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2025年12月20日土曜日

(資料: Gemini)北方画家ブリューゲル・フェルメールの日本での普及

中学生のころ、学校の図書館にあった美術全集(十数巻の大部で、古代から現代まで)を1冊ずつ借り出して、興味が湧かぬ授業のとき、こっそり膝の上に置いてながめていた。有名な絵画や彫刻の写真を通じて、美術史を僅かだが知ることができた。
当時、「泰西名画」*という言葉がまだ残っていた。美術全集には、カラーとモノクロのページが混在した美術全集が発行された最後の時代だったのかもしれない。
(*)泰西名画の言葉から、滲んで粗悪なカラー印刷のイメージしか浮かばないのも事実。

日本絵画も含めて、主に西洋美術を中心にした本だった。その中でも、北方ルネッサンス絵画(ファン・アイクなど)を出発に、ブリューゲル(1525年~1530年頃)やフェルメール(1632年~1675年)を知った。また、彫刻について、ドイツ中世の宗教彫刻に関心がいった。天邪鬼だったせいもあって、イタリアルネッサンスの芸術には感心を持つことがなかった・・・。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”、”ブリューゲル”、”フェルメール”)

高校生になって驚いたのは、リーズナブルのフルカラー美術全集が各出版社から競うように発行されたことだ。ますます絵画に近づいた気がした。

現在、ブリューゲルとフェルメールは大流行していて、Youtubeにもたくさんの解説動画ある。これほどポピュラーになったのは、フルカラーの美術全集が出版されたからに違いないと思い、生成AIの Gemini に確認してみた。


■ Gemini

Q.北方絵画の画家「ブリューゲル」や「フェルメール」が、日本で一般的に知られるようになったのはいつごろで、どんなきっかけだったのでしょうか? 例えば、カラー版美術全集の出版ブーム時代とか・・・。
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A.ブリューゲルやフェルメールが日本で一般的になった時期やきっかけについて、ご推察の通り「カラー版美術全集」の出版ブーム(1960年代後半〜70年代)は非常に大きな役割を果たしました。

それぞれの画家の普及プロセスを紐解くと、以下のようになります。

1. 普及の土壌:カラー版美術全集のブーム

1960年代、高度経済成長とともに日本の家庭に <「カラー版美術全集」> が普及しました。

  • きっかけ: 当時、平凡社や小学館、集英社などが競って豪華な全集を出版し、中流家庭のステータスシンボルとして応接間などに置かれました。

  • 影響: これにより、本場の美術館へ行けなくても、日本人は自宅で高精細な(当時の技術での)北方絵画のディテールに触れることができるようになりました。

2. ピーテル・ブリューゲル:1970年代に「知的な発見」

ブリューゲルが広く認知されたのは、1970年代に入ってからです。

  • 1972年の版画展: 日本初の本格的な紹介は、1972年に鎌倉近代美術館で開催された版画展と言われています。

  • 文学・思想界でのブーム: 1970年代、作家の森鴎外堀辰雄などの文脈から離れ、改めて「中世ヨーロッパの庶民の暮らし」を活写した画家として再発見されました。特に澁澤龍彦などの幻想文学や、歴史家たちが彼の絵を「社会資料」として紹介したことで、知的好奇心の強い層から一般へと人気が広がりました。

  • 現在の立ち位置: 「バベルの塔」などの象徴的なモチーフにより、現在は子供から大人まで知る人気画家となっています。

3. フェルメール:1960年代の初来日と2000年の爆発

フェルメールの認知度は、数回の大きな「波」を経て現在の国民的人気に至っています。

  • 第1波(1968年):初来日

    「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」で、フェルメールの作品が初めて日本にやってきました(『ギターを弾く女』など)。しかし、当時はまだ「レンブラントの影に隠れた名匠」という扱いでした。

  • 第2波(2000年):社会現象化

    大阪市立美術館で開催された <「フェルメールとその時代」展> が決定的なきっかけです。初めて「フェルメール」を冠した大規模な展覧会で、60万人以上を動員。ここから「寡作の天才」「光の魔術師」というイメージが定着し、爆発的なブームが始まりました。

  • なぜ日本で人気?: 静謐な室内画や、控えめな光の表現が、日本人の感性(侘び寂びや私小説的な世界観)にフィットしたことも一因と言われています。

まとめ

画家一般化の時期     主なきっかけ
ブリューゲル      1970年代〜美術全集での紹介、1972年の版画展、文学・歴史文脈での再評価。
フェルメール2000年代〜2000年の大阪での大規模展覧会(それ以前は、美術愛好家の間での人気)。

美術全集は、いわば彼らの「予習」の場となり、その後の展覧会ブームで一気に実物の人気が爆発した、という流れがあります。

当時の美術全集のラインナップや、特定の作品についての詳細な解説などもお手伝いできます。何か気になる作品はありますか?

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