旧暦の毎月15日の夜を「十五夜」といい、特に旧暦8月15日である今月今晩の月を「中秋の名月」という。ところで、(旧暦8月が重なる)今月の「満月」のタイミングは、あす10月7日の昼 12時48分ごろになる。つまり、【中秋の名月】≠【満月】の確率が高い。
■ 国立天文台
「中秋の名月(2025年10月)」より抜粋
ー https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2025/10-topics01.html
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名月が満月とは限らない
・2025年の中秋の名月は、10月6日です。「中秋の名月」とは、太陰太陽暦(注)の8月15日の夜に見える月のことです。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。日本では中秋の名月は農業の行事と結びつき、「芋名月」*(いもめいげつ)などと呼ばれることもあります。
(*)コトバンクによれば、「《里芋を供えるところから》」とある。
・今年は10月6日が中秋の名月、翌7日が満月と日付が1日ずれています。
天文学的な意味での満月(望)は、地球から見て太陽と反対方向になった瞬間の月のことで、満月の時刻は、10月7日12時48分です。
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また、中秋を「仲秋」と記すと字面が洒落ているけれど、8月全体を指してしまうため、現在では「仲秋の名月」は使われないそうだ。
ところで秋の月夜には、青白く地が照らされ、雁が南の空へ飛んでいく寂しい情景がある。江戸時代末期の俠客・
国定忠治 が子分たちとの別れもそのころ。忠治の言葉に、子分たちが「
親分 」と応えるところとか、忠治が刀を手にして「俺にゃあ、生涯手めえという
強い味方があったのだ 」と語るのを、子どもながら耳に残したものだ。
そこで、生成AIの ChatGPT に、もしかして中秋の名月の夜だったのか問い合わせてみた。
Q.「赤城の山も 今夜を限り」と、「国定忠治」が語ったのは、「中秋の名月」のころか?
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A.ご質問の「赤城の山も今夜を限り…」という有名なセリフは、「国定忠治(くにさだ ちゅうじ)」が登場する講談や歌舞伎などで語られるもので、日本の伝統的な義賊・侠客の一人である忠治の最期の場面でよく使われます。
□ このセリフの背景:
「赤城の山も今夜を限りか」というセリフは、忠治が赤城山(群馬県)を去る決意を語る場面で使われる、ドラマチックな名台詞です。
続く有名なセリフは以下のような形です:
「赤城の山も今夜を限り、 生まれ故郷の国定村を後にして、江戸へ下る…」
□ 中秋の名月との関係は?
この台詞が発せられるシーンはしばしば秋の月夜の晩、つまり中秋の名月(旧暦8月15日頃)と結びつけられる演出が多いです。
・ 明確に「中秋の名月」とされているわけではない ですが、
・ ロマンチックで物悲しい別れの場面として、「月夜」や「秋の夜」が使われるのは非常に典型的な演出 です。
・ 映像作品・舞台・講談によっては、「中秋の名月の夜に…」というナレーションを入れることもあります 。
□ 結論
「中秋の名月のころ」とする演出はあるが、史実や原作で明示されているわけではない。
つまり、「中秋の名月」は演出上の美的・情緒的な演出であり 、絶対的な時期設定ではありません 。
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次の動画の通り、子分との別れの画面で、新国劇版では月を舞台背景に置かず、月明かりだけを強調して国定忠治の言葉を際立たせている。もう一つの、桃屋のCM版では月を三日月にしているのは少しの緊張感を持たせるためかもしれない。満月は穏やかなものだからだろう。
■ Youtube(登録:TheKensanohta )
「赤城落ち」(新国劇。辰巳柳太郎の国定忠治。赤城落ちのシーン抜粋・・・とのこと)
ー https://www.youtube.com/watch?v=B-OuMPFsckc
VIDEO
■ Youtube(登録: upachan2004)
「桃屋 江戸むらさき」(丹下左膳、鞍馬天狗、国定忠治の順=月の形は三日月だが)
ー https://www.youtube.com/watch?v=_Zac1fW_34E
VIDEO