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2025年3月11日火曜日

東日本大震災から14年

2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した「東日本大震災」の記憶は今も鮮明だ。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

まずわが家のことでいえば、激しい振動の後、通りに面した大谷石塀がすべて崩れたことだ。強震が収まってホッとしたとき、隣家から塀が倒れていると知らされて頭に浮かんだのは、いつも近所の幼い兄弟が木製の箱を引きずって遊んでいたことだ。不安が襲った。瓦礫の下に子どもたちがいたらと思い巡った瞬間、指先が震えるのを感じた。

さいわい、大谷石の瓦礫が重なっていただけで、とんでもない事態には至らなかった。

(本ブログ関連:”東日本大震災 2011年3月11日12日13日”)

震災の状況は、連日、テレビ画面を通じて判明できた。次に身近に迫ったのが、福島原子炉の津波による事故だ。海沿いに建設した原発の装置(電源盤や非常用発電機など)が、何と海面下の地下に設置され海水をかぶってしまった。原子炉を冷却するための電源を失った結果、原子炉は熱暴走した。放射能が空中に噴出する危機に陥ったのだ。

(本ブログ関連:”福島第1原子炉事故”)

水道水の放射能汚染を心配して、幼い身内のため、大分県日田市の湧水を購入して配送するのを続けてもらった。(当時、米軍人家族が日本から緊急退避したり、日本人の中にも沖縄へ家族と一緒に転居した人がいたようだ)

メディアは、非難対象を作るため、原子炉所長を生贄にした。情報収集の不適切さによる全くの誤報(曲解)と判明したにもかかわらず、ジャーナリズム大賞の特別賞を受賞していた。
「みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長」(2014年9月12日)
    ー https://www.asahi.com/shimbun/20140912.pdf