中学生の頃、飛行機に興味を持ち始め、地元の小さな本屋へ行って、うろ覚えの航空雑誌をたずねた。「飛行ファン」といったところ、主人は怪訝な顔をして、「航空ファン」を紹介してくれた。中学の職業技術の時間に、教師が大戦中の日本の飛行機を黒板に書いてくれた。当時の少年雑誌には、今と違って、そんな航空機を題材にした熱血漫画が連載されたものだ。
(本ブログ関連:”飛行機”、”飛行場”)
お気に入りの飛行機は、海軍偵察機の「彩雲」だった。切れ長の胴体が美しく、特に逆光のシルエット写真にうっとりしたものだ。3人搭乗の長い風防もすがすがしい。
その頃、遠縁の大学生が「航空情報」を片手に持って、わが家へ遊びに来ていた。航空学科にいるから、そんな雑誌を読むのだと思った。「航空情報」は、マニア向け「航空ファン」より少し技術寄りだった。
社会人になり、会社の仲間の関係で、調布飛行場にある航空会社所有の「パイパーチェロキー」に、子どもと一緒に乗せてもらったことがある。都内上空を駆け足で飛んだが、旋回時に機体を斜めにしたのが怖かったのだろうか、子どもの関心を引き起こすことに成功しなかった。
ときどき、航空雑誌を購入したが、次に気に入ったのは米ノースロップ社の練習機「タロン」だ。ベースになったフリーダムファイター、タイガーもあるが、純白に塗装したNASAで使用の「タロン」は格別だ。まさに、空の女王だ。
子どもの手前、軍用機を避けて、主に旅客機に関心を向けた。レシプロエンジンの真髄というべき「DC3」は、鉄道マニアにおける蒸気機関車のようなもの。エンジン音・排気音に生命力を感じた。ハワイ上空の実況版カセットをウォークマンで聞きながら通勤した。
あるとき、千歳-女満別間のラストフライトの情報を聞きつけて、その一日前だが、「YS-11」に搭乗した。そのまま足を延ばして、知床硫黄山で硫黄を採集したりした。
子どもに気兼ねなくなってから、久し振りに美しい飛行機を探した。昔のソ連の飛行機は折り紙のようなデザインが多かったが、そんなとき、「Su-27」の機影にびっくりした。機首部分の曲線の何と優雅なこと。競争相手(設計局)の MiG機まで似てきているのだから。
ステルス機の極端なヒラメのようなデザイン以降、(新幹線700系の鼻先に似た)「ドルニエ228」ののんびりした小さな旅客機もいいものだと思うようになった。日帰りの飛行機旅に、ドルニエ228はいいと思うよ。