにポーランド語に関心深い若手の研究者がいて、いろいろ教えてもらえそうだ。

(本ブログ関連:”ポーランド”。”ポーランドの村ヘルム”)

あるとき、図書館でリトアニアの紹介書があって、ポーランドとの関係が触れられて、かつて両国が共同して(ベラルーシ、ウクライナなど含む=領有して)大国を作ったことを解説していた。予想外の大国だったことを知った。分かりやすく、紹介してくれるYoutubeを探したところ、次の映像が見つかった。

① 小山哲(こやま・さとし)京都大学教授の、一般向け講演「近世ポーランド・リトアニア共和国とその遺産(ミニ講義 第14回 2012.09.26)」は、ポーランドとリトアニアによる大国時代を知ることができる。このとき多民族・多言語国家となって、ユダヤ人(ユダヤ人の楽園、イディッシュ語)も関わりがあることをちょっと触れている。(ユダヤ人とポーランドを含む関係諸国との歴史的な関係を知るきっかけを与えてくれる)


(Youtubeに登録のkyodaiunionに感謝)

② 政治・軍事勢力の歴史的変遷(~ポーランド3分割まで)を図版を交えて地図上に表現したYoutube映像「白鷲の滅亡 ~ポーランド分割~」(登録者:ギルバート)がある。*

2019年3月1日金曜日

ポンチキ祭り

イディッシュ語教室にポーランドと縁のあるクラスメイトが多数いた。ワルシャワの音楽祭に参加したクレツマー音楽家たち(二人)、またワルシャワ滞在の長かったピアニスト、さらにポーランド語が堪能な不思議な若者(院生)の方々だ。授業でも、先生からポーランドに関連する書物の紹介があったりして身近に感じた。

(本ブログ関連:”ポーランド”)

昔、ポーランドが勢力を拡大したころ、ユダヤ人が多数が居住したこともあり、イディッシュ語とポーランド文化(語彙や地名など)との関わりは深かったようだ。授業で、食べ物の話題があれば、ポーランド菓子が語られたりした。

以前、外語大の「外語祭」を訪れたとき、学生たちが(多分専攻の言語に合わせて)国別のテントを並べて、その国独特な軽食や菓子を販売していた。ポーランドの模擬店では、「ラズベリージャム入りのドーナッツ『ポンチキPączek)』」(日本では当り前の菓子になっている)が売られていた。さっそく求めて食した。

(本ブログ関連:”外語祭”、”ポンチキ”)

ところで、今日、このポンチキを主題に「ポンチキまつり」が、京王線「柴崎駅」近くにある「ポンチキヤ」*(ポーランド大好きな店のよう)で開かれた。興味しんしん、この機会に出かけてみることにした。

(*)ポンチキヤ: http://poland.saleshop.jp/

若者客が(立錐の予知もないほど)集って、居場所を探すほど。同世代と思われるおじさんと相席したところ、聞けば同じ年齢。食べ物を中心に撮影する写真家とのことで世界を巡られたようだ。ポーランドの食べ物でだけでなく、いろいろな国の料理も聞かせてもらった。まさにアーチストの見本のような生き方の人だった。
店の中心にロシア人男性がいて、モスクワの都市生活者の基本的な家庭料理をたずねれば、スープの「ソーリャンカ」がまさにソウルフードとのこと。(ポーランド料理でいえば「ジュレック」に当りそう・・・らしい)
そこへ、中国からの留学生が参加して、アジア(ツングース語から東南アジアの諸言語)だけでなくヨーロッパ(当然ポーランド語やロシア語も含めて)の言語について、縦横無尽さまざま教えてもらった。学問的関心は、中国古代の音韻学という・・・もうお手上げ。

幸運に、ユニークな名の「ポンチキまつり」で、素晴らしい人々と出会うことができた。

(さてこれから、土産に買ったスモークド・オイル サーディンを食べてみようか)

2011年3月28日月曜日

(参考)甲状腺ブロックについて

以下は発表文からの抜粋です。必ず全文を参照願います。

小児科学会ほか:「『食品衛生法に基づく乳児の飲用に関する暫定的な指標値100Bq/キログラムを超過する濃度の放射性ヨウ素が測定された水道水摂取』に関する、見解(平成23年3月24日)

1)母乳栄養の児では、母親は制限なく食事を摂取し、母乳栄養を続けてください。
2)人工栄養の児では、ミネラルウォータを使用してミルクを調整することは可能ですが、煮沸し適温にしてから使用します。一部の硬水では、粉乳が十分に溶解しないことがあります。また、硬水には多くのミネラルが含まれており、乳児に過剰な負担を与える可能性があります。この場合には、水道水を用いる方が安全です。
3)離乳食を摂取している乳児では、水分摂取は離乳食からも可能なので、人工乳の量を減らすことは問題ありません。
4)人工乳のみを摂取している児で、代用水が確保できない場合には、通常通り水道水を使用して下さい。


日本核医学会:「被災者の皆様、とくにお子さんをお持ちの被災者の皆様へ(2011/3/28 改訂:第2稿)

今の段階では安定ヨウ素剤による甲状腺保護処置は不要です。むしろ危険なことがありますので、避けてください。
ただし、今後の状況変化によってはこれらの方々にも必要となることもありますので、政府発表・関連自治体発表・東京電力発表・報道情報などを十分に注視され、政府や自治体の指示にしたがっていただけますようお願い申し上げます。

・チェルノブイリでの事故後に東欧諸国で小児を中心とした甲状腺癌の増加が見られましたが、その主な原因はミルク等に含まれていた放射性ヨウ素による体内からの被ばく(内部被ばく)であったことが分かっています。
たしかにチェルノブイリ事故では、大規模な被ばく発生後4日目に、ポーランドが国を挙げて安定ヨウ素剤を全ポーランドの小児の90%に一回だけ配布いたしました。そうしなかった隣国のウクライナやベラルーシでは小児の甲状腺癌が増加したのに対して、結果的にポーランドでは甲状腺癌増加は認められませんでした。しかし、
1)内陸国のウクライナやベラルーシは食物や土壌中のヨードが少なく、もともと国民的にヨード欠乏状態であったのに対し、ポーランドは海沿いの国でさほどヨード欠乏状態ではなく
2)ポーランドは国内での牛乳を禁止して、すべて輸入粉ミルクに変えたという処置も行っています。これらの多くの処置がかみ合い、結果としてポーランドでは甲状腺癌の増加がなかったのです。

食物中、土壌中のヨウ素量の多い日本では、通常の食生活を行うことで十分にヨウ素を摂取できており、自然と甲状腺は安定ヨウ素で満たされています。ごく少量の放射性ヨウ素が簡単に健康に影響するほど吸収されることはありません。むやみに安定ヨウ素剤を服用する必要はありません。また、ヨウ素の入ったうがい剤や消毒剤を飲むことは危険です。乳児の場合には成長障害を引き起こす危険もあります。

・なお、放射性ヨウ素による甲状腺癌発がんの危険性は40才未満、とくに放射線に敏感な小児に高く、それ以上の方では危険性はほとんどありません。

2018年5月4日金曜日

みどりの日 2018

いつまでつづく連休。祝日「みどりの日」の今日、ファミレスの2階で昼食をとっていると、四つ角をウォーキング中の一団が連なっているのが見えた。そういえば、昨日、今日、近くの公園を起点にした「ウオーキングフェスタ」が開催されている。老若男女(どちらかといえば、おじさん・おばさん主体)が、健康づくりにウオーキングを楽しんでいるようだ。

(本ブログ関連:”みどりの日”)

ノルマにしている、図書館での読書を果たした後、「ウオーキングフェスタ」会場の公園に行けば、どうやら事が一段落したようで、帰りを急ぐひとびととすれ違う。この催しに参加する気力もなく、しばらく西陽を浴びながらベンチに座って読書を続けた。

「イディッシュ語」教室のクラスメイトから貸してもらった「中欧」(沼野充義監修、新潮社)は、ポーランドを含む中欧四カ国の多彩な内容を、百科事典風に各専門家が分担執筆している。

ポーランドの風土や歴史を通じて、イディッシュの世界に関心がある。書中に、「一三世紀頃から、ポーランドには西から南から、次々とユダヤ人が流入し、最盛期には世界のユダヤ人の八○%がこの国に住み、ポーランド*はユダヤ人にとって『約束の地』**と呼ばれたほどであった」とある。この地は、イディッシュ語の母胎でもあった。
(*)ポーランドは歴史の中で領有地が大きく伸縮している。
(**)本来「約束の地」は、ヘブライ語聖書に記されたもの。それほど確かに思えた所だったのかもしれない。

2018年4月19日木曜日

春期イディッシュ語 2018-3rd

「イディッシュ語教室」へは、春の気配に後押ししてもらい、休まず通っている。いつも、関心が途切れぬよう授業に工夫いただいて、やる気をつないで・・・年寄りの冷や水が少し温んできた気がする。合わせてクラスメイトからも貴重な紹介があり、とてもいい経験をしている。

① イディッシュ小話「7と7は11(זיבן און זיבן איז עלף)」
前回授業に続き、物語のナレーション役と登場人物役に分けてのロールプレイ(会話)を再度実施した。
・暗記しなくちゃいけないようで・・・次回までには!

② イディッシュソング「Yome Yome(יאמע יאמע)」
②-1. 「イディッシュ語インタビュー」(yiddishbookcenter.org)で歌の思い出を聞く(英語字幕)。
・教員および学校司書をリタイヤしたAnita Barlowは、(昔、パリにいたころ)父親と一緒に歌った「Yome Yome」の歌を今も覚えている。彼ら(父娘)は、歌の終わりにある、娘が望むものを理解しようとする母親について触れる部分を、娘がアメリカへ行くためビザを求めていると替えて歌った。(yiddish book center 感謝)

(Youtubeに登録のYiddish Book Centerに感謝)

②-2.「יאמע יאמע」の歌を聴き、hebrewsongs.com掲載の<歌詞>と照合して、歌詞理解した後、みなで歌?った。
・(参考)ヘブライ文字の歌詞:Yiddish Word of the Week(感謝)
・(参考)Youtube登録の音源: ショシャナ・ダマリ歌(授業で聴いた音源と違うが・・・)

(Youtubeに登録のIsraphon Musicに感謝)

③ クラスメイト(若き中国語研究者)からの話
・香港で見つけたという台湾の書籍に紹介された記録。WWⅡの下、ポーランド女性イレーナ・センドラー(Irena Sendler、1910年~2008年)は、レジスタンス活動の中で、ワルシャワ・ゲットーからユダヤ人の子ども2千余名を救出したという。

教室の帰り、若き中国語研究者から「ポーランドの歴史」について、a)多民族・多言語の時代と、b)ポーランド人だけの現代との違いを教えてもらった。今夏、ポーランドへ演奏旅行に行かれる音楽家も交えての談話で、贅沢な一時を過ごすことができた。感謝。
(かつてポーランドが、「ユダヤ人の天国」といわれたときがあったこと、イディッシュの民話の舞台が歴史地理的にどうであったかに興味がある)

2018年4月27日金曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

1984年、20歳になるのを控えてデビューしたイ・ソンヒは、すぐさま歌謡界で初めて女学生だけのファン組織を持った。親しみを込めてお姉さん(언니)と呼ぶ「姉さん部隊(언니부대)」が登場した。女性を前に出すのを躊躇する、そんな世代に特有な心理に合致したのかもしれない。当時のイ・ソンヒは、ズボンスタイルでボーイッシュなイメージがある一方で、発声は強力なパワーを持ち、しかも高音は清く澄んでいた。

第1集アルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)は、女学生ファンの想いと、イ・ソンヒの特質にぴったり合ったものといえるかもしれない。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

ところで、このブログに触れたことだが、「少女の祈り」のタイトルは、日本で知られたピアノ曲「乙女の祈り」とハングル表示(소녀의 기도)が同じである。昔、ピアノを習っている(腕に覚えのある)子女が、学校の音楽室でそれとなくピアノに向かって弾いてみせる曲だった。(「乙女の祈り」 ”소녀의 기도” でYoutubeを検索すると、日本に似て韓国でも人気が高い)

(本ブログ関連:”乙女の祈り”)

「乙女の祈り」の作者について、昨日貸してもらった「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)に、次のような紹介(執筆:宮山幸久)がある。(抜粋)
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・ポーランド人は『乙女の祈り』なる曲が日本でショパン以上に愛好されているのに驚く。自分たちでさえよく知らない曲なのだから。
・『乙女の祈り』は、一般にバダジェフスカとかバダルジェフスカと表記されるが、正しくはテクラ・ボンダジェフスカと発音する二二歳のポーランド女性の手により、一八五六年に生み出された。三年後にフランスの「音楽時報」誌に掲載されて大ヒットとなり、世界中に広まることになった。この曲について、専門家は「素人臭い」とか「内容がない」などといつも否定的で、・・・(彼女は)一八三四年ワルシャワに生まれ、六一年に二七歳の若さで夭折した・・・
・『乙女の祈り』はごく基本的な音しか使われていないにもかかわらず、強いポーランドの香りに満ちている。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら

(2004年、20周年記念コンサートから)

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2019年3月14日木曜日

ヘルム

イディッシュの小話に、お馬鹿(阿呆、あんぽんたん)な人々が登場する街(町、村)がある。賢人(町の指導者、宗教的な指導者)といわれる人も、粗忽な者もみなどこかおかしい。大真面目に頓珍漢なのだ。

(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))

そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)

ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)

以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。

「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。

2017年9月18日月曜日

台風一過

久し振りに強風を経験した。と言っても深夜のこと。今日の日付に変わる夜空を、ヒューと喉を鳴らすような音が走って、そのたび風圧に家が軋んだ・・・多分そんな感じがして、大丈夫かと心配するほどだった。

テレビの台風情報を見ながら、台風は進路を日本海へ向けるだろうから、直接、風害はないと思い、いつのまにか寝入った。朝になれば、風音もなく、明るい陽射しが窓から差し込んだ。そりゃあ見事な台風一過だった。

(参考)台風18号の進路図(国際気象海洋株式会社)
            http://www.imocwx.com/typ/tyani_18.htm

図書館に、リトアニアヴィリニュスの街について読み物を探しに出かけた。途中、夏の陽射しそのもの、まさに熱射を感じた。雨に洗われて空は澄み、木々の葉は一枚一枚くっきりと浮かんで見えた。暑さを帳消しにする清々しさだった。

ところで、リトアニアは複雑な地帯にある。ポーランド王国ベラルーシ(白ロシア)が入り乱れ、領土の競り合い、それに伴う民族や言語の多様化といった歴史を持つ。そこに、割り込むようにしてユダヤの人びとがヴィリニュスの街に集合した。

現在の各国の国情から、過去を即断(イメージ)できない。ポーランドが想像以上の大国だったこと、そして、ポーランド王国とユダヤの民との関係を知る。歴史年表と地図が必要のようだ。

2019年6月24日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-10 、地震さまざま

朝方、小さな地震があった。気象庁の地震情報によれば次のように発表された。なお当地は「震度2」であった。
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24日9時11分ころ、地震がありました。/ 震源地は、千葉県南東沖(北緯34.9度、東経140.0度)で、震源の深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます。/ この地震により観測された最大震度は4です。 (千葉、東京、神奈川の各都市)
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小雨ぱらつく中、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。第10回の今日、東京大学大学院博士課程の青木良華氏から「近代西欧社会へ参入するユダヤ人:ドイツ・ユダヤ人が見た光と影」の解説をいただいた。

① 18世紀頃から19世紀にかけて、欧州で行なわれたユダヤ人の(伝統からの)解放の動き
・当時「国民国家」が成立する中での、ユダヤ人(ユダヤ教)の自らの変革・解放であった
・国家に対して、ユダヤ教がキリスト教(プロテスタント)と同じ立場に立つことを目的にした
  - 「ユダヤ教は国家に従属する」(ユダヤ教優先する立場からの変更)

② 解放の過程
 ・ユダヤ人が居住する国家の側からきっかけが与えられる
   - 米国で早く、その後ドイツ(プロイセン)、フランス革命後のフランスで始まる

③ ユダヤ人による解放にさまざまな立場があった
 ・キリスト教への改宗
 ・ユダヤ教の改革あるいは伝統を保守すること
  - 改革派: ユダヤ教聖書を批判的に理解
  - 正統派: ユダヤ教改革への反発
  - 東欧での正統派: シュテトル(シュテットルユダヤ人小規模コミュニティー)を基礎とした伝統的ユダヤ教

(本ブログ関連:”シュテットル”)

④ ユダヤ教改革に関わったひとびと
 ・モーゼス・メンデルスゾーン(哲学者)
  - ユダヤ教を独自性のある調和する宗教として説いた
  - 音楽家フェリクス・メンデルスゾーンの祖父
 ・ハインリッヒ・ハイネ(詩人でありジャーナリスト)
  - (ある意味、流浪する文化人のよう)東欧ポーランドのユダヤ人への評価と共感
  - ユダヤ教から、プロテスタント ⇒ カゾリックへと改宗する

④ 社会情勢の変化(三月革命など)にユダヤ人参加とともに、新たな反ユダヤの萌芽
 ・ドイツロマン主義: ドイツ民族意識・・・対立
 ・シオニズム: イスラエルの回帰運動・・・回避

配布資料に、ハイネがポーランドのユダヤ人に触れているところがある。イディッシュ文化の原典(真髄)を知るようでとても納得する。
汚い皮帽子をかぶり、シラミの住みついた髭を垂らし、にんにくの臭をただよわせ、ユダヤことばを話すポーランド・ユダヤ人の方が、いまなお私には札びらの神々しい輝きに包まれた(ドイツ・)ユダヤ人より好ましいのである


(追記)
夕方のTVニュースで、上記の地震報道をまさに解説しようとしたとき、TV画面に地震速報が表示された。一瞬なんのことか戸惑ったが、このタイミングで新たな地震が発生したと理解した(当地では体感はなかったが)。
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24日19時22分ころ、地震がありました。/ 震源地は、伊豆半島東方沖(北緯35.0度、東経139.1度)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定されます。/ この地震により観測された最大震度は4です。(熱海市)
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2018年4月12日木曜日

春期イディッシュ語 2018-2nd

「イディッシュ語」教室へ通うのに地下鉄を利用している。週一回都心への外出、私にとっていい運動になっている。乗車中の振動が心地よく、いつしかまどろむことがしょっちゅう。以前に触れたが「1/fゆらぎ」のおかげか。

(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”、”イディッシュ語”)

頭が揺らいでいる状態の私にとって、次のような工夫された授業は、春期コースの始まりにありがたい。第2回目の今日、次の内容で教示いただいた。

① 今回から、ポーランド語の大ベテランが参加されたこともあって、ポーランド語とイディッシュ語の文字の発音を比較紹介された。(イディッシュ語へのポーランド語の影響についても)

② 「期イディッシュ語 2017」の最終回の授業(2018年2月15日)で読んだ「7と7は11זיבן און זיבן איז עלף)」の小話のディクテーション(聞き書き)と、物語の展開・登場人物を分担してのロールプレイ(会話)を行なった。

クラスメイトのミュージシャンは、今日の授業を終えて、そのまま四国の「道後オンセナート2018」のアートフェスティバルへ参加される。中国語の若き研究者は、ロシア語版のイディッシュ語教科書をすらすら読んで聞かせてくれた。また、若きアーティストは新たな進路について意志を固めたようだ。若い人たちが揃って凄いのに感心するばかり。

2020年10月23日金曜日

(雑談)ちらりと聞いて早とちり

とりとめもなく、ちらりと聞いてネットを上滑りした与太話。

ラジオから、センセーショナルというかショッキングな場面が展開するという映画「異端の鳥」の映画評が聞こえてきた。遠くの国の人間が語るにはおぞましい、第二次大戦下の悲惨な経験を経たユダヤ人少年がいかに生き延びたかを描いた映画についてだ。映像化に賛否両論があったという。

1965年出版の「異端の鳥(ペインティッド・バード)」(西成彦訳、2011年)の原著者イェジー・コシンスキはとても個性的な人物で、ネットでは盗作などいわくつきの背景があるように紹介されている。この小説を自伝的といったり、架空の話といったり変転するくらいだそうだ。(未読のため深入りできないが)

ところで、この物語と大筋が似た児童書「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。こちらの場合、作家オルレブ自身の経験ではなく、体験者というべきモデルが存在すると巻末に訳者解説がある。

(本ブログ関連:”走れ、走って逃げろ”)

「走れ、走って逃げろ」の原著「Run, Boy, Run(רוץ、ילד、רוץ)」が発表されたのは、なんと2001年とのこと。コシンスキとオルレブがほぼ同年代のため、コシンスキのよからぬ噂からあらぬ疑いを想ってしまったが・・・しかし発表時期から、それはとんでもない濡れ衣だった・・・早とちりにもほどがある。

(参考)
イェジー・コシンスキ:ポーランド系ユダヤ人、יז'י קושינסקי、Jerzy Nikodem Kosiński、1933年6月18日~1991年5月3日
ウーリー・オルレブ:ポーランド系ユダヤ人、אורי אורלב、Uri Orlev、1931年2月24日~


雑談
「走れ、走って逃げろ」の原題「Run, Boy, Run」をYoutubeで検索したところ、おもしろいミュージックビデオ(MV)と出会った。映像作家でミュージシャンであるヨアン・ルモワンヌ(プロジェクトWOODKID)の作品のようだが・・・初めて知るわけで。WOODKIDのMVを次の①、②の順に見ると、いろいろ思いを巡らすことができそう。これらに共通して登場する塔を持つ白い建造物に、どこか純正芸術的な臭いがする、それを狙ってのことだろうか?

(本ブログ関連:”純正芸術”)

① Iron:
・ https://www.youtube.com/watch?v=vSkb0kDacjs&list=RDvSkb0kDacjs&start_radio=1
・ https://www.youtube.com/watch?v=lmc21V-zBq0&list=RDvSkb0kDacjs&index=2
・(和訳) https://www.youtube.com/watch?v=HWx-PV5ptTs (Stay Aliveに感謝)


(追記 2025.6.23)
・ウーリー・オルレブ 原作「The Island on Bird Street:האי ברחוב הציפורים」(1981)が映画になっている。
    ー 映画(日本語タイトル)「マイ・リトル・ガーデン」 (1997年)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=O468As0i-B4

2020年8月6日木曜日

おかしな主人公たちの住む町

世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。

イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。

(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)

イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など

ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。

アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。

■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。

■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。

■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。

(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)


(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68  シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か?  - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1

2019年11月25日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-7

快調に歩けるようになった。健康体操教室のトレーニングの成果だろう・・・負荷の少ない地味なストレッチ運動中心のおかげか、歩きに疲労感がなくなったのだ。遠くの街で開かれている市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通いながら実感した。
(ところで帰りの電車で、若者が席を譲ってくれた・・・最近、歳相応に感謝して座るようにしている)

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今年前期の「ユダヤの歴史を学ぶ(第1部)」(7/8)で 、<アメリカへ渡ったユダヤ人>を解説をされた、東京大学准教授の鶴見太郎氏から「ソ連におけるユダヤ人の生き方」についてうかがった。

帝政ロシア・ソ連時代に、ユダヤ人がどのように生き抜いたかを次のように紹介された。

ポグロム: ロシア革命内戦期に発生したユダヤ人排斥の結果
・ユダヤ人はボリシェヴィキ支持へと傾倒していった
  - 1919年、キエフのチェーカー(秘密警察)の75%がユダヤ人だったという推計も
・一方、ユダヤ人に「シオニズム運動」を招くことになる

ソ連体制下: 民族政策の変転
・帝政時代の居住制限から、ソ連時代の当初、移動の自由があった
  - イディッシュ語(文化)の普及政策
    a.ボリシェヴィキのユダヤ人セクションにいた女性エステル・フルムキン(Esther Frumkin)は忠実に実施
      ⇒ 1940年、シベリアの収容所に送られ粛清される
    b.ユダヤ人自身は、ソ連社会との融和が難しいと判断して敬遠する傾向にあった
    c.ユダヤ自治州(州都ビロビジャン)に定着させる: 防衛上、農業定着
      ⇒ WWⅡ後、3万人に達したが、現在は2,000人程度
・WWⅡ
    a.「ホロコースト」(略)
    b.1942年、西側ユダヤ人に対し、ソ連支援のため「ユダヤ人反ファシスト委員会」を結成
・WWⅡ後
    a.スターリン時代
      ⇒ 上記ユダヤ人反ファシスト委員会関係者の暗殺・逮捕
      ⇒ 反ユダヤ主義の立場から、ユダヤ人の活動を「ブルジョワ民族主義」と呼んだ
    b.スターリン以降
      ⇒ イディッシュ語(文化)の名目上の復帰
・1967年「第3次中東戦争」、アラブ支持のソ連でイスラエル・シオニズム批判が起る
・海外(イスラエルおよび諸外国)への移住希望者が増大
    a.1989~98年、ソ連圏から120万人(内実質のユダヤ人は80万人)が出国
      ⇒ 1970~97年、ロシアから30万人が出国
      ⇒ 1970~97年、ウクライナから42万人が出国

(感想)
イスラエルにおける、ロシア語話者*のユダヤ人が多数いるという。
(*)Russia Beyond「さまざまな情報源によると、ソ連・ロシアからイスラエルに移住した人でロシア語を話すのは、25万〜50万人だ。米フォーブス誌の試算では、2017年時点でイスラエルのロシア語人口は150万だった(同国の総人口は約860万人)」(  https://jp.rbth.com/lifestyle/80162-sekai-no-roshiago-jinkou-wa-dono-kurai )
彼らがイスラヘル移住を決めた理由を知りたい。ソ連時代のロシア人だって大変な経験をしているのだから、ユダヤ人はもっと厳しい経験をしただろう。
東欧のポーランドの田舎町や村(シュテットル)にユダヤ人が多数いたことは、ポーランドやリトアニアの歴史から推察できるが、ロシアにどうして住むようになったのかも知りたい。

2019年6月17日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-9

燦燦たる陽光、都心の最高気温は 28.7℃(13:15)に達したが、北北西の風に熱気は吹き飛んだよう。景色は澄んで鮮明、実に爽やか。そんな昼ころに、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に出かけた。

第9回の今日、東京理科大学講師 山本伸一氏から「オスマン帝国 のユダヤ人とユダヤ神秘主義:ユダヤ社会の変容」の解説をいただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ユダヤ人は、ポーランドを中心に中欧に拡散したアユケナジム、スペインを基点に地中海(トルコを含む)に拡散したスファラディム、(キリスト教へ改宗した)マラーノなどがいる。その中で、オスマントルコに定住したユダヤ人について紹介された。

① ユダヤ教の伝統回帰
 ・ユダヤ人はオスマントルコ帝国で安定した生活を送る
   - 非トルコ系・非ムスリムに対する「ミッレト制」によりユダヤ人自治が認められた
   - 宮廷に従えたり、商人、医師、貿易商などに従事する
 ・安定した中から、ユダヤ教の伝統へ回帰する
   - ユダヤ人の「シャブタイ・ツヴィ」は自らをメシアと語る
   - イスラエルのガザの「預言者ナタン」は、ツヴィを原理的に最後(死後)まで支援した
   - ツヴィはイスラムに改宗する(アルバニアに流罪の末、そこで亡くなる)
 ・ツヴィの継承者に、ポーランドの「ヤコブ・フランク」がいる

② ユダヤ教の神秘主義(カバラー)
 ・カバリストは、口伝聖書に隠れた10個の神の力を探求した
   - ツヴィ亡き後、ムスリムになった(改宗した)ユダヤ人(ドンメ)たちの末裔が、後の「青年トルコ革命」に関わる
   - トルコ建国の父「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」は、かつてドンメの学校で学んだという

ある意味熱狂的な中で変遷したツヴィ、いつまでも彼を見守り肯定したナタンといった、両者の関係は、キリスト教世界にも見られそうだし、今の時代から見ても興味深い。小説家がインスピレーションを受けたというのも分かる気がする。また、ツヴィの流れが、トルコの近代化にどこかでつながっているような、ドラマチックな紹介にも関心が湧いた。

2017年10月1日日曜日

イ・ソンヒの「水仙」

今日から10月。今年はもう1/4しか残っていない。あっというまに過ぎ去るだろう。日高市の巾着田で開催の「曼珠沙華まつり」は今日で終了した(そうだ)。

真っ赤な花弁と緑の茎だけで咲く曼珠沙華の群れ並ぶ光景は美しさを超えて圧倒的である(そして異様さも覚える)。その「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と同じ<>に属する花に、「水仙(スイセン)」がある。こちらは、冬から春にかけて咲く花だが、共に根に毒性を持っ。かたや死の影を持ち、かたや自己陶酔に溺れる。

水仙の可憐な姿に、自惚れの跡がかすかに精一杯に主張しているようにも見える。そんな負けん気が聞こえてくるような、独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、イ・ソンヒの5集に収録されている。

(本ブログ関連:”水仙”)


(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はあ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

(付記)
最近、遠出を控えている。それでも運動のつもりで、近隣の街に出かけて書店を巡った。
先日から気になり始めた、リトアニアの街「ヴィリニュス」(ユダヤ文化の花開いた街でもある)への関心から、昔、リトアニが大国であったこと、やがてロシアに押されたことで、「ルブリン合同」によりポーランドと連合して(併合されて)、「ポーランド・リトアニ大公国」ができたこと・・・についての平易な歴史解説書を探したが見つからなかった。こんなとき、Wikipediaは近道である。

2014年11月11日火曜日

乙女の祈り、少女の祈り

子どものころ、初めて買ったクラシックのレコードは、演奏家も知らぬピアノ小品集だった。その「JOEL ROSEN PIANO ENCORES」のレコードについて、以前、本ブログでも記したが、レコードジャケットに次のような解説があった。

(本ブログ関連:”レコード盤”)

日本のコロンビアレコードが、このアルバムにバダルチェフスカの「乙女の祈り(A Maiden's Prayer)」(1856年)を加えて欲しいと希望したところ、彼(Joel Rosen)は承知しなかった。困った顔をして次のように断ったという。
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・日本ではたしかに有名な曲かもしれないが、この曲には芸術音楽としての価値が全然ない。この曲を録音するということは、真のピアノ愛好家の耳を穢すだけのことである。私は弾く気がしない・・・
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Wikipediaに、「乙女の祈り」の評価を知る朝日新聞記事(「『乙女の祈り』を探して」、2007年10月23日)が引用されている。このピアノ曲は、日本では知られていたが(現在はどうだろうか)、世界的にも、作曲者の故国ポーランドでも、ポピュラーでないという理由を、ソース記事は次のように報じている。(抜粋)
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・ピアノを習いたてのころ、だれもがあこがれる曲といえば「乙女の祈り」だろう。どこかはかなげな響きが胸にしみる。
・なぜポーランドで忘れられたのか。「その原因は、当時の評論家の偏見にあったと思う」とドロタ*。19世紀の音楽事典は「乙女」の作者をこう酷評していた。「浅薄な素人くささを超えられなかった」。音楽に高い精神性や芸術性を求めるあまり、音楽教育を受けていない少女の、独白のような小品を見下したのだろうか。
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(*)ドロタ:来日中のポ-ランド女性で、「乙女の祈り」について調査した。

イ・ソンヒに、「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)があって、風に舞い散る落ち葉の季節にひとり寂しさにふけりながら、春の訪れを待つ少女を歌っている。イ・ソンヒの清らかに澄んだ少女のような声が耳に残る。ところで韓国では、上記ピアノ曲「乙女の祈り」に、この題名と同じ「소녀의 기도」が使われているようだ。

2018年4月26日木曜日

春期イディッシュ語 2018-4th

中学時代、学校の図書館に《 聞き書きの日本の民話集 》がずらりと並んでいた。それぞれの民話に共通するものがあるのではないかと読み比べたりしたが、無力の子どもには、まとめる力などなくあっさり挫折した。けれど民話には、集団が育み受け継いだ独特な知恵があると今でも思っている。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

古いイディッシュ(東欧ユダヤ人)の伝承(民話、小話)をもっと知りたい。庶民は、現実の厳しい生活を受け止め、苦境を切り抜けてきたわけで、それを面白おかしく笑い飛ばす軽妙さを持っているはず。そんな庶民のたくましさを、今日の「イディッシュ語教室」でも教えていただいた。イディッシュのひとびとへ、ちょっとだけ近づいた気がした。

今回は、前回(4/19)とつながりを持たせて理解を深めた。(前回欠席者への配慮もあってでしょうか)

① テキスト「Colloquial Yiddish」所収のイディッシュ民話(小話)から。
次の民話(小話)をグループに分かれてロールプレイした。
  ①-1.前回に引き続き「7と7は11זיבן און זיבן איז עלף)」から。
  ①-2.以前学習の「二人のヘルムの住人(イディッシュ)と椅子צװײ כעלעמער ייִדן און אַ בענקל)」から。

(本ブログ関連:”ヘルム(架空の阿呆村)”)

② イディッシュの歌から。
  ②-1.「Yome Yome(יאמע יאמע)」の歌詞原文と譜面を、音楽家が手配いただき、みなで読み歌った。
  ②-2.「Sleep my child(שלאָף מײַן קינד」(ショーレム・アレイヘム詩)の紹介があった。

(Youtubeに登録のguauguau6に感謝)

③ 今回、イディッシュ語の大家上田和夫氏が、「言語学大辞典」(三省堂)に執筆された「イディッシュ語」について、若き中国語研究者が資料紹介され、先生大絶賛。


ポーランドについて造詣が深い若き中国語研究者から、「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)を貸してもらい・・・ゴールデンウィークの読書にさせていただく。

2017年5月5日金曜日

「走れ、走って逃げろ」

イ・ソンヒが主題歌を歌ったTVアニメ「走れハニー(달려라 하니)」(1985年~1987年放送)は、幼い頃に母を病気で亡くした少女ハニーが、しかもその後、父親が女性タレントに心移りするといった辛い境遇にありながら、中学の陸上選手として成長するスポーツドラマだ。

(本ブログ関連:”走れハニー”)

体育教師との強い絆に見守れたハニーは、目標と心の支えを得たればこそ、自分を見つめ陸上選手として活躍することができたのだろう。ソウルオリンピックの前年まで放送されたという。

似た題名だが、児童書に「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。体験に基づくもので、時代は遡り、第二次大戦中のポーランド国内の農村や森に逃げて生き延びたユダヤ少年の幸運な出会いを語っている。このGWに読んでみたらと、教室で先生から紹介されたものだ。

死者は語ることができないといった話を先生はされたと思う。主人公(スルリック、逃亡中「ユレク」と名乗る)は、8歳から12歳ころまでの間に生死を分けた、そして偶然といっていい出会いに救われる。幸いにも過去を語る側に立てたのだ。街角や森の奥に隠れ住むユダヤの少年たち、牛飼いのため雇ってくれたポーランドの農民家族、逃亡を見て見ぬ振りをしたドイツ兵、・・・、一個人で相対したとき、素の人間があらわれ、善人もいれば、恐怖の人間もいた。

私が子どもの時代でも、まだ戦後の余韻が残っていて、テレビは今では考えられないほど太平洋戦争の記録映画を放映したし、漫画雑誌に少年の戦闘機パイロット物語が連載された。だから、戦争経験者の体験記も文芸春秋の特集号として掲載された。子どもながらに読んだ印象は、銃弾の銃創の激痛であり、ひもじさであり、果てのない逃走の記録だった。生き残った人々の言葉は、直接的で、肉体的なものだった。彼らの言葉には、その後語られるような分析(俯瞰)はなかった。

「走れ、走って逃げろ」もそうだ。過去も明日もない、今日をどうやって生き抜くか、それが精一杯なのだから。もし、少年の回想に、死を身近にする場面があるとすれば、逃走の途中、偶然再会した瀕死の父の言葉かもしれない。生きるためにすべきこと、そして忘れてはならないことを、父親は早く逃げるようさとしながら語った。

結果、少年は生き抜いた。体験者(主人公)の話をもとに著された「走れ、走って逃げろ」は、似た経験を持つとはいえ、作家(著者)の手になるものだ。もし本人が体験記として書いたらどうなったか気になるところだ。

(本ブログ関連:”ひまわり ”、”シェルブールの雨傘”、”君の名は”)

(5/6追記)
今日(5/5)は、祝日「こどもの日」であり、春分と夏至の中間で夏の始まりを示す「立夏」だ。実際は、明日・明後日の土日の休日が残っており、GWがまだ続く。

2018年11月23日金曜日

勤労感謝の日 2018(大学祭)

今日は収穫を感謝する宮中の祭祀「新嘗祭」であり、一般に勤労を感謝する祝日「勤労感謝の日」として知られる。アメリカの「感謝祭」(11月第4木曜日)と同様、収穫に感謝する。
ゆるい陽射しの中、先日(11/19)のブログで触れた、東京外国語大学の「第96回 外語祭」に出かけた。午後3時過ぎ、構内は大勢の客であふれていた。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”、”外語祭”、”学園祭”、”大学祭”)

まず人混みを避けて、会場奥手から覗くことにした。中央アジアのウズベキスタンやキルギスタン方面に関心ある学生たちが開く売店や展示イベントを訪ねた。

現地留学した学生が収集した、ソ連時代のピンバッチが多数販売されていた。その中にロシア・ソ連の詩人「セルゲイ・エセーニン」のものがあって購入した。なるほど詩人の人気振りがうかがえる・・・でも、どんなタイミングで着用するのだろう。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

また、学生たちが保存・管理しているキルギスの民が草原で使用する(テント中央に支柱を用いない)移動式住居「ユルタ」に入って、住居の解説を聞く。合わせて、ウズベキスタンの二弦楽器「ドゥタール」他の演奏を聴く。(素朴な伴奏楽器の気がしたが・・・Youtubeを「uzbek dutar」で検索すれば凄い)

ところで、回廊施設下に展開された数ある屋台のなかで、チェコ関係の売店があり、なぜかポーランドのホットチョコを売っていた。ホットチリペッパーを足して飲む。売り子の学生から、昨年、イディッシュ語を学んだと話を聞いた。

次に、ポーランド関係の売店で、代表的な菓子であるラズベリージャム入りのドーナッツ「ポンチキ」を求めて食べてみれば、どこかで口にした記憶がよみがえる・・・というか、日本で当り前に口にする菓子だと思った。

(余談)
菓子ポンチキは、Wikipediaによれば「ポンチェック」の複数形とある。関係ないけど、韓国にトロットから派生したというべき元気な音楽に「ポンチャック」がある(歴史から消されそうで心配・・・Youtubeでご覧あれ)。歌手のイ・パクサを見るたび、ジャンルは違うが、千葉県の「ジャガーさん」を思い出す。

2019年10月28日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-4

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通う。今日で4回目になる。私にとって少々長旅?で、ようやく体が慣れてきた感じがする。帰りの電車で転寝したことはいうまでもない・・・いい按配で心地よい。頭だけでなく、体も解きほぐしてくれる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回は、内容がヘビーさを増す中で、相当に厳しいテーマ <ホロコースト> について、学習院女子大学教授の武井彩佳氏から「ナチスの時代のユダヤ人」の講演があった。サブタイトルは「ホロコーストの展開と現在に残る『爪痕』」だった。
武井氏の専門分野は、<戦後のホロコーストの補償としての財産問題> とのこと。実は、来週も担当され、次回のテーマ(「ナチスの時代のユダヤ人」について」)にもつながる。

講演で個人的に関心のあったところに絞って記す。

言葉としての「ホロコースト
・ギリシャ語を語源として、ユダヤ教の「燔祭(はんさい)」(宗教的捧げ物する)の意
・ナチスによる虐殺についてフランス語の「ショアー」が使われる
・イディッシュ語で「フルブン(khurbn‎、חורבן)」

ユダヤ人の犠牲について
・ナチスの人種的優位性の理解: アーリア人 > スラブ人 > ユダヤ人
・東欧:ドイツ軍侵攻とともに殺戮が開始される(ポーランド、リトアニア、ウクライナなどで)
   西欧:ドイツ支配下(民政移行=対独強力)の国(ユダヤ人が少数)では、比較的に緩やかに進行
・ドイツ国内:ドイツ在住のユダヤ人は金があって脱出可能だった
   - 戦前在住 56万人 ⇒ 30万人が移民(逃避)、死亡14万人
   - 戦後在住 3.7万人 ⇒ 戦後も移民が止まなかった

ホロコーストの構造
・加害者: ドイツ、オーストリアの20万人
・傍観者(対独協力者): ポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、その他(ユダヤ人不在により利益を得た者)
・犠牲者: ユダヤ人の600万人

ホロコーストの実行
・ヒトラーから直接命令の資料はないが、1941年夏ころ口頭指示があったといわれる
行動部隊: 1941年設立、親衛隊(SS)+ 通常(普通)の警察官

強制収容所
ラインハルト計画: ユダヤ人絶滅だけを目的にした絶滅収容所、トレブリンカなど
・強制労働+絶滅: アウシュビッツなど

戦後の東欧の収容所跡地の扱い
・共産党政権下: ユダヤ人を捨象して、収容民を被害者大衆として扱ったが
   自由主義化後: ユダヤ人に注視した再定義が行なわれている
・研究手法: ホロコーストの分析だけでなく、<法>考古学的な発掘調査


(感想)
なにより、ドイツ在住のユダヤ人の行動に注目した。
・ドイツを脱出したユダヤ人はどこへ行ったのだろう? アメリカではなかったのか?
   - 情勢の変化を事前にどのように察知(階層ごと情報収集)したのだろう?
・他方で、多数の犠牲者を占めた東欧のユダヤ人こそ、ユダヤ社会から置き去りにされた人びとだったのではないか?