鷺(サギ)*といえば、まず、真白の「白鷺(しらさぎ)」を思い浮かべる。「ダイサギ」であり「コサギ」を野鳥観察のフィールドで目にする。その白さは、緑の葦が茂る川岸にたたずむとき、一層際立つ。白い羽根に包まれて優雅に振舞えば、つい視線を固めるというもの。
(*)探鳥会で目にするのに、白鷺以外に「アオサギ」もいる。
(本ブログ関連:”サギ”)
人にとって白い衣装は、潔癖さを、決意を、そして人生の区切りを示すものである。そうであるからこそ、白鷺は人の目をひくのだろう。
今度は第九巻、「第九 折々のうた」(大岡信、岩波新書)の夏の項に、岡田野水(やすい)(江戸時代前期-中期、万治元年[1658年] ~寛保3年[1743年]、尾張名古屋の呉服豪商で町役人)と芭蕉との連句**を、聖と俗の関係を想起されるように、面白げに紹介している。
(**)芭蕉七部集「冬の日」に所収
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わがいほは鷺にやどかすあたりにて (野水)
髪はやすまをしのぶ身のほど (芭蕉)
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「折々のうた」で著者 大岡信は、野水の句「鷺に宿を貸すほどの草庵に隠れ住む隠者」に対して、芭蕉の句はその隠者を別者にして「恋愛沙汰か何かで一度は出家したものの、本心は一向にそんな所にはない・・・田舎住まいに身を潜めている」と詠っていると解釈している。
さもありなん。鷺の白色が一挙に色褪せてしまうのを見るようだ。結局、頼りは俗世間か。
■ 山梨県立大学 芭蕉DB
芭蕉七部集「冬の日 脚注(1/5)」
ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/huyunohi00.htm
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野水の句について
私の家は鷺の巣もあるほどの田舎です。鷺は<さぎ>とよむ。白鷺かゴイサギかは分からない。
芭蕉の句について
ある事情で髪を切ったが、今はその髪の毛が元通りになるまでこの田舎に忍んでいます。なぜ忍んでいるかは不明だが、「しのぶ」には色恋の沙汰が無くては面白くない。主人公が不明、野水にそのような事情があったのかも不明。
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