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2025年10月17日金曜日

路面電車

子どものころ「路面電車」に乗車した経験がある。(成人してからは、都電「荒川線」を通勤に使ったりした)

(本ブログ関連:”都電荒川線”)

西鉄「北九州線」
一つは、折尾(おりお)と門司をつなぐ西鉄の「北九州線」(国鉄鹿児島本線と並行していた)だ。途中、「到津(いとうづ)」に遊園地というか動物園があって、両親に連れられて行った記憶がある。動物園の檻の中に獣を見たが、何だったのか記憶がおぼろでしかない。多分、熊だったのだろう。それより、同園で迷子になった体験がショックだった。底が抜けたような絶望感を味わった。親から見たところ、フラフラとのんきに歩き回っていたといわれたが。

路面電車内の光景で覚えているのは、ある母親が赤ん坊に授乳していた場面だ。そのとき、そんなものと思っていたし、そもそも、そういう時代だった。子どもにとって、路面電車は大きく見えた。


都電「杉並線(14系統)」
もう一つは、荻窪と新宿をつなぐ都電「杉並線(14系統)」(青梅街道を走っていた)だ。現在も発刊されている東京の文化を博覧する雑誌「東京人」があって、むかしの号に特集「昭和30年代、都電のゆく町」(2007年5月号)がある。それに掲載の「昭和37年10月の路線図(東京都交通局所蔵)」によれば、都電は国鉄の山手線内に縦横に張り巡らされたものであって、杉並線はまるで、魚類のアンコウの雌(♀)に張り付いた雄(♂:役目を終えると雌に吸収される)のように、図面の端にかじりついていた。杉並線は、都電の路線の中でマイナーな扱いをされたようだ。

中学生のころ、これに乗って新宿まで行き、新宿で都電を乗り変え、月島まで(多分、11系統)進み、そこから晴海ふ頭の「国際見本市」会場まで歩いた。国際見本市は、当時具体的に海外と接することのできる最大のイベントだった。


路面電車
東京では、路面電車といえば都営荒川線ぐらいか。以前、池袋に「ライトレール・トランジット(LRT:Light Rail Transit)」*が走る計画を聞いたが、その後どうなったのだろうか。
(*)池袋LRT:「鉄道計画データベース」 https://railproject.tabiris.com/ikebukuro.html

日本のLRTの分類基準に入る入らないは別として、富山市や宇都宮市で運用されている、ライトレールの洒落たデザインが期待される。