きょうの野鳥観察(探鳥会)を、寝起きが悪くて欠席(今月は2回とも)した・・・このところ調子が良くない。
ところで、「インターネット」の開発秘話を知りたいと思い、生成AI Gemini に問うてみたところ:
● 前半の回答に、初めて知ることがあり新鮮だった。よくいわれた「核攻撃対策としての分散化」が、実は後付けだったとは。分散化について<俗説>と人はいうけれど・・・。
● 後半の回答で、 IBM(SNA)とDARPAとの間は、やっぱライバル関係にあったという点は面白かった。ホストコンピューター(メインフレーム)にぶら下がるネットワークと、分散型ネットワークという発想は、時代先取り側に勝利をもたらしたようだが、半面いろいろな課題も生まれたわけで。
■ Gemini ①: インターネット開発の黎明期
Q.インターネットの初期開発(米軍のDARPA)秘話を教えてください。
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A.インターネットの起源が米軍の研究機関である <DARPA(国防高等研究計画局)> にあることは有名ですが、その裏側には「核攻撃への対策」という通説とは少し異なる、研究者たちの純粋な情熱と試行錯誤の物語があります。
あまり語られない、開発初期の「秘話」をいくつかご紹介します。
1. 「核攻撃対策」は後付けの理由?
よく「核攻撃で通信網の一部が破壊されても維持できるネットワークを作るために開発された」と言われます。しかし、実際にARPANET*(アーパネット)の設計に携わった中心人物の一人、ボブロバート・テイラー**は後にこう語っています。
(*)ARPANET: 世界初のパケット通信コンピュータネットワーク
(**)Geminiの誤り: ✖ ボブ → 〇 ロバート
「ARPANETは核攻撃に耐えるために作られたのではない。単純に、研究リソースを共有したかっただけだ」
当時、各地の大学に高価なコンピュータが導入されていましたが、それぞれが独立しており、別の大学の計算機を使うには現地へ行くか、専用回線***を引く必要がありました。その無駄を省き、<「どこからでも、どのコンピュータも使えるようにする」> という極めて実利的な目的がスタートだったのです。
(***)専用回線:2地点間を1対1でつなぐ専用の通信線(vs インターネットは蜘蛛の巣状)
2. 三つの端末に囲まれた苦悩から生まれた構想
中核人物であるボブロバート・テイラーのオフィスには、当時3台の端末がありました。
・マサチューセッツ工科大学(MIT)接続用
・カリフォルニア大学バークレー校(UCB)接続用
・サンタモニカのシステム開発会社(SDC)接続用
テイラーは、MITの人と話すために椅子を回して端末を替え、次にUCBの人と話すためにまた椅子を回す……という状況に苛立ちを感じていました。「なぜ1つの端末で、どこにでも繋がらないのか?」というこの個人的なストレスが、<「インターネットワーク(ネットワーク間のネットワーク)」> という概念を加速させました。
3. 世界初の通信は「LO」で終わった
1969年10月29日、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)とSRI(スタンフォード研究所)の間で、人類初のパケット通信が行われました。最初のメッセージは、ログインを意味する <「LOGIN」> と打つ予定でした。
● UCLAの学生が「L」と入力 → SRIに届く(電話で確認)。
● 次に「O」と入力 → SRIに届く。
● 次に「G」と入力した瞬間 …… システムがクラッシュしました。
結果として、インターネットの歴史において最初に送られた記念すべきメッセージは、図らずも <「LO」>(「Look」の古語のようですが、単なる切断です)という不完全なものになったのです。
4. 開発を支えた「パケット」のアイデアは異端だった
当時の通信の常識は、電話のような「回線交換方式」でした。一本の線を占有して通信するスタイルです。これに対し、情報を細切れにして送る「パケット交換方式」は、当時の通信最大手AT&Tの技術者たちから <「そんなものは動くはずがない」> と鼻で笑われるようなアイデアでした。
DARPAという軍の資金背景があったからこそ、民間の利益や常識に縛られず、この「異端の技術」を形にすることができたのです。
もし興味があれば、このARPANETがどのようにして現在の「TCP/IP」という共通言語を手に入れたのか、その後の標準化の歴史についても詳しくお話しできますよ。
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■ Gemini ➁: ARPANETとIBMのSNAの関係
Q.ARPANETの開発に、IBMのSNA関係者は加わっていた(協力していた)のですか?
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A.結論から申し上げますと、ARPANETの開発初期において、IBMやその <SNA(Systems Network Architecture)> の関係者が「協力者」として深く関わっていた形跡はほとんどありません。
むしろ、ARPANET(後のインターネット)とIBMのSNAは、当時のコンピュータ通信における <「対立する二大勢力」> に近い関係でした。
その背景にある興味深い技術的・歴史的な対立点について解説します。
1. 「オープン」vs「クローズド」の思想的対立
ARPANETの開発チーム(DARPAの支援を受けた大学の研究者たち)と、当時の巨大企業IBMでは、目指す方向が真逆でした。
● ARPANET側(TCP/IPのルーツ): 異なるメーカーのコンピュータ同士を繋ぐための「オープンな標準」を目指していました。
● BM側(SNA): 自社のメインフレーム(汎用機)とその端末を効率よく、確実に繋ぐための「自社専用(プロプライエタリ)の規約」として1974年にSNAを発表しました。
当時、IBMは「ネットワークとは、自社の巨大なホストコンピュータが頂点に立ち、末端の端末を制御するもの」と考えていました。これに対し、ARPANETは「対等なコンピュータ同士が自律的に通信する」という分散型の思想だったため、両者が手を取り合う土壌がなかったのです。
2. ARPANETは「打倒IBM」の側面があった?
ARPANETの初期メンバーには、IBMの独占的な市場支配(いわゆる「IBMと7人の小人」****時代)に対して批判的な研究者が多くいました。
(****)IBMにつづくコンピュータメーカー7社
実際、IBMはARPANETが採用した「パケット交換方式」についても、当初は <「そんな信頼性の低い方法は、ビジネスには使えない」> と冷ややかな態度をとっていました。IBMにとっては、自社の確立された通信技術こそが正解であり、大学の研究者たちが作る「得体の知れないネットワーク」に協力するメリットを感じていなかったようです。
3. IBMが「折れた」のは1980年代後半
IBMが重い腰を上げたのは、ARPANETから発展したTCP/IPが、大学や研究機関だけでなく、ビジネスの世界にも浸透し始めてからです。
1980年代、MacintoshなどのパソコンをIBMのホスト(メインフレームやAS/400)に接続しようとするニーズが高まりました。
● InterCon Systems のようなサードパーティ企業が、Mac上でSNAプロトコルを動かすソフトウェアを開発。
● DCA(Digital Communications Associates) が、Macで3270エミュレーションを行うための「IRMAカード」を発売。
このように、外部のベンダーが「IBMの壁」を壊してインターネットの世界と繋げる動きを加速させたことで、最終的にIBMもSNA一辺倒から、TCP/IPを正式にサポートする方針へと転換せざるを得なくなりました。
補足:歴史の皮肉
ARPANETの初期にIBMが参加していなかったことは、結果的に <「インターネットが特定企業の所有物にならなかった」> 最大の要因と言えるかもしれません。
もしIBMが最初から協力していたら、今のインターネットはもっと管理統制された、月額利用料の高い「IBMネット」のようなものになっていた可能性も十分にあります。
このあたりの、SNAからTCP/IPへの「覇権交代」の時期における、PC側(MacやDOS)の通信ソフトの進化についてもさらに詳しく深掘りできますが、いかがでしょうか?
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