「イディッシュ語教室」のテキストに、気真面目で可笑しく、そして怪しくてこっけいなイディッシュのひとびとが住む「ヘルム(Khelem、כעלעם)」の町(村)が登場する(Village of Idiots)。ポーランドに「ヘルム市」(昔、ユダヤ人コミュニティが隆盛を誇った時期もあったようだ・・・)が実在するそうだが、関連付けを素人耳に聞いたことはない。寓話の「ヘルム」は、あくまでも架空の共同体で、いってみれば、落語に描かれる長屋のようなものだろう。ヘルムには、長老と呼ばれる賢人から下々まで。落語には、大家さんから熊さん八さんまで多彩である。そして、それぞれにへまをやる。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
イディッシュ民話の宝箱である、ベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice Weinreich)著の「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、「 ヘルムの住民が愚か者たちであるわけ 」を次のように短く説明している。
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ある日のこと、一年サイクルのトーラーの朗読がはじまろうとしていたとき、新任のバール コイレ(=トーラーの読師)がヘルムの街にやって来た。そのバール コイレは学究肌ではなく、
「ブレイシェス、ボロ・エロヒーム・ハショマイーム(はじめに、神は天を造った)」と読むべき箇所を、
「ブレイシェス、ボロ・エロヒーム・エス・・・ハショイティーム(はじめに、神は愚か者を造った」)と読んでしまった。
それ以来、よきにつけあしきにつけ、ヘルムの住民は愚か者と見なされるようになった。
------------------------------------------------*
ヘブライ語の理解がないので、「読師」が誤読した面白さを間接的に知るわけで、ここに引用しながら意気があがらない。
2018年4月30日月曜日
2020年8月6日木曜日
おかしな主人公たちの住む町
世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。
イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。
(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)
イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など
ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。
アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。
■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
----------------------------
ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
『勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。』
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
----------------------------
というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。
■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。
(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)
イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など
ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。
アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。
■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
『勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。』
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。
■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。
■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。
(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)
(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
----------------------------
p.68 シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
----------------------------
(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か? - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1
ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。
(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)
(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68 シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か? - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1
2018年4月26日木曜日
春期イディッシュ語 2018-4th
中学時代、学校の図書館に《 聞き書きの日本の民話集 》がずらりと並んでいた。それぞれの民話に共通するものがあるのではないかと読み比べたりしたが、無力の子どもには、まとめる力などなくあっさり挫折した。けれど民話には、集団が育み受け継いだ独特な知恵があると今でも思っている。
(本ブログ関連:”遠野物語”)
古いイディッシュ(東欧ユダヤ人)の伝承(民話、小話)をもっと知りたい。庶民は、現実の厳しい生活を受け止め、苦境を切り抜けてきたわけで、それを面白おかしく笑い飛ばす軽妙さを持っているはず。そんな庶民のたくましさを、今日の「イディッシュ語教室」でも教えていただいた。イディッシュのひとびとへ、ちょっとだけ近づいた気がした。
今回は、前回(4/19)とつながりを持たせて理解を深めた。(前回欠席者への配慮もあってでしょうか)
① テキスト「Colloquial Yiddish」所収のイディッシュ民話(小話)から。
次の民話(小話)をグループに分かれてロールプレイした。
①-1.前回に引き続き「7と7は11(זיבן און זיבן איז עלף)」から。
①-2.以前学習の「二人のヘルムの住人(イディッシュ)と椅子(צװײ כעלעמער ייִדן און אַ בענקל)」から。
(本ブログ関連:”ヘルム(架空の阿呆村)”)
② イディッシュの歌から。
②-1.「Yome Yome(יאמע יאמע)」の歌詞原文と譜面を、音楽家が手配いただき、みなで読み歌った。
②-2.「Sleep my child(שלאָף מײַן קינד)」(ショーレム・アレイヘム詩)の紹介があった。
(Youtubeに登録のguauguau6に感謝)
③ 今回、イディッシュ語の大家上田和夫氏が、「言語学大辞典」(三省堂)に執筆された「イディッシュ語」について、若き中国語研究者が資料紹介され、先生大絶賛。
ポーランドについて造詣が深い若き中国語研究者から、「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)を貸してもらい・・・ゴールデンウィークの読書にさせていただく。
(本ブログ関連:”遠野物語”)
古いイディッシュ(東欧ユダヤ人)の伝承(民話、小話)をもっと知りたい。庶民は、現実の厳しい生活を受け止め、苦境を切り抜けてきたわけで、それを面白おかしく笑い飛ばす軽妙さを持っているはず。そんな庶民のたくましさを、今日の「イディッシュ語教室」でも教えていただいた。イディッシュのひとびとへ、ちょっとだけ近づいた気がした。
今回は、前回(4/19)とつながりを持たせて理解を深めた。(前回欠席者への配慮もあってでしょうか)
① テキスト「Colloquial Yiddish」所収のイディッシュ民話(小話)から。
次の民話(小話)をグループに分かれてロールプレイした。
①-1.前回に引き続き「7と7は11(זיבן און זיבן איז עלף)」から。
①-2.以前学習の「二人のヘルムの住人(イディッシュ)と椅子(צװײ כעלעמער ייִדן און אַ בענקל)」から。
(本ブログ関連:”ヘルム(架空の阿呆村)”)
② イディッシュの歌から。
②-1.「Yome Yome(יאמע יאמע)」の歌詞原文と譜面を、音楽家が手配いただき、みなで読み歌った。
②-2.「Sleep my child(שלאָף מײַן קינד)」(ショーレム・アレイヘム詩)の紹介があった。
(Youtubeに登録のguauguau6に感謝)
③ 今回、イディッシュ語の大家上田和夫氏が、「言語学大辞典」(三省堂)に執筆された「イディッシュ語」について、若き中国語研究者が資料紹介され、先生大絶賛。
ポーランドについて造詣が深い若き中国語研究者から、「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)を貸してもらい・・・ゴールデンウィークの読書にさせていただく。
2021年12月7日火曜日
大雪2021
きょうは、二十四節気の「大雪(たいせつ)」。大雪(おおゆき)のイメージがするが、それより「木枯らし」(風速8m以上の北風で、10月半ば~11月末までの間に限る)すら吹いてない。早朝の冷え込みに身が凍みるようになったものの、降雪の気配もまったくない。
(本ブログ関連:”大雪(たいせつ)”)
さて、冬はなぜ寒いのだろう。夏が暑いのに対して・・・。
以前、ブログ(2017年5月22日)に記したが、むかしの東欧にユダヤ人の村「ヘルム」があって、長老が <夏は暑く、冬が寒い分け> を講釈する滑稽話しがある。落語の粗忽長屋の話しと思って聞けばうなづける。
(イディッシュ語作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)に所収の短編「ヘルムの長老とゲネンデルの鍵」より)
(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”)
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(ヘルムの村の大長老グロナムが言った)
「ゆうべはまんじりともできなんだ - 夏がどうして暑いのか、そのわけを考えあぐんでな。やっと答えは出たが」
「して、どんな」と長老連が声をそろえた。
「つまり、冬のあいだ、村じゅうが暖炉をたく、するとその熱がヘルムぜんたいにたまる、おかげで夏は暑い、こういうわけじゃ」
長老連はうなずいた、ただぼんくらレキッシュだけは別で、こう聞きかえした。
「なら、冬が寒いわけは?」
「わかり切っとる」とグロナムは答えた。「夏場は暖炉に火をくべない、だからせっかくの暑さも冬まで残らん、ただそれだけのことよ」
長老連はグロナムのどえらい知恵をほめそやした。
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ところで、シンガーの児童書・絵本に「ヘルムのあんぽん譚(たん)」(関憲治訳、篠崎書林)があって、上記ヘルム(ここでは町だが)の統治者としてグローナムが登場する。物語は長老と取り巻きたちのそそっかしくて滑稽な語りが展開するが、顛末がいささか生々しい。ヘルムと他所の争いごとに、政治風刺を効かせ過ぎて児童書の枠を超えているように感じられる。せっかくの挿絵(ユーリ・シュレビッツ画)が、ストーリーに引きずられてしまい、勿体ないことになっている。
やっぱり、ヘルムの場所は日々の生活で精いっぱいな住民が織りなす、ときに素っ頓狂でお間抜けな阿呆村でいつづけて欲しい。そこに私たちを見つけてしまうのだから。
2018年5月1日火曜日
(資料)シュメンドリク
阿呆村の「ヘルム」につながるだろう。見たまま、羅列しただけの未整理資料。
「阿呆村(Village of Idiots)」
劇作家ジョン・ラザルス(John Lazarus)が脚色したユダヤ民話をもとにした、(お馬鹿な主人公)シュメンドリク(Shmendrik)の物語を伝える短編アニメである。
落語の「粗忽長屋」を思い出させる「入れ子構造」のような展開。
(Youtubeに登録のAnimation and Cartoon Videosに感謝)
「故郷」から遠く離れて : イディッシュ演劇がニューヨークで手探りしたもの
小倉直子(首都大学東京)
-----------------------------
・イディッシュ演劇は、1876年、アブラハム・ゴールドファーデンのふとした思いつきからルーマニアのヤーシという町に生まれたと言われている。ゴールドファーデンは、それ以前からもイディッシュ語による詩作に励んでいたが、・・・
・”イディッシュ演劇の父” ゴールドファーデンは、ユダヤの伝統や伝説を戯曲化し続けた。あるいは、西欧演劇のプロットもユダヤ風に仕立て直した。例えば、東欧. ユダヤ社会に根付いていた道化師(バトフン)をモチーフに喜劇を描いたり(『シュメンドリク (SHMENDRIK)』) ・・・
-----------------------------
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
ユダヤ演劇
ゴールドフェドン Goldfaden,Abraham
-----------------------------
[生]1840.7.12. ウクライナ
[没]1908.1.9. ニューヨーク
・ユダヤ系劇作家。ウクライナに生れ,ユダヤ人の生活を描いた約 400編の劇やミュージカルを発表するとともに,俳優や劇団を育成,イディシュ演劇 (→ユダヤ演劇 ) の創始者となる。 1887年アメリカに渡る。『戦うダビデ』 (1904) はアメリカにおける最初のヘブライ語劇。代表作は『シュラミート』 Shulamit (1880) 。
-----------------------------
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ユダヤ演劇
-----------------------------
・1876年にイディッシュ演劇の父とよばれるアブラハム・ゴールドファーデン(1840―1908)がルーマニアのヤーシに最初のイディッシュ劇場を開設した。彼は俳優・演出家であったが、『魔女』や『スラミート』のような劇も書き、とくにミュージカル風な上演様式を確立した。第二のイディッシュ劇場は、現在のリトアニア共和国のビリニュスに、ゴールドファーデン一座の俳優だったイスラエル・グラードナーが作家ヨセフ・ラタイナー(1853―1935)の協力を得てほぼ同時代に設立したものである。
・しかしアレクサンドル2世暗殺後1883年にロシアではイディッシュ演劇が禁止されたので、ゴールドファーデンはじめ多くの人々がアメリカに亡命し、東欧ユダヤ人の運命を扱う作品を上演した。
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「阿呆村(Village of Idiots)」
劇作家ジョン・ラザルス(John Lazarus)が脚色したユダヤ民話をもとにした、(お馬鹿な主人公)シュメンドリク(Shmendrik)の物語を伝える短編アニメである。
落語の「粗忽長屋」を思い出させる「入れ子構造」のような展開。
(Youtubeに登録のAnimation and Cartoon Videosに感謝)
「故郷」から遠く離れて : イディッシュ演劇がニューヨークで手探りしたもの
小倉直子(首都大学東京)
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・イディッシュ演劇は、1876年、アブラハム・ゴールドファーデンのふとした思いつきからルーマニアのヤーシという町に生まれたと言われている。ゴールドファーデンは、それ以前からもイディッシュ語による詩作に励んでいたが、・・・
・”イディッシュ演劇の父” ゴールドファーデンは、ユダヤの伝統や伝説を戯曲化し続けた。あるいは、西欧演劇のプロットもユダヤ風に仕立て直した。例えば、東欧. ユダヤ社会に根付いていた道化師(バトフン)をモチーフに喜劇を描いたり(『シュメンドリク (SHMENDRIK)』) ・・・
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
ユダヤ演劇
ゴールドフェドン Goldfaden,Abraham
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[生]1840.7.12. ウクライナ
[没]1908.1.9. ニューヨーク
・ユダヤ系劇作家。ウクライナに生れ,ユダヤ人の生活を描いた約 400編の劇やミュージカルを発表するとともに,俳優や劇団を育成,イディシュ演劇 (→ユダヤ演劇 ) の創始者となる。 1887年アメリカに渡る。『戦うダビデ』 (1904) はアメリカにおける最初のヘブライ語劇。代表作は『シュラミート』 Shulamit (1880) 。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ユダヤ演劇
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・1876年にイディッシュ演劇の父とよばれるアブラハム・ゴールドファーデン(1840―1908)がルーマニアのヤーシに最初のイディッシュ劇場を開設した。彼は俳優・演出家であったが、『魔女』や『スラミート』のような劇も書き、とくにミュージカル風な上演様式を確立した。第二のイディッシュ劇場は、現在のリトアニア共和国のビリニュスに、ゴールドファーデン一座の俳優だったイスラエル・グラードナーが作家ヨセフ・ラタイナー(1853―1935)の協力を得てほぼ同時代に設立したものである。
・しかしアレクサンドル2世暗殺後1883年にロシアではイディッシュ演劇が禁止されたので、ゴールドファーデンはじめ多くの人々がアメリカに亡命し、東欧ユダヤ人の運命を扱う作品を上演した。
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2019年3月14日木曜日
ヘルム
イディッシュの小話に、お馬鹿(阿呆、あんぽんたん)な人々が登場する街(町、村)がある。賢人(町の指導者、宗教的な指導者)といわれる人も、粗忽な者もみなどこかおかしい。大真面目に頓珍漢なのだ。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)
ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)
以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。
「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)
ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)
以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。
「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。
2017年6月25日日曜日
ヘルムの町の穴掘り
いわれることに囚人を精神的に追いつめる穴掘り作業がある。掘り出した土を元の穴に埋め戻すという作業を繰り返させる。意味の無い、実りの無い作業の強要は、囚人の人間性を奪うわけで、その残酷さは容易に想像がつく。本当にそんなことを課していたか知らないけれど、物語の一場面なら象徴的で分かりやすい。
穴掘りを、悪意ではなく正当な作業と信じたらどうなるだろう。はたから見れば、当然おかしなことに違いない。そう、ヘルムの町の住人が、それをやってくれるのだ。
今回は「民話の本」シリーズの「ユダヤの民話」(ピンハス・サデー著、秦剛平訳、青土社)に所収の「ヘルムの賢者たち」だ。ここには他に3つの話題もある。(一昨日(6/23)記した、「イディッシュの民話」は同シリーズのもので訳者も同じだ)
(本ブログ関連:”ヘルム”)
-----------------------------------------------
その知恵で知られていたヘルムの住民たちが自分たちの町をつくることにしたとき、彼らはまず基礎を掘りはじめた。突然、彼らのひとりが叫んだ。「兄弟諸君! われわれはここで掘って掘って掘りまくっているが、この土の山はどうするつもりなのだ?」そこでヘルムの賢者たちは頭をひねったあげくに宣言した。「われわれは次のような手順を踏む。まず大きな穴を掘り、そこにこの土山を崩して埋める。」
「だがその穴を掘ってできた土山はどうするんだ?」と執拗に質問する者がいた。
ヘルムの賢者たちは考え続けたあげくに言った。「われわれはもうひとつ穴を掘り、その中に最初の穴から出た土を埋める。」
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「賢者たち」として登場するひとびとは、町(村)のルールを定める決裁者であり、「長老たち」と記す読み物(童話)もある・・・、翻訳上の選択なのか分からないけれど。今回も一種の「いれこ構造」といったおかしさがある。とぼけた感じがたまらない。
穴掘りを、悪意ではなく正当な作業と信じたらどうなるだろう。はたから見れば、当然おかしなことに違いない。そう、ヘルムの町の住人が、それをやってくれるのだ。
今回は「民話の本」シリーズの「ユダヤの民話」(ピンハス・サデー著、秦剛平訳、青土社)に所収の「ヘルムの賢者たち」だ。ここには他に3つの話題もある。(一昨日(6/23)記した、「イディッシュの民話」は同シリーズのもので訳者も同じだ)
(本ブログ関連:”ヘルム”)
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その知恵で知られていたヘルムの住民たちが自分たちの町をつくることにしたとき、彼らはまず基礎を掘りはじめた。突然、彼らのひとりが叫んだ。「兄弟諸君! われわれはここで掘って掘って掘りまくっているが、この土の山はどうするつもりなのだ?」そこでヘルムの賢者たちは頭をひねったあげくに宣言した。「われわれは次のような手順を踏む。まず大きな穴を掘り、そこにこの土山を崩して埋める。」
「だがその穴を掘ってできた土山はどうするんだ?」と執拗に質問する者がいた。
ヘルムの賢者たちは考え続けたあげくに言った。「われわれはもうひとつ穴を掘り、その中に最初の穴から出た土を埋める。」
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「賢者たち」として登場するひとびとは、町(村)のルールを定める決裁者であり、「長老たち」と記す読み物(童話)もある・・・、翻訳上の選択なのか分からないけれど。今回も一種の「いれこ構造」といったおかしさがある。とぼけた感じがたまらない。
2017年12月29日金曜日
ヘルムのはなし: 椅子を持ち込むには
ポーランドの何処かに、イディッシュ(ユダヤ人)の住む町(村)「ヘルム」があって、上は長老から下々は庶民まで、どこか変なひとびとがいる。もちろん、物語の世界であるが。ヘルムに似た町(村)は、ほかの国々にもあるようで、代表する地名がちゃんと存在するという。では、日本ではどうか・・・思いつくのは、大家さんと熊さん八っさんが住む、落語に出てくる「長屋」だろうか。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
イディッシュ語の教科書に、こんなヘルムの小話が載っていた。
---------------------------------
ある男が椅子を買って持ち帰ったところ、大き過ぎてドアに入らず困っていた。そこへ、同じヘルムに住む友人がやって来て、「あの寝室の窓が大きいので、そこから入れたらどうか」ということになった。
だが、椅子の持主がいうには、「窓が高すぎる、どうすりゃいいかな?」。
友人はいった、「なあに、問題ない。椅子を叩き切って、小さくして窓へ投げ込めばいい」。
---------------------------------
よく考えたつもりだが、自分の知恵を超えていない。そもそも何を解決したかったのか忘れている。そんな勘違いを、日常のどこかでやっているかもしれない。思い当たる節がないわけではない。
というより、この物語!、何で友人が高い窓の奥に寝室があることを知ってるのか、とても気になる。歳をとると余計なことに気が散る。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
イディッシュ語の教科書に、こんなヘルムの小話が載っていた。
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ある男が椅子を買って持ち帰ったところ、大き過ぎてドアに入らず困っていた。そこへ、同じヘルムに住む友人がやって来て、「あの寝室の窓が大きいので、そこから入れたらどうか」ということになった。
だが、椅子の持主がいうには、「窓が高すぎる、どうすりゃいいかな?」。
友人はいった、「なあに、問題ない。椅子を叩き切って、小さくして窓へ投げ込めばいい」。
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よく考えたつもりだが、自分の知恵を超えていない。そもそも何を解決したかったのか忘れている。そんな勘違いを、日常のどこかでやっているかもしれない。思い当たる節がないわけではない。
というより、この物語!、何で友人が高い窓の奥に寝室があることを知ってるのか、とても気になる。歳をとると余計なことに気が散る。
2018年1月11日木曜日
秋期イディッシュ語 2017-12th
昨年12/14以来、2017年度秋期「イディッシュ語」教室が正月休みに入っていたが、久し振りに再開した。この間、いかに定着をはかったかといえば、恥ずかしい限り。結局、どたばたして教室に通った次第。
(本ブログ関連:”2017年度秋期「イディッシュ語」”)
不肖の生徒は勘だけを頼りに学ぶ。今回は、テキストとミュージカルについて講義がすすめられた。(文字を読んで理解するのと、それを自由に操る(発語)するとは全然違う。分かっちゃいるが・・・)
① 名詞を愛称形にする接尾辞「指小辞(縮少詞)」の練習:
- 文中の名詞に、2種(相対的:diminutiveと絶対的:iminutive)の指小辞を付加する。(一種しかないものがある)
② 名詞を複数形にするいろいろな接尾辞の練習:
- 文中の名詞に、複数形にする接尾辞を付加する。(ן , -ען , -ער- が浮かぶが、ひとつひとつ覚えるしかないのでは)
③ テキスト補足文で、阿呆村(町)とでもいうべき「ヘルム(כעלעם)」の小話:
- イディッシュ小話の真髄であり、各自感想を述べあう。(私としては、猥雑さまで感じ取ってしまう)
④ ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の紹介:
ー 「陽は昇りまた沈む」(SUNRISE SUNSET)のイディッシュ語歌詞について解説をいただく。
(映画:英語版)
(イディッシュ語版)
(Youtubeに登録のyoksh77、Viraに感謝)
(本ブログ関連:”2017年度秋期「イディッシュ語」”)
不肖の生徒は勘だけを頼りに学ぶ。今回は、テキストとミュージカルについて講義がすすめられた。(文字を読んで理解するのと、それを自由に操る(発語)するとは全然違う。分かっちゃいるが・・・)
① 名詞を愛称形にする接尾辞「指小辞(縮少詞)」の練習:
- 文中の名詞に、2種(相対的:diminutiveと絶対的:iminutive)の指小辞を付加する。(一種しかないものがある)
② 名詞を複数形にするいろいろな接尾辞の練習:
- 文中の名詞に、複数形にする接尾辞を付加する。(ן , -ען , -ער- が浮かぶが、ひとつひとつ覚えるしかないのでは)
③ テキスト補足文で、阿呆村(町)とでもいうべき「ヘルム(כעלעם)」の小話:
- イディッシュ小話の真髄であり、各自感想を述べあう。(私としては、猥雑さまで感じ取ってしまう)
④ ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の紹介:
ー 「陽は昇りまた沈む」(SUNRISE SUNSET)のイディッシュ語歌詞について解説をいただく。
(映画:英語版)
(イディッシュ語版)
(Youtubeに登録のyoksh77、Viraに感謝)
2018年5月9日水曜日
「窓」 windowとפֿענצטער
イデッシュ語のテキスト「Colloquial Yiddish」に、高い位置にある <窓> を通じて、屋外から家の中に椅子を入れようとする小話「二人のヘルムのユダヤ人と椅子」がある。窓といえば、英語で「window」だが、テキスト(=イデシッシュ後)では「פֿענצטער(fentster)」と表現される。この二つの言葉、はたしてどのような起源を持つのだろうか。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
そこで、英語の「窓(window)」の語源について、ネットに探したところ、windowは「風(wind)」と関連があるらしいこと。面白いことにもう一つ、ラテン語の「穴(fenestra)」が借用されていたという。ドイツ語学者植田康成氏は、ブログ「窓研究所」に次のように説明されている。(抜粋)
----------------------------------------
・英語のwindowという語について考える。この語は古代北欧語 vindaugaに由来し、本来の意味は「風の目」である。
・かつて、「窓」を表す語として、windowの他に、住まいに穿たれた「穴」を意味するfenestreという語が併存していた時代があった。1066年のノルマン人侵攻後、大量のフランス語が英語圏に流入した結果、ラテン語 fenestraを由来とするフランス語が1600年頃まで借用されていたのである。つまり語源にもとづく「まど」の類型 (本コラムVol.0を参照) から言えば、それぞれ異なるタイプの二つの語が共存していた。いつしかfenestreの方は消失し、現在ではwindowのみが残った。
----------------------------------------
イディッシュ語の単語について、どのような言語が由来しているか、Wikipediaの「イディッシュ語」に次のように概要している。(抜粋)
----------------------------------------
イディッシュ語はドイツ語の一方言とされ、崩れた高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の単語を交えた言語である。高地ドイツ語は標準ドイツ語の母体であるため、イディッシュの単語も
・八割以上が標準ドイツ語と共通しており、
・残りはヘブライ語やアラム語、ロマンス諸語、そしてスラブ諸語からの借用語である。
----------------------------------------
英語の「窓」は、①「風の目」の意を持つ「vindauga」が「window」となり、②「穴」を意を持つ「fenestre」は無くなったようだ。
イディッシュ語の「窓」は、(素人解釈であるが ラテン語 fenestra 由来?の)「穴」の意に通じる「פֿענצטער(fentster)」になったようだ。すなわち、ドイツ語の「窓」である(ラテン語 fenestra 由来か?)「Fenster」と共通であるようだ。
ちなみに、ヘブライ語では「窓」を「חלון(halon)」というようだ。
窓を、「風の目」と「穴」と見るかで、住居のイメージまで変わってくる気がする。
じゃあ、ヘブライ語の「窓」の「חלון(halon)」は、どんな意味(語源)を持つのだろう?
(本ブログ関連:”ヘルム”)
そこで、英語の「窓(window)」の語源について、ネットに探したところ、windowは「風(wind)」と関連があるらしいこと。面白いことにもう一つ、ラテン語の「穴(fenestra)」が借用されていたという。ドイツ語学者植田康成氏は、ブログ「窓研究所」に次のように説明されている。(抜粋)
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・英語のwindowという語について考える。この語は古代北欧語 vindaugaに由来し、本来の意味は「風の目」である。
・かつて、「窓」を表す語として、windowの他に、住まいに穿たれた「穴」を意味するfenestreという語が併存していた時代があった。1066年のノルマン人侵攻後、大量のフランス語が英語圏に流入した結果、ラテン語 fenestraを由来とするフランス語が1600年頃まで借用されていたのである。つまり語源にもとづく「まど」の類型 (本コラムVol.0を参照) から言えば、それぞれ異なるタイプの二つの語が共存していた。いつしかfenestreの方は消失し、現在ではwindowのみが残った。
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イディッシュ語の単語について、どのような言語が由来しているか、Wikipediaの「イディッシュ語」に次のように概要している。(抜粋)
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イディッシュ語はドイツ語の一方言とされ、崩れた高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の単語を交えた言語である。高地ドイツ語は標準ドイツ語の母体であるため、イディッシュの単語も
・八割以上が標準ドイツ語と共通しており、
・残りはヘブライ語やアラム語、ロマンス諸語、そしてスラブ諸語からの借用語である。
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英語の「窓」は、①「風の目」の意を持つ「vindauga」が「window」となり、②「穴」を意を持つ「fenestre」は無くなったようだ。
イディッシュ語の「窓」は、(素人解釈であるが ラテン語 fenestra 由来?の)「穴」の意に通じる「פֿענצטער(fentster)」になったようだ。すなわち、ドイツ語の「窓」である(ラテン語 fenestra 由来か?)「Fenster」と共通であるようだ。
ちなみに、ヘブライ語では「窓」を「חלון(halon)」というようだ。
窓を、「風の目」と「穴」と見るかで、住居のイメージまで変わってくる気がする。
じゃあ、ヘブライ語の「窓」の「חלון(halon)」は、どんな意味(語源)を持つのだろう?
2018年7月26日木曜日
春期イディッシュ語 2018-15th (終業)
今日、「イディッシュ語教室」の春期間コースが終業した。とはいえ、夏休みコース、秋期間コースが控えているので休むことはできない。
最終日らしく、授業は今までと違ってチャレンジングなものだった。基本テキストの新たな章(過去形)から読み物を2つ選び出し、輪読・読解するというのだ。事前に下読みしていないと手に負えないのに、他の出席者はそれを難なくこなした。凄い!
(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”)
先生のイディッシュ語話者との経験で聞き知ったまざまな情報をまじえて進められた。
① 基本テキスト「Colloquial Yiddish」
次の2つの読み物について、先生の基本的な解説の後、輪読する。
・対話編:(仮題)「!אױ װײ! איך האָב פֿאַרגעסן אָנצינדן דעם אױװן」
(何てこと、オーブンに火をつけるのを忘れてた)
・読み物:「הערשעלע גײט אין קרעטשמע」
(ヘルシェレが居酒屋へ行く)*
② 「イディッシュ語-英語」辞書の紹介
・ケンタッキー大学版のネット辞書:
https://www.cs.uky.edu/~raphael/yiddish/dictionary.cgi
(*)ヘルシェレ(Hershel of Ostropol): Wikipediaに、この人物と上記の読み物と思われる小話「My Father」が紹介されている。実在の人だそうだが、<貧乏を逆手に取った> 小話が面白い。ただし、テキストとWikipediaに相違はあるけど。
実在の人物だそうで、阿呆村「ヘルム」の住民のことでもないようだが、どこからどこまでが実像なのか気になる。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
ところで、できもしない脅かしをして、ことを済まそうとするのは、「玄関をお借りしたい」と狂言切腹しようとする話とどこか似た感じがする。(映画「切腹」:時代劇感想文集に感謝)
最終日らしく、授業は今までと違ってチャレンジングなものだった。基本テキストの新たな章(過去形)から読み物を2つ選び出し、輪読・読解するというのだ。事前に下読みしていないと手に負えないのに、他の出席者はそれを難なくこなした。凄い!
(本ブログ関連:”春期イディッシュ語 2018”)
先生のイディッシュ語話者との経験で聞き知ったまざまな情報をまじえて進められた。
① 基本テキスト「Colloquial Yiddish」
次の2つの読み物について、先生の基本的な解説の後、輪読する。
・対話編:(仮題)「!אױ װײ! איך האָב פֿאַרגעסן אָנצינדן דעם אױװן」
(何てこと、オーブンに火をつけるのを忘れてた)
・読み物:「הערשעלע גײט אין קרעטשמע」
(ヘルシェレが居酒屋へ行く)*
② 「イディッシュ語-英語」辞書の紹介
・ケンタッキー大学版のネット辞書:
https://www.cs.uky.edu/~raphael/yiddish/dictionary.cgi
(*)ヘルシェレ(Hershel of Ostropol): Wikipediaに、この人物と上記の読み物と思われる小話「My Father」が紹介されている。実在の人だそうだが、<貧乏を逆手に取った> 小話が面白い。ただし、テキストとWikipediaに相違はあるけど。
実在の人物だそうで、阿呆村「ヘルム」の住民のことでもないようだが、どこからどこまでが実像なのか気になる。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
ところで、できもしない脅かしをして、ことを済まそうとするのは、「玄関をお借りしたい」と狂言切腹しようとする話とどこか似た感じがする。(映画「切腹」:時代劇感想文集に感謝)
2017年5月22日月曜日
ヘルムの夏が暑いわけ
「夏日」があたりまえになると、「真夏日」を期待したりする。まるで高い吊り橋から深い谷底を覗き見る、危ういものへ引き寄せられるように。昨日、近在で「真夏日」に到達した。今日は夏日に戻ったが、それでも暑かった。
夏日 :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
ところで、「夏がどうして暑いのか」。イディッシュ語作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)に所収の短編「ヘルムの長老とゲネンデルの鍵」にこんな明快な説明がある。
(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”、”イディッシュ語”)
------------------------------------------------------
(ヘルムの村の大長老グロナムが言った)
「ゆうべはまんじりともできなんだ - 夏がどうして暑いのか、そのわけを考えあぐんでな。やっと答えは出たが」
「して、どんな」と長老連が声をそろえた。
「つまり、冬のあいだ、村じゅうが暖炉をたく、するとその熱がヘルムぜんたいにたまる、おかげで夏は暑い、こういうわけじゃ」
長老連はうなずいた、ただぼんくらレキッシュだけは別で、こう聞きかえした。
「なら、冬が寒いわけは?」
「わかり切っとる」とグロナムは答えた。「夏場は暖炉に火をくべない、だからせっかくの暑さも冬まで残らん、ただそれだけのことよ」
長老連はグロナムのどえらい知恵をほめそやした。
------------------------------------------------------
そう、夏が暑いわけは、探せば見つかる。むつかしく考えなければ答えは出る。あとはそれに同意するかどうかだ。日常はそれで充分だった。(今だって、そんなものかもしれない。それに、むつかしく考えれば正解というものでもないし・・・)
夏日 :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
ところで、「夏がどうして暑いのか」。イディッシュ語作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)に所収の短編「ヘルムの長老とゲネンデルの鍵」にこんな明快な説明がある。
(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”、”イディッシュ語”)
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(ヘルムの村の大長老グロナムが言った)
「ゆうべはまんじりともできなんだ - 夏がどうして暑いのか、そのわけを考えあぐんでな。やっと答えは出たが」
「して、どんな」と長老連が声をそろえた。
「つまり、冬のあいだ、村じゅうが暖炉をたく、するとその熱がヘルムぜんたいにたまる、おかげで夏は暑い、こういうわけじゃ」
長老連はうなずいた、ただぼんくらレキッシュだけは別で、こう聞きかえした。
「なら、冬が寒いわけは?」
「わかり切っとる」とグロナムは答えた。「夏場は暖炉に火をくべない、だからせっかくの暑さも冬まで残らん、ただそれだけのことよ」
長老連はグロナムのどえらい知恵をほめそやした。
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そう、夏が暑いわけは、探せば見つかる。むつかしく考えなければ答えは出る。あとはそれに同意するかどうかだ。日常はそれで充分だった。(今だって、そんなものかもしれない。それに、むつかしく考えれば正解というものでもないし・・・)
2018年4月14日土曜日
(資料)ポーランドの歴史をYoutubeで学ぶ
ポーランドといえば、科学分野の「コペルニクス」や「キュリー婦人」、音楽分野の「ショパン」が浮かぶ。それに、私ら世代には「連帯」の「ワレサ」が衝撃的だった。しかし、漠然としたものでしかなくて、正直、中欧の農業国のイメージが強かった。
最近、イディッシュ語教室に通うようになって、ポーランドについて(拙いながら)興味が増したようだ。授業で、ポーランド語のイディッシュ語への影響が説明されたし、ポーランドを舞台にした寓話の紹介があった。イディッシュ語に土俗性があるなら、それが何処なのか気になるばかり。
それに、クラスメイトにポーランド語に関心深い若手の研究者がいて、いろいろ教えてもらえそうだ。
(本ブログ関連:”ポーランド”。”ポーランドの村ヘルム”)
あるとき、図書館でリトアニアの紹介書があって、ポーランドとの関係が触れられて、かつて両国が共同して(ベラルーシ、ウクライナなど含む=領有して)大国を作ったことを解説していた。予想外の大国だったことを知った。分かりやすく、紹介してくれるYoutubeを探したところ、次の映像が見つかった。
① 小山哲(こやま・さとし)京都大学教授の、一般向け講演「近世ポーランド・リトアニア共和国とその遺産(ミニ講義 第14回 2012.09.26)」は、ポーランドとリトアニアによる大国時代を知ることができる。このとき多民族・多言語国家となって、ユダヤ人(ユダヤ人の楽園、イディッシュ語)も関わりがあることをちょっと触れている。(ユダヤ人とポーランドを含む関係諸国との歴史的な関係を知るきっかけを与えてくれる)
(Youtubeに登録のkyodaiunionに感謝)
② 政治・軍事勢力の歴史的変遷(~ポーランド3分割まで)を図版を交えて地図上に表現したYoutube映像「白鷲の滅亡 ~ポーランド分割~」(登録者:ギルバート)がある。*
最近、イディッシュ語教室に通うようになって、ポーランドについて(拙いながら)興味が増したようだ。授業で、ポーランド語のイディッシュ語への影響が説明されたし、ポーランドを舞台にした寓話の紹介があった。イディッシュ語に土俗性があるなら、それが何処なのか気になるばかり。
それに、クラスメイトにポーランド語に関心深い若手の研究者がいて、いろいろ教えてもらえそうだ。
(本ブログ関連:”ポーランド”。”ポーランドの村ヘルム”)
あるとき、図書館でリトアニアの紹介書があって、ポーランドとの関係が触れられて、かつて両国が共同して(ベラルーシ、ウクライナなど含む=領有して)大国を作ったことを解説していた。予想外の大国だったことを知った。分かりやすく、紹介してくれるYoutubeを探したところ、次の映像が見つかった。
① 小山哲(こやま・さとし)京都大学教授の、一般向け講演「近世ポーランド・リトアニア共和国とその遺産(ミニ講義 第14回 2012.09.26)」は、ポーランドとリトアニアによる大国時代を知ることができる。このとき多民族・多言語国家となって、ユダヤ人(ユダヤ人の楽園、イディッシュ語)も関わりがあることをちょっと触れている。(ユダヤ人とポーランドを含む関係諸国との歴史的な関係を知るきっかけを与えてくれる)
(Youtubeに登録のkyodaiunionに感謝)
② 政治・軍事勢力の歴史的変遷(~ポーランド3分割まで)を図版を交えて地図上に表現したYoutube映像「白鷲の滅亡 ~ポーランド分割~」(登録者:ギルバート)がある。*
2017年6月23日金曜日
ヘルムの町の日時計
短ければ短いほど切れ味がいいのが小話だ。「イディッシュの民話」(ベアトリス・ヴァインライヒ著、秦剛平訳、青土社)に、例によっておバカな村(町)「ヘルム」の人々がしでかしたおもしろ小話がある。
-------------------------------------
ヘルムの町の人たちが日時計をつくったことがある。ところが、大雨に襲われて、びしょびしょに濡れてしまった。そのため彼らは、濡れないようにその上に屋根を作った。
-------------------------------------
(本ブログ関連:”ヘルム”)
粗忽さ、迂闊さには笑える。うっかりやりそうなミス、真剣に考えたつもりでやってしまうミス、頓珍漢さだ。思いつくまま挙げればこんなことだろうか。
・機械不要な発明といって、日時計製の腕時計を作る。
・白夜の反対の極夜がある地に太陽光発電装置を置く。
・氷の彫刻が汚れたからといって、風呂に入れる。
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ヘルムの町の人たちが日時計をつくったことがある。ところが、大雨に襲われて、びしょびしょに濡れてしまった。そのため彼らは、濡れないようにその上に屋根を作った。
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(本ブログ関連:”ヘルム”)
粗忽さ、迂闊さには笑える。うっかりやりそうなミス、真剣に考えたつもりでやってしまうミス、頓珍漢さだ。思いつくまま挙げればこんなことだろうか。
・機械不要な発明といって、日時計製の腕時計を作る。
・白夜の反対の極夜がある地に太陽光発電装置を置く。
・氷の彫刻が汚れたからといって、風呂に入れる。
2018年2月22日木曜日
(イディッシュの民話)全世界を喜ばすなど・・・・
「イディッシュの民話」(秦剛平訳、青土社)は、本当はいたって教訓めいた話が収められていて、わたしの好きな「ヘルムの住人」たちが仕出かす、落語に似たお馬鹿な話は少ないかもしれない。なるほど、長い生活の中で、笑いだけでは安寧も続かない。
(本ブログ関連;”イディッシュの民話”、”ヘルム”)
「全世界を喜ばすなど・・・・」の小話は、滑稽な世界に身を置いて悟らせる。
・この世に同じ人間がいないように、同じ考えはない。そして絶対的に正しいものも(多分)。
・だからといって、世間を読み解く力ばかり増やしても、選択肢に溺れ、結局は自分を失うことになると戯画風に描いている。(どこかに教訓の香りがするが)
-------------------------------------------
砂漠を、歳老いた父親と十歳の息子とがラクダを連れて旅していた。
・途中、出合った男に「ラクダは人間を乗せるために創造されたのですよ。」と言われた。
そこで、父親がラクダに乗って、息子がその後を付いて歩いた。
・途中、出合った別の男に「息子さんをかわいそうだと思わないんですか?」と言われた。
そこで、息子がラクダに乗って、その後を父親が付いて歩いた。
・途中、出合ったまた別の男にいわれた。「歳老いた父親を歩かせて、子どもがラクダに乗る権利などありゃしませんで。」
そこで、父親と息子の二人がラクダに乗って進んだ。
・途中、出合った更に別の男に言われた。「あなたがたはもの言わぬ動物を虐待している。」
そこで、父親と息子の二人は手でラクダを運んだ。
父親が言った。「多分、道中で誰かに会ったら、何て馬鹿なことと言ってくれるだろう。何をしようと、全世界を喜ばすなどできはしないのだから。」
-------------------------------------------
長い昔から語り継がれた民話はおもしろい。
(本ブログ関連;”イディッシュの民話”、”ヘルム”)
「全世界を喜ばすなど・・・・」の小話は、滑稽な世界に身を置いて悟らせる。
・この世に同じ人間がいないように、同じ考えはない。そして絶対的に正しいものも(多分)。
・だからといって、世間を読み解く力ばかり増やしても、選択肢に溺れ、結局は自分を失うことになると戯画風に描いている。(どこかに教訓の香りがするが)
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砂漠を、歳老いた父親と十歳の息子とがラクダを連れて旅していた。
・途中、出合った男に「ラクダは人間を乗せるために創造されたのですよ。」と言われた。
そこで、父親がラクダに乗って、息子がその後を付いて歩いた。
・途中、出合った別の男に「息子さんをかわいそうだと思わないんですか?」と言われた。
そこで、息子がラクダに乗って、その後を父親が付いて歩いた。
・途中、出合ったまた別の男にいわれた。「歳老いた父親を歩かせて、子どもがラクダに乗る権利などありゃしませんで。」
そこで、父親と息子の二人がラクダに乗って進んだ。
・途中、出合った更に別の男に言われた。「あなたがたはもの言わぬ動物を虐待している。」
そこで、父親と息子の二人は手でラクダを運んだ。
父親が言った。「多分、道中で誰かに会ったら、何て馬鹿なことと言ってくれるだろう。何をしようと、全世界を喜ばすなどできはしないのだから。」
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長い昔から語り継がれた民話はおもしろい。
2018年2月9日金曜日
イディッシュの阿呆酒場 7+7=11
イディッシュ語のテキストに、毎度馴染みの「ヘルム(כעלעם)」の村(町)らしき舞台があって、そこでありそうな阿呆酒場の話がある。7+7=11 となる、例によってイディッシュらしい、視点を混乱させるひねくりジョークだ。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
-----------------------------------------
・男が酒場で飲食して、「お勘定!」と頼んだ。
・女将(おかみ)がいうには、「肉ジャガが7グロシュ、パンも7グロシュ、合わせて11グロシュ」
・横の客(פֿרעמדער)が「そりゃ違う」、「7と7で14だろ」といった。
・女将がいうには、「いいや、これでいい。知ってるでしょ。わたしゃ、前の旦那との間に4人子どもがいる。今の旦那は4人の連れ子がいて、私との間で3人産んだ。だから、わたしゃ7人の子を産んだし、今の旦那にも7人の子がいる。けれど、わが家にゃ子が、11人いて、14人じゃない。」
-----------------------------------------
何が間違いかって?
本当は、前の旦那との間に4人、今の旦那との間に連れ子を含めて7人、合わせて11人でしかない。ところが、今の旦那との間にできた3人の子どもを、女将と今の旦那の両方の視点で見て、二重に計上していることになる。ユダヤ人はこんなだまし絵のようなジョークが好きなんだろうか。
(追記)
女将の計算を「違う」といった客は、生真面目にそういったに違いない・・・けれど、客=פֿרעמדער(foreigner)が、この酒場を知らぬ一見のよそ者だったとしたら、ちょっと面白いことになる。地元客は、女将の勘違いを以前から知っていて、知らぬ顔を決めていたのかもしれないからだ。女将、よそ者、そして地元客との関係が見えてくる。
そういえば、どこかで聞いたような勘定違い・・・落語の「時そば」を思い出す。
(本ブログ関連:”ヘルム”)
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・男が酒場で飲食して、「お勘定!」と頼んだ。
・女将(おかみ)がいうには、「肉ジャガが7グロシュ、パンも7グロシュ、合わせて11グロシュ」
・横の客(פֿרעמדער)が「そりゃ違う」、「7と7で14だろ」といった。
・女将がいうには、「いいや、これでいい。知ってるでしょ。わたしゃ、前の旦那との間に4人子どもがいる。今の旦那は4人の連れ子がいて、私との間で3人産んだ。だから、わたしゃ7人の子を産んだし、今の旦那にも7人の子がいる。けれど、わが家にゃ子が、11人いて、14人じゃない。」
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何が間違いかって?
本当は、前の旦那との間に4人、今の旦那との間に連れ子を含めて7人、合わせて11人でしかない。ところが、今の旦那との間にできた3人の子どもを、女将と今の旦那の両方の視点で見て、二重に計上していることになる。ユダヤ人はこんなだまし絵のようなジョークが好きなんだろうか。
(追記)
女将の計算を「違う」といった客は、生真面目にそういったに違いない・・・けれど、客=פֿרעמדער(foreigner)が、この酒場を知らぬ一見のよそ者だったとしたら、ちょっと面白いことになる。地元客は、女将の勘違いを以前から知っていて、知らぬ顔を決めていたのかもしれないからだ。女将、よそ者、そして地元客との関係が見えてくる。
そういえば、どこかで聞いたような勘定違い・・・落語の「時そば」を思い出す。
2018年1月29日月曜日
冬の夜、雨後は寒くない
先週1/22に、大雪のため延期した「2017年度秋期韓国語教室」が、今晩無事終了した。教室の夜道に名残り雪があって、うっかり足を滑らせないか用心しながら通った。授業が終わって外に出れば、霧雨があったのか、辺りが湿っているのに気付いた。
冬の夜にもかかわらず、雨後のせいか寒くないのだ。雲が上空の寒気を遮断したのだろうか。実に穏やかな気分だ。このところ、縛りつけるような冷気に、ふーっと息を吐いて気をそらしたものだ。
ところで、冬がどうして寒いのだろうか。ここはやっぱりイディッシュの町「ヘルム」の長老に説を聞きたいものだ。以前、記したものを、更に結論だけしぼって次に載せる。何百年も泥臭く熟成したお馬鹿な話は実に楽しい。
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冬の間中、暖炉に火をともす → 町の空に熱気がたまる → だから、夏が暑い
夏の間中、暖炉に火をくべない → 町の空に熱気がたまらない → だから、冬が寒い
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(本ブログ関連:”ヘルム”)
「ヘルム」の長老に教えていただきたいことがある。どうすれば、よその言葉が身につくのだろうか。
冬の夜にもかかわらず、雨後のせいか寒くないのだ。雲が上空の寒気を遮断したのだろうか。実に穏やかな気分だ。このところ、縛りつけるような冷気に、ふーっと息を吐いて気をそらしたものだ。
ところで、冬がどうして寒いのだろうか。ここはやっぱりイディッシュの町「ヘルム」の長老に説を聞きたいものだ。以前、記したものを、更に結論だけしぼって次に載せる。何百年も泥臭く熟成したお馬鹿な話は実に楽しい。
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冬の間中、暖炉に火をともす → 町の空に熱気がたまる → だから、夏が暑い
夏の間中、暖炉に火をくべない → 町の空に熱気がたまらない → だから、冬が寒い
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(本ブログ関連:”ヘルム”)
「ヘルム」の長老に教えていただきたいことがある。どうすれば、よその言葉が身につくのだろうか。
2017年5月26日金曜日
おバカな村
この世に、とりあえず納得できることなら何でも信じてしまう頓珍漢な人がいて、そんな人たちの住む村や町があるという。先日(5/22)、冬場に家々の暖炉から熱気が排出して上空に溜まった結果、「夏が暑い」のだと思い込んでしまった村人が登場する童話について記した。
そんなおバカというか愉快な人々が住む(ポーランドの)村ヘルムについて、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の巻末に訳者解説があり、他にも似た町があると紹介している。
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民話のなかで、おかしな主人公たちの住む町としては、イギリスではゴタム、オランダにはカンペン、イタリアではクネオ、ドイツではシュリートブルクなどがある。
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そこで、ネットに探してみたところ、唯一、「イギリスのゴタム村」を舞台にした昔ばなしの紹介ページがあった(ブログ「アマミツル空の色は Ⅱ」に感謝)。ゴタム村の人々もなるほどと思わせる粗忽振り。それ以外の町については、これからゆっくり探していきたい。
日本におバカな村を舞台にした昔ばなしがないものかと考えた。それらしい所が思いつかない。でも、おバカな人々が出てくる話しがある。「落語」の長屋であり、熊さん八さんの世界だ。イディッシュ語の昔ばなしに通じる、思い込みと逆転世界といったおバカな物語りだ。(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)
(本ブログ関連:”(雑談)本当は誰なの”)
イディッシュ語テキストの代表である「College Yiddish」の著者ウリエル・ヴァインライヒ(Uriel Weinreich)の妻、民俗学者のベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)をさっそく注文した。楽しみだ。
そんなおバカというか愉快な人々が住む(ポーランドの)村ヘルムについて、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の巻末に訳者解説があり、他にも似た町があると紹介している。
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民話のなかで、おかしな主人公たちの住む町としては、イギリスではゴタム、オランダにはカンペン、イタリアではクネオ、ドイツではシュリートブルクなどがある。
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そこで、ネットに探してみたところ、唯一、「イギリスのゴタム村」を舞台にした昔ばなしの紹介ページがあった(ブログ「アマミツル空の色は Ⅱ」に感謝)。ゴタム村の人々もなるほどと思わせる粗忽振り。それ以外の町については、これからゆっくり探していきたい。
日本におバカな村を舞台にした昔ばなしがないものかと考えた。それらしい所が思いつかない。でも、おバカな人々が出てくる話しがある。「落語」の長屋であり、熊さん八さんの世界だ。イディッシュ語の昔ばなしに通じる、思い込みと逆転世界といったおバカな物語りだ。(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)
(本ブログ関連:”(雑談)本当は誰なの”)
イディッシュ語テキストの代表である「College Yiddish」の著者ウリエル・ヴァインライヒ(Uriel Weinreich)の妻、民俗学者のベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)をさっそく注文した。楽しみだ。
2021年5月23日日曜日
(資料)ユダヤのユーモア: Wikipediaより
いままでWikipediaをいろいろ参照したつもりでいたが、イディッシュのユーモアがこんなに豊富にあるなんて知らなかった。東欧ユダヤの自虐ネタは、(宗教上の)自信の裏返しなのか、(現実下の)諦念なのかいつも気になる。ともあれ諸事笑い飛ばす気概は、かれらの底力に違いない。
(本ブログ関連:”阿呆”)
ユダヤのユーモア: Wikipediaより
■Jewish humor
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_humor
(本ブログ関連:”ユダヤジョーク”)
■Jewish humor > ヘルム(東欧ユダヤのユーモア)
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_humor#Che%C5%82m
(本ブログ関連:”ヘルム”)
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