確実に春の兆しがするというに、気温はきのうと比べてちょっと低目でヒンヤリする。冬の終わり~早春といえば梅の花、咲き具合はどうだろう。
今度は第九巻、「第九 折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、平安時代中期の勅撰和歌集「拾遺和歌集」に所収の、凡河内躬恒(おおしこうち の みつね:「古今和歌集」編纂者、貞観元年: 859年? ~ 延長3年: 925年?)の歌がある。
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吹く風を何厭(いと)ひけん梅の花 散りくるときぞ香(か)はまさりける
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すらすらと耳触りが良く、新書「折々のうた」で、著者は「強く吹く風を何で嫌ったりしたのかしら。梅の花は、散って来る時こそ一段と芳香もまさっているものだったのに」と解釈している。散るときの香りがすぐれているなんて、ちょっと都会人らしい気取りを感じるが。
ところで、桜で名高い「小金井公園」の <梅林> で開催された、「梅林のご案内~ウメで春を感じませんか~」(2/21)はすでに終了した。現況、ピークは過ぎたが、まだ観梅が可能のようだ。
また、<河内> の言葉から、子どもころ、なぜか馴染んだ女優の河内桃子(こうち ももこ、昭和7年:1932年 ~ 平成10年:1998年)さんを思い出す。戦後の中流家庭の女性といった役柄を、穏やかなしぐさで演じられたと思う。
■ 高千穂大学 名誉教授 渋谷栄一氏 整定
「拾遺和歌集」
ー http://genjiemuseum.web.fc2.com/sihu1.html
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・贈太政大臣* 1006 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人(あるじ)なしとて 春を忘るな」 ← 菅原道真公の歌の初出
・凡河内躬恒 0030 「吹く風を何厭ひけん梅花散り来る時ぞ香はまさりける」
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(*)贈太政大臣: 死後に太政大臣の官位を追贈(贈位)された人物。生前の功績を称えたり、冤罪による不遇を慰めたり、さまざまな貢献を評価する目的で行なわれた。(Labs)
■ Gemini
Q.古代の貴族の名に「凡河内氏」がありますが、「凡」と「河内」について由来(起源)を教えてください。
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A.古代の豪族である <凡河内氏(おおしこうちうじ)> は、その名の通り「河内国(現在の大阪府東部)」を本拠地とした有力な一族です。
この名の由来を「凡」と「河内」に分けて紐解くと、古代日本の統治体制や地理的背景が見えてきます。
1. 「凡(おおし)」の由来:広域を束ねる称号
「凡」という字は、現代では「なみ、平凡」という意味で使われますが、古代においては <「総括する」「全体を支配する」> という意味を持っていました。
・広域支配の証: もともと河内地方には、狭い範囲を治める小さな「河内氏」が点在していました。これら複数の河内氏を統合し、河内国全体を代表する立場(国造:くにのみやつこ)となった一族が、差別化のために「凡(総括的な)」という冠詞をつけたとされています。
・読みの変遷: 「凡」を「おおし」と読むのは、「大(おお)」と同義で、多くの人々や土地をひとまとめにするという意味の古語「おし(領・押)」に由来すると考えられています。
2. 「河内(かわち)」の由来:地理的特徴
「河内」という地名は、その文字通り <「河(川)の内側」> という地形に由来します。
・かつての地形: 古代の大阪平野には「河内湖(かわちこ)」という広大な湖や湿地帯が広がっていました。淀川や大和川などの大きな河川に囲まれた、あるいはその内側に位置する肥沃なデルタ地帯であったことから「河の内」と呼ばれました。
・渡来文化の拠点: この地域は、大陸や朝鮮半島からの渡来人が多く定住し、当時の最先端技術(土木、治水、鍛冶など)が集まった場所でした。凡河内氏は、こうした技術集団を統率することで勢力を拡大しました。
3. 凡河内氏の役割と歴史
凡河内氏は、天武天皇の時代(7世紀後半)に <「忌寸(いみき)」、後に「宿禰(すくね)」> という高い姓(カバネ)を授けられています。
・軍事と祭祀: 軍事的な側面だけでなく、宮廷の祭祀(神事)にも深く関わっていました。
・有名な人物: 平安時代に入ると、古今和歌集の撰者の一人である <凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)> が有名です。武家のイメージから離れ、風流な歌人として名を残しました。
補足:表記のバリエーション
史料によっては「凡川内」と記されることもあります。これは「河」も「川」も当時の意味としては同じであり、地形的な特徴が強く意識されていた証拠と言えます。
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■ 三代集(Labs/Gemini/Wikipedia:追記)
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和歌の「三代集」(古今・後撰・拾遺)は、10世紀初頭から11世紀初頭にかけての平安時代中期の約100年間に成立した勅撰和歌集。
古今和歌集(古今集)
・成立時期:延喜5年(905年)頃
・勅命:醍醐天皇
・撰者:紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人。
・特徴: 日本最初の勅撰和歌集。紀貫之らが中心となり編纂。漢詩に押されていた和歌の地位を確立。繊細で技巧的な「古今調」を確立した。
後撰和歌集(後撰集)
・成立時期:天徳5年/応和元年(951年)頃(※成立時期は諸説あり、村上天皇の「梨壺の書」)
・勅命:村上天皇
・編纂:源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文(以上、梨壺の五人)が中心。
・特徴:古今集に次ぐ第2の勅撰集。古今集に漏れた古い歌や屏風歌を多く収めた。
拾遺和歌集(拾遺集)
・成立時期:寛弘2年(1005年)~寛弘4年(1007年)頃
・勅命:花山院(花山天皇)
・撰者:花山院の親撰、もしくは花山院が藤原長能・源道済に撰進させた。
・特徴:第3の勅撰集。「古今」「後撰」の拾遺(残った歌)を中心に編集。 洗練された平明で優美な歌風(拾遺調)が特徴。
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沈丁花
テレビの天気予報で、「ジンチョウゲ(沈丁花)」の独特な <香り> について(それが濃いことで「千里香」の別名がある)話題があった。そういえば、小学校の「カイヅカイブキ」の垣根の間に植えられていて、夜に近くを通るたび香気に気づいたものだ。最近、抜かれたようで見当たらない。早春を、香りで知らせてくれていたのに残念だ。
(本ブログ関連:”沈丁花”)