子どものころ、草相撲、草野球、あるいは学校での運動クラブといった経験の記憶は薄れない。大人になって、オリンピックやプロの競技を観戦するとき、思わず力が入るし、選手の心技体の奥深さを知ることにもなる。
オリンピックなどの国際大会で、卓越した選手に、国を越えて感銘し、自然に賛同を送ることがある。スポーツ選手の技の巧みさに驚き、あたかも一体化したような感動を覚えることがる。
きょうは、大相撲の千秋楽だった。実は、深夜(午前3:50 〜 午前4:15)のNHKテレビで、ダイジェスト「幕内の全取組」が放送されていて、ついつい眠れぬ夜になってしまい・・・連日(連夜)のことで、すっかり睡眠不足になった。
今場所、関脇の霧島*が3度目の優勝を果たした。大関への復活が確実とのこと。
(*)霧島関に、人間的な温厚さを感じる・・・報道もそのようだ。
ところで、相撲への関心が向いていることから、こんなことを Gemini に問うてみた。
■ Gemini
Q.相撲について、国民の関心が衰えないのは、独特なものがあるような気がします。以前、週刊誌が相撲界をさんざん叩いてきましたが、最近は消極的ですね。時代の潮向きが逆の意味で反映しているような気がします。
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A.相撲という文化が持つ「底堅さ」は、確かにおっしゃる通りの独特な熱量を感じさせますね。一時期の週刊誌による激しいバッシングの波が落ち着き、むしろ世論の側が相撲の中に「変わらない価値」を見出そうとしているような、不思議な逆転現象が起きている印象を受けます。
この「潮向きの変化」には、いくつか興味深い背景が考えられます。
1. 「不変」への回帰
現代社会があらゆる面でデジタル化し、効率やコンプライアンス、スピードを重視する中で、相撲はあえて「前近代的な様式」を色濃く残しています。
・神事としての側面: 単なるスポーツではなく、土俵の祭式や力士の所作に宿る伝統的な美意識が、変化の激しい時代において、人々が立ち返る「心の拠り所」として機能している側面があるのかもしれません。
・身体の迫力: 加工の効かない、生身のぶつかり合いという圧倒的な「リアリティ」は、情報過多な現代においてかえって新鮮に映ります。
2. メディアの攻撃対象の変化
かつて週刊誌が執拗に叩いた「閉鎖的な門閥社会」や「徒弟制度」は、今や相撲界だけの問題ではなく、社会全体のガバナンスの問題として語られるようになりました。
・相対的な受容: 他の業界や組織での不祥事が相次ぐ中で、相撲界の伝統的な上下関係やしきたりが、むしろ「教育の一環」や「コミュニティの絆」として再評価される、あるいは「そういう世界である」とある種のリスペクトを持って受け入れられる土壌が再形成**された感があります。
(**)ある意味、これまでに浄化された結果の面もあると・・・。
3. 「地域」と「歴史」の記憶
相撲は日本各地の巡業や、歴史的な地名・エピソードと深く結びついています。
・江戸時代から続く勧進相撲の系譜や、郷土の力士を応援するという素朴な熱狂は、グローバル化が進む中で失われつつある「ローカルな誇り」を刺激します。九州や東京など、特定の地域に根ざした興行の歴史も、人々の関心を繋ぎ止める大きな要因でしょう。
4. コンテンツとしての「物語性」
最近では、力士個人のキャラクターや背景にある師弟の物語、あるいは歴史的な記録への挑戦(横綱の品格や連勝記録など)が、SNS等を通じてより多層的に伝わるようになりました。批判一辺倒だった時代に比べ、ファンが直接「自分の推し」を見つけ、その文脈を楽しむ文化が定着したことも大きいのではないでしょうか。
時代の波が一周回って、以前は「古臭い」「不透明だ」と叩かれた部分が、今は「それこそが相撲の醍醐味である」という、ある種の文化的な防波堤のような役割を果たしているのかもしれません。
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