映画「Whalefall*(クジラに落ちた男)」を見に、立川の街へ行った。以前、Youtubeで予告編と出会って、ぜひとも鑑賞したく映画館シネマ・シティを訪れた。
(*)ホエールフォール( Whalefall)は、本来、「クジラの死骸が深海の海底に沈む現象、およびその死骸が作り出す特殊な生態系(鯨骨生物群集)」とのこと。(Google検索 Labs:Wikipedia)
(本ブログ関連:”クジラに落ちた男”)
映画館は、シネマ1とシネマ2に分かれていて、最初、シネマ1に着いてしまった。シネマ2で上映と案内されて、そこからてくてく歩いて行くのだが、不案内で、途中、町の人に道順を教えてもらったりした・・・、最初から(汗だらけになって)慌ててしまった。
さて、映画は、ちょっと予想**と違ったが。
(**)海洋映画として、アラン・ポーの短編「メールストロムの施渦(せんか)」(A DESCENT INTO THE MAELSTROM、青空文庫)のような巨大な渦に墜落する絶望的な舞台を、あるいは、あのレイ・ブラッドベリが脚本作りに参加した映画「白鯨」(メルヴィル原作:難読といわれる)のようなクジラとの壮大な格闘を期待したわけだが。
映画の感想は、半分、想いと合っていた感じだ。
海に生き、自ら海に帰っていった父との記憶を確かめたく、父につながるものを探しに、海から離れた息子ジェイが、カリフォルニアの海に潜る。酸素ボンベの残量を気にしながら深く降りた彼は、マッコウクジラと巨大イカの闘いに巻き込まれ、イカの手にからまれて、結局クジラの体中に取り込まれてしまう。そこから、映画は本格的に展開する。絶望的な場所、必死にもがく主人公の苦難を、観客は一体化するわけだが、閉所恐怖症の最たる映画かも知れない。(何しろ、クジラは「1,000〜2,000メートル(記録では最大3,000メートル程度)の深海まで潜る」ことができるとのこと。(Google検索 Labs:講談社))
身動きができない、クジラの内臓のどの場所だろうか、悪銭苦闘する(そんな言葉で言い表せないほどの隙間にいる)中で、主人公は父との記憶がフラッシュバックする。
高校生のころ、英文解釈のいくつかの例文で、父と息子が関係を作るのに、なぜか釣りの場面が多数あった。欧米では、父と息子が一緒に釣りをすることで、お互い無言でいながらも、絆を感じさせるのだろうと想像した。そういえば、わたしも幼い息子と一緒に何度か、家の近くで川釣りしたことがある。
考えてみたら、(ぶよぶよ、ねばねばして全身を圧迫してくる)クジラの内臓がどうなのか想像できないし、実際、そこにいたら真っ暗だったろうけれど。かといって、ディズニーアニメの「ピノキオ」のように広い空間でもないだろうし。いろいろ想いながら、先の見えない恐怖に感情移入させながら救いを求めた。
ディズニーのエンターテインメント制作部門の、20世紀スタジオが制作した作品である。結末が見えないはずがない・・・ただし、子どもにはトラウマを残すかもしれないが。
最後に、絶望的な体験をした若者は、父のいる海を再び訪れて、父の遺した手紙を見ながら朗らかに笑う。きっと、海の男らしい言葉だったに違いないと想像した。それはとても救いがあり、絆が戻ったことを知る。






