きょうは今年最初の二十四節気である「小寒(しょうかん)」で、この後に来る「大寒」の手前にあたる。小寒の初日を「寒の入り」と呼ぶ。歳時記をめくると、これから極まる寒さを思い、ますます凍みてくる。
(本ブログ関連:”小寒”)
正月の9連休最後の日。布団からようやく這い出した。昼になっても町全体が静かなままで、連休の余韻を楽しんでいるよう。出かけようか、家に籠ろうか思案する。
七十二候
「小寒」の期間を三つに分ける雑節の「七十二候」は次の通り。
・初候: 芹乃栄(せり すなわち さかう) 芹が群れてよく生育を始める
・次候: 水泉動(すいせん うごく) 地中で凍った泉が動き始める
・末候: 雉始雊(きじ はじめて なく) キジの雄がメスに鳴き始める
末候に「キジ」が鳴くことを記している。
雉も鳴かずば撃たれまい
昔の建造物に、安全な完成と永遠の維持を願って、その礎に人を捧げる「人柱」という行為があった。事実を恐れて、伝説というかたちで残すことになる。
そんな人柱の伝説の中に、誰もが知る諺(ことわざ)「キジも鳴かずば撃たれまい」がある。運命のいたずらを指すこの諺の由来が、実は後先考えずに軽率に発した言葉のためだと知る。とんでもない運命に陥ってしまう伝説である。
南方熊楠(1867年(慶応3年) ~ 1941年(昭和16年))が記した、「人柱の話」(青空文庫)*は、日本や世界の文献を渉猟して、人柱にまつわる伝説を開陳している。
(*)青空文庫: https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/43634_47041.html
例えば印度の例。
・支配者側の強制による以外に、自ら進む者もいたようだ・・・他に運命の選択肢がなかったからかもしれない。
・人柱は、後の幽霊伝説につながるといった記述がいくつかある。
・人柱にからめて殉職や試し切り(ある意味、死を軽んじた行為)にまで及んでいる。
そんな中、上にあげたように、軽率にその場・その雰囲気に呑み込まれて、人柱という運命に巻き込まれてしまった不運さ、悲哀さがある。
----------------------------------------------------------------
日本で最も名高いのは例の「物をいふまい物ゆた故に、父は長柄(ながら)の人柱」で、姑らく「和漢三才圖會」に従ふと、
・初めて、此(長柄に)橋を架けた時、水神の爲に人柱を入れねば成らぬと關(せき)を垂水村に構へて人を捕へんとす。そこへ同村の岩氏某がきて、人柱に使ふ人を袴(はかま)につぎ(継)あるものときめよと差(さし)いでた。所が、さういふ汝こそ、袴につぎがあるでは無かと捕はれて、忽ち人柱にせられた。
・其弔(とむら)ひに、大願寺を立てた。岩氏の娘は河内の禁野(きんや)の里に嫁したが、口は禍ひの本と、父に懲りて唖で押通した。夫は幾世死ぬよの睦言も聞かず、姿有つて媚(こび)無きは人形同然と飽き果て、送り返す途中、交野(かたの)の辻で、雉(キジ)の鳴くを聞き射にかゝると、駕の内から妻が朗らかに「物いはじ父は長柄の人柱、鳴ずば雉も射られざらまし」とよんだ。
・朝鮮鳴鶴里の土堤幾度築ても成ず、小僧が人柱を立よとすゝめた處ろ、誰も其人なきより乃ちかの小僧を人柱に入れて成就した。
・ルマニアの古い唄に大工棟梁マヌリ或る建築に取懸る前夜夢の告げに其成就を欲せば明朝一番に其場へ來る女を人柱にせよと、扨(さて)明朝一番に來合せたはマヌリの妻だつたので之を人柱に立てたと云ふのだ。(三輪環氏の傳説の朝鮮二一二頁。一八八九年版ジョーンスとクロップのマジャール俚譚、三七七頁)
----------------------------------------------------------------
そのとき正論と論じて(得意気に)発した言葉が、廻りまわって自分にはね返って来るなんて、全然承知していなかったのは、ある意味悲運であるが、滑稽でもある。最近ネットでよく「ブーメラン」ともいうではないか。