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2019年9月27日金曜日

飛行機雲

線状の雲を吐きながら高空を飛んでいる飛行機に気付いたとき、ついしばらく見続けるものだ。それを見上げる子どもは、大いにはしゃぐかもしれない。大人ならどうだろうか。

今朝方、ウィークデイの早朝番組「シャキット!」(tvk、テレ玉、チバテレの3局ネット)で、気象予報士(竹下愛実さん)が「飛行機雲」について絵入りで説明された。

a. 空気中に湿気が多いとき、飛行機雲の形がはっきり見える
b. 飛行機のエンジン数にしたがって、飛行機雲の本数が決まる
c. 太陽の位置と近くにある場合、飛行機雲に虹色に輝く「彩雲」が見える

(本ブログ関連:”飛行機雲 ー ①、②、③”)

飛行機雲は、ひとを引き付け空へ誘うポエチックなようであるが、気象との関係からいえば、雲がくっきり見えるほど後々の空模様はかんばしくないという。

ところで、上記にあげられた「彩雲」には旧海軍の偵察機の名にもあって、機体の美しさから「タロン(T-38)」、「フランカー(Su-27)」と合わせて興味深い航空機だ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

飛行機雲の言葉から、荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)とそれを主題歌として採り入れた宮崎駿の長編アニメ「風たちぬ」(2013年)を忘れることはできない。


(Youtubeに登録のc22mmt7yyに感謝)

2017年2月7日火曜日

(雑談)飛行機

中学生の頃、飛行機に興味を持ち始め、地元の小さな本屋へ行って、うろ覚えの航空雑誌をたずねた。「飛行ファン」といったところ、主人は怪訝な顔をして、「航空ファン」を紹介してくれた。中学の職業技術の時間に、教師が大戦中の日本の飛行機を黒板に書いてくれた。当時の少年雑誌には、今と違って、そんな航空機を題材にした熱血漫画が連載されたものだ。

(本ブログ関連:”飛行機”、”飛行場”)

お気に入りの飛行機は、海軍偵察機の「彩雲」だった。切れ長の胴体が美しく、特に逆光のシルエット写真にうっとりしたものだ。3人搭乗の長い風防もすがすがしい。

その頃、遠縁の大学生が「航空情報」を片手に持って、わが家へ遊びに来ていた。航空学科にいるから、そんな雑誌を読むのだと思った。「航空情報」は、マニア向け「航空ファン」より少し技術寄りだった。

社会人になり、会社の仲間の関係で、調布飛行場にある航空会社所有の「パイパーチェロキー」に、子どもと一緒に乗せてもらったことがある。都内上空を駆け足で飛んだが、旋回時に機体を斜めにしたのが怖かったのだろうか、子どもの関心を引き起こすことに成功しなかった。

ときどき、航空雑誌を購入したが、次に気に入ったのは米ノースロップ社の練習機「タロン」だ。ベースになったフリーダムファイター、タイガーもあるが、純白に塗装したNASAで使用の「タロン」は格別だ。まさに、空の女王だ。

子どもの手前、軍用機を避けて、主に旅客機に関心を向けた。レシプロエンジンの真髄というべき「DC3」は、鉄道マニアにおける蒸気機関車のようなもの。エンジン音・排気音に生命力を感じた。ハワイ上空の実況版カセットをウォークマンで聞きながら通勤した。

あるとき、千歳-女満別間のラストフライトの情報を聞きつけて、その一日前だが、「YS-11」に搭乗した。そのまま足を延ばして、知床硫黄山で硫黄を採集したりした。

子どもに気兼ねなくなってから、久し振りに美しい飛行機を探した。昔のソ連の飛行機は折り紙のようなデザインが多かったが、そんなとき、「Su-27」の機影にびっくりした。機首部分の曲線の何と優雅なこと。競争相手(設計局)の MiG機まで似てきているのだから。

ステルス機の極端なヒラメのようなデザイン以降、(新幹線700系の鼻先に似た)「ドルニエ228」ののんびりした小さな旅客機もいいものだと思うようになった。日帰りの飛行機旅に、ドルニエ228はいいと思うよ。

2013年9月6日金曜日

飛行機が好き

宮﨑駿(みやざき はやお、1941年1月5日~)監督のアニメ作品を映画館で見たのは唯一「紅の豚」(1992年)だけだが、他の作品についてもテレビ放送されたものをいくつか見た。それらの中に、天翔る飛行機の雄姿を夢見た少年時代を経験したものに感応できるものがあった。

ところで、中学時代のこと、技術・家庭科の男子向け授業の終わりに、教師が黒板にチョークで、しっかりしたぶれのない線で飛行機の三面図を描いてくれた。生徒たちに、設計投影図に少しでも関心を持たせたかったのだろう。地味な感じだが誠実な教師の記憶が今も残っている。

当時、少年漫画雑誌に太平洋戦争を背景にした少年パイロットの物語が連載されていた。宮崎監督が今回題材にされた「零戦」だけでなく、「紫電改」などいろいろな機種が登場した。
普段からそんな漫画に接していた少年たちにとって、教師が黒板に飛行機の絵を描いたからといって、決して突飛なことではなかった。

今日、宮﨑駿監督の引退の記者会見があった。時代に対するいさぎよさを感じる。
監督は、飛行機つまりメカが大好きなようで、今回話題の作品「風立ちぬ」は、その集大成なのだろう。同作品未見のため、詳しく存じないが、飛行機の設計者のはなしのようだ。近々必ず映画館で見たいと思っている。

因みに、わたしの好きな飛行機は、いろいろな用途、輸送機や旅客機に使われた双発の星型レシプロエンジン(P&H製)の、あのスタート音がたまならないダグラスDC3だ。後年、ハワイ飛行中のコックピット内でのやりとりが録音されたカセットテープ(「DC3 Nostalgic Flight in Hawaii」1981年、KSZ5288)を入手して、ヘッドホンで大音響にして何度も聞いたことを思い出す。

(参考)「【航空100年】DC-3特集 DC-3コックピットの録音」に感謝。録音のいきさつ・・・そうだったのですか。

2018年10月17日水曜日

エディット・ピアフの「私は決して後悔しない」

特に中高年の男の悩みに、自分の時間の処し方という問題がある。その回答に、子ども時代の趣味に戻ってはというものがある。私の場合、鉱物趣味は従兄にもらった鉱物標本の記憶からだし、飛行機趣味は航空雑誌を愛読した経験からだ。

(本ブログ関連:”鉱物”、”飛行機”)

飛行機について、最近、写真と情報が豊富な旅客機雑誌「AIRLINE」が手放せないのだが、重量感があって読むのに手が疲れるようになった。今は、子ども時代の夢だったパイロットになりたいわけではない(可能な歳でもない)、むしろエアラインに関わるさまざまな人々の姿が見えてくる楽しさに気付いてきたわけ。

さて、飛行機の音楽といえばワグナーの「ワルキューレの騎行」を思い出すが、インテリ層に偏見もあり・・・最近はそうでもないかなと思ってYoutubeで検索したら、未だ怪しい。旅客機の場合、深夜のFM放送「ジェットストリーム」で聞いた、城達也の語りとオープニング曲「ミスター・ロンリー」だろう。まるで夜の成層圏を飛行しているような透明感があった。

そんなわけで、以前、飛行機模型にも関心を向けてYoutubeを巡っていたら、(まるで模型機に人が乗っているような)超小型ジェットエンジンをつけた単座短翼機があり、先日(3/27)のブログに記した。その映像に流れた曲が、エディット・ピアフ(Edith Piaf )の「水に流して」(原題:”Non, je ne regrette rien”、私は決して後悔しない)だった。

エディット・ピアフは恋人を飛行機事故で亡くしたそうで、そんな因縁とは関係ないだろうが、この曲には、実に飛行機の飛翔感、躍動感を想わせる。フランス語の歌詞の意味が分からないので、ネットの解説をみれば、出会いと後悔、そしてなにより再出発を願い歌っているようだ。

(エディット・ピアフが歌う「私は決して後悔しない」)
(Youtubeに登録の”Edith Piaf”に感謝)

2012年6月14日木曜日

飛行機好き

小学校の校庭の空をいつも、双胴の輸送機が飛んでいた。見上げると、ブンブンと響かせながら白い空に停止しているように見えた。どうやら遠い川の向こうにある、米軍基地から飛んでいたようだ。

中学生になると、ひとなみに飛行機が好きになり、マニア向けの雑誌があると知って、近所の小さな本屋に探しに行った。
「ひこうファンってありますか?」と歳とった主人にたずねた。
「えっ、ひこう?」、いぶかしそうに、主人はまさか「非行」でもあるまいといった顔をしながら聞き返した。
店頭に置かれた雑誌「航空ファン」を見つけて、しばらく愛読者になった。

飛行機雲がぐんぐんと青い空を突き進んでいくのを見るのも好きだった。雲の筋は恐怖の存在ではなくて、上空を突き抜けて宇宙へ向かって行くような未来を感じた。夕陽をうけて、雲の先がきらりと反射する光景を見るとなおさら心が浮き立ったものだ。

飛行機ファンの記憶から、「ワルキューレの騎行」の旋律を背に飛翔する軍用機の姿が消えない。中学生のころプラモデル作りにはまって、しっかり彩色した後、それを手に持って口ずさんだのものだ。手首をひねらせては、あらゆる角度で飛行する様子を想像した。

子を持つ身になったとき、決して軍用機の話はしなかったけれど、飛行機好きになるように、イベントでパイパーチェロキーに一緒に乗ったりした。しかし、それ以来、息子は飛行機が嫌いになってしまったようだ。

ああ、今も好みの飛行機が浮かんでくる。でも、軍用機なので、3機の名は記さないでおこう。

(Youtubeに登録のyoisachiに感謝)

2018年12月2日日曜日

百里基地航空祭(ツアー2日目)

潜伏していた「飛行機好き」の病が歳とともに再発したらしい。最近は、転地療養しかないようだ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

この時期になると、ツアー会社は、各地の航空祭ツアーを組んで案内してくる。去年は岐阜県下で行なわれた「岐阜基地航空祭」に出かけた。今年は、(ツアー2日目に当る今日)、茨城県下で開催の「百里基地航空祭」を見学した。

(本ブログ関連:”岐阜基地航空祭”)

飛行場は、飛行機が飛ぶから滑走路があり、滑走路が長いから敷地も広い。それで、航空祭の実演を見上げる場所は広い。広いので吹きさらしになり、この時期とても寒い。逃げ場がないのだ。

目の前上空を飛翔するファントム機(F-4)*が、こちらに尾部を向けた旋回の瞬間、圧倒的な排気音を受けて腹が揺さぶられる。これを繰り返されるのだから、飛行機好きにはたまらない。そして、場内のアナウンスで、操縦者の氏名と出身地が語られる。あらためて、(生身の)人が搭乗するのを知ることになる。

(*)ファントム機: ハシェット社の「エアファイター・コレクション」第1巻で紹介(これだけ購入)

航空祭には、あらゆる人びとが集う。日頃接することのない老若男女、さまざまな職種というか生き方といったらいいのかもしれない、実に多様だ。中には、飛行機好きなのかカメラ好きなのか(すごく高級な望遠カメラを持った)若い女性までいる。

前回の岐阜基地航空祭は、飛行場までたどり着くのにくたびれたが、今回はそれに比べると少しは楽だった。入り口から会場まで割合近かったからだ。とはいえ、会場に着けば、飛行場はやっぱりどでかいことを思い知る・・・結局、後半は歩き疲れて、格納庫に並んだ椅子に座って空を見上げていた。気付けば、回りは中高年ばかり。屋外用の強力な暖房機が設置されていて、そこから抜けられず、集合時間まで居座った。

2011年2月4日金曜日

孫と紙飛行機

月刊誌「子供の科学」の巻末にある「切り抜き紙飛行機」ページから、昨日切り抜いて作った紙飛行機を持って孫に会いに行ってきた。
孫は、紙飛行機をしばらく飛ばしたり、投げたりして遊んでいたが・・・。父親が気遣ってしばらく触ってくれたけれど。翼の角度調整が不十分なため、うまく滑空してくれない。孫は正直である。
出直しが必要だ。今度は思いっきり空に向かって投げると春風に浮かぶよう、きっちりとした紙飛行機を用意しなくては。孫よ、次回を期待して欲しい。

母親に甘える孫を見るのは良いものだ。あと2ヶ月もすれば妹が生まれるのだよ。それまで思いっきり甘えたらよい。

(本ブログ関連:”子供の科学”)

2010年11月14日日曜日

孫と飛行機

久しぶりに、孫との時間を持つことができた。昨夕、孫は風邪で両親を地元の医院や大学病院まで走らせたが、今日は回復しつつあるというので無理をして出かけたのだが。
昼食を家族と一緒過ごした頃までは、孫も元気で飛行機の絵本に夢中になっていたが、次第に声がかすれ、咳き込んできた。母親から離れなくなったのだ。いつもなら、孫を抱いてさらっていきたいほど可愛いという冗談が、今回はいえなくなってしまった。無理させたのではと悔やんでいる。

先日、羽田飛行場で旅客機の姿に興奮した孫は、その後も多摩川上空にジェット機の編隊飛行を見上げてますます飛行機が気に入ったようだ。そんな孫と一緒に旅客機に乗ってみたいが、いざ命をあずけるのは心配だ。
昔、飛行機好きの紹介で調布飛行場からパイパー双発機に幼稚園の息子と一緒に乗って、東京上空を巡ったことがある。旋回時の急傾斜に、息子は景色どころではなかったらしく、その後飛行機への興味を示さなかった。

孫には、羽田にあるANAの機体工場見学から始めるのがよいかな。それには、も少し大きくなってくれるのを待つことにしよう。(年齢制限に小学生以上とあるので、これ以外の方法も考えなくては)

2018年3月27日火曜日

(雑談)ミニ飛行機 「私は決して後悔しない」

飛行機好き。近くに? ローカル飛行場があり、毎日、上空を小型機や近距離旅客機が旋回しているのが見える。雑誌で楽しめるのは、大型旅客機の情報(月刊「AIRLINE」)だが、もっと楽しみたいとYoutubeを探す。

(本ブログ関連:”飛行機”)

ジェットエンジンにマイクロエンジンがあって、模型飛行機に使われている。それをもう少し大きくしたら、(人が搭乗して)飛べるんじゃないのということで作ってしまった飛行機がある。次のYoutube映像がそれだ。これくらいの大きさだと、RC(ラジコン)模型機で作ってしまうほどのもの・・・、それに人間を乗せているといった感じだ。果たして、商用化しているのだろうか気になる。というより、買う人がいるのかな。

画面に流れる音楽がいい。シャンソンの「水に流して」(Non, je ne regrette rien) だが、原意は「私は決して後悔しない」だそうだ。そう、飛んでしまったら、後戻りできないのだから。

(Colomban Cri-cri: MC-15 Cri-Cri Jet、PBS Velka Bites TJ20A ターボジェットエンジン)

(Youtubeに登録のPov khmer movieに感謝)

2018年10月10日水曜日

レベル社のプラモデル

プラモデル作りの記憶はずっと昔のこと。タミヤがこんなに隆盛となる以前、社宅の腕白仲間から、親がアメリカ出張帰りに買ってきたというヘリコプターのプラモデルを見せてもらった。細部の細かさに驚いた、とういかアメリカの凄さを経験したといったほうがいいかもしれない。何しろNHKテレビ番組で「ハイウェイ・パトロール」が放送されていた時代だ。

その頃から飛行機模型に関心があったが、当時といえば、粗く切りだした木製の素材ぐらいしかなく、購入したもののヤスリなどで削りだすには相当根気がいった。結果は無残なもので、飛行機の断面図に合わせて器用に調整するなんてことは子どもに無理だった。

テレビで、三遊亭小金馬がマルサンのプラモデルを紹介した。子どもの小遣いで買えるものといったらマッチ箱シリーズの、今でいえば駄菓子の付録のようなものだが、子どもの目には精巧で手にする喜びを大いに感じたものだ。

(本ブログ関連:”プラモデル”)

小遣いをためては、胸をドキドキさせながら模型屋に向かった。そこは、子どもたちが飛行機や模型の知識をためるところであり、試すところでもあった。右手で飛行機雑誌を読み、左手で模型作りに励むといった具合だ。

そんなとき、アメリカ製のプラモデル(模型部品)が入った箱を見て驚いた。飛行機の姿が何と美しく描かれているのだろう。機体の光沢が何と流麗なことだろう。箱に耳を当てればエンジン音が聞こえてくるようだった。レベル(Revell)社の箱絵の作者が誰だったのか、関心が及ばなかったが、何度も箱絵を見ては買い求めた。捨ててしまった箱の、絵の部分だけでも切り取っておけばと今も悔やむ。

当時、480円だったかと思う。今の価値にすれば、5~6倍になるかもしれない。考えてみれば、(子どもには)相当な値段だったわけだが、欲しい一心で小遣いをためた。

2017年1月29日日曜日

調布飛行場

寒さが少し緩んだと思ったのに、今日の陽射しはどんよりして、風のせいもあってか思いの他寒々しい。都内の最高気温は、12℃だった。私の寒暖の境界である10℃を超えているので、穏やかなはずだが・・・。

さえない天気のせいか、街は日曜日らしい活気もない。気を取り直すべく(空を見ようと?)「調布飛行場」へ遠出した。飛行場の隅で、ドルニエ228がエンジン整備のためか思いっきりターボプロップエンジンを吹かせていた。飛び立つことはなかったが、飛行場端の土手の上からたくさんの家族連れが眺めていた。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

さて、飛行機の傍にもっと寄ってみたい。飛行場南側にある「プロペラカフェ」で、隣接の格納庫にある飛行機とヘリコプターを見ながらお茶をする。客でたいそう混んでいたが、ガラス窓越しに眺めることのできる席に幸い座ることができた。

格納庫には単発機2機とヘリコプター1機が駐機していた。
・単発:JA72XL   /   Liberty_XL2 (US、クルー1人、乗客1人)
・単発:JA4187   /   Socata TB-9 Tampico (FR、クルー1人、乗客3人)
・ヘリ:JA9664   /   Agusta A109A Mk2 (IT、クルー1-2人、乗客6-7人)

帰り道、小一時間ほどの飛行機鑑賞のおかげ、心がすっかり落ち着いているのに気付いた。私にとって飛行機は、どうやら精神安定剤のようで、中学時代に戻らせてくれる。

2010年10月11日月曜日

ピノキオ

人の形をしていても、木彫りのピノキオは少し落ち込んでいる。どこかちぐはぐなのだ。ダニエル・ビダルの歌「ピノキオ」は、童話のピノキオのことではなくて、少女の心なのかもしれないが。
あこがれる秋が教えてくれたことは、それはこわれやすい小さなもの、こころを大切にするということだ。ダニエル・ビダルの愛らしい声が、秋の陽をうけて落ち葉の上で踊っているようだ。そうそう、過去なんてこれっぽっちもない、どこまでもあどけなくて天真爛漫に聞こえる。
(Youtubeに登録のtengokuemakiに感謝)

連休終わりの今日、孫はどうしているのだろうか。孫は、泣くことと笑うことはあっても、怒ることを知らない。今は、まだ愛情の中で生きている。そんなことを思い浮かべていたとき、「海ほたる」の上で東京湾をバックに、両親に抱かれている写真のメールが届いた。
これから、羽田空港の新空港に行って、孫が好きな飛行機を見せると書き添えられていた。

(追記)
羽田空港で、孫が、飛行場の飛行機を眺めている写真のメールが届いた。
「たくさんの飛行機に大きな声をあげて喜んでいました。・・・帰ろうとすると号泣。」とのこと。どうやら、帰宅後も興奮冷めやらぬようだ。
今日は、巨大な船や飛行機を見たわけで、動くものが好きな男の子には最高の一日だっただろう。

2015年11月11日水曜日

MRJ初飛行

中学時代、飛行機ファンだった。当時の漫画週刊誌に、普通に戦時中の戦闘機を題材にした物語が連載されていたし、テレビでも記録番組が放送していた。いまとは大分違う時代感覚だった。

(本ブログ関連:”飛行機”)

飛行機について、その後、熱烈さは衰えたが、それなりに関心を持っている。千歳-女満別線のYS-11ラストフライトと聞いて、最終前日だったが乗った・・・知床硫黄山に硫黄を採りに行くことと合わせての旅だったが。その他は、平凡だが地元の飛行場に休日散歩しに行くことくらいである。

YS-11につぐ、戦後2番目の旅客機の<MRJ>(三菱重工)が、本日、約1時間半の初テスト飛行をした(愛知県営名古屋空港)。離陸の様子がテレビで実況中継されるのを見守った。「離陸後、太平洋側の空域を利用し、上昇、下降、旋回などの基本特性の確認」をしたとのこと。

すっと抜き出るような機首のラインがとりわけ美しい。輸送機転用を意図しないような、旅客機の優美さがある。2、3年後にANA機として就航するわけで、機会があったらぜひ乗ってみたい。

(Youtubeに登録のMitsubishiAircraftに感謝)

2024年3月12日火曜日

(資料) スズメとエディット・ピアフ❶

空を飛ぶものなら何でも好き、鳥から飛行機まで・・・。

(本ブログ関連:”野鳥観察”、”飛行機”、”飛行”、”ジェット”、”プロペラ”)

(本ブログ関連:”スズメとエディット・ピアフ”)

模型飛行機と間違えそうな有人超小型機に、フランス人コロンバンが設計した「コロンバン・クリ-クリ(MC-15 CRI-CRI Jet)」がある。Youtube*に登録の「Colomban CriCri Jet - Display Flight - Edith Piaf」で、この機体が滑走路をタキシングして飛び立つ姿を見ることができる。なお同機は開発当初、プロペラエンジンからスタートしている。
(*) Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=1HF7zPgow1g
        機体(VH-ZSE): https://www.regosearch.com/aircraft/au/ZSE#google_vignette

クリ-クリ機が離陸するとき、「エディット・ピアフ」のシャンソン「私は決して後悔しない(原題: Non, je ne regrette rien)」の旋律が流れる。超小型機ながら、ぐんぐん飛翔をつづける頑張りを、まるで賞賛するといった風に聴こえてくる。なかなか軽快で溌溂した雰囲気がある。
もしかしたら、機体の華奢さ加減に合わせての選曲かも知れない。あるいはピアフの歌った歌詞の最後にある、新しい出立の喜びを示しての選曲かも知れない。

(本ブログ関連:”私は決して後悔しない”)

余談だが、機体の愛称「クリ-クリ(クリクリとも表記)」について、e-Wikipediaは「航空技師ミシェル・コロンバンが1970年代初頭に設計した世界最小の双発有人航空機で・・・クリ-クリという名は、① コロンバンの娘の一人であるクリスティーヌの愛称に由来している。② 「クリ-クリ」または「クリクリ」は、コオロギやセミの鳴き声を表すフランス語、あるいは昆虫そのものの呼び名です」と紹介している。

空を鳥も飛ぶ。鳥は生き物で、生存のため気配を隠し、静かに飛び静かに着地する。他方、航空基地で開催されるエアーショーに行った方ならご存知だろう、ジェット機が観覧客に寄って低空を飛ぶときの音圧を。それと比べたら、鳥がいかにうまく飛び、うまく生き延びてきたことか。


生物分類
生物を分類する「分類学」は、次のような階層(階級)を設けて体系化している。
    界 > 門 > 綱 > 目 > 科 > 属 > 種
(参考)野鳥専門月刊誌「BIRDER」2021年10月号の「特集 鳥の分類学入門」

「鳥類」の中で、「小鳥」と呼ばれる分類上の位置づけを見ると、大方「スズメ目」に属しているのに気付く。
幼いころ、九州で身の周りに群れていた野鳥は「スズメ」だった。親の転勤で東京(杉並の社宅)に来て驚いたのは、庭木の間を駆け巡る「オナガ」の一見美しさと、その実(カラスの仲間ゆえ)鳴き声の興ざめだったこと。
子ども時代に、スズメの大きさ、飛翔と鳴き声によって<小鳥>の印象が固まった気がする。

スズメ
鳥類図鑑で、小鳥と呼ばれるものについて分類体系に着目すると、「スズメ目」*に属するものが多いように見える(感じる)。「スズメ」そのものについては、分類上次の階層になる。
    動物界 > 脊索動物門  > 鳥綱  > スズメ目 > スズメ科 > スズメ属 > スズメ種 

(*)スズメ目の特徴(Wikipedia)
    - 囀(さえず)るための器官である鳴管が発達している。
    - 陸地に生息する。海鳥はまったくおらず、淡水性の水鳥も数属がいるのみである。
    - ほとんどが小鳥で、カラス科・コトドリ科などは例外的に中型である。
    - ただし身近に感じる ハト、カワセミ、キツツキなどは、別の <目> に属する。

AIツールの ChatGPT およびGoogle Bard で、<小鳥>と<スズメ目>の関係についてたずねた。

Q.一般に「小鳥」といわれるものは、鳥類の分類学上、「スズメ目」にあたるものが多いでしょうか?

■ ChatGPT
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A.一般的に、「小鳥」という言葉は特定の科や目を指すものではなく、鳥類全般を指すことがあります。しかし、一般的な感覚では、身近な庭や公園などで見られる比較的小型で可愛らしい鳥を指す場合が多いです。この範囲では、スズメ目に分類される鳥が多く含まれることがあります。

スズメ目(Passeriformes)は、広く分布し、多様な種が含まれる大きな鳥の目です。スズメ目には、スズメ、ウグイス、ヒワ、ムクドリ、ツバメ などが含まれます。これらの鳥は都市部や農地、林など様々な環境に適応し、人間との親近感があります。

ただし、厳密な分類においても「小鳥」という言葉に一意な定義があるわけではなく、地域や言語によっても異なる可能性があります。したがって、具体的な文脈によってどの種が含まれるかが変わることに留意すると良いでしょう。
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■ Google Bard
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A.はい、一般に「小鳥」といわれるものは、鳥類の分類学上、「スズメ目」にあたるものが多いです。

スズメ目は鳥類の分類の1目で、世界中に広く分布しています。スズメ目には小鳥などの多数の鳥が含まれており、数としては55〜70科に分類されています。つまり、鳥網科の3分の1以上が、スズメ目に属します。

スズメ目には、スズメやカラス、アトリ、シメ、イカル、ウソ、カワラヒワ、マヒワ、ヒバリ、ホオジロ、ミソサザイ、ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、ヨシキリ、セッカ、カワガラス、ヤイロチョウなどが含まれます。

スズメはスズメ目スズメ科スズメ属に分類される鳥類で、全長14~15cmで、頭部が赤茶色、背中は茶色で、お腹は白い色をしています。鳴き声は「チュンチュン」というとてもポピュラーなもので、広く認知されている鳴き声です。
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■ 「野鳥の名前 名前の由来と語源」(安部直哉著、ヤマケイ文庫)の「スズメ」項よち抜粋
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スズメの語源
① スズメのスズは「チ、チ」、「チュン、チュン」など鳴き声の擬声語
② 古語「ささ」は「細かいもの、小さいもの」を賞美する接頭語。「ささ」がスズになった。
③ スズメの「メ」は「群れ」のこと。鳥を表す接尾語。
④(スズメの漢字名は、小さい鳥に使われている)たとえば小雀(コガラ)、雲雀(ヒバリ)
⑤(スズメの英語名sparrowも)「スズメ」同様に多くの種に使われている。
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■ 映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」(Wikipedia)
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(海賊)ジャック(・スパロウ Jack Sparrow)は、右の肘と手首の間の前腕に、はっきりと海に沈む太陽の前方を飛ぶスズメ*のタトゥーを彫っている。
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(*)スズメ: 実際の入墨の意匠は、帰還の意を込めた「ツバメ」が彫られている。

2011年2月3日木曜日

子供の科学

先日届いた、孫が公園で母親と一緒に、多分紙製と思われる飛行機を投げて遊んでいる動画を見て、とてもうれしくなった。羽田の新空港で旅客機を見て以来、飛行機が好きになったようだ。そうそう、孫と一緒に買ったのも、ANAのデザインに外装されたジャンボ機のおもちゃだ。

石を含めて地球関連の特集記事があれば、子供向け月刊誌「子供の科学」(誠文堂新光社)を購入してきた。実は、その巻末に「切り抜き紙飛行機」のページがある。ついに、それを切り抜く時がきたのだ。明日、2機ほど持って孫に会いにいこう。

ちなみに「子供の科学」は、書店で手にすることができる、子供たちに科学への関心を向けさせる、理科少年・少女を育てる唯一といってよい良心的な月刊誌だ。

(本ブロ グ関連:”孫と買い物”)


(孫はわたしが思う以上に速く、たくましく成長している)
★★★★★ 孫が、公園の滑り台を、ひとりでネットを掴みながら登っていく動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、押してもらうことなく、自分の力で滑り台を滑りおりてくる動画が届いた ★★★★★

2019年3月26日火曜日

「メーヴェ」に乗ってみたい・・・気がする

宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」に登場する飛行機(装置)「メーヴェ」を、実機化した方がいる。Youtubeで、八谷和彦氏とその仲間たちの「オープンスカイプロジェクト」によるテスト飛行を見ることができる。。

航空局から、「超軽量動力機やジャイロプレーンの要件を満たさない自作航空機」に該当する登録機体記号として最新「M-02J」機に「JX0122」が付与されている。本気なのだ。素晴らしい!

(本ブログ関連:”飛行機”)

アニメ「風の谷のナウシカ」のメーヴェ機では、取っ手をつかんで中腰の主人公ナウシカが、体重移動や足先のペダルなどでバランスを取りながら操縦しているが、上記プロジェクト*のM-02J機では、八谷氏が腹這になり、体重移動と補助翼などで操縦しているという。

(*)https://www.ac-olympos.com/projects/m-02.html

M-02Jは、アートとして扱われているようだが、飛行機ファンにとっては青空を「飛翔する」夢にもっともっと近づけたい気がする。白い機体が旋回するさまはまことに美しい。同時に、ナウシカの(ちょっと憂いを含んだような)顔が眩しく浮かんでくる。

(次の映像は、Open Sky Projectに埋め込みされていたものです)

(Youtubeに登録のkazuhiko hachiyaに感謝)

2025年12月17日水曜日

(資料)ライト兄弟の初飛行

相変わらず、大きな金属製の船が浮かび、飛行機が空を飛ぶのか信じられない。科学者や技術者たちは、不可能と思われるものを可能にするブレイクスルーを導き出し積み重ねてきた。

122年前のきょう(1903年12月17日午前10時35分)*、アメリカのライト兄弟は、ノースカロライナ州キティホーク近郊にあるキルデビルヒルズにて、「ライトフライヤー号」によって有人動力飛行に成功した。小型12馬力エンジン✖1 + レール**・小型トロッコ(離陸時)+ 橇(着陸時)を利用、パイロット1名が腹ばいの姿勢で操縦。(Wikipedia、Gemini 他)
(*)時代はまさに「日露戦争(1904年~05年(明治37年~38年)」直前のころ。
(**)初飛行で使用しなかったが、 初速確保のため重力利用のカタパルトも準備された。

■ 生成AI Gemini ← カタパルト方式について
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・ライト兄弟が初めて動力飛行に成功した1903年12月17日の飛行(キティホークでの初飛行)では、カタパルトは使用されず、強い向かい風の力を借りて離陸しました。
・この重り式のカタパルトが実際に使用され始めたのは、翌年の1904年からです。これは、風に頼らず、より安定して離陸するための改良でした。
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ちなみに、現在、大いに気に入っている有人超小型飛行機「MC-15 CRI-CRI (コオロギ)」は、15馬力エンジンを2基搭載している。ライトフライヤー号は、それよりもずっと小さな馬力***で、歴史の幕を開けたことになる。
(***)下記の通り、「12馬力は、現代のゴーカートや小型の農耕用機械の出力に近い」。

(本ブログ関連:”飛行機  コオロギ”)

■ 生成AI Gemini ← 12馬力のエンジンとは
Q.ライト兄弟の『ライトフライヤー号』は12馬力だったそうですが、ボート、オートバイ、自動車でいうとどの程度の性能ですか?
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A.ライト兄弟の『ライトフライヤー号』に搭載されたエンジンは、1903年当時の技術で自作された水冷直列4気筒で、公式には12馬力(HP)の出力を持ち、最高速度は約48 km/hでした。
これは現代のボート、オートバイ、自動車と比較すると、非常に低出力であると言えます。

12馬力の性能比較(現代の目安)

乗り物の種類12馬力相当のイメージ特 徴
オートバイ原動機付自転車(原付)や小型スクーター現代の125ccクラスの小型バイクは一般的に10馬力前後ですが、ライトフライヤー号のエンジンは排気量が約3.3リットル(4,000ccとの情報もありますが、3.3リットルが有力)と非常に大きく、<トルク(回転力)> を重視した設計であったと考えられます。
ボート小型の漁船やレジャーボート用の船外機現代の小型ボート用船外機(アウトボードモーター)では、10~15馬力クラスは、比較的軽量なボートを滑走させるために使われます。
自動車現代の一般的な乗用車と比較すると圧倒的に非力軽自動車でも約50〜64馬力、一般的なコンパクトカーなら100馬力以上が普通です。12馬力は、現代のカート(ゴーカート)や小型の農耕用機械に近い出力です。
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機体の構造・動作、操縦方法について

■ Youtube(登録:Sabin 機械工学)
「ライト兄弟による革命的エンジニアリング」← 画面の初飛行時期は音声で修正している。
    ー https://www.youtube.com/watch?v=U3I_peLpFhc

■ 生成AI 検索Labs
検索「パイロットの操縦姿勢」・・・ パイロットは腹ばいの姿勢
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・操縦方法:  ウィング・ウォーピング(翼のねじり)という方法で方向転換するため、パイロットは機体中央の寝台に「腹ばい」になって横たわります。
・操作:  操縦桿を操作するのではなく、腰を左右に傾けて胴体をひねり、翼のねじれを変化させることでロール(横転)を制御しました。 
この画期的な「腹ばい姿勢」での操縦と、体重移動による制御(3軸制御の原型)が、ライト兄弟の成功の鍵でした。
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■ 追記: 初の有人動力飛行について
ドイツ生まれのアメリカの航空技師グスターヴ・ホワイトヘッドという説もあるが・・・。
(Wikipedia、Gemini、ナショナル ジオグラフィック)
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W: (初飛行)記録が不十分という批判もあるが、ライト兄弟より前の1901年8月14日に、コネティカット州フェアフィールドで世界初の有人動力飛行に成功したとされる。
G: 現在のアメリカでは、<「公的な教科書や国立博物館レベルではライト兄弟」だが、「コネチカット州においては法律でホワイトヘッドが一番」> という、ねじれた二重構造が続いています。
ナ: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7930/
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2016年5月2日月曜日

ドルニエ228

先日(4/30)、近くの公園へ散策に出かけて、さらに南にある調布飛行場まで足を延ばした。天気がよく、暖かい陽射しに誘われてのこと。空港ターミナルの新中央航空のカウンター横に置いてある、伊豆諸島への航路案内のパンフをもらう。「島がぐっと近い」、青い海原を真っ白な飛行機が、海鳥のように飛んでいる。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

飛行機好きの余韻がまだ残っている。新中央航空の双発ターボプロップ旅客機「ドルニエ228」を見に来た。ここには何度か訪れている。都営コミューター空港なればこそ、間近に機体を眺めることができる。滑走路手前にある駐機場に、ドルニエ228が4機が待機していた。こんなこともあるんだと見入った。

5枚プロペラが格好いい。よく見るとエンジンが思いのほか小さいのに気付く。普段、地元上空をエンジン音を唸らせて旋回するのを見慣れているだけに、ちょっとした驚きだ、意外だった。ああ、見れば見るほど乗りたくなる。

空港の端にある「プロペラカフェ」で昼食をっとった。「プロペラバーガー」を食べながら(主役のバーガーより、フライドポテトのヘビーなこと!)、新中央航空のパンフを読む。伊豆諸島に用事はないけれど、ただただ飛行機に乗ってみたいと空想する。それにしても、いつまでたってもフライドポテトが減らない。

次のYoutube映像は、調布飛行場から大島空港までのノーカット版。臨場感たっぷりだ。(30分、もっと乗りたい、感謝)
北へ向けて離陸、すぐに左へ大きく旋回して機種を南に向ける。飛行高度が低いので景観を楽しめる。江ノ島上空を経て南下すれば、あっというまに、大島空港へ着陸。


(Youtubeに登録の日本を今一度せんたくいたし申候。選挙を義務化せよ!に感謝) ← 長い名前の登録者

2018年12月19日水曜日

日本における動力機初飛行の日

今日は、日本で原動機付き飛行機による初飛行の日とされている。以下、Wikipediaの記述をもとに記す。この記念日について残念なことだが、ネット(Google)ニュースで話題にすらなっていない。先日(12/14)の「南極の日」でブログに語ったことと同様、明治のことといえ達成者が軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

(本ブログ関連:”飛行機”、”南極の日”)

今から108年前の今日、明治43年(1910年)12月19日に、代々木錬兵場(現「代々木公園」)にて、徳川好敏大尉がフランス製「ファルマンⅢ 複葉機(Farman III)」に、日野熊蔵大尉がドイツ製「グラーデ単葉機( Grade II Libelle)」に順に搭乗して、日本初の動力飛行(エンジン付航空機による飛行)に成功した。

(次の写真はWikipediaに掲載されている)
ファルマンⅢ 複葉機
グラーデ単葉機












実は、公式初飛行の数日前(同年12月14日)に、同じ飛行場で日野大尉が滑走試験中、一瞬浮上したが公式に認められず、19日をもって「公式初飛行」とされた。そのときの飛行順に従って、徳川大尉の名が初飛行操縦者として記憶にある。

(追記)
大戦後、米軍接収の後に返還された「ファルマンⅢ 複葉機」は、いくつかの変遷を重ねて、現在、入間基地内の「航空歴史資料館 修武台記念館」に展示されているという。その様子がYoutubeに「アンリ・ファルマン・・日本で最初に飛んだ飛行機」として登録されている(登録者tetsuaki muraokaに感謝)。

ところで、作曲家坂井貴祐による「アンリ・ファルマンの飛行」(演奏:古河市立三和北中学校吹奏楽部)がYoutubeにある。複葉ファルマン機が軽々と離陸、上昇して、上空で旋回を楽しんでいる飛翔感がある。全身に風を受けた操縦士が、地上を見下ろす爽快感、機体と一体化して独り浮揚できるなんて何と最高なことだろう。


(Youtubeに登録のSAKAI,Takamasaに感謝)

2018年3月13日火曜日

(雑談) Uコン

昔の小学校の校庭は呑気だったのか、あるいは学校と交渉があってのことか知らないが、飛行機マニアが「Uコン」機を飛ばしていた。航路の円周の中心に操縦者が位置して、プロペラ機の片翼とワイヤーでつなぎ飛行をコントロールする(有線の操縦)。燃料が切れるまで、遠心力を利用して飛ばし続けた。

(本ブログ関連:”飛行機”) ←  リンク先画面下右側の<次の投稿>をクリックすると更に続きます。

Uコンについてブログに記す際、Wikipediaを確認したところ、正式な操縦手段を「コントロール・ライン」と呼ぶようだ。子どもたちにとって、Uコンマニアが大人っぽく見えたけど、考えてみれば中高生ぐらいだったのかもしれない。昔は、無線のハムと同じくらい、Uコンもジャンルを確立していた気がする。

ところで、操縦者が中心にいて、円を描いて飛ぶ模型飛行は恐ろしく早い。ワイヤーの長さを半径にした円周だから、飛行規模はそれほど大きくない。その分、エンジンの爆音と速度を近くに感じて、おっかなびっくり離れて観察した。Uコン機と操縦者が一体化しているのが分かった。

飛行機が着陸すると、子どもたちは機体のそばに集まった。自分も操縦したい、Uコン機を作りたい、いろいろな思いをしながら、Uコンマニアに混じっていつまでも眺めていた。其処には、甘い揮発性の燃料の香りがした。香りに包まれると、自分もその仲間になったような錯覚すらした。それが楽しかった、嬉しかった。

最近の模型飛行の中心である無線操縦の「ラジコン(RC)」機体と違って、Uコン機は極めてシンプルな仕上がりだった。プラモデル機の延長にあるような精緻なフォルムでない、まさに質実剛健な構造で、板きれを頑丈に組み合わせたようなものだった。見た目に格好良くは無かった。Youtubeなど参照すると、今でも、一体感のある無骨なままのようだ。