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2019年10月28日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-4

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通う。今日で4回目になる。私にとって少々長旅?で、ようやく体が慣れてきた感じがする。帰りの電車で転寝したことはいうまでもない・・・いい按配で心地よい。頭だけでなく、体も解きほぐしてくれる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回は、内容がヘビーさを増す中で、相当に厳しいテーマ <ホロコースト> について、学習院女子大学教授の武井彩佳氏から「ナチスの時代のユダヤ人」の講演があった。サブタイトルは「ホロコーストの展開と現在に残る『爪痕』」だった。
武井氏の専門分野は、<戦後のホロコーストの補償としての財産問題> とのこと。実は、来週も担当され、次回のテーマ(「ナチスの時代のユダヤ人」について」)にもつながる。

講演で個人的に関心のあったところに絞って記す。

言葉としての「ホロコースト
・ギリシャ語を語源として、ユダヤ教の「燔祭(はんさい)」(宗教的捧げ物する)の意
・ナチスによる虐殺についてフランス語の「ショアー」が使われる
・イディッシュ語で「フルブン(khurbn‎、חורבן)」

ユダヤ人の犠牲について
・ナチスの人種的優位性の理解: アーリア人 > スラブ人 > ユダヤ人
・東欧:ドイツ軍侵攻とともに殺戮が開始される(ポーランド、リトアニア、ウクライナなどで)
   西欧:ドイツ支配下(民政移行=対独強力)の国(ユダヤ人が少数)では、比較的に緩やかに進行
・ドイツ国内:ドイツ在住のユダヤ人は金があって脱出可能だった
   - 戦前在住 56万人 ⇒ 30万人が移民(逃避)、死亡14万人
   - 戦後在住 3.7万人 ⇒ 戦後も移民が止まなかった

ホロコーストの構造
・加害者: ドイツ、オーストリアの20万人
・傍観者(対独協力者): ポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、その他(ユダヤ人不在により利益を得た者)
・犠牲者: ユダヤ人の600万人

ホロコーストの実行
・ヒトラーから直接命令の資料はないが、1941年夏ころ口頭指示があったといわれる
行動部隊: 1941年設立、親衛隊(SS)+ 通常(普通)の警察官

強制収容所
ラインハルト計画: ユダヤ人絶滅だけを目的にした絶滅収容所、トレブリンカなど
・強制労働+絶滅: アウシュビッツなど

戦後の東欧の収容所跡地の扱い
・共産党政権下: ユダヤ人を捨象して、収容民を被害者大衆として扱ったが
   自由主義化後: ユダヤ人に注視した再定義が行なわれている
・研究手法: ホロコーストの分析だけでなく、<法>考古学的な発掘調査


(感想)
なにより、ドイツ在住のユダヤ人の行動に注目した。
・ドイツを脱出したユダヤ人はどこへ行ったのだろう? アメリカではなかったのか?
   - 情勢の変化を事前にどのように察知(階層ごと情報収集)したのだろう?
・他方で、多数の犠牲者を占めた東欧のユダヤ人こそ、ユダヤ社会から置き去りにされた人びとだったのではないか?